「中卒が部長。冗談は学歴だけにしてくださいよ」――就任初日から、大卒の部下12人全員が私を無視し続けた。資料はゼロ、質問は無視、廊下では「中卒に説明できる資料はないんで」と笑われた。そして3週間後、会議室に呼び出された私は、全員から辞表を突きつけられた。「お前がやめないなら全員やめてやる」と。私は何も言わず、12枚の辞表をそのまま受理した。翌朝、慌てて撤回を求めてきた彼らに、私はこう返した。…

「中卒が部長。冗談は学歴だけにしてくださいよ」――就任初日から、大卒の部下12人全員が私を無視し続けた。資料はゼロ、質問は無視、廊下では「中卒に説明できる資料はないんで」と笑われた。そして3週間後、会議室に呼び出された私は、全員から辞表を突きつけられた。「お前がやめないなら全員やめてやる」と。私は何も言わず、12枚の辞表をそのまま受理した。翌朝、慌てて撤回を求めてきた彼らに、私はこう返した。...

会議室に入った瞬間、空気が凍っているのがわかった。12人の視線が一斉に俺へ向けられていた。その先頭で、中尾が薄笑いを浮かべていた。

「中卒が部長。冗談は学歴だけにしてくださいよ。私たちは専門性を持ってキャリアを積んできた。あなたの下ではとても働けません」

堀川、32歳。中堅のシステム開発会社でシステム部の部長を務めている。中学を卒業した後、進学する選択肢はなかった。家庭の経済状況がそれを許さなかったからだ。

アルバイトとして今の会社に入り、誰も手をつけたがらない古い基盤システムの改修から始めた。独学でプログラミングを積み上げ、気づけば保守部門を任されていた。3年間で保守コストは3割近く下がった。手作業だった定型業務を自動化し、部門全体の作業量は月200時間分圧縮された。業務障害の対応件数も半分以下になった。

その実績を評価してくれたのが、取締役の川島だった。川島は入社当初から、現場の数字を経営の言葉に変える視点を教えてくれた。障害件数が減っただけでは報告にならない。何時間分の工数が削減され、コストに換算するといくらになるのか。そこまで示して初めて実績になる、と繰り返し教えられた。自らも技術畑を歩んできた叩き上げの役員で、各種ログから数字を把握する方法も川島から学んだ。

役員会で俺の部長昇進を強く推薦したのも川島だった。俺が社内で過去最年少のシステム部長に就いたのは、そういう経緯によるものだ。

昇進は名誉に感じたが、不安でもあった。12人いる開発部門の面々とは、これまでほとんど接点がなかった。俺がいたのは保守運用の担当部門で、オフィスも別だった。就任の挨拶が、開発チーム全員と部長として正式に向き合う最初の場だった。

挨拶を終えて部屋を見渡すと、空気の温度が低いことに気づいた。拍手はなく、表情に変化もない。歓迎されているとはお世辞にも言えない雰囲気だった。部屋の奥で開発チームのリーダー格である中尾が腕を組み、冷たい視線で俺を一瞥した。視線があった瞬間、すぐに目をそらされた。

「まずは皆さんの業務内容を把握させてください。各自の担当と進捗を整理したいと思います」

返事は一つもなかった。この瞬間、俺は判断した。これでは部下たちの自発的な協力は望めない、と。そしてその夜から、社内システムにアクセスし、あらゆる記録を洗い出し始めた。

業務の棚卸しを始めてすぐ、部下たちからの予想以上の抵抗にぶつかった。誰一人、業務内容と進捗をまとめた資料を提出期限までに提出しようとしない。直接声をかけると、「今は別の案件が立て込んでいるので」と、目も合わせずに言い返される。翌週もその翌週も同じだった。提出された資料はゼロのまま。質問しても「担当者でないとわかりません」という返事が続き、担当者に聞けば「確認してから折り返します」と言ったきり、何の連絡もない。

嫌がらせだと気づくのに時間はかからなかった。個人が協力しないのとは違う。12人が示し合わせて、俺の棚卸しを潰しにかかっていた。会議室を押さえて全員に出席を求めたが、当日になって全員が「所用がある」と連絡を寄越した。12人が足並みを揃えている。

後から知ったことだが、中尾は開発チームの採用面接に長年関わっていたらしい。チームの全員は、ある意味で中尾の息のかかった人間ばかりだった。中尾は俺より7歳上で、開発チームの中では最年長になる。中尾を中心に動いていることは分かったが、それにしてもその巧妙な手際が引っかかった。

ある昼休み、別部署で働く同期が声をかけてきた。今回の部長昇進候補には中尾の名前があったという。社内でも噂になっていて、既定路線のように思われていたらしい。川島の推薦はそれを覆したことになる。

ある日、廊下ですれ違い様に中堅の技術者が声をかけてきた。立ち止まりもせず、振り返りもせずに、こう言った。

「中卒に説明できるような資料はないんで」

さらに別の技術者に業務の流れを教えてほしいと声をかけると、「部長がそれを知る必要があるんですか? 」と返ってきた。それは挑発ではなく、素の言葉だった。俺という存在が、そもそも部長として機能するとは思われていないのだ。

就任から3週間が経った頃、内線が鳴った。中尾からだった。

「少しよろしいですか。第二会議室に来てください」

至って落ち着いた声だ。上司の日程も確かめず、いきなり会議室に呼び出す振る舞いに、俺はむっとした。

会議室に入ると、中尾だけでなく12人が全員揃っていた。最初に口を開いたのは中尾だった。

「このチームは全員、大学でシステム工学やコンピューター科学を学び、採用試験を通過してここに入っています。中卒は一人もいない」

「これで何が言いたいのですか? 」

俺がそう問うと、中尾は正面から俺を見据え、薄笑いを浮かべて言い放った。

「中卒が部長。冗談は学歴だけにしてくださいよ。私たちは専門性を持ってキャリアを積んできた。あなたの下ではとても働けません。考えてみてくださいよ。大卒の俺たちが中卒に頭を下げて働くなんてできるわけがない。お前がやめないなら、全員やめてやるよ」

部屋が静まり返った。12人の視線が俺に集まっていた。ここで俺が折れるか、逆上するか。それを待っているような目だった。だが、俺の手元にはすでに材料がある。社内システムの稼働ログ、各担当の作業記録、進行中の案件の工数データ、提出を拒まれた資料の代わりに、アクセスできる全ての記録を自分で洗い出してきた。

俺は動じなかった。

「わかりました。承認します」

中尾の顔から余裕が消え、開いた口のまま表情が固まった。反論の言葉を探しているのか、聞き間違いを疑っているのか、唇がわずかに震えている。隣に座っていた男も、その向こうも、声を出す前の顔で動きを止めていた。部屋の端から端まで、誰一人声を発さない。

「は……? 」

絞り出すように中尾がようやく声を出した。俺は冷静に言い放つ。

「やめると言うなら引き止めません。ここにいる12人全員分、私が承認しますよ」

沈黙の後、中尾が低い声で問い返した。

「本気ですか?

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「こちらこそ確認です。本気でないなら、その言葉を撤回してください。本気なら手続きを進めます」

俺はそう言って席を立ち、部屋を後にした。

翌日出勤すると、12枚の辞表が俺の机に置かれていた。俺は辞表を受け取り、その日のうちに全員分を人事部へ送った。

「受理手続きを進めてください」

人事部長は一瞬驚いた顔をしたが、書類を受け取った。印を押すたびに、紙が小さく音を立てる。12枚全部に判を押し終えると、俺は一度だけ時計を見た。

翌朝、12人が揃って辞表の撤回を申し出てきた。予想の範囲内だ。提出した翌日に撤回を申し出るということは、本気で退職する覚悟があったのではなく、単なる脅しだったのだ。しかし、すでに手続きは正式に進んでいる。撤回の申し出を持ってきたのは中尾ではなく、チームの若手技術者だった。

「辞表を返していただけますか? 」

「正式に手続きが進んだ書類を、理由もなく返却することは原則としてできません。それを承知の上で提出したのではないのですか? 」

男は表情を強張らせて引き下がった。

その日の午後、人事部から内線が入った。12人が取締役会へ正式な申し立てを起こしたという内容だ。人事部から受け取った書類に目を通した。申し立ての中身は3点あった。部長の独断による手続き進行が会社に損害をもたらしているという主張。進行中の案件に支障が生じており、業績への影響は避けられないこと。そして、中卒を部長にした経営判断に問題があるという内容だ。

自分たちから辞表を出したという事実には一切触れず、全てを俺と会社側の問題にすり替えている。

翌朝、川島が俺の席を訪ねてきた。

「少し話せるか。聞きたいことがある」

応接スペースに移ると、川島は向かいのソファに腰を下ろした。

「私に対して、他の役員からの突き上げが来ている。お前を推薦した俺への目が厳しくなっているんだ」

そうは言うが、川島に弱気な姿勢は感じられない。

「だが堀川、私の判断は変わらない。取締役会でお前を守る。そのために、お前が用意しているものを見せてくれ」

その目から、川島は俺の能力を全く疑っていないことが伺えた。俺は準備していた資料ファイルを川島の前に置いた。

「就任初日から準備しています」

川島は資料に目を走らせた。ファイルには、12人の担当業務を洗い出し、それぞれの代替可能性を工数ベースで示した一覧がある。さらに、自動化で置き換えられる業務、外部へ委託した方が効率化が図られる業務、俺が直接対応できる案件のリストも付けた。外注先の見積書も添付してある。

俺は川島に一言添えた。

「実際にシステムに記録されている作業時間より多くの時間を働いたと申告している人間が複数います。それと、12人が抜けた場合、案件にどの程度の支障が出るか試算した資料もあります」

川島は顔を上げ、俺を見て言った。

「これなら行けるな。取締役会で輪を作る」

そう言って、川島は応接スペースを出ていった。この人は自分の推薦責任を懸けている。俺はそれだけを心に刻んだ。

取締役会への呼び出しは3日後に届いた。会議室に足を踏み入れると、正面の長テーブルに役員が5名並んでいた。川島は右端に座っている。俺が指定された席に着くと、中尾が隣にいた。

議長役の常務が会議の口を切る。

「双方から経緯を確認したい。中尾さんから話してください」

中尾は資料を持たず、前を向いたまま話し始めた。

「部長が辞表の手続きを一括で進めたことで、システム部は現在、正常に稼働できる状態にありません。取引先との案件で納期が迫っているものが2件あり、現状が続けば損害は避けられない。部長の判断は感情的で、部門責任者としての器量を欠いている」

中尾は冷静な態度でそこまで話すと、俺を一瞥してから続けた。

「辞表は、改善を求める意思表示です。部長はそれを組織を解体するための根拠に使った。これが私たちの見解です」

中尾が着席した。辞表を出したのが12人の側からだという事実には、どこにも触れていない。

次に常務は俺に発言を求めた。俺は資料を配ってから話し始めた。

「私が部長に就いた初日から積み上げてきた業務記録と、体制の見直しに向けた準備資料です。1枚目は担当業務の仕分け表です。12人それぞれが処理してきた業務について、自動化プログラムへの移行が可能なもの、外部への委託に適したもの、私が直接対応できるものの3区分で整理してあります。分類の根拠に用いた数値の出所も記載しました。全て社内システムの稼働ログから直接引用したものです。2枚目は外部委託の費用見積もりで、3社から取得済みです。現在の人件費との差額を比較した表も添えています。3枚目は就任2週間後に私が実装した自動処理プログラムの稼働実績です。保守部門にいた頃、定型業務の自動化は何度もやってきました。同じことを規模を変えてやるだけです。1日あたりの処理件数と、それを人の手で賄った場合の工数換算を記録してあります。4枚目に、中尾が懸念事項として挙げた2件の案件について、現時点の進捗と納期までの対応手順を記載しました」

資料について説明を一通り終えると、中尾が口を挟んだ。

「部長に有利になるよう、数字を操作した可能性があります」

「その可能性はゼロです。各ページ左下に参照元を記載しました。社内システムのログからの直接引用です。参照経路も添付してあり、元データとの照合ができます」

中尾は目だけで資料をなぞるように見ている。俺を追求する箇所を探しているのが態度でわかる。しかし、数字の出所が実際のログである以上、加工の余地を指摘することはできない。結局中尾はページを閉じ、何も言わなかった。

常務が工数比較のページを手に取り、数字の列に沿って視線をゆっくり動かしていた。隣の役員も同じ箇所を見ている。室内が静まった。

そこで川島が口を開いた。

「堀川、この準備はいつから始めたんだ?

「就任初日からです。部下たちから協力が得られないなら、アクセスできる記録を全て自分で辿るしかないと決めた夜です」

資料に目を向けていた数名の役員が顔を上げた。その視線が俺の方へ向く。

常務が口を開いた。

「準備があることは理解した。しかし計画と実績は別物だ。1週間、この体制で実際に運用した数字を出してもらいたい。そこで改めて判断する」

常務は立ち上がると、難しい顔を浮かべて会議室を出ていった。

1週間が経過した。システム部の業務は、止まることも滞ることもなかった。その間、辞表を提出した12人は取締役会の指示によって別のフロアへ移動させられた。案件への関与を止め、1週間の運用実績を確認するための措置だと、全員に通達が届いていた。

就任直後から実装していた自動処理プログラムが、定型業務の6割以上を縮小処理し続けた。残りの案件は俺が直接対応している。12の空席を横目に、俺はキーボードを叩き続けた。誰かに証明したいわけじゃない。数字が答えを出す。それだけだ。

プログラムは淡々とログを積み上げ、処理件数を出し続けた。障害の発生は一件もない。中尾が取締役会で懸念として挙げた2件の取引先案件も、いずれも納期通りに完了している。部屋を見渡せば12の席が空のままだ。しかし、実績の数字にその空席は映らなかった。

川島から内線が入った。

「明日の午前、取締役会を開く。資料を用意してくれ」

それだけだった。

指定された時刻に会議室へ入ると、前回と同じ5名の役員が長テーブルに並んでいた。川島は右端に座っている。俺が席についてしばらくして、中尾が入室してきた。前回と違い、隅の席を指定されている。表情に変化はなく、手元に資料はなかった。

議長役の常務が口を開いた。

「1週間の稼働実績を確認する。報告してください」

俺はファイルを配り、着席したまま話し始めた。

「稼働率は前月水準を維持しています。障害の発生はゼロ。就任後に実装した自動処理プログラムが定型業務の約6割を担い、残りは私が直接対応しました。懸念事項として上がっていた取引先との2件は、両件とも納期通りに完了しています」

常務がページをめくった。

「これが12人不在での実績というわけですね」

「はい」

余計なことは言わない。数字が言葉以上のものを語ってくれる。数名の役員が資料から顔を上げ、俺に視線を向けた。

常務が続けた。

「もう1点確認があります。前回の取締役会を受けて、経理部門に照会を依頼していた件です」

別の役員が手元の資料を開いた。

「過去2年分の工数申告を、社内のシステム稼働ログと照合した結果、申告した工数が実際の稼働記録を上回る事例が、複数名にわたって確認されました」

中尾の手がテーブルの上で静かに止まる。

「対象者の筆頭は、今回の申立人の一人です」

役員が顔を上げた。その視線が中尾へ向く。中尾が口を開いた。

「そ、それは捏造です。部長が自分に有利になるよう、データを加工した可能性があります」

常務が静かに返した。

「この調査は経理部門が独立して行ったものです。部長の資料とは出所も経路も異なります」

中尾は黙った。少し間を置いてから、中尾が口を開く。

「自分たちが在籍していたから案件は成立していた。この1週間問題ないように見えるのは、私たちが何年もかけて積み上げた基盤があるからです。部長一人で動かしているのではなく、私たちの蓄積を消費しているだけだ」

声に力が入っていた。俺は手元のファイルから資料を取り出し、テーブルに広げた。

「説明させてください。社内システムには、誰がいつ何の作業をしたか、開始から完了まで時刻が自動で記録されています。私はその記録と、各担当者が会社に申告した作業時間を1件ずつ照らし合わせました。実際に記録されている時間より多く働いたと申告している者が複数います。経理部門も同じ方法で調査を行い、全く別のルートから出した2つの結果は同じ傾向を示しました。こちらが、12人が在籍していた2年間のコストと、12人がいない1週間の実績を月間換算で比較した表です」

役員たちの視線が数字の上を動いて止まった。

「『蓄積を消費しているだけだ』とおっしゃいましたが、その蓄積が何だったのか、答えを出しています。中尾さん、あなたは『中卒が部長の下では働けない』とおっしゃいましたが、1週間、数字に差は出ませんでした。全員やめるといったことで何が明らかになったか、この表が示しています」

中尾は何も言えず、うつむいてしまった。

常務が口を開いた。

「確認は以上とします。工数申告の不正について、正式な調査を開始する。調査の結果によっては、損害賠償の請求も検討します」

中尾は力なく立ち上がった。出口へ向かう背中を、俺は目で追わない。何も言わなかった。ドアが閉まる音だけが会議室に残った。

数日後、取締役会は12人の申し立てを却下する決断を下す。手続きが進んだ辞表は全員分が有効となり、12人は正式に退職する結果となった。その後の経緯は、断片的に耳へ入ってきた。転職活動に動いた12人は、面接先で前職の実績を数字で示すよう求められたが、提示できるものがなかったらしい。工数不正の調査が完了した者には損害賠償の請求書が届き、中尾も示談交渉のために法務部を訪ねてきたと、人事部の担当から聞いた。あの会議室で言葉を失った男が、別の部屋で頭を下げている。

半年後、俺が再編したシステム部の運用コストは就任前の水準を下回り、完了案件数も上向いている。廊下で俺を呼び止めた川島が、一言だけ言った。

「俺の目に間違いはなかった。お前の能力は確かなものだ」

学歴はスタートラインを変えるかもしれない。だが、数字に学歴は関係ない。川島が教えてくれたのも、結局そういうことだったのだと思う。俺がやれること、やるべきことはまだまだある。そう思いながら、次の案件のファイルを開くのだった。