「おい、随分と地味な格好で来てるな。」
取引先の創立パーティーに出席した俺に、そう声をかけてきたのは、全身ブランドスーツに身を包んだ社長、山田だった。片手には高級ワインのグラス、後ろには部下たちを引き連れている。いつも通り、俺たちとは世界が違うとでも言いたいのだろう。
俺はその言葉を聞き流そうと思った。だが、この後、とんでもないことが起こった。
俺の名前は騠木。五年前に体を壊した父の後を継ぎ、三十五歳で町工場を経営している。幸い父は回復して現役を引退し、今は自宅で俺の帰りを待っている。「手を抜いた仕事は必ず自分に帰ってくる。逆もまたしかり」——それが親父の口癖で、俺はその言葉を守って工場に立ってきた。
そんな俺を支えてくれているのが、同い年の高野。元大手メーカーの高野が「お前の技術を世界に出す」と合流してくれたおかげで、うちの工場は今や独自の特許技術を持つまでになった。今では専務として経営を担ってくれている。
外観はプレハブに毛が生えたような古びた町工場だが、中身は化石どころか業界の最先端だ。うちが作るベアリングは、新旧道単位まで追い込んでいる。髪の毛の太さの数万分の一という精度だ。
モーターが毎分一万回転を超える電気自動車では、このわずかな歪みが異音、振動、そして電力ロスに直結する。つまり、うちのベアリングの出来が車の性能そのものを左右するのだ。これは親父の代から数十年、職人たちが機械任せにせず、最終検品まで人の手と目で仕上げてきた蓄積の賜物。大手が最新設備だけ真似ても一朝一夕には再現できない技術であり、その心臓部にはうちが持つ特殊器具の構造特許が使われている。
この特許を使用しているのが、旧町中の電気自動車メーカーだ。ここが山田の会社である。
山田は俺よりも少し年下の男。父親が大企業の重役という、いわゆるお坊ちゃまだ。金に物を言わせてこの事業も立ち上げたそうだ。そもそも「新事業を立ち上げたいから、格安で技術を使わせてくれ」と頭を下げてきたのは山田の方。三年の格安契約の後、「増産するからあと一年だけ」と懇願され、高野と相談して了承した。
その期間があと半月後に迫っている。
デザインとIT連携が売りの最新の自動車。うちはその長候制度ベアリングを製造している。うちが手を引いたら、この自動車製造は難しくなるだろう。だが山田はその重要性を分かっていないようで、俺たちを単なる下請けだと思っている。そもそもこの会社はデザインで売っているにも関わらず、そのデザインすら下請けに丸投げだし、製造なんてほとんど関わっていない。
俺たち下請け業者がいなくなったら、この会社は崩壊するのだ。だが宣伝は非常にうまい。だから売れている。
俺たちは山田のことは気に入らないが、自分たちの技術が世に出るという喜びの方が勝っているので、懸命に製造を続けている。
そんな山田は今日もアポなしでやってきた。ブランドスーツを汚したくないのか、山田は工場の入り口で鼻をつまむ。勝手にやってきて呼び出しておいて、その態度はないだろう。だがこれもいつものことなので、俺と高野は顔を見合わせて呆れるだけだ。
山田は吐き捨てるように言った。
「相変わらずボロい小屋だな。うちの最先端の自動車に不釣り合いな化石工場だが、使ってやってるだけありがたいと思えよ」
また言ってるよ。俺はそう言いたかったが、なんとかこらえる。俺はついつい口調が強くなりがちなので、高野にはいつも「考えもなしに喋るな」「余計なことを言うな」と止められている。だが、そんな俺の思いはいつも高野が代弁してくれるのだ。
タブレットを片手にした高野が静かに進み出て、トレードマークの眼鏡をクイッと上げる。
「お言葉ですが、山田社長。使っていただいているのではなく、我が社が格安で融通してあげているという状況です。これ、本来の特許ライセンス料を反映した改定見積もり書ですが」
そう言って高野は新たな書類を山田に差し出した。
提示された桁違いな金額に、山田の顔が引きつる。だが高野の言う通り、これが本来の値段なのだ。山田はその価値を分かっていないので。
「なんだこれは?脅しのつもりか」と山田は反論してきた。
高野は涼しい顔で言った。
「半月後には価格改定をさせていただきます。山田社長が正談の席につかなければ、うちはいつやめたって構わないんですよ」
山田は「ああ、そうだったな。それはまた正談の場を設けよう」と話を濁した。
逃げるように帰ろうとする山田に、俺は思わず「何しに来たんですか」と言ってしまう。その言葉に高野が吹き出し、笑いをこらえた。
山田は「この工場が潰れないか様子を見に来ただけだよ」と言い、そのまま帰っていく。
高野が言った。
「あいつ、暇さえあれば下請けを回って文句を言ってるんだよ。それを単刀直入に『何しに来たのか』なんて言うか?お前、本当に考えてから喋れよな」
そう言って、こらえていた笑いを爆発させた。
それから一週間後、俺たちは山田の会社の創立記念パーティーに呼ばれた。
俺は着慣れないスーツを着て会場に向かう。会場の入り口で合流した高野は、俺のスーツ姿を見て呆れた。
「騠木、お前それ何年前のスーツだよ。微妙に丈も合ってないし、肩幅パツパツだぞ。着られてる感といい……完全に七五三だな」
「うるせえ。俺はもう三十五だ。俺はお前みたいにスマートなスーツの着こなしはできないんだよ」
とっさに言い返すと、高野は笑って「じゃあ、その久々のスーツ姿の記念に、親父さんに送ってやるよ」と勝手に写真を撮り、俺の父に送ろうとする。
「高野、やめろ。送るな」
俺たちがじゃれ合う横を、人が流れていく。高野が俺のネクタイを締め直してくれて、「さて、行くか」と先ほどまでの雰囲気と変わり、真剣な表情で会場に入っていった。
会場には新聞で見たことのあるような大手メーカーの人間や政治家もいる。高野は「あいつ、完全に調子乗ってるな」とつぶやいた。あいつとは山田のことだ。
「父親の名前を出せば、集まる人間はいるだろうな」
俺も相槌を打った。そこで高野が「あれ、崎さんだ」と言ったので、俺も視線を移す。それは業界最大手メーカーの取締役。以前高野がお世話になった人だ。昔高野からよく話を聞いていたが、顔は見たことがなかった。
「挨拶行ってくるか」と俺が言ったのだが、高野は「今はいい。終わってから声をかけてみるよ」と控えめだ。パーティーの最中に、社長である俺を差し置いて最大手の取締役に声をかけるというのは控えたいのだろう。
そんなことを話していると、「おい、随分と地味な格好で来てるな」という声が聞こえた。そこには高級スーツを着て、高級ワインのグラスを持った山田が立っている。後ろの取り巻きたちは山田と一緒になってニヤニヤと笑いながら俺を見ていた。
山田は言った。
「君たちにはこのパーティーは新鮮だろ。古臭い街とは違うんだよな。せいぜい楽しんで」
そう一通り俺たちを見下すと、去っていった。
俺はため息をつく。
「ああ、来るんじゃなかった。あいつ、この間高野が価格改定の話をした時、あんなに逃げ腰だったのに、著名人を呼んだパーティーでまた自慢げじゃないか」
高野はそんな俺の肩を叩き、にやりと笑った。
「まあまあ、せっかくだから高い酒も高級ディナーも堪能しようぜ。それにな、神崎さんがいるこの場であいつがそのまま調子に乗り続けたら、このパーティー何かが起こる予感がするんだよな」
それが何のことだか、俺には全くわからない。だがまあ、高野と一緒ならどうにでもなるだろう。
とはいえ、何事もなくパーティーは進行した。俺も初めてキャビアを食べ、いつもよりうまい酒を飲み、「来てやって損はなかったな」なんて高野に大口を叩く。
パーティーも終盤になると、山田が壇上に上がった。いつもより顔が赤く、酒のせいか声も気も大きくなっている。相当飲んでいるのだろう。
高野はいつもと変わらぬ顔色で「あんなに酔っ払って見えねえな」と呆れていた。その瞬間、俺は自分は大丈夫かと一気に酔いが覚めた。その様子を見た高野が笑う。
壇上に上がった山田はマイクを手に取り、演説を始めた。聞いている人もいれば、無視して料理を食べる人、周りと談笑する人もいる。そんな時、山田は下請け業者を馬鹿にするような発言を連発した。自分の会社が下請け業者に支えられているということが、全く分かっていないようだ。
山田と同じ立場の大手メーカーや媚を売っている者たちは、面白おかしく話を聞いている。それを聞いた高野がつぶやいた。
「あいつ、バカだな。おそらく神崎さんに取り入って事業を拡大するために呼んだんだろうけど、この手の話、神崎さんは大嫌いなんだよな」
そして山田は「そういえば先日、でかい口を叩く町工場がありましてね」と話し始めた。
その後、俺たちは山田に手招きをされ、取り巻きたちに連れられて壇上に上げられた。
「え、ちょっと、何ですか?」
という俺の言葉には誰も答えない。高野は無表情で俺の後についてきている。
なるほど。最初からこれが目的か。著名人が集まる場で俺たちをさらし物にし、価格改定の話を握りつぶすつもりなのだ。
山田は俺たちを指さして、会場に向かって言い放った。
「彼らは下請けの工場ですが、なんと価格改定を主張してきました。正直、同じ部品を作れるところなんていくらでもあるんですよ。我々はコストを削減しながら消費者にいいものを提供する義務がある。それなのに、高々下請けが価格改定だと?皆さん、こんなことありえますか?」
作れるものなら作ってみろ。構造特許はうちにある。作った瞬間特許侵害だ。俺は内心でそう吐き捨てる。前列にいる山田に媚を売っている連中たちが大きな拍手をする。山田はその拍手に得意になった。
「こういう街は、我々のようなメーカーが手を差し伸べてやらなくては潰れてしまう。つまり、慈善事業で取引してやってるんだ」
その言葉に、俺は思わず「はあ?」と大きな声が出てしまった。俺自身が笑われるのは構わない。だが体を壊すまで職場の前に立ち続けた親父と、うちの職人たちが磨き上げた技術を「慈善事業」と呼ばれたことだけは、腹の底が煮えくり返った。
山田は俺の声を無視して、続けた。
「こんな盛大なパーティー、君たちには無縁だろ?いい思いをさせてやったんだ。会費全額お前が払っとけ」
そう言って懐から出した請求書を丸め、俺に投げつけてきた。紙の塊が俺の胸に当たり、足元に落ちる。会場にはゲラゲラという笑い声が響いた。
山田の発言を不快に思った人は、すでにかなりの数会場を出ている。その中にはうちと同じような下請け業者がたくさんいただろう。神崎さんは会場にこそいたが、無表情で山田を見つめている。
俺は散々、高野に「考えなしで発言するな」と言われていた。なので、とりあえず高野の顔色を伺うために視線を移すと、高野は呆れたようにため息をついている。
山田は俺に向かって言い放った。
「そういうことだから、価格改定はなし。代わりはいくらでもいるってこと、覚えとけよ」
俺は眉を潜めた。だが落ち着かせるために深呼吸をする。その時、高野が俺に向かって「社長、契約を切りましょう」と言った。
俺は高野の顔を見て、「冷静にだな」と頷く。
「分かった。契約を切ろう」
声は静かだったが、会場の隅まで通った。一瞬、会場が水を打ったように静まり返る。前列の取り巻きたちだけが、引きつった笑いを続けていた。神崎さんは相変わらず無表情のまま、壇上の俺たちを見つめている。
山田はその会話を聞いて盛大に吹き出した。
「契約を切るだと?」
高野はその場でタブレットを出し、契約書を山田に見せる。
「もう半月切っていますが、この契約は更新しません。いいですね」
山田は「お前らみたいな古臭い街が、そんなでかい態度を取ってどうなるか分かってるのか?頭を下げるなら今のうちだぞ」と、酒臭い息を俺たちにかけてきた。
俺は鼻をつまみ、「頭を下げるのは、あなたの方ですけど」と言うと、山田は勝ち誇った顔で「何言ってるんだお前らは。間違いだ。さっさと帰れ」と俺たちを追い出した。
その帰り道、高野はすぐに契約更新しない旨を書類にし、山田の元へ送信した。俺は「とはいえ、この契約がなくなったらうちの工場傾くよな」と弱気になっていた。だが高野は言った。
「お前はバカか?あの中でどれだけの人が帰った?大丈夫だ。正義は俺らにあるよ」
その言葉に、俺は無条件に納得してしまう。
翌日、朝早くから訪問者がやってきた。
「あなたが騠木社長ですね。私、昔河野君と一緒に仕事をしておりまして」
と口を開いたのは、神崎さんだった。
「ああ、ちょっとお待ちください」と俺は慌てて高野を呼ぶ。
「神崎さん、どうしてここに?」
と驚く高野。神崎さんは静かに言った。
「昨日、壇上のあなた方を見て驚きましたよ。あの男はあなた方をさらし物にしたつもりで、私に最高の情報を与えてくれた。この河野君がこの技術ある工場にいると教えてくれたのですから」
そして、神崎さんは頭を下げた。
「こちらの技術、うちで生かしていただきたい」
まさか、こんな展開があるだろうか?俺は「え、こう、何これ?何かの冗談だろ?」ととんでもないことを口走ると、高野が持っていた書類で頭をはたかれた。
「なわけあるかよ」
俺たちは神崎さんを大会議室に通し、詳しい話を聞いた。どうやら山田の会社から申し入れがあり、神崎さんの会社と提携するか協議している最中だったという。だが昨日のパーティーで、山田の会社とは関わらないことを決めたそうだ。
高野は「ほら、正義は俺らにあっただろう」とにやりと笑った。
そこへ従業員が慌てて声をかけに来た。
「社長、急いで来てください」
そう言われて現場に行くと、そこにいたのは山田だった。工場の前に止まった高級車の横で、山田は血走った目で仁王立ちしていた。昨日の傲慢な姿はどこへやら、ブランドスーツはなぜかしだらけだ。昨日と同じスーツだし、徹夜で騒いでいたのだろう。
「おい騠木。契約更新しないってどういうことだ?ふざけるな」
山田は俺の姿を見るなり、怒鳴り散らしながら距離を詰めてきた。どうやら高野が送った契約終了の通知を見て、飛んできたらしい。高野はまだ王設で神崎さんと話しているので、俺はなんとか冷静に告げた。
「どういうことも何も、昨日言った通りですよ。契約更新はしません。代わりはいくらでもいるんでしょ」
だが山田は必死だ。
「特許のライセンスを止められたら、うちのラインが全部止まるんだ。下請けもお前らのベアリングがなきゃ組み立てられないと言っている。違約金が発生したら、うちの会社終わりなんだぞ」
自分の言ったことを棚に上げて。俺はきっぱり答えた。
「何と言われても覆すことはいたしません。昨日あなたが皆の前で『慈善事業』だと言ったんですよ」
すると山田は「そ、そんなことは言っていない。言いがかりだ」とめき出す。そこへ高野が顔を出した。タブレットを操作すると、昨日の山田の声が流れ出す。
「慈善事業で取引してやってるんだ。代わりはいくらでもいる」
自分の声を聞かされ、山田の顔から血の気が引いていく。
「言った言わないの話にはなりませんよ。山田社長」
高野が冷たく告げた。さらに奥から神崎さんが現れる。山田は神崎さんの顔を見て「どうしてここに」と言った。
神崎さんは淡々と告げた。
「我々との提携の話、白紙にしてもらいます。今頃通達が行っているはずですよ、山田社長。我々は騠木社長の、この技術ある工場と携することにした。実力ある工場を下請けだと馬鹿にするような社長とは、到底分かり合えない」
山田は青ざめ、「そ、それはですね、えっと……」とガクガク震えながら言葉を失った。俺たちと神崎さんの関係は分かっていないようだが、どちらも敵になったことは分かったようだ。
青ざめてため息をする山田からは、酒臭さが漂ってくる。俺は思いっきり鼻をつまみながら一歩下がって言い放った。
「さすがに飲みすぎでしょう。うちのような古臭い町工場でさえ、そんな酒臭い人間はいませんよ。もう用事はないでしょ。お引き取りを」
山田は涙をこらえた様子で、逃げるように去っていった。
その後、山田の会社は次々と下請け業者から契約解除を突きつけられたそうだ。うちのベアリングを失った彼らには、質を落とした製品しか作れない。「そんなものに加担したくない」と、まともな業者が一斉に離れ、あのパーティーで媚を売っていた悪質な業者しか残らなかったらしい。
「あいつ、もう終わりだよ。父親にも呆れられて、援助はしないんだってさ」
と高野が、どこから仕入れたのか分からない情報を教えてくれた。
俺たちは神崎さんのグループとし、新しい電気自動車の開発をしている。試作品の自動車の前で、俺たちと神崎さんは記念写真を撮った。高野が「仕方ねえな。これも親父さんに送ってやるよ」と写真を送信する。
手を抜かない仕事は必ず自分に帰ってくる。親父の言葉は正しかった。
俺はそう報告した。親父、俺たちの技術、もっと広い世界へ羽たくよ。高野と力強く拳を合わせた。



