「施設に入らないなら、私たちとはもう関わらないで。」…

「施設に入らないなら、私たちとはもう関わらないで。」...

「悪いけど、お母さんにはもう2度と会わないから。」

長女・美穂さんのその言葉が、飯泉ゆり子さんの66年の人生を根底から覆しました。

ゆり子さんは今年66歳。32年間中学校で国語を教え、多くの生徒たちに自立の大切さを伝えてきました。5年前に夫の正雄さんを肝臓癌で亡くしてからは、長女の美穂さんと次女の舞美さんを頼りに生きてきました。毎朝正雄さんの仏壇に手を合わせ、娘たちからの連絡を待つ日々。自分の年金月12万円と遺族年金月4万円で、決して豊かではありませんが、何とか1人で暮らしてきました。

しかしその日、ゆり子さんの人生は大きく変わりました。

「施設に入らないなら、私たちとはもう関わらないで。」

美穂さんのその冷たい言葉を聞いた瞬間、ゆり子さんの世界は真っ暗になりました。舞美さんも黙って頷いているだけでした。1人残されたゆり子さんは、その夜、泣きながら夫の遺影を見つめました。

「私はどうすればいいのでしょうか?」

ゆり子さんの物語は、夫の正雄さんが亡くなった5年前から始まります。正雄さんは地元の建設会社で現場監督として働いていました。真面目で家族思いの夫でしたが、60歳を過ぎた頃から体調を崩すようになりました。最初は軽い疲労感だと思っていましたが、病院で検査を受けると肝臓癌と診断されました。

「俺はもうダメかもしれない。」

正雄さんがそう言った時、ゆり子さんは必死に首を振りました。

「何を言っているんですか?まだ治療法はたくさんあります。」

ゆり子さんは中学教師を早期退職し、正雄さんの看病に専念しました。抗がん剤、放射線治療。そして最後は緩和ケア。医療費は月に10万円を超えることもありました。退職金や貯金を切り崩し、最後は保険も解約して治療費に当てました。美穂さんと舞美さんも時々病院に来てくれましたが、それぞれ子育てや仕事で忙しく、長時間の付き添いはゆり子さんが1人で担いました。

正雄さんが息を引き取ったのは、診断から2年後の春の日でした。

「お疲れ様でした。」

ゆり子さんは夫の手を握りながら、静かに別れを告げました。葬儀は美穂さんと舞美さんが手伝ってくれましたが、その後の手続きはほとんどゆり子さんが1人で行いました。遺族年金の申請、銀行口座の名義変更、保険の受け取り手続き。慣れない作業に戸惑いながらも、何とか1つずつ片付けていきました。

正雄さんが亡くなって半年が経った頃、ゆり子さんの元に美穂さんから電話がかかってきました。

「お母さん、1人で大丈夫?何か困ったことがあったら連絡してね。」

その優しい言葉にゆり子さんは涙が出そうになりました。でも娘たちに心配をかけたくない一心で、いつも明るく答えていました。

「大丈夫よ。年金もあるし、何とかやっていけるから。」

しかし現実はそう簡単ではありませんでした。教職員年金12万円と遺族年金4万円を合わせても月16万円。家のローンは完済していましたが、光熱費、食費、医療費を考えると決して余裕のある生活ではありません。それでもゆり子さんは娘たちには弱音を吐きませんでした。中学教師時代の同僚たちとの集まりでも、いつも笑顔で過ごしていました。

転機が訪れたのは、正雄さんが亡くなって1年後のことでした。美穂さんの結婚10周年記念日に、ゆり子さんは5万円の商品を送ったのです。今のゆり子さんにとって、それは相当な大金でした。

「お母さん、そんな高いものもらえないよ。」

美穂さんは困った顔をしていましたが、ゆり子さんは笑顔で答えました。

「いいのよ。あなたたちの幸せが私の幸せなんだから。」

しかしその夜、美穂さんから電話がかかってきました。

「お母さん、お金のことで無理しないでね。私たちのことは気にしないで。自分の生活を大切にしてくれればいいから。」

その言葉には優しさがありましたが、ゆり子さんには距離を置かれたような寂しさを感じました。

その後、舞美さんの息子・悠馬君の誕生日会に呼ばれた時のことです。ゆり子さんは張り切って1万円のプレゼントを用意しました。

「おばあちゃん、ありがとう。」

悠馬君の笑顔を見て、ゆり子さんも嬉しくなりました。しかし、帰り際に舞美さんから言われた言葉が胸に刺さりました。

「お母さん、もう少し節約した方がいいんじゃない?私たちに何かあっても、経済的な援助はできないから。」

ゆり子さんは何も言い返せませんでした。娘たちの言葉に間違いはありません。でも、孫たちに何かしてあげたいという気持ちは、母として自然なものでした。

それからというもの、ゆり子さんは娘たちとの関係に微妙な変化を感じるようになりました。電話の回数も減り、会う機会も少なくなりました。ある日、近所の奥さんから何気なく言われた言葉が、ゆり子さんの心に重くのしかかりました。

「飯泉さん、最近娘さんたち、来ないけど忙しいの?」

ゆり子さんは曖昧に微笑むしかありませんでした。同世代の友人たちが孫の世話で忙しそうにしている姿を見ると、自分だけが取り残されたような気持ちになりました。

そんな中、ゆり子さんの体調にも変化が現れ始めました。1人でいる時間が長くなり、食事も適当に済ませることが多くなりました。時々めまいがしたり、夜眠れなくなったりすることもありました。

このまま1人で生きていけるのかしら。そんな不安が日々大きくなっていく中、ゆり子さんは娘たちに素直な気持ちを伝えることができずにいました。中学教師として多くの生徒を指導してきた自分が、なぜ自分の娘たちとうまく話せないのか。そのもどかしさもゆり子さんを苦しめていました。

ゆり子さんにとって決定的な瞬間が訪れたのは、ある秋の日のことでした。美穂さんから久しぶりに電話がかかってきたのです。

「お母さん、今度の日曜日、時間ある?ちょっと話したいことがあるの。」

ゆり子さんの心は踊りました。久しぶりに娘と話ができる。そう思ってその日を心待ちにしていました。

日曜日の午後、美穂さんが夫の恵一さんと一緒にゆり子さんの家を訪れました。舞美さんも夫の裕二さんと共にやってきました。リビングに家族全員が集まるのは、正雄さんの葬儀以来のことでした。

「お母さん、私たちから大切な話があるの。」

美穂さんは改まった様子で切り出しました。ゆり子さんは緊張しながら娘たちの顔を見つめました。

「実はお母さんの将来のことを相談したくて。1人暮らしを続けるのはもう限界なんじゃないかって思うの。」

ゆり子さんは少し驚きました。

「でも、私はまだ66歳よ。十分に1人でやっていけるわ。」

しかしま舞美さんが続けていった言葉が、ゆり子さんの心を凍らせました。

「お母さん、正直に言わせてもらうけど、私たちはお母さんの老後の面倒を見ることはできないの。」

ゆり子さんは言葉を失いました。

「面倒って…私は面倒をかけるつもりなんてないのよ。」

美穂さんの夫・恵一さんが口を開きました。

「お母さん、僕たちも子供の教育費や住宅ローンで精一杯なんです。申し訳ないですが、経済的な援助は一切できません。」

舞美さんも頷きながら言いました。

「それに、介護が必要になったとしても、私たちには時間的な余裕もない。お母さんには専門的なケアを受けられる施設に入ってもらうのが一番いいと思うの。」

ゆり子さんは震える声で答えました。

「でも、私はまだそんな状態じゃないわ。自分のことは自分でできるし、年金だってあるから経済的に迷惑をかけるつもりもないのよ。」

美穂さんは冷たい表情で言いました。

「お母さん、年金16万円で1人暮らしを続けるのは無理よ。家の維持だってバカにならないし、病気になったらどうするの?」

それに舞美さんが続けました。

「お母さんがこの大きな家に1人でいるのは危険だし、近所の人たちにも迷惑をかけることになるかもしれない。」

ゆり子さんは必死に反論しました。

「私は中学教師を32年間勤めてきたのよ。まだ頭もしっかりしているし、体だって元気だわ。」

しかし美穂さんは首を横に振りました。

「お母さん、現実を見てよ。私たちにはそれぞれの生活があるの。お母さんのことを心配しながら毎日を過ごすのは、正直言って負担なのよ。」

その言葉にゆり子さんの心は深く傷つきました。舞美さんの夫・裕二さんも口を開きました。

「お母さん、僕たちが調べた施設のパンフレットを持ってきました。とてもいい施設ですし、同世代の方々もたくさんいらっしゃいます。」

テーブルの上に並べられた施設のパンフレット。どれも立派な建物の写真が載っていましたが、ゆり子さんにはそれらが牢獄のように見えました。

「お母さん、入居費用は家を売ったお金で十分賄えるわ。むしろお釣りが来るくらいよ。」

美穂さんの言葉にゆり子さんは愕然としました。

「家を売るって…この家は私と正雄が一生かけて築いた大切な場所なのよ。」

「でも、1人で住むには大きすぎるし、維持するのも大変でしょう。」

舞美さんは事務的な口調で答えました。ゆり子さんは娘たちの顔を見回しました。そこにはかつて小さかった頃の愛らしい娘たちの面影はありませんでした。目の前にいるのは、自分たちの生活を守ることだけを考える大人でした。

「32年間教育に携わってきて、あなたたちを育ててきたのに、こんな風に扱われるなんて。」

ゆり子さんの声は震えていました。美穂さんは少し表情を柔らげて言いました。

「お母さん、私たちはお母さんを愛していないわけじゃないの。でも、現実的に考えなければいけない時が来たってだけよ。」

「愛しているなら、なぜこんなひどいことを言うの?」

ゆり子さんの目に涙が浮かびました。舞美さんが立ち上がりました。

「お母さん、私たちも簡単に決めたわけじゃないの。でも、これが最善の選択だと思うわ。来週までに返事をして。」

娘たちと義理の息子たちはパンフレットを残して帰って行きました。ゆり子さんは1人、リビングに取り残されました。

その夜、ゆり子さんは眠ることができませんでした。

「正雄、私はどうすればいいのかしら?」

泣きながら夫の遺影に向かって語りかけました。

「32年間、生徒たちに家族の大切さを教えてきたのに、私の家族はこんなに冷たいものだったなんて。」

ゆり子さんは自分の人生を振り返りました。中学教師として多くの生徒を指導し、母として娘たちを愛情深く育ててきました。でも、その結果がこれなのでしょうか。窓の外では冷たい秋の風が吹いていました。ゆり子さんの心もその風のように冷え切っていました。

娘たちが帰ってから1週間、ゆり子さんは毎日思い悩みました。施設のパンフレットは相変わらずテーブルの上に置かれたままで、まるでゆり子さんを見つめているかのようでした。食事ものどを通らず、夜も眠れない日々が続きました。近所の人に会うのも辛く、外出することもほとんどなくなりました。

そして約束の日曜日がやってきました。美穂さんから電話がかかってきました。

「お母さん、決心はついた?私たち、今日の午後そっちに行くから。」

ゆり子さんは弱々しい声で答えました。

「分かったわ。待ってるわね。」

午後2時、再び娘たちが集まりました。今度は孫の悠馬君も一緒でした。

「おばあちゃん、どこか遠いところに行っちゃうの?」

悠馬君の無邪気な質問に、ゆり子さんは答えることができませんでした。美穂さんが口を開きました。

「お母さん、どの施設にするか決めた?」

ゆり子さんは震える手でパンフレットを手に取りました。そして静かに言いました。

「私、まだ決められないの。もう少し時間をちょうだい。」

美穂さんの表情が一変しました。

「ちょっと、お母さん。1週間も時間があったのに、まだ決められないの?」

舞美さんも苛立ちを隠せませんでした。

「お母さん、私たちも忙しいんだから。いつまでもこの問題を引きずるわけにはいかないのよ。」

ゆり子さんは必死に訴えました。

「お願い、もう少しだけこの家にいさせて。私にとってここは正雄の思い出がいっぱい詰まった大切な場所なの。」

しかし美穂さんは冷たく言い放ちました。

「はあ、そう。分かった。じゃあ悪いけど、お母さんにはもう2度と会わないから。」

ゆり子さんは息を飲みました。

「施設に入らないなら、私たちとはもう関わらないで。私たちに心配させて、結局決断できないなんて、私たちの時間の無駄よ。」

舞美さんも続けました。

「お母さんが頑固で話にならないなら、もう知らない。1人で勝手にして。」

悠馬君が不安そうに母親を見上げました。

「ママ、おばあちゃんと会えなくなっちゃうの?」

「そうよ。おばあちゃんがママたちの言うことを聞かないからよ。」

美穂さんは悠馬君の手を引きながら言いました。ゆり子さんは立ち上がろうとしましたが、足に力が入りませんでした。

「美穂、舞美、お願い。そんなことを言わないで。」

しかし娘たちはもう振り返ることなく、玄関へ向かいました。

「お母さん、最後にもう1度言うね。施設に入る気になったら連絡してください。それ以外なら、もう連絡してこないで。」

玄関のドアがバタンと閉まりました。ゆり子さんは1人、リビングに取り残されました。時計の針の音だけが響く静寂の中、ゆり子さんは崩れるようにソファに座り込みました。

「私は何のために生きてきたのかしら。」

涙が頬を伝って落ちました。32年間教育に携わり、母として娘たちを愛してきた人生。それがこんな形で終わるなんて。

その夜、ゆり子さんは正雄さんの遺影の前に座りました。

「正雄、私はもうどうしたらいいのか分からないの。」

その時、目に入ったのは本棚にあった1冊の詩集でした。高村光太郎の『道程』。中学時代に何度も生徒たちに教えた詩でした。ゆり子さんは立ち上がり、その詩集を手に取りました。そしてあの有名な一節を声に出して読み上げました。

「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる。」

その瞬間、ゆり子さんの心に稲妻のようなひらめきが走りました。

「そうだわ。私は32年間、生徒たちに自立することの大切さを教えてきたじゃない。」

ゆり子さんは正雄さんの遺影を見つめました。

「正雄、私はこれまで娘たちに頼ろうとしてばかりいたけれど、それは間違いだったのね。私には私の道がある。」

その時、ゆり子さんの心の中で何かが大きく変わりました。悲しみが消えたわけではありませんが、それとは別の感情が湧き上がってきたのです。

「私の人生はまだ終わっていない。」

ゆり子さんは立ち上がり、テーブルの上の施設のパンフレットを手に取りました。そしてそれをゴミ箱に捨てました。

「私は自分の力で自分の道を歩んでいく。」

窓の外では星が輝いていました。ゆり子さんは窓の外を見つめながら心に決意を固めました。明日から新しい人生が始まるのです。

娘たちとの絶縁宣告から一夜明けて、ゆり子さんは今までとは違う朝を迎えていました。正雄さんの遺影に向かっていつものようにお茶を備えながら、静かに語りかけました。

「正雄、今日から私は新しい人生を始めます。」

ゆり子さんはまず家の整理から始めることにしました。32年間の教師生活と正雄さんとの思い出が詰まったこの家。娘たちは売却を迫りましたが、ゆり子さんには別の考えがありました。

「この家は確かに1人には大きすぎる。でも、売る必要はないのよ。」

ゆり子さんは地域の不動産業者に相談しました。

「この家の一部を賃貸にすることはできませんか?」

担当者は目を輝かせました。

「素晴らしいアイデアですね。2階部分を若い夫婦向けのアパートに改装すれば、月8万円程度の家賃収入が見込めます。」

ゆり子さんは正雄さんが残してくれた退職金の一部を使って家の改装工事を始めました。2階を独立したアパートにし、1階でゆり子さんが暮らすという間取りに変更したのです。

工事が始まって1ヶ月後、ゆり子さんは久しぶりに教師時代の同僚である田村先生から電話を受けました。

「飯泉先生、お元気でしたか?実は相談があるんです。」

田村先生は現在も現役の教師でしたが、放課後の学習支援で困っているということでした。

「不登校気味の生徒たちに個別指導をしてくれる先生を探しているんです。お願いできませんか?」

ゆり子さんは即座に答えました。

「ぜひやらせてください。」

週に3回、午後の2時間だけでしたが、ゆり子さんは再び教育の現場に戻りました。不登校に悩む中学生たちに、国語を中心とした学習支援を行うようになったのです。最初は緊張していた生徒たちも、ゆり子さんの温かい指導に心を開いていきました。

「僕、この詩が好きです。」

1人の男子生徒が高村光太郎の『道程』を読んで言いました。

「そうね。人生には自分だけの道があるのよ。大切なのは他人と比べることじゃなくて、自分らしく歩むことなの。」

ゆり子さんの言葉に生徒たちは真剣に耳を傾けました。学習支援の報酬は月3万円でした。年金16万円に家賃収入8万円。そして学習支援の報酬3万円を合わせると、月に27万円の収入になります。

「こんなに経済的に安定したのは久しぶりだわ。」

ゆり子さんは家計簿を見ながら微笑みました。改装工事が完了すると、すぐに若い夫婦が入居しました。田中夫妻は働き盛りの30代で、とても礼儀正しい人たちでした。

「飯泉さん、何かお困りのことがあったら、いつでも声をかけてくださいね。」

奥さんの恵子がそう言ってくれました。ゆり子さんも自然と笑顔になりました。

「こちらこそよろしくお願いします。若い人がいてくれると、この家も生き生きするわ。」

それから数ヶ月後、ゆり子さんの元に意外な知らせが届きました。中学時代の教え子である田中君から手紙が来たのです。田中君は現在45歳で、地元で小さな学習塾を経営しています。

「先生、お久しぶりです。実は先生に相談があります。私の塾で国語を教えてくださる先生を探しているんです。ぜひ先生にお願いしたいのですが。」

ゆり子さんは迷わず引き受けました。週に2回、夕方の2時間、塾で中学生に国語を教えることになったのです。

「先生、久しぶりに教壇に立った気分はいかがですか?」

田中君が尋ねました。

「とても充実しています。生徒たちと接していると、自分が生きている意味を感じるのよ。」

ゆり子さんは心から答えました。塾での講師料は月2万円でした。これでゆり子さんの月収は29万円になりました。

ある日、ゆり子さんは近所のスーパーで偶然、元同僚の山田先生に出会いました。

「飯泉先生、とてもお元気そうですね。最近は何をされているんですか?」

ゆり子さんは胸を張って答えました。

「学習支援と塾講師をしています。それに家も改装して賃貸業も始めたんですよ。」

山田先生は驚きました。

「すごいじゃないですか。定年後にこんなに活動的になるなんて。」

「人生はまだまだこれからですから。」

ゆり子さんの表情は以前とは明らかに違っていました。自信に満ち、生き生きとしていました。その夜、ゆり子さんは正雄さんの遺影に報告しました。

「正雄、おかげ様で私は新しい人生を見つけました。娘たちに頼らなくても、十分に自立して生きていけるようになったのよ。」

窓の外では春の風が優しく吹いていました。ゆり子さんの新しい人生は、まさに春のように希望に満ちていました。

ゆり子さんの体験は、現代日本が抱える深刻な社会問題を浮き彫りにします。今、全国で多くの高齢者が同じような状況に直面しているのです。内閣府の調査によると、65歳以上の高齢者のうち約30%が「家族に迷惑をかけたくない」という理由で1人暮らしを選択しています。しかしその背景には、ゆり子さんのような家族からの冷たい対応があることも少なくありません。親の面倒は子供が見るべきという従来の価値観が崩れ、核家族化が進む現代において、親子関係はかつてないほど複雑になっています。

しかし、だからと言ってゆり子さんの娘たちのように親を冷たく突き離すことが正しいのでしょうか?経済的な理由で親の面倒を見られないことと、人間としての尊厳を傷つけることは全く別の問題です。「2度と会わない」などという言葉は親の心を深く傷つけ、時として取り返しのつかない結果を招きます。

一方で、ゆり子さんのような高齢者側にも問題があることも事実です。多くの親は子供に依存することを当然と考えがちです。子供たちに愛情を注いできたのだから、老後は面倒を見てもらえるはず。そんな期待が親子関係に重い負担をもたらしているのです。

ゆり子さんはこの問題に対して、1つの解決策を示してくれました。それは経済的自立と精神的自立の両方を同時に達成することです。家を改装して賃貸収入を得る。教育経験を生かして学習支援や塾講師をする。ゆり子さんは自分の持っているスキルと資産を最大限に活用しました。高齢者だからと言って何もできないわけではありません。人生経験という大きな財産があるのです。

また、ゆり子さんの体験は家族関係における重要な教訓も含んでいます。真の愛情とは相手に依存することではありません。お互いが自立した上で対等な関係を築くことです。ゆり子さんは娘たちから突き離されることで、かえって本当の自立を手に入れたのです。

実際、ゆり子さんが自立した生活を始めてから、近所の人たちとの関係も変わりました。以前は「かわいそうな1人暮らしのおばあさん」として同情されていましたが、今ではしっかりした生活をしている尊敬すべき女性として見られています。地域コミュニティの活性化という観点からも、ゆり子さんの選択は意義深いものです。自立した高齢者が地域で活動することで、世代間交流が生まれ、社会全体の活力も向上します。

しかし、全ての高齢者がゆり子さんのような選択をできるわけではありません。健康状態、経済状況、住環境など様々な制約があります。重要なのはゆり子さんの体験から学ぶことです。それは諦めない心と、新しいことに挑戦する勇気です。ゆり子さんは66歳という年齢で人生を大きく変える決断をしました。中学教師としての経験を生かし、新しい収入源を確保し、若い世代との交流も始めました。年齢は単なる数字です。大切なのはその人の心の持ち方。ゆり子さんは今、そう確信しています。

現代社会において、親子関係は変化の時を迎えています。従来の「親は子に面倒を見てもらうもの」という一方的な関係から、お互いが自立した上で支え合うという新しい関係へ。ゆり子さんの物語は、その転換点を象徴する出来事と言えるでしょう。家族に依存するのをやめた時、本当の自由が始まります。そして自立した時にこそ、真の愛情を注ぐことができるのです。

ゆり子さんが新しい生活を始めてから2年が経ちました。春の日差しの中で、ゆり子さんは庭の花壇に水をやっています。2階に住む田中さんの赤ちゃんの鳴き声が聞こえ、家全体が生命力に満ち溢れています。そんなある日、ゆり子さんの携帯電話が鳴りました。画面を見ると、久しぶりに美穂さんからの着信でした。

「お母さん、元気にしてる?」

美穂さんの声は以前とは明らかに違っていました。何かに困っているような、弱々しい響きがありました。

「ええ、おかげ様で元気よ。美穂こそ、どうしたの?」

ゆり子さんは穏やかに答えました。

「実は…恵一がリストラされちゃって、子供の塾代も払えなくなりそうで。お母さん、可能だったら少しお金を貸してもらえないかしら。」

ゆり子さんは一瞬息を飲みました。あれほど冷たく突き離した娘が、今度は経済的な援助を求めてきたのです。

「美穂、あなたは私に『2度と会わない』と言ったのよ。覚えているかしら?」

電話の向こうで美穂さんが言葉に詰まりました。

「お母さん、あの時は私も余裕がなくて…。今思うと、ひどいことを言ったと思ってる。ごめんなさい。」

ゆり子さんは静かに答えました。

「美穂、謝ってくれてありがとう。でも、お金の件はお断りします。あなたたちには自分たちの力で乗り越えて欲しいの。」

「お母さん、お願い。本当に困ってるの。」

美穂さんの声に涙が混じっていました。

「美穂、私も66歳から新しい人生を始めたのよ。あなたもまだ若いじゃない。きっと道はあるわ。」

ゆり子さんは優しく、しかしはっきりと言いました。電話を切った後、ゆり子さんは正雄さんの遺影を見つめました。

「正雄、私は正しい選択をしたでしょうか?」

遺影の正雄さんは、いつものように優しく微笑んでいるように見えました。

翌日、ゆり子さんは教え子たちに高村光太郎の『道程』を教えていました。

「先生、『僕の前に道はない』ってどういう意味ですか?」

1人の生徒が質問しました。

「それはね、人生には決まった道なんてないということよ。自分で道を作っていくもの。例え66歳からでも、新しい道を歩むことができるのよ。」

ゆり子さんの言葉に生徒たちは真剣に耳を傾けました。その日の夕方、ゆり子さんは久しぶりに近所を散歩しました。桜並木の下を歩きながら、この2年間を振り返りました。娘たちに突き離されたあの日は、確かに人生最大の絶望でした。でも、その絶望があったからこそ、本当の自立を手に入れることができたのです。今のゆり子さんには安定した収入があります。若い人たちとの交流があります。そして何より、誰にも依存しない自由があります。

ゆり子さんの物語は、多くの方々に勇気を与えてくれることでしょう。もしあなたが同じような状況にいらっしゃるなら、ゆり子さんの選択を参考にしてください。家族に依存することが愛情ではありません。真の愛情とは、お互いが自立した上で築く関係なのです。年齢に関係なく、新しい挑戦をすることは可能です。ゆり子さんは66歳から新しい人生を始めました。あなたにもきっとできるはずです。

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