「お前みたいな高が大工の若造が、一丁前にポリシーだと? 勘弁してくれよ」…

「お前みたいな高が大工の若造が、一丁前にポリシーだと? 勘弁してくれよ」...

「高大工の分際で生意気だな。俺は雇用主。お前はしがない雇われ大工だ。自分の立場ってものが分かってないのか?」

親会社から派遣されてきた新しい社長は、自分自身も雇われの身であることを棚に上げて、俺を見下すように怒鳴りつけた。扱っているのは粗悪な木材。それに文句を言えば聞く耳すら持たず、ついには俺を追い出した。

「いつか大変なことになりますよ」

俺の忠告を馬鹿にして鼻で笑った社長。だが、その「いつか」は予想以上に早くやってきたのだった。

俺の名は酒井シ司。父の下で大工の修行を積み、数年前に独立した。父は質の良いものにこだわる大工で、木の一本、釘の一本に至るまで自分で確かめ、納得したものだけを使う。その分コストも時間もかかるが、仕上がりの良さと耐久性の高さは折り紙付きで、工務店からの依頼は途絶えなかった。腰を壊して父は引退したが、その志を受け継いで俺も日々腕を磨いている。

独立してからも仕事の依頼は途切れず、評判も良い。今は昔からの付き合いである木下工務店からの依頼を主に受けている。木下工務店は頑丈で高級感のある住宅建築に定評のある会社だ。特に社長は、俺がまだ父の弟子だった頃からの付き合いで何かと面倒を見てくれた。俺は父と同じように自分で選び抜いた木材を使うため、どうしても割高になる。だが社長はそれを理解してくれていて、「うちの評判がいいのはシジ君の目利きと腕のおかげだ」とまで言ってくれていた。

そんなある日、仕事の打ち合わせを終えた帰りに社長に呼び止められた。

「すまないね、忙しいところ」

「それより社長、もしかしてどこか具合が悪いんですか?」

遠慮がちな俺の問いかけに、社長は困ったように笑った。実際、ここ数ヶ月で社長は痩せてしまっていたし、肌の調子も良くなさそうだった。住宅建築の依頼もあまり受けていないように見えたからだ。

「前から医者には入院するように言われていたんだ。肝臓がね、良くないらしい。できるとこまでと思っていたけど、さすがにドクターストップがかかってね。一時は廃業も考えたよ」

「そうなんですか……」

「だがね、うちを買収したいという企業が出てきてね」

社長が挙げたのは、テレビCMも流している建築業界の大手の名前だった。

「それで色々考えたんだが、今受けている依頼もあるし、途中で放り出すよりは買収に応じようかと思って」

「社長が考え抜いた末の決断なら、俺は何も言いませんよ。とにかく今は体を優先してください」

「君と仕事ができなくなるのが残念でならないが、できればこれからも木下工務店の依頼を受けてくれれば嬉しい」

「はい、もちろんです」

こうして社長は引退し、入院生活に入った。そして木下工務店には、買収元の企業から佐藤という新しい社長が派遣されてきた。

新しい社長は親会社の言いなりで、「最小限のコストで最大限の利益を上げろ」と口癖のように言っていると、社員から聞いた。俺は不安を覚えながらも、佐藤と初めて顔を合わせることになった。

「酒井と申します。よろしくお願いします」

頭を下げた俺に、佐藤はしばらく失礼な視線を投げかけてきた。

「へえ、お前が大工の酒井か。若いなあ。前の社長はこんな若造に大事な仕事を任せてたのかよ。あの社長、体だけじゃなく頭の方もとっくに耄碌してたんじゃないか」

初対面にも関わらず、嘲笑を浮かべてそんなことを言ってくる佐藤に、俺は内心かなり腹が立った。だが、若いというだけで見下してくる奴はどこにでもいる。そう思い直して、俺は淡々と返した。

「確かに年齢的には若い部類ですが、経験は相応にあります。お客様から嬉しい言葉をいただく機会もありますし、ご期待に添える結果を出す自信もあります」

「いい、そういうのは」

佐藤は俺の言葉を面倒くさそうに遮った。

「お前みたいな暇人と違って俺は忙しいんだ。そういうご託はいいから、こっちの指示通りに仕事をしてくれたらそれでいいんだよ」

そして佐藤はジロリと俺を見てきた。

「お前、聞けば自分で選んできた木材を使えって現場でゴリ押しするそうじゃないか」

「お言葉ですが、ゴリ押しなんてしてません。無理やりそうしろと言ったことは一度もありませんよ」

俺の反論を、佐藤は鼻で笑い飛ばした。

「こだわりか何か知らないが、高が大工の立場でそんなことにまで口を出すなって言ってるんだよ。いいか、今後は親会社が用意した木材を使え。分かったか?」

言うだけ言って、佐藤はさっさと立ち去っていった。言いたいことは山ほどあったが、前社長への恩を思い出して、俺は何とかそれを飲み込んだ。

新しい社長の下で、俺は新たな依頼を受けることになった。だが、現場に届いた木材を見て俺は絶句した。それは粗悪な輸入品だったのだ。しかも表面だけは綺麗に加工されているから、詳しくない人間には良し悪しがほとんど見分けられないような、質の悪いものだった。

俺は驚きと怒りで佐藤に抗議した。

「何ですか、この木材は? これではお客様の要望になんて答えられません。それに、こんな粗悪品を使うなんて、俺のポリシーに反します」

だが、俺の剣幕とは裏腹に、佐藤はうんざりした顔を隠そうともせず、目を細めて俺を見てきた。

「ポリシー? お前みたいな高が大工の若造が、一丁前にポリシーだと? おいおい、勘弁してくれよ。これは学生のごっこ遊びじゃないんだ。仕事なんだよ、仕事」

そして佐藤は意地悪く口元を吊り上げた。

「なあ、お前、業界じゃ随分と評価されてるらしいが、限られた時間と環境で完璧な仕事をしてこそ一流の大工だろう。それとも、お前は仕事ができないのは木材の質が落ちたせいだって責任転嫁するのか?」

あまりの言い草に、俺は返す言葉も出てこなかった。佐藤はそんな俺を嘲笑うように手を振った。

「ほら、分かったならさっさと仕事しろ。俺は忙しいんだ」

彼にはこれ以上話が通じそうになく、俺は無言で背を向けるしかなかった。以前とは桁違いにやりにくくなった現場だが、お客様にはそんなことは関係ない。粗悪な木材でも工夫して、以前と同じように質の高い家を作ろうと俺は奮闘していた。

しかし、それからしばらくして、俺はとうとう怒り心頭に発した。届いた木材を割ってみたら、その中の数本が腐りかけていたのだ。

これには俺も顔色を変えて、工務店に引き返し佐藤に訴えた。

「こんなもの、使えるわけないじゃないですか! これはほとんど詐欺ですよ!」

怒鳴り込んできた俺に、佐藤は手元の書類から顔も上げずにバカにしたように返した。

「おいおい、人聞きの悪いことを言わないでくれよ」

まるで聞く耳を持たないその態度に、途方に暮れながらも俺は必死で粘った。

「お願いです。全部ダメなら、せめて俺が関わる依頼だけでも、俺が選んだ木材を使わせてください。コストもできるだけ抑えます。この通りです!」

その場に頭を下げた俺を、ようやく書類から目を離した佐藤が、腑に落ちない様子で探るように眺めている気配がした。

やがて佐藤は鼻を鳴らして声を荒げた。

「お前、自分の立場が分かってないようだな。お前はしがない雇われ大工だろ。俺に使ってもらっている分際で、よくもそんな生意気な口が叩けたもんだな」

雇われであるのなら、それは佐藤も同じだろう。だが、自分のことは棚に上げて、彼はなおも顔を真っ赤にして言い募った。

「こだわりか何だか知らないが、そんな虫けらみたいな自尊心に俺が付き合う義務もないだろう。はっ、辞めたきゃ辞めろ。お前一人が辞めたところで、うちは全く困らないからな」

この言葉に、俺は思った。ああ、この社長の下では、俺は大工として大事な何かを失ってしまう。前社長の優しい笑顔が脳裏をよぎった。俺は心の中で前社長に頭を下げ、それから佐藤に答えた。

「分かりました。では、俺は今後一切こちらとは仕事をしません。でも佐藤さん、こんなことを続けていたら、いつか大変なことになりますよ」

俺の精一杯の忠告も、残念ながら相手にはこれっぽっちも響かなかったようだった。

「はっ、これはこれはご忠告どうも。だがお前は人の心配をするより、自分の心配をした方がいいぞ」

そう言ってニヤニヤと笑う佐藤を一瞥し、俺は今度こそ踵を返した。こうして俺は、長年世話になった木下工務店との契約を終了したのだった。

木下工務店との契約を切ってしばらくが経った。幸い、単発の仕事の依頼はちょくちょく来るので、なんとか困らないくらいには生活できている。この日も以前建てた家からの雨漏りの修理依頼があり、俺は相手先へと赴いていた。

「酒井さん、よかったらお茶をどうぞ」

「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えていただきます」

「お嫌いじゃなければ、一緒にお菓子もどうぞ。ごめんなさいね、雨漏りの修理まで頼んじゃって」

この家は、父が引退する直前に携わった家の一つで、俺も何度か現場に顔を出していたため、奥さんとは顔見知りだった。

「いえいえ、お気になさらず。雨漏りも放っておくと大変なことになりますからね」

「でも、シジさん、今は独立して立派に働いてらっしゃるって聞いたわ。確か、木下工務店だったかしら? そちらと契約してるって」

その言葉に、俺は小さく苦笑した。

「ああ、ええ。その木下工務店との契約は、終了になったんですよ。だから今は、ご依頼をいただければ何でもしますので、宣伝よろしくお願いします」

「あら、そうなの? 分かったわ。私、いっぱい宣伝しておくわね」

驚いたようにそう言うと、奥さんは目を丸くしながらもフフッと笑ってくれた。

すると、その数日後、俺の元に伊藤工務店というところから住宅建築の依頼が入った。聞けば、先日雨漏りの修理で訪れた奥さんから、俺のことを伝えられたらしい。

工務店の社長である伊藤さんは、わざわざ俺の家を訪ねてくれ、熱心に経緯を説明してくれた。

「うちも昔から木造住宅の建築を主軸にしてきましたが、これからはより高級思考にシフトしようという流れになりましてね。木下工務店の前社長のことも存じていますよ。酒井さんのこともお聞きしています。『若いけど、とても腕の良い大工だ』とおっしゃられていました」

伊藤さんは懐かしそうに目を細め、それから改めて俺を見た。

「実際、酒井さんの関わられた家はどれも素晴らしかったですから、今回こうしてお願いした次第です。私は酒井さんの志に全幅の信頼を置いています。酒井さんには、ぜひ木材選びから全てをお任せしたい」

伊藤社長は俺より一回り年上だったが、俺を若造だと見下さず、終始丁寧な物腰でそう言った。何よりその真剣な眼差しが、顧客のためにより良い家を作りたいという思いを物語っているようで、俺は二つ返事で彼の依頼を受けることにした。

伊藤工務店から依頼された最初の住宅が無事に完成すると、その作りが丁寧だと口コミで話題となり、伊藤工務店の顧客は徐々に増えていった。

それからまたしばらくが経った。新たな依頼の打ち合わせで伊藤工務店を訪れていた時、ちょうど伊藤社長が外出先から戻ってきた。

「お世話になってます。どうしたんですか? 社長」

普段は穏やかな表情を携えている伊藤社長なのだが、本日の彼はなぜかとても複雑そうな顔をしていた。

「ああ、酒井さん」

俺の姿を認めて、伊藤社長はトイトイと近くに呼ぶと、小声で話し始めた。

「どうやら木下工務店が、顧客から訴えられたらしいんだ」

「えっ」

伊藤社長の言葉に驚きつつも、俺はどこかで「ついにこうなったか」と納得もしていた。この頃、業界内部では木下工務店の評判が悪化しているという噂が広がっていたからだ。コストを追求する下請けの大工が手抜き工事をしたようで、損害賠償請求を起こされているらしい。工務店を辞めた現場監督が、罪悪感に耐えかねて顧客に漏らしたそうだ。

俺が木下工務店と縁を切る前後で、何人の社員が辞めていたのを知っていた。もしかしたら、その中の誰かが現場監督だったのかもしれない。俺は他人事とは思えず、無意識にため息をついた。黙り込んでしまった俺を励ますように、伊藤社長がそっと肩を叩いてくれた。

その後、木下工務店は廃業に追い込まれた。買収元の親会社も業界からの信頼を失い、規模の縮小を余儀なくされた。佐藤も責任を取らされて、左遷処分になったらしい。その話を聞いたのは、退院した前社長からだった。

「最後まで木下工務店に寄り添うことができなかった」と謝る俺に、前社長はすっかり肌艶の良くなった顔をほころばせて、優しく言ってくれた。

「むしろ、君が巻き込まれなくてよかったよ。伊藤さんによろしく」

多くの顧客を抱えていた木下工務店がそのような末路を迎え、各社による顧客の取り込みが激化する中、伊藤工務店は順調に業績を伸ばしている。俺は住宅建築とは別に、他社から外部アドバイザーとして打ち合わせに参加することも増えた。だが、俺の本分はあくまで大工だ。顧客の要望に沿ったより良い家を建てるべく、今日も俺は自分の仕事に妥協なく励んでいる。

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