「私が働いて稼いだ30万円ですよ」と私が言うと、義母は当たり前の顔で1万円札を食卓に滑らせた。「嫁の小遣いは月に1万円で十分よ。結婚したら家族のお金でしょ」夫は何も言わずテレビを見ていた。管理栄養士として毎日160食の献立を組み、月30万円を稼ぐ私の給料は、3年前から夫の口座を経由して義母の管理下にあった。食費も日用品も、私の小遣いさえも義母が決める。私は毎月、自分で稼いだ金を渡して「ありが…

「私が働いて稼いだ30万円ですよ」と私が言うと、義母は当たり前の顔で1万円札を食卓に滑らせた。「嫁の小遣いは月に1万円で十分よ。結婚したら家族のお金でしょ」夫は何も言わずテレビを見ていた。管理栄養士として毎日160食の献立を組み、月30万円を稼ぐ私の給料は、3年前から夫の口座を経由して義母の管理下にあった。食費も日用品も、私の小遣いさえも義母が決める。私は毎月、自分で稼いだ金を渡して「ありが...

義母が私の給料の入った封筒を受け取り、財布から1万円札を1枚だけ抜き出した。それが食卓を滑って私の方へ来た。私が働いて稼いだ30万円。義母は当たり前の顔をしていた。この3年、ずっと同じ顔だった。

私は1万円札を見て、それから夫と義母の顔を見た。「はい」と答え、椅子を引いた。バッグを取り、靴を履く。「どこ行くんだ?」という声に、「ちょっと用事」とだけ答えて家を出た。3月の風は冷たかった。

私は不活みさ、39歳。給食宅配会社の管理栄養士をしている。受け持ちは1回に160食。朝5時半に厨房へ入り、検品して火を入れて盛り付けの手順を回す。材料費は1食320円と決まっている。その中で栄養と味と彩りを揃えるのが私の仕事だった。手取りは月30万円。この会社では上の方だ。

夫のたやとは12年前の5月に結婚した。住宅設備の施工会社で営業をしている。私より2歳上。子供はいない。2人で話して決めたことだった。結婚してから9年間、生活費は2人で出していた。たやは毎月25日に自分の口座から私の口座へ14万円を移す。それで家賃も光熱費も保険も落ちる。食費と日用品は私が出す。そういう分け方だった。9年の間、14万円が遅れたことは一度もなかった。

止まったのは3年前の3月だ。問題はその後の手続きだった。家賃、電気、水道、ガス、携帯、保険。全部の書類を並べた時、口座番号を書く欄が8つ並んだ。私の方が平日に休みを取りやすかった。それだけの理由で引き落としの口座は私名義のものにまとめた。給料もそこへ入る。部屋の賃貸契約も私の名前で通した。名義はあくまで私。そのことを2人とも深く考えなかった。

義母のかず子は私たちの部屋から歩いて15分の団地に住んでいる。最初の頃、かず子はよくできた人だった。結婚した年の暮れ、大きな重箱を持って部屋へ来た。中身は煮物と栗きんとんで、私の実家の味付けより甘かった。嬉しかった。家族が増えるということがその頃の私には単純にありがたかった。

ただ、その手の一言が年に何回か増えていった。1度だけ私が意見を言ったことがある。結婚して1年目の秋だ。仕事から帰ったら今の窓に断熱のシートが貼ってあった。かず子が合鍵で入ったのだという。「お母さん、ありがとうございます。でも次からは先に一言もらえますか?」それだけだ。声も荒げていない。

その夜、たやの様子が変わった。「母さんは善意でやってくれてるんだぞ」「分かってます。だから断ってはいません」「断ってるだろう。それ、断ってるのと同じだから」。たやはそれから3週間、私と口を聞かなかった。3週間目に折れたのは私の方だった。それ以来、私はかず子に「次からは」と言わなくなった。

かず子が家計に口を出し始めたのは5年前の秋だった。「その保険見直したらどう?」「そのスーパーは高いわ」。その頃はまだその程度だった。翌年の春、かず子は私たちの保険の証券を見てあげると言って持ち帰った。帰ってきたのは3ヶ月後だ。中身は何も変わっていなかった。妙な気持ちになった。3ヶ月、私の家の保険の書類が私の家になかった。それだけのことなのに、なぜか落ち着かなかった。

言い方が変わったのはその年の秋だ。「みささんは無駄遣いが多いのよ。私は昔経理をやっていたから分かるのよ」。かず子はこの一言をよく使った。たやは嬉しそうに繰り返した。「母さん昔経理やってたから家計管理得意なんだよ」。聞いて損はないって。「損はない」。そう言われると返す言葉が見つからなかった。

かず子の口出しが言葉から手に変わるのはその次の冬だ。3年前の1月、仕事から帰ると台所の電気がついていた。かず子が流しの前に立っていた。合鍵を使って入ったのだ。「お帰りなさい。片付けておいたわよ」三角コーナーに、休みの日に作った切り干し大根とひじきの煮物と鶏の照り焼きが捨ててあった。4日分の副菜だ。「それ、まだ食べられたんですけど」「作り置きなんて痛むわよ。この時期でも3日が限度」「冷蔵4日は持たせられます。中心まで火を通してから冷ましているので」かず子は笑った。子供の言い訳を聞いた時の笑い方だった。「そういうのは本に書いてあることでしょう」私が14年やってきたことは、かず子の中ではそういう分類になるらしい。私は何も言わなかった。捨てられたものは戻らない。流しには私が使っていた保存容器が3つ洗って伏せてあった。中身を捨てて容器を洗って、それを親切だと思っている人がそこに立っていた。

その日からかず子は週に2回来るようになった。2月になると3回になった。来る前の連絡はない。玄関の鍵が開く音で、今誰かが入ってきたと知る。やがてレシートの話が始まった。「みささん、買い物のレシート撮ってある?」「見せてちょうだい。無駄がないか見てあげる」断る理由が思いつかなかった。断ればまたたやが3週間黙る。かず子は食卓にレシートを並べた。「これ何?」指の先にあったのはコーヒー豆の袋。「コーヒーです。豆で買って朝に引いています」「500円もするじゃないの?」「200gで500円です。2週間持ちます」「粉を買えば200円で済むでしょ。こういうところなのよ」。私は職場で1食あたりに使える金額の中から160食を組んでいる。その私が、2週間で500円の豆について説明をさせられていた。たやは隣でテレビを見ていた。「母さんは俺たちのためにやってくれてるんだぞ」それだけ言ってまた画面へ顔を戻す。

レシートは帰ってこなかった。かず子はレシートを揃えて封筒の口を開けた。「今度まとめてみるから預かっておくわね」そのまま持ち帰った。翌週も、その次の週も同じだった。指摘が帰ってきたことは一度もない。帰ってこないのに、なぜ持って帰るのだろう。1度だけ聞いたことがある。「あのレシートをどうされてるんですか?」「つけてるのよ。つけてるというのは、あなたに言っても分からないでしょ。私は昔経理をやっていたから」それで話は終わった。

その頃、冷蔵庫の中身が私の献立と合わなくなっていった。かず子は買い物をして勝手に入れていく。特売の豚こまが2パック、もやしが4袋、カット野菜、値引きのシールが貼られた食材。「安かったから買っておいたわ」問題は、その食材が私の予定と噛み合わないことだった。私はその週の献立をあらかじめ決めてまとめて買っている。そこへもやしが4袋入ってくる。もやしは3日でダメになる。捨てるわけにいかないから、予定していた献立を崩してもやしを使う。使った分の食材は余る。余った材料は次の週へ回す。現場でこんな在庫の回り方をしていたら、私は所長に呼ばれている。ある週は豚こまが3パック重なった。同じ肉が3日続いた食卓で、たやが箸を止めていった。「また豚か」買ってきたのはあなたの母親だ。その言葉は口の中で止めた。

「お母さん、買ってくださるのはありがたいんですが、先に何を買うか教えてもらえませんか?」「あら、私の買い物にケチをつけるの?」「そうではなくて重ならないように」「そんなに嫌なら鍵を返しましょうか」そう言われると終わりだった。かず子は鍵を返さなかったし、私も返してほしいとは言えなかった。その週末、たやが言った。「母さんがみさは買い物が下手だって言ってたぞ。量を考えてないって。あれだけ捨ててたらそりゃたまらないよな」捨てていたのはかず子だ。言えばまた3週間の沈黙が来る。私は洗い物の手を止めなかった。

2月に入って、かず子は台所の棚を並べ替えた。私が下段に置いていた鍋を上へあげ、上に置いていたものを下へ下ろした。「こっちの方が使いやすいでしょ」「下の方は腰を曲げるのは体に悪いのよ」翌朝、暗い台所で私は鍋を探した。手が届く場所にいつものものがない。同じ月に、食器棚の奥の湯のみが消えた。父が使っていた湯のみだ。淵が欠けていて、それでも私は5年そこに置いていた。「お母さん、ここにあった湯のみは?」「ああ、欠けてたから下げておいたわ。欠けた器を置いておくのは縁起が悪いのよ。捨てました。新聞紙に包んでそこの袋に入れてある」袋の中から出てきた湯のみには新しい傷が2本ついていた。私はそれを寝室の引き出しへ移した。通帳の隣だ。その時初めて、この台所はもう私の場所ではないのだと思った。

たやにそれを言ったこともある。「お母さん少し来すぎじゃないかな」「母さん1人だからさ、話し相手が欲しいんだよ」「それは分かるけど」「みさは冷たいな」この言葉を出されると私は黙る。実家の母を1人にしている後ろめたさが正確に突かれた。

その冬、私は毎週かず子の買ってきた食材で献立を組み直していた。自分の台所で、自分の金で買ったものが、自分の計画通りに使えない。そんな暮らしが春には金そのものへ移っていく。3年前の3月、年度の切り替えの月で現場は一番忙しい。その日私は事務室で翌月の献立表を作っていた。表の右端に余白があって、私はそこにいつも数字を書く。1日あたりの原価見込みと実績、それに月の予算と累計実績との差だ。鉛筆で書いて確定したら消す。誰にも見せない癖のようなものだった。

事務所長の芦澤さんが後ろから覗き込んでいた。「不活さん、それ何?」「あ、すみません。見込みです」「今月は魚が高いのでしょ。あなたのそれ毎月ぴったりでしょ。私決算の時助かってるのよ」。芦澤さんは椅子を引いて座った。「でね、不活さん、うちの現場の単価はよく見てるけど、そっちの方も数えてる?」「そっちの方というのは家計」「あなたこの半年で2回、自分の家の食費が言えなかったでしょう。栄養相談で例に出そうとした時と、この前の研修の時。覚えていなかった」覚えていない自分に驚いた。「主人の母がうちの買い物を見てくれていて」「見てくれる?」「はい。無駄がないか?」芦澤さんは少しの間黙った。それから私が書いた余白の数字を指でつついた。「これができる人が、家では見てもらう側なんだ」言われた瞬間、耳の奥が熱くなった。怒られたわけではない。むしろ逆だ。「あのね、不活さん、数字は誰のものでもないの。数えた人のものよ。数えていない人は、どれだけ立場が上でも何も知らない。知らないのに決められる。決められるわよ。だから厄介なの」。芦澤さんは献立表を私の方へ押し戻した。「うちの現場でね、去年単価が合わないって本社から言われたことがあったでしょう。あの時私が出したのはあなたの余白の数字。本社の人は伝票の束より先にそっちを見たのよ。数えた人が正しかったってこと」。

その言葉を私はしばらく忘れられなかった。家に帰って、私は自分の家の数字を紙に書いてみようとした。書けたのは家賃と光熱費までだ。食費がいくらか分からない。かず子が買ってきた分と私が買った分が混ざっている。「分からない」という結論が出た時、指先が冷たくなった。分からないのは私が数えていないからではない。数えられる形になっていないからだ。食材を買う人が2人いる。使い道も2つある。現場ならこんな管理は許されない。

その週の終わりに母から電話が来た。「みさ、元気にしてる?」「してるよ」「お母さんは元気よ。あのね、たまには2人でご飯でも食べようよ。駅前にね、新しいお店ができたの」母は父が亡くなってから外食をほとんどしなくなった。1人分の注文をするのが嫌なのだという。「1人で行くと、頼んだものが全部自分のものでしょ。それが寂しいのよ」「行こう。行きたい」「本当?」「うん。今月はちょっと年度末でバタバタしてるから来月ね」その約束は私の頭の隅にずっと残った。

3月の終わり、かず子が請求書のようなものを持ってきた。「先月私が立て替えた分ね。1万8000円」財布を出しながら私は聞いた。「お母さん、内訳を見せていただけますか?」かず子の手が止まった。「内訳?」「はい。何を買っていただいたのか、うちの家計簿につけたいので」「あなた私を疑ってるの?」「そうではありません。記録を残しておきたいだけです」「見せても分からないでしょ。私は昔経理をやっていたのよ。あなたみたいに家計簿アプリでやってる人とは違うの」私は紙で書いている。レシートでいいんです。もう捨てたわ。私のレシートは封筒に入れて持ち帰る人が、自分のレシートは捨てる。その夜、たやに言った。「お母さんに立て替えてもらった分、内訳をもらえないかな」「なんでそんなこと聞くんだよ」「記録しておきたいから」「母さんを疑うのか?」「疑ってない。数えたいだけ」「同じだろう」同じではない。数えることと疑うことは全く違う。私の職場では、数えることは信用の作り方だった。数字が合っているから人を疑わなくて済む。その違いがこの家の誰にも分からなかった。たやはテレビの音量をあげた。「母さんが得意でやってくれてるんだから任せとけばいいんだよ。みさは仕事で数字ばっかり見てるから、家でもやりたくなるんだろう」仕事で数字を見ているから、家の数字が見えないことが怖い。その説明を私はうまく言葉にできなかった。

3月の終わり、たやが新しい車で帰ってきた。黒い大きめの車だった。前の車はまだ10年経っていない。「見ろよ。これ新しくしたんだ。決算だからさ、今しかない値段だった」月々の支払いがいくらなのかは聞かなかった。その前の週、3月の25日に、たやが私の口座へ移してくれるはずの14万円が入らなかった。最初は忘れているのだと思った。翌月にも入らなかったので1度だけ聞いた。「今月の分まだみたい」「ああ、来月まとめて入れるから」まとめて入ったことはその後一度もない。

4月25日、給料日だ。朝、携帯に入金の通知が届いた。30万円。いつもと同じ額だ。その日は月に1度の代休で、私は昼から家にいた。夕方、たやが定時で帰ってきて、その後すぐに玄関が開いた。かず子だった。食卓に3人が座った。何かの席のようだった。「あのさ、みさ」たやが切り出した。「今月から家計は母さんに見てもらうことにしたから」一瞬意味が取れなかった。「給料振り込まれたら、みさが一旦俺の口座に移す。それを俺が母さんに預ける。母さんが食費とか日用品とか必要な分を配ってくれる」かず子が湯のみに手をかけたまま頷いた。「その方がはっきりするでしょう」「はっきりですか?」「今のままだと誰が何にいくら使ったのか分からないじゃない?」「みささんもそれで困っているって言っていたわよね」違う。私が困っていたのは、かず子の買い物と私の買い物が混ざることだ。それを整理したいと言ったのだ。「私が言ったのは内訳を分けたいということであって」「同じことよ」「同じではありません。どうして今なんですか?」私はたやを見た。たやはかず子を見た。答えたのはかず子の方だった。「うちの家計はね、女がお金を握ってきたのよ。それでちゃんと家が回ってきたんだから」「私も回してきたつもりです」「回っているかどうかは、数字を見ている人が決めることでしょう」その通りだと思った。だから私は数字を見たかったのだ。私は膝の上で指を組んだ。「たやさん、私の給料なのに、どうしてお母さんを通さないと使えないの?」たやは面倒くさそうに息を吐いた。「夫婦の金だろう」「夫婦のお金なら、たやさんのお給料も一緒に見てもらうことになるよね」「俺のは俺で管理してる」「じゃあ夫婦のお金じゃない」たやの眉が動いた。「なんでそんな言い方するんだよ」「言い方の話をしてるんじゃないの?」かず子が割って入った。「みささん、あなたお金の管理に向いてないもの」静かな声だった。「私は仕事で毎月の予算を組んでいます」「それは会社のお金でしょ。人のお金なら誰でもきちんとするのよ。自分のお金になると人は緩むの。私は昔経理をやっていたから、そういう人をたくさん見てきたわ」反論の形をした言葉が頭の中でいくつも立ち上がった。どれも口から出なかった。出したところで、この2人には届かない。届かない上に3週間の沈黙が来る。

「母さんに預けた方が安心だろう」たやが言った。この日が最初だった。それから3年。この一言を私は何十回も聞くことになる。「分かりました」そう言った時、かず子の肩の力が抜けたのが分かった。私は携帯を出して口座の画面を開いた。振り込み先の欄にたやの口座番号を入れる。金額の欄に30万と打つ。実行。30万円が私の口座から消えた。画面の残高の欄が目に入った。650万円と少し。この口座からは翌月も家賃光熱費と保険が落ちた。入ってきたものが全部出ていった後で、出ていくものだけが残る。

かず子は鞄から封筒を出した。「これが今月の食費ね。3万5000円。それから日用品でこっちが1万円」あとかず子は財布から2万円を抜いた。「みささんのお小遣い2万円」私は自分の給料の中から2万円を受け取った。「余った分は私が積み立てておくからね」積み立て?「そうよ。何かあった時のためのお金。今月は5万5000円」かず子は手帳を出してそこに何かを書きつけた。数字を書く手つきに迷いがなかった。「お母さん、毎月いくら入っていくら出たか、それを紙にして渡してもらえますか?」かず子は手帳を閉じた。「私がやるんだからいらないでしょ」「私の給料です」言った瞬間、部屋の空気が止まった。たやが口を挟んだ。「おい、頼んでるのはこっちだろ。母さんは自分の時間を使ってくれてるんだぞ。それをまだ疑うのか」かず子は困った顔を作った。困った顔を作るのがうまい人だった。「いいのよ、たや。みささんが不安なのは分かるから。慣れるまでよ」慣れる。その言葉が一番怖かった。かず子は本気で親切のつもりだった。そこが厄介なのだと後になって思う。人は慣れる。私は現場でそれをよく知っていた。最初はおかしいと思っていた手順も、3ヶ月続けば当たり前になる。当たり前になったものを元に戻すのは始めるより難しい。

その夜、私は自分の机で振り込みの控えを印刷した。仕事の癖だ。伝票は必ず紙にして閉じる。紙の余白に私は「積み立て5万5000円」と書き出した。なぜ書いたのか、その時は自分でも分からなかった。ただ、口で言われた数字は消えるが、書いたものは消えない。それは現場で覚えたことだった。その控えを薄い青のファイルに閉じた。

半年で小遣いが減った。3年前の10月、7回目の給料日だった。かず子は封筒を並べながら当たり前の顔で言った。「みささんのお小遣い、今月から1万5000円ね」「減るんですか?」「物の値段が上がってるでしょう?食費の方にも回さないと」「食費は3万5000円のままですよね」かず子の手が止まった。「減らした分は積み立てに足しておくから。あなたのために貯めるのよ」その夜、私は控えの余白に「積み立て6万円」と書いた。前の月までは5万5000円だった。私の小遣いが5000円減って、積み立てが5000円増えた。数字は正直だ。1年前の4月、小遣いはさらに減って1万円になった。「40近い人がそんなに使うものはないでしょ。その分を積み立てに回しておくから」かず子はそう言った。たやは隣でスマートフォンを見ていた。

翌月の中頃、母からまた電話が来た。「みさ、お店まだあったわよ」私は台所に立ったまま財布の中身を思い出していた。3200円。給料日まであと10日ある。「ごめん。今ちょっと忙しくて」「そう」母の声が半減した。それが分かってしまうのが一番応えた。「落ち着いたら行こう。絶対」「うん。無理しないでね」電話を切って、私は流しに手をついた。30万円は毎月25日の朝に振り込まれる。私が働いて得た30万円だ。そのうち1万円が私のものだった。母と昼ご飯を食べるのにいくらかかるのか?2人で4000円だ。800円足りない。それだけの話が電話を切らせた。

月に1万円。私はその金額で暮らす方法を組んだ。仕事だと思えばいい。昼は職場の給食を食べた。美容院は年に2回にした。カットだけで色は入れない。ストッキングは伝線したところをロッカーで塗った。通勤の定期は会社から出る。休みの日はどこへも行かなかった。1年で一番大きな買い物は7800円の靴だった。私は自分の生活を1円単位で設計できる人間だった。だからできてしまった。できてしまうことがこの3年で一番怖いことだった。1万円で暮らせるということは、1万円しか渡さない人にとっては渡し方が正しかったという証明になる。私が上手にやればやるほど、この決まりは正しいことになっていった。

守ったものが1つだけある。賞与だ。夏と冬に手取りで44万円ずつ入る。年に88万円。最初の年、かず子は聞いてきた。「ボーナスは?」「うちの会社はほとんど出ないんです」嘘をついた。生まれて初めてついたまとまった嘘だった。「あら、今時そんな会社があるの?給食の仕事は単価が決まっているから、だから安いところに勤めちゃだめなのよ」かず子はそれっきり聞かなくなった。本当は賞与は引き落としに消えていた。家賃9万8000円、電気と水道とガスで2万2000円、携帯と回線で1万2000円、生命保険と火災保険で8000円。合わせて月に14万円が私名義の口座から落ちていく。3年前の2月まではこの14万円をたやが入れてくれていた。それが止まり、私の給料は全部かず子のところへ行くようになった。出ていく先はそのままで、入ってくるものだけが2つとも消えた。だから賞与で埋めた。足りているのかどうか、私は教えなかった。教えれば次にすることが決まってしまう。そうやって2年半が過ぎた。2年半の間、私は一度も残高の欄を正面から見なかった。

お金だけでは終わらなかった。前の年の秋、かず子が言い出した。「ねえ、一緒に住まない?」「同居ということですか?」「そう、私の団地を引き払ってこっちに来るの。家賃が二重にかからなくて済むでしょ。食事も1回で作れば安く上がるし」「でもこの部屋は2人で済むのがやっとです」「バルコニーでも2人で住んでる若い子がいるじゃない。それにいずれ私の面倒は誰かが見るのよ」たやが箸を止めた。「それいい話だな」「だって合理的だろ。母さんの家賃が浮くんだから、その分うちが楽になる」私は聞いた。「お母さんの家賃は今誰が払っているんですか?」かず子の目がわずかに動いた。「私の年金からに決まってるでしょう」「でもそれが浮くとうちが楽になるというのは」「みささんはそういう言い方をする人ね」話はそこで終わった。同居の話もその時は消えた。消えたのはたやが本気で嫌がったからではない。私が承知しないと分かったからだ。その夜、たやが布団の中で言った。「母さんの老後はどっちにしろ俺たちが見るんだからな」「うん。そのつもりでいてくれよ」私は返事をしなかった。

12月に入ってかず子は別の話を持ってきた。「みささん、実家のお母さんに何か送ったりしてないわよね」「送っていません」「そうよね。うちの家計から出るお金だもの」私の給料だ。その言葉が喉まで来て止まった。「お母さん、私の母は年金で暮らしています。何も送っていません」「ならいいのよ。念のため」念のため、私の実家に1円も流れていないか。かず子はそれを確認しに来たのだ。その時初めて、この人は私を家族だと思っていないのだと分かった。財布だと思っているなら、財布から金が溢れていないかを見るのは当然のことだった。

年が開けて間もなく、かよさんが県外から来た。たやの姉で45歳。「うちの母に任せておけば安心。うちなんてそういう人がいないから大変」そういう人というのはお金のことをちゃんと見てくれる人。その席で私は義母の前で聞いた。「たやさんのお給料はどうなっているの?」食卓が一瞬静まった。たやが答えた。「俺だって入れてるよ」かず子が頷いた。深くはっきりと。「そうよ。この子だってちゃんと入れてるわ。あなただけじゃないの?」「そうですか」と言った。言いながら耳の奥に1つの言葉が残った。「だって」という言葉だ。「入れている」ではない。「俺だって入れている」という言葉は、比べる相手がいる時に出る。誰と比べているのだろう。私と比べているなら、私は30万円だ。30万円と比べて「俺だって」と言えるものがたやの口座から出ているのだろうか。

その夜、私は寝室の引き出しを開けた。父の湯のみの隣に、記帳していない通帳があった。手に取ると思ったより軽かった。3年分の記録が入っていない紙の束は、ただの紙の束だ。開けば数字が出る。数字が出れば、私は動かなければならなくなる。私はその通帳をまた引き出しに戻した。まだ開けなかった。

1月の下旬、私は銀行の窓口へ行った。通帳を持ち出して機械に通す手もあった。けれど3年も記帳していない通帳は、まとめて1冊に印字されることがある。それに引き出しから通帳が消えれば、いつかたやが気づく。気づけばかず子に伝わる。家に置いたまま、紙だけを取り寄せることにした。「3年分の入出金の明細を出していただけますか?」「1年につき1100円で、3年分ですと3300円になります。ご郵送になりますが、店頭でのお受け取りをご希望でしたら2週間ほどでご用意できます」「店頭でお願いします」3300円は1万円の小遣いから払った。封筒を受け取りに行ったのは2週間後だ。厚みがあった。3年分というのはこういう厚みなのだと思った。私は職場の休憩室で封を切った。家では開けたくなかった。かず子は合鍵を持っている。私が紙を広げているところへ、いつ玄関の鍵が回るか分からない。

休憩室のテーブルに明細を日付順に並べた。仕事の時と同じ手順だ。まず出の方を拾った。家賃9万8000円。毎月27日に翌月分が落ちる。電気とガスと、2ヶ月に1度の水道をならして月に2万2000円。携帯と回線で1万2000円。生命保険と火災保険で8000円。合わせて月に14万円。12をかけて年に168万円。3年で504万円だ。次に入りの方を拾った。入りの欄を上から辿ると、一番古いところに14万円が2つだけ並んでいた。3年前の2月までの、たやが入れていた最後の2回だ。3月からはそれも消えている。給料は毎月25日に30万円入る。入った日と同じ日に30万円が出ていく。たやの口座だ。一度も帰ってこないのだから入りとして数えられない。残るのは賞与だ。夏に44万円、冬に44万円、年に88万円、3年で264万円。年に168万円出て88万円戻る。差が80万円。毎年80万円が蓄えから減っていた。鉛筆の先が紙で止まった。3年でいくらになるのか、掛け算をすれば出る数字だ。私はその指を止めた。休憩室には他の人もいた。出してしまえば、そこで泣くことになると分かっていた。

明細にはもう1つ気になるものがあった。毎月25日、30万円の出金の欄に「振込」と印字されている。ファイルに閉じた控えの方には依頼人として「不活みさ」と私の名前が並んでいた。36回、私が依頼人で受け取り人が夫だった。当たり前のことだ。私が振り込んだのだから。それでもその一覧を上から下まで見ていると妙な気持ちになった。誰かに取られたのではない。私が毎月自分の指で送ったのだ。

翌日、私は事務室で芦澤さんに声をかけた。「所長、少しだけお時間いただけますか?」芦澤さんは書類から目を上げて椅子を回した。私はファイルを出した。明細のところだけを開いて見せた。金額は指で隠さなかった。芦澤さんは黙って30秒ほど見ていた。それから指で家賃の行をなぞった。「これ不活さんの口座から落ちてるの?」「はい」「じゃあこの25日の30万は」「主人の口座に移して、それを主人の母が管理しています」「管理?」「はい」。芦澤さんは老眼鏡を外した。「不活さん、管理っていうのはね、後から誰が見ても同じ結論になる形で残すことなの。残ってないなら、それは管理じゃない」「では何ですか?」「預かってるだけ。もっと悪く言えば、持ってるだけ」持っているだけ。3年間私が言えずにいた言葉だ。この人は5秒でそれを言った。「あのね、まず1回ちゃんと聞きなさい。相手の目を見て、書類を出して、いくらどこへ、と聞く。それで出てくればいい。出てこなければ、そこから先は別の話」「別の話というのは」「それはその時考えましょう」芦澤さんは書類に目を戻した。

その週末、私は話し合いの席を作った。「お母さん、今度うちに来ていただけますか?家計のことでお話ししたいことがあります」「あら、何かあったの?」「確認したいことがあるんです」かず子は約束の時間より30分早く来た。前の夜、私はたやに言ってある。「明日お母さんに家計の内訳を聞くから」「なんで?」「聞いたことがないから」「聞いてどうすんだよ」「知っておきたいだけ」たやは返事をしなかった。翌朝のあの30分が、この人が電話をした証拠だった。

食卓に私は紙を1枚置いた。「私が毎月お母さんから受け取っているものを書きました」かず子が老眼鏡をかけた。「食費3万5000円、日用品、私の小遣い1万円。私の手に来ているのは月に5万5000円です」「そうね。それが何?」「私が渡しているのは30万円です。差は24万5000円です」かず子の眉が動いた。「だからそれを家のために使ってるって言ってるでしょ」「何にですか?」「何って色々よ」たやが横から口を出した。「俺のお小遣いが8万」そこははっきりした声だった。自分の分だけはこの人はすぐに言える。私は紙に8万と書き出した。「では残りは16万5000円です。これは何に使われていますか?」食卓から音が消えた。かず子は湯のみを持ち上げて、口をつけずに置いた。「光熱費だってあるでしょ」「光熱費は私の口座から落ちています」そこまで行ったところでかず子が遮った。「そんな風に人を疑うように言うものじゃないわ」家賃のことも保険のことも、その日は言えなかった。ただ、遮る前の一瞬、かず子は妙な顔をした。怒っている顔ではない。困っている顔でもない。初めて聞いたという顔だった。

「疑っていません。数えているだけです」「同じでしょう」また同じだ。この家では数えることと疑うことがいつも同じになる。「お母さん、レシートは残っていますか?」「取ってあるわよ」即答だった。「全部ですか?」「全部よ。私は昔経理をやっていたんだから」「では1月分だけで構いません。見せていただけますか?」かず子の視線が初めて私から外れた。「今日は持ってきてないわ」「取りに行っていただくことは」「そんな急に言われても」「では来週でも」かず子が息子の名前を呼んだ。「たや」助けを求める呼び方だった。たやが立ち上がった。「おい、いい加減にしろよ。母さんが泥棒みたいじゃないか」「泥棒だなんて一言も言ってない。書類を見せて欲しいと言っただけ」「その言い方が失礼なんだよ」「じゃあどう言えばいいの?」たやが黙った。答えを持っていないからだ。かず子が立ち上がって鞄を取った。「今日はもう帰るわ。みささんも疲れてるのよ」玄関で靴を履くかず子の背中が見えた。鞄の口にかず子は手を当てていた。押さえた指の下で布地が四角く張っていた。中に角のあるものが入っている。私はそれを見た。見たけれど、その時は何も言わなかった。

かず子が出て行った後、たやが言った。「満足したか?」「まだ何も分かってない」「分からなくていいんだよ。回ってるんだから」「じゃあ聞くけど」私は台所に立ったまま言った。「たやさんは毎月いくら家に入れているの?」「言っただろ。入れてるって」「金額を聞いてるの」「そんなの母さんが管理してるんだから、母さんに聞けよ」自分が渡した金額なのに、渡した本人が言えない。そんなことがあるだろうか。回っているとたやは言った。私の口座からは毎年80万円が消えている。回っているのは私の蓄えを削りながら回っている車輪だ。

その夜、私はこの生活を終わらせる方法を考え始めた。方法を考えるということは、終わらせると決めたということだった。決めてしまえば後は段取りだ。段取りを組むのは私が一番得意なことだった。

あの話し合いから2週間が過ぎてもレシートは出てこなかった。「探しているのよ」かず子はそう言い続けた。2週間、同じ言葉が続いた。私はそれ以上は聞かなかった。聞かない代わりに、家の中の書類を見るようになった。たやは郵便受けを見ない。3年前からずっと郵便物を取るのは私の役目だ。だから家に来る紙は全部一度私の手を通る。郵便受けに入っていたはがきを玄関で読んだ。差出人は販売店で「不活拓也」。初回の車検が翌月だと書いてあった。初回の車検、3年目だ。私は引出しを開けた。車の書類はたやがまとめて入れている封筒がある。中には契約書の写しと支払いの予定表があった。分割の回数は72回。月々の支払いは4万5000円。ボーナス払いはなし。72回、6年だ。始まったのは3年前の3月だった。予定表の左端には支払い済みの回に印がついていて、印は36回で止まっていた。ちょうど半分だ。残りは36回、あと3年、月に4万5000円を払い続ける。車を買ったのはこの人で、家の金を握っているのはこの人の母親だ。私は表を封筒に戻した。戻す前に月々の支払い額の欄を携帯で撮った。取った後で自分の手を見た。震えてはいない。3年前の3月に車を買って、4月から私の給料が家の外へ出た。この2つを並べて紙に書いたのは、その時が初めてだった。

その週、かず子が保険の書類を置き忘れて帰った。火災保険の更新の案内で、うちの契約者名が印刷されている。更新の期限は3日後だった。夕方、私はそれを封筒に入れて団地へ向かった。かず子の部屋は4階だ。エレベーターの前に集会室があって、その日は扉が開いていた。廊下の先から声が聞こえた。かず子の声だった。「そうなの。息子がね、全部やってくれるのよ」私は足を止めた。封筒を持ったまま廊下の角の手前に立っていた。相手の声も聞こえた。同じ棟に住んでいる江口峰子さんという人だ。「いいわね。うちの息子なんて電話も寄越さないわ」「うちは毎月きちんとね、私が1人で困らないようにって」「かず子さんは幸せね」「そうね。まあ、育て方かしら」江口さんが笑った。かず子も笑った。私は角を曲がらなかった。封筒を持った手が冷たくなった。「息子が全部やってくれる」私は頭の中でその言葉を数字に置き換えた。かず子が受け取っている30万円は、私の口座から出ている。毎月25日、控えの依頼人の欄は不活みさ。この2つがどうしても重ならなかった。かず子が嘘をついているとは限らない。息子が家に入れた金だと思い込んで受け取っているだけかもしれない。思い込んでいるだけ。それは嘘より厄介だ。嘘は正せば済むが、思い込みは思い込んだ本人が正しいと信じている。

その時、集会室の扉から人が出てきた。江口さんだった。「あら、どちらさん?」私は角から出るしかなくなった。「不活かず子の嫁です」「あら、かず子さんの」江口さんは目を丸くして、それから笑った。「いつもかず子さんが言ってるわよ。息子さんがよくしてくれるって」かず子が廊下の先に立っていた。私と目があった。「みささん、どうしたの?」「保険の書類です。お忘れでしたので」「まあ、わざわざ」かず子の声がさっきまでより1段高くなった。江口さんに向けた声だ。「この人ね、お勤めが忙しいのにこうやって来てくれるのよ」私は封筒を差し出した。かず子はそれを受け取り、鞄ではなく脇に挟んだ。私は頭を下げた。「じゃあ私はこれで」私は自分が何も言わなかったことを考えていた。言えばその場でかず子が困る。困った顔をされればこちらが悪者になる。3年かけて私はそれを完璧に覚えていた。

その翌日、かず子から私の携帯に電話が来た。「みささん、あなた団地で何をしていたの?」「書類をお届けしただけです」「近所に何か言ったの?」「何も言っていません」「言わないでちょうだいね。家のことを外で話すのは一番恥ずかしいことなんだから」家のことを外で話しているのはかず子の方だ。「お母さん、レシートは見つかりましたか?」電話が切れた。

その3日後、職場に電話が入った。昼の配膳が終わって、私が食器の返却を数えている時だった。事務室から芦澤さんが出てきて、私に手招きをした。「不活さん、お母さんから」私は動かなかった。「じゃあ私が出ておくわね」芦澤さんはそのまま事務室へ戻った。その日の終わり、私は事務室へ呼ばれた。芦澤さんは椅子を回していった。「あのね、不活さん、要件を言うわね。」「そちらの栄養士さんは家計に協力しないって」協力?「そう。あと、こういう人を主人にしておくのはどうかと思うとも」私は椅子に座った。座ってから、座ってしまったことに気づいた。「すみません」「なんで不活さんが謝るの?」芦澤さんは湯のみを2つ出して、片方を私の前に置いた。「私こう言って切ったの。当社の職員の家庭のことにはお答えできません。ご要件がお仕事のことでしたら承りますって。それで切れたわ」。芦澤さんは湯のみを持ち上げた。「かかってきた時刻と要件はこっちで記録に残してある。次があったら会社として対応するから」「すみません」「だから謝らないの」。芦澤さんは湯のみを置いた。「不活さん、あの人はあなたの外側を崩しに来たのよ。中で通らなくなったから外から言う。この手の電話はこの10年で3回受けてる。全部家の中の話だった。うちの現場はね、あなたがいないと回らないのだから、会社の心配はしなくていい。心配するなら自分の口座の心配をしなさい」私は湯のみを持ったまま頷いた。

その夜、たやが言った。「母さんが電話したって」「うん」「なんでそんなことさせるんだよ」「させた覚えはない。かけたのはかず子だ」「たやさん、お母さん団地で何て言ってるか知ってる?」「何だよ」「息子が全部やってくれるって」たやの口元が上がった。悪いことをしたと思っている顔ではなく、褒められた子供の顔だった。「そりゃ言うだろう。母親なんだから」「たやさんはいくら渡してるの?」「またその話か」「金額を言えないの?」「言えないんじゃない。言う必要がないんだよ」「必要がないのは誰にとって」たやがこちらを向いた。「みさ、お前さ、最近ずっとその顔してるよな」「どの顔?」「人を疑う顔。前はそんなんじゃなかっただろう」前はそんなんじゃなかった。それは本当だ。前の私は通帳を開けなかった。数えなかった。開かなかった。だから疑う顔をせずに住んでいた。「みささん」「何だよ」「私今月の小遣いで、うちの母とご飯を食べに行こうと思ってるの」「いいんじゃない?」「1万円しかないの」たやはテレビをつけた。音が大きくなった。

「不活さん、これ」芦澤さんが紙を1枚くれた。市の無料相談の案内だった。「予約を取るなら早い方がいいわよ。私の知り合いもここから紹介された人にお願いしたの」「相談したら離婚になりますか?」言ってから自分で驚いた。その言葉を口にしたのは初めてだった。芦澤さんは表情を変えなかった。「相談は離婚するための場所じゃないわ。何ができて何ができないかを教えてもらう場所」「できないことの方が多そうです」「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それを人に決めさせないために行くの」

3月10日、私は南田新一という弁護士に会った。51歳。事務所は駅の裏の古いビルの3階にあった。私はファイルを机に置いた。薄い青の、指2本分の厚さになったファイルだ。南田さんは無言でめくった。振り込みの控えが35枚。余白に毎月の積み立ての額が書いてある。3年分の入出金の明細。車の支払い予定表を撮った写真。めくり終わって、南田さんは眼鏡を外した。「よく残しましたね」「仕事の癖です」「その癖は大抵の人が持っていません」。南田さんはボールペンの尻で控えの束を軽く叩いた。「不活さん、まず今一番聞きたいことを聞いてください」私は膝の上で指を組んだ。組んでから、それがかず子の前でいつもしている姿勢だと気づいて解いた。「私の名義の口座のお金です。それを私が別の口座へ移すことはしていいことですか?」「していいことです」即答だった。「あなたの名義の口座から、あなたの意思でお金を動かすことに誰の許可もいりません。ご主人の許可も、お母さんの許可もです」「盗んだことになりませんか?」「なりません。あなたが動かすのはあなた名義の預金です。窃盗にも横領にもなりません」私は息を吐いた。3年分の息だった。南田さんが言葉をついだ。「ただし、動かした記録は全部残してください。いつ、いくら、どこからどこへ移したか。移す前の残高と移した後の残高。窓口の控えでも画面の写しでも構いません。全部残す」「なぜですか?」「後で財産分与の話をするからです」財産分与。口の中で繰り返した。「不活さん、結婚してから増えた財産は、名義がどちらであっても離婚の時に2人で分けるものとして扱われます。あなたの口座にあるお金も同じです。では私が移したら、移しても消えるわけではありません。分ける時にきちんと出せばいい。逆に隠したと思われるのが一番まずい。だから記録を残すんです」隠すために移すのではない。触られないところに置いて、後で正しく分ける。その順番が頭の中で音を立ててはまった。南田さんは書類を1枚出した。「もう1つあります。結婚する前からあなたが持っていたお金は分ける対象から外れます。特有財産と言います」「それは証明できるものですか?」「12年前のことです。結婚した年の残高が分かるものがあれば出発点にはなります。古い通帳でも構いません。ただ12年、給料も生活費も出入りしている口座です。混ざっていると言われる余地はあります」「捨てたかどうか分かりません。実家にあるかもしれません」南田さんは頷いた。「探してみてください」

帰り際、南田さんは玄関まで送りに出てきてこう言った。「不活さん、1つだけ覚えておいてください」「はい」「お金を動かす人と家を出る日は同じ日にした方がいいです」「なぜですか?」「別々にすると、その間に止められることがあるからです」

3月18日、その月の代休をこの日に当てて、私は別の銀行に口座を作った。勤務先の給与の振り込みに使える銀行で、家からは少し遠い。窓口で本人確認をして書類に住所を書いた。「お作りになる目的をお伺いしてもよろしいですか?」「生活費の管理です」本当のことだった。新しい銀行を出た後、私は前から使っている口座の支店へ回った。家から歩いて5分のいつもの支店だ。ATMの前に立って、キャッシュカードの暗証番号を変えた。通帳は家に置いていくつもりでいる。暗証番号を変えたから機械からは下ろせない。ただ、通帳と届け出印が揃えば窓口で払い戻されてしまう。印はその日から鞄に入れて持ち歩くことにした。

その足で家へ帰った。着いてすぐに電話をかけた。まず賃貸の管理会社。次に電力会社と水道局とガス、それから通信の会社と保険の代理店。「口座振替の変更をしたいのですが」どこも同じ答えだった。依頼書に記入して郵送してほしい。用紙は各社のページから印刷できると言われ、郵送になる2社には送り先を実家にしてもらった。母には「荷物が届いたら開けずに置いておいて欲しい」とだけ頼んだ。

仕事は早くて翌月分から、遅ければ翌々月分からになる。つまり4月分の引き落としはまだ古い口座から落ちる。私は紙に書いた。4月分の14万円。それに遅ければ5月分も落ちる。あと14万円。光熱費は月によって触れるからそこへ2万円足す。合わせて30万円。それだけは残す。滞納は私の名前につく傷だ。3年我慢したのに、そんなもので汚したくなかった。給与振込先の変更届も会社の用紙をもらってきた。芦澤さんが総務に確認してくれた。「締めの都合があるから、早くても翌月分からね」「はい。3月の給料はまだ今の口座に入るわ」「分かっています」

その週、私は有給の申請書を出した。3月25日。理由の欄には「役所」と書いた。芦澤さんは書類を見て何も聞かずに判を押した。押してから一言だけ言った。「その日うちの現場は私が入るから」「所長が厨房にですか?」「盛り付けくらいできるわよ。20年やってたんだから。私も検品は毎月出してるの。いつでも入れるようにね」

その夜、たやが言った。「25日休み取ったんだって」「うん。役所に行くから」「役所って何の?」「登録」嘘ではない。手続きの紙は本当に用意してあった。「ふーん」たやはそれ以上聞かなかった。その後、思い出したように言った。「そういえばお前のとこの所長さん、この前母さんに失礼な言い方したらしいな」「何を?」「家庭のことには答えられません、とか?」「他人が口出すことかよ」「口出したのはお母さんの方だ」たやは笑った。「所詮給食のおばちゃんの上司だろう。偉そうに」私は返事をしなかった。その人が私に無料相談の紙をくれた。その人が25日の現場に入ってくれる。たやはそれを知らない。知らないまま笑った。

25日の前の日、私は着替えを職場のロッカーへ運んだ。下着、シャツ、洗面のもの。それに薄い青のファイル。ボストンバッグ1つに収まった。ロッカーは私だけの鍵がかかる。この3年で私だけの鍵がかかる場所はそこしかなかった。

3月25日。その朝、私は5時半に目が覚めた。仕事がない日でも体が勝手に起きる。本当は3時頃から起きていた。天井の木目を数えて、また目を閉じて、それを繰り返した。頭の中ではその日の順番を確かめていた。銀行、役所、職場のロッカー、実家。4つだけだ。現場で新しい献立を入れる日と同じだった。段取りを10回頭で回しておけば、当日は手が勝手に動く。

台所へ行って湯を沸かした。豆はもう引いてある。200g、500円の豆だ。あの日から3年。私はこれだけはやめなかった。たやはまだ寝ていた。開店勤務の日は9時まで起きてこない。6時に洗濯機を回した。7時に洗濯物を干した。8時に部屋の掃除機をかけた。いつもの休みの日と同じ順番だ。順番を変えなかったのは、変えると自分が落ち着かなくなると分かっていたからだ。

9時半、たやが起きてきた。「今日役所だっけ?」「うん」「何時に行くの?」「午前中に」たやはテーブルにパソコンを置いて画面を開いた。朝の会議があるらしい。10時ちょうど、私の携帯が鳴った。入金の通知だった。30万円。私はそれを開いてしばらく見ていた。36回目の通知だ。3年、毎月この画面を見てきた。たやが画面から顔を上げずに言った。「入った?」「うん」「じゃあ今月分お願い」その言い方に頼んでいるところは1つもない。3年やればそうなる。私は携帯の画面を開いた。振り込み先の欄にたやの口座番号を入れる。金額の欄に30万と打つ。確認の画面が出た。実行。送った。「おう」たやは会議に戻った。画面には残高が表示されている。410万円と1000円ほどの端数。3年前の4月に650万円あった。私はこの2つの数字を前の月に紙の上で並べていた。並べた時に手が止まったことも覚えている。その日は止まらなかった。もう見慣れていたからだ。

11時前、たやが立ち上がった。財布を持って玄関へ行く。「ちょっと下ろしてくる」近所のコンビニにATMがある。毎月たやはそこで30万円を下ろして封筒に入れる。かず子は現金でしか受け取らない。5分ほどでたやが戻ってきた。手に茶色い封筒を持っている。11時5分、玄関の鍵が回った。「こんにちは」かず子だった。合鍵で入ってくる。ノックはしない。「今月分預かりに来たわ」そう言いながらかず子は靴を揃えて上がってきた。手には黒い鞄。かず子は食卓の自分の席に座った。誰も決めていないのに、いつの間にか席が決まっている。一番奥の、台所に近い椅子だ。そこは結婚してから9年、私の席だった。いつ入れ替わったのかは思い出せない。気づいたら私は入り口に近い方に座っていた。

「みささんお休み」「はい。役所の用事で」「あら、平日にお休みが取れるのね。いいわね」私は麦茶を3つ出した。かず子は湯のみに口をつけてから思い出したように言った。「そうそう。かよがね、今月もちょっと大変みたいで」たやが画面から顔を上げた。「姉ちゃんまた旦那さんの具合がね。無理をさせられないから」「そっか」2人の間でその話はそれ以上進まなかった。進まないのに、2人とも分かっている顔をしていた。分かっていないのは私だけだった。「団地の方はお変わりないですか?」私はそう聞いた。「変わりないわよ。江口さんがね、この前あなたのことを褒めていたわ。いいお嫁さんだって」かず子は嬉しそうだった。褒められているのは私ではない。そういう嫁を持っている自分だ。

たやがパソコンを閉じて封筒を持ってきた。「お母さん、これ今月分」かず子が封筒を受け取る。封筒の口を開けて指で札を数えた。数え方に迷いがない。かず子は30枚を10秒で数えた。「はい。確かに」その時、私は言った。「ちょっと待って」かず子の手が止まった。たやが私を見た。「何だよ」「私の給料、全部渡すの」言ってから、自分の声が思ったより低いことに気づいた。「何言ってんだ。今更」「3年聞いてきて、一度も答えをもらっていないからもう一度聞くの」たやは椅子の背にもたれた。それから面倒くさそうに言った。「母さんに預けた方が安心だろう」3年で何十回も聞いた言葉だった。最初の日と同じ言い方だった。何も考えずに出てくる言葉というのは、こういう音がする。かず子が鞄から財布を出した。「みささんのお小遣いは、今月も1万円ね。嫁の小遣いなんて月に1万円で十分よ」1万円札が1枚、食卓の上を滑ってきた。私はそれを見た。かず子は封筒の口を閉じて手元に置いた。「食費は私が必要な分だけ渡すから心配しなくていいのよ」「お母さん」「何?」「私が働いて稼いだ30万円ですよ」かず子は表情を変えなかった。「結婚したら家族のお金でしょ」その言い方があまりに自然で、私は一瞬自分の方が間違っているのかと思った。3年、この人はこの顔でこの言葉を言い続けてきた。信じている人の顔だ。

私は言った。「家族のお金なら、たやさんのお給料も同じですよね」「この子はちゃんと入れてるわ」「いくらですか?」たやは麦茶を飲んでいた。かず子が代わりに答えた。「そんなこといちいち」「お母さん、私が渡した30万円から、家賃も光熱費も出ていません」「その話は今しなくていいでしょう」かず子は湯のみを持ち上げた。先月の席でも同じことを言いかけて、同じように止められている。この人はその先を聞く気がない。たやがコップを置いた。「なあ、いい加減にしろよ。せっかく母さんが来てくれてんのに」「私が嫌だと言ったら、どうなるの?」私は聞いた。たやは少しの間黙った。それからはっきりと言った。「じゃあ自分で勝手にすれば。勝手に。でも、この家にいるなら母さんのやり方に従ってくれよ」その一言だった。この家にいるなら。つまり、この家にいなければ従わなくていい。この人は自分でそう言った。3年前の4月、同じ食卓でこの人は「夫婦の金だろう」と言った。夫婦の金がいつの間にか母さんのやり方になっている。途中で言葉が入れ替わったのに、誰も気づかないまま3年が過ぎた。私は気づいていた。気づいていて何も言わなかった。その点については私にも責任がある。だから責任の取り方も自分で決める。

かず子が満足そうに頷いた。「そうよ。嫌なら嫌でいいの。でもそれなら家のことも自分でやってちょうだいね」私は1万円札を見た。それから2人の顔を順に見た。たやの顔とかず子の顔。どちらも勝った顔をしていた。「はい」そう答えた。かず子の肩から力が抜けるのが分かった。たやがパソコンを開き直した。話が終わったと思ったのだ。私は1万円札を財布に入れた。入れてから時計を見た。11時15分。銀行の窓口は3時まで開いている。歩いて5分の支店だ。私は椅子を引いた。バッグを取って、玄関で靴を履いた。鞄の内側のポケットにはいつも使っている口座のカードと、届け出印が入っている。印は持って出た。実家へ届く口座振替の依頼書に押すのはこの印だ。これがなければ家賃の引き落としを新しい口座へ移せない。

「どこ行くんだ?」たやが画面を見たまま言った。「ちょっとお用事」「役所か?」「うん」嘘ではない。役所にも行く。行く順番が違うだけだ。ドアを閉める前に一度だけ振り返った。食卓にかず子が座っていて、その手元に30万円の入った封筒があった。私はその封筒を最後にしっかり見た。渡さずに出ることもできた。そうしなかったのは、決まりを破ったのが私ではないと、後から誰が見ても分かる形にしておきたかったからだ。今月の家計は決まり通り、お母さんの手の中にある。

外は3月の風が冷たかった。私は駅とは反対の方向へ歩いた。携帯からの振り込みは1日に100万円までだ。それを超える額は窓口でしか動かせない。11時20分、支店に入った。番号を取ると待ち人は12人だった。25日の午前はどこの支店もこうなる。待っている間、私は番号の紙を親指でなぞっていた。指がかじかんでいた。悪いことをしているわけではない。南田さんにもしていいことだと言われている。それでも鼓動が早かった。3年、自分の金で自分で触れなかった人間の体は、こういう反応をするらしい。

呼ばれたのは11時50分だった。「3番の窓口へどうぞ」座ったのは「篠田ゆかり」という名札の人だった。30代の半ばくらいに見えた。「本日はどのようなご要件でしょうか?」「こちらの口座から、別の銀行の私名義の口座へ資金を移したいんです」私は自分の運転免許と届け出印とカードを出した。移す先の口座の番号を書いた紙も一緒に出した。篠田さんは書類を確認して、それから顔を上げた。「金額はおいくらになりますか?」「30万円を残して、後は全部お願いします」篠田さんが端末を叩いた。「では410万円と端数から、380万円ですね」「はい」「失礼ですが、お使い道をお伺いしてもよろしいですか?」「生活費と当面の預け替えです。同じ私名義の口座に移します」「お電話でどなたかに指示をされたということはございませんか?」「ありません」「失礼しました。最近そういうご相談が多いものですから」篠田さんは伝票を私の方へ向けた。「お振り込み先にお間違いはございませんか?」「間違いありません」「振り込み手数料が880円かかります。お口座からは引かせていただきます」篠田さんは事務的に、けれど丁寧に確認をした。「お引き落としのご予定はございませんか?」「あります。だから30万円を残しました。27日に落ちる4月分と、切り替えが間に合わなかった時の5月の分です」篠田さんは端末に何か打ち込んで頷いた。「お手続き後は30万円と少しになります」「それで結構です」1円も足りなければ、私の名前で滞納の通知が届く。3年我慢した末に、家賃の催促の紙が届く。そんな終わり方だけはしたくなかった。

手続きは30分ほどかかった。篠田さんが控えを出してくれた。移した日付、移した金額、移す前の残高、移した後の残高。全部が1枚にされている。私はそれを2つ折りにして鞄の内側にしまった。「ありがとうございました」頭を下げて立ち上がった時、膝に力が入らなかった。思っていたより緊張していたのだと、その時分かった。

支店を出たのは12時半だった。道を渡ったところで携帯を出して、ネットバンキングのパスワードを変えた。振り込みの限度額も1日0円に下げた。家の共有のパソコンに残っていたログイン情報は前の晩のうちに消してある。それから役所へ行った。委任登録の手続きは15分で終わった。

1時半に職場へ寄った。厨房は昼の片付けの最中で、白い長靴の音が響いていた。ロッカーからボストンバッグを出した。事務室の窓に芦澤さんが見えた。目があった。芦澤さんは何も言わずに片手を軽く上げた。私も上げた。それだけだった。

電車を乗り継いで実家に着いたのは3時過ぎだった。インターホンを押すと母が出てきた。エプロンのままだった。「あら、どうしたの?」「しばらく置いてほしい」母は私の手のバッグを見た。それから私の顔を見た。「上がりなさい」理由は聞かれなかった。母は2階の私の部屋へ上がって窓を開けた。3月の空気が入ってきた。その夜、私は台所で全部を話した。3年分だ。30万円のこと、1万円のこと、80万円ずつ減っていた残高のこと、芦澤さんのこと、南田さんのこと、その日の午前のこと。母は最後まで口を挟まなかった。話し終えると母は立ち上がって、押入れから古い角缶の缶を持ってきた。「あんたが結婚する時置いていった箱」中には通学定期の写しや卒業証書の筒、独身の頃の給与明細が入っていた。そして1冊の通帳があった。表紙に「不活みさ」と印字されている、旧姓の私だ。最後の記帳は結婚した年の4月だった。その数字を見て、私はその日初めて泣いた。180万円と端数。27歳の私が1人で貯めた金だ。旅行にも行かず、飲み会も断って、月に3万円ずつ積んだ。結婚した時、この金はそのまま同じ口座に残った。生活費を整理する口座に、そのまま置いたのだ。置いたことを、私はずっと忘れていた。母はその缶を12年、押入れの同じ場所に置いていた。「これいるの?」「うん。多分一番いる」母は何のことか分からない顔をしていた。分からないまま缶の蓋を閉めた。

寝る前に、駅前のコンビニで36枚目の控えを印刷した。余白に「6万5000円」と書き足して、ファイルの最後に閉じた。夜の8時にたやから電話が来た。「もしもし。今どこ?」「実家」「はぁ?なんで?」「今日は帰りません」「何時に帰るんだよ」「帰りませんって言いました」たやが笑ったのが分かった。「まだ拗ねてんの?」「拗ねてない」「明日には帰ってこいよ。飯どうすんだよ」「冷凍庫に作り置きがあります。3日分」それだけ言って、私は電話を切った。

9時前にかず子からも電話が来た。出ないつもりだったが3回目で出た。「みささん、あなた40近い女が実家に逃げるなんて、見っともないと思わないの?」「思いません」「たやが困ってるのよ」「そうですか」「明日帰ってきなさい。今日のことは私からは誰にも言わないであげるから」言わないであげる。この人の親切はいつもこういう形をしている。「お母さん」「何?」「今月分はお渡ししてあります。30万円です。お受け取りになりましたよね」「それは受け取ったけど」「では今月の家計はお母さんのお手元にあります。家計の管理はお母さんがしてくださるという決まりです。私はその通りにお渡ししました」沈黙があった。「あなた何を言ってるの?」「いつも通りの話です」私は電話を切った。

翌朝、6時に目が覚めた。実家の天井は木目の数が違う。8時15分に携帯が鳴った。たやだった。「おい」声が違っていた。「金どうした?」「何のことですか?」「母さんがお前が変なことを言ってたって言うから、俺が通帳持っていったんだよ。銀行のATMで記帳してきた。残高がおかしいんだ」「おかしくないです。30万しかない」たやが息を止めるのが分かった。「30万って、昨日俺が母さんに渡した額じゃねえか」「そうです」「じゃねえよ。何勝手に金動かしてんだ」「私名義の口座です」「夫婦の金だろう」その言葉だけは3年前と同じだった。「たやさん、4月と5月の引き落としの分は残してあります。家賃も光熱費も保険もそこから落ちます。4月からの私の給料は新しい口座に入ります」「そういう話じゃねえよ。生活費どうすんだよ」「昨日、たやさんがお母さんに30万円お渡ししましたよね」電話の向こうで息を吸う音がした。「あれは母さんが管理する金だろう」「ではお母さんに管理していただいてください。3年間そういう決まりでした」たやは何も言わなかった。私は続けた。「私が嫌だと言ったら、自分で勝手にすればいいと言ったのはたやさんです。この家にいるなら従えとも。だからこの家を出ました。従わないので」「待てよ。そういう意味じゃ」「どういう意味ですか?」返事はなかった。

その日の夕方、たやからまた電話が来た。今度は声が小さかった。「母さんが返さないって言うんだよ」「何をですか?」「昨日の30万。1回返してくれって言ったら、嫌だって」「そうですか」「それでさ」たやは言いにくそうに続けた。「母さん、あの金から毎月5万、自分の生活費に取ってたんだって。俺知らなくて。知ってたでしょって言われた」私は黙っていた。黙っているうちにたやが続けた。「あと母さんは、姉ちゃんに毎月5万送ってるって。送ってるのは知ってた。ただ、うちの金から出てるとは思ってなかったんだよ」30万円の行き先が初めて1つずつ言葉になった。言ったのは私ではない。たやでもない。財布が消えた途端に、2人が自分で言い始めたのだ。「知らなかった」とは言った。本当かどうかは私には確かめようがない。確かめる必要ももうなかった。「たやさん」「何だよ」「お母さん何て言ってました?」たやが黙った。それから絞り出すように言った。「来月からあんたどうするつもりなのって」

4月2日、かず子から電話が来た。その週、たやからの電話はなかった。代わりにかず子が出てきたのだ。実家での暮らしは思っていたより静かだった。電車を2本乗り継いで現場まで片道50分。始発に乗っても5時半の早番には間に合わないと言うと、芦澤さんは「じゃあ当分は遅番ね」と言い、その後で付け加えた。「主任の手当ては変わらないから手取りは同じよ。本社にはこっちから出しておく」母は何も聞かなかった。夕飯の支度を2人分にして、私の茶碗を出した。8年ぶりに、この家で2人分の食器が並んだ。

そこへあの声が入ってきた。「みささん、いい加減にしてちょうだい」「何がでしょうか?」「夫婦喧嘩くらいで実家に逃げるなんて。そんな話は聞いたことがないわ」私は実家の台所で、片手に布巾を持っていた。それを置いてから答えた。「喧嘩ではありません」「じゃあ何よ?」「家計の管理をお母さんにお任せしただけです」電話の向こうで音が止まった。「3月25日にそう決まりましたよね。私の給料はお母さんが管理する。私が嫌だと言うならこの家にいなければいい。たやさんがそう言いました」「そんなことは言ってないでしょう」「たやさんに聞いてください。私はその通りにしました。3月分をお渡しして、この家を出ました」「あなたね」かず子の声が高くなった。「そういう屁理屈を言う人だとは思わなかったわ」屁理屈。3年間私に向けられてきた理屈は、全部この人のものだった。同じ形の言葉を返しただけで、屁理屈になる。「お母さん、それで4月の家計はどうされますか?」「どうするって?」「食費も日用品もたやさんのお小遣いも、お母さんがお配りになるのが決まりです。3月分はお手元にありますよね」「それはもう」そこでかず子は言葉を切った。切った後に慌てて足した。「もうって言っても、ちゃんとしてるわよ。積み立てだってちゃんと41万円あるんだから。疑うなら見せてあげてもいいのよ」私は布巾に手を伸ばしかけて止めた。41万円。「お母さん、それは私からお預かりした積み立てのことですか?」「そうよ。あなたのために貯めてるって言ったでしょ」「今いくらとおっしゃいました?」「41万円」はっきり聞こえた。2度目だから聞き間違いではない。「分かりました。ありがとうございます」私は電話を切った。それから2階の部屋へ上がって、薄い青のファイルを開いた。振り込みの控えが36枚。1枚ずつ余白に私の字が書いてある。第1回から第6回まで「積み立て5万5000円」。第7回から第24回まで「積み立て6万円」。第25回から第36回まで「積み立て6万5000円」。私は電卓を出した。昔仕事で使っていた一番大きなキーのものだ。実家に置きっぱなしにしてあった。5万5000円が6回で33万円。6万円が18回で108万円。6万5000円が12回で78万円。足すと219万円。私はその数字を3回計算し直した。3回とも同じだった。219万円あるはずのものが、41万円しかない。差は178万円だ。3年で178万円。1月あたりおよそ4万9000円が、預かったはずの場所から消えている。私はノートにその3つの数字を書いた。219。41。178。書いてからしばらく動けなかった。怒りではなかった。近いのは現場で在庫の棚卸しをした時の感覚だ。帳簿の数と棚の数が合わない。その時、人は怒らない。まず数え直す。数え直しても合わなければ、次にすることは決まっている。どこで消えたのかを追う。階段の下から母の声がした。「みさ、お茶入れたけど」「今行く」返事をしてからノートを閉じた。母に見せる気はなかった。見せれば母は自分を責める。あの家にとどまったのは自分のせいだと思っている人だ。実際は私が選んだのだけれど。

4月の8日、私は着替えを取りに部屋へ戻った。たやが仕事に出ている時間を選んだ。鍵は私も持っている。私名義で借りている部屋だ。台所には洗っていない皿が積んであった。冷凍庫の作り置きは空になっていた。3日分と言ったから、3日で食べたのだろう。ゴミ袋が3つ、玄関に置いてあった。出し方が分からなかったのだと思う。私は自分の服と書類だけをダンボールに詰めた。父の湯のみも入れた。通帳は引き出しに戻されていた。通帳の行が1行だけ増えている。私は触らなかった。

帰りに団地の前を通った。江口さんが玄関先の鉢に水をやっていた。「あら、この前の」江口さんはじょうろを置いて私の方へ来た。「かず子さん、最近元気がないのよ」「そうですか」「この前ね、廊下で計算してたの。紙に鉛筆でこう、何回も」江口さんは指で空に数字を書く真似をした。「かず子さんね、昔から几帳面な人でね、買い物の後は必ず帳面につけるのよ。私がそんなの面倒じゃないって言ったら、これが私の仕事だからって」「帳面」「そう。大学ノートみたいなのに、1年に1冊ずつきちんとね」江口さんは話をやめなかった。「かず子さん、いつも言ってるのよ。私は昔経理をやっていたからって」「よく聞きます」「あれね、確かご主人の会社の手伝いだったって前に言ってたわ。3年くらい」私は江口さんの顔を見た。「経理ですか?」「ええ。ご主人が亡くなってからは、ずっと年金だけだから大変だと思うわ。こんなこと言っちゃいけないわね」江口さんは口を押えて笑った。私は礼を言って駅へ向かった。歩きながら3年という数字を考えていた。経理をやっていた3年と、私の給料を預かっていた3年。同じ長さだ。帳面が何冊もある。その人はその帳面を3年間、一度も私に見せなかった。見せないまま経理をやっていたと言い続けた。そして今、41万円しかない積み立てについて「疑うなら見せてあげてもいい」と言った。見せると言ったのだ。3年間頼んでも出てこなかったものが、疑われた瞬間に出てくる。人は責められると証拠を出す。出した証拠が自分を助けるかどうかは、出す前には分からない。

私は駅のホームで南田さんに電話をかけた。「話し合いの席を作れますか?」「作れます。どなたに来ていただきますか?」「主人と、主人の母です」「お母さんを呼ぶ理由は?」「多分来ます。主人の母は、自分が正しいことを人に見せたい人です。私が疑っていると分かれば、証拠を持って出てきます」なるほど。南田さんは一呼吸置いて、それから言った。「不活さん、その席ではあなたは数字だけを出してください。人の性格の話はしない方がいい」「なぜですか?」「性格の話は反論できます。数字は反論できません」分かりました。私は言った。呼べばあの人は必ず来る。自分は潔白だと証明するために。そしてその時は帳面を持ってくる。

4月14日、南田さんの事務所の細長い会議室だった。エレベーターの前でたやと待ち合わせた。3週間ぶりだった。「こんにちは」「弁護士まで出してくるとはな」「話し合いの場所を借りただけです」「金の話だろう」「そうです」たやは私の顔を見ないまま鼻から息を吐いた。襟が黄ばんでいた。エレベーターが来た。2人で乗って、3階まで無言だった。机の片側に私と南田さん。向かい側にたやとかず子。4人だけだ。かず子は約束の時間の15分前に来た。黒い鞄を膝に乗せて座った。たやの目の下が黒い。

南田さんが手元の紙を揃えて口を開いた。「では始めます。先に申し上げます。私は不活みささんの代理人ですので、お2人の側に立つ助言はできません。必要でしたらご自身で弁護士にご相談ください。今日はこれまでの家計の状況を確認するだけの場です。ここで何かを決める必要はありません」かず子が身を乗り出した。「その前に言わせていただいてよろしいかしら?」「どうぞ」南田さんが答えた。かず子は鞄の口を開けて、中から3冊のノートを出した。大学ノートだった。表紙の色が3冊とも違う。青と緑と茶色。角がすり切れている。3年、鞄に入れて持ち歩いた紙の角だ。かず子はこの3冊を誇りとして持ってきた。そのことは疑いがなかった。「これ、全部つけてありますから」かず子は3冊を机の上に並べた。並べ方が、なぜかまっすぐだった。「私は昔経理をやっていたのよ。どんぶり勘定なんてしていません。疑うなら見ていただいて結構です」その言い方に迷いはなかった。かず子は本当に自分が正しいと思っている。南田さんがかず子に聞いた。「拝見してもよろしいですか?」かず子が頷いた。南田さんは青いノートを開いて、そのまま私の方へ回した。1ページが1月分だった。左の上に日付。中ほどに出ていったお金の欄。右の欄に細かく区切った、入ってきたお金の欄。出ていったお金の欄は驚くほど細かかった。かず子は自分の帳面の中で、自分のことを「私」と書いていた。食費3万5000円、日用品、たや小遣い8万円、嫁小遣い2万円。その下に2つ並んでいた。1つは「私」、つまりかず子自身、5万円。もう1つは県外にいる娘のかよさん、同じく5万円。そして最後の行が「預かり」5万5000円。合計30万円。私が毎月渡していた額と1円も違わなかった。その下にもっと細かい欄が並んでいた。美容院6000円、通販9000円、通販1万1000円。か追加額はまちまちだが、どの月にも2つがあった。「通販」という文字だけが繰り返し出てくる。私はページをめくる手を止めなかった。止めればかず子が閉じてしまうと思った。「お母さん」私は顔を上げた。「この『私』と書いてある欄は」かず子は一瞬止まって、それから言った。「私の生活費よ。それが何か?」「3年間、毎月5万円ですね」「そうよ。家を見る手間賃みたいなものでしょ。実の親子なんだから」たやが横を向いた。この件は3週間ほど前に電話で知ったばかりのはずだ。私はページをめくった。紙の手触りが指に残った。3年。この帳面はこの人の鞄の中にあった。私の給料の行き先が、ずっとこの角のすり切れた紙の中にあった。

出ていったお金の欄は月ごとに少しずつ変わる。「嫁小遣い」が2万円から1万5000円になり、「預かり」が6万円になる。かず子自身の5万円とかよさんの5万円は動かない。そして右端の「入ってきたお金」の欄を見た。その欄には毎月1行だけ書いてある。「嫁 30万」「4月 嫁 30万」「5月 嫁 30万」「6月 嫁 30万」。私は2冊目を開いた。同じだった。3冊目も同じだった。36ヶ月、36行、全部が「嫁 30万」。私はノートから目を離した。「お母さん、この入ってきたお金の欄に、たやさんの名前がありません」かず子の表情が動いた。「そんなはずないでしょう」「3年分、36ヶ月です。一度も出てきてません」「見落としてるのよ。貸してご覧なさい」かず子はノートを引き寄せた。眼鏡を鼻の上へ押し上げて、指でページを追った。4月、5月、6月、7月。指が止まらなかった。止まらないまま、ページをめくる音だけが部屋に響いた。私は読み上げた。「4月 入り 嫁30万。5月 入り 嫁30万。6月 入り 嫁30万」かず子が顔を上げた。声が震えていた。「もういいでしょう」私は次の行を読んだ。「7月 入り 嫁30万」かず子の声が飛んだ。「もういいって言ってるでしょ!」かず子がノートを閉じた。閉じてから、息子を見た。「たや、あんた入れてるって言ったじゃない。言ったわよね、私。聞いたわよ。あの席で、ちゃんと入れてるって」たやは机の木目を見ていた。かず子は息子から目を離さない。「家賃だってあるでしょ。電気もガスも。あれはあんたが別に払ってると思ってたのよ。だから入ってきたお金の欄には書かなかったの。あんたが直接払ってる分は、私の家計には入ってこないんだから」そこで私は口を開いた。「お母さん」かず子が私を見た。「家賃も電気もガスも水道も携帯も回線も生命保険も火災保険も、全部私の口座から落ちています」「そんな」「2月にあなたが言いかけたのは、それだったの?」「そうです。結婚した時からずっとです。たやさんの分まで、1ヶ月もかけていません」私は南田さんに合図をした。南田さんが3年分の入出金の明細を机に置いた。私は引き落としの行を指で抑えた。「毎月14万円です。年に168万円、3年で504万円」私は指を給料の行に移した。「私の給料は毎月そのまま、たやさんの口座へ行きます。だから引き落としの分は賞与から出していました。年に88万円です」かず子が口を挟んだ。「賞与なんて出ないって」「嘘をつきました。あれを取られたら家賃が払えなくなるからです」私は指を賞与の行へ下ろした。「年に168万円出て、88万円戻ります。差の80万円が毎年、私の蓄えから消えました。お母さん、積み立てのことも伺います。41万円とおっしゃいましたね」「言ったわよ」「私の控えでは、3年で219万円です」私はファイルを開いたまま言った。「5万5000円が6回、6万円が18回、6万5000円が12回」「そんなに預かってないわよ」「お母さんの帳面にそう書いてあります」かず子はノートを見なかった。見れば書いてあると、本人が一番分かっているからだ。「お母さん、もう1つ伺います」私は青いノートのある月のページを開いた。「この月、出ていったお金の合計は34万9000円です。入ってきたお金は30万円です」「そんなはずは」「足りない4万9000円は、預かりの欄から出ています。この月、預かりに書いた額は5万5000円。残ったのは6000円です」4万9000円。実家の2階で1月あたりに割った時に出た数字と同じだった。かず子が自分の字を見た。3年間、この人は毎月「預かり」に書いた額から、足りない分を抜いていた。使った先は書いてあるけれど、それを預かりから引いたという記録は1行もない。そして預かりの欄を一度も縦に足さなかった。だから手元にある41万円が、いくらの残りなのか本人にも分かっていない。「それからもう1つだけ」私はページを戻した。「私が毎週お渡ししていたレシートは、この帳面のどこにありますか?」かず子は答えなかった。3年、封筒に入れて持ち帰られたレシートは、この3冊のどこにも乗っていない。「つけている」と言われたものは、どこにもなかった。数える材料が私の手元から減る。持ち帰った理由はそれだけだったのだと思う。

南田さんが次の紙を出した。「3年前の4月の残高が650万円。3月25日の残高が410万円です。240万円減っています」部屋の音が消えた。先に口を開いたのはたやだった。「俺だって今日まで聞いてないんだよ」「何をですか?」「母さんが美容院だの通販だのに使ってたなんて。先月聞いたのは、お姉ちゃんの分と母さんの5万だけだ」「たやさん」私は言った。「お母さんが何にいくら配っていたかは、私も知りませんでした。でも、たやさんが家計に1円も入れていなかったことは、たやさんだけが知っていました」たやが顔を上げた。「入れてないなんて言ってないだろう」「ではいくらですか?」何度目かの質問だった。3年の間、私は同じことを聞き続けている。たやは答えなかった。南田さんが手元の紙を1枚めくって静かに言った。「不活さん、今日はご自身の口座の資料をお持ちでないので、この場では確認できません。次回、直近3年分をご用意いただけますか?」「なんで俺が出さなきゃいけないんだよ」「出していただけない場合は、その前提で話を進めることになります」断定はしなかった。

私は3冊のノートを見た。かず子にとって、この家の家計とは自分の手を通った30万円のことだった。それ以外は存在しない。だから3年間、入ってきたお金の欄に息子の名前がなくてもおかしいと思わなかった。経理をやっていた人が、入ってきたお金の欄を一度も合計しなかった。それがこの3年の全部だった。そして、なぜ3年間この帳面を見せなかったのかも、開いてみれば分かった。見せられないのは入ってきたお金の欄ではない。出ていったお金の欄だ。美容院、通販、かよさん。嫁の給料からそれを出していることは、かず子自身が分かっていた。分かっていたから、「見せて欲しい」と言われるたびに「あなたに見せても分からないでしょう」と言った。見せても分からないではない。見せたら分かってしまう、だった。

かず子が口を開いた。声が細くなっていた。「あの、じゃあたやのお給料は」かず子は息子を見た。たやはかず子の顔を見なかった。私は聞いた。「お母さん、219万円と41万円の差。178万円はどこへ行きましたか?」かず子は3冊のノートに手を置いたままだった。指の関節が白い。「使ったわ」思ったより早くその言葉が出た。「何にでしょうか?」「色々よ。みささんのために置いておくつもりだったけど。必要な時は使うでしょ。家のお金なんだから」「帳面に書いてあります」私は青いノートを開いた。「美容院6000円、通販9000円、通販1万1000円。かよさん」かず子の顎が動いた。「私は家計を見ていたのよ。見ている人間が使えないなんて、おかしいでしょ」「使ってはいけないとは言っていません」「じゃあ何が言いたいの?」「積み立てだと言われて渡していたものが、積み立てではなかったということです」かず子は答えなかった。答える代わりにこう言った。「だってね。私だって生きていかなきゃいけないのよ」その声には初めて本当のものが混じっていた。「65になるまでは老齢加算というのがついていたの。65でそれが切れて、代わりに自分の分の年金が出るようになって。足したらほとんど同じだったわ」かず子は麦茶に手を伸ばしてやめた。「2ヶ月に1度、22万円。それだけよ。団地の家賃が2万8000円。光熱費。食べるもので、ほとんど残らないの」南田さんが手元の紙に何かを書いていた。私は口を挟まなかった。人の事情の話はしない方がいいと言われている。それにかず子の言っていることは、多分本当だった。「そこへか」かず子は続けた。「3年前の3月にね、かよの旦那さんが体を壊したの。お給料が半分になって。それでも家のローンは減らないでしょ。あの子から電話が来て、私はどうしたらいいのって泣くのよ」「それで毎月5万円を、私が送ると言ったのよ。2ヶ月で22万円のうちから、毎月5万円なんて出せるはずがないでしょ」「かよさんはそのお金が誰のものだと聞いていましたか?」かず子は目を伏せた。「たやが送ってくれてるって、そう言ったわ」私は頷いた。それ以上は聞かなかった。出せるはずがない。その通りだ。2ヶ月で22万円。1月に鳴らせば11万円。そこから家賃の2万8000円と光熱費を引いて、さらに5万円を毎月送る。数字の上で成立しない。私はその計算だけはかず子に同意した。同意はしたが、だからと言って私の給料から出す理由にはならない。「だからたやに相談したのよ」かず子が声を張った。「あんたが言ったんじゃないの?母さんが家計を管理すればいいって。みささんは真面目だから、渡せといえば渡すって。あんたが言ったのよ」「言ってねえよ」「言ったわよ。3月の終わりに車を買ったって店に来た日」たやが黙った。私は鞄から携帯を出した。写真を1枚、机の上に置いた。車の支払いの予定表だ。「3年前の3月から、月に4万5000円。72回払いです。ボーナス払いはありません」南田さんが写真を見てたやに確認した。「これはご自身のお車の分ですね」「そうだけど」「3月にこの支払いが始まって、4月から奥様の給料をお母様に預ける決まりができた。この順番で間違いありませんか?」たやは答えなかった。かず子が息子を見た。今度ははっきりと見た。「たや、あんたは一旦自分の口座を通せば、あんたの手から出てくるんだから、誰もあんたがいくら入れたのかを数えなくなる。そう思ったんでしょ」「そんなこと言ってないだろ」「じゃあいくら入れてたのよ」たやは口を開かなかった。かず子の声が続いた。「言いなさいよ。私は3年間、あんたが入れてると思って、みささんに食費を渡してたのよ。私がみささんのお給料で、みささんに食費を渡してたのよ」かず子の声が裏返った。

たやが机を叩いた。「じゃああの30万は返せよ。お母さんが持ってるんだろう」「返さないわよ」かず子はきっぱりと言った。「あれは3月分の生活費よ。もう配ったの。お姉ちゃんにも送ったし、私の分も引いたし」「配ったって、俺のところに来てないぞ」「あんたの小遣いは毎月ちゃんと8万円渡してるでしょ。取りに来る日を決めたのはあんたじゃないの」2人が同時に喋り始めた。南田さんが手を上げて止めた。3年間、この2人が言い合うのを見たことがなかった。仲が良かったからではない。間に取り合わなくても、毎月入ってくる財布があったからだ。私の給料という財布が。

その席はそこで終わった。南田さんが最後に整理をした。「本日確認できたのは3点です。1. 不活みささんの口座から、3年間で504万円の固定費が支払われている。2. 同じ3年間で、毎月30万円、36回合計1080万円が不活拓也さんの口座へ振り込まれる。3.

Thumbnail

その1080万円の配分は、お母様の帳面に記録がある」かず子が3冊のノートを鞄にしまおうとした。南田さんが止めた。「お母様、その帳面の写しを取らせていただけますか?原本はお返しします」かず子はしばらく動かなかった。それから震える手で3冊を差し出した。自分の潔白を証明するために持ってきたものが、証明したのはこの3年、息子が1円も入れていなかったことだった。かず子は鞄の口を閉めるのに手間取っていた。

4月27日の夜、たやから電話が来た。「なあ」声が疲れていた。「俺の給料だけじゃ生活できない」「そうですか」「家賃だけで10万近いんだぞ。それに光熱費と車と」「それはこれから1人で払う分の話だ」私は今までの分を聞いた。「たやさん、今毎月何にいくら使っていますか?」「車のローンは4万5000円ですよね」「それだけじゃねえよ。保険と駐車場とガソリンで3万円くらいかかるんだよ」「あと、その」たやは言いにくそうに続けた。「独身の時のカードの返済が月に4万」初めて聞く数字だった。「あと携帯と自分の保険で1万5000。飲み代と外食で6万5000くらい」たやはそこで一度黙った。「釣りと車の用品で5万。残りを自分の口座に入れてた。3万5000だ」足すと28万円になった。手取りと同じだ。家に入れる分が1行もなかった。私は頭の中でそのカードの返済を36倍した。144万円。返した先は自分名義の借金だけだった。「賞与のことも聞きました。出たその月に使っていると言いました」かず子の帳面には「たや小遣い8万円」という欄が36ヶ月分並んでいる。3年で288万円。それは今たやが並べた28万円の外側にある金だ。「たやさん、お母さんから受け取っていた8万円はどこに?」「現金だろ?使ったよ」使ったよの一言で終わった。「たやさん、それ3年前からずっとですか?」「まあ大体」「毎月3万5000円貯めていたら、3年で126万円ですね」「そんなにねえよ。車検とタイヤと擦った時の修理で34万使った」「では92万円ですか?」「なんでそんな計算すんだよ」「仕事です」私は本当のことを言った。数えることを仕事にしていると、人が言った数字をその場で足す癖がつく。この3年、この癖だけは誰にも取り上げられなかった。

南田さんの事務所へ行った。たやが電話で言った内訳を筆記に起こして持っていった。南田さんはそれを読んでこう言った。「借入れの時期と使い道を確認させてください。婚姻前の契約でも、婚姻中に借り増ししていれば別の扱いになります。ただ、借りたお金が家庭の生活のためでなければ、財産分与では考慮しないのが原則です」後日、たやが出した明細では、借り増しは婚姻中のもので、使い道は車の用品と釣りの道具だった。私は聞いた。「たやさんが1人で返すということですか?」「そうなります。それからもう1点」南田さんは紙の端を揃えた。「別居中は、収入の多い方が少ない方に生活費を負担する仕組みがあります。婚姻費用と言います。ご主人から請求される可能性はあります」「私が払うんですか?」「可能性の話です。ただお2人の収入はほとんど変わりません。大きな額にはなりにくいでしょう。それから年金分割という手続きもあります。期間の厚生年金の記録を分けるもので、離婚から2年以内です」「お願いします」「その前に1つ。記録を見ないと分かりませんが」南田さんは言った。「不活さんの方が多い可能性があります。その場合はご主人から請求される側になります」「では取り寄せてからにします」「そうしましょう。不活さん、次にやることを申し上げます。ご主人の口座の資料が出てきたら、財産の一覧を作ります。その上でこちらから条件を出しましょう」「条件」「あなたが何を求めて、何を求めないかです」私は考えた。求めたいものは、多分お金ではなかった。「不活さん」「はい」「1つだけ先に決めておいた方がいいことがあります」南田さんはボールペンを置いた。「お母さんに渡ったお金は、返してもらいたいですか?」私は少し考えた。3年で1080万円。私の手に来たのは食費と日用品と小遣いだけだった。毎月30万円のうち、6万円ほどだ。返してもらえるなら返して欲しい。それが正直なところだった。けれどあの3冊を思い出した。美容院、通販、かよさん。年金22万円の暮らし。私は答えた。「取り立てはしません。たやさんのお母さんからは、手元に残っている41万円も取り返しません。あの人がこれから1人で暮らす分です。残りの178万円は、もうどこにもありません」南田さんは頷いた。「分かりました」私は続けた。「ただ、主人とは別れます。清算はきちんとします」南田さんは手帳に日付を書いた。次の話し合いの日が決まった。その日、私は数字を全部揃えていくつもりだった。

5月12日。同じ会議室に、同じ4人が座った。窓の外は4月とは光の色が違っていた。会議室の空気だけが同じだった。たやは前の月より痩せて見えた。隣に座ったかず子が、息子の横顔を見て小さく息を飲んだ。私は前の日の夜、ノートに書いた数字を3回確かめてきた。電卓に入れる数字は全部で8行。8行で終わる。たやは封筒を持ってきていた。中には自分の口座の3年分の写しが入っていた。出したくなかったはずだ。それでも出したのは、出さなければ前提で進むと言われたからだった。南田さんが写しをめくった。数分かかった。「たやさん、奥様の明細では3年前の2月まで、毎月25日に14万円が入っています」「はい」「お手元の写しのある期間、奥様の口座にも、ご家庭の共通の支払いにも、ご自身の口座から出た記録は一見もありません。よろしいですか?」「はい」「ご自身からお母様の口座へ振り込まれた記録もありません」

その日、かず子は3冊のノートを持ってきていない。たやが椅子の上で体を動かした。それから私の方を向いた。3月25日以来、初めて正面から目があった。「みさ。悪かった」「はい」「もう母さんとは関わらせない。家計も別にする。だから」「たやさん」私は言葉を切った。「私の給料をお母さんに渡したのは、あなたです」たやの口が半分開いた。私は続けた。「私が嫌だと言った時、黙らせたのもあなたです。お母さんではありません。3年前の3月に相談を受けたのはお母さんからでも、決めて私に言い渡したのはあなたです。あの日、この人に管理させると言ったのは、あなたの口でした」かず子が下を向いた。私はたやへ目を戻した。「だからお母さんを切れば済む話ではないんです。お母さんの老後を見ると決めたのも、あなたです」たやは何も言えなかった。私は鞄から紙を1枚出して机に置いた。離婚届だった。「離婚してください。今日でなくて構いません」たやはその紙を見た。それから、別の言い方を探したようだった。「じゃあ金は返してもらうからな。俺の取り分」「はい。取り分はお返しします。今日、その計算もします。ただ、その前に1つ別の計算をさせてください」たやが警戒した顔になった。私はあの電卓を出した。机の上に置いて、電源を入れた。「たやさん、ここにこれからたやさんが払うことになる分を、1つずつ引いていきます」「何だよ」「たやさんの手取りは月に28万円ですよね」「まあ、そうだけど」私は28万と打った。「車のローンが4万5000円」引いて、23万5000円。「お母さんへの援助が5万円。これからたやさんが直接お渡しすることになります」引いて、18万5000円。「家賃が9万8000円」たやが身を乗り出した。「それは!」私は電卓から手を離さずに言った。「あの部屋の契約は私の名義です。月末で解約します。同じくらいの部屋を借りれば、家賃は9万8000円です」引いて、8万7000円。「光熱費が2万2000円」引いて。「通信が1万2000円」引いて、5万3000円。「保険が8000円」引いて。「カードの返済が4万円」引いて。電卓の画面に数字が残った。5000円。「5000円です」私は電卓の向きを変えて、たやの側へ押し出した。数字は自分の目で見た方がいい。仕事でもそうしている。たやは画面を見ていた。桁を確かめるように首を伸ばした。「これ、食費が入ってないだろう」「入っていません。飲み代も車の保険も入っていません。それも全部、この5000円の中です」「じゃあ部屋をもっと安いとこにすればいいだろう」「そうです」私は頷いた。「入る額に合わせて出る額を決める。それが家計を組むということです。私は3年間、それを一度もさせてもらえませんでした」かず子が机に手をついた。「ちょっと待って。私への5万円は」「お母さん」私はそちらを向いた。「その5万円は3年間、私の給料から出ていました。これからはたやさんのお給料から出ます。同じ5万円です」「そんなの、この子が困るじゃないの?」「はい、困ります」私は目をそらさなかった。「3年前からそういう額でした」かず子が椅子に座り直した。それっきり、5万円の話はしなかった。

たやが息を吸った。「無理だろ、そんなの」私は言った。「たやさん」「何だ」「じゃあ、月に1万円で頑張ったら?」たやが私を見た。私はその目を見て続けた。「私にはそれで十分だったんでしょう」たやは電卓の画面を見たままだった。私は続けた。「3年間で、私の小遣いは2度下がりました。最初は2万円。途中で1万5000円。去年から1万円です。その1万円で、美容院も下着も休みの日の交通費も出していました」「そんなの知らなかったんだよ」「2月に申し上げました。1万円しかないと。あの時、たやさんはテレビをつけました」私は言葉をついだ。「知らなかったのではありません。聞かないことにしたんです。たやさん、この3年で私がこの家に渡した金額を言います。30万円が36回で、1080万円です」1080万円。声に出すと思っていたより大きく響いた。「それとは別に、私の口座から固定費が504万円出ています。賞与で埋めきれずに減った蓄えが240万円です」私は明細の束を机に置いた。「この3年、この家の家計にあなたのお給料が入ったことは、一度もありません」私はそこで一度息を継いだ。「守っていたのは、あなたの車とあなたの楽しみだけでした」たやの顔が赤くなって、それから白くなった。

その時、かず子が横から言った。「でも、私は家計を見てあげたのよ」最後まで、この人はこの言葉を手放さなかった。私はかず子の方を向いた。「お母さん、見ていただいたのは私の給料です」かず子が口ごもった。私は続けた。「それともう1つ。鍵をお返しください」かず子はしばらく動かなかった。それから鞄を開けて、鍵を1本、机の上に置いた。3年前に「返して欲しい」と言えなかった鍵だった。私はそれを手元へ引き寄せた。「3年間、ありがとうございました。でも、もう結構です」「私はあなたのためを思って」「本当よ。若い人はお金の使い方を知らないから、誰かが見てあげないと」「お金を見てあげる人は、そのお金を使っていい人ではありません。見るのと使うのは別のことです」かず子は何か言おうとしてやめた。やめたのは言葉が出なかったからではないと思う。言えばまた帳面の話に戻ると分かったからだ。

その日、財産の話に入った。南田さんが一覧を読み上げた。「先に1つ申し上げます。3年間で渡ったお金は、その大半がすでに使われています。分けるのは、今残っているものだけです。使ってしまった分を遡って取り戻す組み立ては、簡単ではありません」3月10日に、同じことを聞いている。「まず、不活拓也さん名義の預金が92万円」南田さんは指で紙を1つ下げた。「お車は今売れば133万円。ローンは残り34回。月に4万5000円ですから、売っても20万円足りません。次に、不活みささん名義の預金。3月25日の時点で410万円です」南田さんはそこで一度私の方を見た。「このうち180万円は、ご結婚前からお持ちだった分ですので、分ける対象から外れます。旧姓の通帳の写しをお出ししたところ、先日ご主人から争わないとの回答をいただきました。残りの230万円が婚姻中に増えた分です。ご主人のカードの残債は、家庭の生活のためのものではありません。借り換え分も同じです。ですからこの一覧には入れていません。不活さん、売っても足りない車は資産を0として扱い、マイナスを差し引かない扱いの方が一般的です。そちらの方があなたには10万円有利です。どちらにされますか?」「マイナスも入れてください」私は言った。「算数の通りにしたいので」南田さんは電卓を打たなかった。数字を並べただけで答えが出るようにしてあった。「92万円。車の20万円を引いて、230万円を足す。合計で302万円。折半すると、お1人あたり151万円です」主張できることはまだ残っていた。私は使わないことにして、自分から言った。「私の手元の410万円のうち、分ける対象は230万円です。私の取り分はそのうち151万円。差し引いた79万円は、私からたやさんへお支払いします」たやが上げた。「払うのか?」「はい。算数の通りです」たやは自分の手のひらを見ていた。返してもらう側に立ったつもりでいたのに、差し出されたのがこちらからだったからだ。「あと、これは言っておきます。私は隠したりはしていません。移しただけです。移した日の残高も、移した後の残高も控えが全部あります」私は控えを机に出した。日付と金額と前後の残高が印字された1枚だ。「隠していたら、こんなものは撮りません」たやは控えを見て、それから目をそらした。3月25日の窓口の控えが、今私を守っている。

南田さんが言った。「取り決めができましたら、公正証書にしておきましょう。約束を書面にして、公証役場で残しておく形です。払わなかった時に、裁判をしないで差し押さえができる形になります。不活さんは払う側ですから、そこはご承知の上でお願いします」「はい」私はそう答えた。公正証書。その言葉を自分のこととして聞いたのは、その時が初めてだった。3年前の私なら、その字も書けなかったと思う。年金分割は、記録を取り寄せて割合を決め、同じ公正証書に入れた。婚姻費用は、請求のないまま終わった。

その席の終わりに、かず子が小さな声で言った。「団地の人に、何て言えばいいのかしら」誰に向けた言葉でもなかった。私は答えなかった。答えるべきことではない。団地の廊下で、この人は3年間胸を張っていた。胸を張らせていたのは、私の給料だった。この人はこれから毎日、玄関を出るたびにそれを思い出す。後で江口さんから聞いた話では、かず子は団地の廊下で「あれは嫁のお金だったのよ」と言ったらしい。

5月の終わり、たやの署名の入った離婚届が、南田さんを通して戻ってきた。私は自分のを書いた。証人の欄には、芦澤さんと母に書いてもらった。先にペンを持ったのは芦澤さんだった。「私でいいの?」芦澤さんはそう言って、それでも一番綺麗な字で書いてくれた。「不活さん、判を押しなさい」「はい」「名前は旧姓に戻すの?」「戻しません。不活のままで行きます」芦澤さんはペンを置いた。「そう。あなたが選んだなら、それでいいわ」離婚届とは別にもう1枚出す紙がある。不活の姓を続けて名乗るための届で、3ヶ月以内だと南田さんに言われた。母は証人の欄に自分の名前を書きながら、一度だけ手を止めた。「これ書いていいのよね?」「うん」母はそれ以上何も聞かなかった。3月にバッグ1つで帰ってきた日から、ずっとそうだった。私はその紙を離婚届に添えた。出すのは公正証書ができてからだと決めていた。2枚とも鞄の内側にしまった。

部屋の解約は7月の末で通した。管理会社には5月のうちに連絡してある。立ち合いの日、私は鍵を3本まとめて返した。1本は5月に返してもらった合鍵だ。家賃の清算もした。4月から6月の中頃まではたやが1人で住んだ分。そこから7月一杯までは、誰も住んでいない部屋に払った分だ。住んだ分はたや、空けた分は半分ずつにした。たやは6月に駅の反対側の部屋へ移ったと聞いた。家賃は6万8000円だったそうだ。9万8000円の部屋は、もう払えなかったのだろう。

離婚が成立したのは7月10日だった。財産分与の取り決めは、その前に公正証書にしてある。私はたやへ、窓口で79万円を振り込んだ。振り込みの控えは、薄い青のファイルの最後に閉じた。37枚目だ。弁護士費用も、3月に動かした金から払った。依頼人の欄には「不活みさ」と印字されている。36枚目までと同じ名前だ。同じ形の紙が、全く違う意味で並んでいる。南田さんから聞いた話では、たやは8月に車を手放したという。ローンの残りは売った代金では足りなかったらしい。残った分は自分で払っている。かず子は年金と、たやが渡す5万円で暮らしている。かよさんへの仕送りは止まった。かよさんは自分で働きに出たそうだ。出所を知ったのかどうかは分からない。それ以上のことは知らない。知る必要もない。たやからの連絡は、7月の振り込みの確認が最後だった。「着きました」とだけ短い文が来て、それっきりになった。

私は姓を戻さなかった。不活のまま働いている。12年、不活みさとして呼ばれてきた。名前は、呼ばれてきた分だけ自分のものになる。名義というのは、多分そういうものだ。転職はしなかった。資格を生かして独立するようなことも考えなかった。私がやりたかったのは、新しい仕事ではない。今の仕事で得た金を、自分で配ることだった。私は同じ厨房で、火を入れて、盛り付けの手順を回している。変わったのは、入る時間と帰る家だけだ。芦澤さんとは、あれから家の話をしていない。一度だけ廊下ですれ違った時に、こう言われた。「不活さん、余白の数字まだ書いてる?」「書いてます」「そう。じゃあ大丈夫ね」それだけだった。

実家では、母が先に起きている日が増えた。私が起きる頃には台所の電気がついていて、味噌汁の匂いがする。いらないと言ったのに、母は毎朝作る。「1人分作るのも2人分作るのも同じよ」母はそう言う。2人分の方が手間がかかることは、仕事でよく知っている。知っていて、「ありがとう」とだけ言う。

8月25日、給料日だった。朝、携帯に入金の通知が届いた。30万円。私はその画面をしばらく見ていた。それから紙を1枚出して書いた。家に入れる分5万円。実家の母は「いらない」と言ったが、「光熱費くらいは私に持たせて欲しい」と頼んで決めた。貯金7万円、食費と日用品4万円、自分のもの3万円。残りは11万円。これは車のための積み立てにする。半年貯めれば、中古の1台くらいには届く。免許は独身の頃に取った切りだ。母を病院へ連れて行くのに、そのうちいると思っている。書き終えて紙を見た。どの行も、私が決めた行だった。

昼前、母を誘った。「あのお店、まだある?」「あるわよ。この前も前を通ったもの」駅前の定食屋だった。カウンターが6席、テーブルが3つ。父と母が通っていた店の息子さんがやっているという。母はハンバーグを頼んだ。私はエビフライにした。「半分こする?」「するに決まってるでしょう」母はそう言って、来る前から皿の位置を決めていた。私は母の顔を見た。正面から見たのは久しぶりだった。前より小さくなっていた。8年、この人は1人で1人分の食事を作っていた。私はその間、かず子の買ってきたもやしを使い切っていた。私たちは半分ずつ交換した。父と母がやっていたのと同じやり方だ。食べ終わって、私は伝票に手を伸ばした。「今日は私が出すよ」母が驚いた顔をした。「急にどうしたの?」「自分のお金を自分で使えるのが、ちょっと嬉しくて」母は何か言おうとしてやめた。それから小さく頷いた。「じゃあ、ごちそうさま」店を出ると、8月の日差しが強かった。母が日傘を開いて、私の方へ半分かけてくれた。「また来ようね」「来月にする」「来月ね」今度はその言葉に嘘がなかった。3年前の3月に「来月ね」といった約束だった。果たすのに、3年と5ヶ月かかった。

3年の間、私は自分が我慢しているのだと思っていました。取られていたのはお金だと思っていました。あの日、義母から渡された1万円を見て、私は初めて気づきました。自分で稼いだお金なのに、使う許可まで誰かにもらう必要なんてなかったんです。これからは、自分の献立を自分で組んでいきたい。足りない分をどこから持ってきて、余った分をどこへ回すか。それを決めるのは、「任せておけ」と言った人ではない。数えた人だ。