私はスマホを耳に当てたまま、祖父との通話が繋がっていることを確認した。駅のホームで男たちに絡まれたのは、たまたま運が悪かっただけではなかった。祖父は心配性で、私が大学に行くようになってから毎日のように電話をかけてくる。今日もその電話の最中だったから、この状況が全て祖父に聞かれている。
電話越しに、祖父の声が聞こえた。
「もしもし、どうした? 何かあったか? 」
私は男たちを一瞥しながら、静かに言った。
「おじいちゃん、今、駅にいます。ちょっとお願いがあって。こちらの方々が、私にお金を家から持ってこいって言ってるんですけど」
男たちの顔色が一瞬で変わる。金髪の男が焦って手を振った。
「おい、何してんだよ! 」
しかし、電話の向こうで祖父が笑いながら言った。
「そうか。そいつらに代われ」
私は金髪の男にスマホを差し出した。
「どうぞ。おじいちゃんがお話しになりたいそうです」
金髪の男は一瞬迷ったが、周りの男たちに目で合図されて、渋々スマホを受け取った。
「あ、もしもし?

えっと、おじいちゃん…」
そこまで言ったところで、金髪の男の顔が真っ青になっていった。震えながらスマホを落としそうになり、隣にいたサングラスの男が支えた。
「は、はい。すみません。すぐに失礼します」
金髪の男はそう言うと、私にスマホを返してきた。震える声で言う。
「わ、わかったよ。今回は見逃してやる。だが、これで終わりじゃねえからな」
彼らはそそくさとその場を去ろうとしたが、私は笑いをこらえながら言った。
「あ、待ってください。まだ交渉が終わってませんよ。おじいちゃんが、もしまた私に手を出したら、どうなるか分かってるな? って言ってましたよ」
男たちは何も言わず、早足で駅から出ていった。私はその場に立ち尽くしたまま、深く息を吐いた。
この駅を利用するのは初めてではない。実家から大学に通うため、毎日この駅を利用している。最寄り駅は実家の近くで、私はそこで生まれ育った。父と祖父は代々続く組の組長で、幼い頃からその姿を見て育った。進学を決めた時も、父も祖父も反対しなかった。むしろ「視野を広げてこい」と言ってくれた。それが嬉しかった。
しかし、ヤザの子供だということがバレるのは怖い。周りの学生たちは何も知らない。私がキャバクラ嬢のような外見で、肌が白く、気が強そうに見えるからか、誰もヤザの子供だとは思わない。そんな平和な生活がずっと続けばいいと思っていた。
翌日、大学に行くと、また金髪の男が待ち構えていた。今度は一人だ。私は無視して通り過ぎようとしたが、彼は私の腕を掴んだ。
「おい、待てよ。昨日の話、まだ終わってないだろ? 」
「終わったでしょ。おじいちゃんがそう言ったんだから」
「そんなこと言わずにさ、俺たちも必死なんだよ。借金があるんだ。頼むよ、一度だけでも」
彼の目は真剣だった。昨日の威勢の良さとは打って変わり、声も小さくなっている。私は少し警戒しながらも、彼の言葉を聞くことにした。
「借金? あなたが?
」
「ああ。俺、ギャンブルで失敗してね。それで、お前ん家の組に金を借りてるんだが、返せなくてな。で、組長に直接借りた金を返す代わりに、金を持ってこいって言われてるんだ」
私は困惑した。まさか自分の家の組が男たちに金を貸しているとは思わなかった。しかし、待てよ。この男、昨日の今日で何を言い出すんだ。
「ちょっと待って。うちの組があなたに金を貸したの? 」
「ああ。それが返せなくて、代わりにお前から金を取ってこいって言われたんだよ」
つまり、この男たちは組に雇われていたということか? 私はうんざりした。父か祖父が、私に試練を与えるためにこんなことをしているのだろうか。
「分かった。じゃあ、うちの組に行きましょう。そこで直接話をつけるわ」
金髪の男は驚いた顔をした。
「組に行く? 正気か?
」
「正気も何も、あなたが借りたお金なんでしょ? だったら当事者同士で話すのが筋でしょ」
男は少し迷ったが、うなずいた。
「…分かった。行こう」
私は金髪の男を連れて、駅の反対側にある実家へと向かった。組の事務所は実家のすぐ隣にあり、昔ながらの日本の家屋だった。中に入ると、祖父が座敷でお茶を飲んでいた。
「おう、来たか。もう話は聞いてるぞ」
祖父は私に座るように促した。金髪の男は緊張した面持ちで正座した。
「それで、そっちの金髪さんは、うちの孫に何か話があるらしいな? 」
金髪の男は頭を下げた。
「すみません。借金の返済を頼もうと思って」
「ふむ。で、娘に何を頼んだんだ? 」
「…家から金を持ってきてもらおうと」
祖父はしばらく間を置いて、ふっと笑った。
「そりゃあ、お前さん。うちの娘は組と関係ない生活をしとるんだ。あいつに金を渡す義理はないぞ」
「でも、背に腹は代えられなくて」
「それで、いくら借りとるんだ?
」
「…一千万円です」
祖父はゆっくりと湯飲みを置いた。
「フッ。たった一千万か。だったら、俺が立て替えてやろう。代わりにもう二度と娘に近づくな。もし近づいたら…分かっとるな? 」
金髪の男は青ざめてうなずいた。
「は、はい。分かりました。ありがとうございます」
祖父は奥から封筒を取り出して男に渡した。男は震える手でそれを受け取り、そそくさと出て行った。
私は祖父を非難するように見た。
「おじいちゃん、あんな人にお金を渡すなんて。それに、何で私が絡まれてるって分かったの? 」
祖父は優しく笑った。
「分からんでもない。お前はうちの大事な孫だ。あんな奴らに何かされる前に、こちらで始末しておかないとな」
「始末って…。もう、そういうことするから怖がられるんだよ」
「フン。怖がらせるのが組の仕事だ。それに、お前にはやっと大学に入ってもうて、普通の生活を送っとるんだ。なるべく組のことは知られたくないだろ? 」
私はうつむいた。確かにそうだ。組のことを知られたら、友達も離れていくかもしれない。祖父は私の頭を撫でた。
「心配するな。お前が困った時は、いつでも助けてやるからな」
その日から、街で男たちに声をかけられることはなくなった。しかし、私はあることに気づいた。件の金髪の男が、私の通う大学の近くをうろうろしているのだ。私の気のせいかもしれない。だが、何か落ち着かない日々が続いていた。
ある日、講義が終わって大学の門を出た時、後ろから声をかけられた。
「おい、待てよ」
振り返ると、金髪の男が立っていた。私は警戒しながら返事をした。
「何?
あなた、あれからどうしたの? 」
「ああ、借金は返せたよ。あん時の組長さんには感謝してる」
「じゃあ、何の用? 」
金髪の男は軽く笑って言った。
「いや、お前がどんな人間か、ちょっと興味があってな。本当に組の娘なのか? 」
「それが何か?
」
「別に。ただ、普通の大学生に見えるからな。お前が芸能人のような顔で、気も強そうで、だから俺たちも絡んだんだ」
私は少し呆れた。
「それで、どうでもいいけど、そうやって女に絡むのやめなよ。トラブルのもとだし」
金髪の男は急に真面目な顔になった。
「ああ。もうやめるよ。でも、一つ教えてくれないか? お前、何で組の仕事を手伝わないんだ? 」
私は少し間を置いてから答えた。
「私の人生は私のものだから。組のために生きるつもりはないの。おじいちゃんも、お父さんも、それは許してくれてる」
「ふぅん。じゃあ、お前の周りの奴らは、お前の正体を知ってるのか? 」
「知らないわよ。多分、あの大学で知ってる人はいないと思う」
金髪の男は何かを考え込むようにして、ぽつんとそう言った。
「そうか。俺は嘘付きは嫌いだからな。あん時はごめん。お前にも事情があったんだな」
「別に謝らなくていいわよ。私こそ、あの時は父さんに酷く怒られるかと思った」
二人は軽く笑い合った。男は立ち去ろうとして、私に背中を向けた。
「なあ、またどこかで会えたら、今度は普通に友達でもしようぜ」
私はその言葉に少し驚いたが、何も言わずに見送った。
それから数週間後、駅で金髪の男がまた話しかけてきた。今回は金髪を黒髪に染めていて、見た目がかなり真面目な感じになっていた。
「おう、元気か?
」
「ええ、何とか。どうしたの? その髪」
「ああ、就活するからさ。そしたら、まあ、どこかで飯でも食わないか? 」
私は驚いた。まさか、この男に何度も会うことになるとは思わなかった。しかし、こうして話してみると、何だか憎めないやつだなと思うようになっていた。
「えっと、悪いけど、私はそういうの疲れるのよ。組のこともあるし」
「分かってる。でも、お前をただのキャバ嬢みたいに扱うつもりはないし、ただ、話を聞いてほしいことがあるんだ」
「何? 借金のこと?
」
「違う。本当のことを言うと、俺はあの時、お前の祖父に金を借りた時に、条件があったんだ。お前のことを見張るってな。借金をチャラにする代わりに」
私は言葉を失った。祖父があの男にそんなことを頼んでいたとは。
「そういうことだったの…」
「ああ。でも、お前が真面目に生きてる姿を見て、俺はお前のことを気に入っちまった。だから、見張るのをやめて、ちゃんと謝りたかったんだ」
金髪の男は深く頭を下げた。
「本当に悪かった。これで、俺のことは終わりにしてもらっていい」
私は複雑な気持ちだった。普通なら怒るところだが、なぜだか怒ることができなかった。むしろ、祖父がそこまでして私を心配しているのかと思うと、ありがたいと感じていた。
「分かったわ。もうあなたを恨まないけど、これからは本当に誰かに迷惑をかけるようなことはしないでね」
「ああ。約束する」
黒髪の男が笑った。それは、今まで見せたことのない素直な笑顔だった。
月日が流れ、私は無事に大学を卒業した。卒業後は特にコネや家の力を使わず、自分で見つけた小さな出版社に就職が決まった。祖父も父も、私が自分の力で道を切り開いたことを喜んでくれた。
ある日、実家に帰ると、玄関先に黒髪の男が立っていた。私は思わず目を疑った。
「何してるの? 」
「ああ、ちょうど挨拶をと思って。仕事が決まったんだってな。おめでとう」
「ありがとう。あなたは? 」
「俺も、今度自分の会社を立ち上げることになってな。何でも、組の世話にならずにやりたいんだ」
私と黒髪の男は顔を見合わせて笑った。あの日、金髪の男に絡まれたことがなければ、私たちはこうして話をすることもなかったかもしれない。人生は分からないものだ。
祖父が出てきて、黒髪の男を見てにっこり微笑んだ。
「おう、あの時の借金男じゃないか。ちゃんと返せたか? 」
「はい。おかげさまで、何とか」
「どうだ、今度うちで飯でも食っていくか?
」
黒髪の男は私を見て、少し照れながらうなずいた。
「はい、ぜひ」
私は祖父と男を交互に見つめて、笑った。そして、自分のこれからの人生が、きっと悪いものではないと、そう思えたのだった。