「お前はとんだ詐欺師だよ。まさか子供を産めない女だったとはな。今日から新しい嫁のアイリと一緒に住む。お前はさっさと出て行け」
夫の修平は、義母と愛人を連れて家に上がり込むと、離婚届へのサインを迫った。義母も追い打ちをかけるように、私には息子にふさわしくないと言い放った。
しかし私は動じなかった。
「へえ、サインなんてできませんよ。すでに私と修平は離婚していますから」
夫と義母の表情が一瞬で変わった。隣にいた愛人アイリも目を細め、理解できないといった様子だ。私はため息をついた。愛人を実家に連れてきて同居宣言する方が、よっぽど理解できなかった。
「お前は本当にバカだな。離婚するのは今からだろうが。ショックすぎて頭おかしくなったのか」
「負け惜しみなんてありませんよ。潔く出ていってください」
彼らは気持ち悪い笑みを浮かべていたが、私も心の中で笑っていた。私は全てを知っている。夫が重大なミスをしていることも。
「修平、残念だけど取り返しがつかないわ。それを今から教えてあげる」
こうして私の復讐は静かに幕を開けた。
「もう一度言いますね。私と修平は離婚しています。修平が自分の意思でサインした離婚届を役所に提出してきました。だから離婚は成立しているんです。1ヶ月前に」
「1ヶ月前に?何を言ってるの?修平がサインしたっていうの?嘘ばっかりつかないでよ」
義母の声は鋭く、その目には私に対する長年の不満が透けて見えた。息子が絶対に正しいという考えが義母にはあるのだろう。
「嘘なんかじゃありません。修平はちゃんと私の目の前でサインしました。彼が覚えていないだけなんですよ」
「まさかお前、俺が寝てる間に勝手にサインさせたのか?卑怯だぞ。俺に無断で離婚届にサインさせるなんて何考えてんだよ」
夫は私を指さし、まるで裁判官のように私を非難する。しかしその言葉には真実味が欠けていた。
「そんな手もあったわね。でも残念ながらそんなことはしてないのよ。言ったでしょ、修平は自分の意思で離婚届にサインしたの。ベロベロに酔っ払っていたけどね」
夫の顔が引きつった。やはり覚えていないのだ。義母は動揺を隠せない様子で夫に問いかける。
「修平、本当にそんなことしたの?本当に覚えてないの?」
「そんなはずないと言いたいところだけど、正直覚えてない」
義母は息を飲んだ。夫がここまで無責任なことを言うとは思っていなかったようだ。
「とにかく1ヶ月前に提出しましたから、離婚済みです。あと、すでに新居も見つかっているのですぐに出ていきますよ」
私の冷静な口調が夫をさらに追い詰めたのか、悔しさが滲んでいた。しかしそんな表情も長くは続かなかった。アイリが夫の肩に手を添え、微笑んだのだ。その瞬間、夫は再び勝ち誇ったように胸を張った。
「待てよ。よく考えたら何も問題ないだろう。役所に行く手間が省けただけじゃないか。これで俺は晴れて独身だ。アイリと結婚して俺たちの新しい人生が始まるってわけだ。どうだ、悔しいだろう」
「全く子供も産めないあなたが最後に役に立つことしたじゃないの。さあ、荷物をまとめてさっさと出て行ってちょうだい。修平みたいな優秀な男には、あんたなんか最初から釣り合わないって思ってたのよ」
義母の言葉はいつも通りの冷たさだった。私は耐え切れず声を上げて笑ってしまった。義母も夫もアイリも、何が起こったのか分からないように呆然と口を開けて私を見ている。
「おい、何がおかしいんだ。俺たちが何も分かってないってどういう意味だ」
「別にバカにしてるわけじゃないわ。ただ哀れだなって思っただけよ。修平もお母さんも、人の欠点を探すのは得意なのに、本当に大事なことには全然気づいてないんだものね」
私はアイリに視線を移す。彼女は私の目を真っすぐに見られず、視線を外した。
「修平、あなた簡単に再婚できると思っているみたいだけど、それは無理よ。だってアイリさんには旦那さんがいるんだから」
その言葉と同時に部屋の空気が一変した。
「おいおい、何を言い出すかと思えば、そんなくだらない嘘かよ。やっぱりお前の頭じゃその程度のことしか考えつかないんだな」
夫と義母は笑い飛ばすが、アイリの顔色が変わった。彼女は震える声で反論する。
「奥さん、あなた不妊だから私に嫉妬してるんでしょ。赤ちゃんにも恵まれないし、最愛の旦那さんにも捨てられて、本当にかわいそうな人だわ」
「不妊でかわいそうな女だなんて、皆さん本当に好き放題おっしゃいますね。でも、これを見た後も同じことが言えますか?」
私は持っていた一枚の書類をアイリに手渡した。彼女はしぶしぶ受け取ると、慎重に視線を落とした。内容を確認した瞬間、その顔色がみるみる青白くなる。
「アイリ、どうしたんだ?何が書いてあるんだよ」
夫もその書類を覗き込むと、瞬時に同じように顔が真っ青になった。義母がその書類を奪い取るようにして確認する。
「ふ、嘘よ。こんなこと信じられないわ。修平が……不妊症ですって」
「ええ、お母さん。残念ですが、これは事実なんです。私と修平の間に子供ができなかった原因は、私ではなく修平にあったんですよ。私は不妊治療を始める前に、修平にも一緒に検査を受けてもらえるようお願いしたんです。でも修平は『不妊はお前のせいだ』って決めつけて、話すらまともに聞こうとしなかった。それでも私は修平の機嫌を取りながら、検体だけは提供させることに成功しました。すぐに検査に出した結果がこれです」
私はさらに私自身の検査結果が「異常なし」と記された書類も見せた。
「今この場にいる3人は、一体どんな気持ちでいるのでしょうね。私を不妊と決めつけ、勝手に哀れんでいたのに。蓋を開けてみれば不妊だったのは修平の方だったなんて」
夫が耐え切れなくなったのか声を荒げた。
「なんで今まで黙ってたんだよ。そんな重要なこと分かってたならすぐに言えよ」
「ショックを受けたからって私に八つ当たりしないでくれる?私だって2人きりの時にちゃんと話すつもりだったのよ。でもあなた、私の話なんて最初から聞く気なんてなかったじゃない。ちょうど不妊検査の結果が出た頃から、あなた残業だとか外出だとか言って家に全然帰らなくなったでしょう。電話もメールも無視して、そんな状態で一体どうやって伝えればよかったの?」
夫は何も言えず、ただ呆然と立ち尽くしていた。数秒間の沈黙の後、義母が震える声で問いかけてきた。
「まさか、桜子さんは最初から修平とアイリさんの関係を知っていたの?」
「ええ、もちろん知っていましたよ。あれだけ露骨に家に寄りつかなくなったら、誰だって浮気を疑いますよ。疑い始めたら、それを確認するための調査が必要ですからね。私は徹底的に調べましたよ。修平のことも、アイリさんのことも」
義母はその場に崩れ落ちた。私は微塵で両膝を軽く叩いた。
「さて、ここで問題です。修平が不妊だと判明しました。ですが、アイリさんは妊娠しています。一体誰の子なんでしょうね」
その言葉が響いた瞬間、部屋の空気はさらに冷え込んだ。夫と義母の目が、一斉にアイリに向けられた。アイリは青ざめ、呼吸が荒くなっている。
「証拠がないわ。その検査結果が本物だって誰が証明するの?そんなもの、奥さんが捏造することだって簡単にできるでしょう」
「本当にかわいそうな人だわ。素直に認めて謝罪すればよかったのに。どうしてここまで自分を追い詰めるのかしら。アイリさん、これをあなたにプレゼントするわ。しっかり受け取ってね」
私はポケットから名刺を取り出し、アイリの手に押し付けた。彼女の顔色はさらに青ざめていく。
「アイリ、どうしたんだ?その名刺は何だ?」
アイリは無言で名刺を差し出した。そこには「現打商事 代表取締役 現打小一郎」と記されていた。
「ちょっと2人ともどうしたって言うの?その名刺が何だっていうのよ」
義母は名刺を取り、声を上げた。
「これって、修平の務めている会社の社長じゃない?どうして桜子さんがこれを?」
「お母さん、もう分かってるでしょう。現打社長はアイリさんのご主人ですよ。一郎さんはアイリさんのご主人です」
義母は今度こそ勢いよく床に膝をついた。
「嘘でしょ?勤務先の社長の奥さんと浮気してたなんて。修平、あなた本当に何も知らなかったの?」
「知るわけないじゃないか。そもそもアイリが既婚者だってことも知らなかったし。ていうか、俺社長の奥さんを寝取ったってこと?かなりまずいよな、それって」
アイリは私をじっと見ながら下唇を噛んでいた。
「どうして私の旦那のことが分かったの?」
「それはね――」
私が答えようとした瞬間、義母が突然立ち上がり、私の胸ぐらを掴んできた。
「桜子さん!もし慰謝料が必要なら私が払ってあげるわ。でも何でもしてあげるから、このことは私たちだけの秘密にして、最初からなかったことにしましょう。それが一番の解決策よ」
「お母さん、もう何もかも遅いですよ。現打社長も全て知っていますからね。どうして私がアイリさんの旦那さんが現打社長だと分かったのか。それは現打社長から私に相談があったからです。現打社長は私よりも先に、修平とアイリさんの浮気にたどり着いていましたから」
義母の目が一瞬で驚愕に広がった。
「現打社長はアイリさんと離婚する準備を進めているようですよ。良かったじゃないですか。これで修平と再婚できますし」
「ま、待って。確かに現打小一郎は私の旦那だけど、お腹の子供は修平さんとの子供よ」
「お腹の子は、アイリさんと現打社長の子供ですよね。間違いありません。現打社長の協力を経て確認済みですから。今は妊婦の血液と男性の細胞で、親子鑑定ができるんですよ」
アイリはとうとうその場に座り込んでしまった。3者三様に呆然とする中、夫だけは何やらブツブツと呟いていた。
「ふざけるな。散々俺に甘い言葉を囁いておきながら、全部嘘だっただと。そもそも配偶者の会社の人間と浮気だなんて。何考えてるんだ、この非常識女が」
「美しいバラには棘があるって言葉知らないの?ちょっと美味しい思いができたからって、本気になっちゃってバッカみたい」
「なんだと?お前誰に向かって物言ってんだ」
「いい?あなたが出来損ないだったせいで、浮気がバレたのよ。誰に向かってですって?それこそあなた、誰に向かって吠えてるのよ。私は社長夫人なのよ。あなたは私に遊ばれても文句言えないのよ」
夫は二、三歩後ろに下がり、乾いた笑みを浮かべた。
「そうか。それがお前の本性なんだな。よくわかったよ」
夫はアイリの隣を通り過ぎ、私の前に立ちはだかると、突然私の手を取った。
「桜子、目が覚めたよ。回り道しちゃったけど、やっと真実の愛を見つけたんだ。俺にはお前しかいない」
あろうことか夫の唇が勢いよく私の唇に迫ってくる。私は本能的に恐怖を感じ、間一髪のところで逃れた。発作的に股間を蹴り上げ、部屋の隅まで後ずさった。
「桜子、お願いだ。聞いてくれ。俺の本当の気持ちを」
一方、義母は「真実の愛」という言葉に目を輝かせ、復縁を迫る夫を擁護し始めた。
「いい加減にしてほしい」私は夫を無視して義母へ問いかけた。「お母さん、1つだけ答えてください。子供が産めないと役立たずなんですよね。私はそんなこと1ミリも思いませんが、修平は役立たずってことで間違いないでしょうか?」
義母の目の輝きが一瞬にして消えた。
「さて、ここでお別れです。自分のしたことは自分に跳ね返ってくるものなのよ」
夫はまだ痛む股間を抑えながら、懸命に手を伸ばしてきたが、私がその手を取ることはなかった。
「役立たずって言われる気持ち、少しは分かった?」
私が満面の笑みを向けると、夫は呻きながらようやく謝罪した。
「すまなかった。俺が悪かったんだ。だから1度だけ許してくれないか。生まれ変わって見せるから」
「浮気は病気って言うでしょ。そんな簡単には治らないのよ。他人となった私が、そう気長に病気に付き合うわけないでしょ」
そのまま私は実家を後にする。もう振り返ることもなかった。
その後、夫は私と社長の双方から慰謝料を請求され、会社も風紀上の理由で首になった。彼はエリートとしてのプライドを抱えながらも、家の中では以前と変わらず傲慢な振る舞いを続けていたが、その自信を支えていたものはすでに崩れ去っていた。会社を追われ、転職もままならず、結局彼は時給の低いアルバイトを掛け持ちしながら借金返済のためだけに生きる毎日を送っている。
一方、社長は妊娠中のアイリに激しく攻め立てることはせず、温かく見守った。アイリはそれを許されたと錯覚したが、子供が生まれて間もなく、社長は赤ん坊を自分の親に預け、アイリに離婚を迫った。彼女も夫と同じように転落していった。
そして私は、無事に就職し、気ままな一人暮らしを始めた。ストレスフリーな生活を送っているうちに、数年後、仕事で知り合った人と縁が生まれ、再婚することができた。再婚した翌年には、念願の我が子をこの手に抱くことができた。新しい家庭での生活は、私にとって新たな希望と喜びの源となった。


