「おい、さっきから黙って聞いてればいい気になりやがって。俺らを誰だと思ってんだ? 青龍会の綺麗だぞ。ふざけすぎてるから100万よこせ。お前、会社の社長なんだろ? お前の会社をめちゃくちゃに潰されたくなければな。100万出せ、こら」
俺は思わず声を出して笑ってしまった。さっきまで10万円だったのが、いきなり100万円に跳ね上がったんだ。こいつら、何を言ってるんだ?
「知らねえのか? ヤクザだぞ。組長を呼んで片をつけてやるからな」
「それは脅しですか?」
「脅しに決まってるだろうが。これが見えねえのかよ」
そう言って、また中途半端な掘り物を見せてくる二人のヤクザ者。俺はもう一度笑うしかなかった。
俺は藤堂。身長だけは180センチあるが、吹けば飛ぶようなガリガリ君だ。会う度に何か病気を抱えてそうとか言われる見た目だ。
「そのサングラス、必要なんか? あなたに似合ってないのよね」
そう言ったのは、隣に座る妻の玲子だった。
「ああ、似合ってないよね。けどさ、下りて眩しくって歩けないんだよ。特に今日みたいにギラギラ朝日が強いとね」
「言われてみれば、そうだったわね」
「それにお兄さんに頂いたんだ。明日お兄さんに挨拶に行くのに、使ってなかったらどやされちまう」
「それもそうね」
玲子はくすっと笑って、俺には似合わない大きなブランドロゴがついたサングラスをかけ直してくれた。
俺と玲子は結婚20周年を祝って、温泉宿に旅行に来ていた。実は事情があって、俺たちの間には子供がいない。その代わりに、玲子の兄が既婚にも関わらず他の女性に生ませた子供を引き取って、幼い頃から組んで育てていた。俺に言わせれば、義兄の知り合いみたいな子供の引き取り方だった。しかし、そんなことを言ってしまえば、俺は今ここで玲子と温泉宿でのんびりしていないだろう。
それは、親戚中誰しもが触れることのない話題だ。追いを引き取ることに意義を唱えそうになったことはあったが、俺は無理やり割り切って心の底にしまい込んでいた。その気持ちは、もちろん墓場まで持っていかなければいけない。その兄がくれたサングラスだから、俺は一応大事に使っている。
いや、そんなことを思い出すための旅行じゃない。今は愛すべき妻の玲子との、月の間の休みを楽しむべきだ。そう思って、俺は気持ちを切り替えた。
逃げるのは簡単だが、浴衣姿に温泉旅館のっかけという、ほぼ丸腰の装備だ。俺がチーター並みの瞬速だとしても、同じ装備の玲子と一緒だから、途端に捕まってしまうだろう。
「いや、大丈夫じゃないか」
「それはそうかもしれないけど、どこからそんな自信が来るのよ」
「まあ、今日は大安吉日で一流満売日で転車日だし」
「何それ?」
俺は玲子に見えないように、サングラスの奥で目を細めた。この後、この温泉宿で何が起こるか、俺はまだ知らない。



