「ねえ、お姉ちゃん。それ、私に譲ってくれたんだよね?」そう聞いた時、姉は初めて何も言い返せなかった。2年前、父が持ち帰ったお見合い写真。職業欄に書かれた「無職」の2文字を見て、姉は「ありえない。そんなのは外れ、みさにでもあげれば」と言って、私に押し付けた。私は家族の都合で、名前も知らない人の前に座らされた。それが今、私の人生を変えた。家族は今、私の夫がいくら持っているのかに夢中だ。姉は離婚し…

「ねえ、お姉ちゃん。それ、私に譲ってくれたんだよね?」そう聞いた時、姉は初めて何も言い返せなかった。2年前、父が持ち帰ったお見合い写真。職業欄に書かれた「無職」の2文字を見て、姉は「ありえない。そんなのは外れ、みさにでもあげれば」と言って、私に押し付けた。私は家族の都合で、名前も知らない人の前に座らされた。それが今、私の人生を変えた。家族は今、私の夫がいくら持っているのかに夢中だ。姉は離婚し...

姉の指がテーブルの上の紙を弾いた。父が持ち帰ったお見合いのプロフィールだ。職業の欄には、ただ「無職」とだけ書いてある。

母が髪をかき上げた。姉も笑った。父だけが腕を組んで黙っていた。

その夜、父が茶を啜って言った。「みさ、お前が代わりに行け。」

蛇口の音だけが残った。私は相手の顔も知らない。写真はまだテーブルの上にある。父は言った。「先方には私から返事をしておく。」

私が「分かった」と答えると、姉が鼻で笑った。「分かったじゃない。あんたにはちょうどいいわよ。いい話は全部、姉が持っていく。残ったものが私のところへ来る。それがこの家の順番だ。」

私は村瀬みさ。32歳。特別養護老人ホームで介護福祉士として働いている。介護の仕事に入って9年。施設は家から自転車で15分の場所にあり、70人が暮らしている。今から話すのは2年前、私が30歳だった秋のことだ。

この家では、姉の村瀬レナの方がいつも優先されてきた。進学も、成人式の振袖も、就職の時も。姉は都内の私立大学に行き、振袖は呉服屋で誂えた。私は貸衣装のカタログから1番安いのを選び、専門学校には奨学金で通った。卒業後、23歳で施設に入り、1万4千円の返済を9年かけて終えたのは29歳の時だ。

実家には、23歳の頃から毎月3万円入れている。父の給料が下がった年に母に頼まれて始めたものだ。姉は一度も家に金を入れたことがない。それなのに母は言う。「レナは見栄にお金がかかるの。人前に出る仕事なんだから。」

家族の中で、私の名前を「私」として呼んでくれるのは、施設の菅田さんだけだった。90歳で、目はほとんど見えないが、耳はよく聞こえる。私が部屋に入ると足音で分かるらしく、「みささん、今日は早いのね」と言ってくれる。私はその一言のために働いているようなところがあった。

その秋、父が「大久保さんからだ」と白い封筒を2枚持って帰ってきた。母の背筋が伸びた。大久保さんは父の会社の相談役で、2代前まで社長を務めた人物だ。母は写真を手に取り、姉が覗き込む。「へえ。顔はまあまあじゃない。」

母が2枚目をめくると、手が止まった。姉がそれを抜き取り、あの声を出した。

「無職。ありえない。そんなは外れ、みさにでもあげれば。」

私は台所にいた。手を止めずに聞いていた。母と姉は、会ってもいない人の人生を3分で決めた。そして母は、前の日に親戚中に触れ回っていた話を「なかったことに」するため、おばの松さんに電話をかけた。その時、母の口の中で「無職」は「事情のある方」に変わっていた。

父だけが黙っていた。母が詰め寄る。「大久保さんはその人の何を知ってるって言うの?」

父は答えず、「断るのは難しい」と言った。母が声を裏返す。「どうしてよ?無職なのよ。」

母も姉も黙った。2人の視線が同時に台所へ向いた。

「みさ、お前が代わりに行け。」

次の日、私は父に聞いた。「お父さん、どうして断れないの?」父は新聞を読んだまま答えた。「再来年の春で定年だ。その後、関連会社で顧問をやらせてもらう話がある。大久保さんが口をきいてくださっている。」父の声には少しの後ろめたさもなかった。

会う日も場所も父が決めた。服は姉のお下がりのワンピースで、丈が合わず、母は「裾を折ればいい」と言った。私はプロフィールすら読まなかった。読んだところで、断る権利は私にはなかったからだ。

待ち合わせは駅前のホテルのラウンジだった。藤代直さん、38歳。約束の10分前にもう座っていた。見合い写真の印象より、実物は背が高く、声が低かった。

私は施設で働いていることを話した。すると彼は身を乗り出して、夜勤の回数、休憩の取り方、記録を書く時間、看取りの時の家族の対応まで、具体的な質問をしてきた。「16時間ですか?」と。この仕事の外にいる人は、夜勤のことを「16時間」とは数えない。気づけば私は30分近く喋っていた。

「村瀬さん、失礼を承知で確かめさせてください。この話は、元々お姉様に来たものですね。」

私は正直に言った。「姉が断りました。無職と書いてあったので。」

言ってから自分の言葉の冷たさに驚いた。すると彼は言った。「なるほど。それは当然だと思います。知らない人の紙1枚に無職と書いてあったら、私でも警戒します。」

私は「でも」と言いかけた。彼は引き取って、「身代わりなら、この話はお断りします」と言った。

私は返す言葉を持たなかった。断られると思っていなかったわけではない。ただ、断る理由が「身代わり」だとは思っていなかった。

彼は伝票に手を伸ばし、そして止めた。「みささんご自身は、どうしたいですか?」

30年生きてきて、その質問を私にした人は家族の中に1人もいなかった。私は答えられなかった。

「答えは今日じゃなくていいです。もし良かったら、もう1度だけお会いしませんか?断するとしても、紙1枚で終わるのはお互いもったいないので。」

私たちは3度会った。2度目は美術館で、3度目は商店街。彼は魚屋の前で「今日は高いですね」と真顔で言い、大根を1本買って自分で料理を作ると言った。掃除も自分でやると言い、「時間があるのは僕の方なので」と言った。その言い方には、引け目がまるでなかった。

3度目の帰り、駅の改札の前で私は立ち止まった。「藤代さん。私、姉の代わりじゃなく、私が結婚したいです。」

彼は目を丸くして、それから笑わずに頷いた。「では、そのつもりでお話を進めます。」

入籍したのは翌年の春の終わりだった。式はあげなかった。あの家の人たちに、私の1番いい日を見せたくなかったからだ。母は電話で「式をやらないなら、その分はレナの時に回せるわね」と言った。

初めて部屋に入った日、私はほっとした。彼の生活は聞いていた通りだった。朝早く起き、米を研ぎ、洗濯機を回す。私が夜勤から帰ると、味噌汁の鍋が温め直せるようにしてある。高級な車も腕時計も何もなかった。本当に無職なんだ、と私は思った。それでよかった。

ただ、1つだけ引っかかることがあった。金に困る様子が全くないのだ。家賃も光熱費も私が知らないうちに落ちている。私が「仕事の帰りに買って帰ろうか」と言うと、大抵先に買ってある。

「みささんの給料はみささんのものです。生活の方は僕がやります。」彼はそう言った。「今のところ困っていないので」と。「今のところ」という言い方が、ほんのわずかに気になった。

入籍から1ヶ月後、実家で親戚の集まりがあった。父が立ち上がり、「紹介します。事女の連れ合いの藤代直君です」と言った。座敷の全員が拍手した。そこまでは良かった。

「いや、実はね、この話は元々レナに来たお見合いでしてね。ところがみさがね、どうしてもと言うんですよ。私はやめておけと言ったんだが、あれの言葉は聞かんもんでね。」

座敷が笑いに包まれた。母が「全く困った子で」と言い、姉が「私、譲ってあげたんです」と付け加えた。松さんが私の手を取って「あんた、よく決心したわね」と言った。その手は温かかったから、余計に何も言えなかった。ここで違うと言えば、父が大久保さんと何を引き換えにしたのかまで出てしまう。

従兄の奥さんが遠慮がちに直さんへ聞いた。「藤さんは、以前は何のお仕事?」直さんは箸を置いてまっすぐに答えた。「会社をやっていました。何年か前に人に譲って、それからは何も。」「今はどうしてらっしゃるの?」「本を読んだり、散歩したりしています。」

父はそれを聞いていて、聞かなかったことにした。「無職」という筋書きの方が、その日の父には都合が良かったのだ。

帰りの電車で、私は「すみませんでした」と言った。直さんは首を振った。「みささんが謝ることは何もないですよ。」「でも父があんな。」「お父様は、ああ言わないと座っていられなかったんだと思います。」

私はその夜、初めてはっきりと考えた。この人は、何で食べているんだろう?家賃10万2千円。私の給料には手をつけていない。貯金を崩しているなら、何年も持つはずがない。私はあの座敷での「会社をやっていました」という言葉と「小さいものです」という言葉を並べて、勝手に釣り合いを取っていた。父と同じだ。聞いていて、聞かなかったことにしていた。

最初の電話は、親戚の集まりから10日ほど経った夜だった。母からだった。「さき、仕送りのことなんだけど。来月から5万円にしてもらえない?」

私は流しの前で手を止めた。「どうして?」「お父さんの給料が下がったのよ。定年だから。」「うちは夫が働いてないんだけど。」「だから聞いてるのよ。困ってないんでしょ?あの人、困ってないって言ってたわよね。」

私は電話を切った。母に対して先に電話を切ったのは、多分初めてだった。

次は父からだった。「お前はいいだろう。楽な結婚したんだから。」「どこが楽なの?」「亭主が家にいるんだ。飯も作ってもらえる。」「じゃあお母さんは苦労したから、私も苦労しなきゃいけないってこと?」父は黙った。

3本目はまた母からで、今度は姉のことだった。「レナの相談所のことなんだけど。2年で38万円かかるのよ。次の更新の半分、19万、あんた出してくれない?」「どうして私が?」「だって、あんたレナのおかげで結婚できたじゃない。」息が止まった。「おかげ?」「レナが譲ってあげたから、あんたのところに話が来たんでしょ。」

姉からもメッセージが来た。「更新料の件よろしくね。振り込み先、後で送る。」それだけだった。「頼む」という言葉が1つもない。返信は打たなかった。

その週の終わり、母は直さんに直接電話をかけた。私の夜勤中に。「お母様から、庭の草むしりを頼まれました。それと物置きの片付けも。土曜と次の土曜、2回で。」

「断ってよかったのに。」「断る理由がないので。」

直さんは実家へ行った。夕方、蚊に刺された腕と首で帰ってきた。次の土曜、物置きの片付けに2人で行くと、庭には近所の女の人が3人いた。母が呼んでいたのだ。「これがうちの婿。若いのに家にいるものだから、こういう時は助かるのよ。」そして母は言った。「優しいというかね。仕事してないのよ、この人。」

直さんは物置きの30年分の荷物を全部庭に出し、使うものと捨てるものに分けた。そこで直さんが1つの箱を持ってきた。中身は私のものだった。専門学校の教科書と卒業証明書の筒と、実習の記録ノート。母は箱の中を3秒だけ見た。「それは捨ててよろしいんですか?」「いいのよ。もう使わないでしょ。」

直さんは私の方を向いて言った。「みささん、これ、うちに持って帰りませんか?僕が使います。」「え、昔のノート?」「読んでみたかったので。」それは嘘だった。優しい嘘だと分かった。私は「じゃあお願いします」と言った。その箱は、今もうちの本棚の下の段にある。

母からの電話はやまなかった。年明けの法事の会場費、相談所の更新料、父の定年後の不安。「その時はまた相談させてね」と母は言う。不安な人は、1番断らない相手に手を伸ばす。

秋の夕方だった。日勤から帰り、卵がないことに気づいた。「買い出しに行ってくるね」と言うと、直さんが顔を出した。「銀行、遠回りになりますよ。じゃあ、金庫の現金を使ってください。」

私は寝室の隅にある灰色の手提げ金庫を開けた。鍵はかかっていなかった。蓋を持ち上げて、私は動けなくなった。帯封のついた札束が詰まっていた。茶色い帯に「100万円」と印字してある。それが1つでも2つでもなく、重なって底が見えなかった。

「直さん、これ何のお金?」膝をついたまま、私は金庫を指さした。直さんはエプロンをつけたまま、私と同じ高さに座った。「僕のお金です。」「そうじゃなくて、どこから来たお金?」

私が最初に思ったのは、この人が何か悪いことに関わっているのではないか、ということだった。市街近くで無職、収入源が見えない。家賃も生活費も途切れない。そして金庫に100万円の束。繋がってはいけない線が頭の中で勝手に繋がった。

「悪いことしてないよね?」直さんの目が丸くなり、本気で慌てた声を出した。「してないよ。」そこで初めて、この人は敬語を落とした。

「まず、これが10あります。1つで100万円なので、1000万円です。災害の時の分です。停電するとお金が下ろせないので、3日分動けるようにしておこうと思って。」「3日で1000万は使わないと思う。」「言われてみればそうですね。」彼は真面目な顔で言った。

「元は、会社を売りました。25の時に仲間と3人で作った会社があって、10年やって大きいところに買ってもらいました。持っていた株を全部売って、代表を辞めました。引き継ぎで1年だけ残って、その後は何も。お金はほとんど預けてあります。銀行と国債と投資信託と、あと人に貸している古い建物を1つ。金庫にあるのはその一部です。」

「じゃあ、社長なの?」直さんは首を横に振った。「いや、働いていないという意味では、本当に無職です。会社はもう僕のものではありませんし、役員でもありません。だから、あの紙に書くとしたら、無職しかなかったんです。」

「会社って、何の会社だったの?」直さんは言いにくそうにした。「介護と医療の記録のソフトです。施設の記録を紙からタブレットに移すやつです。」

「名前は、ケアリングテクノロジー。」

音が耳に入った瞬間、指先が冷たくなった。私はその名前を毎日見ている。施設のタブレットを起動すると、画面の隅に小さく出る。私は「毎日触ってます」と言った。直さんは目を細めた。「そうですか。」それきりだった。自慢もしなかった。

「知ってたの?私の職場が使ってるって。」「調べました。2度目に会う前に言ってくれればよかったのに。」「言ったら、それが目当てで会っていることになるので。」

私は金庫の中の1番上の束から帯を外して、1枚だけ抜いた。1万円札。それを財布に入れて蓋を閉めた。

「それだけですか?」「うん。スーパー行くだけだから。」

スーパーまでの道で、私は1度だけ立ち止まった。もし姉がプロフィールを職業欄だけで放り出さずにいたら。もし母が電話を取り消していなかったら。もし父が私に押し付けていなかったら。今頃この道を歩いているのは私ではなかった。嬉しさではなかった。怖さに近かった。私は歩き出しながら決めた。このことは、実家に言わない。言えば家族はこの人を見なくなる。金額を見る。姉が写真を見た目と同じことが、もう一度起きる。あの目で、この人を見て欲しくなかった。

私は実家への仕送りを3万円のままにした。姉の相談所の19万円も振り込まなかった。姉からの催促は既読のまま、返さなかった。

職場では、記録ソフトの入れ替えの話が出ていた。土屋さんが「またあの覚え直し、勘弁して欲しいわ」と顔をしかめた。私は口を挟まなかった。あの名前が誰の作ったものなのかを知っているのは、この職場では私だけだ。

10月の終わり、また父から電話が来た。「直君にいい話を持ってきた。うちの取引先でな。ジムでよければ、来月から来てくれと言っている。」「頼んだの?」「頼んださ。当たり前だろう。娘の亭主が無職では、私の立場がない。」「本人に聞いた?」「これから聞く。段取りはつけてある。来週の水曜、10時に面談に行くように言ってくれ。」

直さんはスーツを着て面談に行った。「先方の総務の課長さんが出てこられました。優しい方でした。それで1時間ほどお話しして、お断りしました。」「なんて言ったの?」「今は働く予定がありませんと。」「怒られなかった?」「怒られませんでした。ただ、なぜ働かないんですかと3回聞かれました。」直さんはそこで笑った。「もう十分働いたので、と答えました。」

雨の日、直さんは駅で大久保さんに会ったと言った。直さんの父親は、藤代鬼作さん。電気設備の工事の現場監督をしていた。20数年前、丸菱商事が冷蔵倉庫を建てた時、その現場に入っていたのが鬼作さんだった。工事が遅れたのを父の会社のせいにされ、本社まで謝りに行かされた時、大久保さんが「それは現場の話ではない」と言ってくれたのだという。「それからずっと、年に1度か2度、父と飲んでいました。父の葬儀を仕切ってくださったのも大久保さんです。僕が27の時です。父は現場で倒れました。52歳でした。母は僕が高校の時に亡くなっていたので、僕1人でした。何をすればいいのか分からなくて立ち尽くしていたら、大久保さんが全部やってくださいました。」

「あの寝室の金庫。あれ、お父さんの?」直さんの表情がわずかに動いた。「そうです。父が現場で使っていたものです。」それ以上は言わなかった。私も聞かなかった。

12月の初め、休憩室で土屋さんに聞かれた。「藤崎さん、1つ失礼なこと聞いていい?あなたのお給料で、大人2人は無理でしょう。ご主人、どうしてるの?」

私は「困ってはいないんです」と答えた。土屋さんは責める調子ではなかった。「うちで何百件もご家族を見てきたけどね。出せる人が出すって家は、実は少ないのよ。それでね、私はいつも言うの。介護は家族がやって当たり前じゃありませんって。当たり前にしてる家から順に、誰か1人が潰れるから。あなたの家、決まってるでしょう。」

その夜、私は実家に電話をかけた。母が出た。「あら、珍しい。あんたから。」私は言った。「3つ返事をしようと思って。仕送りのこと、お姉ちゃんの相談所のこと、あと会場費。5万円は3万円のままにします。うちは夫が働いていないので、これ以上は出せません。レナの相談所も出せません。法事の会場費も出せません。」

母が黙り、父に代わった。「お前のところは困ってないんだろう。」「夫は働いていません。」「それは知っているだが。」「お父さん、困ってないって誰から聞いたの?本人があの座敷でそう言ってた。じゃあ無職の人の言うことは信じるんだね?」父の声が硬くなった。「その言い方はないだろう。」「ごめんなさい。でも無理なものは無理です。」父は最後に「お前は変わったな」と言った。私は「そうかも」とだけ答えて切った。

それは私の最初の逆転だった。金も証拠も使っていない。使ったのは、あの家の人たちが私にくれた言葉だけだ。「うちの夫が働いていないので」という一言に、母も父も反論できなかった。反論すれば、あの時自分たちが言ったことを否定することになるからだ。

2日後、姉から電話が来た。怒鳴り散らした。「ちょっとあんた、お母さんに何言ったの?私の相談所のこと、出せないって言ったでしょ。私、あんたにお見合い譲ってあげたんだけど。」「譲ったんじゃないよね?いらないって言ったんだよね。」電話の向こうが無音になり、「同じでしょ?」と返ってきた。「同じじゃないよ。」「うるさいな。とにかく更新料は出してよ。あんたのせいで私の婚活が遅れてるんだから。」私は「出せません」ともう一度だけ言った。姉は「最低」と言って切った。

年末、私たちは大久保さんの家へ挨拶に行った。大久保さんは座敷で、「みささん、1つ謝らなければならん」と言った。「あの見合いは、断ってくださって構わなかったんです。わしは、ご主人にそう言った。お嬢さんが嫌ならここで終わりにしていいと、2度も3度も言った。ただ、返事が来た。すぐに来た。」

私は尋ねた。「その返事の中身は?」大久保さんは湯呑みに目を落とした。「それは、ご主人が話すべきことだ。」それきり、大久保さんはその話をしなかった。

年が明けて、母の誕生日の集まりがあった。直さんも連れて行けと言われ、私は行くと答えた。母は花束を「あら」と言っただけ。水にも刺されなかった。私は茶碗を配ろうとして、5つしかないことに気づいた。「お母さん、湯呑みが足りない。」母は台所の方を見もしなかった。「あれはお客様よ。」

私は無言で台所へ行き、戸棚から来客用の湯呑みを出した。直さんの前に置くと、母が「それ、高いんだけど」と言った。「割れたら私が弁償する。」私は自分でも驚くくらい平らな声で言った。

姉が直さんに言った。「ねえ、まだ無職やってるの?」直さんは「やっています」と、天気の話と同じ調子で答えた。「すごいね。私だったら耐えられないわ。」「そうですか。」「毎日家で何してるの?」「料理とか、散歩とかですね。」姉は声をあげて笑った。「散歩。お散歩だって。受ける。」母も笑った。父は苦笑いで寿司を口に入れた。

台所で、母が背中越しに言った。「あんた、まだ3万円のままにするつもり?」「うん。」「お父さんね、4月で定年なのよ。その後、大久保さんの口聞きで顧問の話があるけど、まだ決まったわけじゃないの。だから今、うちはお金の当てがないのよ。」

私は「分かるけど、それとうちの家計は別だと思う」と言った。母の手が止まり、「あんた、そういう言い方するようになったわね」と言った。

父が松さんに言った。「うちの事女の主人はまあ、家にいる人でしてね。働かないってのはね、体か心かどちらかということもありますから。」私は箸を置いた。「お父さん、直さんは体も心も元気です。」

姉がまた自分の話を始めた。「私、来月また面談なの。」松さんが茶をすすって湯呑みを置いた。「レナちゃん、あの相談所に何年になるの?」「3年目です。」「3年目。随分ね。」「いい人がいないだけだから。」母が慌てて割り込んだ。「レナは条件がはっきりしてるのよ。」「何人くらいあったの?」姉が答えないので母が「30人くらいかしらね」と答えた。松さんは引かなかった。「30人あって、まだなの?」

姉が箸をテーブルに置いた。音が大きかった。「会ってないから。30人は断られた数。」座敷が静まった。「向こうから断られてるの。写真の段階で。私、ずっとそう。お母さんが言うんだもん。レナにはもっといい人がって。」

姉が私の方を向いた。「あんたはいいよねえ。選ばなくていいんだもん。押し付けられたのに乗っかっただけでもう結婚してるんだから。私が譲ってあげたのが、レナでかわいそうね。」

「かわいそう」という言葉。私は子供の頃から何度も浴びてきた。制服のお下がりを着ていた時、修学旅行の小遣いが姉の半分だった時、成人式のカタログを持たされた時。その度に姉は同じ顔で同じことを言った。言った側は忘れる。言われた側は覚えている。それがこの家の力の差だった。

私は言わなかった。ここで言えば、全部を言うことになる。金庫のこと、会社のこと、この人が何者だったのか。言ってしまえば、この人たちはその日から直さんを見る目を変える。それだけは嫌だった。

すると、隣で直さんが湯呑みをそっと私の手のそばへ置いた。もう空になっていた。そして小さな声で言った。「みささん、今日は来てよかったです。」「どうして?」「みささんのお姉さんの話が聞けたので。」

気まずさを埋めるように、母がテレビをつけた。経済番組だ。画面には「ケアリングテクノロジー、創業15年、介護の現場を変えたソフト」というテロップが出ていた。父が箸で画面を指した。「知ってるぞ、この会社。大手に買われたやつだ。金額が金額だったからな。」

画面には若い男性が映っていた。「代表取締役、辻本竜一」とテロップが出た。年末に直さんの携帯を鳴らした人だ。辻本さんは言った。「うちは3人で始めたんです。6畳のアパートで机が2つしかなくて、1人は床に座ってました。」

画面が変わり、施設の廊下が映った。年配の職員が言った。「以前は記録を書くために夜中まで残っていました。今はその時間を、ご本人のところで使えます。」

ナレーションが入った。「介護施設の記録を紙からタブレットへ移すという発想は、当時ほとんど受け入れられなかった。」画面の中で辻本さんが笑った。「営業に行くと、現場の職員に『こんなもの使えるわけがない』と言われました。それでも1件ずつ回ったんです。あいつが。」

画面が変わった。画質が荒くて、狭い部屋で若い男が3人。床に座り込んで何かを見ている。1番手前の男が顔をあげた。私は息を止めた。髪が今より多くて、顔が細い。それでも間違いようがなかった。テロップが出た。

「創業者、藤代直。」

今の音が消えた。父の箸が皿の上に落ちた。姉が「何これ?」と言った。テレビの中で辻本さんが話し続けている。「藤は営業の時にいつも同じことを言ってました。現場の人が1番怖いのは、記録が増えることじゃなくて、記録のせいで利用者さんを見る時間が減ることだって。」

ナレーションが続いた。「5年前、同社は大手システム会社の傘下に入った。創業者の藤氏は売却にあたり、社員に特別な賞与を出し、自らの受け取りが最も大きく減ることを承知の上で経営から退いた。現在は表に出ていない。」

父が口を半分開けたまま、直さんを見た。「藤君。」「はい。」「それは、僕です。」

姉が立ち上がった。「ちょっと待って待って待って。この会社ってあれでしょ?数年前に何十億で売れたって?」直さんは箸を置いて、姉の方を見た。「売りましたね。」それだけだった。自慢するでもなく、ためらうでもなく、天気の話のような言い方だった。姉は座った。すぐにスマートフォンを操作し始めた。テレビの画面を写真に撮って、会社の名前を打ち込んでいる。

母が初めて私を見た。「みさ、あんた知ってたの?」「知ってた。」「いつから?」「去年の秋から。」「なんで黙ってたのよ?」私は湯呑みを置いた。「聞かれなかったから。」

母が姉の方へ向き直った。「レナ、あんた断ったわよね。あの時、あんたが無職、ありえないって。」姉が睨んだ。「私はただ無理って言っただけ。先に決めたのはお父さんでしょ。」松さんが背筋を伸ばした。「確かに。ご主人、あの時、みさがどうしてもと言うからって言ったわよね。あれ、本当なの?」

父が黙った。姉はもう電話をかけていた。そして、スマートフォンの画面をこちらへ向けた。「5年前の記事。対抗システムがケアリングテクノロジーを買収。金額まで発表されてる。」姉が声に出して読んだ。「60億円。」

その数字が座敷の上に落ちた。姉は画面を握ったまま、私に言った。「それ、本来私のお見合いだったよね。」私は落ち着いた声で答えた。「だから、姉が『だからおかしくない?元は私の話でしょ?それがあんたが持っていったんじゃない。』」

帰りの電車で、直さんは何も言わなかった。家に着いて、2人でアイスを食べた。私は聞いた。「今日のこと、腹が立たないの?」直さんはスプーンを持ったまま考えた。「立ちません。あの方たちが言ったのは、僕のことではありません。60億という数字が出て、皆さんが見たのは数字です。僕ではありません。数字に腹を立てても仕方がないので。」

「あの番組に出るって知ってたの?」「知っていました。年末に話したあの映像です。1度は断りました。名前が出るので。でも、あいつが食い下がったんです。あの映像がないと、会社がどこから始まったかを話せないと。それを言われると、断れませんでした。」

「名前が出るなら、そう言ってよ。」「言おうとしてやめました。先に言えば、みささんが放送の日まで構えることになるので。まさか、あの家の座敷で見ることになるとは思いませんでしたが。」

翌日から、実家からの電話が増えた。母は「この前はレナが失礼なこと言ってごめんなさいね」と言い、3日に1度はかけてくるようになった。姉は「ねえ、直さんっていくら持ってるの?」ばかり聞いてくる。「知らない。」「知らないわけないでしょ。」「本当に知らない。」これは嘘ではなかった。総額を聞いたことがないという意味では。

2月に入って、姉がマンションを買った。3800万円。手付け200万円を打ったという。そのうち150万円は父と母が出した。姉の貯金は50万円しかなかった。ローンは組まないと言うらしい。「なんて言うか、その、先の方にお願いすればいいって」と母は言いにくそうに言った。

姉から直接電話が来た。「当たり引いたのはあんたなんだから、少しは回してよ。残りの3600万はなんとかなるよ。あるところから出せばいいじゃん。」私は「お姉ちゃん、うちは出さないよ」と言った。姉は笑った。「まあ、その時になったら考えるでしょ。家族なんだから。」

姉は、買ってもいない部屋のモデルルームで撮った写真を、もう親戚中に見せていた。誰も押していない。誰も脅していない。ただ当たり前のように人の財布を勘定に入れる。入れられた側が断ると、断った側が白状な人間になる。私は8年、その感覚の中にいた。

その日、父から電話が来た。いつもの父の声ではなかった。「家族で話がしたい。」「藤君にも是非。」

その夜、私は直さんに話した。「実家に呼ばれた。お姉ちゃんのマンションの残り、直さんに出してもらう気なんだと思う。3600万円。」直さんは味噌汁の火を止めた。「行きましょう。ただ、頼まれるかどうかは、ご本人の口から聞きます。」「怒っていいからね。」「怒りません。」「じゃあどうするの?」「持っていきたいものが1つあるんですが、いいですか?」

当日、直さんは布の手提げ袋を持って、実家の座敷に上がった。座敷には私たちの他に、父、母、姉、そしておばの松さんがいた。母が前の日に「日曜に直さんが来るのよ。レナの部屋の話してね」と松さんに漏らしたのだという。母は1月に来客用の湯呑みを出すのを渋った人が、その日は最初から出していた。菓子も、父の上司が来る日だけ買うような高いものだった。

茶が2杯目になった時、姉が口を開いた。「ねえ、そろそろ本題に入ろうよ。」姉は直さんを見た。「私、マンション買ったの。3800万円。手付けは200万円入れた。」直さんは言った。「おめでとうございます。」姉は笑顔のまま続けた。「直さん、残りのお金、出してもらえない?」

座敷から音が消えた。直さんは表情を変えなかった。「どうしてですか?」姉は当然のことを聞かれた顔をした。「だって、あのお見合い、本来は私に来たんだよ。私が譲ったから、みさがあなたと結婚できたわけでしょ。だったら、半分くらい私にも権利あるでしょ。」

父が咳払いをして「まあ、権利という言い方は良くないが」と引き取った。「だがね、藤君。家族なんだから、少しくらい。」母が頷いた。「そうよ。私たちだって、レナの手付けに150万出したのよ。老後の蓄えから。」

直さんが言った。「僕は物じゃありませんよ。」一言だった。声を荒げてもいない。皮肉の色もない。「譲ったとか、権利があるとか、そういう話をされていますが、僕は誰かの持ち物になったことがありません。みささんとは、僕が決めて、みささんが決めて結婚しました。」

姉は自分を止められなくなった。「じゃあさ、みさと離婚すればいいじゃん。」座敷の空気が凍った。母が姉の腕を掴んだが、姉は振り払った。

直さんが湯呑みを置いた。「レナさん、初めて直さんが姉を名前で呼んだ。あなたは僕が無職だから断ったんですよね。」「それは知らなかったからでしょ!」姉が叫んだ。直さんはゆっくりと聞いた。「何を?」姉は答えられなかった。それでも絞り出すように言った。「お金を持ってること。」

直さんは頷いた。「だったら、結婚したかったのは僕じゃないですね。僕ではなく、僕が持っているものの方です。」

そして直さんは、手提げ袋から灰色の手提げ金庫を取り出した。角が擦れて塗装が剥げている。蓋を開けると、中にはレシートの束と小銭がいくらか。「うちのレシートです。去年の秋からの分です。」

直さんはレシートの束を取り出し、金庫の底の隅に指をかけた。薄い板が持ち上がった。私は息を止めた。ずっとこの箱を見てきて、そこが二重になっていることを知らないままだった。薄い板の下に、折り目のついた細長い紙が1枚だけ入っていた。給与明細だった。13年前の日付で、名前の欄に「藤代鬼作」と印字してある。

「僕の父のものです。父が倒れた月の、最後の1枚です。」直さんは紙の一点を指した。「ここがその月の時間外の欄です。この月は100時間を超えています。父の手帳に現場の入りと上がりが書いてあって、足すとどの月も100時間を超えていました。5年間、ずっとです。そして52で倒れました。現場でそのままです。」

座敷の柱時計が鳴った。「僕はその時27で、会社が伸び始めていました。その日の父の着信は、仕事の後にしようと思って、そのままにしました。折り返さなかったことだけは、前に妻に話しました。この紙のことを人に言うのは、今日が初めてです。」

直さんは顔をあげた。私の父を見て、母を見て、姉を見た。順番にちゃんと見た。「働かないと決めたのは、疲れたからではありません。父が使えなかった時間を、僕は使おうと思ったからです。散歩とかですけど。それでも僕にとっては、父の続きです。」

父が膝を動かした。「藤君、それは立派な話だが。」「立派ではありません。」直さんは即座に否定した。「僕は自分の父の最後の電話に、折り返さなかった人間です。立派なことは何も。この明細は、父の机の引き出しにありました。この金庫もそこにありました。働きすぎて倒れたとしても、会社からは何も言われませんでした。亡くなった人の分は遺族が自分で労働基準監督署に出すんだと知ったのは、何年も後です。その時にはもう、請求できる期限が過ぎていました。」

父は畳に目を落としたまま、動かなかった。その沈黙を破ったのは松さんだった。「ご主人、この話を持ってきたのは大久保さんよね。親戚に見合わせたんなら、大久保さんにも何か言ったんでしょう。なんて返事したの?」

父は答えなかった。松さんは引かなかった。「先月も聞いたわね。親戚の前で、なんて言ったのかって。あんたは答えなかった。今度は、大久保さんへの返事を。」

松さんは静かに言った。「大久保さんは覚えてらっしゃいました。年末にご挨拶に伺った時、あの返事の中身が引っかかるとおっしゃっていました。」

父は口を開いた。「『お受けします』と書いた。それだけ。」「それだけ?」「『事女が是非にと申しております』と。」

私の耳の奥で何かが鳴った。「お父さん、私、是非にって言った?」「ただの言い回しだ。」「言い回しの問題じゃないよ。お父さんがその返事を書いた時、私は写真も見ていない。相手の名前も聞いていなかった。会う日も場所もお父さんが決めた。それなのに、私は是非にって書かれてたの。」

母が小さな声で言った。「だって、断れなかったのよ。大久保さんが持ってきた話でしょ。お父さん、この春で定年で、その後のことをお願いしてたから。」母は開き直った。「レナが嫌だって言うし、断ったら大久保さんに悪いし。だからみさに行ってもらったのよ。それのどこが悪いの?」

私は母の顔を見て言った。「押し付けられないから、望んだことにしたんだよね。」母は目をそらした。「あんただって、結果的には良かったじゃない。」「結果の話はしてない。」「じゃあ何の話よ?」「私がいない話をされてたって話。」

姉が苛立っていた。「そんな昔のことより、60億の話に戻そうよ。直さん、あの記事に出てた金額、あれ本当?それ、全部あなたのお金でしょ?」直さんは首を横に振った。「違います。会社の値段と僕の取り分は別です。」「意味わかんない。売ったんでしょ?」「3人で作った会社です。株を持っていたのは僕だけではありません。私は言いました。金額を言った瞬間、その数字と結婚したい人が出てくるので。」

姉が絞り出した。「私はただ、元は自分の話だったって言ってるだけで。」「元は、大久保さんが持ってきた話です。あの話は僕のものでも、レナさんのものでもありません。会うかどうかを決める権利が、それぞれにあっただけです。レナさんはその権利を使いました。会わないと決めた。それは自由です。でも、今さら取り消せません。レナさんが断った日、僕は断られた側にいました。断られた側には、断られたという事実が残ります。それは後から消せるものではないんです。」

直さんは私の方へ手のひらを向けた。「みささんは権利を持たないまま座らされました。それでも3度目に自分で決めました。改札の前で僕に言いました。僕が結婚したのは、みささんです。」

父がぽつりと言った。「私はな、みさ。お前のためを思って。」「お父さん、私のためだったら、私に聞いてくれればよかったよ。1回でいいから、嫌かどうかだけでも。」

松さんが言った。「かえさん、あんた、あの時私に電話をくれたわよね。『事情のある方だから、レナにはね』って。前の日に『レナに話が来た』って触れ回ったわね。それで、次の日にはなかったことに。一晩よ。たった一晩で、会ってもいない人が『事情のある方』になったのよ。それを聞いた時、私は何も言わなかった。それも私の落ち度よ。みさちゃん、ごめんね。」

私は首を振った。「おばさんが謝ることではない。」それでも、この家で謝った人は、その日松さんが最初だった。

私は立ち上がった。「昔からそうだったよね。お父さんとお母さんは、お姉ちゃんには価値のあるものを渡して、私には残りを寄こした。進学はお姉ちゃんが親のお金で私立の大学。私は奨学金で専門学校。振袖はお姉ちゃんが誂えて、私が貸衣装し。就職の席では、私が『姉ほど成績が良くないから手に職が付いた方が安心』って言われた。去年の夏には、私の教科書の箱を、お母さんが3秒見て『捨ててよろしいんですか』って。お姉ちゃんの机は、落書きがあるから懐かしいわねって残した。あれは昔じゃない。去年だよ。全部覚えてる。順番も覚えてる。でも、今回だけは違った。この家が外れだと思って押し付けた人が、私の人生で1番大切な人になった。」

私は父と母の方へ向き直った。「お金のことだけど。2つに分けます。病気とか介護とか、本当に必要な時は出します。その時は言ってください。ただ、その前に地域包括支援センターに相談します。要介護認定の申請をして、使える制度を全部使う。足りない分の話はその後です。順番はそれ。私が毎日そばで見てきたことだから、そこは私がやります。その代わり、贅沢のためのお金は1円も出しません。マンションも相談所も法事の会場も車も旅行も、全部そっちです。私は23歳から8年以上、月3万円を出してる。この前、通帳を最後まで数えてみた。ちょうど100回で、300万円です。」

父が「そんなに」と言った。私は「3万円はこれからも続けます。増やしません。でもそれは、お父さんとお母さんが年を取るから。お姉ちゃんが部屋を買うからじゃない」と言った。

母が「なんでそこまで決めるの?」と言った。「決めなきゃいけないから。」「家族なのに。」「家族だから決めるんだよ。」

「その上で、こっちからも1つだけ。大久保さんに本当のことを言ってください。『是非に』って言ったのは私じゃないって。それだけ。お父さんの都合と私の名前と、どっちが大事か決めて。」

姉が小さな声で言った。「私には?」私は姉を見た。「お姉ちゃんは、あのお見合い、私に譲ってくれたんだよね。そう言ってたよね。座敷でも電話でも。」姉は目をそらした。「譲った人は、返せとは言わないよ。だから、最後まで譲ってくれていいよ。」姉は畳に手をついた。それきり、最後まで顔をあげなかった。

帰りの電車で、直さんが小さく息を吐いた。「疲れました。」「そうだよね。」「人の家で話すのは緊張します。」「よく我慢したね。」直さんは窓の方を向いて、しばらく黙っていた。「1度だけ腹が立ちました。レナさんが『離婚すればいい』と言った時です。あの時、僕はみささんの顔を見られませんでした。見たら、多分何か言っていたので。」

直さんは金庫の袋を膝に抱え直した。そのまま、2駅も行かないうちに眠っていた。私は窓の外へ目をやった。胸が空いたかと聞かれたら、多分違う。私が取り戻したのは、金でも勝ちでもなかった。2年前、あの台所で「分かった」と言った。承知したのではなく、黙るための一言だった。この日、私はそれをようやく自分の言葉で言い直した。

それから先のことは、後から聞いた話が多い。マンションの契約は、その月のうちに解約になった。姉が「やめたい」と言い、手付けの200万円は戻ってこなかった。父と母が出した150万円は、何も残さずに消えた。母は姉を責め、姉は母を責めた。私はどちらにも呼ばれたが、行かなかった。

父は結局、自分からは大久保さんに話さなかった。行ったのは松さんだ。大久保さんは黙って聞いて、最後に一言だけ言ったそうだ。「そうか。『事女が是非にと申しております』というあの一文は、やはりあの子の言葉じゃなかったんだな。」父の顧問の話は、その後誰からも出なくなった。父は4月に定年を迎え、そのまま会社を離れた。父から報告の電話が来た時、最後にこう言った。「大久保さんには、私からも話した。松おばさんの後で。」「そう。」「遅かったがな。」父が自分で「遅かった」と言ったのは、初めてだった。

仕送りは、今も同じ額を振り込んでいる。やめようかと思ったことはある。やめなかった。やめないと決めたのは、父と母のためではない。私が8年やってきたことを、腹立ちで終わらせたくなかったからだ。8年分の3万円は、あの家に取られたものではなく、私が出したものだ。そう思えるうちは続けようと思った。ただし、金額は上げない。使い道も聞かない。頼まれても、贅沢の側には1円も出さない。

姉から連絡が来たのは一度きりだ。夏の終わりに短いメッセージが届いた。「元気?」それだけだった。私は返さなかった。意地ではない。返す言葉が本当に浮かばなかった。1年経ったら浮かぶのかもしれない。それはその時の自分が決めればいい。

私は春大園で働いている。夜勤は月に4回。菅田さんは92歳になって、まだ私の足音を覚えている。先日、菅田さんの娘さんが面会に来た。帰り際、廊下で私に頭を下げた。「うちの母がいつもみささんの話をするんです。私の足音が違うって。」歩きながら、あの秋の夜勤の暗がりで聞いた言葉を思い出していた。「言うことを聞かなかったから、いい子に育ったのよ。」菅田さんはあの時、自分の娘の話をしていた。私は今、それを自分の話として聞いている。記録を書く机に戻って、私は泣いた。名前を呼ばれる場所が私にはある。9年かけて自分で作った場所だ。誰かに譲ってもらったものではない。

直さんは無職のままだ。米を研ぎ、洗濯機を回し、本を読んで、夕方に散歩へ出る。松さんの畑を見に行ってから、ベランダでネギを育て始めた。育て方が悪いと言っては、真剣な顔で土を触っている。金庫はまだ寝室の隅にある。先週のことだ。日勤から帰って冷蔵庫を開けると、卵がなかった。「買い出しに行ってくるね。」台所から直さんの声がした。「お願いします。今日はブリが安いはずです。」財布に3000円あるから大丈夫。特売日だから余裕。そう答えると、直さんが笑った。「じゃあ豆腐もお願いします。半額のがあったらね。」

私は玄関を出た。いくらあるのかは、今も聞いていない。聞かないと決めたのは私だ。外は秋で、どこかの家の金木犀が匂っていた。実家の庭にあるのと同じ木だ。父が植えた木だと子供の頃に聞いた。私が生まれた年に植えたのだそうだ。それを教えてくれたのは母ではなく、松さんだった。その話は、私が今でも大事にしていることの1つだ。帰ったら、ブリのあらができているはずだ。2人で食べて、明日の話をして、9時には寝る。それだけの日が、この2年で1番欲しかったものだった。

姉は、働かない私の夫を外れだと思った。お金を持っていると分かった途端、今度は当たりだと言った。でも、私が好きになったのは、札束を見てしまう前の、無職の夫だった。

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