警察に通報したやつは消されるぜ。
そう言い放った少年の顔は、勝ち誇った笑みで歪んでいた。
なるほど。こいつはいつも「父親がヤクザの若頭だ」と言って、周囲を脅しているのか。
俺も父親のいる柳原組の組員だからな。敵に回さない方がいいのは、お前でも分かるよな?通報するなんてバカなことしねえよな。命は惜しいだろ。
組の名前まで出してくるとは。虎の威を借る狐とは、まさにこのことだ。
俺はそのあまりに幼稚な言動に呆れ、ため息をついた。
通報しない。組の名前を言え。
若造はまだ気付いていない。自分が誰の息子に手を出してしまったのかを。
俺の名前は神田正仁。五十五歳。妻の綾奈と、高校生の一人息子・正典の三人で暮らしている。
俺はとあるヤクザ組織の関係者だ。綾奈はそのことを知っているが、正典にはずっと秘密にしてきた。
親がヤクザだと知れば、息子が肩身の狭い思いをするだろう。友人関係にも影響が出るかもしれない。だから正典には、俺はただの会社員だということにしている。
彼が成人したら、自分の正体を打ち明けると決めていた。その後、どう付き合っていきたいかは、正典自身に選ばせようと思っていた。
もし距離を置きたいと言われたら、それも仕方がない。寂しくはあるが、親として影から見守るだけだ。
家族の関係は良好で、何も問題はないと思っていた。だが、ここ数ヶ月、正典の様子がおかしくなった。
以前は俺にも綾奈にも普通に話していたのに、最近はどこか上の空で、あまり会話ができない。しつこく話しかけると、そっけない返事をして自分の部屋に引き上げてしまう。まるで俺たちを避けているようだった。
反抗期というものはなかったから、今頃来たのかもしれない。そう思い、しばらく様子を見ることにした。男の子だ。何かしらの変化があってもおかしくはない。そのうち落ち着いたら、自分から話してくるだろう。
しかし、いつまで経っても態度は変わらない。そんなある日、たまたま服の隙間から見えた息子の腕に、生々しいアザのような跡を見つけてしまった。
まさか、学校でいじめられているのか。
「正典。最近学校はどうだ?」
「特に何もないよ。普通だ」
「本当か?何か困ったことがあるなら、俺に話してくれていいんだぞ」
「本当に何もないって。何をそんなに心配してるの?」
「まさのり、正典にアザができてるらしいじゃない」
「転んでぶつけただけだよ。ちょっと心配しすぎ」
「何もないなら、それに越したことはないんだが」
「ごちそうさまでした」
夕食を三人で囲みながら、それとなく学校の様子を尋ねてみたが、正典は「何もない」の一点張りで、すぐに自室へ行ってしまった。
「本当に大丈夫だと思う?」
「どうだろうな。正典も男だ。何かあったとしても、自分でどうにかしたいと思っているのかもしれない」
「でも、思い詰めすぎて変な考えを持ったりしたら……」
「そうならないように、俺たちはしばらく見守ろう。正典が助けを求めてきたら、いつでも手を差し伸べられるようにな」
「そうね。分かったわ」
心配そうな綾奈をなだめ、俺は残りの飯を食べた。
確かに心配ではあるが、しつこくして正典の心を固く閉ざしてしまっても困る。それに正典はサッカー部に所属していて、体を鍛えている。少し手を出されたくらいで大怪我をすることもないだろう。
個人的には「やられたらやり返せ」と思うが、それは本人の気持ち次第だ。
それから数週間が経った頃、正典が友達の家に泊まりに行くと言うので、俺と綾奈は久しぶりに夫婦で外食に出かけることにした。
三人での食事はよくあるが、二人きりで出かけるのはかなり久しぶりだ。二人とも軽く酒が入り、美味い料理をつまみながら、他愛のない会話を楽しんでいた。
デザートを食べながら会話を続けていると、突然、綾奈のスマホが鳴り始めた。
「こんな時間に誰かしら。……登録していない番号ね。市街局番は、この近所のものみたいだけど」
「俺が出る。スマホを貸してくれ」
電話の相手は、総合病院の救急外来の看護師だった。
正典が全身ズタボロの状態で公園に倒れているのを近所の人が見つけ、救急車を呼んでくれた。今、病院に搬送されてきたという。
ポケットに入っていた財布の中に学生証があり、緊急連絡先として綾奈の番号が登録されていたため、連絡をしてきたらしい。
俺は慌てて「今すぐ行く」と伝え、会計を済ませると、綾奈と一緒にタクシーに飛び乗った。
病院に着き、案内された病室で、俺たちは言葉を失った。
全身包帯でぐるぐる巻きにされた正典が、ベッドに横たわっていたのだ。
「正典!」
綾奈が悲鳴のような声を上げてベッドに駆け寄る。足にはギプスがはめられ、骨折していることは一目で分かった。包帯の隙間から覗く肌には、無数の細かい傷も見える。
俺は怒りで震えた。一体誰が、俺の息子にこんなことを。
「父さん……母さん……」
「話せるか?大丈夫なのか?」
「まだちょっと痛いけど……鎮痛剤が効いてるみたいだから、大丈夫だよ」
「一体、何があったんだ?」
「それは……」
正典は言い淀み、視線を窓の外へ逸らした。俺と綾奈が交代でなだめながら話を聞き出そうとすると、数十分ほど経った頃、正典は観念したようにぽつりぽつりと話し始めた。
俺と綾奈が心配した通り、正典はいじめに遭っていた。
最初は標的になってはいなかった。しかし、同じサッカー部の友人がいじめられているのに気付き、止めに入ったところ、正典とその友人も一緒にいじめられるようになってしまったらしい。
いじめの首謀者の名前は片桐利久。学校の卒業生で、今でも構内に勝手に出入りしては問題を起こし、教師たちも手を焼いている不良だという。学校では教師の目があるため大胆な行動はしないが、いつも部活帰りを待ち伏せして、正典たちを殴ったり蹴ったりしてきていたらしい。
「やり返そうとも思ったんだけど……試合が近いからさ。喧嘩がバレて試合出場停止とかなったら、他の部員にも迷惑がかかるだろ?そう思ったら、何もできなかったんだ」
そうか。友達を守るために、部員のために、こいつは一人で耐えていたのか。
俺は息子の優しさに心を打たれると同時に、自分の不甲斐なさを恥じた。安易に「やり返せ」と考えていた自分が情けない。
「正典の気持ちは立派だ。だが、さすがにここまでされて、俺たちが黙っているわけにはいかない。それは分かってくれるな」
「……どうするつもり?」
「とりあえず、その片桐って奴と話をする。そいつの家は分かるか?」
「多分分かるけど……まだ家に帰ってないかも。さっき俺を殴り終わった後、ゲーセンに行くって言ってたから」
「分かった。とりあえず、家の住所と電話番号を教えてくれ」
俺は住所と電話番号を聞き出し、ある人物へ電話をかけた。念のために、片桐の顔が分かるものがないか正典に尋ねると、写メを持っているというので、それもメールで送ってもらった。
そして、部下へ指示を伝えると、綾奈に正典を頼むと言い残し、困惑顔の親子を病室に残して病院を後にした。
病院を出た俺は、片桐に直接電話をかけた。知らない番号だから何度も無視されたが、何度目かでようやく出た。
「誰だよ、うぜえな」
「君が片桐利久君かな?」
「そうだけど。あんた誰だよ」
「俺は今日、君が病院送りにした神田正典の父親だ」
「は?正典の父親?……で、何の用だよ」
「俺の息子を病院送りにした責任を、君にちゃんと取ってもらおうと思ってね。今どこにいる?」
「は?なんでいちいち答えなきゃいけねえんだよ。めんどくせえ。おとといきやがれ」
片桐はそう言うと、一方的に電話を切った。
だが、俺は聞き逃さなかった。電話の背後で聞こえていた、騒がしいゲームセンターの音を。
俺は先ほど連絡した相手に再度電話をかけ、片桐の写メを送り、街のゲームセンターで探すよう指示を出した。
数分後、相手から「片桐を見つけました」と連絡が入った。俺は「手を出すな」と言い含め、タクシーに乗り込んだ。
ゲームセンターに着き、中に入ると、友人数人とふざけ合っている片桐を見つけた。
「片桐利久君だね」
「あ?誰だよ、ジジイ」
「さっき電話した、正典の父親だ。君と少し話がしたいんだが」
「てめえなんかと話すことは何もねえよ。さっさと消えろ」
「俺には話があっても、君にはなくても構わない。ここは騒がしいから、外に出よう。君たちはもう帰りなさい」
「あ?おい、何すんだ!こら!」
暴れる片桐の首根っこを掴み、そのままゲームセンターの外へ引きずり出した。一緒にいた友人たちは困惑しながらも、関わらない方がいいと悟ったのか、誰も止めに入らず、逃げるように去って行った。
「話せよ、クソジジイ!俺にこんなことして、ただで済むと思ってんのか!」
外に出ると、片桐は顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。
「そっちこそ、俺の息子を病院送りにして、このままで済むと思ってないよな」
「知るかよ!あいつがいい子ぶって、余計なことに顔を突っ込んできたのが悪いんだろうが!俺はそれを身を持って教えてやっただけだ!」
「君の言い訳を聞くために来たんじゃない。警察に通報されるのと、病院代を全額支払って、慰謝料を払うのと。どっちがいい?選ばせてやる」
「はっ!何ほざいてやがんだ?警察に通報なんかしたら、困ることになるのはてめえの方だぜ」
「おや。それはどういう理由で?」
「父ちゃんは若頭だ!警察に通報した奴は、消されるぜ!」
片桐はニヤニヤと笑いながら、勝ち誇ったように言い放った。
なるほど。いつも父親がヤクザの若頭だと言って、周りを脅しているというわけか。
「俺も、父ちゃんのいる柳原組の組員だからな。敵に回さない方がいいのは、お前でも分かるよな?通報するなんてバカなことしねえよな?命は惜しいだろ?」
どうやら本当に、どこかの組の関係者の息子らしい。だが、その程度の情報で俺が怯むと思ったのか。若いな。
「通報しない。組の名前を言え」
「はあ?何言ってんだ、このボケジジイ」
「だから、お前と父親のいる組の名前を言え」
「……お前、自分の言ってる意味が分かってんのか?」
「なんだ?言えないのか?お前がヤクザだっていうのも、父親が若頭だっていうのも、嘘か?」
「嘘じゃねえ!後で泣いても知らねえぞ!」
片桐はそう言うと、スマホを取り出し、父親らしき人物に電話をかけ始めた。
「あー、親父?なんか、俺に喧嘩で負けたガキの父親とかいうジジイが、俺に因縁つけてきてんだけど。親父、ちょっと痛めつけてやってよ」
俺はその隙に、先ほど指示を出した人物に電話をかけ、探索に出ていた全員をゲームセンターへ呼ぶよう伝えた。
俺が電話を切ると、片桐も通話を終えたようで、ニヤニヤしながら俺に話しかけてくる。
「親父、すぐに来るってよ。お前、終わったな」
「さあ、それはどうだろうね」
「強がってんじゃねえよ、一般人のジジイが」
それから五分後、ゲームセンターの前に、次々と黒塗りの車が現れた。車から降りてきたのは、黒いスーツを着たいかにも「裏社会の人間です」と言わんばかりの男たちの集団だった。
「……なんだ?」
次々に現れる男たちに、さすがの片桐も困惑の表情を浮かべる。男たちの一人が集団から進み出て、俺の前に来ると、さっと頭を下げた。
「お疲れ様です。ご指示通り、全員集合させました」
「おう。なんか思ったより多いみたいだが、一体何人体制で探してたんだ?」
「大体、五百人くらいかと」
「それはまた、たくさん集めたな」
「次期組長の御子息に手を上げた不届き者を見つけるのに、これくらい当たり前です」
その時、
「あ?親父!?」
片桐の父親が到着したらしい。大勢の黒ずくめの男たちを前に、目を丸くしながら声を上げた。
「おい、こいつが親父を呼べって言ってきたかと思ったら、なんかどんどん人が集まってきてさ……」
そう言って片桐が俺を指さすと、片桐の父親は俺の方を見て……目を見開き、一気に顔面蒼白になっていった。
「あ……あ、あなたは……!お、お疲れ様です!次期組長!」
「え、親父?」
俺に向かって勢いよく頭を下げる父親を見て、片桐は意味が分からないといった様子だ。
「ほう。お前が柳原組の若頭で、こいつの父親か」
「あ、はい!間違いないです!」
「そうか。実はな。こいつが俺の息子をボコボコにして、病院送りにしてくれたんだわ」
「そ、そんな……!大変申し訳ございませんでした!こいつには、よく言って聞かせておきますんで!」
「親父、なんでこんなジジイに頭下げてんだよ!バカ野郎!」
「この方はな!柳原組や、他の参加の組を束ねる本家・白菱会の、次期組長だぞ!」
「え……は?」
如何やら、片桐はようやく事の重大さに気付いた様子だ。
「お前は……なんて人の息子さんに手を出したんだ!柳原組なんて、一瞬で潰されちまうんだぞ!」
そう。実は俺は、この辺りのヤクザ組織を束ねる本家・白菱会の次期組長なのだ。現組長は体調が思わしくなく、引退を宣言しており、傘下の組にもその旨は通達済み。
数日後に控えた就任式を終えれば、俺は正式に本家の組長になる。
ちなみに柳原組は、参加の中でも小さな組織で、片桐の父親が言う通り、俺が一声かければ一瞬で潰すことも可能だろう。
「そ、そんな……!あいつは、そんなこと一言も……」
正典には秘密にしていたからな。彼が成人した時に伝えるはずだったが、どうやらもう隠しておけないようだ。
「どう責任を取ってもらおうか」
「す、すみません!でも!知らなかったんだから、仕方がないじゃないですか!」
「知らなかったら、一般人の人間に手を出してもいいのか?柳原組は、一般人に手を出すのは御法度だ。本家のルールを守ってないってことか?」
「い、いえ!まさか、そんなことはありません!こいつが勝手にやっていただけで……他の組員も組長も、俺も関係ありません!」
「親父、何言い出してんだよ!」
「うるさい!黙れ!お前には今まで何度もチャンスを与えてやってきたが、今回ばかりはどうにもならねえんだよ!」
「そ、そんなぁ……親父なら、どうにかしてくれるだろ……?」
「さっき、こいつにも伝えたんだが。大人しく警察に行くか、慰謝料を払うか。どっちにする?」
「け、警察に行きます!」
「だめだ!お前が捕まったら、組に迷惑がかかるだろうが!俺の地位もなくなる!慰謝料を払うってことで、お願いいたします!」
「慰謝料は三億になるが、それでもいいんだな」
「構いません!こいつを好きなように使ってくださって構わないので、どうかこの場は……」
「ち、ちょっと待て!三億なんて、俺に払えるわけねえじゃん!好きなようにって、なんだよ!」
「船に乗るなり、工場で働くなりして支払え。お前ももう大人なんだ。自分のケツは自分で拭け」
「そんなの嫌に決まってんだろ!警察に行って捕まった方がマシだ!」
「そんなことしてみろ。出てきた瞬間に、首を消されるぞ。俺はお前のことは構わないからな」
親子二人の醜いやり取りを、俺は黙って聞いていた。これも、今まで父親が息子を甘やかしてきたことの結果だろう。父親にも、今回の責任の一端はある。
「若頭。お前にも、監督不行き届きで責任を取ってもらうぞ」
「はっ……はい……」
「柳原組の組長には伝えておくから、お前は明日から下っ端の構成員に降格だ。分かったな」
「はい……」
「よし。話はまとまったみたいだし、こいつはこっちで預からせてもらうからな」
「よろしくお願いいたします……」
「い、嫌だ!助けてくれ!親父ぃ!」
泣き騒ぐ片桐を幹部に任せ、俺は一人の車に乗り込み、その場を後にした。
その後、組に戻った俺は、宣言通り柳原組の組長に連絡を入れ、今回の後始末として片桐の父親を降格させるように伝えた。
そして片桐は……ちょうどよく漁船が停泊していたので、その船に乗せて遠洋へ送り出した。片桐が次に陸地に足をつける時、それは三億の慰謝料を全額支払えるだけ稼ぎ終わった後だ。
正典は、幸いにも命に別状はなかった。脳のCTやMRIにも異常は見られなかったため、数日間病院で安静にした後に、家に帰ってくることができた。
まだ骨折は治りきっていないから、松葉杖で学校に通い、部活は見学しなければならないが、骨折さえ治れば日常生活に戻れるという。俺も綾奈も、一安心だ。
俺がヤクザだということは、今回の一件で正典に知られてしまった。だが、実は正典は少し前から、そうではないかと疑っていたらしい。
だが、それを俺に打ち明けないのは、自分のことを思ってのことだろうと察し、俺が打ち明けたいタイミングまで知らん顔をしておくことにしていたのだとか。
「父さんがどんな仕事をしていても、俺の父さんには変わりないし。それに、やばい人ならとっくに母さんに捨てられてるでしょ」
「……そうかもしれないわね」
「母さんが父さんのことを知った上で一緒にいるんだから、俺だって知ったからって離れたりするつもりはないよ。父さんはこう見えて、優しいし」
「正典……あのな、父さんはお前に嫌われたらどうしようって、ビクビクしてたんだぞ」
「それでも、ヤクザを続けるのには、父さんなりの理由があるんだろ?」
「……まあな。俺が若い頃に、生き倒れそうになっていた時に助けてくれたのが、今の組長だったんだ。だから俺は、あの人の大切にしている組を守りたいんだよ。もちろん、お前たち家族もな」
そう言うと、綾奈と正典は微笑みながら頷いてくれた。
俺はこれからも、この家族と、大切なものを守るために、胸を張って日々生きていこうと思っている。


