電話の向こうで、姉の嘲笑が響いた。「無職の夫を養う生活はどう?私なら3日も持たないわ。」
私は何も言い返さなかった。実家では、それが決まりだった。姉には出来合いのものを、私には我慢を。姉が捨てた縁談を身代わりとして押し付けられてから、もう1ヶ月が経っていた。
それでも、私はこの結婚を後悔していなかった。あの家で「我慢できる子」として育てられた私が、初めて自分の意思で選んだ人生だったから。
言い返す代わりに、夕方、私は夫へ連絡を入れた。
「今日は残業で、帰りが遅くなります。」
「わかった。帰りは心配しなくていいよ。」
きっと駅まで迎えに来てくれるのだろう。この前もそうだったから。私はそう思っていた。
夜の10時。仕事を終えて会社を出た私は、足を止めた。会社の正面玄関の前に、黒塗りの高級車が停まっている。運転手が降りてきて、深く頭を下げた。
「奥様。お迎えに上がりました。」
え?人違いだと思った。けれど、運転手は確かに私の名前を呼んだ。ざわめく同僚たちの視線の中、後部座席の扉が開いた。
姉が「はしたない」と切り捨てた男が、何者なのか。私はまだ知らずにいた。
この夜から、私の人生は音を立てて動き始める。
私は高藤美。32歳。中堅商社の経理部で働いている。結婚する前の姓は白石。話は、私がまだ白石の家にいた頃から始まる。
父の白石数夫は、社員20名ほどの建設会社「白石建設」を営んでいた。母の教子は専業主婦。そして、3つ上の姉・サラ。白石の家には、はっきりとした決まりがあった。サラが一番。父も母も、それを隠そうともしなかった。
サラは確かに華やかな人だ。立ち居振る舞いがはっきりしていて、人前に立つと場が明るくなる。母はそんなサラを宝物のように扱った。
「サラは人前に出る子なの。あなたは裏で家族を支えている方が向いてるわ。」
物心ついた頃から、母の口癖はこれだった。
小学生の頃の運動会を覚えている。私が初めてリレーの選手に選ばれた年、両親は来なかった。サラのピアノの発表会と重なったからだ。校庭の隅で、他の家のお弁当を横目に、私は一人でパンをかじった。夕方に帰ると、母は言った。
「お姉ちゃんの晴れ舞台ですもの。あなたなら分かってくれるわよね。」
その一言を、私は何百回聞いて育っただろう。中学の制服はサラのお下がりだった。袖口はすり切れ、名札の裏には姉の名前が残っていた。新しいものを買ってほしいとは、最後まで言えなかった。
進学の時もそうだった。サラは都内の私立大学へ、入学金も学費も全部出してもらって進んだ。私が大学に行きたいと言うと、父は新聞から顔も上げなかった。
「二人分も出せるか。行きたいなら自分の金で行け。」
私は奨学金を借りて、地元の大学の経済学部に進んだ。その返済は32歳になった今も続いている。サラが20歳の記念にと赤い新車を買ってもらった年、私が手に入れたのは、近所の人が譲ってくれた中古の自転車だった。
「贅沢を言わないの?あなたは我慢できる子でしょう。」
「我慢できる子」。その一言であの家の何もかもが片付けられてきた。誕生日も扱いは同じだった。サラの誕生日には家族揃って外食をするのに、私の誕生日は大抵忘れられていた。20歳の時、夕食の席でおずおずとその日が自分の誕生日だと告げてみたことがある。父は焼酎のグラスから顔を上げて、一言だけ返した。
「で?」
それきり、話はサラの新しい恋人の自慢に戻った。私はもう、自分から言うのをやめた。
食卓でも順番は決まっていた。唐揚げの一番大きいのはいつもサラの前へ。高校2年の冬、私は初めてのアルバイト代で母に小さな手袋を送ったことがある。母は包みを開けて、困ったように言った。
「あら、サラの分はないの?」
「ありがとう」の一言は、最後まで出てこなかった。それでも私は、家族に嫌われたくなくて、いい子でいようとした。皿を洗い、風呂を磨き、サラが脱ぎっぱなしにした服を畳んだ。頑張れば、きっと認めてもらえると信じていた。
友達を連れてきたサラが、私を指して笑ったことがある。「みおは気が利くわね。うちのお手伝いさん。」母も一緒になって笑っていた。悔しさより先に、慣れてしまっている自分がいた。
あの家で私を一人の人間として見てくれたのは、父方の祖母の千だけだった。
大学を出た私は、22歳の春から経理として入社した。初任給の明細を見た夜、母が当然のように手を差し出した。
「今月から8万円、家に入れなさい。育ててもらった恩があるでしょう。」
8万円。手取りの半分近い。「実家に置いてもらってるんだから当たり前でしょ。それとも出ていくの?あなたが一人で暮らせるわけがないじゃない。」私は、自分に言い聞かせた。実家暮らしだから生活費はいる。そう思い込んで、頷いた。
給料日の度に、封筒へ8万円を入れて母に手渡す。母は中身を数えてから、何も言わずに引き出しにしまう。それが毎月の儀式になった。10年間、一度も欠かさずに。
同じ屋根の下で、家へ一円も入れたことのない人がいた。サラだ。サラは美容の専門学校まで出してもらって美容師になったものの、勤務先を数年で辞めていた。理由を聞いた私に、サラは悪びれもせず言ったものだ。「店長がね、私の才能に嫉妬するのよ。あんな店、こっちから願い下げ。」
辞めてからもサラは家の手伝い一つしない。朝は昼まで眠り、夜は友達と出歩く。それでも母は、小遣いまで渡していた。「サラにはサラのペースがあるのよ。あなたとは違うんだから。」
違うのは、どちらだろう。心の中でそう呟いて、私は封筒を渡し続けた。奨学金の返済と8万円を引けば、手元に残る給料はわずかだった。それでも文句は言わなかった。言えば「恩知らず」という言葉が返ってくるからだ。
祖母の千の介護が始まったのは、私が24歳の頃だ。祖母は足を悪くして、家の中でも杖が手放せなくなった。食事の支度、通院の付き添い、夜中のトイレの介助。全部、私の仕事になった。
「みおがいるから安心ね。サラにこんなことさせられないもの。」
母はそう言って、自分はサラの買い物に付き合っていた。会社から急いで帰って祖母の夕食を作り、夜中に二度起きて、朝は6時に台所へ立つ。そんな毎日が5年続いた。
それでも、私は祖母と過ごす時間が嫌いではなかった。
「みお、あんたは働き者だね。ばあちゃんはちゃんと見てるよ。」
祖母はしわだらけの手で、私の手をさすってくれた。あの家で「ありがとう」と言ってくれるのは、祖母だけだった。縁側で祖母の白髪を梳かした午後のことは、今でもよく思い出す。
「みおはいいお嫁さんになるよ。ばあちゃんが保証する。もらってくれる人なんているかな?見る目のある人には、ちゃんと見えるもんさ。安売りするんじゃないよ。」
そう言って、祖母はいたずらっぽく笑った。
一方で、家の金は不思議な流れ方をしていた。サラが3年前に美容室を開いた時のことだ。開業資金はどうしたのかと母に聞くと、母は自慢げに胸を張った。
「お父さんとお母さんが出してあげたのよ。1000万。サラの夢ですもの。」
1000万円。私の奨学金は自分で返せと言った口が、サラの夢には1000万円を出す。しかも、その店は開いてからも赤字続きだと、母が漏らしていた。
もう一つ、気になっていることがあった。私の通帳と実印のことだ。就職した年、母に言われるまま、給料の口座以外の通帳と銀行印と実印は全部、母に預けた。通帳は子供の頃から母が管理したままで、私は中身を一度も確認したことがなかった。
「家のことはまとめて管理した方が安全なの。泥棒に入られたらどうするの?」
金庫にしまわれた自分の印鑑を、私は何年も見ていない。当時はそれを疑うことすら思いつかなかった。家族なのだから。その一言で、私は考えるのをやめていた。
祖母の介護は5年続いた。そして3年前の春、祖母は86歳で亡くなった。息を引き取る数日前のことだ。祖母は私を枕元に呼んで、囁くようにあの言葉を残した。
「みお。ばあちゃんはね、ちゃんとあなたに渡るようにしてあるから。」
布団の中から、祖母は私の手を握った。骨ばった指に、思いがけない力がこもっていた。
「渡るようにって、何のこと?」
「いつかわかるよ。ごめんね、みお。あんたにばっかり苦労をかけて。」
祖母はそれきり目を閉じて、それが最後の会話になった。
葬儀の日、私は台所と受付を走り回った。父は親戚への挨拶に忙しく、母は喪服の額を気にしていた。サラは控室の鏡の前で、喪服の襟を直しながらこう言った。「喪服って、私の肌が一番映える色なのよね。」
私の見た限り、棺の祖母に一度も手を合わせなかった人が、弔問客の前では目頭を抑えて見せた。私は何も言わなかった。言えば、あの家では私が悪者になるからだ。
私は一人で、祖母の棺のそばに座っていた。線香の煙の向こうで、祖母は眠っているような顔をしていた。この手にもう、梳かす髪はない。そう思ったら、涙が止まらなくなった。隣の部屋からは、親戚に愛想を振りまく父の笑い声が聞こえていた。
49日が過ぎた頃、私は思い切って父に聞いてみた。祖母は何か残していなかったかと。父は面倒くさそうに手を振った。
「ばあちゃんの貯金なんか、葬式代と葬式で消えたよ。年寄りの金を当てにするな。」
介護をしたのは私なのに。喉で出かかった言葉を飲み込んだ。祖母の言葉は、きっと気持ちの話だったのだろう。そう思うことにした。
救いは仕事だった。経理の仕事は好きだった。数字は嘘をつかない。経理部長の真壁部長は、言ってくれた。
「白石さんがいてくれて助かるよ。うちの数字は君が守ってる。君は数字の向こうに人を見てるんだな。それは教えてできることじゃない。」
家では誰にも見てもらえない私を、職場の人たちは見ていてくれた。いつか、もっと小さな会社の力になる仕事がしたい。応募をつける余裕もない個人商店や街工場の数字の面の支えになるような仕事を。夜、自分の部屋で簿記や税務の本を開くたび、その夢は形をはっきりさせていった。
そんな小さな夢を胸にしまっていた、その矢先だった。サラの縁談が白石の家に持ち込まれたのは、私が31歳だった年の11月のことだ。宛先は私ではない、サラだった。縁談を持ち込んだのは、柚木さんという父の古い知人だった。白石建設が創業間もなく傾きかけた時、大きな仕事を回して救ってくれた人だ。
先方は高藤レンジ君。38歳。亡くなった親友の一人息子で、人柄は俺が請け合う。柚木さんはそこで一度言葉を切り、遠くを見るような声になった。「親父さんに先立たれてなあ。だが、曲がらずに育った。ああいう男は今時探してもおらんよ。」
サラは乗り気になった。34歳。周りの友達が次々に結婚していくことに、本人が一番焦っていた頃だ。「で、お収入は?車は何に乗ってるの?」そういうことばかり聞くサラに、柚木さんは苦笑いをしていた。今にして思えば、あの人は全部わかった上で、何も言わなかったのだ。
顔合わせは11月の日曜日。形式ばるのは抜きにしようという柚木さんの計らいで、白石の家で開かれた。初めて会う高藤レンジさんは、写真より物静かな人だった。両親のものと分かるウールのセーターに、使い込んだ革の鞄。手土産は老舗の最中だった。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。」
深く下げた頭に、父と母は満足そうだった。サラは化粧に一時間かけた顔で、愛想を作って隣に座った。茶を出しに来た私と目が合うと、レンジさんは小さく会釈をくれた。家に来る客で、茶を出す私に頭を下げる人は初めてだった。
「妹の美です。気が利かない子ですけど。」
母は私を紹介とも呼べない一言で済ませて、すぐにサラの話に戻した。
話が仕事のことに及んだのは、座が温まった頃だ。父が探るように聞いた。
「それで高君、今はどちらにお勤めかね?」
「今は、会社には勤めていません。家で静かに過ごしています。暮らしは、困らない程度に。」
座敷の空気が、ひやりと冷えた気がした。レンジさんはそれだけ言って、穏やかに微笑んだ。茶を下げに入った私の目にも、サラの顔から営業用の笑顔が消えるのが見えた。父の機嫌が悪くなり、母が慌てて茶を勧める。その後の会話は、誰も本気で聞いていなかった。
サラは途中で「お手洗い」と立ったきり、なかなか戻らなかった。私は台所で洗い物をしながら、エプロンのポケットの携帯が続けて震えるのを感じていた。白石の家族グループトークだった。
「無職なんて絶対無理。田舎の古い家で無職。私の人生終わるんだけど。」
「ねえ、いいこと考えた。みおにはああいう貧乏男がお似合いよ。代わりに務めれば、柚木さんにも角が立たないじゃない。どうせみおなら文句言わずに頷くわよ。」
最後の一言には、客が帰った後になって、母が笑いの絵文字で答えていた。
客を見送った夜、家族会議が開かれた。議題は断り方ではなかった。
「みおが代わりに務めればいいじゃないの。それが一番丸く収まるわよ。」
母が言い、サラがすかさず乗った。
「それがいいわよ。地味同士、みおにはお似合いよ。」
「待って。私の話でしょ?私は会ってもいないのに。」
「あっただろう。お茶を出して、顔は見たはずだ。」
父は真顔でそう言った。冗談ではなく、本気で。柚木さんには白石建設が潰れかけた時の恩がある。断談は潰せない。サラはダメだ。あの子には未来がある。
「私にはないの?」
「お前は今まで育ててもらった恩を返せ。それだけの話だ。」
黙っていると、父は畳を叩いた。「断ったら二度と家族とは認めん。この家の敷居もまたがせん。」
「お父さん、そこまで言わなくてもね。みよ。あなたは我慢できる子でしょ。家族のためだと思って。」
母の猫撫で声が、一番冷たかった。
「何よ、その顔。サラが桜貝のように広げた爪の先で私を指した。あんたに選ぶ権利があると思ってるの?31の生き遅れを引き取ってもらえるだけ、ありがたいと思いなさいよ。」
理屈はめちゃくちゃだったけれど、めちゃくちゃな理屈はあの家では通る。二十数年以上かけて、私はそれを知っていた。私の返事を待った人は、あの座敷に一人もいなかった。
その夜、私は自分の部屋で家族トークの画面をもう一度開いた。消される前に、とサラの言葉を一枚ずつ画像に残す。経理の癖だ。数字も言葉も、記録は消えたら終わりだから。
ただ、言いなりに務めるつもりはなかった。私は柚木さんに頼んで、高藤レンジさんに二人で会う席を設けてもらった。断るなら、せめて自分の口で断ろうと決めていた。
12月の初め、私は駅前の古い喫茶店で高藤レンジさんと向かい合った。断りの言葉は家を出る前に何度も練習してきたけれど、先に頭を下げたのは向こうだった。
「代わりに来たと、柚木さんから聞きました。」
「ご存知だったんですか?」
「姉妹で入れ替わって気づかないほど、鈍くはありません。望まない結婚をする必要はありません。俺から断ったことにします。角が立たないよう、柚木さんにもうまく話しますから。」
私はしばらく黙って、湯気の消えたコーヒーを見ていた。この結婚が嫌なのか、それともまだ私だけがのけ者にされているあの家が嫌なのか。自分でも分からなくなっていた。
気がつけば、私は会って二度目の人に、ぽつりぽつりと話していた。祖母の介護のこと、毎月の8万円のこと、経理の仕事が好きなこと、いつか小さな会社を支える仕事がしたいこと。レンジさんは口を挟まずに、最後まで聞いた。
「介護5年、一人で?お疲れ様でした、なんて言葉じゃ足りないでしょう。」
「家族ですから。」
「家族だからこそ、してもらって当たり前じゃないでしょう。」
その一言に、目の奥が熱くなった。「当たり前じゃない」。そう言ってほしかったのだと、言われて初めて気がついた。
「結婚しても、仕事を辞める必要はないと俺は思います。あなたの夢も、あなたのものだ。自分の人生は自分で決めてください。」
断るつもりで来た席だった。なのに帰り道、私は断りの言葉を一度も口にしなかったことに気がついた。
それから私たちは、家族にせかされる形を借りて、二人で何度か会った。レンジさんは物知りでも、自慢しない人だった。冬の公園を一緒に歩いた日、私が経理の実務書を買うと、レンジさんは嬉しそうに笑った。
「仕事の本を休みの日に買う人は、信用できる。」
「変わってますね、高藤さん。」
「よく言われます。学生の頃から面白いことを考えては、仲間に呆れられていました。」
年が開けてから、高藤さんの家にも招かれた。古い平屋は隅々まで手入れされていて、縁側の日溜まりが祖母の家によく似ていた。庭の畑には、冬の大根が並んでいた。
「親父は建具の職人だった。この家の中は、全部親父の仕事です。」
欄間の一つを撫でて、レンジさんはそう言った。
「なら、この家はあなたに会いますね。おばあちゃん子だったので。」
「じゃあ、この家はあなたに会う。」
どうしてそこで、少し照れたように笑うのだろう。私まで釣られて笑ってしまった。
その日の別れ際、レンジさんは駅の改札の前で立ち止まった。
「最初に言ったことを、訂正させてください。断ったことにするという、あの話です。」
「はい。」
「断りたくなくなりました。家の事情は抜きにして、俺はあなたと結婚したい。白石みおさん、俺と結婚してください。」
私は頷いた。家族のためではなく、初めて自分で選んだ答えだった。
結婚が決まると、白石の家は手のひらを返した。厄介者が嫁ぐと分かった途端、母は上機嫌になった。
「良かったわね、みよ。あなたにももらい手があって。式はあげないんですって?そうよね。向こうにお金がないものね。うちも支度は一切してあげられないわよ。」
父は父で、念を押すことを忘れなかった。
「ついでに、毎月の8万円は続けろよ。育ててやった恩は一生返せ。困っても実家には戻ってくるな。嫁に出た娘の面倒は見られん。」
サラはサラで、最後までサラだった。
「式もできない結婚なんて、私なら死んでも嫌。まあ、あんたにはお似合いよ。新婚旅行は畑かしら。」
言い返す気も起きなかった。この人たちと離れられる。それだけで、この縁談は私にとって上等すぎるほどだった。
荷造りの日、私は母に預けてある通帳と実印を返してほしいと頼んだ。母は台所から顔だけ出して、うるさそうに手を振った。
「ああ、あれね。家の金庫が一番安全なのよ。持ち出してなくしたらどうするの?でも、結婚するんだし。必要になったら送ってあげるから。」
私はそれ以上、食い下がらなかった。この判断を後になってあれほど悔むことになるとは、この時は思ってもみなかった。
こうして私は6月の終わりの平日の朝、レンジさんと二人だけで婚姻届を出した。証人は柚木さんと、職場の部長が名前を書いてくれた。ダンボール三箱と、あの中古自転車より軽い身一つで、白石美は高藤美になった。
新居は、レンジさんが亡くなったお父さんから受け継いだ郊外の古い平屋だった。柱は黒ずんでいるけれど、隅々まで手入れが行き届いている。祖母の家に似た匂いがして、私は最初の日からこの家が好きになった。
結婚しても、私は会社で働き続けた。レンジさんは家にいる日が多く、家事は自然と分担になった。それどころか、私の帰りが遅い日は夕食を作って待っていてくれた。
「今日は肉じゃがにした。味は保証しない。」
そう言いながら、味はいつも保証されていた。あの家で二十数年台所に立ち続けた私が、誰かの作った夕飯を家で食べる。それだけのことが、泣きたいくらい嬉しかった。
隣の老婦人に「若いのに関心だよ。あんたいい人と一緒になったね」と言われて、私は素直に頷いた。派手なことは何もないけれど、生まれてから一番穏やかな日々だった。
会社の昼休み、同僚から聞かれたことがある。「高藤さんの旦那さんって、何のお仕事?」私は答えた。「今はお休み中なの。前は自分でお仕事をしていて。」「ふうん。まあ人それぞれよね。」気まずそうに逸らされた目が、世間の物差しというものだった。悔しくはなかった。あの人の値を知っているのは、私だけでいい。
一方で、白石の家は相変わらずだった。サラからは度々電話がかかってくる。要件はいつも同じ。私を笑うことだ。
「ねえ、無職の夫を養う気分はいかが?私なら1日でごめんだわ。」
「レンジさんは無職じゃないわ。ちゃんと仕事を考えているの。」
「はいはい。畑仕事ね。ご立派だこと。」
夫を悪く言われるのは、自分を笑われるより腹が立つ。この時、私は初めて知った。その夜、夕飯の片付けをしながら、レンジさんがふと言った。
「今日、誰かと嫌な電話でもした?」
「どうして分かるの?」
「花瓶を持つ手が、ずっと止まっている。」
私は笑ってごまかした。姉に何を言われようと、この暮らしは1ミリも揺がない。そう思えることが、私の答えだった。
7月の初め、私は約束の8万円を届けに実家へ寄った。玄関を上がってすぐの棚に、封筒の束が無造作に積まれている。一番上の一通に、銀行の名前が刷られているのが見えた。経理を10年やった目は、それが何か一瞬で分かってしまう。催促状の類いだ。それも一通ではない。
「お父さんの会社、大丈夫なの?銀行から何か届いているみたいだけど。」
父は新聞で顔を隠したまま、吐き捨てた。
「経営は順調だ。素人が余計な詮索をするな。お前は8万を置いたら、さっさと帰れ。嫁に出た小娘が、白石建設に口を出すな。」
順調な会社に催促状は来ない。それくらい、経理でなくても分かる。
帰り際、仏壇に線香を上げさせてもらおうとして、私は廊下で足を止めた。祖母の使っていた奥の部屋が、ダンボールとサラの衣装ケースで埋まっていた。私がこの家を出るまでは、手をつけずに開けてあった部屋だ。
「ああ、物置にしたのよ。開けておいても仕方ないでしょう。」
母は何でもないことのように言った。祖母の5年間は、あの家ではもう置き場所のない物でしかなかった。
その翌日だった。サラの投稿に新しい写真が並んだのは、納車されたばかりの白い車のボンネットに手を置いて、サラが笑っていた。文面には「パパからのプレゼント」とあった。経営が苦しいはずの父が、どうしてサラにばかり金を注ぎ続けられるのか。数字が合わないところには、必ず理由がある。10年の経験がそう告げていた。
そして、あの日が来る。
7月最後の金曜日。経理部は決算処理の追い込みで、朝から戦場だった。出がけに、レンジさんはいつもと同じ顔で玄関まで送ってくれた。ただ一言だけ、いつもと違うことを言った。
「今夜帰ったら、話したいことがあるんだ。」
「何?」
「大した話じゃない…いや、大した話かな。とにかく、気をつけて。」
あの言い方は何だろう。歩きながら首をかしげたけれど、決算の数字がすぐに頭を占領した。
昼休み、携帯が鳴った。サラだった。
「無職の夫を養う生活はどう?私なら3日も持たないわ。」
挨拶より先に、それだった。
「今日は忙しいの。要件は?」
盆に手ぶらで来ないでよ。あんたの稼ぎじゃ大したものは無理でしょうけど。一方的に喋って、電話は切られた。私は息を一つ吐いて、伝票の山に戻った。
残業が決まったのは、夕方だった。
「高藤さん、悪いけど今日は頼むわね。締めが終わらないと帰れないから。」
私は廊下に出て、レンジさんに電話をかけた。
「今日は残業で、帰りが遅くなります。」
「分かった。帰りの心配はしなくていいよ。」
心配しなくていい。きっと駅まで迎えに来てくれるのだろう。この前もそうだったから。私はそれだけ考えて、電話を切った。
夜の10時。最後の伝票を閉めて、私は同僚たちと会社を出た。そして、足が止まった。
会社の正面玄関の前に、黒塗りの高級車が停まっていた。磨き抜かれた車体に、街灯が映り込んでいる。テレビでしか見たことない車種だった。運転席から制服姿の運転手が降りて、まっすぐ私の前へ歩いてくる。白い手袋の手を添えて、深く頭を下げた。
「高藤美様でいらっしゃいますね。お疲れ様でございます。人違いではございません。奥様、お迎えに上がりました。」
後ろで同僚たちがざわめいている。「高藤さんの知り合い?嘘でしょ?」「映画の撮影じゃないの?」
「江藤と申します。旦那様のご指示で参りました。どうぞ。」
旦那様。レンジさんのことをそう呼ぶ人がいることに、まず頭が追いつかなかった。
「あの、何かの間違いだと思います。うちはこういう車とは縁がなくて。」
「間違いではございません。ご不安でしたら、車内から旦那様にお電話くださいませ。」
江藤さんは目元を柔らげて、扉を支えたまま動かなかった。断る理由を探す方が難しかった。開かれた後部座席は、革の匂いがした。
わけも分からないまま座席に沈み、走り出してから、私は震える指でレンジさんに電話をかけた。ワンコールで、聞き慣れた声が出た。
「もしもし。」
「レンジさん。あのね、今、変な車に乗って…」
「うん、江藤さんだろ?良かった。ちゃんと会えたんだな。驚かせてごめん。今日、正式に発表されたんだ。」
「発表って、何が?」
「俺が、東王グループの会長に就任することが。」
東王グループ。あの、テレビで毎日名前を聞く。物流から金融まで抱える、日本有数の企業グループ。
「今、江藤さんに君をその会場まで送ってもらってる。詳しい話は、着いてから。今夜、家で話すつもりだったんだ。」
返す言葉が、すぐには出てこなかった。
「みよ。聞こえてるか?」
「聞こえてる。でも、追いつかない…」
「着くまでに深呼吸を3つ。それで足りなければ、あと3つ。」
こんな時まで、この人はいつもの調子だった。おかげで、少しだけ指の震えが止まった。
車が着いたのは、都心の高層ホテルだった。仕事帰りのくたびれたスーツのまま、私は最上階へ案内された。エレベーターを降りると、廊下の先の宴会場から柔らかいざわめきが漏れていた。案内板には「東王グループ会長就任披露の会」とあった。
控室の扉が開くと、タキシード姿のレンジさんが立っていた。
「急にごめん。驚いただろう。」
「驚いたなんてものじゃないわ。ねえ、まだ信じられないの。会長って、本当のことなの?」
レンジさんは私をソファに座らせて、ゆっくり話し始めた。
「12年前、仲間と3人で会社を始めたんだ。物流システムの会社。倉庫の在庫と配送を丸ごと管理する仕組みを作った。最初の3年はひどいものだった。事務所は倉庫の2階で、夏は虫だらけ。銀行には17回断られた。それでも、仲間と面白いものを作っている自信だけはあった。運が良かった。大手が次々に採用してくれて、会社は大きくなった。2年前、東王に会社を売った。金額は、数百億円という規模になった。」
数百億。畑のナスの出来を喜んでいた人の口から出る数字ではなかった。
「どうして売ってしまったの?大事な会社でしょ。」
「会社が大きくなりすぎて、俺の人生の全部になりかけていたからだ。親父は仕事一筋のまま60で死んだ。仕事は好きだ。でも、人生には他のものもいる。そう思っていた矢先に、東王から話が来た。対価の多くは東王の株式で受け取った。だから今の俺は、東王の大株主ということになる。それで、グループの立て直しを任されることになった。それが、来月からの新しい仕事。」
「どうしてもっと早く言わなかったの?」
責めるつもりはなかった。ただ、知りたかった。
「会社が大きくなってから、金額を知って態度を変える人を何人も見てきた。数字を言った瞬間、相手の目の色が変わるんだ。でも君は、俺が何者か知る前から、俺自身を見てくれた。『無職』と呼ばれる男が家に来て、畑の大根を一緒に抜いて笑ってくれた。それがどれだけ有り難いことか、君は知らないと思う。」
喉の奥が詰まって、うまく返事ができなかった。
「今日からは、妻である君にも必要な警備と送迎をつけたい。聞かされたいわけじゃない。守りたいだけだ。仕事も暮らしも、君は何も変えなくていい。」
会場の扉の前で、レンジさんは一度立ち止まって私を見た。
「無理に笑わなくていい。隣にいてくれるだけでいい。」
扉が開くと、世界が一変した。ホテルの総支配人という人が、私のくたびれたスーツにかけらも表情を動かさず、丁重に迎えてくれた。新聞の経済面で名前を見るような会社の役員たちが、次々と二人に頭を下げていく。
「田舎の古い家で無職。」「貧乏人には貧乏人の店がお似合い。」あの家の笑い声が、遠くで砂のように崩れていく音を聞いた気がした。
人垣の向こうから、見知った顔が近づいてきた。喪服姿の柚木さんだった。
「黙っていてすまなかったね。レンジ君に口止めされていたんだ。肩書きで見ない人にだけ、本当のことは自分で話したいと。あんたの家族には気の毒なことをしたが、いや、これも人徳というやつだ。」
グラスを合わせながら、レンジさんがそっと耳打ちをした。
「疲れたら行ってくれ。挨拶が済んだら、二人で帰ろう。家の茶漬けが一番うまい。」
会長になっても、この人はこの人のままだ。それが何より嬉しかった。
家に帰りつくと、レンジさんはタキシードの上着を脱いで、本当に茶漬けを2杯おかわりした。ワカメと梅だけの、いつもの味だった。湯気の向こうで笑い合って、長い一日が終わった。
布団に入ってから、私は柚木さんの言葉を思い出していた。「私にはもったいない」と言った私に、あの人は笑って返した。「逆だよ」と。あの言葉の意味が、ようやくわかった。
翌朝、レンジさんの就任は経済ニュースの一面に載った。記事には、会場に入る私たち二人の写真も載っていた。ネットのニュースにも、同じ写真が流れた。
白石の家がそれを見つけるまで、半日もかからなかった。土曜の昼、携帯が震え始めた。母。サラ。父。着信履歴が積み上がっていく。夕方までにその数は50件を超えた。
最初の留守電は母だった。砂糖を煮詰めたような声だった。
「みおちゃん、お母さんよ。見たわよ、ニュース。水臭いじゃないの。家族なんだから、一度みんなでお食事をしましょうよ。」
「みおちゃん」。生まれてから一度も呼ばれたことのない呼び方だった。32年間、私はあの人の中で「みお」ですらなかった。「サラの妹」「手伝いの子」「我慢できる子」。それがたった1本のニュースで「みおちゃん」になる。人の値段のつけ方が、これほど分かりやすい家も珍しい。
次はサラだった。
「ちょっとどういうこと?あの人が東王の会長?嘘でしょ?とにかく電話ちょうだい。折り返してよね。絶対よ。」
父の留守電は命令だった。
「おい、すぐ実家に顔を出せ。レンジ君も連れてこい。大事な話がある。」
「無職の男」が一晩で「レンジ君」になっていた。私はどの電話にも折り返さなかった。ニュースが出た途端の家族ごっこに付き合う義理は、もうない。
翌日から、留守電の中身が変わった。
「育ててやった恩を忘れたのか。親を無視するとは、どこまで恩知らずなんだ。大体、本来あれはサラに来た縁談だったんだぞ。お前は代わりに行っただけの分際で。」これは父の声。続けて吹き込まれていたのは、母の声だった。
「お母さんよ。あなた、聞いてないわよ。こんな家に嫁いだなんて、どうして黙ってたの?親を騙すなんて、なんて娘なの?いい?あなたみたいな地味な子に会長夫人が務まるわけないの。身の程をわきまえなさい。」
三日で化けの皮が剥がれた。サラの留守電も、日ごとに温度が変わった。
「ねえ、まだ怒ってるの?子供ね。お姉ちゃんが、直々に会ってあげるから。」
数日後、サラは行動に出た。東王の本社に、押しかけたのだ。その夜、レンジさんが苦笑いしながら教えてくれた。
受付に現れたサラは、肩を出したワンピースにバッグという出で立ちで、こう名乗ったという。「私、会長の婚約者だったものです。ご本人にお取り次ぎください。」受付が困り果てて秘書室へ回し、応接室で対応したのが、レンジさん本人だった。
サラは椅子に座るなり、身を乗り出した。
「レンジさん、あの、私が本来の婚約者ですよね。妹は私の代わりに結婚しただけで。今からでも、間違いは直せるでしょ。妹には、私からうまく言ってあげるから。」
レンジさんの返事は、穏やかで氷のようだった。
「縁談を断ったこと自体は、何の問題もありません。誰にでも選ぶ自由がある。問題なのは、人を職業とお金だけで判断したこと。そして、断った相手に妹さんを身代わりとして差し出したことです。あなたとご両親のなさったことです。」
「そ、それは、でも、結果的にうまくいったんだから。」
「最後に一つ。私は美を誰かの代用品として選んだのではありません。美だから、結婚しました。あなたがどなたと何を直したいのか、私には分かりかねます。」
サラは顔を真っ赤にして、警備員に付き添われて帰ったそうだ。その夜のサラの留守電は、記憶に残るほど長くなかった。一方的にまくしたてて、最後にこう言った。
「ちょっとあんた、旦那に何を吹き込んだのよ。私、受付で恥をかかされたんだけど。妹のくせに生意気なのよ。あんたなんか、私が断った男を拾っただけのくせに。」
「拾っただけのくせに」。その言い草が、あの家の全部だった。捨てたのは自分たちで、拾ったのは私ではなく、選んでくれたのは向こうなのに。
けれど、白石の家の辞書に「引き際」という言葉はなかった。あの人たちの狙いは、もっと大きなところにあった。東王グループが県内に大型の物流施設を立てる。その記事が地元紙に載ったのは、8月に入ってすぐのことだった。総事業費、数十億円。地元の建設業界がざわつくのに時間はかからなかった。そして案の定、白石の家も動いた。
「おお、みよか。元気にしてるか?」
聞いたこともない愛想笑いの声で、父の電話は始まった。要件は3分で露呈した。
「東王さんがな、県の外れに大きい物流施設を立てるそうじゃないか。親戚なんだから、うちに工事を回せ。基礎だけでもいい。白石建設の名前が入るだけで、銀行の目の色が変わるんだ。」
「お父さん、私は東王の社員でも何でもないのよ。工事の発注に口を出せるわけがないでしょ。」
「向こうに言えばいいだけの話だろうが。枕元で一言囁けば済む、夫婦なんだから。」
横から母が電話を変わった。
「あ、みよ。お母さんもお願いがあるの。サラのサロンね。今の場所は家賃が高いのよ。グループの商業施設に入れてもらいなさい。ほら、身内枠というのがあるでしょう。それにね、サラったら今のお店の内装に飽きちゃって。移るならついでに、全部新しくしたいって言うのよね。いい話でしょ。」
「できません。そうするつもりもありません。」
自分でも驚くほど、はっきりした声が出た。電話の向こうで母が息を飲み、すぐに父の怒鳴り声に変わった。
「誰のおかげで結婚できたと思っている。わしが縁談を受けてやったから、お前は玉の輿に乗れたんだろうが。」
「違うでしょ。お父さんたちは、姉さんが捨てた縁談を私に押し付けただけ。厄介払いのつもりで、私に回しただけでしょ。私を幸せにしたのは、お父さんたちじゃない。あの人が私を選んでくれたの。8万円は今月も振り込みます。でも、それ以上のことは、何もしません。」
電話を切った後、しばらく手が震えていた。怖かったからじゃない。32年分の言葉が、一度に出口へ殺到したからだ。言い返したら世界が終わると思っていたのに、世界は壊れなかったし、雷も落ちなかった。ただ、胸の奥の何かが一つ、確かに軽くなっていた。
その夜、夕食の席でレンジさんが箸を置いた。
「一つ、耳に入れておきたいことがある。」
「何?」
「お父さんが、本当に東王の窓口へ売り込みをかけたらしい。それで、東王の財務部が与信調査をかけたんだ。俺の指示じゃない。妻の実家だからこそ、特別扱いで止めるわけにもいかなくてね。それで、決算の数字に妙な点があるらしい。実態の見えない外注費が、毎年決まって計上されている。財務部は、架空の工事請求の可能性を疑っている。」
与信調査。取引していい相手かどうか、会社の金回りを調べる審査だ。経理の私には、その言葉の重さがすぐ分かった。架空請求。経理の人間にとって、それは会社終わりの同義語のような響きを持つ言葉だ。
「まだ疑いの段階だ。ただ、この数字では、取引先に限らずどこの大手とも新規の取引は難しい。銀行も、いずれ気づく。問題は、その金がどこへ抜けているかだ。みおさんは、どうしたい?実家のことだ。君の気持ちを最優先する。」
「私、確かめたいことがあるの。少し時間をちょうだい。」
レンジさんはそれ以上、何も聞かなかった。聞かずに待てる人だった。催促状の束。赤字のサロン。新しい車。あの家で見た数字の合わない光景が、頭の中で一列に並び始めていた。
週末、私は連絡を入れずに実家を訪ねた。
「あら、みよ。急にどうしたの?やっと家族が恋しくなった?」
玄関に出た母は、勝手な解釈で機嫌を直した。私は上がり框で、要件だけを言った。
「預けてある通帳と実印を返してください。今日、持って帰ります。」
母の顔から笑みが引いた。奥から出てきた父と目線を交わすのが見えた。
「なんだ、急に。あんなもの、返してどうする?」
「私のものだから。結婚もしたし、自分で管理します。」
「今すぐは無理よ。鍵をね、お父さんが仕事場に置いてきちゃって。今度でいいでしょ。」
二人の慌てようは、隠しようがなかった。ただ通帳と印鑑を返すだけの話に、この慌てようは何なのか。
「大体、何だその言い草は?嫁に出た人間が、親の家の金銭をとやかく言うのか?」
「とやかく言っているんじゃないわ。私の名義のものを、引き取るだけよ。」
その時だった。玄関の脇の棚の上に、見覚えのある束が目に入った。輪ゴムで無造作にまとめられた封筒の山。前に来た時、催促状だと思ったあの束だ。誰かが束を入れ替えたのか、その日は宛名の面が上を向いていた。一番上の封筒の宛名が、視界に飛び込んできた。
「白石美 様」。私宛だった。この家にもう住んでいない、私宛ての銀行の封筒。それも一通ではない。
「これ、私宛てよね。どうして黙っていたの?」
母が手を伸ばすより早く、私は一番上の一通を取った。父が何か怒鳴っていたけれど、耳に入らなかった。私はその一通だけ鞄に入れて、駅前の喫茶店に飛び込み、封を切った。
中身は催促状だった。貸付金 3000万円。債務者・白石建設 株式会社。連帯保証人・白石美。私は声に出して読み直した。何度読んでも同じだった。2年前の日付で、私は父の会社が3000万円を借り入れた時の連帯保証人にされていた。父が返せなければ、代わりに金額を請求される立場。
署名した覚えはない。説明を受けた覚えもない。書類を見たことすら、ない。私が知らないうちに保証人になり、私が知らないうちに催促が始まっていた。私の実印も、印鑑登録カードも、全部あの家の金庫の中にあった。
3000万円。私の稼ぎでは、一生かけても返しきれない金額だ。あの人たちは、娘の名前で借金の盾を作り、その娘に黙って催促の手紙を玄関に積んでいた。
震える指で、私はレンジさんに電話をかけた。
「落ち着いて聞いて。私、お父さんの借金の保証人にされてた。3000万。署名も押印も、私は何もしていないのに。」
「分かった。まずその書類を写真に撮って、俺に送ってくれ。それから原本は絶対に手放すな。それが君を守る証拠だ。弁護士を紹介する。ただ、動くかどうかは君が決めていい。君の家族のことだから。」
「ありがとう。でも、その前に確かめたいことがあるの。」
「ちゃんと渡るようにしてあるから」。祖母のあの言葉。「葬式代と葬式で消えた」という祖母の貯金。返してほしいと言った途端、出し渋られた私名義の通帳。確かめなければならない。あの通帳に、何があったのか。
翌週、私は実家近くの銀行の支店へ行った。祖母が生前ずっと使っていた、あの銀行だ。窓口の女性は丁寧に教えてくれた。
「ご本人様であれば、お取引の明細をお出しできますよ。」
結婚で姓が変わっているので、それを証明する戸籍の書類を添えて申請する。通帳や印鑑がなくても、本人確認さえできれば手続きはできるという。私は申請書に、「白石美」と「高藤美」、二つの名前を書いた。
明細が届くまでの数日は、10年より長かった。そして、届いた。分厚い封筒を開いた私は、台所の椅子に座り込んだまま、長い間動けなかった。
「白石美 普通預金 お取引明細」。一枚目の冒頭から、私の知らない歴史が始まっていた。毎年決まった時期に、100万円の入金。適用欄には「千」の文字。祖母の名前だった。入金は明細の始まりよりずっと前から続いていたのだろう。遡れる限界の10年前の時点で、残高はすでに800万円ほどあった。祖母は年金と蓄えから、コツコツと孫名義の口座に積んでいたのだ。そして3年前の春、祖母が亡くなった月の残高は、1500万円になっていた。
「ちゃんと、あんたに渡るようにしてあるから」。あの言葉は、気持ちの話ではなかった。祖母は本当に残していたのだ。入金の日付を目で追って、気がついた。毎年7月の初め。私の誕生日だった。誕生日を家族に忘れられ続けた私に、祖母だけは何も言わずに贈り物を積んでいた。
視界が滲んで、しばらく数字が読めなくなった。けれど、明細はそこで終わらなかった。祖母が亡くなった翌月から、出金の記録が始まる。3年前の夏、数日のうちに何回分かに分けて、合わせて1000万円。振込先はどれも同じ、カタカナの内装工事の会社の名前。サロンサラがオープンした、まさにその時期だった。2年前の秋、300万円。振込先は株式会社白石建設。そして、ほんの数ヶ月前の春に、200万円。振込先は外車の販売店。頭金だろう。サラが自慢していた、あの白い車。
1000万と300万と200万。合わせて1500万円。残ったのは、利息の端数だけだった。祖母が長い年月をかけて積んだ金は、痕跡もなく消えていた。姉のガラス張りのサロンに、父の会社の穴埋めに、姉の白い車に。
経理を10年やってきて、数字を見て吐き気がしたのは初めてだった。
次の日曜、私は一人で実家に乗り込むと決めた。レンジさんは一緒に行くと言ってくれたけど、断った。これは高藤の家の話ではない。白石美の決着だった。
家を出る時、レンジさんが言った。
「江藤さんが外で待ってくれている。でも、これは君の戦いだ。何かあったら、鳴らす前に出る。」
実家の茶の間に通されるなり、私は明細と催促状の写しを畳の上に並べた。
「説明して。この二つを。」
父は明細を一瞥して、鼻を鳴らした。悪びれる色は、どこにもなかった。
「なんだ、調べたのか?それがどうした?家族の金を、家族のために使っただけだ。」
「家族の金じゃない。おばあちゃんが私に残した金を、私名義の口座から、私に一言もなく引き出したのよ。」
「ばあちゃんの金は、白石の金だ。それを言うなら、お前を育てたのも白石の金だぞ。22まで食わせて着せて、学校まで出してやった。多少使って、何が悪い?」
「多少?1500万円が?」
母は母で、湯飲みを片手に知らん顔を決め込んでいた。
「だって、あなた、サラにお金が必要だったのよ。お店って、本当に大変なんだから。あなたは会社勤めで、お給料が毎月入るでしょ。それにね、あの口座、あなたの名義にしてあったでしょう。あれは、いずれあなたにあげるつもりだったのよ。家族の中でのやりくりなの。わかる?」
「じゃあ、これは?私の印鑑で、3000万の保証人にした。これも家族のため?」
「ああ、それね、形だけよ。銀行がうるさいから、名前を借りただけ。あなたに迷惑はかけないわよ。」
「催促状は、現に私の名前に届いている。返してください。返せるものは。」
「もう使ったものは、仕方ないだろう。大体、保証なんてものはな、形式だ。白石建設が潰れなければ、お前に請求なんて来ない。」
「サロンも車も、まだそこにあるでしょう。サラのものを取り上げる気か。」
父が机を叩いた。湯飲みが跳ねて、明細の写しに茶が散った。
「お前は昔からそうだ。可愛げがない。理屈ばかりで、姉を立てることを知らん。いいか?これは家族の問題だ。外に漏らしてみろ。ただじゃおかんぞ。」
「ただじゃおかない」。被害者の私に向かって、加害者が言うセリフだった。不思議なくらい、涙は出なかった。この人たちは変わらない。私が我慢をやめない限り、死ぬまでこのままだ。
「わかりました。」
立ち上がった私に、母が満足そうに頷いた。「分かればいいのよ。あなたは昔から、最後は聞き分けのいい子なんだから。」
玄関で靴を履く私の背中に、父の声が追ってきた。
「おい、分かったなら、工事の話も向こうに通しておけよ。身内の証だ。」
この後に及んで、まだ工事の話をしていた。振り返る価値もなかった。急に分かったわ、お母さん。あなたたちに言葉はもう通じない。次に届くのは、言葉じゃない。
この日、私は白石の家に、心の中で見切りをつけた。
帰りの車で、江藤さんは何も聞かずにドアを開けてくれた。家に着くと、レンジさんが玄関先で待っていた。
「お帰り。顔を見れば分かるな。座って話そう。」
私は台所のテーブルで、明細と書類を全部並べた。そして言った。
「弁護士さんを紹介して。私、戦う。」
「分かった。君ならそう言うと思って、桔梗の先生に、もう声をかけてある。」
レンジさんが声をかけてくれたのは、島本先生という女性の弁護士だった。町の法律事務所で20年、家族の金銭問題を専門にしてきた人だという。初回の相談で、私は全部の書類を机に並べた。銀行の取引明細、催促状の原本、8万円を書き続けた10年分の家計簿、祖母が私名義に積んでくれた口座の入出金を書き写した私の手帳。
島本先生は老眼鏡を上げ下げしながら、一枚ずつ丁寧に確かめた。
「見事なものですね。失礼ながら、ここまで記録が揃っている相談は、滅多にありません。」
「経理なので。記録だけが、私の味方だったんです。」
「いいえ、高藤さん。今日からは、私も味方です。」
先生は事務的に、けれど確かな温度感のある声で方針を並べた。まず、祖母が残した1500万円。名義はあなた。祖母があなたのために積んだお金だと、これだけの記録があれば十分に主張できる。使い込んだ側に返還を求めましょう。次に、3000万円の保証。あなたの意思に基づかない契約ですから、無効を主張して争います。筆跡鑑定の用意もしましょう。実印と印鑑登録証を無断で使われた以上、場合によっては刑事告訴も視野に入ります。
「今の時代、事業の借金を家族が保証するには、本人が公証役場で保証の意思を示す手続きがいるんです。あなたはそこへ一度も行っていない。銀行の手続きにも穴がある。争う材料は、十分すぎるほどです。」
「取り返せるでしょうか?」
「『取り返せます』とは経験者としては言いません。裁判は生き物ですから。ただ、これだけは言えます。記録は、全てあなたの側にある。」
方針は四つに決まった。1500万円の返還請求。保証契約の無効の主張と、法的措置の準備。今後の連絡は一家を代理人経由とする通知。そして、毎月の8万円の停止。最後の一つは、弁護士がなくてもできますよ、と先生は初めて少しだけ笑った。
帰り際、私は一つだけ聞いてみた。10年間の8万円。合わせて960万円は、どうにもならないのかと。
「難しい質問です。生活費や援助として渡し続けたお金の返還は、正直簡単ではありません。ただね、高藤さん。過去の960万は取り返せなくても、未来の8万円は今日この瞬間から、一円も渡さなくていい。それは誰の許可もいらない。あなたの権利です。」
それが島本先生の名前で白石の家に届いたのは、8月の終わりだった。内容証明の通知。反応は早かった。ただし私にではなく、レンジさんに向かって。父は東王の本社に電話をかけ、繋がらないと知ると、柚木さんを拝み倒してレンジさんへの面会を取り付けた。
応接室で頭を下げた父は、開口一番こう言ったそうだ。
「レンジ君、いや、会長。あれは家族同士のことだ。弁護士だなんて大げさにしないでくれ。身内の恥になる。」
「身内の恥ですか。お伺いしますが、美さんが『家族』だったのは、あなたたちがお金を必要とする時だけですか?お見合いの時も、毎月の8万円の時も、美さんは『家族』として差し出されてきた。けれど、お祖母様が残したお金の時だけ、美さんの取分は『家族』の外だった。都合が良すぎませんか?」
父は言い返せず、今度は営業の顔を作った。「それなら、物流施設の工事の件だけでも…」
「その件は、もう終わっています。」
数日後、東王グループは白石建設との取引を正式に見送った。財務部の追加調査で、実態の確認できない外注先があることが裏付けられ、会社の金が外へ流れているという話も、複数から出たからだ。
一方、その頃サラはサラで、忙しく動き回っていた。「妹に婚約者を奪われたの。本当なら、私が会長夫人だったのに。」サロンの客に、同級生に、ママ友の集まりに、サラは悲劇の主役を演じて回っていた。その噂は、思わぬところから私の耳に入った。職場の隣の席の先輩が、実はサロンサラの客だったのだ。
「ねえ、高藤さん。変なことを聞くけど、あなた、お姉さんの婚約者を横取りしたなんてことないわよね。」
私は黙って携帯の画面を開いた。保存しておいた、あの家族トークの画像。「無職なんて絶対無理」「みおにはああいう貧乏男がお似合いよ」「代わりに務めれば、柚木さんにも角が立たないじゃない」。日付ごと、全部見てもらった。
「私からは何も言いません。ただ、残っているものが、全部です。」
先輩は画面と私を三度見比べて、それから長い息を吐いた。
「ごめん。聞いた私がバカだったわ。」
噂の流れが変わるのに、時間はかからなかった。作り話は、記録の前では長持ちできない。
そんな9月の初め、母から一通のメッセージが届いた。「最後に一度だけ、家族で話がしたい。お母さんたちも、反省しているの。」島本先生に相談の上、私は一度だけ応じることにした。終わらせるためには、終わりの場がいる。
「行かなくてもいいんだぞ。」出がけに、レンジさんは私のブラウスの襟を直しながら言った。
「行くわ。逃げるためじゃなくて、閉めるために。決算と同じよ。」
「なるほど。じゃあ、うちの経理は無敵だ。」
約束の場所は、駅前の喫茶店にした。実家の茶の間は、あの人たちの土俵になる。人の目のある場所で、記録の残る昼間に。それも、島本先生の助言だった。店の前までレンジさんが送ってくれた。「終わったら電話をくれ。30分で来られる場所にいる。」
店に入ると、両親はもう来ていた。父はよそ行きの上着を着て、母は手土産の紙袋まで下げてきたらしい。
「みよ、よく来てくれたわね。」
母が目じりを下げた。父は咳払いをして、頭を下げる真似のように顎を引いた。
「その…なんと言うか。今回のことは悪かった。父さんたちも、やり方がまずかったと思っとる。」
「やり方がまずかった」。中身ではなく、やり方が。最初の一言で、この謝罪の底が見えた。
「ばあちゃんの金のことも、保証のことも、悪気があったわけじゃないんだ。家族だから、つい。そうだろ、母さん。」
「そうよ。水に流しましょうね。親子じゃないの。昔のことをいつまでも言ってたら、前に進めないわ。」
「昔のこと」。数ヶ月前まで続いていた流用が、あの人たちの中ではもう「昔のこと」になっていた。私が黙っていると、父は身を乗り出した。本題が来るのだと、背中の丸め方で分かった。
「それでな、みよ。会社のことなんだが。東王さんの取引の件、あれをもう一度、レンジ君に考え直してもらえんか。このままだと、銀行の融資も止まる。白石建設は、お前の生まれた家の会社だぞ。」
横から母が口を挟んだ。
「お願いよ、みよ。それから、サラのこともね。どこかのグループ会社で雇ってもらえないかしら。サロンが大変な時期でしょ。受付でも何でもいいのよ。東王の名刺が持てれば。」
謝罪の席は、3分で要求の席になった。母は思い出したように手を叩いた。
「それとね、お正月に親戚の集まりがあるでしょ。今度はレンジさんと二人で顔を出してちょうだいな。みんなに紹介したいのよ。『うちの娘婿は東王の会長です』って。おばさんたち、腰を抜かすわよ。」
私は運ばれてきたコーヒーに口をつけずに言った。
「お父さん、お母さん。今日は、謝ってくれるんじゃなかったの?」
「謝るだろう。だからこうして。」
「さっきから、二人が同時に口を開くたび、お金の話しかしていないわ。私に会いたかったんじゃなくて、東王の会長夫人に会いたかったのね。私を娘として必要としているんじゃなくて、便利な口として利用したいだけ。今日、それがよくわかりました。」
「何を生意気な。」
「1500万円は、おばあちゃんが私にくれたお金です。返してもらえます。保証も、私は判を押していません。争います。全部、弁護士の島本先生を通してください。私に直接連絡するのは、もう終わりです。」
「みよ、あなた、親に向かって。」
私は一度だけ深く息を吸った。32年分の言葉の、最後の一つを言うために。
「お母さん。私はもう、『我慢できる子』をやめます。『我慢できる子』って、褒め言葉じゃなかった。文句を言わない子、都合のいい子、何をしても怒らない子。そういう意味だったのよね。長く務めました。今日で、やめます。」
母は口を半開きにしたまま、何も言わなかった。
「これからは、姉さんだけを家族として大切にしてください。得意でしょ?私は、私を大切にしてくれる人と行きます。」
伝票を取って、席を立った。コーヒーは、テーブルに残したままにした。呼び止める声に、もう足は止まらなかった。
レジで支払いを済ませて店を出ると、外でサラが待っていた。腕を組んで、ヒールの先で地面を叩いていた。
「ちょっと、あんた本当に訴える気?家族を訴えるかどうかは、これからの話よ。」
「返すものを返してくれれば、裁判まではいらない。」
「その言い方が、偉そうだっていうのよ。」
サラは一歩詰め寄って、それから急に声を猫撫で声に変えた。昔から、この切り替えだけは天才的だった。
「ねえ、みよ。あんたがレンジさんと離婚すれば、全部元に戻るのよ。そうすれば、私が改めてあの人と一緒になって。お父さんの会社も、私のサロンも、全部丸く収まるじゃない。昔から言ってるでしょ。あの人と釣り合うのは、私の方だって。」
本気で言っているのだった。この期に及んで、本気で。
「姉さん。あの人はね、『代わりならいらない』って言った人よ。『美だから結婚した』の。私が消えても、姉さんの番は来ない。」
「あ、嘘よ。あんたが泣いて頼んだんでしょ。」
「どうせ信じたくなければ、それでもいいわ。事実は変わらないから。」
サラの唇が動きかけて、止まった。
「それにね、姉さんが失ったのは、私が奪ったものじゃない。自分で『価値がない』と決めて、自分で捨てたものよ。『無職なんて絶対無理』って、あの日書いたのは、姉さんでしょ。」
「私、あんたの従順な顔が昔から大嫌いだったのよ。」
「知ってる。私も、姉さんのそういうところは苦手だった。でもね、姉さん。嫌いな人の持ち物を欲しがるのは、もうやめた方がいい。格好がつかないから。」
「れだと思って捨てたクジが、当たりだった。悔しかったわね。でも、もう戻らない。当たりも外れも。」
私はそれだけ言って、向かいの車に乗った。窓の外で何か叫んでいるサラが、街の雑踏に小さくなっていく。振り返らなかった。振り返る理由が、もう一つもなかった。
車の中からレンジさんに電話をかけると、ワンコールで出た。
「終わったわ。全部、言えた。」
「そうか。よく頑張った。今夜は好きなものを作る。リクエストは?」
「肉じゃが。味の保証付きで。」
電話の向こうであの人が笑う気配がした。それだけで、目の縁が赤くなった。
数週間後、島本先生から報告があった。筆跡鑑定の結果と刑事告訴の可能性を弁護士名で示したところ、銀行は保証について私への請求を撤回する方向で調整に入り、父は1500万円の返還に応じる意向を示したという。
「返す原資を作るために、ご自宅を売却されるそうです。あなたが生まれ育った家ですが、構いませんか?」
「構いません。あの家に、私のものはもう何一つ残っていない。」
それから1年が経った。白石の家のその後は、風の噂と弁護士だよりで聞いた。父の会社は、架空請求と書類の偽造が取引先や金融機関にも知られ、新規の融資を断られるようになった。抜かれた金の行き先は、結局サラのサロンの穴埋めと、あの家の暮らしだったと聞く。事業を縮小した末に同業の会社へ安価で譲られ、父は社長の椅子を失った。自宅は売却され、1500万円は約束通り返還された。実印と私名義の通帳も、島本先生を通して手元に戻った。
父と母は、古い賃貸のアパートで暮らしているらしい。母からは何度か生活費だけでも送ってほしいという手紙が来たが、全て島本先生を通して、同じ返事だけを返している。サラのサロンは、資金の流れが止まった半年後に閉店した。白い車もブランドの鞄も手放したが、店の借金は残ったという。今は隣町の美容室で、雇われの美容師として一から働いているそうだ。私が嫁いだ直後から、サラのサロンには「いずれ自分が会長夫人になる」という話を当て込んで近づいていた男がいた。その男は、閉店と同時に消えたと聞いた。木の毒だとは思わない。サラは今、生まれて初めて自分の稼ぎだけで立っている。それは、サラの人生で一番健全な日々かもしれなかった。
そして、私といえば。会社を円満に退職して、小さな事務所を開いた。個人商店や町工場の帳簿を支える、経理代行の事務所だ。元手は、祖母が残してくれた1500万円。あの金は、今度こそ祖母の願い通りの場所で働いている。レンジさんは開業資金を出すと言ったけれど、断った。代わりに紹介してもらったのは、税理士の先生と中古の事務机だった。開業の日、レンジさんは私に言った。
「会長夫人だから成功するんじゃない。美さんだから、自分の力で成功できる。俺はそれを知っているだけだ。」
その言葉の方が、どんな資本より強かった。夜ごと机で計画を書き直す私にあの人は、茶だけ入れて口は出さなかった。開業の日には、柚木さんが胡蝶蘭を抱えて現れた。私を会社から送り出してくれた真壁部長は、今も取引先を紹介してくれる。
「千さんも喜んどるよ。あんたのばあ様は、ちゃんと見る目があった。」
柚木さんの一言に、返事の代わりに目頭を押さえた。
事務所の棚には、祖母の小さな写真を飾ってある。仕事に迷った日は、しわだらけの笑顔と目を合わせてから帳簿を開く。「あんたは働き者だね」。あの声は、今も私の帳簿の一行目にいる。
顧客は少しずつ増えている。帳簿をつける暇もなかった豆腐屋のご主人が、初めての決算書を眺めて、「うちの数字は綺麗だな」と笑ってくれた。あの家で否定され続けた私の職能が、今は誰かの役に立っている。
ある夜、仕事を終えて事務所の戸締まりをすると、通りの向こうに見慣れた黒塗りの車が停まっていた。江藤さんが降りてきて、あの夜と同じように深く頭を下げる。
「奥様。お迎えに上がりました。」
「ありがとう、江藤さん。」
私は笑って、小さく首を振った。「奥様」という呼び方への、ささやかな講義だ。今日はね、会長夫人じゃなくて、一人の経理として帰ります。
後部座席にはレンジさんがいて、布袋の包みを掲げてみせた。
「今夜は肉じゃがにした。味は保証しない。」
いつものセリフに、いつものように笑う。
「お疲れ様。今日はどんな一日だった?」
「忙しかった。でも、自分で選んだ仕事だから、楽しいわ。」
姉の代わりに、と決められた時、私はまた家族の犠牲になるのだと思っていた。けれど、あの結婚は、私が生まれて初めて自分で選び直した人生だった。「はしたない」と捨てられた私も、「無職」と見下された夫も、その本当の姿をあの家族は誰一人見ていなかった。
「無職の男と、地味な妹はお似合いだ」と、姉は言った。ええ。本当にお似合いだったみたい。姉さんの見立てで、唯一当たっていたのは、そこだけよ。
幸せは、肩書きや高級車の中にはなかった。私を大切にしてくれる人と、自分で選んだ人生を歩いていくこと。それが、私が手に入れた一番の財産だ。これからもこの人の隣で、私の帳簿に、自分で選んだ日々を一行ずつ書き足していきたい。



