「親なら子供を助けて当然だろ。何のために俺を育てたんだよ」
電話の向こうから響く息子・洋太の傲慢な声に、えり子は言葉を失った。
71歳の元看護師であるえり子は、約40年間、患者の命と向き合いながら、一人息子を大学まで育て上げてきた。5年前に夫を病で失ってからは、実家の土地と貯金だけが頼りだった。
「実家の土地も担保に入れさせるから。どうせ母さん一人じゃもったいないだろ」
洋太の言葉に、えり子の手は震えていた。
3年前、息子の妻・さおりから一方的に絶縁を言い渡された。
「お母さんの古い価値観を押し付けないで。もう来ないでください。私たちの生活に干渉されるのは迷惑です」
きっかけは、孫の教育方針についてえり子が長年の経験から助言しただけだった。洋太も黙って妻の味方をし、むしろほっとしたような表情さえ浮かべていた。
それ以来、えり子は息子夫婦と連絡を取ることはなかった。それでも年賀状だけは毎年送り続けた。返事は一度も来なかったが、無事を祈る気持ちは変わらなかった。
その運命の電話がかかってきたのは、ある雨の日の夕方だった。
「母さん、俺だよ。洋太だけど」
3年ぶりの息子の声に、懐かしさと同時に嫌な予感が胸をよぎる。
「実は俺、事業で失敗してさ、借金が1500万円できちゃったんだよ」
えり子は息を飲んだ。
「そんな金額、何があったの?」
「詳しい話は今度する。とにかく親なんだから助けてくれるよな」
絶縁しておいて、困った時だけ「親なんだから」というのは、無理が過ぎるのではないか。しかし、洋太の口調はだんだん高圧的になっていった。
「俺を育てたのは母さんだろう。責任取れよ」
電話の向こうから、さおりの声も聞こえてきた。
「お母さん、私たちを見捨てるんですか? 私たち本当に困ってるんです。お母さん、助けを頼れる人がいないんです」
3年前に絶縁を言い渡したのはさおり自身だったのに、今は被害者のような口調で助けを求めてくる。
「お母さん、過去のことは水に流しましょうよ。私たち家族じゃないですか」
洋太も合わせるように言った。
「そうだよ、母さん。家族なんだから助け合うのが当然だろう」
えり子は戸惑った。都合の良い時だけ「家族」と言われても、納得できるはずがない。
「でも、1500万円なんて大金、私にはそんなお金はないわ」
「嘘つくなよ。母さん、看護師を何十年もやってたんだから、貯金はあるだろ」
確かに、長年働いた貯金は800万円ほどあった。しかし、それは老後の生活資金として大切に貯めてきたものだ。
「それは私の老後のためのお金よ」
「老後って何だよ。俺たちが困ってるのに、そんなこと言ってる場合か。第一、母さんの老後の面倒は俺が見るんだから、お金なんて必要ないだろ」
さおりも畳みかけてきた。
「そうですよ、お母さん。私たちがちゃんと面倒を見ますから、貯金は全部出してください」
「全部って、当然でしょう。親なんですから。子供のピンチを見捨てるなんて、親として失格ですよ」
何年前に一方的に絶縁を言い渡した人とは思えない変わりようだった。
「それに母さん、実家もあるじゃないか。あの土地、今なら3000万円くらいで売れるんじゃない?」
えり子は言葉を失った。実家は亡き夫との思い出が詰まった大切な場所であり、両親から受け継いだ土地でもある。
「この家は売れないわ。私だってまだ住んでいるのよ」
「なんで売れないんだよ。母さん一人で住むには大きすぎるだろ。どうせ将来は俺が相続するんだから、今売ったって同じことじゃないか」
さおりも追い打ちをかけた。
「お母さん、私たちには子供もいるんです。その子の将来を考えてください」
「でも、あなたたちは私に近づくなと言ったでしょ」
「だから、過去のことは忘れましょうって言ってるじゃないですか。今は緊急事態なんです」
洋太の要求はエスカレートしていった。
「とりあえず貯金の800万円は全部出してくれ。足りない分は実家を担保に入れて借りよう」
「担保って、当然だろう。親の義務だよ。俺を育てた責任もあるし、困った時は助けるのが親の勤めだろう」
えり子は頭が混乱していた。確かに親として息子を助けたい気持ちはある。しかし、3年間の絶縁、そして今の一方的な要求。何かが根本的に間違っているように感じられた。
「洋太、もう少し冷静に話し合いましょう」
「そんな余裕が、冷静に? 母さんこそ冷静になれよ。俺が借金まみれになってるのに、まだしってるのか」
さおりの声も険しくなっていた。
「お母さん、本当に私たちを見捨てるつもりですか? 血も涙もないんですね」
えり子の心は痛んだが、同時に怒りも湧いていた。
その後の数日間、洋太とさおりからの電話は執拗に続いた。えり子がなかなか返事をしないと、2人の態度は豹変していった。
「母さん、まだ返事もらってないけど、いつ振り込んでくれるんだ?」
「洋太、もう少し時間をちょうだい」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないって言ってるだろう」
洋太の怒声に、えり子は思わず受話器から耳を離した。
「母さんって本当に冷血なんだな。自分の息子が困ってるのに、金の心配ばかりして」
「冷血って、そんな言い方はないでしょう」
「事実だろう。普通の母親なら、子供のために何でもするもんだ。母さんには愛情ってものがないのか」
これまでの人生、息子のためだけに生きてきたと言っても過言ではない。それなのに「愛情がない」と言われるなんて。
さおりも電話を代わって、さらに追い打ちをかけた。
「お母さん、私たちが本当に困ってるってわからないんですか? もう時間がないんですよ」
「でも、私だって年金暮らしで」
「年金? お母さん、看護師をやってたんでしょ。絶対にお金あるはずですよね。嘘ついても無駄ですよ。どうせ先に亡くなられるんですから、私たちに財産渡すべきでしょう」
えり子は息を飲んだ。まさか、そんなひどいことを平然と言うとは。
「さおりさん、それはあまりにもひどい言い方では」
「ひどい? ひどいのはお母さんの方でしょう。自分の息子を見殺しにするつもりですか?」
洋太が再び電話を変わって、さらに暴言を吐いた。
「母さん、はっきり言うけど、俺たちが破産したら母さんのせいだからな。そうなったら、もう二度と母親とは思わない。葬式にも出ないし、墓参りもしない。死んだらそれ以降はノータッチで」
えり子の心は凍りついた。
「それでもいいなら、勝手にすればいいけどな。でも、後悔するのは母さんの方だぞ」
さおりも容赦なかった。
「お母さん、私たちを見捨てるなら、孫にも二度と合わせませんから。おばあちゃんなんていないものとして育てます」
「孫に会えないなんて、当然でしょう。困った時に助けてくれない祖母なんて、存在価値ないですから」
そして、決定的な言葉が飛び出した。
「もういいです。お母さんみたいな老いぼれは、黙ってお金だけ出してればいいんですよ」
さおりの本性が完全に露呈した瞬間だった。
「どうせ一人で寂しく暮らしてるんでしょ。私たちに感謝されたいんですか?」
洋太も最後通告を突きつけた。
「母さん、最後通告だ。明日までに返事をくれ。もし断るなら、実家の権利書を取りに行くからな」
「え、勝手に来て」
「母さんが協力しないなら、強制的にでも何とかするしかないだろう」
さおりも冷酷に付け加えた。
「お母さん、認知症も始まってるみたいですし、私たちが財産管理した方がいいですよね」
「認知症なんて」
「今週末、実家に行きますから。権利書のありかを教えてください。抵抗しても無駄ですよ」
電話の向こうで、2人が話し合う声が聞こえてきた。
「権利書は仏壇の引き出しにあるはずだ。鍵がかかってたら、壊してでも開けましょう」
えり子は戦慄した。息子夫婦が本当に家に押しかけて、実家を奪おうとしている。
「さおりさん、いくら何でもそんなことは」
「もう話は終わりです。今週末、必ず行きますからね」
電話は一方的に切られた。
えり子は受話器を握ったまま、しばらく動けなかった。自分が育てた息子が、こんなひどい人間になってしまうなんて。そして、大切な実家まで奪われようとしているなんて。
その瞬間、えり子の心に静かな決意が宿った。
もう我慢はしない。絶対に許さないわ。
えり子は静かに立ち上がると、まず仏壇の前に向かった。夫の遺影に向かって、小さく手を合わせる。
「お父さん、私はもう負けません。あなたとの大切な思い出も、この家も、絶対に守り抜きます」
えり子の目には、これまでにない強い意志の光が宿っていた。
翌朝早く、えり子は銀行に向かった。窓口でいつもの担当者に声をかける。
「吉田です。貯金を別の口座に移したいのですが」
「どちらの口座に移動されますか?」
「新しく口座を作りたいんです。できれば家族にも分からないような形で」
担当者は少し驚いたが、えり子の真剣な表情を見て、丁寧に手続きを進めてくれた。800万円の貯金は、洋太たちが知らない別銀行の口座に移された。これで勝手に引き出される心配はない。
次にえり子が向かったのは、市内の法律事務所だった。
「すみません。弁護士の先生はいらっしゃいますか?」
「どのようなご相談でしょうか?」
「息子夫婦から、財産を勝手に取られそうになっているんです」
受付の女性はえり子を相談室に案内してくれた。
弁護士はえり子の話を丁寧に聞いてくれた。
「それは明らかに恐喝ですね。しかも、勝手に権利書を持ち出すとなると、窃盗にも当たります」
「やはりそうですか」
「まず、大切な書類は全て私たちでお預かりしましょう。そして、もし実際に荒らされるようなことがあれば、すぐに警察に通報してください」
えり子は実家の権利書、通帳、印鑑など重要な書類を全て弁護士事務所に預けた。
「ありがとうございます。これで少し安心できます」
弁護士はさらに重要なことを教えてくれた。
「吉田さん、実はお宅の土地について少し調べさせていただきました。あの土地がある地域は、来年から大規模な再開発が予定されているんです」
えり子は驚いた。そんな話は全く知らなかった。
「再開発ということは、土地の価値が大幅に上がる可能性があります。現在の評価額は3000万円程度ですが、再開発後は1億円を超える可能性も十分にあります」
えり子の心臓が高鳴った。そんな価値があるとは夢にも思わなかった。
「実は私の兄が大手建設会社にいたことがあるんです。それでしたら、詳しい情報を聞けるかもしれませんね」
えり子はすぐに兄の正雄に電話をかけた。
「正雄お兄さん、実は相談があるんです」
兄の正雄は元大手建設会社の役員で、今でも業界に詳しい人脈を持っている。
「えり子か、どうしたんだ?」
えり子が事情を説明すると、正雄は驚きの事実を教えてくれた。
「洋太のやつがそんなことを。実はな、ちょうどえり子の土地のことで、うちの会社の後輩から連絡があったんだ。あの辺り一体で、国主導の事業で大規模ショッピングモールが建設される予定なんだ。えり子の土地は、その中核となる場所にあるんだよ」
えり子は息を飲んだ。
「つまり、どういうことですか?」
「正式な買収価格はまだ決まってないが、最低でも1億円、下手すると1億5000万円は下らないだろうな」
えり子の手が震えた。息子夫婦は、そんな価値のある土地を担保に入れようとしていたのだ。
「お兄さん、その話、確実ですか?」
「ああ、来月には正式発表があるはずだ。その土地は絶対に手放すな。宝の山だぞ」
電話を切ったえり子は、深い安堵と同時に、静かな怒りを感じていた。息子夫婦はえり子の弱みに付け込んで、貴重な財産を奪おうとしていたのだ。しかも、一度は絶縁を言い渡しておきながら、お金に困ると土下座するような卑劣さ。
もう二度と、あの子たちに騙されないわ。
えり子は週末の息子夫婦の来訪に向けて、完璧な準備を整えることにした。罠は着々と仕掛けられていた。
週末の午後2時、約束通り洋太とさおりがえり子の家にやってきた。玄関のチャイムが鳴ると、えり子は深呼吸をして扉を開けた。
「母さん、来たよ」
洋太の表情は、まるで勝利を確信した人のようだった。さおりも得意げな笑みを浮かべている。
「お母さん、お邪魔します」
2人は遠慮なく家に上がり込んできた。
「で、権利書はどこにあるんだ?」
洋太は挨拶もそこそこに本題に入った。
「洋太、その前に少し話をしましょう」
「話なんてもういいよ。時間がないんだから、さっさと権利書を出してくれ」
さおりも傲慢な態度で言った。
「お母さん、もう決まったことですから。後は私たちに任せてください」
えり子は2人の態度を冷静に観察していた。まるで他人の家を勝手に物色するような振る舞いだ。
「わかりました」
えり子は意外にもあっさりと答えた。洋太とさおりは拍子抜けしたような表情を見せた。
「権利書をお渡しします。でも、その前に少しお話することがあります」
えり子は2人をリビングに案内した。テーブルの上には、すでにお茶菓子と書類が用意されている。
「母さん、なんだよ、これ」
洋太が書類に目をやると、そこには「財産贈与契約書」と書かれていた。
「これは私が用意した契約書です。あなたたちが望むなら、私の財産を全てお渡しします」
さおりの目が輝いた。
「本当ですか? お母さん、ありがとうございます」
「ただし、条件があります」
えり子の声はこれまでになく冷静だった。
「条件って、何だよ?」
「この契約書にサインをしていただく前に、正式な土地の評価額をお聞かせしたいのです」
えり子はもう1枚の書類を取り出した。
「これは昨日、不動産鑑定士の方に依頼した、この土地の正式な評価書です」
洋太が書類を見ると、そこには予想外の数字が記載されていた。
「1億2000万円……嘘だろ。こんな山の中の土地が」
さおりも驚愕の表情を浮かべた。
「お母さん、これ、本当ですか?」
えり子は静かに微笑んだ。
「本当です。実はこの土地一体は、来月から国の再開発事業の対象になるんです」
洋太の顔が青ざめていった。
「再開発って、まさか」
「大規模ショッピングモールの建設予定地です。正式発表は来月ですが、建設会社からはすでに買収の打診が来ています」
えり子はさらに別の書類を取り出した。
「こちらが正式な買収提案書です。1億5000万円での買い取り希望となっています」
さおりが震え声で言った。
「私、私たち、知らなかった」
「当然です。この情報はまだ一般には公開されていませんから」
えり子の声には冷たい響きがあった。
「でも、あなたたちは『親なら当然助けるべきだ』とおっしゃいましたね」
洋太は言葉に詰まった。
「そ、それは、私も親なら当然と思います」
「でも、絶縁した子供は、もう親の対象ではないですよね」
えり子の言葉に、2人は凍りついた。
「だから、この契約書を用意したんです。他人への財産贈与契約書」
さおりが慌てて言った。
「お母さん、私たちは家族です」
「3年前、あなたは何とおっしゃいましたか? 『もう来ないでください。干渉されるのは迷惑です』でしたね」
えり子はスマートフォンを取り出した。
「実は、昨日からの電話での会話は全て録音させていただいています」
洋太の顔が真っ赤になった。
「録音って」
「『どうせ先に死ぬ』『老いぼれは黙って金を出してればいい』『権利書を勝手に持ってくる』……全て記録されています」
さおりが震え声で言った。
「そ、それは、そんなつもりじゃ」
「これらの録音は、すでに警察と弁護士にも提出済みです」
えり子はさらに別の書類を見せた。
「こちらが、恐喝及び窃盗の被害届です」
洋太が立ち上がった。
「母さん、そこまでするのか?」
「あら、『母さん』ですか? 昨日は『老いぼれ』と呼んでいらっしゃいましたが」
えり子の冷静さが、逆に恐ろしく感じられた。
「お母さん、お願いします。私たち、本当に困ってるんです」
さおりが泣きそうな声で懇願した。
「そうですね。でも、絶縁した子供の借金を、他人が負担する義務はありません」
えり子は立ち上がると、玄関の方を指差した。
「どうぞ、お帰りください。私の家に、他人に長居されても困りますから」
洋太が最後の抵抗を試みた。
「母さん、俺は息子だぞ。血の繋がりがあるんだ」
「血の繋がり? それを言うなら、私を『老いぼれ』呼ばわりした時点で、その繋がりは切れています」
えり子はテーブルの上の最後の書類を手に取った。
「こちらが、親子関係断絶の正式な手続き書類です。すでに弁護士を通じて手続きを開始しています」
さおりは絶望的な表情を浮かべた。
「私、私たち、これからどうすれば」
「それは他人の私には関係ありません。ご自分たちで何とかしてください」
えり子は玄関のドアを開けた。
「もう二度と、この家には来ないでください。次に来られた場合は、不法侵入として警察に通報します」
洋太とさおりは何も言えずに、家を出ていった。ドアが閉まった瞬間、えり子は深いため息をついた。
「これで終わりです。私の新しい人生の始まりです」
夕暮れの光がえり子の顔を優しく照らしていた。長年の重荷が、ようやく取れたのだ。
その後、洋太たちの借金問題は自己破産で処理されることになった。えり子の毅然とした態度に、2人はもう何も言えなくなっていた。
それから3ヶ月後、えり子の生活は劇的に変わっていた。土地の正式な売却が完了し、1億5000万円という大金がえり子の手に渡った。長年慣れ親しんだ実家を離れるのは寂しくもあったが、亡き夫との思い出は心の中にしっかりと刻まれている。
「お父さん、私たちの土地が、こんなに価値のあるものだったなんてね」
新しく購入したマンションのバルコニーから、えり子は穏やかな表情で町を見下ろしていた。71歳にして、ようやく本当の自由を手に入れたのだ。駅前の一等地にある新居はバリアフリー設計で、老後の生活には申し分ない。何より、嫌な記憶に悩まされることもなく、心から安らげる家だった。
「えり子さん、今日の陶芸教室はいかがでしたか?」
教室の帰り道、新しい友人の山本さんが声をかけてくれた。えり子は週に3回、陶芸教室に通っている。
「とっても楽しかったです。やっと花瓶の形に近づいてきました」
「素晴らしいですね。来月の展覧会が楽しみです」
71歳になってから始めた陶芸に、えり子には意外な才能があることが分かった。長年看護師として培った繊細な手先の技術が、作品に生かされているのだ。
「来週の海外旅行の準備はいかがですか?」
「はい、パスポートも更新できましたし、楽しみにしています」
えり子は来週、念願のヨーロッパ旅行に出かける予定だった。看護師時代は忙しくて旅行どころではなかったが、今は時間もお金も自由に使える。
マンションに戻ると、郵便受けに一通の手紙が入っていた。差出人を見ると、地元の動物愛護団体からだった。
「吉田えり子様、この度は高額のご寄付をいただき、心より感謝申し上げます」
えり子は土地の売却益の一部を、動物愛護施設と高齢者施設に寄付していた。看護師として多くの患者と接してきた経験から、困っている人を助けたいという気持ちが強くあったのだ。
「子供たちが喜んでくれているなら、何よりです」
部屋に戻ると、テーブルの上にスマートフォンが置かれている。着信履歴を見ると、洋太からの電話が10件以上記録されていた。しかしえり子は、もう一切応答していない。さおりからのメッセージも何件か届いていた。
「お母さん、お願いします。もう1度だけ話を聞いてください。私たち、本当に反省しています。許してください。孫にも合わせますから。少しでいいので、お金を貸してください」
しかし、えり子の心はもう動かなかった。一度失った信頼は、簡単には取り戻せるものではない。
「もう遅いのです。あなたたちが選んだ道ですから」
えり子はメッセージを削除した。
その後の情報によると、洋太とさおりは自己破産手続きを完了し、洋太は離婚に至ったそうだ。さおりは実家に帰ろうとしたが、両親からも受け入れを拒否されたと聞いている。
「自分たちがしたことの報いですね」
えり子に同情する気持ちはなかった。人として最低限の礼儀や感謝の気持ちを忘れた人には、相応の結果が待っているものだ。
夕食の準備をしながら、えり子は心から満足していた。高級食材を使った料理も、今では気兼ねなく楽しめる。
「本当に、自由になれました」
窓の外では夕日が沈み、町の灯りが輝き始めている。えり子の新しい人生は、まだまだ続いていくのだった。



