夜風が冷たく肌に触れた瞬間、数人の武装した男たちがオフィスビルから出てきた俺をぐるりと取り囲んだ。一目で全員がヤクザだと分かった。俺は落ち着いた声で問いかけた。
「なんだ?」
すると男たちの背後から新人社員の須藤がひょこりと現れた。
「お前、墓穴だな」
須藤は大爆笑しながら言い放った。俺は驚きで一瞬、動きを止めた。
「は、ビビってるよ。いい気味だな」
須藤は俺の動揺を恐怖から来るものだと思ったのか、嬉しそうにニヤニヤと笑っている。
「お前、ここで終わりだぜ。じじいがいい気になると痛い目見るんだよ」
俺を取り囲むヤクザたちも須藤と同じようにニヤニヤと笑いながら口々に嘲ってきた。だが、俺は冷静にその顔ぶれを見回した。すると、リーダー格と思われる人物の顔に見覚えがあった。
「お前、須藤組だな。そうか。須藤、お前は勝也さんの息子か」
「はあ?」
「今すぐ、お前の親父と幹部全員呼べ」
須藤は俺の言葉を笑い飛ばした。
「は?なんでそんなことしなくちゃいけないんだよ。バカか」
「そうかよ。じゃあ、俺がかけるわ」
俺はスマートフォンを取り出し、電話をかけた。すると、それを見たいじめの一人が殴りかかってきた。俺はそれを軽く交わし、逆に背中に蹴りを入れた。そいつは勢いよく地面に転がった。
ヤクザたちは驚いて呆然としている。須藤も口を半開きにして俺を見つめていた。
「あ、もしもし。親父。俺だ。今ちょっとめんどくさいことになってる」
俺は簡単に状況を説明した。
「すぐに幹部を送る。場所を教えろ」
俺は場所を伝え、電話を切った。須藤は不思議そうな顔をして、まだ何も分かっていないようだった。取り囲んでいる連中はジリジリと間合いを詰めようとしてはくるが、飛びかかってくる者はいなかった。
少しして、黒塗りの車が目の前に止まった。車から白川組の幹部たちが出てくる。彼らは俺を見るなり、深く頭を下げた。
「お久しぶりです、若様」
俺は何年かぶりに聞くその呼び方に苦笑した。須藤が引きつった顔を向けてくる。
「会社の前で大立ち回りするわけにもいかないからな。じゃ、こいつらのこと頼んだ」
俺は幹部の一人に声をかけて歩き出した。
「お送りしましょうか?」
そう声をかけられたが、俺は首を小さく横に振って駅に向かった。あんな目立つ車で帰ったら、近所の人たちに何を噂されるか分かったものじゃない。
「おい、待てよ。お前らも何やってんだよ。おい、あ、やめろよ」
須藤以外の面々は、目の前にいるのが総本家・白川組の幹部たちだとすぐに分かったのか、縮こまって何も言わない。騒いでいた須藤も、すぐに幹部によって車に押し込まれた。
翌日、須藤の件で話があると親父に呼び出された。実家である白川組の本部に到着すると、組長である親父以外にも、須藤組の組長で須藤の父親でもある須藤勝也と、須藤本人もそこにいた。
しかも親父の目の前で、須藤親子は土下座をしている。勝也からは必死な心からの謝罪の意が伝わってくるが、肝心の須藤の方からは「いやいや」という雰囲気がただ漏れだった。
今いち状況が飲み込めず、俺は親父に向かって疑問の視線を投げかけた。
「昨日の夜の件について、お前に謝罪したいってのと、まあ、どうしてそんなことになったのかって理由を説明してほしいんだとさ」
親父は俺の視線を受けて説明してくれた。
「須藤、お前から説明したらどうなんだ?」
俺は土下座をしている須藤を見下ろしながら言った。須藤は俺の言葉に不貞腐れたようにそっぽを向く。すると、すかさず勝也がその頭を押さえた。
俺はため息を一つつき、ことの経緯を説明した。まず、勤務態度に問題があることを説明していくと、須藤が顔を上げて口を開いた。
「课長、それはちょっと話を盛りすぎじゃないすか?俺は至って真面目に仕事してますよ。そりゃ、ちょっとはミスもしますけど」
須藤はヘラヘラと笑いながら言う。
「若様が嘘をついてるっていうのか。お前は」
勝也が怒りで震える声で言った。
「う、嘘っていうか、だって。大体、白川組の組長の息子がなんであんな普通の会社で課長なんてやってるわけ?おかしいじゃん。しかもたまたま俺がその会社に入って、たまたまこの人の部下になったっての」
「まあ、確かに偶然にしちゃ重なりすぎだな」
親父がからからと笑いながら言う。すると、勝也が少し言いづらそうに口を開いた。
勝也の話によると、大学を卒業したらなんとなく組に入って、努力もせず、そのうちなんとなく組長になれると思っている息子を心配した勝也が、一度は社会に出て荒波に揉まれてこいと言ったそうだ。ただ、就職活動なんてするつもりもなく、入りたい会社どころか興味のある業種すらない息子を見かねて、勝也は俺が務めている会社をなんとなく進めたそうだ。
「すみません。以前、若様が楽しそうに仕事の話をしていたのを思い出して、つい。でもまさか若様の部署になって、こんなご迷惑をおかけすることになるとは」
勝也はさらに頭を床に擦りつけた。
「まあ、うちはそこまで大企業ってわけじゃないから、同じ部署になる確率はそこそこ高いかもしれない。それに、専門知識があったり、強い希望があったりしない場合、新人は俺が所属している部署に配属される可能性が高い」
「で、でも俺、课長なんて今の組の集まりとかで見たことないんだけど」
「お前はそもそも、ほとんど人の顔なんて覚えてねえだろうが」
「さ、さすがに白川組の後継になるかもしれない人の顔ぐらい、俺だって覚えてるって。ほら、正春さんのことは知ってるし」
須藤は勝也の言葉に必死に反論する。どうしても俺が白川組の組長の息子だと信じたくないのだろう。
俺は大学卒業後、ヤクザの世界から足を洗い、平穏な生活を求めて家を出た。そのため、白川組の内部にいる者たちで俺のことを知っているものは少ない。
「正治は俺の弟だ。俺は最初から後継ぎになるつもりはなかったから、組の集まりとかに顔を出してなかったんだよ」
「は?白川組の組長の長男なんで、黙ってりゃ組長の座が手に入るのに。それ蹴ってあんな会社の课長なんてやってんの?頭おかしいんじゃねえの?」
須藤が馬鹿にしたような口調で言う。勝也が須藤の頭を掴もうとするよりも早く、俺はその胸ぐらを掴んだ。
「あんな会社だと?何一つまともに仕事もできないようなひよこが、うちの会社を馬鹿にしてんじゃねえぞ」
俺は胸ぐらを掴んだ手に力を込めながら、低い声で言った。
「その辺にしといてやれ。そのまんまだと殺すぞ」
俺は親父の言葉で我に返り、手を離した。須藤は咳き込みながらその場にへたり込んだ。
「じゃあ、俺からの質問だ。今から聞くことに、ちゃんと答えろ。曖昧な返事も嘘も許さねえ」
俺はへたり込んでいる須藤の顔を覗き込み、低い声で言った。
「お前が台無しにした商談の先方の担当者に、何を言った?あいつは明らかに怯えてた。あれは単純にお前の謝罪を受け入れたって感じじゃねえ。何を言った?何をした?」
俺の質問に、須藤の顔から一気に血の気が引くのが分かった。そして、口を開き、消え入りそうな声でボソボソと話し始めた。
あの日、同僚たちの冷たい視線に耐えかねて会社を飛び出していった須藤は、先方の会社に行き、謝罪をしたいと伝えて担当者を呼び出した。そして、外に連れ出し、待機させておいた舎弟の下っぱと一緒に担当者を囲み、脅したという。
須藤が勝也の息子だと気づいた時点で、大体の予想はついていたが、実際に須藤の口から聞くと、怒りが込み上げてくる。
「お前、ヤクザの息子であることを利用して、一般人を脅したのか」
勝也は須藤を見つめて、信じられないといった風に震える声で言った。その目は怒りで充血している。
「いや、ちょっと脅したっていうか、お願いしたっていうか、別に手を出したわけじゃねえし、会社的にも助かっただろ。また商談させてもらえることになったんだからさ」
須藤は引きつった笑顔で言う。
「このバカ野郎。おめえは何も分かっちゃいねえな。お前はヤクザの名を汚したんだよ。一般人にしていいことをしたわけじゃない」
「勝也、分かってるな」
ここまで沈黙していた親父が、須藤を見据えて、地の底から響くような冷たい声で言い放った。一瞬にして、その場が凍りつく。その迫力に、須藤は息をするのも忘れているようだった。
親父の目にはもう須藤は一切映っておらず、勝也だけをまっすぐに見つめていた。勝也も苦しげな表情を浮かべつつ、親父の目を見返して、しっかりと頷いた。
この騒動が終わった後、須藤は会社を退職していった。勝也から絶縁宣言され、家も追い出されたそうだ。
春に入社して一年も経たないうちに退職し、退職した理由があの理由だ。そんな人間を雇う会社は早々見つからないようで、須藤は再就職にかなり手こっているようだ。
何の苦労もなく組のトップに立てると思っていたのに、こんなことになって須藤としては悔しいだろうが、全て自業自得だ。
一方、勝也は自分の息子の育て方が悪かったのがそもそもの原因だと責任を取るため、組長をやめると申し出たそうだ。しかし、親父がそれを引き止めた。
勝也自身は人望も厚く、組の運営手腕もピカイチ。息子がああなったのが不思議なぐらいの優秀な人材なのだ。俺も大学進学や就職についての悩みなど、親父よりも勝也に相談していたほどだ。
真面目すぎて一度決めたら引かない勝也を説得するのに、かなり骨が折れたと親父がぼやいていた。
そして、俺はと言うと、平穏な日々を取り戻すことができた。会社では須藤の問題が解決し、取引先との関係も修復された。須藤には会社をやめる前に、脅した先方の担当者にしっかりと謝罪をさせた。
改めて行われた商談では、ブラッシュアップした契約内容を提示し、契約は無事に結ばれた。先方にも満足してもらい、担当者の彼も心底安心したのだろう。涙を流して商談成立を喜んでいた。
一時は責任を感じてひどく落ち込んでいたが、今ではすっかり元気になってバリバリ仕事をこなしてくれている。
俺はすっかり雰囲気の良くなった部署内で働く部下たちを見回し、ふと怒りで須藤の胸ぐらを力任せに締め上げたことを思い出した。
「俺も、まだまだだよな」
俺は自嘲気味に呟いた。どんな状況でも、怒りで我を忘れることなく、親父のように威厳のある態度でその場を納められるような人間になりたいものだと思った。
まだまだ未熟な部分ばかりだが、俺はこれからも真摯に仕事に向き合っていこうと、心に誓った。
