「あんた、父親いないんだって」――義姉は、まるで獲物を見つけたようにニヤリと笑って、私にそう言った。結婚して義実家に住み始めてから、嫁の私を貶すことが義姉の日課だった。料理の味、掃除の仕方、全部にケチをつけてくる。私はスルーを覚えた。それなのに、亡き父のことを、しかも三歳の息子の前で「父なし子」なんて言葉を使って教えたのだ。怒りと絶望で震える私に、義姉は「ちゃんと教育しておかないと、あんたみ…

「あんた、父親いないんだって」――義姉は、まるで獲物を見つけたようにニヤリと笑って、私にそう言った。結婚して義実家に住み始めてから、嫁の私を貶すことが義姉の日課だった。料理の味、掃除の仕方、全部にケチをつけてくる。私はスルーを覚えた。それなのに、亡き父のことを、しかも三歳の息子の前で「父なし子」なんて言葉を使って教えたのだ。怒りと絶望で震える私に、義姉は「ちゃんと教育しておかないと、あんたみ...

義姉が笑いながら言った。

「ねえ、この子、『父なし子』って知ってる?」

その声は甘ったるくて、ぞっとするような響きだった。目を離した隙に、息子が義姉のそばに立っていた。三歳のこ太は、頭を傾けて、何の意味もわからずに反復していた。

「父なし子って、なあに?」

「お父さんがいない、かわいそうな人のことよ」

私は足を引きずるようにして駆け寄り、息子を抱き寄せた。義姉は勝ち誇ったようにニヤニヤと笑っている。

「お姉さん、こ太にまで、そんなこと…」

「あら、小さい頃からちゃんと知っておかないと。後でショックを受けなくて済むでしょ? ちゃんと教育しておかないと、あんたみたいになっちゃうからね」

そう言い捨てて、義姉は去っていった。幼い息子は、教えられたことをそのまま吸収する。片親という事実だけなら、それほど恐れることはない。しかし、悪意を持って教えられたら、どうなるのか。義姉がまた同じように息子に近づいてきたら。

想像するだけで、全身の血の気が引いた。

結婚して三年。夫の悟るとは職場で出会い、結婚した。すぐに授かったこ太が今年で三歳になる。妊娠がわかってから、初孫を喜ぶ義両親の熱心な誘いもあって、夫の実家で暮らすことになった。

義父は優しい。義母は家事万能で頼りになる。息子が生まれてからは「よくぞ可愛い孫を産んでくれた」と感謝され、慣れない家事で失敗しても叱られたことはない。夫の祖母のよしばあちゃんも、実の祖父母と疎遠だった私を気遣ってか、実の孫のように可愛がってくれた。

家族紹介がここで終われば、どんなに幸せだっただろう。問題は、一人だけいる。夫の姉だ。

夫曰く、独身、彼氏なし、社会不適合の無職。さすがにその表現はどうかと思ったけれど、働いているわけでもなく、家事を手伝うわけでもなく、生活費を入れないのに義父からお小遣いをもらって、毎日面白おかしく暮らしている姿を見ると、納得してしまった。高校を卒業してすぐに家計を助けるために就職した私からすれば、よくもまあ平然と過ごせるものだと感心する。

義姉は、最初から私のことが気に入らないようだった。会えば必ず、私を貶す。

「り子さんの料理っていつになったら上達するわけ? 味が薄いから、毎回自分で足さないといけないし、高血圧になったらどうしてくれるの?」

正直言って、義姉の味覚は壊滅的だ。カロリーが高くて味の濃い既製品に親しんでいるせいで、他の人の何倍も鈍い。サラダに大量のマヨネーズをかけ、山盛りのご飯には塩を振りかけ、味付け済みのコロッケをソースの海に浸す。確かに私の料理は万能主婦の義母と比べたらまだまだだが、壊滅的な味覚の義姉には言われたくない。他の家事にも何かとケチをつけてくるが、あまりに馬鹿馬鹿しく理不尽な義姉の物言いに、最初こそ傷ついた私も、スルーすることを覚えた。

義姉にとって、嫁の私は自分より下の存在でなければ我慢ならないらしい。私が動じなくなったのを見て、ある日、攻撃の手段を変更した。

「あんた、父親いないんだって」

鬼の首を取ったように、義姉はニヤニヤと笑ってそう言った。私が中学に上がった年、父が亡くなったことは本当だ。ちょうど母と電話で父の命日に触れる話をしていたから、その会話を盗み聞きしたのだろう。

「親なしだから育ちが悪いのね。料理も掃除も下手くそなのって、忙しいママにしつけてもらえなかったんでしょ? 片親だから大学も行けなくて、就職して、高卒で働かなきゃやってけない貧乏人生。大学生活を楽しめなかったなんて、最高の青春ボイコットだわ、受ける」

足元から震えが走るのを感じた。三十歳を過ぎたいい大人が、他人の家庭環境をけなし、その人生を笑うなんて。呆然として立ち尽くす私を、夫が守ってくれた。

「おい、姉貴。今の言葉、取り消せよ。り子はお母さんのことを少しでも助けようって、自分で決めて就職したんだぞ。大体、お父さんが亡くなったからって…」

「ああ、うるさい。誰もあんたの意見なんて聞いてないから。本当のこと言っただけで、そんなに切れないでよ」

義姉はうんざりしたように顔を背けるだけで、夫の言葉など意に返する様子もない。夫は自分のことのように怒ってくれて、義両親にも相談してくれたが、普段から甘やかしてきたせいなのか、義姉の態度が変わることはなかった。まるで呪文のように、「父なし子」「片親」「低学歴」「貧乏家庭」と繰り返し持ち出していびってくる。

事実は変えようがないし、私はそれを恥じてもいない。私の能力不足は努力次第で何とかなる。本で研究し、わからないところは義母に聞いた。義姉以外の家族は、私の勉強ぶりを認めてくれる。

「姉貴は、言いたいだけなんだよ。本当ごめん。何言われても気にすんなよ」

夫が申し訳なさそうに、辛そうにそう言ってくれたから、言いたい人には言わせておけばいいと、そう思えるようになった。だが、自分が我慢すればいいだけという考えは、甘かった。三歳になった息子が、義姉の標的になったのだ。

「嘘だろ? そこまでやるのかよ、あいつ」

夫は義姉の卑劣なやり口に、怒りをあらわにした。

「悟る、私、怖いよ。こ太が傷つくなんて…」

「くそ。姉貴は誰の言うことも聞かねえし」

夫は頭を抱えたが、ふと何か思い当たったように顔を上げた。携帯を手に取ると、すごい勢いでメッセージを打ち込み始める。

「今度、ばあちゃんのお祝いするだろ?」

「それがどうしたの?」

不思議そうな私が覗き込むと、夫は底意地の悪い笑みを浮かべた。

「任せとけ。俺にいい考えがあるからさ」

理由はわからなかったが、自信満々な様子を見て、少し心が軽くなった。

迎えたよしばあちゃんのお祝いの日。親戚が一堂に会するということで、私と義母は早朝から準備に追われていた。義姉は手伝うそぶりもなく、ちらほら集まり出したおじさん連中と早い時間から酒を飲みかわし、ご機嫌だ。そうかと思えば、台所に乗り込んできて、

「ちょっと、箸も皿も足りないわよ。本当、要領悪いわね」

「お姉さん、箸ならそこに…」

「ふざけんじゃないわよ。小遣いが足りないんじゃないのよ」

酒が悪い方へ作用しているのか、普段より言葉遣いが荒い。義母の済まなそうな視線を受けつつ、会場に向かうと、私の姿を認めた義姉に呼びつけられた。

「全く、今日は親戚みんなが集まるって言うのに。やっぱり片親だと、気も利かないばかりか、低学歴の頭の悪さで計算もできないのね。本当、り子さんはこの家にいらない存在よ」

人前でも平気で罵倒する義姉に、親戚連中がぎょっとした顔をする。酔っ払いの戯れ言だと特別視するのか、誰も何も言わない。義姉は私の粗を得意げに数え上げる。

その時だった。

「あの、お話中すみません」

微妙な空気の中、ふとそんな声がかかった。声の主は、見たこともない、夫と同世代くらいの若い男性だった。

「片親であるのは、そんなにダメですか?」

静かな問いに、義姉は味方が来たと思ったのか、嬉々として頷いた。

「そうよ。片親だと高卒で就職してさ、低学歴の貧乏人生。しつけもなってないから気が利かないし、家事もダメ。父なし子なんて、この家にはふさわしくないの」

「なるほど。では、僕はお先に失礼しますね」

男性は穏やかな表情を一切変えないまま、冷ややかな声でそう言って、扉を開けて出ていった。みんな、見知らぬ男性の行動に呆気にとられた。

数秒後、どかどかと廊下を踏み鳴らす音が聞こえ、怒鳴り声が響いた。

「私の旦那を追い返したのは、どこのどいつよ!」

怒鳴り込んできたのは、すらりとしたスーツ姿の女性。夫の従姉妹、金ねえさんだった。一年の大半を海外で過ごしていて、会ったことは一度しかない。その時受けた印象は、姉御肌の大人の女性だったけれど、目の前の怒り心頭の表情は、生粋の美人なだけに怖い。

「かナさん、僕を馬鹿にしたのは、そこの小さい女の人だよ」

怒りで顔を真っ赤にする私の後ろで、先ほどの男性――金ねえさんの旦那さんが、ニコニコと義姉を示した。独身でバリバリ働いていた噂は聞いていたが、いつの間に結婚したのか。そう驚く間もなく、金ねえさんは拳を震わせて義姉に詰め寄った。

「私の信ジが、あんたに何したって言うのよ! 確かに私も親がいなくて苦労したわよ。だからって、この家にふさわしくない?」

「ま、待って、かねえ。私、そんなこと…」

金ねえさんは罵倒された相手を勘違いしているようだが、義姉の声は震えて、訂正する余地はない。

「ふざけんな、この寄生虫女! 親に頼って家でグウタラしてるお前より、何万倍も立派な人生送ってるんだよ。親がいたっていなくたって、頑張る奴が偉いんだよ!」

金ねえさんの勢いは止まらない。義姉が大学受験に失敗し、金ねえさんが精一杯サポートしたにも関わらず、地元の底辺大学にしか引っかからなかったこと。就職してもコミュ力不足で、使用期間終了前にいつも首にされ、履歴書に恥ずかしくて書けない職歴。そして、現在無職であることも、金ねえさんは暴露してくれた。

騒ぎを聞きつけ、会場には義両親とよしばあちゃんも集まっていた。話が進む度に、親戚一同から義姉に向けられる視線が一層冷たくなるのが分かる。

金ねえさんがひとしきり話し終えると、少し熱が覚めたのか、思い出したように付け加えた。

「それにさ、私の父さんも、私が中学の時、亡くなったんだよ。なんかさ、さすがに愛想が尽きたわ」

「い、いや、やだ。違うの。見捨てないで、かねえ!」

義姉は顔色を真っ青にして首を振る。

「そういえば、あんた、悟るの嫁をひどくいびってるらしいじゃない。『仲良くしてます』なんて、大嘘の報告。甥っ子にも、あることないこと言って、悪い影響が怖いって連絡があったわよ」

なるほど。これが夫の言っていた「いい考え」か。義姉の言葉に、いち早く反応したのは義父だった。

「なんだと? こ太ちゃんに?」

義父の孫への愛情は凄まじい。見たこともないほど怖い顔をした義父に、義姉は震え上がり、その場にへたり込んだ。

金ねえさんの旦那さんの登場もあり、結果的によしばあちゃんのお祝いの席はめちゃくちゃになってしまったが、

「私らが叱っている間に、ちゃんと聞いておけば、かずもこんなことにならずに済んだんですけどね。よし、ばあちゃんはそう笑って許してくれた」

こんなこと、というのは、義姉が実家を追い出されたことだった。孫に何かあってはならないと、人が変わったような義父が、「今まで甘やかしすぎた」と、義姉に一人暮らしを命じたのだ。さすがに慌てて、義姉は就職したようだ。

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