夕食の食器を洗っていた手が、思わず止まりました。
「明日から、1人で暮らしてくれ」
息子・卓郎の口から出た言葉に、私は耳を疑いました。振り返ると、深刻な表情の卓郎と、その隣で腕を組む嫁のまゆかさんの姿がありました。
私は大森、72歳。夫を亡くしてから12年、この家で息子夫婦と共に暮らしてきました。元看護師長として培った家事能力を生かし、家族のために尽くしてきたつもりです。
「母さん、話があるんだ」
卓郎が重い口を開きました。42歳になる彼の顔は、どこかよそよそしく冷たさを帯びていました。
「何かしら」
私は濡れた手をエプロンで拭きながら、不安な気持ちを押し殺して尋ねました。
「明日からは、母さんには1人で暮らしてもらいたい」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れていくような気がしました。まゆかさんは、私の驚く顔を見て薄く笑みを浮かべています。
「急にそんなこと言われても……」
私の声は震えていました。この家で家族として過ごしてきた日々が、まるで幻だったかのように感じられたのです。
私の頭に、この12年間の記憶が走馬灯のように蘇ってきました。卓郎が結婚したのは、ちょうど私が定年退職した時でした。40年以上勤めた病院を離れ、新しい生活が始まったばかりの頃です。
「お母さん、一緒に住んでくれない。まゆかも仕事があるし、家のことをお願いできたら助かるんだ」
あの時の卓郎の言葉を、私は今でもはっきりと覚えています。以来、私は毎朝5時に起きて家族の朝食を準備し、掃除、洗濯、買い物と、1日時間に追われる日々を送ってきました。孫が生まれてからは、保育園の送り迎えも私の仕事になりました。
「お母さんがいてくれて、本当に助かります」
まゆかさんもかつてはそう言って、感謝の言葉を口にしていたものです。庭の手入れも町内会の活動も、全て私が引き受けてきました。近所の方からは「大森さんのお宅はいつも綺麗ですね」と褒められ、それが息子夫婦の評判にも繋がっていたはずです。
卓郎とまゆかさんは共働きで、朝早く出て夜遅く帰ってくる毎日。家のことは完全に私に任せきりでした。それでも私は、家族のためならと思い、喜んでその役割を果たしてきたのです。
なのに、今になって「1人で暮らして」とは。私の胸に言いようのない悲しみと怒りが込み上げてきました。
「どうして急にそんなことを言うの?」
私は震える声で尋ねました。卓郎はまゆかさんと目を合わせてから、まるで準備していたセリフを読み上げるように話し始めました。
「母さんも年だし、僕たちも自立しないといけないと思うんだ。いつまでも母さんに頼ってばかりじゃダメだって。まゆかとも話し合ったんだよ」
自立? 今更、何を言っているのでしょうか。私は息子の言葉に耳を疑いました。
「でも、家事は全部私がやっているじゃない。孫の世話も……」
「それは母さんが好きでやってることでしょう」
まゆかさんが口を挟んできました。その声には、今まで聞いたことのない冷たい響きが含まれていました。
「正直に言うと、お母さんがいると息が詰まるんです。私たちのプライバシーも大切ですし、夫婦だけの時間も必要なんです」
12年一緒に暮らしてきて、今更そんなことを言うなんて。私は言葉を失いました。
「それに、孫ももう小学生になったし、お迎えも必要なくなっただろう。母さんの役目は終わったんだよ」
役目が終わった――。その言葉が私の心に深く突き刺さりました。まるで使い終わった道具のように扱われている気がして、悔しさで胸がいっぱいになりました。
しばらくの沈黙の後、卓郎が再び口を開きました。
「実は、もう1つ理由があるんだ」
彼の表情が少し気まずそうになりました。
「まゆかの妹夫婦が、仕事の都合で東京に引っ越してくることになってね。しばらくうちに住むことになったんだ」
私は自分の耳を疑いました。まさか、妹夫婦のために私を追い出すというのでしょうか。
「妹夫婦が来るから、私は出ていけと?」
「そういう言い方はやめてよ、母さん」
「でも、部屋も限られているし、私の部屋を妹さんたちに使わせるということね」
まゆかさんが悪びれもせずに言いました。
「そうです。妹は今妊娠中で、静かな環境が必要なんです。お母さんがいると、どうしても生活音が……」
私は朝早くから家事をこなし、できるだけ音を立てないように工夫してきたつもりです。それなのに、今になってそんなことを言われるなんて。
「じゃあ、私はどこに行けばいいの?」
「母さんなら1人でも大丈夫でしょう。看護師の経験もあるし、年金もあるんだから」
卓郎の言葉に、私は愕然としました。まるで私が1人で生きていけるから、追い出しても構わないと言っているようでした。
「12年間、この家で家族として暮らしてきたのよ。それを、明日出ていけなんて……」
「そんな大げさに考えないでくださいよ。別に縁を切るわけじゃないんだから」
まゆかさんが面倒くさそうに言いました。
「月に1度くらいは会えるでしょうし、お母さんも自由な時間が増えていいじゃないですか」
自由な時間――。私は今まで家族のために時間を使うことを幸せだと思っていました。それを今になって、まるで私が束縛されていたかのように言われるなんて。
「明日の朝には荷物をまとめてもらえる? 義妹たちが明後日には来るから」
卓郎の言葉に、私は言葉を失いました。たった1日で、12年分の生活を整理しろというのです。
「もう決めたことだから、母さんも理解してくれるよね」
その時の卓郎の顔は、まるで他人を見るような冷たさでした。私が育てた息子の顔ではありませんでした。
「お母さん、これも私たちのためだと思ってください」
まゆかさんの言葉が、私の心に最後のとどめを刺しました。私は深く息を吸い込み、震える声で答えました。
「わかりました。明日、出ていきます」
その瞬間、卓郎とまゆかさんの顔に安堵の色が浮かびました。まるで、面倒な問題が片付いたとでも言うような表情でした。
私は黙って立ち上がり、自分の部屋へと向かいました。背中に2人の視線を感じながら、私は一度も振り返りませんでした。12年間住み慣れた家が、急に他人の家のように感じられました。
部屋に入ると、涙がこぼれてきました。しかし、その涙は悲しみだけではありませんでした。怒り、悔しさ、そして裏切られた思いが混ざり合った、複雑な感情の涙でした。
明日から、私はどこで暮らせばいいのでしょうか。72歳にして、突然家を追い出される。こんなことがあっていいのでしょうか。窓の外を見ると、夜の闇が広がっていました。その闇が、まるで私のこれからの人生を暗示しているようで、不安で胸がいっぱいになりました。
でも、同時に私の中で何かが変わり始めていました。今まで抑えてきた感情が、静かに、しかし確実に湧き上がってきたのです。
***
翌朝、私が荷物をまとめていると、卓郎がリビングに現れました。
「母さん、これからのことだけど……」
彼は封筒を差し出してきました。中を見ると、現金が入っています。
「生活費として、月3万円なら援助できる。これで何とかやっていけるでしょう」
月3万円――。私は自分の耳を疑いました。この12年間、私が無償でしてきた家事の価値を、彼はたった3万円だというのでしょうか。
「3万円で1人暮らしができると思っているの?」
「母さんには年金もあるでしょう。それと合わせれば十分じゃないか」
まゆかさんもキッチンから顔を出して言いました。
「そうですよ。お母さんの年金、月25万円くらいあるんでしょう。1人なら十分やっていけますよ」
私の年金額まで把握していたことに驚きました。まるで最初から計算していたかのようです。
「私が今までこの家でしてきたことは、お金に換算したらいくらになると思う?」
私は声を振り絞って問いかけました。毎日の食事作り、掃除、洗濯、買い物、孫の世話、庭の手入れ、町内会の活動――。
「それは母さんが好きでやってたことでしょう。誰も頼んでないよ。母さんが勝手にやってたんだ」
勝手に――。私は息をのみました。
「じゃあ、私がいなくなったら誰がするの?」
「それは僕たちでなんとかするよ。今は便利な家電もあるし、家事代行サービスだってある」
まゆかさんが口を挟みました。
「そうです。むしろお母さんがいなくなれば、私たちも家事を覚えるいい機会になります」
彼女の言葉には、まるで私が彼らの成長を妨げていたかのような響きがありました。
「それに正直なところ、お母さんのやり方は古いんです。もっと効率的な方法があるのに、いつも昔ながらのやり方で――」
私のやり方が古い――。40年以上、看護師として働き、清潔と効率を第一に考えてきた私のやり方が。
「孫の教育方針についても、お母さんとは考えが合わないことが多くて」
まゆかさんが続けました。
「甘やかしすぎなんです。おやつも手作りにこだわって。市販のものを買えばいいのに」
手作りのおやつは、孫の健康を考えてのことでした。添加物の少ない、愛情のこもったものを食べさせたかっただけなのに。
「とにかく、母さんがいると僕たちも甘えてしまうんだ」
卓郎が締めくくるように言いました。
「これを機に、僕たちも自立するよ。母さんも自分の人生を楽しんでよ」
自分の人生――。私の人生は、この12年間、家族と共にあったのです。それを今更「楽しめ」と言われても。私が今までしてきたことは、全部無駄だったということ?
「無駄じゃないよ。でも、それは当然のことでしょう。親なんだから」
当然――。その言葉が私の心を深くえぐりました。
「お母さん、変に干渉的にならないでください」
まゆかさんが冷たく言いました。
「私たちだってお母さんには感謝してます。でも、いつまでも一緒にいるわけにはいかないでしょう」
感謝していると言いながら、その目は私を見ていませんでした。
「わかりました」
私は静かに答えました。
「ただ、1つだけ聞かせて。もし私が病気になったり、介護が必要になったりしたら――」
卓郎とまゆかさんは顔を見合わせました。
「その時は……施設とか、色々あるでしょう」
卓郎の答えに、私は全てを理解しました。彼らにとって私は、都合のいい時だけ必要な存在。用が済めば、簡単に切り捨てられる存在だったのです。
「そうね。施設ね……」
私は力なく微笑みました。でも、その笑みの下で、私の心は静かに、しかし確実にある決意を固めていました。
「じゃあ、私は荷物をまとめるわ」
立ち上がろうとした時、卓郎が付け加えました。
「あ、そうだ。家の鍵は置いていってね。セキュリティのこともあるから」
鍵まで取り上げるのか。私は黙って頷きました。もう何を言っても無駄だと分かっていたからです。
***
部屋に戻ると、私は静かに、しかし着実に荷物をまとめ始めました。12年分の思い出をダンボール箱に詰めながら、私の中で何かが音を立てて変わっていくのを感じていました。
その夜、私は一睡もできませんでした。でも、眠れなかったのは悲しみのためではありません。私の頭は、これからのことを考えてむしろ冴え渡っていました。
深夜2時、私は静かに立ち上がり、家中を見回り始めました。12年間毎日掃除してきたこの家。隅々まで知り尽くしているつもりでしたが、今夜は違う目で見ていました。
まず書斎に向かいました。卓郎が無造作に置いている重要書類の束。その中から、私は1枚の書類を見つけました。この家の登記簿です。名義人の欄を見て、私は小さく微笑みました。
大森――。そう、この家は私の名義だったのです。亡き夫が残してくれた遺産で購入し、息子家族のためにと思って一緒に住んでいただけ。卓郎はそのことを、すっかり忘れているようでした。
次に私は台所の引き出しを開けました。光熱費の領収書、町内会費の記録――。全て私の口座から引き落とされていることを示す書類が並んでいます。月々の支払いは、合計すると8万円を超えていました。
「知らなかったのね、卓郎」
私はつぶやきました。彼らは、私が全て管理していることさえ気づいていなかったのでしょう。
リビングの本棚には、孫の成長記録が並んでいます。保育園の連絡帳、予防接種の記録――。全て私の字で書かれていました。お迎えの時間、好きな食べ物、苦手なもの。私は孫のことを、誰よりもよく知っていました。
私がいなくなったら、あの子は寂しがるでしょうね。でも、もう私には関係のないこと。そう自分に言い聞かせました。
夜が明け、私は最後の準備を始めました。まず家中の私物を丁寧に片付けました。写真、手紙、思い出の品々。でも、不思議と未練は感じませんでした。
次に、私は一通の手紙を書きました。
「卓郎、まゆかさんへ。言われた通り出ていきます。12年間、お世話になりました」
たったこれだけ。他に書くことはありませんでした。
荷物をまとめながら、私は重要な書類だけを選別しました。通帳、印鑑、保険証券、年金手帳。そして、この家の権利書も当然、私の鞄に入れました。
朝6時、いつものように朝食の準備を始めようとして、手を止めました。もう、私の仕事ではないのね。代わりに私は冷蔵庫を開けて、中を確認しました。作り置きのおかずも、下ごしらえした食材も、全て処分しました。私がいなくなれば、どうせ誰も使い方が分からないでしょうから。
7時、卓郎とまゆかさんが起きてきました。
「あら、朝ご飯は?」
まゆかさんが不思議そうに聞きました。
「もう、私の仕事ではありませんから」
私は静かに答えました。
「今日から自立されるんでしょう? 朝食作りから始められたら、いかがですか?」
まゆかさんは戸惑った顔をしましたが、何も言いませんでした。
8時、私は玄関に立っていました。ダンボール3つと、スーツケース1つ。72年の人生が、これだけに収まってしまいました。
「じゃあ、行くわね」
「母さん、連絡先は――」
卓郎が慌てたように聞きました。
「必要ないでしょう。月3万円は、振り込んでおいてください」
私は口座番号を書いた紙を渡しました。
「でも、何かあった時は――」
「何かって、何かしら? 私はもう家族ではないんでしょう」
卓郎は言葉に詰まりました。
玄関を出る前に、私は鍵を置きました。チャリンという音が、妙に大きく響きました。
「さようなら」
振り返らずに歩き始めた私の背中に、まゆかさんの声が聞こえました。
「お母さん、妹たちにもよろしく伝えておきますね」
その言葉に、私は立ち止まることなく、手を軽く振っただけでした。
タクシーに乗り込むと、運転手さんが優しく聞いてくれました。
「どちらまで?」
「海の見えるところまで、お願いします」
走り出したタクシーの窓から、小さくなっていく家を見つめながら、私は不思議な解放感を覚えていました。12年間の重荷を、やっと下ろすことができたような――。
「長い旅行にでも行かれるんですか?」
運転手さんの問いかけに、私は微笑みました。
「ええ、新しい人生という長い旅に出るんです」
***
貯金通帳には、思った以上の金額が残っていました。看護師時代からコツコツ貯めてきたお金、そして夫の遺産の残り。息子家族のためにと思って使わずにいたお金が、今、私の新しい人生を支えてくれることになりました。
海が見えてきた時、朝日が水平線から登ってきました。新しい1日の始まり。そして、私の新しい人生の始まりでもありました。
私が海辺の町について新しい生活を始めたその日の夕方、卓郎は定時で退社したそうです。後でまゆかさんからのメッセージで知ったのですが、早く帰ってきてという慌てた連絡が入っていたようでした。
私には、家で何が起きているか手に取るように分かりました。まず、電気が止まったはずです。なぜなら、電気代は私の口座から引き落とされていましたから。出る前に電力会社に連絡して、引き落としを停止してもらっていたのです。卓郎たちはそのことを知らなかったのでしょう。今頃、真っ暗な家で慌てているでしょうね。
私は海を見ながら、小さくつぶやきました。きっとまゆかさんは夕食も作れずに困っているはずです。冷蔵庫の中身は私が全て処分しましたから。作り置きのおかずも、下ごしらえした野菜も、何ひとつ残していません。
「自立するって言ったんだから、ゼロから始めればいいのよ」
そんな中、私の携帯に保育園から電話がありました。
「大森さん、今日のお迎えはいかがなさいますか?」
「申し訳ありません。私はもうそちらにはお迎えに行けません。息子か嫁に連絡してください」
保育園の先生は驚いた様子でしたが、私は事情を話しませんでした。
その後も、私の元には様々な連絡が入りました。町内会長からは「会計報告書はどうなっていますか」という問い合わせ。私が5年間町内会の会計を務めていたことを、卓郎たちは知らなかったでしょう。
「申し訳ありません。息子に引き継ぎますので、そちらに連絡してください」
ガス会社、水道局からも、引き落とし停止の確認電話がありました。月々の光熱費、合わせて8万円以上。それを私が負担していたことを、今頃になって卓郎たちは知ったはずです。
さらに、私は内容証明郵便を送りました。弁護士の友人に相談して、正式な書面を作成してもらったのです。明け渡し請求――。この家は亡き夫が残してくれた財産で、私の名義で購入したもの。息子家族のためにと思って一緒に住んでいましたが、もう必要ないと言われたのですから、お返しするのが筋というものでしょう。
その日の夜、卓郎から何度も電話がありました。でも、私は出ませんでした。まだ話す時期ではないと思ったからです。
留守番電話には、卓郎の慌てた声が入っていました。
「母さん、この家が母さんの名義だったなんて知らなかった。話し合おう。お願いだから連絡してくれ」
まゆかさんからのメッセージもありました。
「お母さん、お願いです。出ていけなんて本気じゃなかったんです。妹も、結局来ないことになりました。帰ってきてください」
妹が来ないことになった――。きっと、荒れ果てた家を見て、実家に帰ったのでしょう。私がいなければ、あの家はただの箱です。
***
2週間後、卓郎が私の居場所を突き止めました。元同僚の看護師仲間から聞き出したようです。
海の見えるカフェで、久しぶりに息子と向き合いました。卓郎はやつれた顔をしていました。
「母さん……」
「どうしたの、卓郎。随分痩せたみたいね」
「母さん、帰ってきてくれ。俺たちが間違ってた」
私は静かに首を横に振りました。
「もう遅いのよ。私も新しい生活を始めたの。来週から、こちらのクリニックで看護師として働くことになったわ」
「でも、家は母さんのものだろう。俺たちを追い出すつもりか」
「あら? 私は『邪魔者だから出ていけ』と言われたのよ。同じことをお返ししているだけ」
卓郎は言葉を失いました。
「生活費の月3万円もいらないわ。私には年金もあるし、また働けるから。あなたたちこそ、家賃を払わないといけなくなるでしょうから。大変ね」
「母さん、本気で言ってるのか?」
「本気も何も。これが現実よ。私の役目は終わったんでしょう? だったら、私の家に住む理由もないはずよ」
卓郎はうつむきました。
「子供たちが、母さんに会いたがってる」
「孫には会いたいわ。でも、月に1度くらいでいいんじゃない? まゆかさんがそう言ってたでしょう」
私は自分で言いながら、不思議と心が痛みませんでした。もう、過去の私ではないのです。
「まゆかも反省してる。家事ができなくて、仕事も手につかないって」
「あら、それは大変ね。でも、いい機会じゃない。家事ができれば――」
卓郎の目に涙が浮かんでいるのが見えました。でも、私の心は動きませんでした。12年間の献身を「当然」と言われた時から、何かが壊れてしまったのです。
「母さん、お願いだ」
「卓郎、もう決めたことよ。あなたたちには1ヶ月の猶予をあげる。その間に、新しい住まいを探しなさい」
私は立ち上がりました。
「じゃあ、私は行くわ。新しい職場の準備があるから」
卓郎を残して歩き去りながら、私は不思議な解放感を覚えていました。重い荷物を下ろしたような、そんな感覚でした。
振り返ると、卓郎がまだ座ったままでした。その姿が、12年前に「一緒に住んでください」と頼んできた時とは、まるで別人のように見えました。
***
卓郎との面会の翌日、私は新しい職場での勤務を始めました。小さなクリニックでしたが、院長先生は私の経験を高く評価してくださいました。
「大森さん、ベテランの看護師さんが来てくださって、本当に助かります」
12年ぶりの白衣に袖を通した時、不思議と違和感はありませんでした。むしろ、これが本来の私の姿だったのだと実感しました。
患者さんたちも、私を温かく迎えてくれました。
「優しい看護師さんが来てくれて嬉しいわ」
仕事を終えて海辺のアパートに帰ると、夕日が水平線に沈んでいきます。1人で食べる夕食も、不思議と寂しくありませんでした。好きなものを、好きな時間に、好きなだけ食べられる。こんな当たり前のことが、こんなにも幸せだったなんて。
ある日、元同僚の看護師仲間が訪ねてきました。
「信江さん、元気そうで安心したわ」
「本当に、今が一番元気かもしれない」
私たちは海の見えるカフェでお茶を飲みながら、昔話に花を咲かせました。
「息子さんのところは、大丈夫なの?」
友人の問いかけに、私は静かに微笑みました。
「あの子たちには、自立するいい機会を与えたつもりよ」
実際、卓郎からは毎日のように電話やメッセージが来ていました。しかし、私は一切応答しませんでした。
ある日の留守番電話には、こんなメッセージが入っていました。
「母さん、まゆかが体調を崩してしまった。家事と仕事の両立ができなくて、俺も限界だ。お願いだから、一度でいいから話を聞いてくれ」
私はそのメッセージを聞いても、心が動きませんでした。12年間、私は家事と孫の世話をしながら町内会の仕事もこなしていました。それを「当然」と言った人たちが、今更何を言うのでしょうか。
別の日には、まゆかさんからの手紙が届きました。
「お母さん、本当に申し訳ありませんでした。私が間違っていました。お母さんがどれだけ大変だったか、今になってよくわかります。どうか許してください」
手紙を読み終えて、私は静かにそれを引き出しにしまいました。許す・許さないの問題ではないのです。一度壊れた信頼関係は、簡単には元に戻りません。
1ヶ月の期限が近づいた頃、卓郎から最後の連絡がありました。
「母さん、俺たちはアパートを借りることにした。家は……母さんの好きにしてくれ」
私はその知らせを聞いて、ようやく卓郎に返事をしました。
「新しい生活を始めるのね。頑張って」
「母さん……本当にこれでいいのか?」
「いいも悪いも、あなたたちが選んだ道でしょう。私も、自分の道を選んだだけよ」
電話を切った後、私は久しぶりにあの家のことを考えました。12年間の思い出が詰まった家。でも、もう私には必要ありませんでした。
***
翌月、私はあの家を売却することにしました。売りに出したところ、思った以上の値段で、すぐに見つかりました。そのお金で、私は海の見えるマンションを購入しました。広くはないけれど、私1人には十分な広さです。
新しい生活も3ヶ月が経ち、私はすっかり海辺の町の住人になっていました。朝は海岸を散歩し、昼はクリニックで働き、夕方は趣味の読書や編み物を楽しむ。誰に気を使うこともない、自由な時間――。
ある日、クリニックの院長先生が言いました。
「大森さん、うちに来てくれて本当に良かった。患者さんからの評判も、すごくいいんですよ」
「ありがとうございます。私こそ、また働けて幸せです」
72歳で新しい仕事を始められるなんて、半年前の私には想像もできませんでした。週末には看護師仲間とランチに行ったり、温泉旅行を楽しんだりしています。
「信江さん、本当に輝いてるみたい」
「自由っていいものね。好きな時に、好きなことができるって」
私の言葉に、仲間たちも深く頷きました。
時々、孫のことを思い出します。でも、それも遠い昔のことのように感じられます。卓郎たちが選んだ道。私には、もう関係のないことです。
ある日曜日、私は海岸のベンチに座って、穏やかな波を眺めていました。隣に座った老夫婦が仲良く手を繋いでいるのを見て、亡き夫のことを思い出しました。
「あなた、私、今とても幸せよ」
心の中で、夫に語りかけました。きっと夫も、今の私を見て喜んでくれているはずです。
夕方、アパートに戻ると、郵便受けに卓郎からの手紙が入っていました。でも、私は開封しませんでした。もう、過去を振り返る必要はないのです。
私は台所に立ち、自分のためだけの夕食を作り始めました。好きな音楽をかけながら、ゆっくりと料理を楽しむ。これが、私の新しい日常です。
人は皆、人生の中で様々な選択をします。時には家族のために自分を犠牲にすることもあるでしょう。でも、それが当然だと思われ、感謝もされず、挙げ句の果てに邪魔者扱いされたら――。私の選択は、決して間違っていなかったと思います。72歳にして、やっと本当の自分の人生を歩み始めることができたのですから。
理不尽な扱いを受けた時、我慢し続ける必要はありません。自分の価値を認めてくれない人のために、自分を犠牲にする必要もありません。何歳になっても、新しい人生を始めることはできるのです。
今、私は心から言えます。「私は幸せです」と。
海風に吹かれながら、私は明日からの新しい1日を楽しみにしています。クリニックでは新しい患者さんが来る予定ですし、週末には仲間たちと小旅行も計画しています。
これが、私が選んだ新しい人生。誰のためでもない、私自身のための人生です。



