「あんたの母親、頭おかしいんじゃない?」
テニスサークルの先輩、りん子先輩が私を見て笑った。私は立花マリ、19歳。この春から私立大学に通う1年生。5歳の時に父を亡くしてから、母と2人で暮らしてきた。
入学してから始まった、先輩たちからの嫌がらせ。同級生の小蝶にも無視され、テニスサークルの練習では道具を壊されたと濡れ衣を着せられた。中心にいるのは東山りん子先輩とその取り巻きたち。大学内で目立つ存在だが、その悪さでも有名な人たちだった。
ある日の練習でのこと。とうとう私は我慢の限界に達した。
「すみません。今日は私も先輩たちに言いたいことがあります。練習道具を壊したり、備品が壊れた時も私のせいにしてますよね。母に何度も嘘をついて買ってもらった物ばかりなんです。もうやめてください」
「はあ? 言いがかりもいい加減にしなさいよ。証拠はあるの?」
りん子先輩は私の胸ぐらを掴んで睨んだ。
「後輩が先輩のやることに逆らうって、どんなことだか知ってるの? 本当にバカだよね」
それからも私は何度も訴えたが、彼女たちに響くことはなかった。
「ねえ、マリってさ、学園長の親戚なの?」
友人から突然そんなことを聞かれた。学園長と私の母が仲良さげに話しているのを見たという噂が、テニスサークルから広まっているらしい。その日を境に、私は人の視線を敏感に感じるようになった。学園長の親戚だと知って、媚びを売ってくる学生も増えた。確かに私は親戚だが、別に権力があるわけでもない。普通の大学生なのに。
そして、ある日の練習中。ボールが私の頭を目がけて飛んできた。
「わざと私の頭を狙って打ちましたよね? 下手したら大怪我するところでしたよ」
「正面向いてなかっただけよ。私のやることにケチつけるの? 生意気」
さらに先輩たちは言った。
「学園長の親戚なんでしょ? なら、あんたがこの大学に入れたのも納得できるわ。不正入学ってこと?」
「裏が取れたら噂を流してやろうか。そうすれば、さすがにこの子も大学にはいられなくなるでしょうね」
心の中で怒りが込み上げる。確かにこの大学は母のいとこが経営している。でも、私は自分の実力で入学した。不正入学なんて断じてない。それだけは絶対に間違っていない。
「先輩たち、後で校舎裏に来なさいよ」
その日の授業後、私は呼び出された。校舎裏にはりん子先輩たちと、なぜか野次馬の学生たちが集まっていた。
「調子に乗ってるから、ぶっ潰してあげる」
「来るなら来てください」
先輩たちは私に殴りかかってきた。私はその拳をひらりとかわし、彼女たちに言った。
「先輩、私は確かにテニスでは初心者ですけど、武術は初心者じゃないんですよ」
そして、私は本気を出した。りん子先輩の攻撃を避けると、そのまま隣にいた網美先輩を制し、りん子先輩の腕を掴んで地面に叩きつけた。
「わあ、すごい!」
周囲から悲鳴と歓声が湧き上がる。りん子先輩たちは顔を真っ赤にし、悔しさを滲ませながらその場を去っていった。
家に帰ると、母が出迎えてくれた。
「なんかいいことあったの?」
「実はさ、今まで苦手だった先輩を今日、倒してきたんだ」
「はあ? 倒したって、あんた人様の子に怪我なんてさせてないでしょうね?」
「うん。怪我はさせてないと思うよ。背負い投げしただけだし」
その夜、母と久しぶりにゆっくり話をした。今まで言えなかった学校での出来事。母はすまなそうに言った。
「悪かったわね。あんたが悩んでいることに、もっと早く気づくべきだった。これじゃあ母親失格だわ」
「母さんにそう言ってもらえただけで嬉しいよ。今まで学校の話なんて全然できなかったから。話ができただけで嬉しいんだ」
「マリ……私からも謝らせて。サークルの道具を何度も買ってもらって、ごめんね」
私たちは顔を見合わせて笑った。すると突然、部屋の扉が荒々しくノックされた。
「どうした? 入れ」
慌てた様子で入ってきたのは男たち。実は私の母は、元レディース総長で、今は1万人以上を束ねるヤクザの組長だったのだ。立花組。地域でどんな依頼でも引き受けると噂の組だが、対象は成人した大人だけ。学生は対象外だ。
「大学からの依頼者が来ております」
「大学生? うちは大学生相手の商売なんかしてないけど」
「とりあえず大広間で話を聞きましょう」
「マリ、お前はあの衝立の後ろに隠れてなさい」
私は震える足で衝立の後ろに隠れた。数十秒後、廊下を駆け抜ける足音が聞こえ、部屋に現れた人物を見て私は目を見張った。
「すいません。遠山りん子と申します。組長に折り入ってお願いがあって参りました」
なんと、りん子先輩とその取り巻き6人だった。
「うちの大学にいる生意気な1年生を、ぶっ潰してもらいたいんです。学園長の親戚らしくて、それを盾に散らしてるんです。今日、私らをボコしてきまして。後輩のくせに生意気じゃないですか? 本当にむかつく。あの子を大学から追い出したいんです。組長の力を貸してください」
「あなたたちとその1年生は、どんな関係なの?」
「テニスサークルの後輩です。陰気でどん臭くて、全然大学にもサークルにも馴染んでないんですよ」
私は衝立の影から母を見た。悔しさで涙がボロボロ出てくる。元はと言えば、私に絡んできたのは向こうなのに。
母は深くため息をついた。
「手を貸すことはできないわ。私たちはヤクザよ。あんたたちみたいな学生のお遊びには手を貸せない。それに、その理由も納得できない」
「はあ?」
「実は私にも、あんたたちと同じくらいの年の娘がいてね。もし娘があんたたちみたいなことを言い出したら、私はぶん殴ってでもやめさせるわ。陰気? どん臭い? 生意気? そんなのどうでもいい。馴染んでない? 大きなお世話よ。他人様のことを勝手に決めつけられるくらい、あんたたちは立派な人間なの?」
言葉を詰まらせるりん子先輩。それでも噛みつこうとする彼女に、取り巻きたちが戸惑いながら言った。
「ねえ、もうやめようよ」
「帰ろうよ」
「何言ってるの? ここまで来たんだよ。こんなとこで終わらせてたまるか」
次の瞬間、我慢の限界が来たりん子先輩が、隣にいた網美先輩を突き飛ばした。網美先輩はバランスを崩し、私が隠れていた衝立にぶつかって、その衝立が倒れた。
「え、た、立花?」
「あぁ、もうしょうがないわね。マリ、顔を上げなさい。見ての通り、うちの娘の立花よ。ちなみに、あんたたちが通ってる大学の学園長は、私のいとこね」
りん子先輩の顔が真っ青になる。私はゆっくりとりん子先輩に近づき、目を合わせた。
「先輩、さっきから母に結構な出鱈目を言ってくれましたね。私、大学で図に乗ってましたっけ? ヤクザの娘とバレないように、地道に生活していたつもりなんですけど」
「ご、ごめんなさい……」
「謝罪は、そこにいる母にして」
私は振り返り、隣に立った。
「ネットで騒いだ件は、学園長にもきちんと報告するから」
「はい……」
後日、先輩たちは大学から退学処分が下された。私はあの日から、変わらずテニスサークルで練習に打ち込み、就職活動にも励んでいる。
「ねえ、マリ。あんたさ、ヤクザの道には興味ないの?」
「うーん、そうだね。今は考えられないかな。私は夢だった大学生活を、ちゃんと送りたいから」



