職場から戻ってきた夫は、私に一つの箱を突きつけた。42歳の誕生日の夜のことだ。
「明里、誕生日おめでとう。最高のプレゼントだぞ。」
胸を膨らませて箱を開けると、そこには離婚届と1500万円のローン契約書が入っていた。真っ赤な高級車のパンフレットが添えられている。
「孝太郎さん、これ、どういうこと?」
震える私の声を聞いて、夫は口元を歪めた。その時、彼のポケットからスマホの着信音が鳴り響く。彼はニヤニヤしながらスピーカーで電話に出た。
「こうちゃん、まだプレゼント渡した?」
「ああ、エリカ。今渡したとこだよ。見てみろよ、この顔。ハートが豆を食ったみたいな顔だぜ。」
電話の向こうから若い女の笑い声が聞こえる。
「あのおばさん、どんな顔してる?受けんだけど。」
頭が真っ白になった。
「まあ、今までご苦労だったな。慰謝料代わりにこの車の1500万円のローンをお前が払え。お前、運転できないだろう?ちょうどいい練習になるじゃないか。感謝しろよ。」
「何を言っているのよ。それにこの家は…」
「この家は俺のものだ。俺が稼いだ金で維持してきたんだからな。サインしたらとっとと出ていけ。」
私はただ夫を見つめることしかできなかった。彼は本気で信じているのだ。この家も貯金もすべて自分のものだと思い込んでいる。だが、彼には致命的な勘違いがあった。この家も貯金も、そのほとんどが私のものだということ。
私は幼い頃から両親にこう教えられて育った。結婚したら夫を立て、控えめな妻でいることが大切だと。母はまさにそんな妻で、両親はとても仲が良かった。だから私もそれを信じていた。
夫はプライドが高い人間だ。だから私は家計がすべて彼の稼ぎだけで賄っているように振る舞っていた。給料日になると彼は決まって言う。
「ほら、今月も俺が稼いできたぞ。お前は家で楽してられていい身分だな。」
「いつもありがとう。孝太郎さんのおかげで生活できるわ。」
私は深々と頭を下げて給料袋を受け取る。その中身だけでは到底やりくりできないことを、彼は知らない。
「明里は俺がいないと何もできないからな。」
それが夫の口癖だった。でも本当は違う。この家も4000万円の貯金も、数年前に亡くなった私の両親が残してくれたものだ。足りない生活費は私が自分の資産からこっそり補填していた。
それでも夫を立てるために、私は控えめな妻を演じ続けた。当時の私は、それが夫婦円満に必要なことだと愚かにも信じていたのだ。
結婚して5年が経ち、夫は家庭に全く興味を失っていた。家のことも毎日の暮らしも、すべて自分が汗水垂らして築き上げたものだと完全に勘違いしていた。だからこそ専業主婦の私を心の底から見下していたのだろう。自分がいなければ生きていけない存在だと。
その歪んだ平穏が、私の誕生日を境に音を立てて崩れ去った。
夫の悪行は日に日にエスカレートしていった。ある日の夕食、私はハンバーグを作った。だが食卓についた夫は、料理を一瞥しただけで鼻で笑った。
「まだこんな貧乏臭いもん食ってんのか。」
そう言うと、彼は私の作ったハンバーグを皿ごと掴み、キッチンのゴミ箱に叩きつけた。食器の割れる音が響く。
「こんなまずい飯はもういらない。エリちゃんの料理は最高なんだ。お前とはレベルが違う。」
彼はスマホを取り出すと、ゴミ箱に捨てられたハンバーグの写真を撮り始めた。
「これエリに送っとこ。おばさんの最後の晩餐だってよ。原作だろ。」
床に散らばった料理の残骸を、私はただ黙って見つめることしかできなかった。涙をこらえ、唇を噛みしめる。大丈夫。これも証拠の一つだ。
夫は毎晩のようにエリと高級レストランで食事をし、その様子をSNSに投稿した。華やかな夜景をバックに若い女とワイングラスを傾ける夫の写真。そこには私を煽るようなタグがつけられていた。
#本物の愛 #未来の花嫁 #おばさんお疲れ
共通の知人も見ているその投稿に、私の心はズタズタに引き裂かれた。だが私はすべての投稿をスクリーンショットで保存し、日付と共にフォルダーに記録していく。
そしてあの真っ赤な車が我が家の駐車場に納車された。夫はエリを助手席に乗せたまま私を呼びつけた。
「おい、お前の車なんだから洗車しとけよ。汚れてるだろう。」
助手席の窓が開き、エリがサングラスをずらしながら私を嘲笑う。
「そうよ。1500万もするんだからピカピカにしてよね、おば様。私たちがデートで乗るんだからさ。」
「私、運転できないの知ってるでしょ?」
「だからなんだ。所有者はお前だろ?責任持てよ。俺たちの愛の巣を掃除すると思えば光栄なことじゃないか。」
私は冷たい風が吹く中、バケツとスポンジを手にその憎い車を洗い始めた。隣の家から同情的な視線が注がれるのを感じる。惨めで悔しくて涙が溢れた。だがこの惨めさも計算のうち。私はただのかわいそうな妻を演じているに過ぎない。
実は私は数ヶ月も前から夫の不倫に気づいていた。ただ泣き寝入りするつもりは毛頭ない。夫に隠れて弁護士に相談し、水面下で不倫の証拠を集めつつ、不動産の買い取り専門業者とも連絡を取っていた。この家を最も早く、最も高く売却するための準備はすでに万端だった。
夫が自分の実の父を騙して1500万円の高級車のローンの連帯保証人にさせた手口も掴んでいた。彼は実家に立ち寄り、「明里へのサプライズなんだ」と嘘八百を並べ、疑うことを知らない義父にサインさせたのである。自分の父親さえも利用するその卑劣さに吐き気すら覚えた。
私は従順な妻を演じながら、夫の暴言をすべて小型の録音機に記録し続けた。彼は私がただ怯えているだけの哀れな女だと信じて疑わない。私が彼の足元に巨大な落とし穴を掘り続けていることなど、彼は知る由もないだろう。
そして運命の日は近づく。夫が勝ち誇った顔で私に告げた。
「来週からエリと2週間ほどハワイ旅行に行くことになった。お前は家の荷物をまとめて出ていく準備でもしとけよ。じゃあな、元嫁。」
最高のチャンスが向こうからやってきた。私は涙目のまま俯き、か細い声で「わかったわ」とだけ答えた。心の中では燃え盛る炎のような決意が渦巻いていた。楽しんでらっしゃい、孝太郎。あなたが楽園で浮かれている間に、私はあなたのすべてを奪い尽くす。
私は空港へ向かう夫の後ろ姿を静かに見送った。扉が閉まった瞬間、私は大きく深く息を吸い込んだ。家の中は驚くほど静かだった。まるで嵐の前の静けさ。いや、違う。これは私の手に自由が戻ってきた音だ。
私はすぐに電話を手に取った。
「もしもし、明里様。ご主人様は?」
「ええ、たった今ハワイへ。先生、お願いします。」
「承知いたしました。すべての手続きを予定通り開始します。」
電話を切るとすぐに次の番号をタップする。水面下でずっと相談を続けてきた不動産の買い取り専門業者だ。
「はい、お待ちしておりました。本日契約ということでよろしいですね。」
「はい、すぐに向かいます。」
クローゼットの奥から準備していた書類一式を取り出す。この家と土地の権利書。私の証明。すべてがこの日のためにあった。
家を出る時、私はリビングをゆっくりと見渡した。夫が「俺の城」だと豪語していた空間。だがもう彼のものは何一つない。これから私の手で彼の幻想をすべて消し去る。
不動産業者での契約はあっけないほどスムーズに進んだ。事前に弁護士がすべて調整してくれていたからだ。分厚い契約書に私は迷いなく自分の名前を書き、実印を押す。担当者が深々と頭を下げた。
「明里様、ありがとうございました。買い取代金はご指定の口座へ本日中に送金いたします。」
その足で私はメインバンクへ向かった。窓口で通帳を差し出すと、担当者が驚いた顔をする。無理もない。そこには家の売却益と私の貯金を合わせた4000万円の金額が記されていたのだから。
「この口座から現金で全額引き出したいんです。それと、この口座は本日付けで解約をお願いします。」
「よ、4000万円をすべて現金ですか?」
「もちろん。」
これも弁護士を通じて事前に連絡済みのことだ。奥の部屋から分厚い札束の入ったジュラルミンケースがいくつも運ばれてくる。夫が自分が管理していると信じて疑わなかった資産が、私の手で消えていく。通帳に解約のハンコが押された時、私の心にまとわりついていた最後の蟠りが外れた気がした。
その後の2週間、私は淡々と作業を進めた。引っ越し業者を呼び、家にある私の私物、私が購入した家具や家電をすべて運び出す。両親の思い出が詰まった写真。私が自分の稼ぎで買ったお気に入りのソファ。夫が知らないうちに買い替えていた最新の大型テレビ。それらが運び出されていくにつれ、家は見る見るうちに虚ろな箱になっていった。
最後に残ったのは夫のゴルフバッグと彼の衣類だけ。それらはすべてゴミ袋に詰めて玄関の隅に置いておいた。すべての作業を終え、私は空っぽになった家を見渡す。エコーが響くほどに静まり返った空間。ここにはもう私の居場所も彼の居場所もない。私は静かに玄関の鍵を閉め、二度と振り返ることなくその場を去った。
そして運命の日。夫とエリがハワイから帰国する日だ。私は弁護士と家の新しい所有者である田中さんと共に家の前で彼らを待っていた。
しばらくして一台のタクシーが近づいてくる。中から現れたのは、こんがりと日焼けしブランドの紙袋をいくつも抱えた夫とエリだった。二人は実に幸せそうに笑い合っている。だが、その楽園気分の笑顔は次の瞬間凍りつくことになる。自分たちの家の門に見慣れない大きな看板が掲げられているのを見つけたからだ。
「売却済み。田中様」
「何あれ?田中様って?売却済みってどういうことよ。」
「はあ?何かの間違いだろ。明里のやつがやった嫌がらせか。悪質ないたずらだな。」
夫は不機嫌そうにそう言うと門を開けて敷地に入ってきた。エリも不安そうにその後ろについてくる。そして玄関のドアに鍵を差し込もうとして、鍵穴が変わっていることに気づいた。
「なんだよこれ。鍵まで変えやがって。明里のやつ、余計なことを…」
彼がドアを乱暴に蹴飛ばそうとしたその時だった。物陰から私たち3人が姿を現す。
「そこまでです。あなた方は一体何者ですか?」
「てめえらこそ誰だ?ここは俺の家だぞ。明里はどこだ?あの女を呼んでこい。」
怒鳴り散らす夫を前に、弁護士は冷静に一枚の書類を突きつけた。夫は嫌な顔でその書類をひったくるように受け取る。そこに書かれた文字を彼の目がゆっくりと追っていく。そして怒りで真っ赤だった彼の顔から、さーっと血の気が引いていくのがはっきりと見えた。
「な、なんだこれ?所有者、明里だと?」
「土地建物ともに、所有者は当初より奥様である明里様お一人です。あなたがご結婚される前から、明里様がご両親から相続された彼女の特有財産ですよ。」
夫は信じられないというように書類と私の顔を何度も見比べた。彼の隣でエリは顔面蒼白になり、わなわなと震えている。
「ちょっと孝太郎さん、どういうことよこれ。あなたの家じゃなかったの?」
「うるさい!俺がずっと稼いで住んでいた家なんだ。全部俺の家だろ。あいつが何かしたんだろう。」
「売却されてるじゃない。じゃあ私たちはどうなるのよ。」
「嘘だ、嘘だ。俺が稼いだ金で暮らしていた家だ。俺の家だろ。明里のやつが勝手に…」
「所有権は明里様にありますので、売却も彼女の自由です。そしてここはすでに新しい所有者である田中様の住居です。あなた方の行為は完全な不法侵入に当たります。即刻お引き取りください。」
弁護士は冷静にだが言い逃れを許さない口調で告げた。エリが震える声で夫に問い詰める。その声には明らかな疑念の色が混じっていた。妻とプライドの塊である夫にとって、愛人の前で自分の無力さと嘘を暴かれることこそ一番の屈辱だろう。夫は何も言い返せず、ただワナワナと震えている。
私はそんな彼に最後の一撃を加えた。
「ああ、それと、あなたが管理していたつもりの口座、全部解約させてもらったわ。きっちり全額ね。あれも私の両親が残してくれた私の資産だから。」
夫は言葉を失い、その場に崩れ落ちそうになった。手元に残ったのは愛人のエリと1500万円の車のローンだけ。家も金も、そしておそらく愛人の信頼も。彼は一瞬で全てを失ったのだ。
新しい所有者である田中さんが迷惑そうに言った。
「警察を呼びますよ。」
その言葉に二人は弾かれたように動き出す。夫は私を鬼の形相で睨みつけると、エリの腕を掴んでその場から逃げるように去っていった。
その日の夜から、彼らの地獄が始まったのだろう。住む家を失い大金もない二人は、都心の安いビジネスホテルを転々とする生活に陥った。華やかなハワイでのバカンスから一転、狭くて薄汚い部屋での生活。互いを罵り合い責任をなすりつけ合う声が、夜な夜なホテルの廊下に響いていたという。
私は新しい住まいで静かに夜景を眺めていた。手元のスマホには4000万円の数字が輝く口座残高が表示されている。復讐の第一幕は完璧な形で今終わったのだ。だが、夫という人間の傲慢さと愚かさを、私はまだ見くびっていたのかもしれない。物理的な拠点を失った彼が次に取った行動は、私の想像を絶するものだった。
家を失ってから数週間後、私の弁護士から一本の電話が入った。
「明里様、落ち着いてお聞きください。孝太郎さんの代理人から連絡がありまして。」
「何でしょう?まさか謝罪でも?」
「いえ、全く逆です。財産分与を正式に要求するとのことです。ご夫婦で築かれた資産の半分を渡せと。」
一瞬言葉を失った。どの口がそんなことを言うのだろうか。自分から離婚を突きつけ、私に1500万円の負債を押し付け、挙句の果てにすべてが私の資産だったと知るや、今度は法律を盾に金銭を要求してくる。彼のそのどこまでも自己本位な思考回路に、怒りを通り越してある種の感心すら覚えた。
「そうですか。わかりました。先生、予定通り次の手を打ってください。」
「はい。すべて準備は整っております。」
私の返答はもちろん了承だ。弁護士は夫の代理人に対して即座に書面で返答した。
「貴殿の要求は法的に一切認められません。対象の資産はすべて婚姻前から妻明里が所有していた特有財産であり、財産分与の対象外です。」
さらに書面には、地獄へと突き落とす文言も記載されていた。
「また、貴殿の長年にわたる不貞行為は明白な離婚原因となります。つきましてはこちらから慰謝料として300万円を請求いたします。本書面到着後、1ヶ月以内にお支払いください。」
この書面を受け取った夫は、電話口でありえないと激しく罵ってきたらしい。だが法律という絶対的な事実の前では、彼の怒りなど無力だった。
そして彼が最も触れられたくなかった領域にも、ついに破滅の足音が忍び寄ることになる。原因はあの真っ赤な高級車だ。夫はビジネスホテル暮らしで金もなく、当然ローンの支払いなどできるはずもなかった。支払いはすぐに滞り、ローンの督促状が連帯保証人である義父の元へ届いたのだ。
ある日の午後、私のスマホが鳴る。表示されたのは義父の名前だった。
「明里さんか。済まないが一体どういうことなんだ。孝太郎の車のローン督促状が私のところに届いてな。」
続けて、心配そうに訪ねてきた。
「孝太郎のやつ、何かあったのか?」
電話の向こうの義父の声は困惑と不安に満ちていた。私は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、真実を伝えるしかなかった。
「お父さん、本当に申し訳ありません。実は孝太郎さんとは離婚することになりまして。」
私は夫が若い愛人エリと再婚するために私に離婚を突きつけたこと。そしてその車は彼がエリのために購入したものであることを静かに伝えた。もちろん義父を騙して連帯保証人にさせた事実も。
電話の向こうで長い沈黙があった。やがて静寂を破ったのは、今まで聞いたこともないような義父の怒声だった。
「あのバカ息子が…私まで騙しおって。明里さん、あなただけは本当にすまないことをした。」
義父は私に何度も何度も謝罪した。そしてこう続けた。
「孝太郎のことは、もう私の息子だとは思わん。勘当だ。二度と実家の敷居はまたがせん。」
その数日後、弁護士から連絡があった。義父は自分の信用を守るためにローンを全額肩代わりし、その上で夫との縁を切ったらしい。親族にもすべてを話し、今後一切夫を援助しないように通達したようだ。夫の最後の砦は、彼自身の嘘によって完全に断ち切られたのだ。
だが私の復讐はまだ終わらない。彼からすべてを奪い去った元凶。愛人のエリにも、当然その責任を取ってもらう必要があった。
弁護士はエリの住むアパートを突き止め、一通の内容証明郵便を送付した。不貞行為の共同不法行為者として、慰謝料の一部である150万円を請求するという内容だ。
その手紙を受け取ったエリはパニックに陥り、すぐに夫に泣きついたという。ビジネスホテルの狭い部屋で、二人のみっともない醜い争いが始まった。
「慰謝料150万、払えるわけないじゃない!」
「うるさい。俺だって金がないんだ。お前がもっとうまくやれば…」
「私のせい?ふざけないで。金持ちだって言ったじゃない。家も車もあなたのものだって。」
「お前だって金目当てで近づいてきただけだろうが。俺がこうなったらお前のせいか?」
「当たり前でしょ。無一文で親にも勘当された男なんて、誰が好きになるのよ。」
その後の顛末は弁護士がエリ本人から聞いた話として私に報告された。泣き喚くエリに対し、私の弁護士は電話でこう告げたらしい。
「お気の毒ですが、孝太郎さんに支払い能力は一切ありません。おそらく自己破産することになるでしょう。そうなれば、エリさん、あなたへの請求額は増える可能性もありますが。」
金目当てだったエリにとって、その言葉は死刑宣告と同じだった。家を失い、金を失い、親に勘当され、そして今愛人にも見放された夫。彼は本当の意味で一人になった。
絶望の縁に立たされた夫は、最後の悪あがきに出た。私の弁護士に泣きつき、「明里さんに直接謝罪したい」とビデオ通話を要求してきたのだ。
「どうされますか?明里様。」
「ええ、受けましょう。彼らの惨めな姿、この目に焼きつけておきたいので。」
画面が繋がると、そこには信じられない光景が広がっている。私の部屋にはハワイの青い海が広がるのに対し、画面の向こうには薄暗いビジネスホテルの一室。顔面蒼白になった夫と、なぜかエリまでが並んで座っていた。
「あ、明里。すまなかった。俺が、俺がすべて悪かったんだ。どうか、どうか許してくれ。」
夫はカメラに向かって何度も何度も頭を下げ、その隣でエリも泣きじゃくっている。
「明里さん、本当にごめんなさい。私、この男に騙されて…慰謝料だけはどうか…」
「そうだ。こいつが俺をそそのかしたんだ。俺は本当は明里だけを愛していたんだ。もう一度やり直そう。」
「なんですって?あなたが毎日毎日奥さんの悪口を言ってたんじゃない?」
画面の向こうでまたみっともない言い争いが始まる。私はその稚拙な茶番を冷たい目で見つめ、静かに口を開いた。
「見苦しいわね、二人とも。」
私の声に二人はぴたりと動きを止める。
「許す?なぜ私があなたたちを許す必要があるの?」
夫の目をじっと見つめて言葉を続ける。
「あなたは私の誕生日に、私に何をプレゼントしてくれたか覚えている?離婚届と1500万円の借金よ。私をゴミのように捨てておいて、今更どの口がそんなことを言うの?」
「そ、それはただの冗談じゃないか…」
哀れな言葉を続ける夫をよそに、私は一呼吸を置いて続けた。
「エリさん。あなたも同じよ。人の家庭を壊しておいて被害者ぶらないで。自分の行動には自分で責任を取りなさい。」
「そんな、私はそんなつもりじゃ…」
必死に言葉を並べるエリを無視し、私は夫の目をまっすぐに見据えた。
「孝太郎、あなたは勘違いしていたようね。あなたは王様なんかじゃなかった。私の家で私の金で私の心に仇を描いて王様気分を味わっているだけの寄生者よ。その居場所がなくなって、今やただの惨めな男。それがあなた。」
「お前のせいで俺は…」
見苦しい言い訳を遮り、私は冷たく告げた。
「もう二度と私の前に顔を見せないで。」
私は返事も聞かずに一方的に通話を終了した。画面が真っ暗になり、二人の絶望に満ちた顔が消える。
その頃、私はハワイにいた。両親の遺産を元に、こちらで新しいビジネスを始める準備を進めていたのだ。私は新しい生活の始まりを告げるために一枚の写真をSNSに投稿した。ホテルのテラスから見える真っ青な海と空の写真。添えた言葉はただ一言。
「新しい人生の始まり。」
その投稿はすぐに共通の知人たちの間で広まった。夫の傲慢なSNS投稿を覚えていた友人たちはすぐに事情を察したのだろう。私の投稿には「おめでとう」「応援してる」「辛かったね」という温かいコメントが溢れた。逆に夫の元には、誰からも連絡が来なくなった。たまに電話をかけても金の無心や愚痴ばかり。誰もそんな彼に関わりたいとは思わなかった。彼は友人たちからも見放され、社会的に完全に孤立したのだ。
プライドだけが取り柄の男が最も嫌がること。それは自分の無力さと愚かさを、自分を支えていたすべての人間に知られ、見捨てられること。私はハワイの穏やかな風に吹かれながら遠い日本の空を見上げた。夫が大切にしていた価値観、金、地位、見栄、そして人間関係。そのすべてが今、彼の足元から崩れ去っていく。復讐の第二幕は静かに、だが残酷なまでに完璧に幕を下ろしたのだった。
あれから半年が過ぎた。風の噂で夫のその後の話を聞いた。彼は会社での信用を完全に失い、結局自主退職に追い込まれたらしい。エリは夫の将来性のなさを悟ると、その日の夜のうちに荷物をまとめ夫の前から姿を消した。置き手紙にはただ一言「さようなら」とだけ書かれていたそうだ。
完全に孤独になった彼は、今都心の安いパートで一人寂しく暮らしているという。多額の車のローンと私への慰謝料の支払い。それらに追われ、日雇いの仕事を転々とする毎日。かつてのプライドは見る影もなく、毎晩コンビニのカップ麺をすすっているそうだ。彼を支える家族も友人も、そして愛人ももうどこにもいない。彼が自分の手ですべてを切り捨てたのだから。自業自得という言葉がこれほど似合う男もいないだろう。
一方、私は今ハワイの青い空の下にいる。こちらの美しい景色の中、新しいビジネスを立ち上げた。ありがたいことに事業は順調に軌道に乗っている。先日、私はSNSに一枚の写真を投稿した。真っ青な海を背景に、心の底から笑っている自分の写真を。そしてこう書き添えた。
「最高の誕生日プレゼントは、お金でも物でもなく自由でした。」
その投稿にはたくさんの「いいね」と応援のコメントが寄せられた。もう誰かのために自分を偽る必要はない。誰かの顔色を伺って心をすり減らすこともない。私は私の力で最高の人生を掴んだのだ。夫が選んだ道がどんなものだろうと、もう私には関係のないこと。私は過去に縛られず、自分の未来だけを見つめて生きていく。このどこまでも続く青い海のように、私の人生は今始まったばかりなのだ。



