義両親に足を蹴られながら、私は地面に倒れたまま自分が何をされているのか理解できずにいた。義父は見下ろしながら吐き捨てる。
「いつまで不妊なんだ」
その言葉と共に、再び私の足を蹴る。鈍い痛みが走り、私は思わず体を縮めた。
「おい、何してるんだ!」
背後からA太郎の声が聞こえた。彼は猛ダッシュで駆け寄ってくる。しかし義父はそれを一瞥すると、拳を振り上げ、A太郎の横面を殴った。彼は私のすぐそばに倒れ込んだ。
「こんな出来損ないの嫁をもらったのが悪いんだろうが!」
「私たちに恥をかかせるのもいい加減にしてちょうだい!」
義両親は、まるで目障りな虫を潰すように、私とA太郎を足蹴りにした。異様な光景の中で、私はA太郎と目が合った。その瞬間、心の中で同じ思いを抱いていることを悟った。
「もう限界だ。出ていくか」
私は38歳。職業は漫画家。ありがたいことに、高校生の頃に投稿した漫画が賞を取り、気づけば連載を持つまでになっていた。しかし私は今でも自分が売れっ子漫画家だという実感が薄い。締め切りに追われ、コーヒーを飲みすぎて胃を痛め、睡眠不足でふらつきながらペンを走らせる。そんな毎日を何十年も繰り返してきただけだ。
私は施設育ちだ。物心ついた時にはすでに親はいなかった。施設の職員さんたちは優しかったけれど、私はずっと周囲に気を使って生きてきた。欲しいものを欲しいと言わない。寂しくても我慢する。迷惑をかけない。そうしていれば嫌われずに済むと思っていた。子供の頃の私は、普通の家族に憧れていた。夕飯の匂いが漂う家、学校から帰った時に「お帰り」と言ってくれる人。そんな当たり前のものが私には眩しかった。だからだろうか、私は少女漫画の中に理想の家族を描き続けていた。
夫のA太郎とは結婚してもうすぐ2年になる。彼は3歳年下で、役所に勤める公務員だ。私とは正反対の生活を送っているけれど、彼は私の仕事に口を出さなかった。締め切り前、私がリビングに資料を広げっぱなしにしていても、彼は文句を言わずに微笑み、おにぎりを作ってくれた。
「レイラが頑張っている証拠でしょ。俺は気にならないよ」
出会いは担当編集さんの紹介だった。最初は断るつもりだった。私は現実の恋愛となると途端に足がすくむ。しかし大型連載を終えた直後、部屋の広さが急に寂しく感じられ、私はその紹介を受けることにした。初めて会った日、A太郎は緊張し切っていた。彼は私の作品を何冊か読んでくれていて、丁寧に感想を話してくれた。
「主人公が家族と食卓を囲む場面が好きでした。大きな事件が起きる場面じゃないのに、読んでいて胸が温かくなって」
私は漫画の中に手に入れられなかったものを詰め込んできた。A太郎は私が描いてきたものをきちんと受け取ってくれた。交際を申し込まれた時、私は驚くほど素直に頷いていた。
結婚後、私たちは駅から少し離れた一軒家を借りた。庭には小さな花壇もあり、2階の一室を仕事部屋にした。自分の名前が入った郵便物が届き、2人分の食器を選び、冷蔵庫に互いの飲み物を入れる。そんな日常が私には宝物のようだった。
A太郎と付き合い始めた頃から、私は子供を欲しいと強く願うようになっていた。話し合いの末、私たちは不妊治療を始めることにした。治療は想像していたよりずっと心身を削るものだった。通院の予定は仕事のスケジュールとぶつかり、注射や薬の影響で体調が崩れる日もある。治療費は貯金があったので心配はなかったけれど、毎月期待して落ち込む。結果が出なかった月、A太郎はいつも温かい飲み物を用意してくれた。
「今日は何も考えなくていいよ。明日の朝また一緒に考えよう」
「できてもできなくても、俺はレイラと家族だよ」
私は40歳までは頑張ると決めていた。A太郎もそれに同意してくれた。
しかし、義両親との関係が私たちの生活に影を落とし始めていた。結婚したら私は仕事を畳むと思っていたらしい義両親。私は仕事を辞める気など微塵もなかった。漫画は私の仕事であり、人生そのものだ。義母は電話の度に言った。
「女の幸せは夫を支えることよ。仕事なんて子供が生まれたら続けられないんだから」
やがて義母は日中に家へ来るようになり、平日の昼に堂々とインターホンを鳴らすようになった。私は負けて玄関を開けた。義母は上がり込み、長々と説教を始める。
「あなたは世間知らずだから分からないの。夫を立てるのが妻の役目よ」
義父はさらに露骨だった。ある日曜日、休日出勤のA太郎の代わりに、義父が私たちの家に乗り込んできた。彼は私を押しのけ、洗面所からバケツを取り出すと、水をたっぷり入れ、私が止めるのも構わず作業部屋へ踏み込んだ。そして、液タブとパソコンに向かってバケツの水をぶちまけた。
「目を覚まさせてやる」
資料が濡れ、下書きがぐしゃりと潰れた。私は喉が詰まり、すぐに動けなかった。義父は「正しいことをした」と鼻で笑い、勝手に帰っていった。幸いデータは保存していたが、機材の一部は修理が必要になった。A太郎が帰宅して事情を知ると、彼は真っ青になり、すぐに義父へ電話した。しかし義父は謝罪どころか「お前がしっかりしないから嫁がつけあがるんだ」とA太郎を叱りつけた。
電話の後、A太郎はしばらく動けずにいた。彼はぽつりぽつりと自分の過去を話し始めた。実家は裕福ではなく、彼は弟の小次郎ばかりが期待される中で育ったという。
「お前は兄なんだから我慢しろってよく言われてた。大学費用も家に余裕がないから自分で何とかしろって」
A太郎は大学時代、アルバイトを掛け持ちして学費を捻出していた。私は息を飲んだ。
「A太郎のせいじゃないよ。あなたは何も悪くない」
私はA太郎と本物の家族になりたいと思った。誰かが我慢する家族ではなく、一緒に生きて支え合う家族に。
しかし、義両親の暴力はエスカレートしていった。ある日、病院からの帰り道、玄関前に義両親が立っていた。義母は腕時計を見て大げさにため息をついた。
「遅かったわね。今日はどうだったの? ああ、その様子だとダメだったみたいね」
その言葉が胸に突き刺さった。義父が私の肩を強く押し、私は倒れ込んだ。義父は「いつまで不妊なんだ」と言い、倒れている私の足を蹴った。義母まで足を振り上げてきた。
その時、A太郎が帰宅した。義父は彼の横面を殴った。私たちは土まみれになりながら、それでもようやく同じ決意を固めた。
「もう限界だ。出ていくか」
義両親が去った後、私たちは家の中に入り、お互いの怪我を確認し合った。A太郎の頬は腫れ上がり、唇の端も切れていた。私は診断書を取るために病院へ行くことを提案した。知り合いの弁護士にも相談しようと言った。
「もう父さんたちに期待するのはやめる」
「うん。私もやめる。もう家に入れないし、連絡も取らない」
私たちは夜中に荷造りを始めた。私の仕事道具を慎重に段ボールへ詰め、貴重品をまとめる。深夜、リビングで最後のコーヒーを飲んだ時、私は思い出したように小次郎の話を切り出した。
「小次郎さんが言ってたんだけど、A太郎が大学に行ったせいで自分は苦労したって。あなたのせいで自分で学費を払うはめになったって」
A太郎は目を見開いた。
「何それ? 俺は全く逆の認識なんだけど。俺が我慢してる分、小次郎は自由にやれてると思ってた」
彼はすぐに小次郎へ電話した。電話の向こうで、小次郎は自分の認識を話し始めた。
「兄さんが大学に行って金使ったから、うちは金がなくなったんだろう。運動神経悪いくせにサッカー部に入って、スパイク代やら遠征費やらで家計を圧迫したって聞いた」
A太郎は淡々と事実を話した。
「スパイクは監督のお古をもらったんだ。遠征費なんて当然出してくれるわけもないから、俺はいつも留守番だった。塾も3回くらい行ったけど、母さんが他の保護者とトラブルを起こしてやめさせられたんだ。毎月仕送りもしてるぞ。たった5万だけどな」
電話の向こうで、小次郎の声が震えた。
「父さんと母さんが僕に嘘をついてたって言いたいのか?」
私たちはそれぞれの認識が完全に別物であることを理解した。義両親はお金を自分たちのために使いたくて、子供たちに嘘の理由を吹き込んでいたのだ。A太郎と小次郎を仲違いさせ、被害者同士を争わせる最低なやり方だった。電話の後、A太郎はきっぱりと言った。
「俺たちはもうあの人たちの家族でいるのはやめるよ。決めた」
「逃げるのかよ」
「そうだよ、逃げ出すんだ。俺たちは。降参することを選択したって思ってもらって構わない」
その夜、私たちはアトリエへ向かった。夜明けと共に到着し、布団へ倒れ込むように眠った。翌日、ファミリーレストランで久しぶりにちゃんとした食事を取った。ハンバーグとオムライスとパフェ。私は心から「逃げてきてよかった」と思った。
数日の避難生活の中で、私たちは弁護士に連絡を取り、慰謝料請求の準備を進めていた。そんな時、義母から電話がかかってきた。A太郎が出ると、義母は興奮した声でまくし立てた。
「強盗よ! 明け方、うちに強盗が入ったの! 窓を割られて、お父さんも殴られたのよ! あんたたち、すぐに帰ってきなさい!」
A太郎は静かに言った。
「うちは貧乏なんだろ。金がないって騒いでいたじゃないか。貧乏なんだから強盗に狙われるはずがないし、盗むようなものも何もないはずだろ」
義母は言葉に詰まった。A太郎は続けた。
「俺はもうあんたたちの家族じゃない。頼られても困る。昨日、お前は俺の妻を蹴った。俺のことも殴っただろう。理不尽な暴力を振ってくる連中と一緒にいたくない」
私も電話を代わり、言った。
「お母さん、お父さんと合わせて昨日私のことを何回蹴飛ばしてきたか覚えていますか? 私は数えていましたよ。お母さんが22回で、お父さんが18回。合わせて40回です。40回も蹴飛ばしてくる相手のことを、お母さんは許せますか?」
電話はすぐに切られた。
その日の夕方、地方ニュースで義実家の強盗事件が報じられていた。現金や高級腕時計、ブランドバッグ、アクセサリー、貴金属などが盗まれ、被害総額は約8000万円相当に上るとのことだった。私たちはあっけにとられた。
「うち、貧乏じゃなかったんだね」
「らしいな」
生活が苦しいと言われ続けてきたその結果が、高級腕時計にブランドバッグ。二人で深いため息をついた。
数日後、小次郎から電話があった。声は切羽詰まっていた。
「兄さん、助けてくれ。母さんたちがうちに来たんだ。強盗のせいで家がめちゃくちゃになって住める状態じゃないんだよ。父さんも母さんもずっとイライラしてるし。あみちゃんも子供たちを連れて出ていっちゃった」
A太郎は静かに答えた。
「俺はもう父さんと母さんとは縁を切ったつもりだ。お前も自分で考えろ。守るべき相手は誰だ?」
そして一週間後、義両親からは直接の接触はなくなった。私たちは新居探しをし、新しい家が決まった。引っ越しの準備をしながら、その日は高級焼肉店へ行った。アミからもらったクーポンの期限が迫っていたからだ。
焼肉店の洗面所で、私はアミとばったり会った。彼女は私の顔を見るなり心配してくれた。小次郎が義両親と縁を切り、家族で海外へ転勤することになったと教えてくれた。
「小次郎さん、ちゃんと選んでくれたの。私と子供たちを」
私はアミに言った。
「本当に良かった」
あれから私たちは新居で穏やかな日々を送っている。A太郎はあの喫茶店でアルバイトを始め、バリスタの資格を取るために勉強している。小次郎とアミからも時々連絡が来る。そしてある日、私は何度も検査結果を見返していた。帰ってきたA太郎にその紙を渡すと、彼は大きく目を見開いた。
――妊娠していた。
意味を理解した瞬間、A太郎は泣きそうな顔になった。ずっと願っていたし、何度も諦めそうになった。それでも欲しかった未来が、ようやく私たちの元へやってきたのだ。
私はお腹へそっと手を添えながら、訪れた幸せを噛みしめた。



