クリスマスイブの夜、家族団欒のひとときに、息子の嫁が笑顔で赤いリボンのついた封筒を差し出しました。キャンドルの灯りが揺れる中、私は嬉しいプレゼントだと思って受け取りました。震える手で開けると、中から出てきたのは「生前贈与契約書」という文字が並ぶ書類。私の全財産を息子夫婦に譲渡する内容が記されていました。
「母さんの老後を心配して準備したんだ。今のうちに財産を整理しておいた方がいいと思って」
息子の言葉に、私は言葉を失いました。認知症になる前に、という言葉には、私が判断力のない老人扱いされているような調子が含まれていました。
私は佐々木彩子、66歳。郵便局で30年間働き、家族のために一生懸命お金を貯めてきました。結婚資金に500万円、マイホームの頭金に800万円、そして息子夫婦の生活が苦しいと言うので毎月5万円を5年間、合計300万円。総額1600万円を息子たちに援助してきたのです。まに苦労させたくない、その一心で自分の服も買わず、美容院にも行かずに。
夫の剣一は怒りました。「失礼なことを言うな。あや子は何も問題ない。お前たち、親を何だと思っているんだ?」
でも、息子夫婦は引かず、むしろ追い打ちをかけるように言いました。「相続でもめたくないから、元気なうちにきちんとしておかないと。最近、物忘れも増えてきたでしょう」
その日のディナーの途中、私はトイレに立ちました。剣一も一緒に席を立ち、廊下を歩いていると、リビングから息子夫婦の会話が聞こえてきました。私たちは息を潜めて盗み聞きしました。
「あの書類にサインさせたら、後は適当に施設に入れればいいよ」
「でも施設の費用はどうするの?」
「もらう予定の財産があるだろう。全部手に入れば施設くらい余裕で払える。残りは俺たちの生活費に回せばいい」
「そうね。財産さえ手にいればもう用はないから、月に1度適当に顔を出せば十分でしょう」
その言葉に、私は怒りで体が震えました。ただの財産狙い。施設に放り込んで、後は知らん顔するつもりだったのです。私たちは震える足でその場を離れ、何事もなかったかのようにリビングに戻りましたが、もう心の中では激しい炎が燃え上がっていました。
家に帰る車の中、剣一は一言も話しませんでした。家につくなり、彼は怒りに震えながら言いました。「あれは許せない。あ子が30年も頑張ってきたのに。全部あいつらのために使ってきたのに」
その夜、私たちは深夜まで話し合いました。そして翌朝、知り合いの弁護士を訪ねました。島田先生は書類を見て言いました。「これは深刻な事態ですね。この生前贈与契約書は、法的に無効にできる可能性が高いです。脅迫や圧迫の要素があります。さらに施設に入れる計画があったということは、重要な証拠になります」
その後、私の電話が鳴りました。息子からです。私は録音アプリを起動してから電話に出ました。彼の声は甘く、昨日のことを謝りつつ、こう言いました。「母さん、ちょっと相談があるんだけど、来月までに500万円貸してくれない?実は投資で失敗しちゃって」
仮想通貨に全財産をつぎ込み、暴落したというのです。それどころか消費者金融から借金までしていて「取り立てが来る」と。私は呆れて聞きました。「まさ木、あなた38歳。いつまで親に頼るつもりなの?」
すると、彼は開き直りました。「なんそれ?親が子供を助けるのは当然でしょう。母さんは溜め込んでるくせにケチだって、ゆかさんも言ってたよ」
「私たちはもう邪魔な年寄りってことね」
「あ、いや、そういう意味じゃ…」
「もういいわ。電話を切るわね」
私は一方的に電話を切りました。そして剣一に言いました。「私、決めたわ。姿を消しましょう」
剣一は深く頷きました。「あ子の言う通りだ。奴らが望んでいるのは金だけ。親なんて必要ないんだ。でも、ただ消えるだけじゃつまらないな。最高の方法で消えてやりましょう」
その夜、剣一は私を呼び、机の引き出しから一冊の分厚いファイルを取り出しました。「実は、あ子。僕たちには秘密の資産がある」
なんと剣一は20年前から株式投資をしていて、現在の評価額は1億2000万円を超えているというのです。「君が必死に働いている姿を見て決めたんだ。この子のためだけじゃなく、彩子との老後のために密かに資産を作ろうと」
私も驚きました。「私にも内緒にしていたことがあるの」。郵便局で紹介された投資信託、15年間で元本300万円が800万円になっていました。合計で1億2800万円。
剣一はさらに別の書類を取り出しました。フランス語教室の受講証明書。「3年前からフランス語を勉強していたんだ。あ子が定年したらパリに行ってみたいって言っていただろう」
そして、ノートパソコンの画面を見せてきました。そこにはフランス・パリのアパートメントの写真。2LDK、80平米、月15万円。「すでに不動産業者とコンタクトを取ってある。来月から入居可能だ」
私たちは、すぐに具体的な計画を立て始めました。資産を現金化し、携帯電話を解約し、クレジットカードも全て新しいものに切り替える。完璧な消失計画です。
夕方、私たちは乾杯しました。「新しい人生に」「私たちの第2の人生に」
グラスを合わせた時、私の心は不思議なほど軽くなっていました。1月1日、新年と共に私たちは日本から消えるのです。
1月1日の朝、私たちは最後の荷物をスーツケースに詰め込みました。30年間暮らした家を見回します。息子を育てた家。でも、未練はありません。リビングのテーブルの上に、あのクリスマスイブに渡された生前贈与契約書のコピーを置きました。赤いマジックで大きく印をつけ、手紙を添えます。
「まさ木へ。あなたたちが望んだ通り、私たちは消えました。もう邪魔な年寄りではありません。認知症になる前に自分たちの人生を選びました。500万円の援助は不可能です。なぜなら、私たちはもう日本にいないのですから。母より」
成田空港へ向かう車の中で、私は携帯電話の回線を解約しました。これで息子たちは私たちに連絡を取ることはできません。空港のチェックインカウンターで、初めてのファーストクラスの搭乗券を受け取りました。「66歳と68歳の新婚旅行だ」と剣一が冗談を言って、私たちは笑い合いました。
12時間後、私たちはシャルル・ド・ゴール空港に降り立ちました。1月のパリは寒かったけれど、心は温かい。タクシーから見えたエッフェル塔に、私は涙がこぼれました。「本当に私たちはパリにいるのです」
アパートメントは想像以上に素敵でした。セーヌ川が見える大きな窓、アンティーク家具。ここが私たちの新しい家です。
翌日、私は新しいInstagramアカウントで、エッフェル塔前の写真を投稿しました。「新しい人生最高に幸せです」。すぐに息子と嫁からメッセージが殺到しました。「母さんどこにいるの?」「心配してます」「連絡ください」。私は既読を付けましたが、返信はしません。
その後も、私たちはミシュラン一つ星レストランでのランチやルーブル美術館でのモナリザとの対面など、自由な時間を楽しみました。息子からのメッセージは日に日に必死さを増していきます。「家のローンが払えません」「消費者金融の返済が」「助けてください」。
私は決定的な投稿をしました。「息子夫婦からたくさんのメールが来ています。でももう読みません。邪魔な年寄りは消えた方がいいんでしょう。あなたたちの望み通りになって良かったですね」
そして、私はアプリを削除しました。
4月、私たちはフランス語学校に通い始めました。5月には南フランスを旅行し、6月にはパリの日本人会のイベントに参加しました。同じように子供との関係に悩み、海外移住を選んだ夫婦がたくさんいました。全員が口を揃えて言います。「今が一番幸せ」
7月のある朝、日本の友人から電話が来ました。息子が自己破産したというのです。家も売却し、今は安いアパート暮らし。嫁とも離婚し、実家からも追い出され、生活保護を申請している。孫たちは「ばあばに会いたい」と毎日泣いていると聞きました。
私は窓の外のセーヌ川を眺めながら、静かに聞いていました。心の中に、不思議と何の感情も湧きません。「自業自得だ。俺たちを邪魔な年寄り扱いした報いだ」と剣一は言いました。
私たちは今、パリで日本人高齢者のためのお茶会を開くボランティアをしています。誰かの役に立てる喜びを感じています。帰り道、剣一と手を繋ぎ、ライトアップされたエッフェル塔を眺めながら歩きました。
「あや子、第2の新婚生活だな」
「本当ね。38年前の結婚式の時より、今の方が幸せかも」
「30年間の苦労があったから、今の幸せがあるんだ」
日本の家の壁には、エッフェル塔での記念写真やルーブル美術館での2ショットが飾られています。どの写真も、私たちは心から笑っています。息子のためではなく、自分たちのために生きる人生。誰かに必要とされ、誰かの役に立ち、愛する人と共に歩む人生。私は自分の人生を取り戻したのです。



