父が倒れたという電話を受けたのは、夕方の買い物帰りだった。母の震える声で、集中治療室にいること、今夜が山だと告げられた。慌てて駆けつけた病院で、私は生涯現役を宣言していた父の変わり果てた姿を見た。翌朝、父は静かに旅立った。
葬儀の日、冷たい雨が降りしきる中、大勢の人が父を偲んで訪れた。「面倒見のいい人だった」「困った時は必ず助けてくれた」と、口を揃えて惜しむ姿に、私は父がどれほど人に愛されていたかを知った。
通夜の後、控室で家族や親しい人々が集まった。話題は自然と工場の今後へと移る。父が社長を務めていた町工場は、後継者がいないまま廃業の危機に瀕していた。
「お父さんがいないなら、工場を続けるのは難しいと思うの。畳むしかないのかもしれない」
母が震える声でそう言った時、私は思わず口を開いていた。
「お母さん、もう少し考えよう。工場がなくなるのは悲しいよ」
すると、専務の岡部が露骨に嫌な顔をして言い放った。
「何を言っとるんだ。現場も知らんお嬢ちゃんが首を突っ込めるほど甘い世界じゃない」
その場は険悪な空気に包まれたが、夫の正尾が「1年くらいはお母さんが社長代わりで繋ぐというのはどうですか」と現実的な提案をしてくれたおかげで、なんとか収まった。
しかし、私は心の中で決めていた。工場を守りたい。父が守り抜いてきたこの場所を、絶対に終わらせたくない。
葬儀の片付けが済んだ後、私は母を実家に送り、一度自宅へ戻った。そして、正尾に向き合って言った。
「実家の工場継ぎたいんだけど」
自分でも驚くほどはっきりした声だった。正尾は黙って私の顔を見つめ、しばらくしてからゆっくりと口を開いた。
「そんなに深刻な顔しなくてもいいよ。お父さんの工場を守りたいんだろ。生活費は俺がなんとかできるから、思う通りにやってこらんよ」
その言葉に、張り詰めていた糸がふわりと緩んだ。私は深く頷き、実家へと急いだ。
母に「私が継ぐ。どうか仕事を教えてください」と頼み込むと、母は目を見開き、小さく肩を震わせながら何度も頷いた。こうして私は正式に後継ぎ娘となった。
数日後、私は真新しい作業服に袖を通して工場に立った。社員たちの前で挨拶をすると、パラパラと拍手が起きたが、どこか心もとない。一番奥からは、岡部がこちらを睨んでいた。
初日から、岡部の嫌がらせは始まった。廊下ですれ違いざまにわざとぶつかられ、「女が工場の社長なんか無理に決まってんだ。俺は反対だからな」と吐き捨てられた。他の社員たちも、私に対してはどこか冷たい視線を送っていた。
それでも私は諦めなかった。右も左も分からない見習い生活の真っただ中で、必死に働いた。銀行との打ち合わせ、取引先への挨拶回り、書類の確認。何が正解か分からないまま、ただがむしゃらに動き回る日々が続いた。
少しずつ、私を気遣ってくれる社員も現れ始めた。「無理しないでくださいね」とお菓子をくれた事務の女性。「頑張れ、応援してるよ」と微笑んでくれたベテランの男性社員。彼らから聞く父の思い出話は、私が知る姿とは違っていた。父は、社員の家族の事情にまで気を配り、悩みを聞き、誰よりも人を大切にしていたのだと知った。
ある日、私は父の部屋を整理している時、一冊のノートを見つけた。それは、仕事の手順、機械ごとの癖、取引先の特徴、そして社員たちの人物評価や接し方のコツまで細かく記された、父の「バイブル」だった。私は毎日熱心にそのノートを読み込んだ。父の助言が聞こえてくるような気がした。
工場を継いでから半年近くが過ぎた頃、それは突然起こった。金曜日の午後、タバコ休憩から戻った岡部が、分厚い白い封筒の束を抱えて事務所に現れたのだ。
「おお、社長さん、ちょっといいかい?」
彼に「社長」と呼ばれたのは初めてだった。岡部は乱暴に腕を振り、その封筒の束を机の上に叩きつけた。
「全員連れて独立するわ」
退職届け。30人分。工場の社員65人の半数近くが、岡部について行くと言うのだ。
「気持ちはみんな1つだ。こんな素人社長の元でやってられるかってな」
勝ち誇った様子の岡部を横目に、私は無言で退職届けの束を開け、中身を確認した。見覚えのある名前が次々と並んでいる。若手社員、ベテラン、昼休みに私へお菓子を差し入れてくれた女性社員まで。
しかし、その名前を全て確認した時、私はふと力を抜いて顔を上げた。
「いいの?ラッキー」
唇からほとんど無意識にこぼれた言葉だった。慌てて口を噤み、上目に岡部の表情を伺うと、彼は複雑な表情で私をじろじろと見ていた。
「いえ、何でも。退職だけかしこまりました。岡部専務と皆さんのご意向ですもの。すぐに受理いたしますわ」
私はすぐに動いた。封筒を手早く揃え、必要な書類を準備し、退職日の調整に入った。戸惑いを浮かべる岡部が何かを言い始める前に、私は丁寧に頭を下げた。
「長年のご尽力に心から感謝申し上げます。お手続きは速やかに進めますので、どうぞご安心ください」
「あんたが受理したんだからな。これで工場が潰れても俺は一切文句は受けつけんからな」
不満が限界に達したのか、岡部は肩を怒らせて事務所を出ていった。
顔面蒼白の母が震える声で私に問いかける。
「とえ、大丈夫なの?30人よ。うちの従業員のほぼ半数。これじゃ現場が回らなくなるでしょう」
私は母を応接室に連れて行き、ゆっくりと説明した。岡部が連れて行った人たちは、一見すると頼もしく見えるが、実は問題のある人材ばかりだった。自分の意見を曲げず相手の話を聞かない人、長時間働いているのに成果が上がらない人、返事はいいが内容を理解していない人、SNSで会社の愚痴を繰り返発信している人、取引先に勝手な約束をしてしまう人。
「本当に残って欲しい人たちは、ちゃんちゃんと残ってくれてよ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ。よ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葬儀の日、冷たい雨が降りしきる中、大勢の人が父を偲んで訪れた。「面倒見のいい人だった」「困った時は必ず助けてくれた」と、口を揃えて惜しむ姿に、私は父がどれほど人に愛されていたかを知った。
通夜の後、控室で家族や親しい人々が集まった。話題は自然と工場の今後へと移る。父が社長を務めていた町工場は、後継者がいないまま廃業の危機に瀕していた。
「お父さんがいないなら、工場を続けるのは難しいと思うの。畳むしかないのかもしれない」
母が震える声でそう言った時、私は思わず口を開いていた。
「お母さん、もう少し考えよう。工場がなくなるのは悲しいよ」
すると、専務の岡部が露骨に嫌な顔をして言放った。
「何を言っとるんだ。現場も知らんお嬢ちゃんが首を突っ込れるほど甘い世界じゃない」
その場は険悪な空気に包まれたが、夫の正尾が「1年くらいはお母さんが社長代わりで繋ぐというのはどうですか」と現実的な提案をしてくれたおかげで、なんとか収まった。
しかし、私は心の中で決めていた。工場を守りたい。父が守り抜いてきたこの場所を、絶対に終わらせたくない。
葬儀の片付けが済んだ後、私は母を実家に送り、一度自宅へ戻った。そして、正尾に向き合って言った。
「実家の工場継ぎたいんだけど」
自分でも驚くほどはっきりした声だった。正尾は黙って私の顔を見つめ、しばらくしてからゆっくりと口を開いた。
「そんなに深刻な顔しなくてもいいよ。お父さんの工場を守りたいんだろ。生活費は俺がなんとかできるから、思う通りにやってこらんよ」
その言葉に、張り詰めていた糸がふわりと緩んだ。私は深く頷き、実家へと急いった。
母に「私が継ぐ。どうか仕事を教えてください」と頼み込むと、母は目を見開き、小さく肩を震わせながら何度も頷いた。こうして私は正式に後継ぎ娘となった。
数日後、私は真新しい作業服に袖を通して工場に立った。社員たちの前で挨拶をすると、パラパラと拍手が起きたが、どこか心もとない。一番奥からは、岡部がこちらを睨んでいた。
初日から、岡部の嫌がらせは始まった。廊下ですれ違いざまにわざとぶつかられ、「女が工場の社長なんか無理に決まってんだ。俺は反対だからな」と吐き捨てられた。他の社員たちも、私に対してはどこか冷たい視線を送っていた。
それでも私は諦めなかった。右も左も分からない見習い生活の真っただ中で、必死に働いた。銀行との打ち合わせ、取引先への挨拶回り、書類の確認。何が正解か分からないまま、ただがむしゃらに動き回る日々が続いた。
少しずつ、私を気遣ってくれる社員も現れ始めた。「無理しないでくださいね」とお菓子をくれた事務の女性。「頑張れ、応援してるよ」と微笑んでくれたベテランの男性社員。彼らから聞く父の思い出話は、私が知る姿とは違っていた。父は、社員の家族の事情にまで気を配り、悩みを聞き、誰よりも人を大切にしていたのだと知った。
ある日、私は父の部屋を整理している時、一冊のノートを見つけた。それは、仕事の手順、機械ごとの癖、取引先の特徴、そして社員たちの人物評価や接し方のコツまで細かく記された、父の「バイブル」だった。私は毎日熱心にそのノートを読み込んだ。父の助言が聞こえてくるような気がした。
工場を継いでから半年近くが過ぎた頃、それは突然起こった。金曜日の午後、タバコ休憩から戻った岡部が、分厚い白い封筒の束を抱えて事務所に現れたのだ。
「おお、社長さん、ちょっといいかい?」
彼に「社長」と呼ばれたのは初めてだった。岡部は乱暴に腕を振り、その封筒の束を机の上に叩きつけた。
「全員連れて独立するわ」
退職届け。30人分。工場の社員65人の半数近くが、岡部について行くと言うのだ。
「気持ちはみんな1つだ。こんな素人社長の元でやってられるかってな」
勝ち誇った様子の岡部を横目に、私は無言で退職届けの束を開け、中身を確認した。見覚えのある名前が次々と並んでいる。若手社員、ベテラン、昼休みに私へお菓子を差し入れてくれた女性社員まで。
しかし、その名前を全て確認した時、私はふと力を抜いて顔を上げた。
「いいの?ラッキー」
唇からほとんど無意識にこぼれた言葉だった。慌てて口を噛み、上目に岡部の表情を伺うと、彼は複雑な表情で私をじろじろと見ていた。
「いえ、何でも。退職だけかしこまりました。岡部専務と皆さんのご意向ですもの。すぐに受理いたしますわ」
私はすぐに動いた。封筒を手早く揃え、必要な書類を準備し、退職日の調整に入った。戸惑いを浮かべる岡部が何かを言い始める前に、私は丁寧に頭を下げた。
「長年のご尽力に心から感謝申し上げます。お手続きは速やかに進めますので、どうぞご安心ください」
「あんたが受理したんだからな。これで工場が潰れても俺は一切文句は受けつけんからな」
不満が限界に達達したのか、岡部は肩を怒らせて事務所を出ていった。
顔面蒼白の母が震える声で私に問いかける。
「とえ、大丈夫なの?30人よ。うちの従業員のほぼ半数。これじゃ現場が回らなくなるでしょう」
私は母を応接室に連れて行き、ゆっくりと説明した。岡部が連れて行った人たちは、一見すると頼もしく見えるが、実は問題のある人材ばかりだった。自分の意見を曲げず相手の話を聞かない人、長時間働いているのに成果が上がらない人、返事はいいが内容を理解していない人、SNSで会社の愚痴を繰り返発信している人、取引先に勝手な約束をしてしまう人。
「本当に残って欲しい人たちは、ちゃんと残ってくれてるよ。人数よりも人材の質に注目すれば、損失は少ないの」
私はそう言って、母の手を握った。父のノートに記されていた社員たちの評価が、私の判断の基準となっていたのだ。
退職者たちが去った後、私は残従した社員たちを集めて挨拶をした。
「ご存知の通り人数が減り、これから大変なこともあると思います。でも私は皆さんと一緒なら乗り越えられると信じています。新しい機械の導入も予定していますので、人手は足りる予定です。みんなで支え合っていきましょう」
力強い拍手が返ってきた。自分が1人ではないと確信できるのが嬉しかった。
翌月、岡部以下30名は本当に同業者として起業した。我が社でも新しい体制が本格的に動き出した。受注できる仕事の量は少し減ってしまったが、残った若手たちは皆、仕事に真面目だった。目立つタイプではなくとも、指示を聞き学び、着実に成長する力を持つ。新しく入った新人たちは彼らの背中を見て素直に伸びていった。
数ヶ月はまさに怒涛の日々だった。朝から晩まで私は会社の内外を飛び回った。取引先を回って、人員が減ったことや設備の入れ替えを行うことを説明し、理解を求めた。募集に応じて4名の若い仲間が入社し、すでに働き始めてくれている。
そして半年後、岡部の会社から取引先が戻ってきた。岡部の会社は、納期の遅れや製品の不具合が相次ぎ、取引先の信頼を失っていたのだ。戻ってきたいという申し出に、私は「わかりました。お受けしましょう」と答えた。信頼を取り戻せたことが何より嬉しかった。
その後、岡部の会社は倒産した。そして、岡部は私のせいだと怒り狂って工場に乗り込んできた。
「お前たちのせいだ。絶対にそうだ。俺の会社が潰れたのはお前らが妨害したからに決まってる」
私は静かに言った。
「岡部さん、私たちは何もしていません。あなたが失敗した理由は、あなたの会社の中にあったと思いますよ」
私は、彼の会社が犯した数々のミスを淡々に語った。受注を増やしたい一心で現場へ確認しないまま納期を約束したこと。無理な工程変更が続いたこと。品質事故を起こし、取引先の信頼を失ったこと。銀行との交渉も決裂したこと。そして、岡部自身が人を見る目を持っていなかったこと。
「父のノートにあなたのことも書いてありました。仕事ができて気風がいい。気が強いので大手との交渉向き。ただし、人事の適正はなし」
岡部の顔は青ざめていった。何度か反論しようしようとしたものの、言葉が出てこない。思い当たることが多すぎるのだろう。
「あなたは社長の器じゃなかった。父の右腕だった方なのに、本当に残念です。さようなら、岡部さん」
数名の男性社員が動き、岡部をエスコートするように屋外へ向かう。力なく出ていく岡部は、もう私にとって意地悪なライバルではなかった。多くの人を巻き込んで何の成果もあげられなかった、哀れなおじいさんでしかなかった。
岡部はその後、自己破産し、家族にも見放され、狭いアパートで1人暮らしをしているらしい。かつての勢いは、見る影もない。
あの独立動から数年が経った。工場は安定した経営を続け、売上も少しずく伸びている。若手社員は頼もしく成長してくれって、教育にあたったベテランたちはどこか得意げだ。新たな設備導入の計画も進めている。社員たちとの中も良好だ。先日は若い女性社員から結婚という嬉しい報告を受けた。いい機会だと考え、3級や育級制度の見直しに取り組み始めている。
昨日は母の日。子供たちから新品の作業服が送られた。腕を通すと似合うとと拍手が送られる。照れ臭さと同時に、私の仕事を応援してくれる気持ちがとても嬉しかった。優しい正尾も変わらず私を支支えてくれている。主婦をしていた頃には考えられないほど、私の周りには人のぬくもりが溢れていた。
朝出勤すると、母が上機嫌で手帳を振る。
「とえ、今日は午後から取材よ」
先月末、近年増えている女性後継者の成功例として、雑誌の取材依頼が来きた。社員たちも「うちの社長が本に載るんですか」と大いに盛り上がる。やっぱり恥ずかしいが、皆が喜んでくれるのは素直に嬉しいことだ。
大切な人たちと共に、思い出の町工場を守っていきたい。それが私の願いだ。宝物として大切にしている父のノートを開った。最後のページに、他とは違う太いペンでこう記されている。
「物づくりは人づくり」
父さんらしい言葉だ。大好きな父の思い出と共に、私は今日も新たな想像の現場へ向かうのだった。



