「17億円のライセンス料を払う気はない。契約は中止だ」
取引先の新しい部長にそう言い放たれた瞬間、俺の頭の中は真っ白になった。俺の会社を底辺企業と見下したのは、前任の部長とは正反対の男。他人を表面上でしか判断できない人間らしい。このとんでもなくブレない男は、すぐにその報いを受ける時が来た。
俺の名前は太田。45歳。社員数わずか11名の零細企業の社長だ。我が社は電子部品の制御装置や関連部品の開発、製造をしている。売上は安定していて、社員には食べるのに困らないくらいの給料を渡せていた。しかし何せ社員数が少ないため、社長の俺も他の社員に混じって仕事をしている。元々他人と交流するのが好きな性格なので、営業の真似事をすることも多かった。
坂本部長も、俺が営業を担当している取引先の人だ。
「太田社長、今日はお時間取っていただきありがとうございます」
「いえいえ、そんなお気遣いなく」
我が社の応接室で坂本部長と向き合う。特に用がなくても顔を出してくれるが、今日は大切な話があるのだ。
「坂本部長、残念です。転職が成功したのは喜ばしいことですが、私も寂しいですよ」
しょんぼりと肩を落とした俺に、坂本部長が苦笑いを浮かべる。この度、坂本部長は業界ナンバーワンの会社に転職が決まった。現在の会社は業界ナンバー3。どちらも大手だが、坂本部長はステップアップの転職を成功させたのだ。仕事ができる部長が正しく評価されたのは、俺としても嬉しい。しかし坂本部長と仕事ができなくなるのは、とても残念だ。
「人が決まったので、顔を見て直接報告しようと思いまして。それに、一緒にお茶もしたかったので」
坂本部長が持ってきたお菓子を笑顔で渡してくる。俺が先に用意していたコーヒーと共に、しばし楽しいティータイムとなった。俺と坂本部長は甘いものが好きで、初めて会った日にその話で意気投合したのがこの付き合いの始まりだ。こうして社員には内緒でこっそり楽しんでいる。とはいえ11名しかいない会社なので、おそらく全員にバレているだろう。
「こういうこともできなくなるんですかね」
しみじみと言う俺。坂本部長も若干寂しそうにしつつ、コーヒーカップを置いた。
「転職先に太田社長の会社のことを紹介しておきますよ。いずれまた一緒に仕事をしましょう。期待してます。さて、そろそろ本題に入りましょう。私の後任ですが、島岡課長が就任することになりました」
部長の口から出てきた名前に、俺は眉を寄せる。島岡課長とは、少々因縁があるのだ。
時は2年前に遡る。新しい制御装置の開発依頼があったため、俺は島岡課長の会社へ足を運んだ。この時、坂本部長は海外に出張中だったため、俺と島岡課長の2人きりの会議となったのだが。
「部長に紹介されたからあんたを呼んだけど、会社の規模がかなり小さいな。11人しか社員がいない零細企業だと? あんたは社長だそうだが、全然そういう風には見えないし」
じろじろと俺に無遠慮な視線を向ける課長。どうやらこの人は最初から俺に依頼するつもりはなかったらしい。こちらが提示した内容に文句をつけるばかりだった。
「これ半額まで抑えられるだろう。うちはボランティア団体じゃないんだぞ。金のない零細企業に募金してやるほどの余裕はない」
俺が提示したのは相場の値段だ。決して高いわけではない。しかし島岡課長は、俺が何を言っても安くしろの一点張りだった。
「この制御装置もなんか安っぽいな。もっと洗練されたデザインの装置を作れないわけ? 貧乏企業はセンスも貧困なのか」
課長の顔には、嫌な笑みが浮かんでいる。
「制御装置のデザインは動作性を考慮したものです。形を変えると従来比で15%程度の機能低下が」
「言い訳は聞きたくないな。もういい。別の会社に頼むから」
こうして島岡課長との商談は中止となった。俺から坂本部長に告げ口はしなかった。下手に報告して部長との関係を壊したくなかったからだ。島岡課長は坂本部長にうまいこと報告したらしい。この件に関して、部長から特に何か聞かれることはなかった。
2年前のことを思い出し、思わず眉を寄せる。
「太田社長。どうされました?」
「あ、いえ、何でもありません」
慌てて首を横に振る。坂本部長は会社を去る人だ。今更2年前のことを蒸し返して困らせたくない。しかし、あの島岡課長が次の部長になるとは。関わったのは短時間だが、制御装置の技術を理解しているとは思えなかった。
「島岡課長はどういう方なのですか?」
俺の問いかけに、坂本部長はこう答えた。
「2年半前に別の会社から転職してきた方で、実は私も詳しいことはあまり知らないんですよ。ここ数年は出張が多くて会社にいる時間が少なかったですしね。うちの人事部長と同じ大学の出身で、そのコネで転職してきたとか。偏差値の高い大学なので、頭はいいのでしょう」
部長の回答に、俺の中で不安感が増す。妙なことにならなければいいが。俺はこっそりため息をついた。
それから2ヶ月後、坂本部長は会社を去り、島岡課長が部長に昇進した。部品の定期納品のため、俺は島岡課長、いや、島岡部長の元へついでに挨拶に伺うことにした。我が社との取引窓口は、坂本部長から島岡部長へとそのまま引き継がれたのだ。
「別の人が担当になってくれれば良かったのに。2年前のことを忘れてくれていればいいんだけど」
小声でつぶやきつつ、営業車から降りる。納品物の部品が入ったダンボールを抱え、島岡部長の元へと向かった。
「失礼します。太田です。納品物のお届けに参りました」
「ああ、そういえば今日だったか」
久々に顔を合わせた島岡部長は、めんどくさそうにダンボールを受け取る。
「島岡部長、部長への昇進おめでとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。では」
そそくさと帰ろうとした俺を、島岡部長が呼び止める。
「ちょっと待て。大切な話がある」
「何でしょう?」
嫌な予感がしつつ振り向くと、島岡部長は2年前と同じ嫌な笑みを浮かべていた。
「まあ立ち話もなんだし、会議室に来てくれ」
胸のざわつきを抑えつつ、島岡部長の後に続く。会議室に入った途端、部長は嫌な笑みのまま口を開いた。
「部長に昇進したことだし、大きな功績を出して会社に貢献しようと思ってな」
「はあ、それは素晴らしい考えですね」
「そのために、てっとり早く功績を出せるコスト削減に取り組むことにした。うちの取引先を片っ端から見直すんだよ。で、お前の会社との取引が目に入った。信じられなかったよ。17億だと? 零細企業に払う金はない。契約は中止だ」
「はい」
上ずった声を出した俺を、島岡部長は楽しそうに見ている。
「お前さ、2年くらい前に坂本部長の紹介でうちに来たやつだろ。地味すぎて記憶から消えかけてたよ。やたら高い金額を吹っかけようとしてたな。俺を騙そうとしたって、そうはいかないぞ。底辺企業の考えなんて、お見通しだからな」
島岡部長が見下すような目を俺に向ける。これにはさすがにカチンと来て、少し語気を強めて言い返した。
「騙すつもりなんてありません。我が社は対等な立場で御社と取引をしています」
次の瞬間、島岡部長の爆笑が会議室に響き渡った。
「はっ、俺とお前が? 面白い冗談だな。いいか? うちは業界ナンバー3の大手企業だ。で、お前のところは地味な零細企業だろ? どこが対等なんだ? 俺に教えてくれよ」
嫌味たっぷりに俺に問いかける島岡部長。この発言から、部長は俺だけでなく我が社を完全に見下していることが分かった。確かに事業規模は天と地ほどの差がある。だからと言って、相手を見下していい理由にはならないだろう。前任の坂本部長は、俺と対等な立場で接してくれた。会社の規模ではなく、俺の仕事ぶりをきちんと見て評価してくれたのだ。島岡部長は、坂本部長とは正反対の人間らしい。
「1つよろしいですか?」
「ああ、なんだよ」
「前任の坂本部長は、引き継ぎ資料を残していなかったのでしょうか?」
俺の問いかけに、島岡部長は鼻で笑って返す。
「そんなもの見なくても分かるだろう。数字さえ見れば全部判断できる。書類仕事は部下に任せる主義でな。お前が底辺企業の地味社長だってことくらい、一目見れば十分だ」
島岡部長の顔が醜く歪む。そして、俺にとって許せない言葉を口にした。
「っていうか、あの無能が残した引き継ぎ資料なんて見る価値もないだろう。半年も会社にいなかったくせに、部長面して偉そうにしやがって。その上、業界ナンバーワン企業に転職だと。どうせコネとか使って汚い手で転職したんだろうけどさ」
その瞬間、俺の体が一気に熱くなるのを感じた。俺への侮辱より、坂本部長への侮辱の方が何倍も許せなかった。あの人がどれだけ誠実に、真摯に仕事と向き合ってきたか。この男には、それを理解する器すら持ち合わせていないのだ。これ以上この人間に言葉を使う価値はない。怒りたくなる気持ちをぐっと抑え、俺は静かに開眼した。
「なるほど。わかりました。では、契約中止にしましょう」
「はっ、お前正気か?」
「はい。良かったですね。17億のコストカットができますよ」
我慢できず、少々の嫌味が口から飛び出す。島岡部長はむっとした顔をしつつ、嫌味で返した。
「そうだな。零細企業に払っていた無駄金をこれで回収できる。お前の会社と無能な前任との腐れ縁もこれでおしまいだ。うちとの取引がなくなって路頭に迷えばいい」
俺は一切反応せず、荷物をまとめる。
「では、失礼します」
「貧乏社長のくせに生意気だぞ。おい、聞いてるのか?」
未だに続く島岡部長の悪態はスルーし、会議室の扉を静かに閉める。これ以上絡まれたくなかったので、足早に車両へ向かった。全く、とんでもない人だったな。契約中止になったのなら、やるべきことがある。この後の予定を頭の中で組み直しつつ、俺は島岡部長の会社を後にした。
2日後、俺は慌ただしく準備を進めていた。今日は来客があるからだ。昨日急に予定が入り、準備のための時間があまり取れなかった。
「よし、これで大丈夫だな」
一通り資料を揃え、応接室に置いておく。すると、女性社員が応接室に入ってきた。
「社長、お客様です」
「お、来たか。お通しして」
「それが、例の方ではなくて、島岡部長なんですよ」
予定に入っていなかった来客の名前に、俺は思わず顔をしかめる。
「社長に通しても、会いたいとのことです」
女性社員は困惑している様子だ。予定の時間まで40分くらいあるし、お通して玄関先に放置しておくわけにもいかない。ずっと玄関先で居座られる可能性もある。次の来客をスムーズに案内するため、先に厄介な問題を片付けておく必要があった。
招かれざる客は、勢いよく応接室へ入ってくる。
「おい、一体どういうことだ?」
若干顔色が悪い島岡部長が、声を荒げて俺に問いかけた。
「何がでしょうか? 説明していただかないと分かりません」
「わざと黙ってたな。お前のところの制御系技術が、うちの主力製品の製造ラインに使われているって」
唾を飛ばす勢いでぶち切れている島岡部長に、俺は呆れた目を向けた。
「逆に、なぜ知らなかったんです? 部長でしょう?」
俺は静かに、しかしはっきりと言葉を続けた。
「本体と交わした契約内容は社外秘扱いで、限られた人間しか知らないものでした。しかし、坂本部長からの引き継ぎ資料にはきちんと書かれていたはずですよ。本体が使っているうちの制御系技術、17個全て特許取得しているものだと」
そう、我が社は島岡部長の会社に部品を定期納品しているだけではない。島岡部長の会社が作っている主力製品。その製造ラインに、特許取得の17個の制御技術が使われているのだ。特許技術の件が社外秘にされていたのは、他者に製造方法を盗まれないようにするためだった。島岡部長の会社は7年ほど前、他国に情報を盗まれている。そのせいでかなりの損失を追った経験があり、情報漏洩にはかなり敏感なのだ。事前に坂本部長からこれらの説明を受けていた俺は、17個の特許技術を使用した製造方法が社外秘扱いになることを了承。おかげで功績を対外的に公表できなかったが、17億というライセンス料を受け取っていたため、特に不満はなかった。そして、ライセンス料がここまで高いのには理由がある。我が社の制御技術は唯一無二のもので、他社では再現不可能だからだ。どういった方法でも代用は効かない。
「契約中止とのことでしたので、昨日のうちに手続きを進めておきました。夕方、御社の知的財産管理部に連絡しておいたのですが」
「今朝出勤したら、その知的財産部からどういうことだと問い合わせが来てたんだ。それで慌ててここに来て」
島岡部長の声が小さくなる。まさか俺の会社が主力製品の製造に深く関わっているとは思っても見なかったようだ。目の前の現実を受け入れられず、視線があちこち泳いでいる。何か考える様子を見せたと思ったら、勢いよく顔を上げ、声高に放った。
「と、とにかく契約中止はキャンセルだ。特許の使用再開を我が社に通達しろ」
「お断りします」
「なんでだよ。ライセンス料がもらえなかったら、お前だって困るだろ」
島岡部長の疑問に、俺は首を横に振って答える。
「いえ、すでに別の契約先を見つけています。アメリカの大手企業です。世界市場の50%を占めている会社ですよ」
「な、だと?」
眼球が乾燥してしまうのではと心配になるくらい、島岡部長は目を大きく見開いた。アメリカの大手企業との繋がりは、半年前にできたものだ。ある日、俺に会いたいとメールが送られてきた。送付してきたのは、業界にいる人間なら知らない人はいない、超有名なアメリカの大手企業だ。その日本支社から連絡が来て驚きつつ、担当者と会うことを決める。
「アメリカの本社から、是非契約して欲しいと頼まれたんです」
担当者の村下さんは、俺より若い男性だったが、事前にかなり勉強してきたようだ。我が社のディープな情報も知っていて、思わず感心する。
「17個の特許技術の独占契約をしたいんです。ご検討いただけますか?」
「嬉しい申し出ですが、現状では少々難しく、詳しい事情をお話しすることもできないんですよ」
失礼に感じさせてしまうかもしれない発言だったが、村下さんはこちらを気遣い、しつこく聞くことはしなかった。
「そうですか。残念です。今後、もし我が社でも使えるようになりましたら、是非連絡を。これからもちょくちょく顔を出してもいいですか?」
「それはもちろん、いつでもお待ちしています」
村下さんは言葉通り、定期的に我が社に顔を出すようになる。真面目で勉強熱心な村下さんはとても好印象で、うちとしても是非一緒に仕事をしたいと思っていたのだ。そこに、2日前の事件が起こった。契約中止を通達後、俺はすぐに村下さんへ連絡を入れる。
「明日、早速伺ってもいいですか?」
電話の向こうから聞こえた嬉しそうな村下さんの声に、「もちろんです」と返した。今日、俺が待っていた来客というのは村下さんだ。もちろん、島岡部長ではない。
「そ、そんなの契約違反だ。訴えてやるからな」
「本社には法的手続きと、事前に交わした契約書の内容に則り、特許停止の通達を該当部署に送付しています。我が社が責められる要因は1つもありませんね」
即座に返され、島岡部長がぐっと言葉に詰まる。悔しそうに唇を噛み、しばらく迷っていたかと思うと、聞いてもいないのに自分の身の上を話し始めた。
「こ、今回、主力製品が作れなくなる。そうなったら我が社の売上は70%も減ると、上層部に言われたんだ。特許技術の使用再開ができなければ、俺は責任を問われることになるかもしれん。頼む。契約中止は撤回してくれ」
島岡部長の顔色は真っ青だ。指の先までブルブルと震えており、目にはうっすら涙が滲んでいる。哀れを誘う姿だが、俺は一切容赦しなかった。
「お断りします。俺はあなたのことを信用していない。撤回したら、また俺に高圧的な態度で接してくるのでは?」
「2度とそんなことしないから」
「じゃあ、なんで俺に1度も謝らないんですか?」
俺の指摘に、島岡部長が驚いた顔をする。部長は今の今まで、謝罪の言葉を一切口にしていないのだ。
「部長は、俺に悪いことをしたと思っているなら謝るはずです。でも頭を下げないということは、悪かったと思ってないってことですよね。そんな相手を簡単に許したら、また別の問題を起こすでしょう」
島岡部長は何度も首を横に振る。滝のように顔を流れている汗が飛び散った。
「す、すまない。この通りだ」
腰が折れるのではと思うくらい、勢いよく頭を下げる。その姿を、俺は冷めた目で見ていた。
「今更遅いんですよ。もう俺は決めました。島岡部長は散々俺に対して非常な態度で接してきた。その報いを受ける時が来たのです。御社とは2度と取引しません。契約は中止です。あなたがどうなろうと、知ったことではありませんよ」
「そ、そんな」
島岡部長が力なく膝をつく。そして、しばらくその場にうずくまっていた。村下さんとの約束の時間が迫っていたため、社員たちに頼んで島岡部長を追い出してもらう。脱力してぐったりしている島岡部長を外まで運び出すのは、なかなか大変だったようだ。
「ごめんね、みんな。手間かけさせて」
などと考えているうちに、村下さんが来た。村下さんは今日も、社員全員分の手土産を抱えてやってきた。坂本部長と同じ、人への気遣いが自然と滲み出る人だ。話し合いの結果、正式にアメリカ本社と独占契約することとなった。
「ありがとうございます。これから末永くよろしくお願いします」
「こちらこそ」
笑顔で握手をして、話し合いは無事に終了した。
島岡部長のその後は、情報通の社員から教えてもらった。責任を追求され、表向きは自己都合の退職となったらしい。会社は市場シェアを20%も落とし、来期はかなりの赤字となるだろう。ある日、外回りの帰り道に偶然入ったコンビニで、見覚えのある人とすれ違った。島岡部長だ。スーツはくたびれ、手には転職情報誌を持っていた。部長は俺に気づくことなくコンビニを後にする。俺からも声をかけなかった。
さて、会社に戻るか。仕事は山積みだ。俺も足早にコンビニから出て、自分の会社へ戻った。



