「おい、役立たず。飯はまだか?ダメ嫁の分際で待たせるんじゃないわよ。」
「本当、つくづく臭い子よね。なみさんは天狗になって嫌になっちゃうわ。」
私は夫のハルトと義母、そして義妹のあきちゃんに囲まれ、日々の罵倒に耐えていた。私はこの家で、家事も掃除も、義父が残した料亭の切り盛りまでも、ほとんど一人でやってきた。なのに、彼らは私が何もしないかのように扱う。
「言葉はありますけど、料亭の切り盛りも家事も雑務もほとんど私一人でやっていますが、自分のご飯くらい用意できないんですか?」
これまで従順に従ってきた私が突然口を返したものだから、夫と義母は驚いたように私を見た。二人の表情が劣化のごとく燃え上がる。
「なんだその口の聞き方は。お前なんてここを出たら誰からも必要とされないんだ。寄生中の嫁のくせに。嫌なら出てけ。」
「なみさんにはまだ教育が足りないのね。許して欲しければ床に頭をついて謝罪しなさい。私の気は長くないわよ。」
義妹のあきちゃんまで調子に乗ってくる。
「早く謝っちゃいなよ、なみさん。お兄ちゃんやお母さんが怒り出すと何をするか分からないよ。私のご飯も早く作ってね。お昼ご飯と晩御飯、それと夜食も。私、なみさんと違って多忙だから。」
人気漫画家という立場をいいことに、人を見下してばかりの子だ。しかし、そんな関係性も今日で終わりだ。
「寄生中の嫁は出てけって言うなら、じゃあ実家に帰ります。」
私の言葉に三人とも笑い出した。本当に馬鹿な人たちだ。私は全て知っているというのに。せいぜい今のうちに好きなだけ笑っておくといい。しばらくすれば、まともに笑える日々さえ来なくなるのだから。
私がスマホで連絡を取ると同時に、玄関の扉が開く。それは復讐劇の始まりの合図となった。
現れたのは、所々が土で汚れたジャージを着た男性。私の父だ。何ごとかと驚いていた義家族たちだったが、男性を見て再び声を上げて笑い始めた。
「ちょっと待ってなみ。なんだそのバカみたいに高い車は。それにそいつはお前の親父だろ。だったら尚更おかしい。お前の親父がなんでそんな高級車を乗り回しているんだ?」
私は無視して、父と共に外に向かった。直後、彼らの笑い声はぴたりと止まる。そこにあったのは、知らぬ人間はいない有名メーカーの超高級車だった。すでに家を出る準備をしていた私は、私物を詰め込んだ鞄を手に車へ向かおうとした。
「別におかしい話ではないわよ。父さんは社長をしていてね。この中の誰よりもたくさんのお金を稼いでいるすごい人なのよ。」
三人は顔を見合わせ、また笑い出す。
「バカも休み休み言えよ。お前の親父が社長なんて聞いたことない。それにこんな小汚いジャージ姿のやつが社長なわけないだろう。」
「本当に冗談が得意なのね。なみさん、そこまでして見栄を張りたいの?そんな高い車、どこかで借りてきたに決まっているでしょ。」
私は父と顔を見合わせて、やれやれと肩をすくめた。笑いたければ笑えばいいわ。
「父さん、話してもいいのよね?」
「ああ、構わないよ。」
父は話し始めた。父は今の母と結婚する前に一度離婚していて、それ以来、仕事関係の人以外には自分の素性を明かさないようにしているのだという。最初の奥さんは父の財産目当てだった。その経験から、自分のことを人に話さないようにしているのだと。
「こんな乞食みたいなジャージ姿で来たのも悪かったね。階段や営業以外の場ではあまり格好を気にしないことにしているんだ。元々実を張った格好は嫌いでね。まあ、君たちみたいな人間に取り繕う必要がなかったというのもあるがな。」
そう言って父は、コツンと5000万もする高級車を叩く。
「今日のためにわざわざいい車を買ってきたんだ。まあでも、他の証拠も見せたほうがいいだろう。」
父は義母に近づくと、一枚の名刺を差し出した。呆けたような顔のまま名刺を受け取る義母。そこに書かれた名前を見た瞬間、義母の表情が凍りついた。夫もさすがに焦りを見せる。ただ唯一分かっていないのが、あきちゃんだ。ずっとボケた顔をしている。
「なみさんの父親が、うちの料亭に仕入れをしている会社の社長?」
「そうだ。私は亡くなったあなたの旦那さんと古い付き合いでね。それなのに私の顔すら覚えていないとは。だが今日でそれも全部お終いだよ。あなたは生前の旦那さんに全てを丸投げしていたんだろう。だから旦那さんと私の関係も知らなかった。」
正直、私の父は素性を隠そうが隠しきれないほどの人間だ。一人で農業の事業を始めた後、コツコツと経営を軌道に乗せた。そして農家などの一般的な販路以外に、ネット販売や故郷納税に販路を広げたところ、需要が急増し、設備や人員に膨大な投資をしなければいけないほどの会社に急成長した。料亭や高級料理店に食材を下ろし始めたのもその一つ。農業業界の革命児としてメディアにも取り上げられており、調べれば当たり前にネットに顔が出ている。さらにSNSには、父が社長になった経緯を題材にした漫画が投稿され、出版され100万部を突破した。
「あきちゃん、よく聞いてね。あなたのところの料亭は、うちのお父さんからほとんどの食材を仕入れているの。その販路がなくなってしまえば、お店の経営が立ち行かなくなるほどね。漫画しかやってこなかったあきちゃんには分からないかもしれないけど。」
「はあ?なみさんのくせに私をバカにしてるの?」
「あき、黙ってくれ。」
夫が焦ったように父に話しかける。
「お父さんが社長とは知らずに、大変失礼いたしました。あなたのおかげで今のうちがあるようなものです。あ、よければ上がってくださいね。なみさんもほら、一緒にお茶でも。」
さっきまでジャージ姿の貧乏親父と見下していたくせに、父の正体が分かると同時に、ぐるんぐるんと手のひらを返す夫と義母。どこまでも卑屈になって父にすり寄っていく。そんな彼らに父はにっこりと笑った。
「ああ、お構いなく。私の機嫌を取る必要はないよ。今日限りでそちらとの契約は打ち切らせてもらうからね。」
「な、ちょっと待ってください。俺たちは何も知らなかったんです。お父さんの会社に契約を切られたら、うちの会社は潰れてしまう。」
「そ、そうですよ。なみさんにはお嫁さんとしての必要な教育はしてきましたが、ひどいことはしていません。今日もたまたま口喧嘩が過ぎてしまって、出ていく話になっただけで。」
その言葉に、父の雰囲気が一変した。鋭く目を細め、言い繕う夫たちを睨みつける。
「自分たちは何も知らなかった。必要な教育をしてきたねえ。私が聞いているのが昨日今日の話だけだとでも思ってるのか。君たちの実態は、これ以上聞きたくないほど聞いている。ヘラヘラと人の神経を逆撫でするような態度を取るな。」
突然の怒声に、夫たちは体を震え上がらせる。
「私が過去に結婚した相手から受けた仕打ちは、さっきなみが話した通りだ。家族であるはずの私を、元妻とその家族は財産以外に目もくれなかった。君たちと同じように、私のことをお金を生み出す装置くらいにしか思っていなくてね。だから私は君たちのような人間がどこまでも嫌いなんだ。」
「そ、それは誤解があって。お父さんだって、俺の父親とは親しい関係だったんでしょ?それならこれからも取引は続けてくれても。」
「ああ、君の父親は素晴らしい人だったよ。私は彼の人柄ややり方に惚れ込んで、いい食材を安く提供させてもらっていた。何度も店に足を運んでは、食事も食べさせてもらっていたよ。君たちは全く知らなかったようだが。」
「え、それは謝ります。だから取引はこれからも。」
「それはできない相談だ。契約は打ち切り。その決定に変わりはない。今日のことで、君たちという人間がよく分かった。」
父は高級車に目を向け、鼻で笑う。
「私は普段からこんな高級車を乗り回さないんだがな。特定のバカには、この手の道具はとても役に立つんだ。君たちも金に目がくらんですぐ手のひらを返した。それなりの出費だったが、娘からゴミをひっぺがすには安いものだ。」
何も言えなくなった夫と義母。しかし、ずっと話に入れなかったあきちゃんが父の前に立った。
「ちょっと待ってよ。お兄ちゃんやお母さんが謝る必要なんてないじゃない。こんなの全部嘘に決まってる。社長だろうと何だろうと関係ないわ。それになみさんのお父さんの会社なんて、どうせ大したことないんでしょ。」
「あきちゃんは何も知らないのね。私たちの結婚は、元々約束みたいなものがあったのよ。」
「はあ?何よ、わけのわからないこと言わないで。」
あくまでも噛みついてくるあきちゃんに、私は父に目配せをして続ける。
「私はそもそも、私の父さんとあなたの父さんの紹介でハルトと出会ったのよ。もちろん父さんが自分のことは言いたくなかったから、会社のことは伏せて、友達の娘だって紹介されてね。あなたのお父さんは本当に立派な人で、私も尊敬していた。だから結婚まで話が進んだ時、当然私は料亭を手伝うことを申し出たの。料亭の仕事には個人的に興味があったからね。でも、ハルトとお母さんは、料亭のことは一切気にしなくていいって言ったのよ。専業主婦として家庭を支えてほしい。それがうちの店としても助かるって。その言葉を信じて、私は家庭のことだけに専念することに決めた。でも結婚してすぐに、ハルトは態度を急変させたわ。お母さんも最初は優しいふりをしたけど、すぐに冷たくなった。挙げ句、家事だけではなく何もかも私にやらせるようになった。料亭の手伝いだって無給で、ほとんど休みなくさせられた。感謝の言葉なんて一度も聞いたことがないわね。」
「それはお嫁さんとして当然のことじゃない。そんなおかしなことじゃないでしょ。」
「確かに嫁としてきたから、家事や料亭の手伝いをすることは当然かもしれない。でも、感謝の気持ちもなく強制されることがどれほど苦痛だったか、あなたたちには分からないでしょうね。お義母さんやハルトにも何度も訴えたけど、聞く耳を持たずに私を奴隷のようにこき使ってきた。そんな生活を続けてきた私は、1年と経たずに離婚を意識していたわ。でもそれでも我慢ができたのは、あなたたちのお父さんからのお願いがあったからよ。」
「願い?亡くなる前にうちの父さんと何を約束したって言うのよ。」
「お父さんは体を悪くして料亭を離れて、ずっと私が看病をしていたの。でも亡くなる直前まで家族のことを気に掛けていたわ。最後に私にお願いをしたの。『家族はお互い支え合っていくものだ。だから君も息子たちを支えてやって欲しい』って。そのお願いがあったからこそ、私はこれまでの仕打ちがあっても耐えてこられた。尊敬していたあなたのお父さんからのお願いだったからね。」
だけど、それらを全て覆す決定的な出来事があったのだ。私は鞄に忍ばせていたタブレットを取り出し、一つの動画をクリックする。画面にはハルトと義母が映し出され、二人で何やら楽しそうに話し込んでいる様子が映し出されていた。
「計画うまくいったな。」
「ええ、全然バレてないわね。」
私は音量を上げ、三人に見えるように画面を向ける。ハルトと義母の顔は土色のように悪くなってしまっている。動画の中でハルトは続けた。
「なみがいいタイミングで来てくれて本当に助かった。親父も突然倒れるんだもんな。病人の面倒なんていつまでも見てられないっての。料亭だって客の顔色ばかりでだるいことこの上ない。結婚なんてするつもりなかったけど、都合のいい女が来てくれたもんだよ。最後まで親父の介護してたし、料亭だって任せとけば勝手にやってくれるしな。」
「そう。あの人が倒れた時はどうなるかと思ったけどね。なみさん、あの人の言うことはよく聞いたし、料亭のことも給料なしで休みなく働いてくれるし、楽できてよかったわ。」
「いや、本当に俺たちの思惑通りになってくれたよな。俺たちにとってあれくらい便利な存在はなかったぜ。」
私はそこで動画を止めた。
「亡くなったお父さんは、私とハルトを結婚させて円満な関係を築いて欲しいと願ってくれた。でもあなたたちはそうじゃなかったのよね。自分たちのことを考えて、自分たちのためだけに私と結婚を決めた。私が騙されていた。ただそれだけのことだった。」
自分の口が自嘲気味に歪むのが分かった。これが真実。お父さんの介護を押し付け、家事も料亭も、自分たちがやりたくないことは全部私に押し付けた。私たちが本当に家族なら、私は今のままの生活を続けても良かった。でも分かったのよ。私たちは最初から家族なんかではなかったのよね。
「お前、俺たちを盗撮してそんな動画を撮っていたのか。非常識にも程があるだろう。こんなこと、やっていいことと悪いことがあるでしょ。」
「これを撮影したカメラは、元々あなたたちを取るために設置したものじゃないわ。私はお父さんの看病をしながら料亭に出なければいけなかった。でも家にいるお父さんに何かあってはいけない。あなたたちはお父さんが寝ているのに、好き勝手に遊び回って家を開けていたじゃない。もしお父さんに何かあったらどうするの?仕事がない時は交代でも家にいるべき。私はそう訴えたけど、あなたたちは聞く耳を持たなかった。だからいつでも様子が分かるように、お父さんの許可をもらってカメラを設置していたのよ。これでもカメラを設置しない方が良かったと言えるのかしら?非常識なんて言われたくない。やっていいことと悪いことの区別もつかない二人にだけは。」
そう言って私はタブレットを鞄に戻し、代わりに封筒を取り出した。それをハルトに叩きつける。
「離婚届よ。私はお父さんからのお願いがあったから今まで耐えてきた。家族と支え合って欲しいって。でも分かったの。私たちは初めから家族なんかじゃなかった。だから私たちの関係はこれまでよ。精神的苦痛による慰謝料も請求するわ。徹底的にやってやるから、せいぜい覚悟していればいいわ。」
ハルトと義母は体を震え上がらせ、二人揃って私に泣きついてきた。
「お願いだなみ。俺たちが間違っていた。どうか、どうか許してくれ。」
「本当にごめんなさい。私たちが悪かったわ。どうかもう一度だけチャンスをちょうだい。」
しかし、間に入った父が私に近づくことを許さない。無言で睨みつけると、二人はその場に崩れ落ちた。
「行こう。もうやるべきことは全て終わった。」
父は高級車に乗り込み、私もそれに続いた。そんな私の元にあきちゃんが駆け寄ってきた。
「何よ、あんたなんて自分では何もできないくせに調子に乗らないでよね。縁が切れて清々するわ。もう二度と顔を見せるな。」
彼女の言葉は鋭かった。確かに私は特に何かが秀でているわけではない。それでも私は私なりに家族を支えようと懸命に頑張ってきた。介護も料亭も、それなりに貢献できたはずだ。それでも私たちは家族にはなれなかったのだ。私は何も言い返さず、父の車に乗り込んだのだった。
それから数ヶ月後、長年忙殺の生活を送ってばかりだった私に、久しぶりに平穏な日々が戻ってきていた。料亭で朝早くから仕込みをしなければいけないこともない。元夫や義母に奴隷のように使われることもない。ストレスで心を病むこともない。これからのこと、未来のことを明るい気持ちで考えられるようになっていた。
しかし、私は今、ハルトの妹であるあきちゃんと向き合っている。郊外にある落ち着いた喫茶店に呼び出されたのだ。『二度と顔を見せるな』なんて言っていたけど、今日は一体何のようかしら。
「そ、それは、えっと…」
あきちゃんはどもりながら俯いた。私は今日、あきちゃんに呼び出されてこうして出向いていた。私の元に一通のメールが届いたのだ。差出人は元義妹のあきちゃんだった。あの家の誰かからは連絡が来るだろうとは思っていたが、あきちゃんから連絡があったのは少し驚いた。
『一度会って話がしたい。どうしても話したい。助けてほしい。』
メールの文面からだけでも火急の件であると見て取れた。最後にあんな別れをした手前、相当話しにくいだろうに。そうまでしなければいけないほど大変な状況にあるのだろう。
「私はこれでも忙しいんだけど、早く話をしないのなら帰るわよ。」
私がそう言うと、あきちゃんは机に両手をついて頭を下げた。
「ごめんなさい。今すぐ帰ってきてください。お兄ちゃんもお母さんも、もう限界なんです。」
私のことを見下しきっていたあきちゃんがこんな態度を取るのだ。予想通り、事態は相当まずい状態にあるのだろう。私は涙目になっているあきちゃんに、知らぬ顔を貫いて問う。
「どうしたの?あなたがそんな風に謝るなんて、何か大変なことでもあったの?」
「お願いなみさん。うちの料亭がもうダメなの。なみさんのお父さんと取引がなくなって、どんどんお客さんが離れていってるの。予約もたくさん入っていたのに、すぐに代わりの食材が準備できなくて。仕入れっていうのはそういうもの。仕入れ価格の交渉、納品日の調整、トラブルで仕入れができなくなった時の代わりの仕入れや代わりの料理。あなたたちは亡くなったお父さんの仕事を理解してなさすぎるのよ。全部私に押し付けていたから、そんなことになるの。いい気味だわ。」
「そ、そんなこと言わないで助けてよ。あなただってずっと料亭で働いていたんだから、愛着くらいあるでしょ。ずっと予約を待っていたのに来てみたら料理が出ないとは何事だって。クレームの電話も客の怒鳴り声も毎日でもう本当に限界なのよ。」
苛立ちを隠せないあきちゃんは、机の上で両の拳を強く握る。
「大体変なのよ。なんでなみさんが一人抜けただけなのに、こんな風にお店が回らなくなるなんて。お父さんが倒れた時だって、店はこんなことにならなかったのに。お兄ちゃんもお母さんも前よりずっと店に出て、それこそ休みなく働いているのに。」
「あのね、あきちゃん。ハルトたちから何も聞いてないみたいだけど。元々お父さんが料亭を離れてから、料亭の経営を支えていたのは私なの。」
「なんで?どういうこと?」
「私が手伝っていた頃から、ハルトに対するクレームは数えきれないほどあったのよ。口には出さなかったけど、お父さんも悩みの種だったの。盛り付けは雑、掃除はすぐに手を抜く、声も小さい。問題点を上げればキリがない。一般の飲食店ならそれで良かったのかもしれないけど、義父の料亭は超一流。小さな問題点でも、お客様の目には止まってしまうような場所だった。でも、あなたのお父さんは家族というものを本当に大切にしていた人だったからね。息子に向かって評判が落ちるから料亭に立つなとは言えなかった。だからハルトたちは少しずつ仕事から外されていって、最近では裏方仕事しかしてなかったのよ。私が料亭に立つようになって、どうにかお父さんと料亭を立て直したの。彼らが中心となって料亭の仕事をすれば、評判がめちゃくちゃになるのも無理はないというわけだ。私に仕事を押し付けてきたというのもあるが、彼らはただ単純に仕事ができない人間だったのだ。」
もちろん彼らが心を入れ替えて、心身共に本気で仕事に向き合えばそんなことにはならない。しかし、あんな少年のような悪さを寄せ集めたような彼らのことだ。そんな殊勝なことをするわけもなく、店の評判を徹底的に悪くしていったというわけだ。
スマホを取り出して、お店の口コミを見てみる。私が店を切り盛りしていた時期は高評価ばかりだった料亭。しかし今では、圧倒的低評価がずらりと並んでいる。『料理が出ない』『聞いていた食材と明らかに違う』『店員の態度が悪い』。多種多様なクレームの数々が列挙されていた。私がいなくなって店の評判がボロボロになって、もう誰にも立て直せない。そういうことよね。
「でも、あきちゃん。あなたが私に言ったことを覚えてる?『縁が切れて清々する。二度と顔を見せるな』。そう言ったのはあなたでしょ。」
「でも私にはどうしようもなくって、もうなみさんを頼るしかないのよ。」
「仮に料亭がなくなっても大丈夫でしょ。あなたが支えればいいんだから。漫画家だって生きていけるんだから。それくらいどうってことないでしょ。」
私の言葉にあきちゃんは悔しそうに歯を食い縛って目をそらす。
「実は、私の連載は打ち切りになっているの。もう収入もほとんどなくて、これまで稼いだお金も無駄遣いしちゃって、貯金も残っていない。だから料亭がなくなったら、もうどうしようもなくなっちゃうのよ。」
そして日も暮れ、じり貧になって私に会いに来たということらしい。あきちゃんから打ち明けられた私は、そっと息を吐いた。
「あきちゃん、私はあなたの漫画が打ち切りにされていたことは知っていたわ。」
「な、なんで知っているのよ。一体誰に聞いて?」
「聞かなくても分かるでしょう。あなたの漫画は雑誌で連載されていたんだもの。あなたに言うと調子に乗りそうだから言わなかったけど、私はあなたが漫画を連載した初期から見ているの。母から進められてね。実はね、私の母、漫画家なのよ。」
「なみさんのお母さんが漫画家?」
「私のお母さんはSNSを中心に活動している漫画家だわ。父さんが社長になるまでの経緯を漫画にして大ヒットさせたのも、何を隠そう私の母であるの。あきちゃんの漫画は打ち切りにはなってしまったが、連載当初は圧倒的人気を誇っていたわ。しかし連載が続くにつれて話や絵が雑になっていき、打ち切られる頃には連載中の作品でも低評価に落ち込んでいた。のんびりしている姿を見ていることからも分かる通り、連載できたことにあぐらを描いて、徐々に熱が落ちていったのは確かだろう。ハルトたちはどうしようもないほど嫌いだけど、それでもあきちゃんの漫画は好きだった。でも、あなたから見下されたり乱暴な扱いを受けたりして、正直ショックだったわ。」
あきちゃんは驚いたように口を開けていたが、やがて声を震わせて話し始めた。
「漫画は最初は楽しくって仕方がなくて、ただ書きたいものを書いていたの。でも、だんだん自分の漫画が読者の期待に答えられているのか分からなくなっちゃって、怖くて、不安で、不安で仕方なかったの。それで、その不安を吐き出すためになみさんにひどいことをしちゃっていた。本当にごめんなさい。」
この謝罪はきっと心からの謝罪だろう。私はそれを受け入れる。
「あなたのことは許せないけど、ハルトたちほど嫌ってもいないわ。それでもごめんなさい。私はあなたたちのところに戻るつもりはないわ。私は私でもう新しいことを始めている。」
「新しいこと?」
「自分の料理店を始めるの。皮肉なことに、ほとんど一人で料亭を切り盛りしていた経験が生きたわ。」
「そ、それならうちの店でやってくれたって。」
「それはできないわ。私がやっていることは、私の父さんを助けることだもの。私はあなたのお父さんに言われたことを今でもよく覚えている。家族は支え合うべきもの。今こそあなたたちが支え合うべきじゃないのかしら。」
あきちゃんはその言葉にさらに深く後悔の色を浮かべ、泣きながら何度も何度も謝罪をしていた。私はそんなあきちゃんを残して、店を後にするのだった。
あきちゃんに店の真実と私の気持ちを伝えてから、いくつか季節が巡った。私が実家に帰ると両親が温かく迎えてくれる。父はいくつかの会話をすると、すぐに農業のために出ていく。相変わらず汚れたジャージ姿で、かつての超高級車ではなく軽トラックに乗って、ただ休日には高級車に乗るようになっていた。なんだかんだで高級車の運転が楽しくなってきたらしい。ハルトたちをこらしめるために買った小道具だが、「存外いいものだな」と豪快に笑っていた。
父は私が料理店を始めたことをすごく喜んでくれた。料亭一つの売上がなくなったところで、父には大した痛手でもなかった。それでも父は私が料理店を始めたことで一層農業に精を出している。結局、かつて私が手伝っていた料亭は経営不振で潰れてしまった。今では私のお店に当時のお客さんが流れてきており、多忙だが充実した日々を送っている。
「そういえばなみ、これ読んだ?」
「うん、読んだよ。」
雑誌の表紙には見知った名前が表示されている。随分前、母からすごい新人漫画家が現れたと教えてもらった。その新人こそ、ハルトの妹だったあきちゃんだった。それで私はあきちゃんの漫画を読むようになったのだ。彼女の才能は本物だと思った。漫画で人を感動させる本物の力があると。だからこそ、人を貶めるようなことをして欲しくはなかった。私はハルトや義母、あきちゃんにされたことを簡単には許せない。それでも罪を認めたのなら、今度こそ家族で支え合って欲しいと思っている。母から手渡された雑誌の表紙には、読み切りではあるがあきちゃんのペンネームがあった。私が新しい道を進み始めたように、あきちゃんもまた始めている。私もまだまだ道半ば。これからも家族で支え合っていけるように、今日も頑張っていくのだ。



