閉店間際の定食屋に、ボロボロの服を着た女性が入ってきた。「あの、これください」――値引きシールの貼られた弁当を差し出すその声に、俺は息を呑んだ。高校時代、毎日弁当を分けてくれた初恋の人、白石さんだった。ガリガリに痩せた彼女は俺と目が合うと、逃げるように店を飛び出した。「待って!白石さんだよね!」道路で叫ぶと、彼女は震えながら立ち止まった。当時、学校一の美少女で社長令嬢だった彼女が、なぜこんな…

閉店間際の定食屋に、ボロボロの服を着た女性が入ってきた。「あの、これください」――値引きシールの貼られた弁当を差し出すその声に、俺は息を呑んだ。高校時代、毎日弁当を分けてくれた初恋の人、白石さんだった。ガリガリに痩せた彼女は俺と目が合うと、逃げるように店を飛び出した。「待って!白石さんだよね!」道路で叫ぶと、彼女は震えながら立ち止まった。当時、学校一の美少女で社長令嬢だった彼女が、なぜこんな...

「あの、これください」

閉店間際の定食屋に、一人の女性が入ってきた。値引きシールが貼られたテイクアウト用の弁当を手に、レジへと歩いてくる。聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには年を重ねたものの、高校時代の面影を残す人物がいた。

俺の初恋の相手、白石さんだった。

ガリガリに痩せ、ボロボロの服を着ている。しかし確かに彼女だ。

「え、白石さん?」

驚いて声を上げると、彼女は数秒固まったかと思うと、くるりと背を向けて店の外へ走り出した。

「待って!白石さんだよね!」

俺は店を飛び出し、道路の上で彼女を呼び止めた。びくっと肩を震わせ、彼女は立ち止まる。

高校時代、金がなくてまともな弁当すら食べられなかった俺に、毎日弁当を分け続けてくれた彼女。学校一の美少女と言われ、社長令嬢だった白石さん。雲の上の存在のような人だった。

なのに今の彼女の姿は、高校時代とはまるで逆で、お世辞にも健康的とは言えなかった。痩せ細り、顔色は悪く、今にも倒れてしまいそうだ。

一体彼女に何があったんだ。

この再会が、俺たちの人生を大きく変えることになろうとは、この時は知る由もなかった。

俺の名前は佐藤直樹。実家は小さな定食屋を営んでいる。家庭的な味で健康的な食事を安価に提供すること。それが父の方針だった。しかし俺が高校生の時、状況は大きく変わった。売上は順調に伸び、常連も増え始めた矢先のことだ。父は急逝した。急性心筋梗塞だった。

母は俺に悟られないよう気丈に振る舞っていたが、長年連れ添った父を失ったショックで体調を崩し、長時間立ち仕事をすることが難しくなった。営業時間を短縮せざるを得なくなり、売上は落ち込み、家計は苦しくなっていった。

それでも母は俺に毎日手作りの弁当を持たせてくれた。

「直樹、ほら、これお弁当。今日も学校頑張ってね」

「母さん、毎日ありがとう。行ってくるよ」

成長期の俺には、母の弁当の量では正直足りなかった。しかし家計が苦しいのを知っている俺は、量を増やしてほしいと言えるはずもなかった。

昼休み、母の弁当を食べていると、同じクラスの白石さんが話しかけてきた。

「佐藤君、ちょっといい?」

白石ま衣さん。学校一の美少女で、社長令嬢。そんな彼女に話しかけられたことに俺は驚いた。

「白石さん、どうしたの?」

彼女は鞄から弁当の包みを取り出し、俺の机の上に置いた。美味しそうな匂いがして、思わず喉が鳴る。

「お弁当食べきれなくて。量も多いし、実はあんまり好みの味じゃないの。もし良かったら、佐藤君食べてくれない?」

「え、いいの?」

白石さんはこくりと頷き、包みを開いた。中にはデパ地下に並んでいそうな高級そうな料理がぎっしりと詰まっている。

「すごい。俺こんな豪華な料理食べたことない」

「いいの。私、母が料理をしないからデパ地下で買ったものをそのまま詰めてるの。だから味にも飽きちゃって」

そう言うと、彼女は俺の弁当を見て言った。

「佐藤君のお弁当、本当に美味しそう。お家定食屋さんなんだよね。そういう家庭的な料理、憧れちゃうな」

「俺の弁当で良ければ、白石さんも食べる?」

「え、いいの?もし良かったら是非いただきたいな」

白石さんの豪華な弁当をもらうのと、俺の弁当を分けるのとでは釣り合わないことは分かっていたが、彼女は俺の弁当を美味しいと言って、嬉しそうに食べてくれた。

それから俺と白石さんは、一緒に昼を食べるようになった。

そんなある日、同じクラスの宮原にからかわれた。

「なあなあ、お前と白石さんって付き合ってるんだろ?学年中で噂になってるぜ」

「なんでそんな話になるんだよ」

「だってお前と白石さん、毎日弁当一緒に食べてるじゃん。で、どうなの?付き合ってんの?」

「付き合ってないよ。一緒に昼食べてるだけだって」

否定しつつも、学校一の美人と付き合っていると噂されていることが、なんだか照れ臭かった。白石さんが彼女だったら。そんなことを考えて、胸が高鳴る。

そんな時だった。白石さんが俺の隣に座り、弁当を広げた時、後ろから声が聞こえた。

「わ、佐藤、白石さんにおかず分けてもらってんのかよ。自分の弁当だけじゃ足りなくて、人のものまで食おうとするなんて意地汚いやつだな」

意地悪な笑みを浮かべ、宮原が立っていた。こいつは父親が会社をいくつか経営しているらしく、ことあるごとに金持ちアピールをしてくる。

「お前、上履きもボロボロだし、制服の丈も合ってないし。お前の家、そんなものも買えないくらい貧乏だもんな。横で弁当食ってる白石さんが可哀想になってくるよ」

俺の家が貧乏なのは事実だ。白石さんに弁当を分けてもらっているのも事実。でも、母は一生懸命働いてくれている。

「お前にそんなこと言われる筋合いはない」

俺が口応えすると、宮原はあからさまに不快そうな顔をした。

「宮原君、私も佐藤君のお弁当を分けてもらっているの。奪われてるわけじゃない。そんなこと言わないで」

白石さんがピシャリと言い放つと、宮原はショックを受けた様子だった。風の噂によると、宮原は白石さんに好意を寄せているらしい。

「貧乏な奴のそばにいると貧乏神が移るぞ。知らないからな」

そう吐き捨てて、宮原は去っていった。

「白石さん、ありがとう」

「いいの?私も佐藤君のお家のお弁当のおかず好きだし」

「毎日ありがとう」

俺は彼女の言葉に救われた気持ちになった。白石さんの優しさに触れ、好きという気持ちはどんどん大きくなっていく。

それにね、と白石さんは俺から視線を外して言った。

「私、佐藤君だったら付き合ってもいいよ」

「え、あ、俺でいいの?」

「うん。だから、周りから何言われても、一緒にお弁当食べよう」

俺は心臓の音が大きくなるのを感じながら、白石さんと弁当を食べた。

それから半年間、俺と白石さんは毎日一緒に弁当を食べた。今思うと、それが俺たちのデートだった。

宮原にはその関係が気に食わなかったらしく、ことあるごとに嫌味を言ってきた。その内容はどんどんエスカレートし、ついには他のクラスメートまで巻き込んで悪口を言うようになった。

「佐藤って本当に貧乏臭くて嫌だよな。あいつのそばに行くと貧乏神が移るから寄らない方がいいぜ」

宮原は一度ターゲットにしたものに対し、しつこく嫌がらせをするような質の悪いタイプだった。金持ちの息子で、怒らせたら面倒だというのは周知の事実。みんな宮原の意見に同調し、俺はクラスから孤立していった。

そんな時、白石さんが暗い表情で話しかけてきた。

「佐藤君、話があるの」

「白石さん、どうしたの?何かあった?」

「もう……食べない」

「え?」

「私はもう佐藤君とは一緒にお弁当食べない。別れよ」

雷に打たれたような気分だった。悲しみがどっと押し寄せ、目の前がクラクラする。

「白石さん、急にどうして?」

「とにかくもう嫌なの。別れよ」

彼女はそう告げると、逃げるように去っていった。

孤立している俺と一緒にいたら、白石さんまで悪口を言われるかもしれない。だからこれで良かったのだ。俺は自分に言い聞かせるしかなかった。

白石さんは俺を避け続け、俺はそれから一人で弁当を食べた。悪口を言われることはなくなったが、心にぽっかりと穴が開いた気分だった。

それから卒業まで、俺は白石さんと会話することはなかった。

八年後、俺は二十六歳になった。高校卒業後、料理人見習いとして大手チェーン店で二年間修行し、調理師免許を取得。母が守ってきた定食屋に戻り、後継者として奮闘する日々を送っていた。父が大切にしていた方針と、昔ながらの味を守り続けてきた。物価が高騰する中でも、あえて値上げはしなかった。思い切った決断だったが、それが功を奏し、売上は順調に伸びていった。家庭的な味と健康志向の食事が世のニーズに受け、テレビの取材が来るような人気店になった。

とりわけうちの客は女性客が多い。たまにすごい美人を見かけると、ふと白石さんを思い出す。白石さん、元気にやってるかな。きっと、もっと綺麗になってるんだろうな。

物思いにふけっていると、母から声がかけられた。

「直樹、そろそろ閉店の時間だから値引きシールを貼っていくわね」

「ああ、うん。俺は今日の売上を数え始めるね」

母が店頭に残っているテイクアウト用の弁当に値引きシールを貼っている間、俺はレジの中のお金を数え始めた。

その時、店の扉が開き、一人の女性が入ってきた。ボロボロの服に、パサパサの髪。女性は値引きシールの貼られた弁当を手に取り、レジへと向かってくる。

「あの、これください」

聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには年を重ねたものの、高校時代の面影を残す白石さんがいた。

「え、嘘?白石さん?」

俺が驚いて声を上げると、彼女は数秒固まったかと思うと、踵を返して走り出そうとした。

「待って!白石さんだよね!」

急いで追いかけ、店前の道路で大声をあげる。彼女はびくっと肩を震わせ、立ち止まった。

「白石さん、俺、高校の時あれだけお弁当を分けてもらっていたのに、卒業の時お礼の一つも言えなかった。ずっと会いたかったんだ」

振り返った女性は、やはり白石さんだった。しかし今の彼女の姿は、高校時代とはまるで違い、ガリガリに痩せ細って顔色も悪い。

「佐藤君……。お店、相変わらずね。昔と同じまんまで安心しちゃった」

「そんなことより、白石さん、そんなに痩せてどうしたの?顔色も良くないみたいだ」

「大丈夫。なんでもないの」

彼女は背を向け、立ち去ろうとする。

「ちょっと待って!白石さん、何でもないわけないだろう」

俺は彼女の腕を掴んだ。その手は、氷のように冷たかった。彼女は俯いたまま、か細い声で呟いた。

「実はね、二年前に父が精神的な病を患って、入退院を繰り返すようになったの。会社を経営することが難しくなって、私が後を継いだんだけど、結局うまくいかなくて会社は倒産。父の会社を立て直したくて借りたお金も返せなくて。毎日アルバイトしてなんとか返そうと頑張ってるんだけど、まだたくさん残ってるの」

今にも泣き出しそうな表情を浮かべる彼女に、俺は言葉を失った。

「高校生の時、貧乏って悪口を言われている佐藤君に何もできなかった罰だよ。見て見ぬふりしてた私も同じだよね」

自嘲気味に笑う彼女は、ひどく悲しそうだった。

外の風が冷たい。今日は最低気温が氷点下だと、今朝テレビで気象予報士が言っていたのを思い出す。かなり冷え込む中、彼女の服は薄くボロボロで、体は寒さで震えていた。

「白石さん、うちに来ない?」

「え?」

「外は冷えるよ。そんな薄い服を着ていたら体調を崩しちゃう。うちは温かいし、美味しいご飯もある。白石さんが良ければ、温かいところで話そうよ」

「でも、私お金がなくて……」

「お金なんていらないよ。高校生の時、白石さんにたくさん助けてもらったんだ。恩返しをさせて欲しい」

白石さんの目に涙が溜まった。俺は彼女の手を取り、一緒に歩き始めた。天下の気温の中、疲れきった様子でゆっくりと歩く彼女に歩幅を合わせ、無言で家までの道を歩いた。

家に着くと、母が迎えてくれた。

「あらあら、直樹、急に飛び出していくもんだから心配したのよ。……あら?」

俺の隣にいる白石さんを見て、母は目をパチクリさせている。

「母さん、白石さんだよ。高校時代、弁当を分けてくれる友達がいる話をしたと思うんだけど、それが彼女なんだ」

母ははっと思い出したように表情を輝かせた。

「あら、白石さん。よくお話は伺っていました。直樹の母です。直樹が高校生の時は、私が不甲斐ないばかりに色々助けていただいたみたいで、本当にありがとうございました」

母が深々と頭を下げる。

「いえいえ、頭をあげてください。私、急にお邪魔してしまってご迷惑ですよね。申し訳ありません」

「とんでもないわ。いいのよ。直樹が可愛らしい子を連れて帰ってきたと思ったら、お世話になった白石さんだなんて。嬉しいわ。好きなだけゆっくりしてね」

母は嬉しそうにそう言うと、キッチンへ消えていった。

二人きりになったところで、俺は白石さんに尋ねた。

「白石さん、食事とかはきちんと食べれてる?」

白石さんは俯くと、頭を横に振る。

「お金がないから、一日に一食食べられるかどうか」

「そうなんだね。今はどこに住んでるの?」

「父の会社を守れず倒産させちゃったから、父に合わせる顔がなくて、一人暮らしを始めたの。最近まで古いアパートに住んでたんだけど、家賃が払えなくなっちゃって、先日追い出されてしまって。今は住むところがないの」

消え入りそうな声だった。食事も十分に取れず、家もない。俺は必死に頭を回転させた。

「あ、そうだ。白石さん、うちの店で住み込みで働かない?」

俺の家は父が健在だった時のままの間取りで、俺と母の二人暮らしでは部屋が余っている。それに、店は繁盛しているし、そろそろ従業員を増やそうかと母と相談していたところだった。

「で、でも、そんなご迷惑かけるわけには……」

「白石さん、いいのよ」

母が台所から戻ってきて、肉じゃがと煮物をテーブルに並べながら言った。

「見れば分かるわ。困っているんでしょ?うちの店は人手が足りなくて、白石さんが働いてくれたら嬉しいわ。住み込みも大歓迎よ」

母の言葉に、白石さんの目が潤んだ。

「でも、私、父の会社も守れなくて、そんな私がここで働かせてもらう上に、住ませていただくなんて……」

「いいのよ。直樹が高校生の時、お金がなくて満足な量のお弁当を作ってあげられなかった。直樹が体調を崩すことなく卒業できたのは、白石さんのおかげなんだから。お腹空いてるでしょう。さあ、召し上がれ」

テーブルには肉じゃがと煮物、味噌汁、白米が並んでいる。

「いただきます」

白石さんは手を合わせると、肉じゃがを口へ運んだ。

「美味しい……。あの時と変わらない味」

彼女の瞳から涙がこぼれ落ちた。

「親父のレシピ、全く変えてないんだ。今も忠実に作ってる。喜んでもらえて嬉しいよ」

「そうだったんだ。本当に美味しい」

白石さんは煮物を口に運むと、思い返すように言った。

「昔、家での食事が苦痛だったの。ご飯を食べてる時、いつも父と母が喧嘩していて、どんなに豪華な料理も味がしなかった」

俺は胸が痛んだ。俺の家では、父も母も食事を大切にする人だった。食事は楽しいものだという認識だった。家での食事を苦痛に感じていた白石さんを思うと、やりきれない気持ちになる。

「でもね、佐藤君は本当に美味しそうにご飯を食べてくれて、一緒にお弁当を食べている時、楽しい話をたくさんしてくれた。そんな佐藤君と一緒に食べるご飯は美味しくて、毎日の楽しみになったの。私、逆に佐藤君にすごく救われていたのよ」

白石さんがそんな風に思ってくれていたなんて。ずっと救われていたのは俺の方だ。白石さんのおかげで、空腹で授業に集中できないことも、栄養不足で風を引くこともなくなった。

「白石さん、俺も白石さんに救われていたんだよ。白石さんのおかげで体は強くなったし、母さんのお弁当を白石さんが美味しいって言ってくれたから、俺も店を継ごうって決めたんだ」

そう言うと、白石さんは少し微笑んだ。痩せてやつれてはいるものの、その笑顔は高校生の時の白石さんと同じだった。

「私、高校生の時より痩せて、外見も見窄らしいし、服もボロボロだから、きっと佐藤君は気がつかないと思ったの。私の方からもう佐藤君とお弁当を食べたくないって言ったのに、お店に行くのは厚かましいって分かってた。でも、どうしてもあの味が食べたくて。自分の姿が変わったから、俺は気がつかないと思ったの」

「でも、俺は気が付いてしまったから、それで逃げ出したのか」

すると、今まで静かに会話を見守っていた母が口を開いた。

「私、お父さんが亡くなってから体調を崩してしまって、立っているのも辛くて営業時間を短縮せざるを得なかったの。直樹は育ち盛りなのに、収入はどんどん減っていった。お金がないから、満足な量のお弁当も作ってあげられない。そのことをずっと悔やんでいたの」

母は白石さんを見て、にこりと笑った。目尻に笑いじわができる、母のいつもの優しい笑顔だ。

「でも、直樹は文句の一つも言わなかった。きっと家計が苦しいのが分かってたんだろうね。だから、白石さんとお弁当を分け合っていて、私のお弁当が美味しいって言ってくれてるって聞いた時、とっても嬉しかったのよ」

母の言葉に、白石さんの目から涙がぽろりと落ちた。

「今ね、直樹がほとんどこのお店を切り盛りしてくれてるの。最近はメディアなんかにも取り上げられるようになって、知名度も出てきてね。今、うちの店があるのは、あの時直樹にお弁当を毎日分けてくれていた白石さんのおかげよ。だから好きなだけここにいていいし、生活が苦しいならお給料としてお金も出すわ。だから、ここで働かない?」

白石さんの目から涙が次々と溢れてくる。彼女はしばらく泣いていた。俺は彼女の痩せた背中をさすりながら、この人を守りたいと思った。

それから白石さんは、住み込みでうちの定食屋で働くことになった。きちんと食べ、よく眠る。正しい生活リズムを取り戻した彼女は、見る見る元気になり、高校時代のような輝くようなオーラを取り戻していった。

白石さんのお父さんの会社は広告業だったこともあり、白石さんのアドバイスを受けて作成した広告は人目を引いた。彼女はホームページの作成やグルメサイトへの登録、動画サイトへのCM作成など、多岐に渡るプロデュースをしてくれた。その結果、客足は増える一方で、うちの店はさらに人気店になっていった。

「直樹、うちの店の広告が動画サイトのCMとして流れてたみたいなのよ。お客さんが教えてくれてね。これもまいちゃんのおかげね」

母が嬉しそうに報告してきた。確かに、白石さんが発案した広告を出してから、さらに客足が増え、客層も広がったように思える。以前はあまり見かけなかったファミリー客や女性の一人客も増え、店はさらに活気に溢れていた。

しかし、少しイレギュラーな男性客も増えた。これは白石さんが接客をしている日限定の話だ。彼らは店のガラス越しに白石さんが接客しているかどうかを確認し、見事念願が叶うと店内に入ってくる。ちなみに俺が接客している日は、すごすごと帰っていく。とても分かりやすい人たちだが、正直複雑な気持ちだ。

閉店三十分前。そろそろ準備をしようと、俺と白石さんは閉店作業を進めていた。すると、店の入り口の扉が乱暴に開かれた。

「よう、今度の取引の話をしに来たぞ」

高校時代、嫌というほど見た顔の面影が残る。成長した宮原が、そこに立っていた。

「宮原、来る日は先に連絡してくれって言っただろう。急に来られても困るんだって」

「なんだよ。俺の会社がお前の店と仕事してやるんだ。いつ来たって俺の勝手だ。どうせお前は暇なんだから、時間取れるだろう」

相変わらずの不遜な態度で、宮原は悪態をつく。宮原は父親の不動産業の会社に就職し、今は役員をやっているのだそうだ。うちの店は知名度が高くなり、新店舗として店舗数を増やすことを検討していた。とはいえ、俺は不動産関係の知識は全くない。母に相談すると、亡き父が宮原の父親の会社と親しくしていたらしい。その話を聞き、宮原の父親にコンタクトを取った。心よく引き受けてくれ、俺が自分の息子の元クラスメートだと知ると、この取引は息子に担当させようと言い始めた。俺は宮原にいい印象は全く持っていなかったのでやんわりと断ろうとしたが、俺と自分の息子が仲がいいと誤解した宮原の父親は、無理やり宮原を取引の担当にした。

「それにしても、ボロっちい店だな。小さいし、テレビの取材が来るって嘘なんじゃねえの?」

宮原は店の中をじろじろと見ると、ケチをつけ始めた。これだから嫌だったんだ。俺はそう思いながらため息をついた。

「白石?白石だよな」

宮原が、店の奥の事務所で売上を数えてくれていた白石さんを見つけ、ずかずかと歩いていく。

「会社が倒産した後は、こんなボロい定食屋に就職か。随分落ちぶれたな、白石」

白石さんをけなし始めた宮原に怒りを覚え、俺は追いかけて奥に入った。すると、白石さんの様子が変だ。元クラスメートと再会して驚いている表情ではない。そこには、明らかに恐怖で怯えた表情を浮かべた白石さんがいた。

「おい、宮原、やめろよ」

俺は宮原の肩を掴み、白石さんから遠ざけた。宮原はニヤニヤと嫌な顔をしていた。

「今からでも遅くないからな、白石。よく考えておけよ」

宮原はそう言うと、「今日は帰るわ。じゃあな」と去っていった。一体何をしに来たんだ。ただうちの店をけなして、白石さんを怖がらせただけじゃないか。

「白石さん、大丈夫?」

白石さんの体は、かたかたと震えていた。

「白石さん、どうしたの?震えてる。宮原に何かされたの?」

白石さんは黙り込んでいた。沈黙が続き、俺は彼女の言葉を静かに待った。どれくらいの時間が経っただろう。

「あいつなの……」

白石さんが、か細い声で呟いた。

「え?」

「お父さんの会社に嫌がらせして、お父さんの会社をダメにしたのは、宮原なの」

「それ、どういうこと?」

俺はせかさないように、白石さんの話をゆっくりと聞いた。

二年前、白石さんのお父さんは精神的な病にかかり、入退院を繰り返すようになった。発端は、白石さんのお父さんの会社で何年も共に働いてきた社員が、何人も急に退職したことだった。白石さんのお父さんは自分が悪かったのではないかと落ち込んだが、残った社員と会社、そして家族のために必死に振る舞っていたという。それから半年後、また数名の社員が会社を辞めていった。そしてまた数名。日に日に白石さんのお父さんは気を病み、入退院を繰り返すようになり、会社の経営も傾き始めた。

白石さんは、明らかにおかしいと感じた。白石さんのお父さんの会社はアットホームな雰囲気で、勤続年数が長い社員もたくさんいた。そんな社員たちも、みんな暗い顔をして辞めたいと言う。辞表を提出して去ろうとする元社員を追いかけ、白石さんは尋ねた。

「前田さん、どうして会社をやめちゃうの?長年一緒に頑張ってきたじゃない」

「舞お嬢様、私は疲れてしまったんです。この会社は先が長くないと。借金を従業員に隠していると聞いたのです。私には家族がいます。倒産する可能性がある会社にはいられないのです。白石社長は借金を隠している。会社は大赤字で倒産寸前。もう先は長くない。だから、早くやめてうちの会社に来たらいい。給料は保証する」

「そんなの出鱈目だよ。誰から言われたの?」

父親から会社の経営が傾いているなんて聞いたことがないし、借金もしていない。しかし、長い間一緒に頑張ってきたみんなが辞めてしまうことで、父親が落ち込んでいることは事実だ。

「だから、戻ってきてほしい」

白石さんがそう訴えると、前田さんは驚いた顔をしていた。

「そんな……。ここのところ、社員がかなりの数退職したでしょう。それはみんな同じ理由ですよ。会社はもう倒産寸前だと、舞お嬢様の同級生の宮原さんのところのご子息様に教えてもらったのです」

根も葉もない出鱈目を、宮原は事実のように伝え回り、社員を不安にさせた。退職後は自分の会社で雇い、今の会社より年収が上がることを約束するとさえ言って、退職を促していたのだ。

「宮原が父の会社に対して嫌がらせをするのに、思い当たる節があって。大学を卒業して父の会社を手伝い始めた時、取引先とのパーティーで宮原に再会したの。再会した日からしつこく連絡が来て、デートしようとか付き合ってほしいとか、そういう内容ばかりですごく嫌だった」

宮原が嫌なやつだってことなんて、高校時代よく知ってたから、付き合う気なんて一ミリもなかった。ある日、しつこく迫ってくる宮原に疲れきった白石さんは、宮原の連絡先をブロックしたそうだ。

「私が宮原をブロックしたことに気がついたみたいで、ある日、父の会社を手伝っていたらオフィスの電話が鳴って、出たら宮原だった。電話口の宮原は、声だけではっきりと分かるほど怒っていた。『白石、俺の連絡先をブロックしただろう。絶対に許さないからな。お前のことも、お前の周りのものも、全部めちゃくちゃにしてやる』って」

白石さんは、糸が切れたようにぐったりとしながら、小さな声で呟いた。

「私が関わったら、佐藤君のお店まで嫌がらせされちゃう。私は、このお店からいなくなった方がいい」

「白石さんは、何も悪いことをしていないじゃないか。白石さんはうちの店にすごく貢献してくれてる。白石さんの作ってくれたホームページや広告で売上だって上がってるんだ。接客だってすごく頑張ってくれてる。白石さんがこの店を去るなんて、そんなのおかしいよ」

「私、このお店が大好きなの。何も残ってなかった私を雇ってくれて、優しくしてくれて。すごく温かい場所だから。私がいることで迷惑をかけたくないよ」

俺は必死に頭を回転させた。白石さんとこの店で一緒に仕事をしたい。高校時代のような、花が開くような笑顔をまた見られるようになったんだ。俺は心に決めた。俺は白石さんを守る。そしてこの店も絶対に守り抜く。

「白石さんは、ここからいなくなっちゃだめだ。この店にとって、白石さんは必要なんだよ。俺に任せて。白石さんを傷つけた宮原と、このまま取引なんてできるわけがない。宮原の会社とはもう取引をやめよう。そして、もう二度と白石さんを攻撃しないよう、宮原を止めてみせる」

俺はスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを起動した。

数週間が経ったある日、店に宮原がやってきた。今日の十三時半、取引のことで大事な話があると、宮原を呼び出していたのだ。

「ほう、佐藤。ボロい定食屋の出店にぴったりの土地をいくつか選んできてやったよ。親父に言われて仕方なくだけどな。上がらせてもらうぜ」

「宮原、待ってたよ。事務所で話そう」

俺は宮原を事務所に通し、後ろで扉を閉める。

「宮原、お前の会社とはもう取引しない。新しい不動産の業者と契約を締結した」

事務所の椅子に偉そうに座っている宮原を見下ろしながら、俺は言い放った。

「は?お前、何言ってんの?」

宮原は鋭い目つきで俺を睨みつけた。俺も宮原を睨み返し、互いの視線がぶつかる。

「お前がやったことは、全部わかってる。白石さんに協力してもらって、白石さんのお父さんの会社を退職した元社員の人たちにも会って、話を聞いたよ。お前がみんなに嘘の話を吹き込んでいたんだな。信用がない会社とは取引できない。お前の父親にも、今頃全部伝わってるよ」

宮原の顔がみるみる赤く染まり、怒りに体を震わせているのが分かる。

「は?お前、親父に伝わってるってどういうことだよ」

「白石さんのお父さんの会社を去った元社員の人たちは、お前の会社で深夜まで残業を強いられたり、お前に無意味に叱責されたりと、不当な扱いを受けていた。全てお前の指示だろ。白石さんのお父さんが精神を病んで入院していることを話したら、みんなひどく悔やんでいたよ。会社でのお前の傲慢な態度に腹を立てて、みんなでお前の父親の会社へお前の悪事を話しに行っている。今この瞬間にな」

宮原の父親には、今日の十三時に今後の取引のことで大切な話があるため、俺の代理の者が来ることを伝えてある。三十分前、すでに白石さんの会社の元社員の人たちが宮原の会社に到着し、宮原の悪事の暴露が行われていることだろう。

俺がそう告げたのと同時に、スマートフォンが着信を知らせ始めた。宮原の父親の名前がディスプレイに表示されていることを確認し、俺は通話ボタンを押した。

「もしもし。佐藤です。宮原社長ですか?」

「佐藤君、その通りだ。太地の父だ。直樹君、今君の代理人の方々から話を聞いてね。この方たちが言っていることは本当なのかどうか、確かめたくて電話をしたんだ」

「はい、本当です。みんな太地君に騙されて退職を促され、その後、再就職を試みるも叶わず、職を失った人もいました。白石さんのお父さんは精神を病んで、今、入院しています」

「やはりそうなのか。……そちらのお店に息子がいるだろう。申し訳ないが、太地と代わってくれるかな?」

俺は宮原にスマートフォンを差し出す。宮原の顔は青ざめ、受け取る手は震えていた。

「もしもし。えと、父さん」

「太地!お前は一体何をやってくれたんだ?自分のやったことが分かっているのか?」

電話越しでも聞こえるほど大きな声で、宮原の父の声が響き渡る。

「父さん、違うんだ。俺は少し脅かしてやろうとしただけで」

「お前がやったことは犯罪だ。もうお前の顔など見たくもない。俺の会社から出ていけ。二度と家にも帰ってくるんじゃない」

電話がぶつりと切れると、宮原は抜け殻のようになっていた。虚ろな目に、絶望だけが浮かんでいる。

「宮原君」

事務所の奥から、白石さんが宮原の元へやってきた。

「白石、悪かった。金ならいくらでも払う。俺の親父を説得してくれよ。会社も家にもいられなくなったら、あれ?どこに行けば……」

「宮原君、お金をいくらもらっても、私はあなたと付き合わないし、あなたを許すことはできない。あなたはもう大人よ。自分のやったことは、自分で責任取るべきよ」

白石さんの言葉に、宮原は一瞬固まると、がっくりと項垂れた。

それから俺は、白石さんのお父さんの会社で働いていた元社員の前田さんに取り持ってもらい、他の不動産会社と組んで出店を進めた。前田さんは現在、不動産関係の会社で再就職をしており、俺は前田さんが働く会社と契約を結んだのだ。俺の店の真価に寄り添い、出店する場所を選んでくれた。

「舞お嬢様、私は宮原の嘘の言葉に惑わされ、白石社長を裏切ってしまったことに、ひどく後悔する日々を送っておりました。私は少しでも舞お嬢様のお仕事のお手伝いができて、救われる思いです」

「前田さん、ありがとう。この間、父のお見舞いに行ったの。実を言うと、父の会社を守り抜けなかった自分に引け目を感じて、ずっと父のお見舞いに行けていなかったの。でも、父も母もすごく喜んでくれた。『会社が倒産したのはお前のせいじゃない。お前に久々に会えて嬉しいよ』って、そう言ってくれたの」

白石さんのお父さんの症状は少しずつ良くなり、退院の目処も立っているそうだ。

うちの店は隣町の駅前に、新たに支店を開業した。従業員も数人新たに雇い、業績も上がり続けている。

白石さんが元気になってよかった。俺は輝かしい笑顔でお客さんとコミュニケーションを取る白石さんを見て、心からそう思った。

一年が経ち、俺は順調に店の規模を拡大していった。支店が増えても、大切にしていることは変わらない。家庭的な味で、健康的な食事を、安価で提供すること。

その日の営業が終わり、事務所で今日の売上を計算していると、閉店作業を終えた白石さんが事務所へ戻ってきた。

「白石さん、お疲れ様。今日もすごく売上良かったよ。白石さんの接客と、作ってくれた広告のおかげだよ」

「ありがとう。佐藤君と佐藤君のお母さんが作るご飯が美味しいからだよ。でも、嬉しい。ありがとう」

白石さんは満面の笑顔を浮かべて、俺に言った。その笑顔の輝かしさに、思わず心臓が高鳴る。

「あのね、佐藤君。私、高校生の時、私の方から一方的に別れをつけたの。ずっと後悔してたの」

「『私はもう佐藤君とは一緒にお弁当食べない。別れよう』って言われた時を思い出して、胸がちくりと痛む」

「そんなこともあったね。でも、もう俺は気にしてないし、大丈夫だよ。俺、あの時、宮原が引き連れているクラスメートから悪口を言われていたし、白石さんまで巻き込んでしまうところだったと思っていたから、良かったと思ってるよ」

「違うの。私、宮原がクラスメートまで巻き込んで佐藤君の悪口を言ってるのを知って、私が一緒にいたら佐藤君に迷惑がかかると思ったの。だから、離れなくちゃと思って。でも、うまく伝えられなくて、あんな言い方をしてしまったの。本当にごめんなさい」

俺は白石さんの思わぬ言葉に、驚きを隠せなかった。白石さんは俺の目をまっすぐ見つめていた。

「私、今みたいにきちんと佐藤君に自分の気持ちを伝えられていたら、あんな言い方をして佐藤君を傷つけることもなかったのにって、すごく後悔してる。本当にごめんなさい」

「白石さん……」

「私、もう後悔したくない。今でも、佐藤君のことが好きなの」

俺は自分の顔が熱くなっているのを感じた。俺も、高校時代からずっと白石さんを思い続けていたからだ。

「俺も、もっと白石さんが好きだった。白石さん、また俺と付き合ってください」

白石さんが笑顔で頷いた。俺も釣られて顔が綻ぶ。俺は白石さんの手を握った。

俺は今、家庭的で健康的な食事を安価で提供するという父が大切にしていた方針と共に、大切な人に囲まれて幸せに暮らしている。これからも大切な人と、お客さんの笑顔を守るために、日々邁進していこうと思う。

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