「お前なんか介護するしか使い道ないんだよ。完全に女捨ててるくせに」
夫・義友は笑いながらそう言った。横では義母がニヤニヤと私を見ている。
ありがとう、二人とも。私の我慢の限界をようやく断ち切ってくれて。
私は裕子、55歳の主婦だ。子供は二人いるが、もう独立している。59歳の夫・義友と、平凡な二人暮らしだった。あの日までは――義友が突然、義母と同居すると言い出すまでは。
義母は我が家から車で一時間ほどの実家で、義友の姉夫婦と暮らしていた。そんな義母が階段から落ちて腰を強打し、車椅子が必要な体になってしまった。しばらくして義姉夫婦が介護を引き受けることになったが、それから一ヶ月も経たないうちに義姉がこう言い出したらしい。
「実は、旦那の実家の方に入るよう前から言われてたのよ。悪いけど、後はよろしくね」
どうやら数週間で介護に嫌気が差したようだ。それを義友から聞いて呆れたが、もっと驚いたのは義友の一言だった。
「姉さんたちが出ていったら、すぐに実家に引っ越すから」
「え、そんな話、決まったの? 私はあなたから一言も相談されてないけど。私たちのこの家はどうするの?」
「大丈夫だよ。お袋は優しいし、介護って言っても車椅子で動けるんだから。この家は貸すなり売るなりすればいいさ。もう姉さんと実家は俺が相続するってことで話はついてるから」
物事をあまりにも簡単に考えている。車椅子で動けると言うけど、車椅子がないと動けないってことなのよ。トイレに行くのだって一苦労なんだと必死に訴えた。
「ま、なんとかなるって。いざとなれば俺も手伝うし」
いざとなれば――つまり、ほぼ私に丸投げするということだ。腹が立ったし、それ以上に不安が押し寄せた。けれど、車椅子の義母を一人にしておくわけにもいかず、私はしぶしぶ同居を了承した。
同居が始まってから最初の一ヶ月は、特に問題なく過ぎた。もちろんお互い慣れないから失敗も多かったけれど、義母はできるだけ自分でやろうと努力してくれたし、何度も「ありがとう」と言ってくれたから、心の負担は軽かった。
しかし、体が思うように動かせないことが義母にとって大きなストレスだったのだろう。無理な体勢で物を取ろうとして車椅子から落ち、腰をさらに痛めてしまってから、だんだん性格が変わってきた。
「もっとちゃんと私の部屋を掃除してくれないかしら」と言ったかと思うと、次の瞬間には「ああ、もう掃除機の音がうるさいわ。早く部屋から出ていってちょうだい」と大声をあげる。そして義友に「裕子さんたら、私の世話が嫌で嫌で仕方ないみたい。嫌がらせばっかりするのよ」と告げ口をする。
それを聞いた義友が、「お前、夫の母親を敬おうって気持ちはないわけ? この家にただで住ませてやってるんだから、もっと感謝して介護しろよ」と私を怒る。この繰り返しだった。
さらに義姉からも苦情が来るようになり、私はもうへとへとだった。肉体的にも精神的にも限界を感じ、ヘルパーに来てもらうことを思いついた。義母は要介護3の認定を受けていて訪問介護を受けられるのだが、「赤の他人に世話をされるのは嫌だ」と拒否し、今まで一度も使ったことがなかった。
でも、もう義母の意思を尊重していられる状態ではなかった。私は自腹でヘルパーを呼ぶことにした。
それが大失敗だった。とても感じのいいヘルパーさんだったのだが、義母は彼女に向かってこう言ったのだ。
「あんた、私の部屋に入らないでちょうだい。何を盗まれるか分かったもんじゃない。あんた、いろんな家に出入りしてるんでしょ? そんな汚らわしい人に触れて欲しくないわ」
ヘルパーさんを「あんた」呼ばわりした上に、彼女の誇りを傷つける暴言のオンパレード。一ヶ月もしないうちに契約を解除されてしまった。
さらに義友は、私が勝手にヘルパーを頼んだことが気に食わず大激怒した。
「自分がサボりたいからって、勝手なことしやがって。そんなのに金を使うぐらいなら、お袋にもっとうまいもの買ってやれよ」
「だってもう耐えられないのよ。介護だけでも大変なのに、お母さん、私にすごくきつく当たるんだもの」
涙ながらに訴えたのに、義友は「何嘘をついてんだ。お袋が暴言なんて吐くわけないだろうが。本当にお前は心が歪んでるな」と怒鳴った。結局、また私一人で義母を介護することになってしまった。
私はこの時、腹を決めた。口先ばかりで指一本動かそうとしない義友に、介護がどれほど大変か思い知らせてやろうと。
最初は、義母の車椅子の乗り降りを義友に手伝ってもらうことにした。しかし義母は、私が手伝う時にはわざと全体重を私に預け、重くてうまく移動させられない私を罵倒する。なのに義友が手伝う時は、できるだけ自分の体を自分で支え、「義友は本当に優しいね。嫁とは大違いだわ」と猫なで声を出す。また私が悪者だ。
「介護なんて全然大変じゃないわ。悲劇のヒロインぶるのはやめろよ」
そう義友に言われ、私はぶち切れた。義母が脱ぎ捨てた下着を義友に投げつけてやったのだ。
「うわ、くせえ。なんだよこれ」
「お母さんの汚れた下着よ。こんなに臭いの。これを毎日私が手洗いしてるのよ。義友も一度洗ってみなさいよ」
義友は一瞬言葉に詰まり、「せ、洗濯機があるだろう」と反論した。
「いいわよ。洗濯機で直接洗っても、他の洗濯物に匂いや色が移るし、雑菌もつくと思うけどね。明日からあなたの服は全部、お母さんの汚れた下着と一緒に洗わせてもらうわ。それでいいわよね」
そこまで言ってやると、義友はもう言い返せなくなった。しかも翌日、私は有言実行で、夫のお気に入りのシャツを義母の汚れた下着と一緒に洗濯した。心なしか微妙に匂いと色の残るシャツを見た義友は、すぐにポータブル洗濯機を買ってきた。
「このくらい自分で買えよ」とぶつくさ言いながら、一言も謝らない。腹が立ったけれど、ほんの少しだけすっきりした。
しかし、義母の私に対する態度は悪化の一方だった。怠けてばかりでちゃんとリハビリをしなかった義母は、今やほとんど寝たきりになっていた。床ずれを避けるためしょっちゅう義母の体を動かすようにしていたのだが、元々太り気味だった義母は寝たきりになって七十キロ以上に増え、私一人で動かすのは無理だった。
そしてついに先日、力がうまく入らず、義母をベッドの反対側に落としそうになってしまった。すると義母は大声で言った。
「遺産目当てで私を殺そうとしてるんでしょ。愛憎ね。あんたには一円もやらないからね」
その言葉にぷつんと来た私は、彼女ににっこりと微笑んだ。
「ということは、私がお母さんを介護しても、私が損するだけってことですよね。じゃあ、もうやめようかな」
義母はぎくりとして、「あ、あんた、嫁の分際でなんてこと言うの?」と声を震わせた。
「うーん。実はその嫁っていうのも、やめようかなって考えてるんですけど」
そう返してやると、義母は真っ青になり、「出ていけ。この部屋から出ていけ」と金切り声をあげた。多分、義友に電話するつもりだろう。
案の定、それから二時間も経たずに義友が会社を早退してきた。
「お前、お袋の介護が嫌だからって、俺と離婚するって言ったんだって?」
「そうね。考えてるわ」
すると義友は私を小ばかにした目つきで見た。
「離婚してどうする気だ? 今更仕事なんかできっこないよな。他の男でも捕まえる気か? 無理、無理」
横で義母がニヤニヤしている。
「別にそんなこと考えてないわ。でも『無理』ってどういう意味よ?」
「お前、もう五十過ぎてんだぞ。それに最近鏡見てないだろう。完全に女捨ててんじゃないか。ぼさぼさの髪にすっぴん、しかもシミ。それで引っかかる男がいるとでも思ってんのか。お前なんか介護するしか使い道ないんだよ」
義友は笑った。しかし私は全くめげずに言い返した。
「あなたのシャンプーや整髪剤、育毛剤、誰が買ってきてあげてると思う? Yシャツにアイロンかけてるのは? 背広をクリーニングに出してるのは? 私がいなければ、あなただって『男を捨ててる』って言われるのよ」
義友は私の言葉に真っ赤になり、自室へと逃げていった。そして誰かに電話をかけ始めた。多分、義姉に応援を頼んだのだろう。
思った通り、それから十五分後、義姉から電話が来た。
「ちょっと、お母さんにひどいことした上に離婚ですって? 何考えてんのよ」
「何って? 離婚です」
私はわざと淡々とした声で答えた。
「ふざけないで。一体誰がお母さんの面倒を見るのよ」
「さあ、義友とかお姉さんでしょうね」
「冗談じゃないわ。私は夫の両親を見てるのよ」
「そちらは見なくていいんですよ。義務じゃないんで。私は親の面倒は血の繋がりがある家族がする義務であり、嫁は旦那さんの両親を見る必要はないと説明したわ」
「そうはわけにはいかないわよ。常識でしょ」
「常識ねえ……ところで、私、お母さんに『遺産目当て』だって言われたんですけど、本当にお父さんの遺産なんてあるんですか?」
「え? 何よ、急に」
「え、本当にあるなら、お母さんが亡くなったら大変かなって」
「はあ? 何がよ。私と義友とで半分ずつよ。残念ながらあんたには権利はないわよ」
義姉は意地悪そうな声で答えた。
「私のことはいいんですけど、どうでしょうか?」
「何が言いたいのよ」
しびれを切らしている義姉に、私はこう言ってやった。
「義友のことだから、お母さんに取り入って遺産を独り占めするんじゃないかって心配で。最近、やたらとお母さんと話し込んでるんです。もしかしたら『遺産は全て義友に』って遺言するようお願いしてるのかもしれませんね」
実際、義母と義友は二人で遺産がどうのとひそひそ話していたから、案外間違っていないかもしれない。義姉も「義友ならやりかねない」と思ったようで、押し黙った。
そこで私は畳みかけるように言った。
「お姉さん、今私が話したことが心配なら、一日も早くこちらに帰ってきてお母さんのお世話をした方がいいですよ。お母さん、最近寝たきりなんで、いつ何が起こるか分かりませんし」
私はそれだけ言うと電話を切り、スーツケースに最低限の私物を詰め始めた。
そして翌朝、義友の出社後、離婚届をテーブルの上に置いて、実家を出たのだ。
案の定、義姉はその日のうちに実家に飛んできて、自分が義母の介護をすると言い出したようだ。しかも「もうあの旦那はいらない」と、夫と離婚してきたらしい。
義友は、私が離婚届を置いて出ていってしまい困っていたため、最初は大喜びだった。そして離婚届にサインして送り返してきたので、私は役所へすぐに提出。慰謝料や財産分与については弁護士に頼んで、しっかりとゲットした。
その後、義友は「義姉が家に帰ってきたのは遺産目当てだ」と知ったようで、義母を挟んで大喧嘩の日々が続いていたとか。近所中に聞こえるような大声で罵り合っていたらしい。
それから数年後、義母が亡くなったようだ。葬儀に参列した人によると、かなり安めの式で、しかも義姉が葬儀屋と請求のことで揉めていたそうだ。義母は遺産になるような財産など、実は持っていなかったのかもしれない。そうだとしたら、ちょっと笑える。
私は離婚後、妹夫婦のところに住むようになった。夫との離婚は子供たちには話していなかったので驚かれたが、一部始終を話すと納得してくれた。今はパートに出て妹夫婦に生活費を入れながら、孫の世話を楽しんでいる。



