俺は坂本、38歳。精密機械部品を製造する従業員8人の小さな工場を経営している。うちの工場には、生産ラインの自動制御に使う制御盤とセンサーユニットに関する3つの特許技術がある。今日、半年かかった大仕事がようやく完成した。
八中社という食品製造の大手メーカーが新工場を建設するにあたり、生産ラインに組み込む自動制御機器の製造を俺たちに依頼してきた。依頼があったのは半年前のこと。大手メーカーの技術部、森田課長から渡された設計図を見た瞬間、大規模な自動制御システムが必要になることが分かった。俺は覚悟を決めた。この案件は確実にうちの会社の名を左右する。銀行から1億5000万円を借り入れ、設備投資と材料費に当てた。もし失敗すれば会社は倒産する。
大手メーカーの森田は技術を理解する人物で、この半年間、何度も相談に乗りながら製造を進めてきた。そしてついに、その自動制御システムが完成した。工場内に従業員たちの歓声が響く。
「社長、やりましたね」
ベテラン従業員の川島が俺の肩を叩いた。川島はこの工場を支える頼れる右腕だ。俺は完成した機械を見つめた。これを工場に設置し、最終契約を結べば、初期費用として5000万円、特許使用料として年間3000万円の継続収入が見込める。数年で借金も返済できるし、従業員たちにボーナスも出せる。
システム完成から数日後、無事新工場での設置作業も終え、動作確認も進んだ。森田から「完璧だ」と太鼓判を押してもらった。残すは最終契約を結ぶことのみ。ここまで順調に来ている以上、滞りなく進むだろう。
数日後、最終契約を結ぶため、俺は大手メーカーの本社に向かう。大手メーカー側は、調達部長の野々村という男が対応すると、事前に森田から聞いていた。応接室に通されると、鋭い目つきの男が待っていた。調達部長の野々村だ。その威圧的な声に、俺はなぜか嫌な予感を覚えた。
「君のところで作ったという、その制御システムだね。実に素晴らしい出来だ。ただ、ひとつ問題があってね」
野々村は、書類を俺の前に差し出した。そこには、提示された金額が書かれていた。俺は目を疑った。
「これは……少なすぎます。初期費用5000万円では、材料費と人件費すら賄えません」
「そうか? うちとしては、この技術に払える価値はこの程度だと思っているがね。30円とは言わないまでも、取引価格はこの額で固定だ。どうしてもというなら、こちらからは何も言えないよ」
俺は頭に血が上るのを感じた。この開発のために、会社を賭けて借金した。その技術を、この男はたった30円の値段でしか評価しないと言っているのだ。森田は本当にこの契約をまとめるつもりがあるのか? いや、この男が決めるなら、この条件で押し切られるのは目に見えている。
「では、その条件で承知なら契約書にサインしてほしい」
野々村は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。俺は、このまま言われた通りにサインするべきなのか? 技術者としての誇りが許さなかった。
「待ってください」
俺は立ち上がると、静かに言った。
「この契約、お断りします」
野々村は驚いた顔をした。
「何を言っているんだ? ここまでの開発費用を無駄にするつもりか?」
「無駄にはなりません。うちの技術は、あなた方の評価が低いだけであって、それでも十分な価値がある。だったら、他にこの技術を必要とする企業を探します」
俺は、契約書を押し返した。野々村は、怒りで顔を赤くした。
「ふん、その技術があれば自分たちがいい思いをできると思っているのか? 笑わせるな。大手の企業ならともかく、小さな工場の技術なんて、どこに行っても通用するものじゃない」
俺は、何も答えなかった。答えても、この男には理解できないだろう。俺は応接室を後にした。
その夜、俺は森田に電話した。
「坂本さん、本当にすみません。私からも何度も言ったんですが、あの部長がどうしても……」
「森田さん、あなたは信じられないんですか? うちの技術を」
「信じています。でも、上の決めたことには逆らえなくて」
「ならいいです。あなたはあなたの立場で動いてください。俺は俺のやり方で、この技術を必ず評価してくれるところを見つけます」
電話を切った後、俺は工場の事務所で一人、コーヒーを飲みながら考えた。借金はまだ残っている。このままでは、会社を畳むことになるかもしれない。だが、技術を売り飛ばすことはしなかった。
翌日、俺は社内で会議を開いた。従業員たちに、契約が不成立になったことを伝えた。驚きと失望の声が上がった。
「社長、これからどうするんですか?」
川島が不安そうに尋ねた。
「大丈夫だ。俺の技術は、あの部長の評価だけが全てじゃない。他に必ず、この技術を必要としている会社がある。時間はないかもしれないが、一緒に走ってほしい」
従業員たちは、不安な表情を浮かべながらも、うなずいた。彼らは俺を信じてくれている。その信頼に応えなければならない。
それから、俺は必死で動いた。取引先を回り、技術を紹介した。だが、大手メーカーとの決裂が広まったのか、どの企業も腰が重かった。今のままでは資金繰りが続かない。焦りが募る。
そんなある日、森田から電話があった。
「坂本さん、ちょっと話がありまして。実は、他社の方からあなたの技術に興味を示しているところがあるんです。私から紹介してもよければ……」
俺は、藁にもすがる思いで、その紹介を受けることにした。
翌日、森田に案内されて、俺はある中堅メーカーの社長と会った。田中部長という、温かみのある男だった。俺は、技術の詳細を説明した。田中は、真剣な表情で聞いてくれた。そして、最後にこう言った。
「坂本さん、あなたの技術は素晴らしい。ぜひ、当社で使わせてほしい。ただし、我々も完全に信頼したわけではない。実地試験をさせてもらえないだろうか?」
「もちろんです。うちの技術が本物かどうか、見てください」
「……分かりました。それでは、3週間後、当社の工場で実地試験を行います。そこで性能を示していただければ、契約しましょう」
俺は、その3週間に全力を注いだ。工場の設備を再点検し、データを取り直し、さらなる改善を重ねた。従業員たちも一丸となって準備を進めた。そして、試験の日。
田中と数人の技術者が立ち会う中、俺は完成したシステムのデモを行った。緊張が張り詰める中、機械は静かに、しかし確実に動き始めた。指示通りの精度で、一切の狂いもない。
デモが終わった時、田中は拍手を送った。
「見事だ。坂本さん。あなたの技術は本物だ。ぜひ、当社と契約してほしい」
俺は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。絶対に、ご期待に応えます」
こうして、俺の工場は新たなパートナーと手を組むことになった。提示された条件は、当初の希望に近いものだった。借金の返済も可能になる。野々村の横暴な値下げ要求は、逆に俺に大きなチャンスをもたらした。
数年後、俺の工場には新たな特許技術が加わり、従業員は15人に増えた。あの日、俺は「30円」という侮辱的な評価に屈さなかったからこそ、今のこの結果がある。技術に正しい評価をしてくれる相手と出会えたことが、何よりの報いだった。
工場の片隅で、あの日の野々村の悔しそうな顔を思い出す。今、俺の技術は、あの大手メーカーよりも名誉なものになっている。俺は、もう一度機械の動作を確認すると、満足そうにうなずいた。



