「お前の設計図は0点だ。あとは俺に任せろ」…

「お前の設計図は0点だ。あとは俺に任せろ」...

「お前の設計図は0点だ。あとは俺に任せろ」

2400億円の大型プロジェクトの最終プレゼンを翌日に控えた日。設計部長の追川が、俺の机に積まれた資料を手に取り、鼻で笑った。3ヶ月かけて作り上げた設計図を、彼はまたしても机に叩きつけるように置いた。

俺は岩崎、35歳。都心部に建設される超高層ビルの設計担当に抜擢された一級建築士だ。きっかけは3ヶ月前、会社として応募した大手不動産デベロッパー「梅ノ建設」への提案プレゼンで、俺が提示した基本構想が梅ノ社長の目に止まったことだった。

「岩崎さん、あなたの設計思想は素晴らしい。環境性能と収益性を両立させる視点が一番だ。このプロジェクトはぜひあなたに担当してもらいたい」

直接指名を受けて以来、俺は昼夜を問わず資料作成に没頭してきた。明後日の最終プレゼンでは、基本設計図だけでなく、完成予想図のCG、収益性の試算、環境性能データが必要になる。そのすべてを仕上げたのが、つい昨日のことだ。

工藤社長は俺を新人の頃から目にかけてくれた恩人だ。来月の引退を控え、この2400億円の案件を花道にしたいと話していた。この案件の成功は、俺にとっても恩返しの機会だった。

「部長、具体的にどこが問題なのでしょうか? 」

俺が冷静に尋ねると、追川は一瞬言葉に詰まった。

「細かいことはいい。とにかくダメなものはダメだ。明日の正談は俺が担当する」

追川は創業者一族の一人として入社し、次期社長候補として部長にまで昇進した男だ。一級建築士の資格は持っているが、設計の才能には恵まれず、劣等感から俺を目の敵にしてきた。以前も俺が提案した省エネ構造の基本設計を、図面も見ずに却下したかと思うと、後日それを自分の名前で提出して実績を横取りしたことがある。

「困ります。この設計図は私が3ヶ月かけて作り上げたものです」

「黙れ。お前も知っているだろう。工藤社長は来月で引退する。俺は次期社長候補だ。この案件を俺が成功させれば、社長も喜んで引退できる。だから、あとは俺に任せろ」

追川は勝ち誇ったように腕を組んだ。

「明日の午前中に荷物をまとめておけ。来月の社長引退と同時にお前は首だ」

俺は呆然と立ち尽くした。3ヶ月間かけて作り上げてきたすべてが、奪われようとしている。しかし、同時にある考えが頭に浮かんでいた。工藤社長も引退し、追川が次期社長になるなら、この会社で働く理由などない。むしろ、このままでは工藤社長の花道すら台無しにされてしまう。

「部長、そこまでおっしゃるなら、明日の正談はお任せします。何があってもお幸せに」

追川は満足そうに笑った。

「分かればいいんだよ。お前の資料は全部俺が引き継ぐからな」

俺は自分のデスクに戻り、引き出しから弁当箱を取り出したように見せかけて、退職届を書き上げた。追川の前に差し出す。

「本日付けで退職させていただきます」

追川は退職届を受け取り、目を通すと顔色が変わった。

「お、お前、本気か? 」

「来月まで首を待つ理由はありません」

追川は一瞬動揺したが、すぐに冷笑を浮かべた。

「ふん。勝手にしろ。どうせお前みたいな使えない奴がいなくても困らん」

彼はデスクから判子を取り出し、退職承認通知書に署名した。

「今すぐ荷物をまとめて出ていけ。これは正式な退職承認だ」

これで正式に退職が成立した。もうこの会社の人間ではない。俺は机の上のプレゼン資料を手に取り、シュレッダーに向かった。3ヶ月間、何度も徹夜して作り上げた資料だ。工藤社長への恩返しのために、全身全霊を込めて作った。その資料が、今から粉々になる。

「おい、何をしてるんだ? 」

追川が居心地悪そうに声をかけてくる。俺は無言で資料をシュレッダーに差し込んだ。機械音とともに紙が裁断されていく。

「おい、やめろ!

Thumbnail

追川が駆け寄るが、俺はやめない。3ヶ月分のすべての紙資料が、裁断されていく。

「貴様、何てことを! 」

追川は顔を真っ赤にして激怒した。

「ふざけるな。この資料がないとプレゼンができないだろうが」

俺は静かに反論した。

「部長は先ほど言いましたよね。私の設計図は0点だと。それでも使いたいというなら、サーバーには基本設計図が保存されています。部長ならそれで十分ではないですか? 」

サーバーにあるのは基本設計図だけ。プレゼン資料は、俺が私物のノートパソコンで作成していたから、まだサーバーにはアップしていない。追川の顔が恐怖で引きつった。

「お前、まさか……」

俺は答えず、自分のノートパソコンを鞄に詰め込んだ。プレゼン資料がなければ、追川には何もできない。基本設計図だけでは、明日の正談は乗り切れないだろう。

俺は鞄に残りの私物をしまいながら、あることを思い出していた。実は1ヶ月ほど前、梅ノ社長から突然連絡があったのだ。最初は雑談程度だったが、2週間前に改めて会って話を聞くと、梅ノ社長は真剣な表情でこう切り出した。

「岩崎さん、あなたを我が社にスカウトしたい。あなたの設計思想、特に省エネと収益性を両立させる考え方に深く共感しました。年収は今の倍を保証します」

その時は工藤社長への恩義もあり、返事を保留していた。だが先週、梅ノ社長から業務委託契約の準備も進めていると連絡があった。そして、追川の行動で俺の迷いは完全に消えた。

俺は鞄を持ち、追川に背を向ける。追川は呆然と立ち尽くしていた。俺は何も言わず、オフィスを後にした。

ビルの外に出て、俺はスマートフォンを取り出した。梅ノ社長の番号を呼び出し、通話ボタンを押す。

「梅ノ社長、岩崎です。先日のスカウトの件、お受けします」

梅ノ社長は驚いた様子で聞き返してきた。

「本当ですか? それにしても急ですね。音社で何かあったのですか?

俺は事情を簡潔に説明した。追川に受けた嫌がらせの数々。そして、正談前日に理不尽な担当交代を受け、退職届を提出して受理された件。梅ノ社長は話を聞き終えると、怒りを含んだ声で言った。

「これは許せませんね。しかし、明日の正談ですが、岩崎さん抜きでは進められません。我が社と業務委託契約を結び、本プロジェクトの技術顧問として正談に同席していただけませんか? 」

「わかりました。喜んでお受けします。幸い、競合契約も結んでいないとのことでしたね。では明日の正談、追川部長がどれだけ準備不足か、確認させていただきましょう」

正談当日の朝。俺は梅ノ社長と打ち合わせを終え、会議室で待機していた。おそらく追川は、基本設計図しか持ってこないだろう。

正談開始5分前、追川が硬い表情で会議室に入ってきた。俺を発見した瞬間、顔色が変わる。

「お、お前、なぜここにいる? 」

すると、会議室に現れた梅ノ社長が説明した。

「岩崎さんは昨日本社を正式に退職されました。本日から我が社と業務委託契約を結び、本プロジェクトの技術顧問として働いていただきます」

追川は一瞬言葉を失う。しかし、すぐに強がりを見せた。

「ふん。お前がどこにいようと関係ない。今日の正談は俺がまとめる」

追川は自賛した資料を配る。案の定、俺の基本設計図だけだ。追川の手がかすかに震えているのが見える。梅ノ社長が資料を見ながら口を開いた。

「それでは、追川部長、このプロジェクトの概要を説明していただけますか? 」

追川は上ずった声で話し始めた。

「お配りした資料がプロジェクトの基本設計図です。構造的には問題ありませんし、建築基準法にも適合しています」

最初はなんとか体裁を張っているようだった。しかし、梅ノ社長は図面を見てすぐに質問する。

「基本設計は結構ですが、完成イメージの図はありますか?

追川の顔が途端に曇る。

「それは……今回は基本設計図のみでして」

「2400億円のプロジェクトで、完成イメージがないのですか? 」

追川の額にうっすらと汗が浮かび始める。梅ノ社長は容赦なく追求を続ける。

「では、このデザインのコンセプトを説明してください」

追川は図面を指差しながら答えた。

「コンセプトは、その……機能性を重視した設計でして」

梅ノ社長は質問を続けた。

「投資採算性の試算はお持ちですか? 」

「試算は、今回は基本設計図のみでして……」

追川は苦し紛れに答えるばかりだ。すると梅ノ社長は俺に視線を向けて言った。

「岩崎さん、あなたから追川部長に質問はありませんか? 」

俺は追川に向き直る。

「追川部長。この設計の最大の特徴は、省エネと収益性の両立です。具体的にどのような技術で実現するのか、説明していただけますか?

追川は言葉につまる。

「それは、その……」

俺は追い打ちをかけるように言い放つ。

「具体的な点は、基本設計図には一切記載されていません。私が音社に席を置いている時に作成したプレゼン資料にのみ詳細が書かれています」

俺の言葉に、追川は完全に言葉を失った。梅ノ社長は一呼吸を置いてから、厳しい口調で言った。

「追川部長、率直に伺いますが、このプロジェクトの設計思想を本当に理解されていますか? 」

一言も口にすることすらできない追川に、梅ノ社長は断言した。

「追川部長、あなたの準備不足は明白です。大変申し訳ありませんが、本日の正談はここで終了とさせていただきます。音社に、2400億ものプロジェクトを任せることなど、到底できません」

追川の顔から血の気が引いた。

「ま、待ってください。もう一度チャンスを。私が悪かったんです。岩崎、お前が戻ってくれれば……」

だが俺は冷静に答える。

「私はもう音社の人間ではありません」

梅ノ社長は首を横に振る。

「このような不誠実な対応をされる会社とは、契約できません」

正談は完全に決裂した。追川は資料を掴むと、肩を落として会議室を出ていった。その背中は小さく、昨日までの傲慢さの欠片もない。

梅ノ社長がしみじみと俺に言った。

「岩崎さん、あのような上司によく耐えてこられましたね」

その日の夜、帰宅した俺に工藤社長から着信が入った。

「岩崎君か。追川から正談が決裂したと報告があったが、詳細が全く分からないんだ。一体何があったのか教えてくれないか? 」

俺は正談前日に追川が突然担当を奪ったこと。正談で追川が何も答えられず決裂したことに加え、梅ノ社長の会社と業務委託契約を結んだことも含めて、詳しく報告した。電話の向こうで、しばらく沈黙が続く。

「なんということだ……」

工藤社長の声が驚きで震えている。

「そんなことが起きていたとは。追川は、正談が決裂したこと以外、何も報告していなかったということだな」

工藤社長は冷静さを取り戻した声で続けた。

「これは私の責任でもある。私は追川を次期社長候補と思っていたが、創業者一族への配慮を優先しすぎた。見る目が甘かったようだ」

工藤社長は一呼吸置き、決意したように言った。

「明日、私から梅ノ社長にアポイントを取り、追川を連れて謝罪に伺う。君にも同席してほしい」

「承知しました」

翌朝10時、俺は梅ノ社長と共に応接室で待機していた。やがて秘書が工藤社長と追川を案内してくる。工藤社長は入室するなり深々と頭を下げた。

「梅ノ社長、この度は誠に申し訳ございませんでした」

梅ノ社長は椅子に座ったまま、冷静に2人を見る。工藤社長は真摯な表情で切り出した。

「梅ノ社長。昨日の正談について、岩崎君から詳しく聞きました。追川の杜撰なプレゼンテーションで音社に多大なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした」

梅ノ社長は厳しい表情で頷く。

「工藤社長。率直に申し上げます。追川部長は、昨日のプレゼンで私の質問に何一つ答えられませんでした」

すると追川が反論する。

「しかし、私は一級建築士として基本設計図を自賛しました。それで十分だと思いまして」

俺は冷静に追川を遮る。

「追川部長、あなたは正談前日、私の設計図を0点だと評価されましたね」

「そ、それは……」

「では伺います。私の設計図の最大の特徴は何ですか? なぜ梅ノ社長が私を指名されたのか、理解していますか?

追川は答えられずに視線をそらす。俺はさらに畳みかけた。

「省エネと収益性の両立です。具体的にはどの技術で実現するか、あなたは正談でそれを説明できましたか? 」

追川は沈黙するしかない。梅ノ社長が厳しい口調で言った。

「岩崎さんが担当のままであれば、このような事態にはなりませんでした。追川部長、あなたは理不尽に本来の担当者を排除し、2400億円の正談を台無しにしました」

工藤社長は顔を上げ、追川を睨みつけた。

「追川、私は君を次期社長候補として重用してきた。しかし、私の判断が間違っていたよ」

工藤社長は俺に向き直った。

「岩崎君、本当に申し訳ない。君が我が社をやめたのは、そうせざるを得ない状況に追川が追い込んだからだろう。君の能力を生かせる環境を用意する。ぜひ我が社に戻ってきてほしい」

俺は首を横に振る。

「お気持ちはありがたいのですが、私はすでに梅ノ社長の会社と業務委託契約を結んでおります」

梅ノ社長が言う。

「工藤社長。岩崎さんは我が社にとって必要な人材です。このプロジェクトも、岩崎さんを中心に進めさせていただきます」

工藤社長は肩を落とし、追川に向き直った。

「追川、お前の行為は重大だ。役員会に諮り、懲戒解雇も含めて厳正に対処する」

追川は顔面蒼白になり、その場に立ち尽くす。工藤社長は梅ノ社長と俺に改めて深く頭を下げた。

「この度は誠に申し訳ございませんでした」

そう言うと、立つことすらままならない追川を連れ、2人は会議室を後にしたのだ。

梅ノ社長が俺に向き直る。

「岩崎さん、このプロジェクトは必ず成功させましょう」

俺は深く頷いた。こうして2400億円のプロジェクトは、本来の担当者である俺を中心とした体制で再スタートを切ることになったのだった。

それから1ヶ月後、工藤社長から連絡があった。追川は懲戒解雇が決定し、損害賠償も請求されたという。今は地方の設計事務所で見習いをしているらしい。工藤社長は引退を撤回し、次期後継者を一から探すと言っていた。

俺は梅ノ社長の元で2400億円のプロジェクトに全力を注ぎ、正式に設計部長に就任した。年収も以前の3倍になり、新たに大型プロジェクトも任されている。俺はこれからも、自分の技術と誠実さを武器に、建築設計の世界で生きていく決意を固めるのだった。