義母に「真心込めて介護しなさい」と言われた時、私は抑えていた何かが弾け飛ぶのを感じた。26年間、嫁いびりに耐えてきたのに、感謝されるどころか疫病神扱い。夫に相談すれば「嫁なら当然だ」と鼻で笑われ、もうこの家に私の居場所はないと悟った。息子に「もう我慢できない」と連絡を入れたあの日、私は静かに離婚届と新しい生活の準備を進めていた。そして決行当日、夫と義母の前で言ってやった。「私はこの家を出ます…

義母に「真心込めて介護しなさい」と言われた時、私は抑えていた何かが弾け飛ぶのを感じた。26年間、嫁いびりに耐えてきたのに、感謝されるどころか疫病神扱い。夫に相談すれば「嫁なら当然だ」と鼻で笑われ、もうこの家に私の居場所はないと悟った。息子に「もう我慢できない」と連絡を入れたあの日、私は静かに離婚届と新しい生活の準備を進めていた。そして決行当日、夫と義母の前で言ってやった。「私はこの家を出ます...

義母は身内に強い女だった。身内を愛し、よそ者の私を徹底的に排除する。息子の浩太が生まれ、義実家での同居が始まってからは、些細なことにも嫌味の連続だった。

私が家事をしていると、必ず口を挟んでくる。
「そんな掃除の仕方じゃだめよ。まったく、どこでどんな教育を受けてきたのかしら。私はお義母さんに一度だって叱られたことなんてないわ」
自分の優秀さをアピールするのが、いつものやり方だった。

義父はそもそも無関心だし、夫に義母へ注意してほしいと頼めば、冷たい返事だけが返ってきた。
「家のことはお前の仕事だろ。専業主婦なんだから」
追い打ちをかけるように、義母が嫌味を言う。
「浩太に余計なこと言うんじゃないわよ。あの子は外でのお仕事で大変なんだから」
あの時ほど屈辱を感じたことはなかった。

義母の口出しは、育児の仕方にも及んだ。浩太に何かあると、すぐに私の教育のせいにする。孫のいいところは夫に似たと褒め、悪いところは私に似たとこき下ろすのが、いつもの手口だった。
「あら、浩太ちゃん、また風邪引いたの? 浩太は風邪なんて一度も引いたことなかったのに。教育の差かしらね」
「私の育て方が悪いって言うんですか?」
「あら、嫌だ。そんなこと言ってないわよ。何でも悪いように取るの。ほのかさんの悪い癖ね。浩太ちゃんに移らないといいんだけど」
結局はいつも私が悪者にされる。

孫のことを何でも思い通りに従わせるのも、性質が悪かった。浩太が小学校に上がりテストがあったことを知ると、強引に答案を提出させた。
「浩太は一度だってこんな点数取ったことなかったわよ」
私を呼びつけたかと思えば、どういう教育をしているのかと一時間も説教された。私は義母の尻拭いに慣れていたが、息子は自分のせいで私が怒鳴られたと思い、「僕のせいでごめんなさい」と泣いてしまったこともある。

義母はただ、孫を理由に私を攻撃したいだけ。息子の涙を見て、そう思い知らされた。本当に孫を大切に思うなら、目の前で母親を叱りつけ、こんな風に泣かせたりしない。

義母の本心を見抜いてからは、できるだけ義母が息子に近づかないよう奮闘した。私の努力が実ったのか、息子は大学卒業後に就職し、半年ほど前に職場の同僚と結婚した。嫁の奈美ちゃんは、笑顔が可愛い素直そうな子だった。

息子の成長を感じて、あっという間の26年間を思い返す。ママ友と話すたびに、「その状況でよくもまあ離婚せずにいたわね」なんて冗談めかして言われたものだけど、客観的に見れば自分でもそう思う。

でも、もう守るべき息子もいない。あとはもう、義母の嫁いびりを我慢するだけ。些細なことの一つや二つ、スルーで乗り越えていけばいいなんて思っていたんだけど。

義父が亡くなったのは、そんなことを考えている矢先のことだった。朝、義母が起こしに行くと、すでに冷たくなっていた。義母にとっては心の寄り所だったのだろう。以前はご近所に私の悪口を言い回っていたくせに、外出もほとんどしなくなった。

相変わらず私のご飯をまずそうに食べているが、その量も減り運動量も落ちたため、体はだんだん弱っていく。足が思うように動かなくて小さな段差でもつまづき、手が震えて箸を落とす回数も増えた。イライラが募ったのだろう。その矛先は私に向けられた。
「早くご飯を持ってきなさい。お腹が空いたのよ」
「シーツはまだ買えないの? いつまで待たせるの? なんでこんなにグズなの? 本当に使えない嫁」
「私がこうなったのも、全部あなたのせいよ」
ヒステリックに私を呼びつけ、文句ばかりまき散らす義母。たまに息子に電話をして愚痴を聞いてもらっていなければ、先に私がおかしくなっていただろう。

パートの時間を短くしてやりくりしていたものの、私だけ外出できるのが気にくわないのか。ある日、とうとう義母がこんなことを口にした。
「あなたがうちに来てから散々だわ。今すぐパートをやめなさい。今までうちに迷惑ばかりかけてきたんだから。これからはあなたが私を世話する番よ。真心込めて私の介護をしなさいね」
そう言ってやったと、義母は満足げな表情をしている。どういう思考回路を持てば、そんな図々しい言葉が出てくるのだろうと、私は不思議で仕方がなかった。

「無理です」
思わず、素直な気持ちを口にしていた。義母はポカンとしたが、すぐに我に返り怒鳴り返してきた。
「無理ですって? なんてふざけた物言いなの。あなたがうちに来てから全部おかしくなったのに。疫病神だわ。お父さんが亡くなったのも、浩太ちゃんがどこの馬の骨か知らない女と結婚するはめになったのも、全部あんたのせいじゃない?」
浩太のお嫁さんは私の大学の後輩だったから、それを聞いてから義母は彼女を嫌いになったらしい。

「それはこっちのセリフですよ。この疫病神。今まで散々いびってきたくせに、真心込めて介護しろだなんて。よくもまあ、そんなセリフが言えますね」
「な、なんですって? 今すぐ謝りなさい」
義母はごちゃごちゃ叫んでいたが、もう相手にする気など1ミリもなかった。さっさと義母の部屋を出て、自室にこもる。

夫が帰宅後、リビングにいた私を怒鳴りつけたのは予想の範囲内だった。
「おい、母さんの介護を断ったんだってな。本人の前でどうしてそんなひどいことが言えるんだよ」
「なんで私がお母さんを介護しないといけないの?」
冷静に尋ねると、夫はバカにしたように鼻で笑った。
「マジで言ってるのか? お前は嫁だろ? 嫁にとって夫の親は実の親だろ。実の親が大変な時は、文句も言わず世話するのが当然だろう」
夫の怒鳴り声を聞きつけたのか、義母が自室から出てきて生き生きとした表情で便乗する。
「浩太の言う通りよ。血の繋がらない赤の他人のあなたを嫁として教育してあげたっていうのに、いつまでたっても嫁の自覚がなくて困るわね」

私は夕飯作りの手を止め、盛大なため息をついた。
「お母さんが私にしたことは、小言か嫌味か嫁いびりだけ。感謝することなんて一つもないのに、どうして世話してあげたいなんて思えますか?」
「ほのか、お前、母さんになんてこと言うんだよ」
あくまで義母の肩を持つ夫に、「じゃあ、自分が同じ目に遭っても黙って素直に介護するの?」と聞けば、「それはまた別の話だろ」とごにょごにょ言って話をそらした。
「ともかく今日はもう下がらせて。ここのところお母さんの世話で気が狂いそうだったから、冷静になりたいの」
「そうだな。自分の状況も踏まえて考えろよ」
夫は私が折れるだろうと予想したようだが、私にはそんな気持ちは微塵もなかった。義母の言葉に抑えていた気持ちが一気に溢れて、私が我慢すればと保ってきた糸がピンと弾け飛んだのだ。

自室に戻り、部屋の荷物を片付け始める。もう心は決まっていた。
その週の土曜日が、決行の日だった。もう昼前だというのに昼の準備に取りかからない私が気になったのか、夫が自室にいた私に声をかけてくる。
「おい、昼飯まだかよ。母さんも腹減ったって言ってるぞ」
私がしぶしぶ出たところで、ちょうど玄関のチャイムが鳴った。誰だと顔を見合わせる夫と義母をリビングに残し、玄関へ向かう。

ドアの向こうにいたのは、数ヶ月ぶりの息子だった。
「ただいま」
「母さん、荷物はもう用意してあるわよ。意外と少なかった」

穏やかな親子の会話だったが、夫と義母の間で、あっけなく終了した。
「浩太ちゃん。あらあら、どうしたの? 急に帰って来るなら連絡くらい入れろよな」
嬉しそうな義母と、そっけない夫の態度は対象的だったが、「母さんの荷物を取りに来たんだ」という息子の言葉に、どちらも絶句しておかしくなった。
「あれ? まだ二人に話してないの? 母さん、今日この家を出るんだよ」
息子のわざとらしいセリフに、笑いを噛み殺す。

義母に介護しろと言われたあの日、私は息子に連絡していた。以前から散々、口を聞いてもらっていため、うちの事情はよく知っている。せいか、「ようやく家を出る気になったんだね」とため息混じりに言われたのは悔しかったが。
「家を出る? どういうことだ?」
「お母さんの嫁いびりに疲れたの。もう我慢できないから家を出るわ」
「な、なんですって? 私の介護はどうするのよ?」
夫も義母も状況が把握できないのか、同様して私に詰め寄ってくる。

「ばあちゃんって、頭が悪いんだね。一回でわかんないの? そういえば昔から、同じこと言って母さんいびってたっけ?」
冷ややかな声をかけたのは、息子だった。
「浩太ちゃん、子供の頃から思ってたけど、ばあちゃんって何様なの? いつも上から目線でさ、母さんをいじめるために俺を道具にしただろ。俺の教育だなんだって言って、口出すふりしてさ。マジで陰湿な意地悪ババアだって、子供心に思ったよ」
愛する孫からの暴言に、義母は信じられないと言わんばかりに目を見開いて、青ざめている。
「母さんに向かって、なんて口の聞き方だ」
夫が吠えるが、息子はまるで気にも止めない。
「じゃあ俺も言うけど、俺の母さんに向かって、あんたはいつもどんな口の聞き方してたわけ? 家のことも俺のことも無関心で、母さんがどんなに辛く当たられても放っておいたくせに、ばあちゃんのことになると怒鳴り返すなんて。マザコンも大概にしてよね。マジでキモすぎ」
淡々と言う息子の口調は、異様な迫力があった。夫はグッと黙り込む。

興味を失ったのか、私へ荷物を回収してくる息子。
「お、おい、家を出ていくって言うけど、お前にそんな金あるのかよ。家賃や生活費、そんなの払っていけるのか?」
そんな夫の疑問は私にも懸念事項だったけれど、全て解決済みだ。
「住むところならもう決めてあるの。家賃も私の稼ぎで払えるわ」
実は前から、息子夫婦に同居を誘われていたのだが、義母に散々いじめられたため、同居には敏感になっていた私。いつどんな形で奈美ちゃんに嫌な思いをさせるか不安だったから、ずっと遠慮していた。
しかし奈美ちゃんの叔父が賃貸経営しているようで、私の事情を聞き、身内価格でアパートを安く貸すと申し出てくれて、別居になるなら是非とお願いした次第だ。
「保険は俺の扶養に入ればいいだけだしね」
と、息子が付け加えた。

ようやく私が家を出ていくことが現実味を帯びてきたのだろう。
「母さんの介護はどうするんだよ。俺にはそんなことしている暇なんかないぞ」
「お母さんを目の前にして、よくもまあそんなひどいことが言えたわね。実の親が大変な時は、文句も言わず世話するのが当然なんでしょ」
自分の言ったセリフで言い返されて、夫は言葉の根も出ないようだ。

ふと唖然としている義母に目が止まり、最後の挨拶をした。
「お母さん、それでは厄介で疫病神の嫁は出ていきますので、血のつながったご自分の優秀な息子さんによくよく世話してもらってくださいね」
夫には、用意しておいた離婚届を突きつける。夫は呆然として受け取るだけで、完全に打ちのめされた様子だった。
「ほ、お母さん、そんな意地悪言わないで」
先ほど夫から拒否されたのを思い出したのか、私に行かれては困ると腕にすがってくる義母。
「ばあちゃん、図々しいのもいい加減にしろよ」
と、息子がその手を軽く払ってくれた。

後の作業は簡単な仕事だった。夫と義母をスルーして、荷物を運び出すだけ。
息子が探りを入れると、私が家を出てから夫と義母の中は、あれ以後ギクシャクしているようだ。義母の足の状態は悪化して、家事は愚か外出もままならず、夫の介護の手を必要として夜な夜な叫ぶらしい。仕事しかしてこなかった夫には、わがままな義母の世話は、耐えられない苦行だろう。

私は自由な一人暮らしを楽しんでいる。夫とは無事離婚が成立し、息子が頼んでくれた弁護士のおかげで、財産分与も揉めずに片付いた。たまに奈美ちゃんが遊びに来て、家事や仕事のことや息子の愚痴を言ったりする。義母のことがあったから、実はちょっと嫁との交流にドキドキしている私。良好な関係を築けるよう、頑張りたい。

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