「お母さん、私が働いて稼いだ30万円ですよ。」「結婚したら家族のお金でしょ。」そう言って、義母は私の給料の入った封筒から1万円札を1枚だけ抜き出して、食卓の上を滑らせた。「みささんのお小遣いは、今月も1万円ね。」私が「嫌だ」と言えば、夫はこう言う。「じゃあ自分で勝手にすれば。でもこの家にいるなら、母さんのやり方に従ってくれよ。」この3年、私は自分の給料の使い道を、誰かに許してもらってから決め…

「お母さん、私が働いて稼いだ30万円ですよ。」「結婚したら家族のお金でしょ。」そう言って、義母は私の給料の入った封筒から1万円札を1枚だけ抜き出して、食卓の上を滑らせた。「みささんのお小遣いは、今月も1万円ね。」私が「嫌だ」と言えば、夫はこう言う。「じゃあ自分で勝手にすれば。でもこの家にいるなら、母さんのやり方に従ってくれよ。」この3年、私は自分の給料の使い道を、誰かに許してもらってから決め...

義母のかず子が封筒を受け取った。中身は私の給料30万円。彼女は財布から1万円札を1枚だけ抜き出して、食卓の上を滑らせた。
「みささんのお小遣いは今月も1万円ね。」
私は働いて稼いだ30万円よ。結婚したら家族のお金でしょ。かず子は当たり前のような顔をしていた。

この3年ずっと同じ顔だった。私が嫌だと言ったら、夫のタヤは一度黙ってから言った。「じゃあ自分で勝手にすれば。でもこの家にいるなら母さんのやり方に従ってくれよ。」私は1万円札を見て、それから2人の顔を見た。「はい。」そう答えて椅子を引いた。

私は不活みさ、39歳。給食宅配会社の管理栄養士で、1回に160食分の献立を立てる。材料費は1食320円。限られた金額で栄養と味と彩りを揃えるのが私の仕事だった。手取りは月30万円。現場の人間では上の方だ。

夫のタヤとは12年前に結婚した。住宅設備の施工会社で営業をしている。子供はいない。結婚当時は共働きで、彼は毎月25日に14万円を私の口座へ移してくれた。家賃も光熱費も保険もそこから落ちる。食費と日用品は私が出す。9年の間、14万円が遅れたことは一度もなかった。

止まったのは3年前の3月。その後に義母が家計に口を出し始め、私は給料をすべてタヤ経由でかず子に預けることになった。そこから毎月30万円が彼女の管理下に入り、私に戻ってくるのは小遣いの1万円だけだった。食費も日用品も、かず子が「必要な分だけ」渡すと言った。

給料は私の口座に入り、同じ日にタヤの口座へ移され、彼が下ろして現金でかず子に渡した。私はその手続きを毎月指で打ち込むだけになった。残高の欄は見ないようにした。見れば何かがおかしいと気づいてしまうから。

3年の間に小遣いも減っていった。最初は2万円。半年後に1万5000円。去年から1万円。40歳近い女にそんなに使うものはないでしょ、と言われて。私は1万円で自分の下着もストッキングも、休みの日の交通費もやりくりした。母と昼ご飯を食べる約束さえ、2人で4000円出せないから延期を重ねた。

ボーナスは隠した。夏と冬に手取りで44万円ずつ。年に88万円。「うちの会社はほとんど出ないんです」と嘘をついた。その金で家賃と光熱費と保険を払い続けた。出ていくものがそのままで、入ってくるものが2つとも消えたから。毎年80万円ずつ、私の蓄えが減っていった。

転機は職場の所長、芦澤さんと弁護士との出会いだった。芦澤さんは私の余白に書く数字を見て言った。「数えていない人は、どれだけ立場が上でも何も知らない。数えた人のものよ。」弁護士の南田さんは言った。「あなたの名義の口座からあなたの意思でお金を動かすことに、誰の許可もいりません。ご主人の許可も、お母さんの許可も。」

3月25日、給料日。私はいつも通りタヤの口座へ30万円を送った。彼が下ろしてかず子に渡した。かず子はいつものように「今月も1万円ね」と1万円札を滑らせた。「お母さん、私が働いて稼いだ30万円ですよ。」「結婚したら家族のお金でしょ。」「じゃあ勝手にすれば。でもこの家にいるなら母さんのやり方に従ってくれよ。」「はい。」私はそう答えて、バッグを取り、靴を履いた。「どこ行くんだ?」「ちょっと用事。」

銀行で私は言った。「30万円を残して、後は全部、別の私名義の口座へ移してください。」窓口の人は何も驚かなかった。振り込み手数料880円。残高は410万円と少しから30万円になった。私は役所に行き、委環登録の手続きをした。職場のロッカーからボストンバッグを取り出して、その足で実家へ帰った。

母は何も聞かなかった。「上がりなさい。」と言って、2階の私の部屋の窓を開けてくれた。夜、私は全部話した。3年分のことを。母は最後まで口を挟まなかった。話し終えると、押入れから古い缶を取り出して、私が結婚する時に置いていった箱を渡してくれた。中には独身の頃の給与明細と1冊の通帳。最後の記帳は結婚した年の4月。180万円と少し。27歳の私が一人で貯めた金だった。

タヤから電話が来た。翌朝、彼は叫んだ。「金どうしたんだ!」「私名義の口座です。4月と5月の引き落とし分は残してあります。」「私が嫌だと言ったら、自分で勝手にすればいいと言ったのはタヤさんです。この家にいるなら従えとも。だからこの家を出ました。」彼は黙った。

その日の夕方、電話で声が小さくなっていた。「母さんが返さないって言うんだよ。あの金から毎月5万自分の生活費に取ってたんだって。あと姉ちゃんに毎月5万送ってるって。」私は黙って聞いていた。

4月14日、南田さんの事務所で話し合いの席を作った。かず子は自分の潔白を証明するために、3冊のノートを持って来た。青と緑と茶色。角がすり切れていた。かず子はそれを誇らしげに机の上に並べた。「疑うなら見ていただいて結構です。」私はページをめくった。食費3万5000円、日用品、タヤ小遣い8万円、嫁小遣い2万円。その下に「私」5万円、「かよ」5万円、預かり5万5000円。合計30万円。入ってきたお金の欄には毎月「嫁30万」とだけ書いてあった。36月、36行、全部が「嫁30万」。タヤの名前は一度もなかった。

「お母さ、この入ってきたお金の欄に、タヤさんの名前がありません。」かず子の表情が動いた。「そんなはずないでしょう。」彼女はノートを引き寄せてめくった。指が止まらなかった。私は読み上げた。「4月、入り、嫁30万。5月、入り、嫁30万。」かず子の声が飛んだ。「もういいって言ってるでしょ。」ノートを閉じた。

その場で私が差し出した数字は単純だった。私の口座から3年間で504万円の固定費が払われていた。毎月30万円、36回、合計1080万円がタヤの口座へ振り込まれた。その1080万円の配分が、かず子のノートに記録されていた。そしてタヤの口座からは、家計に1円も入っていない。彼は自分の手取り28万円のうち、車のローン4万5000円、カード返済4万、趣味や飲み代に消して、残りの3万5000円を自分の口座に入れていた。結婚してからの9年で、私は彼のことを何も知らなかった。

私は言った。「お母さん、219万円と41万円の差、178万円はどこへ行きましたか?」かず子はしばらく黙ってから言った。「使ったわ。色々よ。みささんのために置いておくつもりだったけど。必要な時は使うでしょ。家のお金なんだから。」ノートには、美容院6000円、通販9000円、通販1万1000円。預かりの欄から足りない分を毎月抜いていた。記録は何も残っていなかった。

タヤは言った。「じゃああの30万は返せよ。」かず子はきっぱぱと返した。「返さないわよ。あれは3月分の生活費をもう配ったの。お姉ゃんにも送ったし、私の分も引いたし。」

その席の終わりに、私は離婚届けを机の上に置いた。「離婚してください。今日でなくて構いません。」タヤはその紙を見て、別の言い方探したようだった。「じゃあ金は返してもらうからな。俺の取分。」「はい。今日その計min算もします。ただ、その前1つ別の計min算をさせてください。」

私は電卓を出した。タヤさんの手取り、月28万円。車のローン4万5000円を引く。お母さんへの援助5万円を引く。家賃9万8000円を引く。光熱費2万2000円。通信1万2000円。保険8000円。カード返済4万円。電卓の画面に数字が残った。5000円。「この5000円の中から、食費も飲み代も車の保険も出してください。」タヤは画面を見たまま言った。「無理だろ、そんなの。」「タヤさん、じゃあ月に1万円で頑張ったら?」彼が見た。私は続けた。「私にはそれで十分だったんでしょう。3年間、私の小遣いは2度下がりました。その1万円で、私のすべてをやりくりしていました。」

かず子が口を挟んだ。「私は家計を見てあげたのよ。」「お母さん、見ていただいたのは私の給料です。お金を見てあげる人は、そのお金を使っていい人ではありません。見るのと使うのは別のことです。」かず子は何か言おうとしてやめた。

その日、財産分与の話になった。私の口座の410万円のうち、結婚前からあった180万円は分ける対象外。残りの230万円が婚姻中に増えた分。車は売れば133万円、ローンが残り34回、売っても20万円足りない。私の取分は151万円。私は79万円をタヤに払うと言った。「はい。算数の通りです。」タヤは自分の手を見ていた。

離婚が成立したのは7月10日。私は79万円を窓口で振り込んだ。控えはあの薄い青いファイルの最後に閉じた。37枚目だった。

私はせを戻さなかった。不活のままで働いている。同じ厨房で、火を入れて盛り付けの手順を回している。変わったのは、入る時間と帰る家だけだ。実家では母が先に起きて、台所の電気をつけて味噌汁の匂いを立ってている。「1人分作るのも2人分作るのも同じよ。」母はそう言う。2人分の方が手間がかかることを、私は仕事でよく知っている。知っていて「ありがとう」とだけ言う。

8月25日、給料日。入金の通知。30万円。私は紙を1枚出して書いた。家に入れる分5万円。貯金7万円。食費と日用品4万円。自分のもの3万円。残りは11万円、車のための積立て。どの行も、私が決めた行だ。

昼前、母を誘った。「あのお店、まだある?」「あるわよ。」駅前の養殖屋。母はハンバーグ、私はエビフライ。「半分こする?」「するに決まってるでしょ。」母は来る前から皿の置き場を決めていた。私たちは半分ずつ交換した。父と母がやっていたのと同じやり方だ。食べ終わって、私は伝票に手を伸ばした。「今日は私が出すよ。」母が驚いた顔をした。「自分のお金を自分で使えるのが、ちょっと嬉しくて。」母は何か言おうとしてやめて、小さく頷いた。「じゃあ、ご馳走様。」

店を出ると8月の日差しが強かった。母が日傘を開いて、私の方へ半分かけてくれた。「また来ようね。」「来月にする。」「来月ね。」今度はその言葉に嘘がなかった。3年前の3月に「来月ね」と言った約束。果たすのに3年と5ヶ月かかった。

3年の間、私は自分が我慢しているのだと思っていた。取られていたのはお金だと思っていた。あの日、義母から渡された1万円を見て、私は初めて気づいた。自分で稼いだお金なのに、使う許可まで誰かにもらう必要なんて、なかったんだ。これからは自分の献立てを、自分で組んでいきたい。足りない分をどこから持ってきて、余った分をどこへ回すか。それを決めるのは、「任せておけ」と言った人ではない。数えた人だ。

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