「いいからあんたが行きなさい。加木の娘に違いないんだから。」
旅館の二階の控えの間で、母が私の腕を掴んだ。一階の広間には見合いの花が行けてある。姉が座るはずだった座布団だけが、誰にも触られないまま残っていた。姉がいなくなったのは四十分前のことだ。化粧室に行くと言って出ていったきり、戻らなかった。化粧台の上には走り書きが一枚だけ残されていた。
「漁師なんて絶対に無理。」
姉の丸い字だった。父は畳を睨んだまま何も言わない。母は私に、姉のために仕立てた薄紅色の訪問着を着せた。袖も裾も私には余っていたけれど、母は気にしない。
「向こうは名前まで確かめやしないわ。加木の娘なんだから嘘じゃないでしょ。」
私は何も言えなかった。この家で私が言い返せたのは、これまでにたった一度だけだ。その日、私は写真でしか知らない漁師の前に座った。そしてそのまま、潮見の港町へと行くことになった。姉の代わりに座ったあの座布団が、私の人生を丸ごと作り替えてしまうとは、その時の私にはまだ知る由もなかった。
私の名前は加木みのり。二十七歳。小さな文房具メーカーで経理の仕事をしていた。伝票を数えて帳簿を合わせる。一円でもずれていれば、揃うまで帰らない。そういう仕事が私には向いていた。数字は嘘をつかないし、こちらに何も要求してこない。合わせれば合ってくれる。それだけのことが、私にはありがたかった。
地味で無口で、手先だけは器用。それくらいしか取り柄のない女だ。二十七歳になった今も、恋の一つも知らないまま。朝は帳簿の数字、夜は母の顔色とばかり向き合って生きてきた。私には二つ上の姉がいる。名前はサヨという。同じ両親から生まれたはずなのに、姉と私は何もかもが違っていた。
姉は華やかな人だった。声が大きくて、笑うと部屋がぱっと明るくなる。どこにいても人の輪の真ん中にいて、欲しいものは欲しいとまっすぐ言える人だった。両親はそんな姉を目に入れても痛くないほど可愛がった。私はといえば、部屋の隅で膝を抱えているような子供だった。何かをする前に、まず母の顔色を窺う。それが癖になっていた。
今でも忘れられない日がある。小学校に上がる前の夏祭りで、私は藍色の巾着を買ってもらった。生まれて初めて、自分だけのものとして手にした宝物だった。嬉しくて、家に帰るまでずっと胸に抱えていた。それを見た姉が言った。
「みのり、それちょうだいよ。あんたが持つより、私の方が似合うでしょ。」
私が黙っていると、母がすかさず口を挟んだ。
「みのり、お姉ちゃんが欲しいって言ってるんだから、譲ってあげなさい。」
「譲ってあげなさい」。その一言が、私の子供時代の全てだったような気がする。巾着は次の日には姉のものになっていた。私はそれを黙って見ていることしかできなかった。奪われるのは物だけではなかった。
親戚が集まったある年の正月。私は朝から台所に立っていた。煮物を炊いて、皿を並べて、お茶を注いで回った。誰に言われたわけでもない。ただそうやって手を動かしていれば、この家に自分の居場所があるような気がしたのだ。縁側で母が親戚に向かって言った。
「うちのサヨは本当に気が利く子でね。今日も朝からよく働いてくれて。」
台所に立っていたのは私だった。姉は縁側で親戚の子供たちと笑っていただけだ。それでも姉は、自分のことのようにこちらを向いて笑った。
「もうお母さんたら、大げさなんだから。」
流しの前で、私はただ濡れた手を拭いていた。「違う。それをやったのは私だ。」そう言えたらどんなに楽だっただろう。けれど口を開けば、きっと同じ言葉が返ってくる。それが分かっていたから、私は何も言わなかった。
たった一度だけ、言い返したことがある。まだ幼い頃、姉に取り上げられた絵本を取り返そうとした時だ。
「それは私のだよ。」
声は情けないほど震えていた。その瞬間、母の顔つきが変わった。
「お姉ちゃん相手に、なんて口を聞くの? 全く可愛げのない子だね。」
叱られたのは、奪われた方の私だった。それきり、私は二度と言い返さなくなった。そして少しずつ覚えていった。欲しいと言わないこと。自分がやりましたと名乗り出ないこと。俯いて波風を立てずにいること。望めば外れる。期待すれば裏切られる。だったら初めから何も望まなければいい。そう自分に言い聞かせて、私は大人になった。
就職してからも同じだった。手取りの半分以上を家に入れるのが当たり前になっていた。姉は同じ家に住んで働いていなかったけれど、母は一度も姉に生活費の話をしなかった。
「サヨはね、そのうちいいところにお嫁に行くんだから。今のうちに綺麗にしておかないと。」
私の給料から出た金で、姉は美容室に行き、私が作った服を着て出かけていった。二十五歳の時、私がコツコツ貯めた三十万円を母が持っていった。姉が資格の学校に行くと言い出したからだ。姉はその学校に三ヶ月通って辞めた。「教室の雰囲気が合わない」と言っていた。返してほしいとは、私はとうとう言えなかった。
そういう毎日だったから、私は自分に値段のつくところがあるとは思っていなかった。私にできるのは、誰かの開いた場所を埋めることだけだ。長い間、本気でそう思っていた。
そんな私にも、一人だけ味方でいてくれた人がいる。母方の祖母のハツだ。祖母は北浦という、海のそばの町で生まれた人だった。若い頃は魚市場で働いていたそうで、手のひらが分厚くて、指の関節が太かった。会うたびに、私の手を取って両手で包むようにして握ってくれた。
「みのりの手はいい手だね。よく働く手だ。」
そう言われるたびに、私は自分の手が急に大事なものになったような気がした。祖母には口癖があった。
「人を食べさせる仕事はね、一番立派な仕事だよ。」
魚の話をする時、祖母は必ずそう言った。冷たい水で手をかじかませて、朝の暗いうちから働いて、それで人の腹を膨らませる。あんな立派な仕事はない。子供の私にはよく分からなかったけれど、祖母がそう言う時の顔がとても誇らしげだったから、きっとそういうものなのだろうと思っていた。
小学校に上がる年、祖母は私に藍色の巾着を一つ縫ってくれた。姉に取られたあの祭りの巾着に似せて、わざわざ同じような藍の布を探してきてくれたのだ。口の紐は太くて丈夫なものだった。そこのところには白い糸で「みのり」と縫い取りがしてあった。ひらがなで四文字だけ。私が首をかしげると、祖母は笑った。
「名前はね、大きくなってから自分で縫いなさい。ばあちゃんの縫い方を覚えて、自分の手で入れるんだよ。」
祖母はその時、同じ藍の布で風呂敷も一枚縫ってくれた。巾着とお揃いで、隅に同じ白い糸で「みのり」と入っていた。縫い目の感覚まで揃った、丁寧な手だった。私はその二つを大事にしまい込んだ。姉にはとうとう見つからなかった。姉が興味を持つような、きらきらしたものではなかったからだと思う。
巾着は遠足や社会科見学の時に持っていった。風呂敷の方は、おにぎりを包むのに使った。母は毎朝姉の弁当だけは詰めてくれたけれど、私の弁当は握り飯だけのことが多かったからだ。祖母はそれを知っていたのだと思う。だから包む布をくれたのだ。小学生の私は、その風呂敷で包んだ握り飯を膝に乗せて、一人で食べていた。中身は塩だけの日もあった。それでも、私はその時間が好きだった。包みを開ける時に、藍色の布の隅の白い糸の四文字が見える。それを見ると、なんとなく祖母がそばにいるような気がしたのだ。
祖母が生きている間、私は年に何度か海の町へ連れて行ってもらった。祖母の家に泊まると、朝はいつも魚だった。祖母は魚を焼きながら、市場で働いていた頃の話をした。
「市場が始まる前の暗い時間が一番忙しい。氷を割る音で目が覚める。冬は手が痛くて痛いのに、手袋をすると仕事にならない。『冷たいだろう』ってみんな言うんだよ。冷たいさ。冷たいけどね。その魚がどっかの家の晩御飯になるんだ。そう思うとね、不思議と手が動くもんだよ。」
私はそういう話を聞くのが好きだった。母も姉も、そんな話は退屈だと言って聞かなかった。だから祖母はいつも私にだけ話した。
十二歳の夏、祖母と母と姉と四人でその町へ行った。祖母の姉に当たるヨシさんの法事があったのだ。その時のことを私はほとんど覚えていない。朝が早くて長い電車に揺られたこと。お寺の畳が冷たかったこと。帰りに祖母と二人で隣の町へ寄ったこと。それくらいだ。
私はそのまま大人になってしまった。祖母は私が十八歳の時に亡くなった。八十歳だった。亡くなる前から、祖母はよく私に電話をかけてきた。用があるわけではない。「ご飯を食べたか」「寒くないか」。それだけを聞いて切る電話だった。最後の入院の時、祖母は痩せた手で私の手を握ってこう言った。
「みのりはね、人のために手を使うのが上手な子だよ。それは『損』なんかじゃないからね。」
その時の私には、やっぱり意味が分からなかった。祖母の葬式で、母は親族代表のお礼の挨拶を姉にさせた。「そういう場に立つのはサヨの方が見栄えがする」と言った。私は台所で人数分のお茶を淹れていた。その日から、私に味方は一人もいなくなった。
縁談の話が来たのは秋のことだった。夕飯の後に、母が卓袱台で見合いの書類を広げた。相手は潮見という港町の人で、漁師さんだという。母の実家の北浦の一つ隣の町だった。書類の職業のところには「潮見水産代表」とだけあった。写真が一枚添えてあった。日に焼けた男の人が、紺色のジャンパーで桟橋に立っている。髪は短くて、首が太くて、表情は硬い。笑おうとして失敗したような顔をしていた。
姉が写真を覗き込んで、一瞬で顔をしかめた。
「え、何これ? 冗談でしょ?」
「まあね、住職さんのお顔もあるから一応はね。」
「無理。漁師なんて絶対に無理。手が臭いんでしょ。絶対魚臭いところで一生を終えるなんて考えられない。」
父はお茶を置いて、「まあ、会うだけ会えばいいだろう」と言った。父はいつもそうだった。決めるのは母で、父は後から追認する。見合いは十二月の初めに決まった。場所は先方の町の近くにある古い旅館だった。その一ヶ月の間、姉は毎日のように文句を言った。写真の男の指が太いとか、爪の中が黒いとか、髪型が古いとか。母はその度に姉をなだめた。
「一度会うだけよ。気に入らなければ断ればいいの。」
私はそのやり取りを聞きながら、写真の人のことを考えていた。あの人は、自分の写真がこの家の食卓でこんな風に扱われていることを知らない。知らないまま、多分少し緊張して当日のことを考えているのだろう。そう思うと、胸の辺りが重くなった。
見合いの当日、私は姉の付き添いとして一緒に潮見へ向かった。荷物持ちだ。着付けの手伝いもさせられた。朝から姉の機嫌は最悪だった。電車が二回乗り換えで、その度にホームが寒いと言って怒った。町に近づくにつれて車窓の建物が低くなり、やがて灰色の海が見えた。冬の海だった。白い波がずっと沖まで並んでいた。
旅館に着いたのは十時前だった。見合いは十二時からだった。私は姉の帯を結び、髪を整え、口紅の色を選んだ。十一時十五分、姉は化粧室に行くと言って部屋を出た。そして戻ってこなかった。仲居さんが探しに行ってくれたけれど、旅館のどこにもいなかった。玄関で聞いたら、着物のままタクシーに乗って駅の方へ行ったという。化粧台の上に走り書きが一枚だけ残っていた。
「漁師なんて絶対に無理。魚臭いところで一生を終えるなんて考えられない。ごめん。」
母の顔がみるみる白くなった。父は畳を睨んだまま動かなかった。先方はもう一階の広間についていると仲居さんが言った。住職も一緒だという。その時、母が私を見た。あの目を私は今でもはっきり思い出せる。困っている目ではなかった。何かを見つけた目だった。
「みのり、あんたが行きなさい。」
「え?」
「いいから。あんたが行きなさい。加木の娘には違いないんだから。」
私は自分の耳を疑った。それでも心のどこかでは、驚いていなかったのだと思う。この家ではいつもそうだった。姉の開けた穴を埋めるのが私の役目だ。母は私に姉の訪問着を着せた。袖が余って、裾を引きそうだった。母は帯をきつく締めながら言った。
「向こうだって娘に会いに来てるだけよ。名前まで確かめやしないわ。」
私は薄紅色の訪問着で階段を降りた。裾を踏まないように気をつけるだけで精一杯だった。階段の途中で一度だけ足が止まった。このまま引き返したら、と思った。引き返して「こんなの変です」と言えば、この話はここで終わる。私にはその権利があるはずだった。けれど、私は降りた。止まるという選択肢が、その時の私の中には本当になかったのだ。譲るというのはそういうことだった。子供の頃から体に染み込んでしまっていて、もう自分の意思とは関係のないところで手足が動く。後になって、私はこの時のことを何度も考えた。もしあの階段で引き返していたら、私は一生あの家にいたのだと思う。
広間の襖が開いた時、その人は座布団から立ち上がって私を迎えた。写真の通りの人だった。日に焼けていて、首が太くて、背が高かった。ただ写真と違って、その人の目はとても静かだった。紺色の背広を着ていた。仕立てのいい背広ではなかったけれど、きちんと折り目のついた背広だった。首回りが少しきつそうだった。普段は背広など着ない人なのだと分かった。
住職が私たちを引き合わせた。
「こちらが潮見の菅兵吉さんです。」
「菅です。今日はありがとうございます。」
低い声だった。頭の下げ方が深かった。母が私の背中を押した。
「娘のみのりです。」
その一言だけだった。誰が「次女です」とも「姉は来られません」とも言わなかった。私は座って両手を膝の上で重ねた。手が震えていた。菅さんは私の顔を見た。少しだけ長く見た気がした。それから目を伏せて、湯呑みに手を伸ばした。
その日の話し合いはあっという間に終わった。母が一人で喋った。「うちの娘は家のことが何でもできます」「体は丈夫です」。そういうことばかりだった。菅さんはほとんど喋らなかった。ただ、母の話が途切れた時に一度だけ私の方を向いてこう聞いた。
「みのりさんは、海のそばで暮らすのは嫌ではありませんか?」
私は驚いて顔を上げた。この日、私に何かを聞いた人は、その人が初めてだった。
「いえ、嫌ではありません。」
「そうですか。」
菅さんはそれだけ言って、また目を伏せた。帰り際、玄関で靴を履いている時に住職が私のそばに来た。
「みのりさん、と言いましたね。あの人はね、この縁談を自分から言い出したんですよ。」
「え?」
「うちの寺にはね、何年も前から通ってきましてね。頭を下げて、探し物を頼みに。」
「探し物?」
「ええ。この縁談は、その先にあったものです。」
住職は何か言いかけて口を閉じた。そして私の後ろで待っている母の方をちらりと見て、話を変えた。「まあ、良い縁になるといいですな。」私はその意味を考える余裕がなかった。母にせかされて、そのまま旅館を出た。
帰りの電車で、母は上機嫌だった。「向こうは乗り気だ。あの様子なら決まるだろう」と何度も言った。父は窓の外を見ていた。私は膝の上に置いた自分の手を見ていた。家に帰ると、姉は自分の部屋にいた。母は姉を叱らなかった。叱るどころか「よく決心したわね」と言った。
「だって、あんな街で暮らせないもの。」
「そうよね。あんたには合わないわ。」
そして母は、襖の向こうから私に言った。「みのり、あんたなら文句ないでしょ。」私は返事をしなかった。返事をしなくても、話は進んでいった。
年が明けて、話はトントン拍子にまとまった。式はあげないことになった。先方が仕事を長く開けられないという理由だったけれど、母は費用が浮いたと喜んでいた。区役所に婚姻届を出した日、雨が降っていた。家を出る朝、玄関で父が財布から二万円を出して私に握らせた。
「まあなんだ。困ったら連絡しなさい。」
それが、あの家を出る時に父からもらった最後の言葉だった。姉は最後まで部屋から出てこなかった。私は藍色の巾着を鞄の底に入れて家を出た。中には祖母の写真が一枚だけ入っている。風呂敷はもうその中にない。中学に上がる頃には使わなくなっていて、いつなくしたのかも思い出せなかった。
潮見に着いたのは一月の午後だった。無人駅で降りると、目の前がもう海だった。堤防の上を風が吹き抜けていて、髪も襟も一瞬でめちゃくちゃになった。菅さんは軽トラックで迎えに来ていた。荷台には魚の箱が積んであった。私の鞄を持ち上げて、助手席に乗せてくれた。手が大きくて、指の付け根に硬い胼胝ができていた。
家までは五分もかからなかった。港に沿った細い道を走って、堤防が切れたところの少し高い場所にその家はあった。古い家だった。木の板を張った外壁は塩風で色が抜けていた。屋根の一部にブルーシートがかかっていた。正直に言うと、少しだけ足がすくんだ。「やっぱり姉が逃げたくなるのも分かる。」そう思った自分がすぐに嫌になった。私はここへ来た人間だ。ここに置いてもらう人間だ。そう思い直して、玄関の引き戸をくぐった。
中は思ったよりずっと片付いていた。どの部屋にも生活の匂いが薄かった。長い間一人で暮らしてきた人の家だと分かった。私は玄関に鞄を置いて、そこで深く頭を下げた。
「姉の代わりで来てしまって、すみません。」
言いながら声が震えた。ずっと言わなければいけないと思っていた言葉だった。電車の中で何度も練習した。菅さんは長い間何も言わなかった。顔を上げると、その人は困ったような顔で私を見ていた。
「みのりさんが謝ることじゃない。謝るのは、事情を先に説明できなかった俺の方だと思う。」
「事情」というのが何のことなのか、その時の私には見当もつかなかった。菅さんは私の鞄を持って奥の部屋へ運んだ。日当たりのいい六畳の部屋だった。畳が新しかった。まだ青い草の匂いがしていた。
「この部屋を使ってほしい。畳は先週、入れ替えた。」
「あの、新しくしてくださったんですか?」
「うん。」
菅さんはそれだけ言って、部屋を出ていった。私はしばらくその畳の上に立っていた。私のために誰かが何かを新しくしてくれたのは、生まれて初めてだった。
その夜、私は台所を借りて夕飯を作った。冷蔵庫には魚と野菜がぎっしり詰まっていた。私が来ることに合わせて買っておいたのだと分かった。魚は捌けなかった。恥ずかしいけれど、私は魚を三枚におろしたことがなかった。
「すみません。私、お魚が……」
「ああ、それは俺がやる。」
菅さんは流しの前に立って、あっという間に魚を捌いた。手の動きが早すぎて、何をしているのか見えなかった。私はお新香と味噌汁を作った。二人で向かい合って食べた。菅さんはよく食べる人だった。ご飯も三杯お代わりした。そして食べ終わってから、「うまかった」と一言だけ言った。その一言で、私は少しだけ息ができるようになった。実家では、私が作った料理に誰も何も言わなかった。美味しいとも不味いとも言われない。食卓に並んでいるのが当たり前のものとして、黙って食べられて、黙って片付けられた。
「たった一言なのに。」私は思った。たった一言があるかないかで、こんなに違うものなのか。食器を洗い終えた後、私は茶の間に正座して、菅さんに向き直った。言わなければいけないことがあった。
「あの、お給料のことなんですけど。」
「給料?」
「はい。私、お金はいりません。ただで働きます。」
菅さんの湯呑みを持つ手が止まった。
「掃除でも洗濯でも何でもします。お魚の箱を運ぶのでも、網の片付けでも、港のお仕事も教えていただければと思います。だから、えっと、置いていただけるだけで十分です。」
私は畳に手をついた。
「使ってください。それくらいしか私にできることがないので。」
自分でも驚くほどすらすら言えた。何日も前から考えていた言葉だからだ。私はこの家に何も持たずに来た。姉の代わりに来た。ならば働くしかない。働いて、少しでも役に立って、それでやっと置いてもらえる。私にとってはそれが当たり前の考え方だった。顔を上げると、菅さんの表情が曇っていた。怒っているのかと思って、私は慌てた。
「あの、生意気なことを言ってすみません。」
菅さんは首を横に振った。
「ただで働かせるために来てもらったんじゃない。」
「はい。」
「そういうつもりで縁談を申し込んだんじゃないってことだ。」
私にはその言い方の意味が掴めなかった。掴めないまま、私はまた頭を下げた。
「でも、私にできるのはそれくらいなので。」
菅さんはしばらく黙っていた。それから湯呑みを持ち上げて、茶を一口飲んで、低い声で言った。
「みのりさんは、いつからそう思ってるんですか?」
「え?」
「自分にできるのはそれくらいだって。」
私は答えられなかった。いつからだろう。思い出そうとすると、母の声が聞こえた。「譲ってあげなさい。」あの声は、いくつの頃からだったろう。菅さんはそれ以上何も聞かなかった。代わりに湯呑みを置いて、こう言った。
「この家には俺しかいない。だから決まりみたいなものはない。飯の時間も起きる時間も、みのりさんの好きにしていい。……でも、それだと困るか?」
「はい。少し。」
正直にそう答えると、菅さんは天井を見上げて、「そうか」と言った。
「じゃあ、一つだけ決める。飯は一緒に食う。俺が沖にいる日は無理だけどな。」
「はい。」
「あと、無理だと思ったら、無理だと言ってくれ。それだけでいい。」
私は頷いた。頷きながら、「無理だ」と言ったことが人生で一度もないことに気づいていた。
「明日は五時に起きる。港に行くなら起こすけど、寝ていてもいい。」
「行きます。起こしてください。」
「分かった。」
その夜、私は布団の中でなかなか眠れなかった。窓の外で波の音がしていた。実家では聞いたことのない音だった。寝返りを打つたびに、新しい畳の匂いがした。この家の人は、どうして私に何も聞かないのだろう。姉のことも、うちの事情も、何一つ聞かない。聞かれたら困るのに、聞かれないことの方が落ち着かなかった。そのうちに遠くで船の音がした。まだ夜中なのに、誰かが海へ出ていくのだ。その音を数えているうちに、私はいつの間にか眠っていた。
翌朝、私は四時半に自分で目を覚ました。台所へ行くと、菅さんはもう起きてお湯を沸かしていた。
「起こす前に起きたな。」
「はい。」
私は前の晩に炊いておいた米で、おにぎりを四つ握った。中身は昆布と梅干だった。それを新聞紙で包んで持った。港に着くと、まだ真っ暗だった。暗いのに、そこはもう昼のように動いていた。裸電球の下で男の人たちが動き回り、氷を砕く音と発泡スチロールの箱をぶつける音と機械の音が重なっていた。
時さんという、漁港のパートをまとめている女の人がいた。六十八歳だと後で聞いた。背が低くて、腕が太くて、声が大きかった。
「あんたが嫁さんかい? 若いね。加木の……みのりです。あ、菅みのりです。よろしくお願いします。」
時さんはそう言って、私の手を見た。
「その手じゃ、今日一杯で腫れ上がるね。」
私にはできなかった。魚を詰めた箱は一つ十キロはある。それを腰の高さまで持ち上げて、台車に積んで、また下ろす。腰と肩が二時間で悲鳴をあげた。そして水が冷たい。一月の海水は、手を入れた瞬間に痛みに変わる。指の感覚がすぐになくなる。感覚がないのに作業はできるから、気づかないうちに指を切っている。昼前に、私は一度手を止めて外の壁に手をついた。目の前が白くなった。時さんが私の背中を叩いた。
「休みな。無理すると倒れるよ。」
「大丈夫です。」
「『大丈夫』っていう人が一番倒れるんだよ。」
私は伏せた魚箱に座らせてもらって、持ってきたおにぎりを食べた。冷たくて硬くなっていたけれど、その時のおにぎりの味を私は今でも覚えている。時さんが隣に座って、自分の分の湯呑みを差し出してくれた。
「あんた、なんでこんなことしてるんだい? 嫁に来たんだろう。家にいればいいじゃないか。」
「働いていないと、落ち着かないんです。」
「うん。実家じゃ、そういう役回りだったのかい。」
私は湯呑みを見ていた。答えなかった。時さんはそれ以上聞かなかった。代わりに、自分の手を私の前に出した。指が太くて、爪が短くて、あかぎれがあった。関節がどれも大きくなっていた。
「これ、五十年やった手だよ。最初の十年はね、毎晩泣いてた。」
「泣いてたんですか?」
「痛いんだもの。当たり前だろ。」
時さんは笑った。
「でもね、痛いのは十年で終わるよ。その後は、この手が自分でやってくれる。」
午後になって、私は荷捌き場の床を洗った。魚を扱う場所の床は、放っておくと滑る。ブラシでこすって、水を流して、またこすった。そのうちに前掛けもズボンも水浸しになった。その様子を桟橋の方から見ている人がいた。年を取った漁師だった。背中が丸くて、白髪が薄くて、顔中しわだらけだ。後で大家の源蔵さんという名前だと知った。七十四歳。この港で一番古い漁師だった。源蔵さんは私のところまで来て、しばらく見下ろしてから言った。
「やめときな。」
「はい?」
「その仕事は、あんたの仕事じゃない。」
「でも、床が滑ると危ないので。」
「代わりに来た嫁さんだろう。手が止まった。俺は聞いてるよ。旅館の中に親戚がいてな。姉さんが逃げて、代わりに来たって。腰かけなんだろう。腰かけの人間に港をいじられるのは、気分が悪い。」
そう言って、源蔵さんは行ってしまった。私はしばらく、ブラシを握ったまま動けなかった。「腰かけ」。その言葉が刺さったのは、それが図星だったからだ。私は自分でも、自分がここにいていい人間だとは思っていなかった。
二時を回った頃、菅さんが荷捌き場に来た。長靴もカッパも濡れていた。朝から沖に出ていたのだ。書類にあった「潮見水産」というのが、船を何隻も持つ会社の名前だと知ったのは、その日の朝に時さんに聞いてからだった。菅さんは私の格好を見て、それから床を見た。
「これ、みのりさんが洗ったのか?」
「はい。すみません。勝手に。」
「いや。」
菅さんは何か言いかけてやめた。そして少し離れたところに立って、こう言った。
「働くなら、口座を教えてほしい。」
「口座?」
「ちゃんとした給料を振り込む。」
私は慌てて首を振った。
「そんな、いりません。私、ただでいいって。」
「良くない。働いてもらったら払う。それが筋だ。」
言い方が静かだったので、私はそれ以上断れなかった。
「じゃあ、少しで大丈夫です。本当に少しで。」
「少しじゃ足りない。」
「え?」
菅さんは私の方を見なかった。港の方を見ていた。
「足りないんだ。ずっと。」
「ずっと」というのが何のことなのか、私には見当もつかなかった。私は鞄から通帳を出して渡した。実家に置いてくれば母に持って行かれると思って、家を出た日から鞄の底に入れたままにしていたものだ。祖母が生きているうちに港町の信用金庫で作らされた口座だった。
その日の夜、私は湯船の中で自分の手を見た。指の関節が五箇所切れていた。爪の脇も割れていた。手のひらは水にふやけて白くなっていた。痛かった。それなのに、私は少しだけ嬉しかった。働いたと思った。
翌朝も、私は四時半に起きた。港へ行く前に、菅さんが私に封筒を渡した。中に通帳が入っていた。私の通帳だ。前の日のうちに信用金庫へ寄って、記帳してきたのだと言った。
「昨日の分だ。それと、ずっと前からの分。」
「前からの分?」
「開けてみてくれ。」
私は台所の明りの下で通帳を開いた。一番下の行に数字が並んでいた。最初は桁を数え間違えたのだと思った。何度も数えた。数え直しても同じだった。ゼロが七つ並んでいた。九千万円だった。私は通帳を落とした。畳の上に落ちた通帳を、震える手で拾い上げて、もう一度見た。同じだった。振り込み人の欄には「菅兵吉」と記されていた。
私は台所を飛び出した。裸足のまま玄関を開けて、外へ出た。菅さんは物置きの前で長靴を履いていた。
「あの、これ。間違ってます。桁が、桁が違います。」
「間違ってない。」
「こんなお金、受け取れません。」
私の声はほとんど悲鳴だった。九千万円。私の年収の三十年分だ。そんな金額を、私は今まで一度も見たことがなかった。
「私、まだ一日しか働いてません。何もしてません。こんな……」
そこまで言って、私は嫌なことに気づいてしまった。これはお金で私を縛るためのお金なのではないか。姉の代わりに来た女に金を渡して、文句を言わせないためのお金なのではないか。飽きられたら捨てるための口止め料なのではないか。そう思った瞬間、目の前が暗くなった。
「あの、私には、こんな価値……」
菅さんは長靴を履く手を止めて、立ち上がった。そして私の顔をまっすぐ見て言った。
「十五年前の約束、忘れたのか?」
風が止まったような気がした。十五年前。約束。私は何も思い出せなかった。十五年前といえば、私は十二歳だ。小学校六年生だった。祖母に連れられてこの町へ来た夏があったのは覚えているけれど、この人と会ったのはこの冬が初めてのはずだ。
「あの、人違いじゃないんですか?」
菅さんの目が、ほんの一瞬だけ揺れた。
「そうかもしれない。」
「え?」
「そうかもしれないと思ってる。でも、それでもいい。その金は、みのりさんが受け取っていい金だ。人違いなら、また一から稼げばいい。そう決めてた。」
そう言って、菅さんは軽トラックの方へ歩いていった。私は通帳を抱えたまま、玄関の前に立っていた。足の裏が痛くて、それでしばらく動けなかった。
その日から、私の毎日は九千万という数字と一緒に始まった。通帳はタンスの引き出しの奥にしまった。一円も使わなかった。使い方が分からなかったし、使う気にもならなかった。聞きたいことは山ほどあった。十五年前とは何なのか、約束とは何のことなのか。けれど菅さんは港では一言も余計なことを言わない人で、家に帰ると疲れて早く寝てしまう。私も港に出るようになって、話をする時間はどんどん減っていった。そして正直に言えば、私は聞くのが怖かった。聞いてしまって、「やっぱり人違いだった」と分かるのが怖かった。人違いだと分かった瞬間、私はまた誰の代わりでもない、ただの余り物に戻ってしまう気がした。だから私は聞かずに働いた。
一週間もすると、仕事の順番が体に入ってきた。朝の四時半に起きて、お茶を沸かしておにぎりを握る。五時に港へ出る。沖に張りっぱなしにしてある底引き網。その網を上げてきた船が戻るのは六時前で、そこから八時までが一番忙しい。魚を分けて、氷を入れて、箱に詰めて、伝票を書く。伝票は私の担当になった。
「あんた、字が綺麗だね。計算も早い。」
「経理の仕事をしていたので。」
「そりゃ助かる。うちの伝票はね、いつも誰かが間違えるんだよ。」
私は前の職場の癖で、伝票の控えを日付順に閉じて、種類ごとに色の違う付箋をつけた。単価と数量の掛け算が合っているかも毎日確かめた。伝票を任されて三日目に、間違いを一つ見つけた。魚を市場で買い取って、小売りの会社に流す。仲買いの会社に出す請求の数量が、実際より二箱多かった。金額にすると八千円ほどだった。私はそれを時さんに見せた。時さんは老眼鏡をかけ直して、しばらく眺めて伝票を見た。
「ああ、やっぱり。先月も同じことがあったよ。気のせいかと思ってたんだけどね。」
その日の夕方、私は先月と先々月の控えを全部引っ張り出して並べた。荷捌き場の隅の机で、裸電球の下で何時間もかけて数えた。数が合わない月が三ヶ月続いていた。合計すると二万と少しだった。大きな金額ではないけれど、続いていた。菅さんに見せると、その人は伝票の束をめくって、それから短く息を吐いた。
「悪い。うちのミスだ。」
「あ、いえ。そういうことも。」
「向こうに事情を話して、直してもらう。よく見つけたな。」
「私、そういうのを見つけるのだけは得意なので。」
菅さんは私を見た。
「得意なんじゃなくて、ちゃんとやってるんだと思う。」
そう言われて、私は返す言葉が見つからなかった。時さんが私を家に呼んでくれるようになったのは、その頃だ。時さんの家は港の裏手の坂の上にあった。仏壇に男の人の写真が飾ってあった。日に焼けた、笑っている人だった。
「うちの人はね、与一郎って言うんだけど、十五年前に海で死んだんだよ。」
私は湯呑みを持ったまま固まった。
「あんたの旦那の兵吉ちゃんの父ちゃんと、同じ船だった。六月の梅雨時の時化でね、船ごと帰ってこなかった。二人とも、見つからなかったよ。」
「あんまり暗い顔しなさんな。もう十五年も前のことだ。」
時さんはそう言って笑ったけれど、笑った顔のままこう続けた。
「あの子はね、あの日から人が変わっちまった。十七だったんだよ。高校の三年でね。しばらくは抜け殻みたいだったのが、ある日ぷつっと切り替わって、学校をやめて、よその船に乗せてくれって頭を下げて回り出したんだ。家も船も借金がついてた。残った船も取られてね。あの子は、何にも持ってなかった。」
私は膝の上で手を握った。十五年前。やっぱりあの夏だ。けれどそれが私とどう結びつくのかは、分からなかった。
「あんた、兵吉から何か聞いてるかい?」
「いえ、何も。」
「そうかい。あの子は口が重いからね。」
時さんはお茶を注ぎながら、独り言のように言った。
「あの子はね、昔から一つのことだけずっと言い続けてるんだよ。金を稼ぐって。それだけは絶対にやるって。でも、あの子が贅沢してるのを、私は一度も見たことがない。」
その夜、私はタンスの奥の通帳のことを考えた。まさかとは思った。思っただけで、それ以上は考えないようにした。
港の人たちが私に口を聞いてくれるようになったのは、二月の半ばを過ぎてからだった。きっかけは特別なことではない。私が毎朝一番早く来て、一番最後まで床を洗っていたからだ。それだけだ。若い漁師の中西太一君は二十四歳だった。私を最初から「姉さん」と呼んだ。
「姉さん、その手やばいっすよ。あかぎれ、血が出てるじゃないですか。」
「大丈夫。」
「大丈夫じゃないっす。これ使ってください。うちのお袋が作ってるんです。臭いけど、よく効きます。」
太一君は漁師をやめるかどうかで迷っていた。三年前から迷っていて、まだ迷っていた。
「稼げないんすよ。うちは不漁だから。浜が下がれば、手取りがそのまま減る。燃料代は上がる一方だし、同級生はみんな町に出ました。でも、俺、海しか知らないから。」
私は何も言えなかった。私に言えることはなかった。ただ、太一君が自分の取った魚を箱に詰める時、その手つきがとても丁寧なのを、私は毎朝見ていた。船の上で締めて血を抜いた魚は別の箱に分ける。形を折らないように置く。氷を当てる場所を選ぶ。蓋をする前に、もう一度並べ直す。ある日、私は言った。
「太一君。」
「はい。」
「魚の置き方、いつも直してるでしょ。」
「あ、見てました? なんか気になっちゃって。どうせ向こうで開けたら分かんないのに。」
「分かると思う。」
「そっすかね。」
「開けた人が、『大事にされた魚だな』って思うと思う。」
太一君は照れて頭を掻いて、そのまま何も言わずに次の箱を運んでいった。けれど、その日から太一君の仕事は丁寧になった。私はその頃から、港の人たちの手つきを見るのが好きになった。誰も自分の仕事を自慢しないのに、手だけが全部を語った。
楓ちゃんに会ったのもその頃だ。太一君の妹で九歳だった。夕方になると、一人で堤防に座っていることがあった。
「おばちゃん、誰?」
「菅のところに来た、みのりです。」
「うん。」
楓ちゃんは膝を抱えて海を見ていた。
「お家に帰らないの?」
「あーちゃん、まだ仕事。」
その時、楓ちゃんのお腹がぐうっと鳴った。私は自分の鞄から握り飯を一つ出した。朝に握って食べ損ねた分だった。
「食べる?」
楓ちゃんは私の顔を見て、それからおにぎりを見て、少しためらってから受け取った。そしてものすごい勢いで食べた。
「おいしい。」
その言葉を聞いた時、私の胸のどこかが痛んだ。後で太一君に聞いた。楓ちゃんのお父さんは二年前に海で亡くなった。お母さんは出て行った。今はおばあちゃんと二人で暮らしている。そのおばあちゃんは太一君のお母さんで、加工場と旅館の掃除を掛け持ちしている。夕方から夜まで、家に誰もいない日がある。
「うちも面倒見てるんですけど、限界があって。この辺、そういう家が何件もあるんですよ。」
私はその夜、菅さんに聞いた。
「楓ちゃんみたいな子、この町に何人ぐらいいますか?」
「ちゃんと数えたことはない。十人はいると思う。」
「そうですか。」
「気になるか?」
「はい。」
菅さんはしばらく黙っていた。それから湯呑みを両手で包んで言った。
「俺もだ。」
三月になると、朝の暗さが少しずつ短くなった。私の手はもう白くなかった。あかぎれの上に新しいあかぎれができて、爪は短く切り揃えて、指の付け根には硬い胼胝が出来始めていた。ある朝、その手を源蔵さんが見た。私が箱を積んでいるところを、また桟橋から見ていたのだ。源蔵さんは黙って近づいてきて、私が持ち上げようとした箱の反対側を持った。二人で台車に乗せた。
「重いもんは、二人で持て。一人でやったら、体が終わる。」
そう言って、源蔵さんは行きかけて足を止めた。
「あんた、いつまでいるつもりだ?」
私は答えに詰まった。「いつまで」なんて、考えたこともなかった。
「分かりません。」
「うん。正直な人だな。」
その背中に向かって、私は思わず言った。
「でも、明日も来ます。」
源蔵さんは振り返らなかった。ただ右手を上げて、軽く振った。それがこの港で私が初めてもらった返事だった。
三月の終わりに、潮見水産の年に一度の集まりがあった。荷捌き場の前の広場にブルーシートを敷いて、みんなで飲み食いする。船を出さない日を選んでやる、この港の春の行事だった。その日、私は朝から台所にいた。時さんと二人で大鍋いっぱいの汁を作った。その日に上がった魚のアラと大根と豆腐を入れた汁だ。それから握り飯を二百個握った。握っているうちに、手が勝手に動いた。祖母の握り方だった。ぎゅっと握らずに、手の中で三回だけ回して形にする。塩は手のひらに広げてから米に触れさせる。祖母がそうやって握るのを、私は小さい頃に何度も見ていた。
「あんた、握るの上手いね。」
「祖母に教わりました。」
「おばあちゃん、料理の人かい?」
「ハツと言います。隣の北浦で、魚市場に立ってた人です。」
「北浦かい? じゃあ、やってることは同じだね。」
夕方から人が集まってきた。船に乗る人と、加工場の人と、市場の人と、その家族。全部で六十人ぐらいいた。楓ちゃんは握り飯の山を見て目を丸くしていた。
「これ、全部食べていいの?」
「いいよ。好きなだけ。」
「全部?」
「うん、全部。」
楓ちゃんは両手に一つずつ握り飯を持って、それを大事に抱えて走っていった。私はお茶をよそって配って回った。ずっと働いていた。動いている方が楽だった。人の輪の真ん中は、私のいる場所ではない。それは子供の頃からずっとそうだった。途中で時さんに肩を掴まれた。
「あんた、さっきから何も食べてないだろう。」
「後で食べます。」
「『後で』っていう人は、食べないんだよ。」
時さんは私の手に無理やりお椀を握らせた。私は加工場の入り口の脇に腰を下ろして、その汁を一口飲んだ。魚の骨から出た出汁がよく出ていて、大根に染みていた。自分で作ったものなのに、なぜかとても美味しかった。隣に住職が座っていた。見合いの仲介をしてくれた人だ。寺内さんという。この日、初めてゆっくり話した。
「みのりさん。すっかりこの港の人ですな。」
「そんな。まだ何も分かっていません。」
「いやいや。皆さんの顔を見れば分かります。」
私は顔を上げた。シートの上では、みんなが握り飯を食べていた。片手に飯を持って、片手に汁を持って、笑っていた。源蔵さんまで、握り飯を二つ食べていた。その時、私の口から自然に言葉が出た。
「人を食べさせる仕事って、すごいですよね。」
住職が私を見た。
「ここに来て、そう思うようになったんです。朝の暗いうちから海に出て、冷たい水に手を入れて、それで人のお腹を膨らませる。それって、一番立派な仕事ですよね。」
言ってから、私は自分で驚いた。祖母の言葉だった。祖母がいつも言っていた言葉が、私の口から出てきたのだ。その時、音が消えた気がした。顔を上げると、菅さんが立っていた。私のすぐ前だった。手に汁を持ったまま、それを下ろすことも忘れて、私を見下ろしていた。その顔を、私は今でもはっきり思い出せる。驚いているのでも、喜んでいるのでもなかった。何かがようやく元の場所に戻ったような、そういう顔だった。
「今、なんて?」
「え? あの。人を食べさせる仕事ってすごいなって。」
菅さんは汁を床に置いた。置くというより、落とすように置いた。そして片膝をついて、私と同じ高さになった。
「みのりさん。」
「はい。」
「十二歳の夏に、この港に来たことがあるか?」
心臓が跳ねた。
「あります。祖母の姉の法事で、隣の北浦です。その帰りに、祖母と二人でここまで来ました。」
「その日、港に来たか?」
「分かりません。覚えて……」
そこまで言って、言葉が止まった。覚えていない。ずっとそう思っていたけれど、今菅さんに聞かれた瞬間、体のどこかが先に反応した。夕方の港の匂い。生ぬるい風。カモメの声。手すりの錆が手についたこと。そして、堤防の影に座り込んでいた誰か。男の子がいた。
「男の子がいました。膝を抱えて座ってて、泣いてました。」
菅さんの方が震えた。
「私、その時。お財布の中身を全部あげたんです。」
菅さんは目を閉じた。長い間、閉じていた。それから目を開けて、こう言った。
「九百円だった。」
私の口から声が漏れた。
「百円玉が八つと、五十円玉が一つと、十円玉が五つ。全部で九百円だった。俺は数えたんだ。あの夜、家に帰って、何度も数えた。」
「あの。あなたが……」
「そうだ。あの時、堤防に座って泣いていたのは俺だ。」
周りの音が急に戻ってきた。笑い声、皿の音、誰かが手を叩く音。その真ん中で、私と菅さんだけが止まっていた。私は膝の上で自分の手を見た。十五年前のあの日、この手は確かに誰かの手のひらに小銭を全部乗せた。乗せた時の感触が、今、急に指の先に蘇っていた。不思議なもので、思い出せなかったのではなかった。しまい込んでいただけだった。私の記憶の中には、いつも先に姉がいた。姉に取られたこと、姉の代わりにやったこと。そういう出来事ばかりが前に並んでいて、その後ろに、誰にも取られなかった小さな記憶が埋まっていたのだ。誰にも話さなかったから、誰にも取られなかった。だから残っていた。
思い出は、潮が引くみたいに次々に蘇ってきた。法事が終わった後、祖母が私だけを連れて電車に乗った。母と姉は座敷で親戚の相手をしていて、動く気配がなかったからだ。北浦から下りの電車で一駅降りたところが、潮見だった。祖母は昔、よくこの港まで魚を見に来たのだと言った。祖母は堤防のそばのベンチに腰を下ろして、「その辺を見ておいで。海は見るだけだよ」と私を送り出した。夕方で、船はもうみんな戻っていて、堤防の上には誰もいなかった。その堤防の影に、その人はいた。制服のズボンを履いていた。膝を抱えて、顔を伏せて、肩だけが小さく動いていた。私はしばらく離れたところに立っていた。声をかけるのが怖かった。それでも近づけたのは、その人の方が先に口を聞いたからだ。
「どっか行けよ。」
しゃくり上げながら、そう言われた。それでも私は行かなかった。行かずに、隣に座った。
「お腹空いてませんか?」
私は自分でも驚くようなことを聞いた。他に聞くことが思いつかなかったのだ。
「お寺の帰りなんです。おばあちゃんのお姉さんの。知らない人ばっかりで、抜けてきちゃって。」
その人は答えなかった。だから私は巾着の中から包みを出した。藍色の風呂敷に祖母が朝握ってくれた握り飯が、一つだけ残っていた。私はそれを二つに割って、片方を風呂敷に乗せたまま、その人の膝に置いた。その後、財布の中の小銭を全部、その人の手のひらに乗せた。風呂敷は返してもらわなかった。「手を拭くのに使ってください」と言うのが精一杯で、祖母が縫ってくれたものだとは、なぜだか言えなかった。
「なんで。なんで忘れてたんだろう。」
「忘れていいことだからだ。あんたにとっては、そういうことなんだよ。それが当たり前だから、覚えてないんだ。」
「そんな……」
「俺は忘れなかった。一日も、忘れたことがない。」
私の目から涙が落ちた。なぜ泣いているのか、自分でも分からなかった。悲しくはなかった。嬉しいのとも、少し違った。ただ、ずっと空っぽだと思っていた場所に、何かが入ってきた感じがした。
「私、あの時、何か言いましたか?」
「言った。言われたことは、全部覚えてる。」
「全部?」
「全部だ。」
その時、シートの方から太一君の声が飛んできた。
「社長、源蔵さんが歌い出しました。止めてください。」
「後にしてくれ。」
「無理っす。もう二番です。」
菅さんが小さく息を吐いた。私はつい笑ってしまった。涙が出たまま笑うのは、生まれて初めてだった。菅さんが立ち上がった。そして私に手を差し出した。
「続きは、家で話す。」
私はその手を取った。硬くて、大きくて、温かい手だった。十五年前、私が小銭を乗せたのと同じ手のひらだった。
その夜、家に帰ってから私たちは向かい合って座ったけれど、その日はそれ以上聞けなかった。菅さんが話し始めようとしたところで電話が鳴ったのだ。仲買いの会社からの急ぎの連絡で。それが終わると、次は加工場から電話が来て、その次は漁協からだった。
「今日はもう遅い。続きは、また。」
「はい。またで大丈夫です。」
「近いうちに、ちゃんと全部話す。」
「はい。」
その時の私は、本当にそう思っていた。近いうちに聞けばいい。いくらでも時間はある。そう思っていたのだ。全部聞いてしまえば、この暮らしのどこかが変わる気もしていた。その年の暮れが、あんな風になると知らずに。結局、私が全部を聞くまでには、そこから九ヶ月かかった。港の仕事はそういうものだと、私はずっと思っていた。何度か話しかけては、その度に何かが割り込む。後で知ったことだが、そうではなかった。話せば、借金を返しに来ただけだと私に思われる。布を見せて確かめれば早い。けれど、思い出させるのではなく、いつか自分で思い出してほしい。あの人はそう思って、切り出せずにいたのだと、後になって本人から聞いた。
春は底網の入れ替えで人手が足りず、夏は鮮度の落ちが早くて出荷の段取りが変わり、秋は台風が二つ来て、船を港の奥へ移し、ロープを増やした。その間に、私の暮らしは少しずつ形になっていった。四月に、私は初めて潮見水産という会社の全体を見せてもらった。船が四隻、底引き網が一つ、加工場が一つ。社員が二十八人とパートが二十人。都会の飲食店百二十件に、その日に上がった魚を翌朝の飛行機で直接送る仕組みを作っていた。私は伝票を数えながら、その規模に少しずつ気づいていった。
六月に、東京の料理人が二人、潮見に来たことがあった。菅さんが自分で港を案内して、加工場を見せて、氷の使い方を説明していた。そのうちの一人が、帰り際に私に言った。
「ご主人、すごい人ですよね。」
「はい。船が四隻で、送り先が百二十件だというのは聞いています。」
「いや、そこじゃないんです。うちの店、昔は魚に泣かされてたんですよ。届く頃には鮮度が落ちてて。それを直したのが、この人です。何時から何時間で届けばいいか。その一本の線も、全部繋いだ人ですよ。漁を敵に回さずに、あの線を引くのに三年かかったって聞きました。」
私は返す言葉が見つからなかった。数と規模は知っていた。それが誰かの厨房でどんな意味を持っていたのかは、何一つ知らなかった。
その夜、私は菅さんに聞いた。
「どうして、そういう話を私にしないんですか?」
「聞かれなかったから。」
「聞いてもいいですか?」
「いいけど、面白い話じゃないぞ。」
その人は本当に面白くもなさそうに話した。最初の年に何度も魚を腐らせたこと。氷の量を計算し直したこと。夜の便に間に合わせるために、加工場の締める時間も一時間早めたこと。聞いていて、私は少しおかしくなった。この人が喋っているのは、結局のところ全部、段取りと数字の話だった。私が毎日やっている仕事と同じ種類の話だった。伝票と請求の仕事は完全に私の担当になった。仲買いの会社との数量の照合は三月で止まった。私は月ごとの数量と単価を一枚の紙にまとめて、菅さんの机に置くようにした。夏には、加工場の在庫の管理も任された。何がいつ入って、いつ出たか。それを紙に書いて、壁に貼った。時さんが最初に喜んだ。
「これがあると、探さなくていいね。私、毎日十五分は探し物してたよ。」
「一日十五分だと、一年で九十時間になります。」
時さんは目を丸くして、それから声をあげて笑った。
「あんた、そういう計算だけは早いね。」
太一君は相変わらず迷っていた。七月に一度、町の会社の面接を受けに行った。受かったと言った。それでも、彼は港に残った。理由を聞いたら、「明後日の出荷の予定が良さそうだから」と言った。
「変ですよね。」
「変じゃないと思う。」
「姉さんはそう言ってくれるけど、うちのお袋は呆れてました。」
楓ちゃんは夏休みの間、毎日のように加工場に来た。私は昼になると、楓ちゃんの分のおにぎりを握るようになった。最初は自分の分から半分上げていたのだけれど、そのうちに、初めから二つ多く握るようになった。そのうち楓ちゃんは友達を連れてくるようになった。一人が二人になり、二人が四人になった。
「あんた、そのうち食堂でも始めるつもりかい?」
「そんな、まさか。」
「まさかでもないだろう。この港には、そういうのがいるんだよ。」
私はその時、なんとなく笑ってごまかしたけれど、夜になって布団に入ると、タンスの奥の通帳のことを考えた。九千万。ずっと一円も動かしていない。使い道が思い浮かばないのではなかった。私には、あの金を自分のために使う理由がなかっただけだ。
菅さんと私の関係も、少しずつ変わっていった。夏の終わりに、菅さんが私の手に軟膏を塗ってくれたことがある。あかぎれがひどくて、指が曲がらなくなった時だ。その人の指はごつごつしていて、力の加減が下手だった。
「痛いです。」
「終わり。もっと弱くて大丈夫です。」
「こうか。」
「はい。」
たったそれだけのやり取りだった。それなのに、私は顔が熱くなって、その後しばらくうまく喋れなかった。
秋になって、私は一度だけ実家に電話をした。母が出た。母は開口一番、向こうの家はどうなのかと聞いた。船が何隻あるのか。家を立て直す気はないのか。そういうことばかりだった。
「あんたね、聞いてるの? ちゃんと聞き出しなさいよ。」
「お母さん、私、今、港で働いてるの。」
「働いてる? 嫁に行ったのに。」
「うん。伝票をつけたり、魚を箱に詰めたり。」
母は少し黙って、それから鼻で笑った。
「あんたらしいわ。結局、そういう役回りなのね。」
私は受話器を持ったまま、しばらく何も言えなかった。そして電話を切ってから、初めて気づいた。悔しかったのだ。昔なら、悔しくもならなかった。そういうものだと思っていたから。けれど今の私は、その言い方に腹を立てていた。自分の中にそんな感情がまだ残っていたことに、私は驚いた。
十二月に入った。潮見の冬は、風の音から始まる。冬になると家全体が鳴る。窓が鳴って、屋根が鳴って、物置きのトタンが鳴る。眠れない夜が増えた。
十二月十四日。その日は朝から晴れた。よく晴れて、風もほとんどなかった。底引き網に魚がよく入っているという連絡が朝のうちに来て、菅さんは午後からもう一度沖に出ると言った。
「今日、荒れるって天気予報が。夕方までには戻る。でも、網を張ったままだと、今度の波でやられる。浮きを落として、網を沈めるだけだ。三人で足りる。二時間もかからない。」
その言い方には迷いがなかった。だから、私もそれ以上は言わなかった。「無理だと思ったら、無理だと言ってくれ」。あの人はそう言ったのに、私はまた言えなかった。もっと止めればよかったと、私はその後何度も思うことになる。
出て行ったのは、第八潮見丸という船だった。菅さんと太一君と、もう一人。あの縄を巻くのが早い佐々木さん。三人だった。三人とも、救命胴衣をつけていた。十五年前の事故の後、この港で決めたことだ。私は堤防から見送った。菅さんは振り返らなかった。太一君だけが、大きく手を振った。
午後一時に出た。風が変わったのは、二時半だった。私は加工場にいた。急に外が暗くなって、シャッターが大きな音を立てた。窓の外を見ると、さっきまで穏やかだった海に、白い筋が走り始めていた。時さんが手を止めた。
「早いね。予報より早い。」
三時。私は漁協の事務所へ走った。無線に、菅さんの声が入った。網は諦めて戻るという短い連絡だった。声は落ち着いていた。三時四十分、もう一度無線が入った。その時の声は、さっきとは違った。
「エンジンが止まった。掛け直しても掛からない。今から位置を読む。」
漁協の事務所にいた人が、全員立ち上がった。
「波が高い。舵を下ろしても効かない。流されてる。」
そこで通信が切れた。その後、何度呼びかけても返事はなかった。後で聞いた。波を被って、無線も電気も全部落ちたのだそうだ。私は自分の心臓の音しか聞こえなくなった。誰かが一一八番に通報していた。誰かが海図を広げていた。誰かが走って外に出ていった。私はただ、立っていた。時さんが立ち尽くす私の腕を掴んで、椅子へ引っ張っていった。そこからの記憶がない。気がついたら、座らされて、湯呑みを持たされていた。
その日の日没は四時半だった。海上保安部の巡視艇が出た。ヘリコプターも一度飛んだけれど、風が強すぎて、ヘリは日没の前に引き上げた。巡視艇は残って、一晩中、明りを照らしてくれた。それでも、夜は目視が利かない分、探せる幅が昼の何分の一かになるのだと説明された。港の明りが全部ついた。漁協の事務所に人が集まってきた。船を持っている人が海図を囲んで、潮の流れを指でなぞっていた。最後に位置を知らせてきた地点から、時間ごとにどこまで流されるかを計算していた。私はその輪の外に立っていた。窓の外は真っ暗だった。時々、堤防に当たった波が、街灯の光に白く光った。
海というものを、私はそれまでよく分かっていなかったのだと思う。毎朝この海から上がってくる魚を、私は箱に詰めていた。氷を入れて、伝票を書いて、トラックに乗せていた。一日に何百匹も。その魚は、この暗い水の中から取ってきたものだった。誰かが小さな船でそこまで行って、取ってきたものだった。私は自分の手を見た。この手が触っていた魚の一匹一匹の向こうに、いつもあの人がいたのだ。そんな当たり前のことに、私はその時初めて気がついた。
夜の七時になっても、何の連絡もなかった。事務所の空気が変わったのは、その頃だった。若い漁師たちが、自分たちで船を出そうと言い出したのだ。
「太一が乗ってる。佐々木さんが乗ってる。菅さんが乗ってる。この港の人間ばかりだ。じっとしてられるか。」
それを止めた人がいた。源蔵さんだった。
「やめろ。」
「なんでですか?」
「この風で、この波で、あんたらの船が出てどうなる? 探す側が、もう一隻沈むだけだ。」
「じゃあ、じっとしてろって言うんですか?」
「そうだ。」
事務所が静まり返った。源蔵さんは海図から目を離さなかった。しわだらけの手が、震えていた。この人が誰よりも焦っているのだと、私はそこで気づいた。私は輪の外から一歩前に出た。自分でも何をするつもりなのか分からなかった。ただ、体が動いた。
「あの。」
みんなが振り返った。
「船を出すのに、いくらかかりますか?」
誰かが息を飲んだ。
「燃料代と日当と、それから船が傷んだ時の分も。危ないことをお願いするんだから、ちゃんとお支払いします。いくらかかっても構いません。全部、私が出します。」
私は上着のポケットから通帳を出した。日が落ちた頃に一度だけ家へ走って戻り、何のためかも分からないまま、タンスの奥から掴んできたものだった。
「これだけ、あります。」
誰も、何も言わなかった。源蔵さんがゆっくり顔を上げた。
「あんた、金の話じゃねえんだ。」
「分かってます。」
「分かってねえよ。」
源蔵さんの声が大きくなった。
「十五年前も、そうやって出したんだ。船をな。」
事務所の全員が源蔵さんを見た。
「菅の親父と、そこの時さんとこの旦那が帰ってこなかった時だ。あの時も、若いのが出ると言った。俺は止めなかった。行けと言った。俺が言ったんだ。そうしたら、もう一隻がやられかけた。乗ってた若いのは、今も足を引きずってる。それを見て、俺は思ったんだよ。海の上で助けられるのは、海だけだ。人間が金を積んで、なんとかなるもんじゃねえ。」
私の手から力が抜けた。通帳が指の先で揺れた。それでも、私は言った。
「でも、私はここに来てからずっと、誰かに何かを出してもらうばかりでした。初めて、自分から出したいと思ったんです。これが役に立たないなら、そう言ってください。それでも、私は何か出したいんです。」
自分の声が震えているのが分かった。こんな風に人の前で喋ったことは、生まれて一度もなかった。長い沈黙があった。やがて源蔵さんが立ち上がった。そして私の手から通帳を取って、机の上にぱたんと置いた。
「仕舞っとけ。その代わり、朝までに風が落ちたら、一番先に俺が出る。燃料代は要らん。あいつの親父に、借りがあるんだ。」
私は源蔵さんの顔を見た。源蔵さんは私を見なかった。海図をもう一度覗き込んで、指で潮の流れを追い始めた。時さんが、私の背中に手を当てた。
「あんた、よく言ったね。」
「何も、できてません。」
「できたよ。あのじいさんに『行く』って言わせたんだから。」
その夜、私は事務所の隅で毛布に包まって朝を待った。眠れるはずがなかった。隣に時さんが座っていた。時さんも眠らなかった。
「十五年前もね、私はこうやって座ってたんだよ。あの時は、三日待った。三日目に、みんなが黙って帰り始めた。それが答えなんだよ。誰も何も言わないの。ただ、帰るの。」
私は時さんの手を握った。時さんの手は、私の手よりもずっと硬かった。
「あの子はね、あの時、一人だけ港に残ってた。みんなが帰った後も、堤防に座ってた。何日も。」
私の胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。堤防に座っていた少年。あの夏に私が会ったのは、その後の、まだ立ち上がれずにいた少年だったのだ。
「その後ね、あの子が急に働き出した。学校もやめて、よその船に頭を下げて。私はね、あの子が壊れちまうんじゃないかと思って、怖かったよ。でも、あの子は言ったんだ。金を稼ぐって。誰かのために稼ぐって。『誰かって誰なんだ』って聞いても、あの子は言わなかったけどね。」
私は膝の上で手を握りしめた。言えなかった。「あなたが言っている誰かは、多分私です」なんて。堤防にいたのが私だということまでは分かっていた。それでも、あの九千万がそこにどう繋がるのかは、まだ何一つ聞けていなかった。
夜中の一時過ぎに、事務所の引き戸が開いた。楓ちゃんだった。パジャマの上にジャンパーを羽織って、長靴を履いていた。おばあちゃんが眠った後に、家を抜け出してきたらしい。私は慌てて立ち上がった。
「楓ちゃん、だめだよ。こんな時間に。」
「だって、太一が……」
そこまで言って、楓ちゃんは黙った。唇を噛んで、下を向いた。私はその子の前にしゃがんだ。あの子の父親の時も、この子は同じ場所で誰かの帰りを待っていたはずだ。その時は、待っていた人は帰ってこなかった。私は楓ちゃんを抱きしめた。
「大丈夫。」
言ってから、自分でも嘘だと思った。私に「大丈夫」と言う資格はなかった。それでも、私はもう一度言った。
「大丈夫。朝になったら、みんなが探しに行くから。」
楓ちゃんは私の肩に顔を押し付けて、声を出さずに泣いた。その夜、私はその子を膝に乗せたまま、夜明けを待った。膝の上で楓ちゃんが眠ってしまった後、私は思った。私はこの子に、何もしてやれない。お金は持っているのに、何もできない。そのことが、源蔵さんに「仕舞っとけ」と言われた時よりも、ずっと堪えた。
夜明け前に、風が落ちた。四時五十分、源蔵さんの船が出た。すぐ後に、四隻が続いた。巡視艇は捜索の範囲を広げた。ヘリコプターの音が、空から聞こえた。出て行く前に、源蔵さんが私の方へ来た。そして、ぶっきらぼうにこう言った。
「あんた、飯を炊いとけ。」
「え?」
「見つけて連れて帰ってきたら、あいつら腹減ってるぞ。冷えた体には飯だ。待ってろ。」
私は「はい」と答えた。その一言で、私は初めて、自分にもやることがあると分かった。私は堤防の上に立って、その明りが沖へ散っていくのを見ていた。寒くはなかった。寒いと感じる余裕がなかった。それから加工場に戻って、大鍋で湯を沸かし、大鍋で味噌汁を作った。米を三升炊いた。炊けたら、握った。三回ずつ手の中で回して、塩は手のひらに広げてから米に触れさせる。祖母の握り方だった。握りながら、私は祈っていた。祈るという言葉が正しいのかは分からない。ただ手を動かしながら、同じことを何度も心の中で言っていた。
「帰ってきてください。まだ、何も返せていません。」
見つかったのは、七時二十分だった。源蔵さんの船だった。前の晩に海図で追っていた潮の流れの先を、そのままなぞっていったのだという。港から北へ十二キロ。岩場に囲まれて、沖からは船も明りも見えない小さな入り江だった。潮見丸は流されるうちにそこへ入り込み、錨がやっと岩を噛んだのだという。その間、菅さんは発煙筒を一本ずつしか焚けなかったのだそうだ。近くを捜索の明りが通った時のために、朝まで持たせたのだった。三人とも、船の上にいた。無線が入った瞬間、事務所の人たちが叫んだ。時さんが私の肩を掴んで、揺さぶった。私はその場に座り込んだ。腰が抜けたのだ。
菅さんが港に戻ってきたのは、九時前だった。担架で運ばれてきた。沖で船が転覆しかけた時、太一君も佐々木さんも打たれて、肋骨が二本折れていた。体温も下がっていた。それでも、意識ははっきりしていた。太一君は自分で歩いてきて、私を見つけると泣き出した。
「姉さん、すいません。すいません。」
「太一君が謝ることじゃない。」
「社長がずっと俺らに毛布掛けて、自分は一晩中、艫で波を見て。舵の綱を握ったまんまで。」
私は救急車に乗り込む前の菅さんのそばへ行った。菅さんの唇は色を失っていた。それでも、私を見て、口元を少しだけ上げた。
「悪い。帰りが遅くなった。」
私は何か言おうとした。言葉は出なかった。代わりに、その人の手を両手で握った。冷たかった。氷みたいに冷たかった。私は自分の手のひらで、その手をずっとこすっていた。菅さんが目を細めた。
「あったかいな。あんたの手は、昔からあったかい。」
そう言って、その人は目を閉じた。救急車が出ていった後、港には残った人たちの声だけがあった。源蔵さんの船が最後に戻ってきた。源蔵さんは船から降りると、そのまま桟橋に座り込んだ。誰も声をかけなかった。しばらくして、時さんが湯呑みを持っていった。私は加工場を開けて、握り飯と味噌汁を出した。船を出してくれた人たち。事務所で一晩起きていた人たち。海上保安部の人たちは「決まりですので」と断って、船へ戻っていった。残ったのは全部で三十人ぐらいだったと思う。みんな無言で食べた。誰も何も言わなかった。食べ終わってから、若い漁師の一人がぽつりと言った。
「うまい。」
それから、あちこちで声が上がった。お代わりを求める声だった。私は大鍋を抱えて回った。源蔵さんは三杯食べた。三杯目を渡す時、源蔵さんは私の顔を見ずに言った。
「ちゃんと握ってあったな。」
「はい。」
「上等だ。」
その日、私は自分の手をようやく誇らしいと思えた。私は海へは行けなかった。船も出せなかった。けれど、帰ってきた人たちに温かいものを出すことはできた。祖母が言っていたのは、多分こういうことだったのだと思う。
菅さんは町の病院に四日入院した。低体温症と肋骨の骨折で、命に別状はないと言われた。それでも医者は、「あと二時間遅ければ分からなかった」と言った。私は毎日病院に通った。バスで四十分かかった。朝の仕事を終えてから乗って、面会の時間いっぱいまでいて、最終のバスで帰った。三日目の午後だった。その日は、病室に誰もいなかった。窓から冬の低い日が差していて、ベッドの白い布団が眩しかった。菅さんがベッドを起こして座った。動くと痛むらしく、ゆっくりだった。
「みのりさん。」
「はい。」
「あの話を、していいか?」
私は椅子を引き寄せて座った。膝の上で手を重ねた。心臓が早くなっていた。
「十五年前の夏だ。六月に、親父の船が帰ってこなかった。時さんの旦那と二人だった。三日探して、それで打ち切りになった。遺体は上がってない。今もだ。」
私は頷くこともできなかった。
「うちには借金があった。船を増やしたばかりで、その分が丸ごと残ってた。家も抵当に入ってた。返せなければ、家を取られるって話だ。七月に、残った船を取られた。八月に、家の話が来た。俺は十七で、高校の三年だった。もう、学校の話をする人間は、周りに誰もいなかった。」
菅さんは窓の方を見ていた。
「あの頃、港の連中が俺を見て言ったよ。『菅んとこは、もう終わりだ』って。漁師なんて貧乏だって。言われても、言い返せなかった。実際、そうだったからだ。あの日、俺は堤防の影で泣いてた。誰にも見られない場所を探して、そこで泣いてた。そうしたら、知らない女の子が来た。」
私は自分の呼吸が浅くなるのを感じていた。
「『どっか行け』って言った。そうしたら、その子は隣に座って、こう聞いた。『お腹空いてませんか』って。巾着から藍色の布の包みを出して、握り飯を半分に割って、布の上に置いて、俺の膝に置いた。俺はそれを食った。その日、飯は三日ぶりだった。家に米がなくて、親戚の家にも顔を出せずにいたんだ。その後、その子が財布をひっくり返して、中に入ってた小銭を全部、俺の手に乗せた。九百円だ。」
菅さんの声が、少し掠れた。
「俺は『いらない』って言った。『物をあげるんじゃない』って言った。そうしたら、『なんで泣いてるの』って聞かれた。だから言ったんだ。うちは漁師だ。親父が海で死んだ。船も取られた。もう、終わりだって。その子は、お寺の帰りだと言った。ばあちゃんの姉さんのお寺だと。それだけは覚えてる。そうしたら、その子が変なことを言ったんだ。」
「変なこと?」
「『お金持ちじゃなくても、人を食べさせる仕事ってすごいよ』って。それに続けて、こう言った。『あなたはきっと、立派な漁師さんになれるよ』って。あの時の俺には、その言葉が全部だった。」
菅さんは膝の上の自分の手を見た。
「みんな、俺に何て声をかけていいか分からなかったんだ。だから誰も、何も言わなかった。かわいそうにとも、頑張れとも、言われなかった。その中で、たった一人だけ、俺の仕事を立派だと言った子がいた。俺じゃない。俺の仕事をだ。まだ何もしてない、十七の俺に、その仕事は立派だって言ったんだよ。」
私は口を押えた。声が出そうだったからだ。
「だから、俺は言った。『俺、絶対に金を稼ぐ。この九百円を、いつか十万倍にして返す。それで、君を幸せにする』って。子供の言うことだ。笑われても仕方ない。でも、その子は笑わなかった。『うん』って言った。それだけ言って、ばあちゃんに呼ばれて、走っていった。名前を聞きそびれた。」
部屋が静かだった。廊下では看護師が通る音が、遠くに聞こえた。
「金は、次の日に米に変えた。だから残ったのは、これだけだ。」
菅さんは枕元の引き出しを開けた。中から、小さく畳んだ布を出した。古い木綿の風呂敷だった。藍色だったのだろうけれど、色はもうほとんど抜けていた。何度も洗われて、生地が薄くなって、端がほつれかけていた。その隅に、白い糸で四文字だけ縫い取りがあった。「みのり」。ひらがなだった。糸は所々切れかけていたけれど、縫い目の感覚は綺麗に揃っていた。
私は自分の鞄に手を伸ばした。手が震えて、留め金がうまく外れなかった。中から藍色の巾着を出した。そこのところを表に返して、机の上の風呂敷の隣に置いた。同じ白い糸だった。同じひらがなの四文字だった。縫い目の感覚まで、同じだった。斜めに少しだけ傾く癖まで、同じだった。菅さんが目を見開いた。
「祖母が縫ってくれたんです。小学校に上がる年に、巾着と風呂敷を一つずつ。『名前は自分で縫いなさい』って言われて。でも、私、まだ縫えてません。」
菅さんは指先で風呂敷に触れた。触れて、それから手を止めた。
「これをくれた人を、十五年探してた。この四文字だけが手がかりだった。」
菅さんは深く息を吸って、痛みに顔をしかめた。それでも話をやめなかった。
「最初の何年かは、探すどころじゃなかった。よその船に乗せてもらって、朝から晩まで働いた。二十で漁協の組合員になる資格を取って、中古の小さい船を買った。二十五で二隻目を出した。二十七で加工場を借りた。その頃から、都会の飯屋に直接魚を送る仕組みを作った。作りながら、ずっと数えてた。九千万だ。九百円の十万倍。それが用意できるようになるまでは、探しに行っちゃいけないと思ってた。それまでは、船と加工場とその口座にしか、金を入れなかった。」
私は思わず立ち上がりかけた。
「そんなの。意味が……」
「意味はある。」
菅さんの声は静かだった。
「意味がなかったら、俺はあの時死んでたよ。あの金額が、俺が生きる理由だったんだ。」
私は椅子に座り直した。何も言えなかった。
「二十七で、その金が動かせるようになった。それから、探し始めた。手がかりは、この四文字と、あの日がお寺の帰りだったってことだけだ。町のお寺を回った。何度も断られた。当たり前だ。人様の家の記録だからな。最後に、あの寺内さんが折れてくれた。四年かかった。見つかったのは、隣の北浦のお寺だ。あの年の夏に、森谷ヨシという人の法事があった。祖母の姉です。その妹さんが、森谷ハツ。さらに妹さんが、加木の家に嫁いだ。ハツは、私の祖母です。祖母の旧姓が、森谷でした。」
私は口元を押えた。祖母だ。祖母が、私をここまで連れてきたのだ。
「去年の夏に分かった。それで、寺内さんに頭を下げて、縁談を申し込んでもらった。でも、それなら、なんで姉のところに話が行ったんですか?」
菅さんは苦しそうに息を吐いた。
「俺は、下の名前を知らなかった。加木さんの娘さんに、合わせてほしいとしか言えなかった。娘さんが二人いることまでは分かった。でも、年まで聞き出せない。人様の家をそこまで探って、それで縁談を持ち込めるか。顔だって覚えてない。十二の女の子の顔だぞ。十五年経ってる。だから、会えば何か分かると思ってた。会うしかないと思ってた。そうしたら、話が長女さんの方で進んでた。」
私は目を閉じた。母の顔が浮かんだ。「加木の娘に違いないんだから」と言った、母の顔が。
「あの日、みのりさんが来て驚いた。でも、確信は持てなかった。俺が口座を聞いたのは、確信があったからじゃない。あんたが『ただで働きます』って言ったからだ。掃除でも洗濯でも何でもしますって、畳に手をついた。あれを聞いた時にな、俺は『あの子かどうか』より先に、腹が立ったんだ。この人は、この年まで、そう言わないと居場所をもらえなかったんだと思った。だから、例え人違いでも、この人には渡そうと思った。もう二度と、『ただで働きます』なんて言わなくていいように。」
私の頬を涙が伝った。拭かなかった。拭こうにもならなかった。
「あの、もう一つだけ。」
「ああ。」
「どうしてずっと、漁師さんなんですか? 会社をやっているなら、もっと楽な仕事ができたはずじゃないですか。」
菅さんは少し笑った。笑って、骨が痛んだらしく、顔をしかめた。
「あの日、あんたが褒めてくれたのは、金を持ってる俺じゃない。魚を取って、人に食わせる仕事をしている、俺だ。それを捨てたら、あんたが褒めてくれたものが、なくなる。だから、船だけは降りないと決めた。」
私は俯いた。
「あの、その言葉、私のじゃないんです。祖母の口癖でした。『人を食べさせる仕事は、一番立派な仕事だよ』って。いつも言ってて。私は、それをそのまま言っただけです。」
菅さんは首を横に振った。
「関係ないよ。誰の言葉でも同じだ。俺に言ってくれたのは、あんただ。あの場所にいて、隣に座って、口に出したのは、あんたじゃないか。言葉ってのは、そういうもんじゃないのか。」
私は返す言葉がなかった。窓の外で、冬の海が光っていた。私は風呂敷と巾着を並べて、その二つをじっと見ていた。十五年間。祖母が縫った白い糸が、私の知らないところで、ずっと一人の人を支えていた。
菅さんが退院した四日後だった。家の前に、見覚えのある車が止まった。父の車だった。助手席から母が降りて、後ろから姉が降りた。三人とも、この港には不釣り合いなほど、きちんとした格好をしていた。私はちょうど加工場から戻ってきたところで、長靴のままだった。前掛けには魚の血がついていた。母が私を見て、露骨に顔をしかめた。
「あんた、それ、何?」
「仕事の格好です。」
「嫁に来た家で、なんでそんな格好してるの?」
その時、坂の下から軽トラックが上がってきた。菅さんが病院の検査から戻ってきたのだ。まだ、痛そうな歩き方をしていた。そして、その後に続いて、時さんと源蔵さんの姿もあった。波止の手入れの帰りに、軽トラックを見つけて、そのまま坂を上がってきたらしい。太一君も自転車で来た。加工場の人たちが、なんとなく道の端に集まってきた。母は人が増えたことに気づいて、少しだけ声を落とした。それでも、言うことは変えなかった。
「みのり。これ、どういうことなの?」
母は封筒を出した。信用金庫から実家に届いた、年に一度の残高のお知らせだった。私は住所の変更を出しそびれていたのだ。封は切ってあった。
「九千万って、何? 何なの、これ?」
私は答えなかった。答える必要がないと思ったからだ。母はそれを、「勝ち誇って黙っている」のだと受け取ったらしい。声が高くなった。
「新聞にも出てたのよ。潮見水産の代表がどうとかって。事故の時の記事、調べたわ。船が四隻、加工場が一つ、社員が二十八人、年商が十億を超えてるって。あんた、そんなこと、一言も言わなかったじゃない。」
「……誰も聞きませんでしたから。」
母の顔が、ぴくりと動いた。私がそんな言い返し方をしたことは、それまで一度もなかったからだと思う。その代わりに、姉が前に出た。
「みのり。あんた、それ。本当は私の縁談だったのよ。あんたは、代わりに行っただけでしょ。私が行くはずだったの。私が言ってれば、そのお金は私のだった。」
母が姉の方に手を置いて、頷いた。
「そうよ。そもそも、先方が申し込んだのは、うちの長女なんだから。」
母は菅さんの方を向いて、急に丁寧な声を作った。
「菅さん。あの、失礼を承知で申し上げますけど、入れ替えるというのは、できないものでしょうか? 上の娘の方が、見栄えもしますし、人前に出る場面も多いでしょう。みのりは、こういう子ですから。まだ籍を入れて一年ですし。今なら……」
道の端で、誰かが息を飲んだ。時さんが一歩踏み出しかけて、隣の源蔵さんに腕を掴まれて止められた。姉は姉で、辺りを見回していた。錆びたトタンと、干してある長靴と、積んである網を。
「でも、住むのは町の方よね。まさか、この家じゃないでしょ。私、こんなところで暮らせないもの。」
「それは、これから相談すればいいでしょ。ねえ、お母さん。車も買い換えてもらえるかな?」
私は、その会話を遠くの音のように聞いていた。不思議だった。腹は立たなかった。ただ、体の芯の方が、静かに冷えていくのが分かった。この人たちは、何も変わっていないのだと思った。私だけが、変わったのだ。菅さんは黙って母の話を聞いていた。聞き終わってから、一歩前に出た。そして姉の方を見て、静かに聞いた。
「一つだけ、お聞きしてもいいですか?」
「何ですか?」
「十五年前の夏です。この港の堤防で泣いていた、男に九百円をくれたのは、あなたですか?」
姉が固まった。
「え?」
「握り飯を半分に割って、片方をくれた人です。あなたですか?」
姉は口を開けて、何も言えなかった。目が泳いだ。母の方を見て、それから私を見た。
「そんなの、覚えてるわけないでしょ。」
「そうですか。でしたら、覚えていないという言い方になるはずです。『覚えているわけがない』というのは、していないということですね。」
姉の顔が赤くなった。
「何よ。何が言いたいの?」
菅さんは作業着のポケットから、畳んだ布を出した。あの、色の抜けた風呂敷だった。
「これを持っていた人を、俺は十五年探しました。」
「何それ? ただの布じゃない。そんな古い雑巾みたいなもので、何が分かるって言うの?」
私は、思わず一歩前に出ていた。自分でも驚いた。体が勝手に動いたのだ。私は上着のポケットから巾着を出した。病室であの布を見た日から、毎日ポケットに入れて持ち歩いていた。そして、それを返して、菅さんの手のひらの上の風呂敷の隣に置いた。同じ白い糸。同じ四文字。同じ縫い目。
「祖母が縫ったものです。お母さんも、知ってるはずです。おばあちゃんの縫い方。」
母の視線が布に落ちた。母の顔から、すっと血の気が引いた。
「うちの、母の……」
「そうです。私が十五年前に、この人にあげたからです。」
道の端で、誰かが息を飲む音がした。時さんが両手で口を押えていた。母は何度か口を開けて、その度に閉じた。それから、急に別のことを言い出した。
「じゃあ、なおさらよ。みのりは、うちの娘なんだから。うちが育てたんだから。そのお金の話は、親を通してもらわないと困ります。」
私の中で、何かが音を立てた。大きな音ではなかった。ただ、長い間張っていた糸が切れたような、そういう静かな音だった。
「お母さん。」
「何よ。」
「私、もう、譲りません。」
母が私を見た。私が母の目をまっすぐ見返したのは、多分、人生で初めてだった。
「祭りの巾着も、絵本も、貯めたお金も、全部譲りました。名前も出さずに、全部。文句を言ったことも、ありません。でも、これは、譲りません。私が十二歳の時に、この人に握り飯をあげました。それは、私がしたことです。お姉ちゃんがしたことじゃ、ありません。私はもう、誰かの開いた場所を埋めるために、行きません。私は、私として、この港にいます。」
母の唇が震えた。
「なんてこと言うの? 育ててやったのに。」
「育ててもらいました。それは本当です。ありがとうございました。だから、これで終わりにしましょう。」
「終わりって……」
「もう、お金の話で私を呼ばないでください。それだけです。」
姉が私の腕を掴んだ。爪が食い込んだ。
「ちょっと、あんた。私に、そんな口、聞いたことないでしょ。」
私は姉の手を見た。姉の手は白くて、爪が長くて、綺麗に整えられていた。私の手は、あかぎれだらけで、爪は短くて、指の付け根に硬い胼胝ができていた。私はその手を、ひらりと外した。外れた。力を入れなくても、外れた。
「お姉ちゃん。」
「何よ。」
「あの日、逃げてくれて、ありがとう。」
姉の顔が固まった。
「本気で言ってるの?」
「うん。多分、これが最初で最後のお姉ちゃんへのお礼。」
姉は何か言い返そうとして、口を開けて、そのまま閉じた。長い沈黙があった。やがて、菅さんが口を開いた。
「お母さん、お姉さん。俺が探していたのは、うちの家に見合う相手じゃありません。肩書きで人を値踏みする人でもありません。何も持っていなかった俺に、漁師の仕事は立派だと言ってくれた人です。その人が、今、俺の隣にいます。入れ替えることは、できません。」
母が何か言おうとした。その時、それまで黙っていた父が、初めて口を開いた。
「もういい。」
「あなた……」
「もう、いいだろう。」
父は私の方を見なかった。地面を見ていた。
「みのり。悪かった。」
たった、それだけだった。それだけ言って、父は車に戻った。母はまだ何か言いたそうだったけれど、姉が母の袖を引いた。姉の顔は真っ赤だった。恥ずかしさなのか、悔しさなのか、私には分からなかった。母が最後に車の窓を下ろして、私に言った。
「あんた、後悔するわよ。」
「するかもしれません。でも、それは私が決めたことだから。」
母は何か言おうとして、窓を閉めた。三人は車に乗って、坂を降りて行った。坂を降りていく車を見ながら、私はずっと、自分の中の何かが静かに落ちていくのを感じていた。悲しくないといえば、嘘になる。あれは、私の家族だった。私を育てた人たちだった。ご飯を食べさせて、学校に行かせて、風邪を引けば病院に連れて行ってくれた人たちだった。ただ、私という人間を見てはくれなかっただけだ。それだけのことが、こんなに長く尾を引くとは思わなかった。
車が見えなくなってから、私はその場に膝をついた。急に、足に力が入らなくなった。菅さんが、私の背中を支えた。時さんが走ってきて、私の頭を胸に抱えた。
「よく言った。よく言ったね。」
太一君が、鼻をすすっていた。源蔵さんは、相変わらず地面を見たまま、ぽつりと言った。
「言い掛かりじゃ、なかったな。」
私は顔を上げた。源蔵さんは私と目を合わせずに続けた。
「悪かった。あんな言い方をして。」
「いえ、あの……」
「もう、言わん。」
そう言って、源蔵さんは背を向けて、坂を降りていった。その背中に向かって、太一君が叫んだ。
「源蔵さん! 明日、潮の読み方、教えてください!」
「うるせえ。」
けれど、源蔵さんは右手を上げて、軽く振った。私が初めてもらった、あの返事と同じだった。
その夜、私たちは茶の間で向かい合って座った。菅さんがお茶を入れてくれた。入れ方が下手で、濃すぎた。私は通帳を出して、机の上に置いた。
「あの。このお金のことなんですけど。」
「うん。」
「私、やっぱり、受け取れません。」
菅さんは湯呑みを置いた。
「だって、私がしたのは、握り飯を半分上げたことと、九百円を渡したことだけです。それだけのことで、こんな……」
「そう思うか?」
「はい。」
「じゃあ、言い方を変える。この金は、あんたを買うための金じゃない。」
私は顔を上げた。
「あんたが、もう誰にも『ただで働きます』なんて言わなくていいように、渡した金だ。この家にいたいなら、いればいい。出ていきたいなら、出ていけばいい。その金があれば、あんたは一人でも生きていける。そういう金だ。」
私は言葉を失った。
「あんたは、ずっと居場所と引き換えに働いてきたんだろう。うちの家でも、そうしようとした。そんな風に人が値踏みされる場所に、あんたを置きたくなかった。」
私の目から、涙がこぼれた。
「それに、これは俺が勝手に決めた額だ。九百円の十万倍っていうのは、十七の俺が思いついた計算だ。今から考えれば、めちゃくちゃな話だよ。九百円は、九百円だ。でも、俺はその計算があったから、今日まで来た。税理士には話を通してある。税金の分は、別に用意した。あんたに払わせるようなことにはしない。だから、受け取ってくれ。俺のためだ。」
私は泣きながら、首を振って、それから頷いた。
「一つだけ、聞いてもいいですか?」
「ああ。」
「もし、私が姉の代わりに来なかったら、どうするつもりだったんですか?」
菅さんは湯呑みを回して、しばらく黙っていた。
「そうだな。お姉さんが来て、あの布のことを聞いて、違うと分かったら、断るつもりだった。断って、また探した。多分、死ぬまで探してたと思う。」
「そんなに……」
「そんなにだよ。俺は、あの九百円で助かったんだ。あれがなかったら、俺はあの夏に、海へ入ってたかもしれない。」
病室で、菅さんが「意味はある」と言った時、私は言葉の綾だと思っていた。そうではなかったのだと、この時、初めて分かった。菅さんはそれを言ってから、少し慌てたように付け加えた。
「いや、本気で入ろうとしたわけじゃない。ただ、そういう気持ちだったってことだ。その日、隣に誰かが座った。っていう、それだけのことでな。俺は……」
私は、膝の上の自分の手を、ずっと見ていた。十二歳の私は、何も分かっていなかった。ただ隣に座って、「お腹空いてませんか」と聞いただけだった。それが誰かの命を引き止めたなんて、私は今も信じきれていない。信じきれないまま、私はこの人の隣にいる。しばらく、二人とも黙っていた。やがて、私は机の上の通帳を、そっと自分の方へ引き寄せた。
「じゃあ、使い道を決めても、いいですか?」
「あんたの金だ。好きにしていい。」
「このお金で、港に食堂を作れませんか?」
菅さんが顔を上げた。
「子供たちのための食堂です。楓ちゃんみたいな子が、この町に十人はいるって、言ってましたよね。夕方に、家に誰もいない子。そういう子が、お金を持ってなくても、ふらっと来て、あったかいものを食べて帰れる場所。一回百円でもいいし、無料でもいい。かかる分は、このお金から出します。加工場の休憩所、借りられませんか? あそこなら、流しも大きいし、ガスもあります。昔のあなたみたいに、お腹を空かせている子がいるなら。」
私は一息に言った。何日も考えていたことだった。菅さんはしばらく私を見ていた。そして、笑った。肋骨が痛むのを我慢しながら、声を出して笑った。
「やっぱり、変わってないな。」
「え?」
「あんた、十五年前も、同じことをした。『お腹空いてませんか』って聞いて、握り飯を割った。同じだよ。何にも変わってない。」
私は、顔が熱くなった。菅さんは笑うのをやめて、今度は真面目な顔で言った。
「食堂は、金より人だぞ。」
「はい。」
「飯を作るのは、誰がやるんだ?」
「時さんに聞いてみます。それから、加工場の皆さんにも。魚は、加工に回している分から、週二回だけ、抜かせてもらえませんか? 形が悪いのとか、傷がついたのとか。あれでいいのか?」
「味は同じです。」
「そうだな。保健所の話は、どうする?」
「調べました。営業の届け出と、食品衛生責任者の資格がいります。資格は、講習を一日受ければ取れます。あと、出したものを少しずつ取り分けて、二週間冷凍しておくこと。休憩所の流しは二つあるので、衛生的です。ただ、手を洗うところをもう一つ増やさないといけません。」
菅さんが目を上げた。
「調べたのか?」
「はい。四ヶ月前から。」
「四ヶ月前?」
「楓ちゃんが、友達を連れてくるようになった頃からです。私は膝の上の書類を開いてみた。何回かに一度は無駄になると思いながら、書きためていた計算だ。一回にかかる米と味噌と野菜の代金。人数が二十人だった場合と、四十人だった場合。週二回で一年やった時の、光熱費。菅さんは、その紙を随分長い間、見ていた。
「あんた、やっぱり、そういうのを見るんだな。」
「はい。これだけは。」
「これだけじゃないと思うけどな。あんたの、その……それは、俺が初めて見た時から、変わらん。」
菅さんは湯呑みを置いて、正座をし直した。痛そうだった。それでも、きちんと座り直した。
「一つ、言わせてくれ。あんたは、お姉さんの身代わりで、この家に来た。それは、俺がちゃんとした形で迎えに行けなかったせいだ。名前も調べずに、寺の人に頼んで、それで済ませようとした。悪かった。」
菅さんは深く頭を下げた。
「だから、もう一度だけ、言わせてほしい。今度こそ、約束の通り、あんたを幸せにする。」
私は、膝の上の手を見た。あかぎれと、硬い胼胝のできた手だった。祖母が「よく働く手だね」と握ってくれた手だ。
私は顔を上げた。
「あの、それだと、私が受け取るだけになります。」
「え?」
「だから、こうしませんか? 私は、あなたと一緒に、誰かを幸せにしたいです。」
菅さんが目を丸くした。それから、その人は目の辺りを腕でごしごしとこすって、俯いた。肩が、小さく動いていた。十五年前と同じだった。ただ、今度は泣いている理由が違うのだろうと思った。私は、その人の背中に、そっと手を置いた。しばらくして、その人は顔を上げた。目が赤かった。
「悪い。」
「謝らないでください。」
「そうだな。あんたに謝るのは、俺の癖になってる。」
「じゃあ、直してください。」
「難しいな。」
「難しくないです。『ありがとう』って言えばいいだけです。」
菅さんは少し考えて、それから言った。
「ありがとう。」
「はい。」
「あの日、隣に座ってくれて。ありがとう。」
私は頷いた。頷きながら、また涙が出た。それから、思い切って言ってみた。
「あの、一つ、お願いがあります。」
「ああ。」
「これから、お名前で呼んでもいいですか? 菅さんって呼ぶと、この家の人じゃないみたいだから。京平さんって、呼びたいです。」
その人は目を丸くして、それから、耳の辺りを掻いた。
「好きにしてくれ。」
「はい。じゃあ、京平さん、だなんて。」
「なんでもないです。呼んでみただけです。」
京平さんは、「参ったな」と小さく言った。この日、私は初めて、自分の人生を自分で選んだのだと思う。姉の代わりでもなく、母に言われたからでもなく、居場所と引き換えでもなかった。私がここにいたいから、ここにいる。たったそれだけのことに、私は随分長くかかってしまった。
あれから、二年が過ぎた。潮見の港は、今日も朝の暗いうちから動いている。加工場の休憩所は、週に二回だけ食堂になる。火曜と金曜の夕方だ。名前は、「潮見の台所」という。看板は、太一君が板を削って作った。字は、私が書いた。メニューは、その日に上がった魚と、味噌汁と、握り飯だ。子供は無料、大人は三百円。大人からもらった分は、次の週の米になる。作っているのは、加工場のパートの皆さんと、私だ。最近は近所のおばあさんたちが、勝手に手伝いに来る。人数が多すぎて、流しの前がいつも渋滞している。
楓ちゃんは十二歳になった。去年から、食堂の日には給仕を手伝ってくれる。小さい子に麦茶を配って、こぼした子の世話をして、最後に雑巾をかける。この前、新しく来た男の子が恥ずかしがって、椅子に座れずにいた。そうしたら、楓ちゃんがその子の隣に自分の椅子を置いて、こう言った。
「ここ、お金ないから。座って、食べな。」
私は、流しの前でその声を聞いていた。祖母の言葉を思い出した。「人を食べさせる仕事は、一番立派な仕事だよ」という、あの言葉だ。祖母から私へ、私からあの子へ。言葉というのは、こうやって渡っていくのだと、私はその時初めて、本当に分かった気がした。
食堂を始めた日のことは、今でもよく覚えている。最初の火曜日、来たのは三人だった。楓ちゃんと、その友達が二人。私は三十人分の支度をしていたので、残った握り飯を全部、時さんが持って帰った。二回目は七人になった。三回目は、十二人になった。一ヶ月が経った頃、加工場の前で近所のおばあさんに呼び止められた。
「あんた、あの食堂の人だろう?」
「はい。」
「うちの孫、行かせてもいいかね? 母親が、夜の仕事でね。」
「もちろんです。お金は、子供は無料です。」
「そんなの、悪いよ。」
「じゃあ、手伝いに来てください。それで、おあいこにしましょう。」
そのおばあさんは、今も毎回一番先に来て、一番最後まで洗い物をして帰る。佐々木さんは、今も縄を巻いている。あの日のことは、一度も口にしない。太一君は漁師を続けている。去年、源蔵さんに弟子入りした。潮の読み方と、網を入れる場所の見立てを教わっている。源蔵さんは口が悪いので、太一君は毎回怒られて帰ってくる。それでも、太一君はやめない。今年から、若い衆が二人増えた。そのうちの一人は、町を出ていた同級生。戻ってきたのだ。
「姉さん、俺、船を持ちます。三十までに。」
「あと、四年ですね。」
「四年っすね。あ、行っちゃった。」
私は書類に、その日付を書いた。書いておくと、逃げられなくなるからだ。京平さんは、今も作業着で港に立っている。会社は少しずつ大きくなった。屋根のブルーシートも、去年やっと直した。それでも、あの人は週の半分は自分で船に乗る。肋骨は綺麗にくっついた。ただ、寒い日には少し痛むらしい。
私は、潮見水産の経理を任されている。伝票と在庫と、給料の計算。私が誰よりも得意なことだ。今は、自分の名前で仕事をしている。加木ではなく、「菅みのり」という名前で。毎月きちんと給料が出るようになったのは、去年の春からだ。それまでは、港に出た日の分だけを、パートさんたちと同じ日当でもらっていた。初めて給料が届いた月、私は何度もそれを見返した。金額は多くない。パートさんたちと同じ計算に、経理の分を足しただけの額だ。それでも、私はその紙を仏壇の前に置いた。祖母に見せたかったのだと思う。「ただで働きます」と言った私の仕事に、あの九千万とは別のところで、ちゃんと名前と値段がついた。そのことを、一番に知らせたい相手は、祖母だった。
この口座も、元を辿れば祖母が作らせたものだった。先週、私は久しぶりに針を持った。藍色の巾着を膝に置いて、白い糸で、名前の続きを縫った。「みのり」。祖母が縫ったのは、「みの」の四文字……いや、祖母が縫ったのは「みのり」の三文字……いや、違う。祖母が縫ったのは、確か「みのり」。「み」と「の」と「り」。ひらがなで、三文字だ。私は続きを縫った。祖母が縫ってくれたのは「みのり」の三文字だったから、もう縫うところはなかった。だから、私は「菅」と「みのり」を、別の布に縫った。あの人との約束と、祖母との約束は、別のものだからだ。祖母が言った通り、自分の手で縫い入れた。二十年以上、かかってしまった。縫っているところを、京平さんが見ていた。
「上手いな。」
「祖母に教わったので。」
「そのおばあちゃんに、一度会いたかった。」
「会ったら、多分怒られますよ。『うちの孫を、十五年も待たせてどうするんだ』って。」
京平さんが笑った。その巾着は、今は仏壇の前に置いてある。あの色の抜けた風呂敷と、中に入れていた祖母の写真も、並べておいてある。
時さんは、去年、加工場のパートを辞めた。膝が悪くなったからだ。それなのに、食堂の日には必ず来る。来て、一番大きな鍋の前に立つ。
「味噌汁だけは、誰にも渡さないよ。」
「はい。私の味噌汁は薄いんです。昆布の出汁を信じすぎてるって、よく言われます。」
「謝ることじゃない。あと十年もすりゃ、分かるよ。」
源蔵さんは、食堂には一度も来ない。その代わり、火曜と金曜の朝になると、加工場の裏口に発泡スチロールの箱が置いてある。氷まで足してあって、中は二十人分くらいの、形の悪いのばかりだ。誰が置いていったのか、みんな知っている。誰も、それを口に出さない。
実家とは、あれから細い付き合いが続いている。年に二回、お盆と正月に手紙を出す。母からの返事は、来たり来なかったりだ。姉は、去年、勤め先の人と結婚したと、父から聞いた。勤め口は、父が知り合いに頼んで見つけたらしい。式には、呼ばれなかった。それでいいと、私は思っている。私は誰も恨んでいない。ただ、もう譲らないだけだ。
楓ちゃんのおばあさんは、今年から旅館の掃除だけにした。「食堂ができて、夕方の心配がなくなったから」と言っていた。先日、道で会った時に、深々と頭を下げられた。私は慌てて、頭を下げ返した。
「あの子がね、うちで料理を作るようになったんですよ。味噌汁だけね。私が帰ると、鍋にできてるんです。」
私はその話を聞いて、加工場の裏で、しばらく一人になった。九歳だった子が。堤防で膝を抱えていた日から、もうすぐ三年になる。あの日、私が渡したのは、冷たくなった握り飯一つだった。それが、こんな風に続いていくとは、思わなかった。
先月、いよいよ潮見の台所に来る子が、二十人を超えた。休憩所では狭くなってきたので、来年は隣の空いている倉庫を直すことになった。この二年で食堂に使ったのは、九千万のうち、三百万にもならない。倉庫を直しても、まだ随分余る。「急がなくていい」と、あの人は言う。この港に子供がいる限り、この金には使い道がある。その話をしていた時、京平さんがぽつりと言った。
「あの九百円は、いい買い物だったな。」
「買い物?」
「あれで、この港の飯屋が一件、立った。」
私は、思わず吹き出した。夕方の港に出ると、風が柔らかかった。私は堤防の上に立って、沖の方を見た。まだ十二歳だった、あの夏。私はこの堤防の影で、泣いている男の子に、握り飯を半分あげた。それだけのことだった。すぐに忘れてしまうくらい、小さなことだった。姉の代わりにと、言われるがまま連れてこられたのだと、私はずっと、姉の代わり、いや、私はずっと、誰かの代わりとしてここに来たのだと思っていた。
そうではなかった。あの日、たった一駅だった。電車を、あの駅で降りたこと。堤防の影に、座ったこと。それが、十五年の時を経て、私をこの港に立たせてくれたのだ。隣に、京平さんが立った。いつものように、何も言わずに、ただ隣に立った。私は、その手をそっと握った。硬くて、大きくて、温かい手だった。その手を握り返しながら、私はもう一度、心の中で祖母に言った。
おばあちゃん。この手が、私をここまで連れてきてくれました。



