姑の美佐子が私に仕掛けてきた、あの馬鹿げた「お孫さんごっこ」が始まるまでは、私は穏やかな日常を疑っていなかった。結婚して三年、私たち夫婦は義理の両親と同居している。義父は会社を経営し、義母はその経理を担当し、私は家事を任されていた。夫の良一は今年三十六歳、私より一つ年上で、義父の会社を任されている。会社は地域に愛される企業だ。私は法律の勉強をしながら、穏やかな日々を送っていた。
問題は、夫の弟の嫁である美佐子が、夫の亮太と結婚してから始まった。彼女は結婚した時点で妊娠しており、その後、男の子と女の子の双子を出産した。私たち夫婦には子どもがいない。それというのも、不妊ではなく、夫に問題があるためだ。その事実を私は承知の上で結婚した。でも、それが何だというのだろう。
ある日、美佐子が私にこう言ってきた。
「お姉さん、もう三十過ぎて子供いないんですよね。なんでですか?」
この手の質問には、何度も辟易していた。近所や親戚からも、子はまだか、会社の後継ぎを生むのが長男の嫁の役目だろう、と言われるたびに、心の中でため息をついていた。だから、私はいつものように、
「さあ、それは神様にしかわからないわね」
と、にこやかにかわしていた。でも、美佐子は引き下がらなかった。
「お姉さんって、女としても妻としても、完成品じゃないってことじゃないですか。私、ちゃんと男の子も女の子も産んだんですから、私たち夫婦の方が会社を継ぐのにふさわしいと思うんですけど」
私は言葉を失った。何を言っているんだろう、と思った。
「良一さんが会社を継ぐの、納得できません。お姉さんから良一さんに、今の立場を私の旦那に譲るように言ってもらえませんか?」
そう詰め寄ってくる美佐子に、私は冷静に答えた。
「ちょっと待って。そんなこと、私にできるわけないでしょ。会社のことは、お父さんに直接話したらいいじゃない。あなたたちが相応しいと思うなら」
「それができれば苦労しないんですよ。義父は昔、若い頃にかなりやらかしていて、地元での評判がすごく悪いんです。それで子供たちを後継にしようとは思わないだろうって、最初から決めつけてるんです」
確かに、義父は表向きは穏やかでも、過去に色々とあったらしい。義母に聞いた話では、義姉が昔、義父の後始末で頭を下げて回ったこともあるという。でも、それはあくまで過去の話だ。
「で、あなたが言いたいのは、何なの?」
「だから、お願いですよ。お姉さんが一番、会社のことを理解してると思うんです」
「違うでしょ。お父さんに直接話すべきよ。あなたたちがだって、私に丸投げするのはおかしいわ」
美佐子は、むっとして口を閉じた。そして、しばらく考え込んだ後、何やら企んだような顔をした。
それから数日後のことだ。週末、美佐子と亮太が双子を連れて、義実家にやってきた。結婚してからほとんど訪れることのなかった彼らにとって、義両親が孫の顔を見るのは初めてだった。義母は目を輝かせて双子を抱っこし、義父もデレデレと孫を可愛がった。
「おお、うちの孫か。いい男になるぞ」
「ほら、見てみて。目元なんて、良一にそっくりじゃない?」
正直、双子は義父には似ていないと思う。でも、義両親は大喜びだ。義弟の亮太は、へらへらとしながら義父にすり寄って言った。
「親父、見てよ。この子たち、将来すごい奴になると思うんだ。だって、親父の血を引いてるんだからな」
「ふふっ、そうだな」
美佐子も、双子に向かって話しかけながら、こう言った。
「おじいちゃんとおばあちゃん、ね。これからたくさん可愛がってもらいなさいよ」
そして、私を見て、にやりと笑った。その笑みには、何か仕掛けてくるぞという意図が見え透いていた。
「お父さん、私、この子たちを、お父さんみたいな立派な人に育てたいんです。だから、ちょくちょく連れてきて、お父さんの姿を見せてあげてもいいですか?」
義父は顔を輝かせて喜んだ。
「そうか、そうか。可愛い孫のために、何でも力になるぞ」
義父が喜びに浸っているのを見た亮太が、すかさず付け加えた。
「それでよ、親父。俺たち、生活が苦しいんだよ。双子も生まれたばかりで、金がかかってさ。しばらく、援助してもらえないか? 可愛い孫のためだと思ってさ」
猫なで声でそう言う亮太に、義父は二つ返事で承諾してしまった。なんと毎月十万円だ。私は呆れて、二人をぎょっと見たが、義母も夫も、困ったような表情で黙って見ているだけだった。
後で義母に聞いた話だと、義弟の亮太は若い頃にかなりのやんちゃをしていて、地元での評判は最悪らしい。義父は息子のそんな姿を歎き、会社を任せるのは無理だと思っていたという。美佐子は多分、それを知った上で、義父の弱みに付け込んで孫を盾に使っているんだろう。
「あの双子をホイホイ可愛がるって、あんたたちも我が子が心配じゃないのかしら。あの二人の言うままにお金を出してるだけじゃないの」
義母は溜め息混じりにそう言った。確かに、このままでは義両親がいいように使われてしまう。でも、私が口を出せる問題でもない。そう思っていると、美佐子が再び私に向かって言い放った。
「お姉さん、多分もう子供を産めないでしょ。だから、この子たちで疑似体験させてあげようと思ってるんです」
その瞬間、私は何かが切れるのを感じた。侮辱されたという感覚もある。でも、それ以上に、私の人生を勝手に決めつけられたことに対する怒りがあった。
「はあ? 何言ってるの?」
「せっかくですから、田舎に住むお姉さんの立場がこれ以上悪くならないように、この子たちをたまに見せてもいいって言ってるんです。子供を産めないお姉さんの、修行のためですよ」
「ちょっと待って。よく聞きなさい。私はあなたに何も頼んでない。確かに子供がいないのは事実よ。でも、それはあなたが干渉していいことじゃない」
「お姉さんは、不妊のまま長男の嫁をやってるから、会社がなくなるかもしれないんですよ。それについて、罪悪感はないんですか?」
「何よ、それ。私のせいにする気?」
「言ってる意味が分からないなら、まあいいです。でも、この子たちはいつでも置いていきますから。その時はよろしく」
そう言って、美佐子は双子を連れて帰っていった。部屋に残された私は、怒りと同時に、何か漠然とした不安に駆られた。このままでは、会社の将来はおろか、義両親との関係も壊れてしまうかもしれない。
数日後、美佐子は双子を連れて、再び義実家にやってきた。今度は義母も義父も不在で、私が一人で対応することになった。
「あれ、お母さんたちは?」
「ちょっと用事で出かけてるわ。双子ちゃん、可愛いわね」
そう言って、私は抱っこしようとしたが、美佐子は双子をギュッと抱き寄せて、私の手を払った。
「お姉さん、子供の扱いって分かってます? あなた、一人も育てたことないでしょ」
「だから、あなたに言われなくても分かってるわよ。とりあえず、あがって待ってなさい」
「いいえ、私はこれから友達と約束があるんです。この子たち、置いていきますね」
「はあ? あんた、何言ってるの。夫婦で話し合って、ちゃんと育てるのが当たり前でしょ。突然置いていくなんて、非常識にも程があるわ」
「いいえ、私はお姉さんに、育児の大変さを教えてあげたいんです。私、この子たちを預けたまま、ここを出ますから。何かあったら、全部お姉さんが悪いって言いますからね。『この家の嫁は、孫を預かれない』って世間に言いふらしますから」
そう言い放つ美佐子は、もう止まらなかった。
「双子の世話ができないお姉さんが、自分の立場を理解するいい機会ですよ。ほら、じいじとばあばが帰ってくるまで、しっかり見守っててくださいね。裏切ったら、次の集まりの時、『お姉さんは、この子たちを虐待した』って噂を流しますから」
「このッ……! あんた、今なんて言った!」
思わず怒鳴ったら、美佐子は嬉しそうな顔をして、ぴしゃりと言った。
「言った通りですよ。もう一度言わせるなら、はっきり言います。お姉さんは、この子たちに何かあったら、私がこの家を、この家族を、全部めちゃくちゃにしますから。いいですね? そのつもりで、しっかり子守りしててください」
そう言って、美佐子は振り返りもせずに玄関を出て行った。私の腕の中には、置き去りにされた双子が二人。まだ生まれて半年程度の、小さな命。私は戸惑いのまま、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
夜になっても、義両親も夫も帰らない。双子はミルクを欲しがって泣き、おむつを替えても泣き、私は必死にあやしながら、どうすればいいのか分からなかった。何度もミサの連絡先を呼び出そうとしたが、携帯は繋がらず、メッセージを送っても既読すらつかない。亮太にも連絡したが、出る気配がない。
私は震えながら、旦那の良一に電話をした。
「ねえ、ちょっと聞いてよ。美佐子が双子を置いていったのよ。私、どうすればいいの」
「えっ? 何で? お袋も親父も知らないのか?」
「知らないわよ。二人とも用事で出かけてるらしいし、私一人なんだから!」
「もう少ししたら、落ち着いたら帰るよ。それまで何とかしてくれ」
「何とかって……」
私は部屋に戻って、双子を眺めた。一人はすやすやと眠り始めているが、もう一人がまたぐずり始めた。私は抱き上げて、背中をトントンと叩きながら、無意識のうちに語りかけていた。
「大丈夫。大丈夫よ。何があっても、あたしがちゃんと見てるから」
その言葉が、自分自身に言い聞かせているように思えた。
次の日の朝、ようやく義母が帰宅した。私は一瞬の出来事を話して、涙が止まらなかった。
「もう、本当にごめんなさい。まさか、そんな無茶をするなんて」
「お母さん、あの性格は何とかならないんですか。お父さんに話して、会社に干渉される前に、何とかした方がいいですよ」
「分かってる。分かってるけど……あの子は、こっちの言うことを聞く子じゃないんだ」
「でも、このままじゃ家の中もメチャクチャになるわ。ねえ、お父さんは何て言ってるの?」
義母は、ため息混じりにうつむいた。
「お前の言いたいことは分かる。でもな、あいつも昔、若い頃にやらかしてな。それがトラウマで、子供に強く出られないんだ」
「だからって、孫を盾に金をせびられて、泣き寝入りする必要なんて……」
「分かってる。分かってるんだ。でもな……」
義母が言いかけて、玄関のチャイムが鳴った。出てみると、そこに立っていたのは夫の良一だった。彼は私を見るなり、顔を強張らせた。
「美佐子を連れて来た。話がある」
その後ろには、ツンと顎を上げた美佐子の姿があった。彼女は私を見るなり、ニヤリと笑った。
「お姉さん、ご迷惑をおかけしました。さすがに反省したので、謝りに来たんです。まあ、これからもよろしくお願いしますね」
「……あんた、それだけ?」
「へえ?」
「あなた、私がどれほど苦労したと思ってるの。双子を置き去りにして、いなくなるってどういうこと?」
「だって、悪いと思ったから、謝りに来たんですよ。これで仲直りしましょうよ。ね?」
「ふざけんな!」
私は思わず叫んでいた。周りが驚いて、私を見る。
「あんたたち、いつまで私を都合のいい女扱いするつもり? 私はあんたたちのおもちゃじゃない。私はちゃんと自分の人生を生きてるの。お前のために、会社を守れとか、子守りをしろとか、そんなの聞いてない!」
美佐子の顔から笑みが消えた。良一も義母も、何も言えずに黙り込む。
「確かに私は子供を産めないかもしれない。でも、それは私の人生の全部じゃない。あんたたちに何が分かるって言うの。あんたたちに、私の何が分かるの」
部屋の中に、沈黙が広がる。息を整え、私はゆっくりと義母に向き直った。
「お母さん、ちょっとお話があります。会社のことです。良一と二人だけで、後でいいですか」
義母は一瞬ためらったが、ゆっくりとうなずいた。美佐子は唇を噛んで、何か言いかけたが、夫に「余計なことは言うな」と目で制された。
その夜、私たち夫婦は義両親を交えて、しっかりと話し合った。私は、これまでの美佐子と亮太の行動をすべて告げた。義母は悔しそうに、義父は何度も謝った。
「すまない。本当にすまない。まさか、あの子がそこまで……」
「謝るのはいいです。でも、このままだとどうなりますか。お父さんとお母さんがいるうちはいいですけど、何かあったら、あの二人が会社を好き放題にしますよ。せっかく良一さんが守ってきた会社が、無駄になりかねません」
「そうだな……確かに、その通りだ」
「それで提案なんですけど、会社の体制を見直しませんか。現在、代表権はお父さんにありますが、これを良一さんの単独に移すんです。それと、美佐子たちに金をせびられないように、あの二人にはっきりと、一切援助しないと宣言してください」
義父は、長い沈黙の末に、力なくうなずいた。義母も「それがいいわね」と同意した。
「でも、あの子たちが納得しないわよ」
「どうにかします。私が直接、話します」
私は立ち上がり、翌日、美佐子に会いに行った。美佐子は不機嫌そうな顔で、私を玄関先で迎えた。
「何の用ですか。今頃、何の話があるんですか」
「決着をつけに来たの。あなたたちが会社に干渉するのを、もう許さないと」
「はあ? あんた、何様のつもり?」
「いいから、黙って聞きなさい。あなたたちは、もう私の義父から一切、金を受け取れない。会社の権限は、全て夫に移った。今までみたいに、孫を盾に何かを要求するのは、もうやめなさい」
美佐子は一瞬、言葉を失ったが、すぐにヒステリックに叫んだ。
「あんた、よくもやってくれたな! よくも、私の人生をメチャクチャにしてくれたな!」
「メチャクチャにしてるのは、そっちでしょ。もう二度と、私や私の家族に近づかないで」
「ふざけんな! おぼえてろ! 今に見てろよ!」
相変わらず、美佐子の罵声は続く。でも、もはや怖くはなかった。私は背を向けて、その場を離れた。
家に戻ると、良一が待っていてくれた。何も言わずに抱きしめてくれた。
「大丈夫か? 話はしてきたんだろ」
「うん。これで、終わり」
「すまない。俺がもっとしっかりしていれば」
「いいのよ。私が選んだ道なんだから」
私の目からは、もう涙は出なかった。不思議と、心は静かだった。美佐子たちとのいざこざは終わった。これからは、もっと穏やかな日々が続くはずだ。少なくとも、あの双子が成長して、物事の分別がつくまでは。
