日本に一時帰国中の俺は、取引先への挨拶回りをしていた。最後に訪れたのは新命産業という企業だ。応接室に入ってきた男は、いきなり高圧的な態度を取ってきた。
「なんだお前、貧乏臭い格好しやがって。」
名乗っても信じてもらえず、「海外の大企業の社長が日本人なわけねえだろう。営業の嘘つきが」と言って、手に持っていたコップを俺に向かって投げつけてきた。コップは肩をかすめて床で砕け散った。
俺は黙って立ち上がり、その男を一瞥する。そして無言のまま社を後にした。心の中で静かに決めた。この会社との契約は、今を持って終了だと。
俺の名前は神賢介。今は世界的に展開する外資系企業バリウスグローバルのCEOを務めている。幼い頃は日本で育ち、両親からは礼儀や思いやり、そして謙虚さを教え込まれた。何事にも感謝し、誰に対しても敬意を持つ。そんな姿勢が今の俺の基盤になっている。
だが、中学を卒業する頃、父親の仕事の都合で一家は海外へ移住することになった。見知らぬ土地、慣れない言語、不安だらけの毎日だったが、俺は現実から逃げなかった。語学を徹底的に学び、学業にも真剣に取り組んだ。友人も少ない中で孤独を味わいながら自分を磨き、ただ目の前の課題に集中した。
その努力が実り、俺は現地の教育制度の中で飛び級を果たし、通常よりも早く大学へ進学した。経済学と統計学を中心にビジネス全般に関わる分野を幅広く学び、高成績を維持し続けた。大学在学中にはインターンとして投資ファンドに所属し、初めて実務の厳しさと責任を経験した。
卒業後、世界中の金融エリートが集まるトレーディング企業でキャリアをスタートさせた。そこでも俺は独自の分析力と判断力を武器に短期間で成果を上げていった。一夜にして数十億単位の資産が動く世界で常に冷静と瞬時の判断が求められたが、俺はむしろその緊張感の中にこそ自分の居場所を感じていた。
26歳の時、ヘッドハンティングを受けてバリウスグローバルに入社。実績が認められ、わずか数年で経営陣の一角に加わることとなった。部門を超えた改革やコスト管理の徹底で業績は右肩上がりとなり、ついには最年少でCEOの座に就任するに至った。
この度、数年来の懸案だった日本市場への本格参入を決め、その足がかりとして新命産業との提携を検討するため、自ら挨拶に訪れたのだ。だが、まさかここまで馬鹿にされるとは思ってもみなかった。
その後、俺は冷静に状況を整理した。新命産業との契約は当初から不透明な部分が多く、実はこちらとしても乗り気ではなかった。しかし、日本の伝統ある企業との繋がりを大切にしたいという思いから、あえて訪問したのだ。
それなのに、あの態度だ。礼節を欠いた対応に、怒りよりも失望が勝った。しかし、俺は感情的にならず、ビジネスとしての的確な判断を下すことにした。
数日後、新命産業の社長である藤崎という男から、直接謝罪の電話がかかってきた。
「先日は申し訳ありませんでした。まさか本当にバリウスグローバルの社長だとは氣づかず。ぜひ、改めてお会いしてお詫びさせてください。」
電話越しの声は、表面上は丁寧だが、どこか探るような感じだった。俺はしばらく黙って、その男の本心を測るように聞いていた。そして、こう言った。
「謝罪が必要なのは、私ではなく、あなたが侮辱した日本のビジネス慣行に対してです。私はこの件を真摯に受け止めています。ですが、契約の件は白紙とさせていただきます。」
藤崎は慌てた様子で食い下がったが、俺の決意は固かった。このような人物のいる企業とは、長期的なパートナーシップを築くことはできないと確信していた。
俺は一言だけ付け加えた。
「日本人として、日本の企業を舐めないことです。」
そして、電話を切った。



