お盆の座敷で、主人の母が私に言った。「家族の食卓に座らないでよ」。義姉が続ける。「嫁は、結局他人だからね」。並べた料理は5人前なのに、私の箸だけがない。義母の前で寿司をほおばりながら、夫は何も言わない。私は20年間、毎月20万円をこの家に送り続けてきた。それは食卓に座れない私の、唯一の居場所だった。でも、あの日気づいた。「他人」と言われながら、私はただの財布だったんだと。今日、私は20年分の…

お盆の座敷で、主人の母が私に言った。「家族の食卓に座らないでよ」。義姉が続ける。「嫁は、結局他人だからね」。並べた料理は5人前なのに、私の箸だけがない。義母の前で寿司をほおばりながら、夫は何も言わない。私は20年間、毎月20万円をこの家に送り続けてきた。それは食卓に座れない私の、唯一の居場所だった。でも、あの日気づいた。「他人」と言われながら、私はただの財布だったんだと。今日、私は20年分の...

お盆の座敷で、義母のよしえが箸を持ったまま笑った。
「家族の食卓に座らないでよ。」
畳の上の卓には、私が台所で並べた寿司と刺身と天ぷらが並んでいる。その中に、私の銑だけがない。皿も箸も湯呑みもない。私の席は、最初からなかった。
「あんた他人なんだから。」
義姉のマリ子が大トロをつまみながら言う。
「運び終わったなら、他人は帰れば。」
私は夫を見た。浩司は寿司をつまんだまま、目を上げない。
20年だ。この家に毎月20万円を送り続けてきた。その間ずっと台所で食べてきたが、前後と私の分がないのは初めてだ。
「他人は今すぐ出ていけ。」
よしえが畳を叩いた。私は座布団を外し、畳に手をついた。
「わかりました。では、帰りますね。」
「え、本当に帰るの?」
浩司がようやくこちらを見る。私は頭を下げた。
「他人がいたら邪魔でしょ。」
玄関の引き戸を閉めた。締め切った後で、座敷の笑い声がまた大きくなった。8月の日差しが目に沁みた。

私は北原エミ、54歳。食品メーカーの経理課長をしている。夫の浩司は56歳で、酒類販売店の営業課長だ。結婚して27年になる。子供は授からなかった。
話は20年前の夏から始まる。義父が亡くなった。64歳だった。金属加工の町工場を58歳で畳んだ人だ。厚生年金には入らず、国民年金しか掛けてこなかった。亡くなった時には、手元の金は尽きていた。義母のよしえは、自分の年金が出るまでまだ6年あった。
49日が済んだ夜、浩司が畳に手をついた。
「エミ、頼みがある。母さんを助けたいんだ。毎月20万送らせてほしい。」
私たちのマンションはまだローンが10年残っていた。頭金の300万円は、独身時代に私が貯めた金から出した。それなのに、名義は浩司になった。その時も私は何も言わなかった。
「じゃあ、私の給料から出すわ。」
そう言ったのは私だ。誰にも強いられていない。当時の私は34歳で、手取りは月34万円。そこから20万円を送れば、残りは14万円になる。その14万円と賞与で、2人の暮らしと私の実家の急な出費を賄うことになった。
「恩に着る。この金はエミの金だ。それだけは忘れない。」
私は筆箱からペンを1本出した。経理の人間の癖だ。口約束は、言った本人が一番先に忘れる。
「じゃあ、書いておいて。」
浩司は嫌な顔をしなかった。書類に、几帳面な字で並べた。
「母への毎月20万円はエミの給与から支出する。開始、変更、終了はエミが決める。」
日付と名前を書いて、判を押した。
翌週、2人で信用金庫の窓口へ行き、毎月25日に20万円がよしえの口座へ振り込まれる手続きをした。私の給料日と同じ25日にした。残高が足りずに送金が止まらないよう、私は前の月のうちに残しておくようになった。
その時、浩司が受付の女性に言った。
「振り込みの名義、俺の名義にできますか? 母が気にするので。」
私はその時も深く考えなかった。夫の実家に夫の名前で届く、それだけのことだと思った。
以来20年、240回。1度も欠かしたことはない。

途中で止めなかった理由は3つある。1つ目は、浩司が畳に手をついてまで頼んできた約束だったこと。2つ目は、私が止めれば悪者になると分かっていたこと。そして3つ目は、1度訪ねて2度と尋ねられなくなったことだ。
18年前、私は1度だけ、何に使われているのかを聞いた。
「母さんを疑うのか?」
浩司はそれだけで顔色を変えた。よしえに電話で聞いた時は、もっと早かった。
「大人気ないこと言わないでちょうだい。」
そう言って切られた。それからは聞けなくなった。

北原の家で私が受けてきたことは、3つに集約できる。名前を呼ばれないこと、行事の写真の輪に入れられないこと、料理を並べ終えたら台所に立たされること。
写真のことはいつも同じだった。法事でも正月でも、座敷にカメラを据えるとよしえが手を振る。
「あんたは撮る側でいいから。」
そう言って私にシャッターを押させる。北原の家のアルバムに、私が映っている1枚はない。27年で1枚もないというのは、偶然ではありえない。
正月のことも覚えている。座敷にいたのは身内だけだった。よしえとマリ子と浩司。私がおせちを運び終えると、よしえが台所を指した。
「あんた、あそこで食べてちょうだい。」
私は流しの前に立ったまま、里芋を1つつまんだ。座敷からマリ子の声が飛んでくる。
「立ってる方が片付けも早いでしょ。」
浩司は笑っていた。母と姉が笑うから、一緒に笑っていた。後で、玄関で私が黙っていると、上着を着ながらこう言った。
「怒るなよ。あの人たち、悪気はないんだから。」
悪気がない。その言葉を、この27年で何度聞いただろう。悪気がないなら、なぜ私の分の箸だけが出てこないのか。浩司はその答えを1度もくれなかった。
1度だけ、マリ子に言われたことがある。
「あんた、うちの弟に拾ってもらったんだから、それくらい我慢しなさいよ。」
拾ってもらった。27年前、私は自分の足で北原の家の敷居をまたいだつもりでいた。そう思っていたのは、どうやら私だけだったらしい。
「あんた、ちょっとよその人。」
27年、この家で私はそう呼ばれてきた。

20年目の夏だった。8月7日、お盆の1週間前によしえから電話が来た。
「今年もよろしくね。」
そう言った後、要件が続いた。寿司は特上を3人前とカッパ巻きを2人前、刺身の盛り合わせを1つ。天ぷらは私が揚げること。人数は5人。それから手土産の指定があった。
「去年のあれ、安いのが分かるからやめてちょうだいね。」
デパートの地下で1箱4000円の菓子折りを選んだつもりだった。私は返事だけして手帳に書いた。
30分後、マリ子から電話が来た。
「私は準備できないから、あんた前の日に来て。」
マリ子はスーパーのレジで週3日だけ働いている。前の日も後ろの日も休みだと知っていた。
「前の日は仕事なんです。当日の朝早く出ますから。」
「まあ、他人には他人の都合があるんでしょうけどね。」
電話は先に切られた。
お盆と正月の食事代と手土産は、20年毎回私が包んできた。1回で4万円、年に2回で8万円、20年で160万円。マリ子が包んだところは1度も見ていない。こういう数字が頭に残るのは、職業のせいだ。
3年前のことも数字として残っている。よしえから電話があった。
「あんた、まとまったお金がいるの。浩司に言っておいてちょうだい。事情は聞かないで。」
「いくらでしょうか?」
「280万。」
私は受話器を持ったまま黙った。私の手取りの7ヶ月分に近い。
横から浩司が受話器を取った。
「母さん、わかった。用意する。」
そして受話器を手で覆って私に言った。
「母さんは事情は言えないって言ってるんだから、黙って出してやれよ。」
私は翌日、よしえの口座へ振り込んだ。この時も、浩司は名義は自分にしてくれと言った。私は窓口で、依頼人の欄に夫の名前を書いた。
次に訪れた時、風呂と台所が新しくなっていた。誰も何も言わなかった。よしえもマリ子も浩司も、そこが新しくなったことに触れなかった。私も聞かなかった。聞けばまた同じことを言われるからだ。
金を出すことに理由はいらないのに、理由を聞くことだけには資格が要った。
振り込む前の週に、工務店から書類が一通うちに届いていた。宛名は私だった。差出人に心当たりがなく、封も切らずに置いたままにしていた。思い出して開けたのは、振り込んだ後だ。合計欄だけを見た。280万円。振り込んだ額と1円も違わない。数字が合っていれば、中まで読まない。それが32年の癖だ。

よしえには口癖がある。
「あの子は苦労してるんだから。」
あの子というのは、マリ子のことだ。浩司の2つ上の姉で58歳になる。12年前に離婚して、息子の信吾を連れて実家へ戻ってきた。話がその言葉に着地すると、その後は必ず金の話になる。信吾の学費、車の税金、屋根の雨漏り。
5年前の春も、電話はマリ子からだった。
「信吾の入学金、ちょっと足りないのよ。いくらか出してもらえない?」
いくらか、というのが240万円だった。私立の薬科大学は6年制で、初年度に納める額が大きい。私は振り込んだ。信吾は悪い子ではない。合格を知らせる電話をくれたのも、あの子だけだった。
「おばさん、ありがとう。」
それから5年、その口からその話は1度も出ない。誰かが出させないようにしているのだと思っていた。

8月10日の夜、私は家計簿の予定欄にペンを走らせた。20年で私の給料は上がった。係長から課長になって、手取りは月42万円になった。それなのに、私の名前の預金は20年でほとんど増えていない。上がった分は、その都度、義実家の急な出費に先回りされていた。よしえの入院と手術で180万円。信吾の大学入学の時の不足分で240万円。お盆と正月で160万円。風呂と台所で280万円。老後の積み立ての欄には、54歳の女が書くにはあまりに少ない数字が並んでいた。旅行は20年行っていない。車は14年乗っている。定年まで6年。
あの家の水回りは新しくなっていった。私の老後の欄だけが、20年開いたままだった。

8月12日の夜、電話が鳴った。戸田かず子さんだった。かず子さんは義父の妹で72歳になる。義父が亡くなってから、北原の親戚で私を名前で呼ぶ人は、この人だけになった。
「エミさん、お盆、うちにも寄ってちょうだいね。」
私の名前を呼ぶ声が耳の中でゆっくりとほどけていった。20年、私はこの声を頼りに耐えていたのかもしれない。
「兄さんはね、亡くなる前に私に言ったのよ。エミさんが困ったら相談に乗ってやってくれって。」
電話の向こうで、かず子さんの夫の三郎さんが低い声で相槌を打った。
「そうだ。」
その一言だけだった。三郎さんは75歳で、昔から言葉の少ない人だ。
「どうして今まで教えてくださらなかったんですか?」
私が聞くと、かず子さんはしばらく黙った。
「何度も言おうとしたのよ。でもね、私が口を出すと、あなたの立場が悪くなると思って。」
かず子さんは知っていたのだ。私が座敷に座らせてもらえないことも、写真の輪から外されることも、20年見ていて黙っていた。
「それでね、エミさん。本当は今年のお盆はやめておきなさいって言いたくて電話したの。」
「何かあったんですか?」
「よしえさんがね、親戚の電話でこう言ってるのよ。うちの嫁は気が利かないのって。それだけじゃないの。子供も産めないしねって。私、そこで電話を切ったのよ。」
耳が熱くなった。27年、私が1度も口にしなかったことだ。それをあの人は、電話口で親戚に配って歩いていた。
「かず子さん、ありがとうございます。でも、行きます。行かないと、それも私のせいになりますから。」
かず子さんは何か言いかけて、やめた。

翌日、会社の休憩室で総務課の桜井さんに給与の話をした。桜井さんは48歳で私より6つ下だ。
「毎月20万って、エミさんのお給料から丸ごと20万ってことでしょ?」
「丸ごと、ですよ。20年。」
桜井さんはしばらく私の顔を見ていた。それから眉を寄せた。
「エミさん、それ、ご主人のお母さんですよね。うちのローンはもうとっくに終わってますよね?」
言われて、私は黙った。うちのローンは10年前に終わっている。払い終えた時に、マンションを抵当に入れていた登記を消す書類は、私が法務局へ持っていった。知らなかったはずがない。知っていて、私はその10年、まだローンがあるからと自分に言い聞かせてきた。仕送りを続ける理由がとうに失くなっていたことに、気づかないふりをしていたのだ。
「エミさん、その20万、いつまで送るって決めてあるんですか?」
「決めてないの。」
「じゃあ、死ぬまでですね。」
桜井さんは悪気なく言った。悪気がないというのは、こういう時にこそ怖い言葉だと思う。
桜井さんは急に明るい声を出した。
「来年、温泉行きましょうよ。エミさん、旅行何年行ってないんですか?」
答えられなかった。数えてみて、20年より前だと分かった。
その夜、弟の秀樹から短い連絡が来た。51歳になる弟は、昔から回りくどい言い方をしない。
「姉ちゃん、それ、いつまで続けるの?」
私は返事を書きかけて、消した。20年前、秀樹は1度だけ止めようとしたことがある。
「20万は多すぎる。姉ちゃんの給料だぞ。」
あの時、私は弟にこう言った。
「浩司さんの立場もあるから、余計なことは言わないで。」
あの時、秀樹は電話口で黙って、それから一言だけ言った。
「姉ちゃんがそう言うなら、もう言わない。」
弟はそれから20年、本当に1度も言わなかった。私は20年ぶりのその一言を、3度読み返した。弟を黙らせたのは、弟ではない。私だ。
かず子さんに名前を呼ばれるだけで、こんなに息がしやすくなるのだと知った。その電話から2日後、私は名前どころか席まで失うことになる。

8月14日、お盆の真ん中の日だった。朝の7時に家を出て、電車を乗り継いで2時間。義実家の最寄り駅からはバスに乗る。両手には指定された菓子折りと、仏壇に備える花と、よしえの好きな桃の箱を下げていた。浩司は前の晩から実家に泊まっていた。
玄関を開けると、お座敷からよしえの声が飛んできた。
「遅いわよ。早く並べて。」
いらっしゃい、でもない。暑かったでしょう、でもない。27年、この家の玄関で私を迎えたのは、いつも要件だった。
台所に入ると、寿司桶が3つ、流しの横に積まれていた。マリ子が座敷から顔を出した。
「来たんだ。天ぷら、揚げといて。」
「はい。」
エビの背渡しを取って、ナスを切って、かぼちゃを薄く切る。衣は氷水で溶く。よしえは衣が暑いと機嫌が悪くなるので、粉は少なめにする。20年で覚えたことは、大抵この家の誰かの機嫌の取り方だった。
夏の台所は火を使うと10分で汗だくになる。エアコンは座敷にしかない。窓を開けても風は入ってこなかった。座敷からは笑い声が聞こえていた。よしえとマリ子と浩司。それから、大学6年生になった信吾の低い声。その座敷にいるのは、私を入れて5人になるはずだった。笑っているのは、4人だった。
揚げ物の音の合間に、座敷の話が途切れ途切れに届いた。
「屋根屋さん、見積もりだけ取っておいたわよ。」
マリ子の声だった。
「秋になったら頼めばいいでしょ。どうせ振り込みは続くんだから。」
「そうね。浩司がいるから。」
よしえの声がそれに重なった。私はかぼちゃを油に落とした。じゅっという音が、2人の声を消してくれた。
「どうせ振り込みは続くんだから。」
台所で聞いたその一言は、帰りの電車でも耳の奥に残っていた。

天ぷらを揚げ終えて、寿司を桶から皿に移し替え、刺身に大根のつまを添えて座敷へ運んだ。仏壇には花を生け替えて、桃を備えた。線香を1本立てて、義父の遺影に手を合わせた。
「お父さん、今年も来ましたよ。」
小声で告げた。この家で私が名前で呼ばれたのは、この人が生きていた頃までだ。
「エミさん、暑いのに悪いね。」
義父はいつもそう言って、台所まで麦茶を持ってきてくれた。
「もういいでしょ。座って、座って。」
マリ子が手を叩いた。よしえが床の間を背にして座り、その隣にマリ子、向かいに浩司と信吾。4つの前が綺麗に並んでいる。私は玄関脇から古い座布団を1枚取って、座敷の端に敷いて座った。それから、箸の数を数えた。2度、数えた。皿も箸も湯呑みも、4人分しかない。寿司は5人前ある。人数は5人だと言ったのはよしえで、注文したのも代金を包んだのも私だ。5人分を私に買わせて、箸は4つ。数が合わない時は、必ず誰かがそう合わせている。
「あの、私の席は。」
よしえが箸を持ったまま笑った。
「家族の食卓に座らないでよ。」
一瞬、意味が取れなかった。私は座敷を見て、それからよしえの顔を見た。よしえは笑っていた。冗談を言った人の笑い方ではない。当たり前のことを言った人の笑い方だった。
「そうそう。あんた他人なんだから。」
マリ子が大トロをつまみ上げる。醤油の小皿を引き寄せながら、こちらは見ない。27年、この人が私の目を見て話したことは、数えるほどしかない。
「運び終わったなら、他人は帰れば。」
私は浩司を見た。夫だ。27年一緒に暮らしてきた人だ。20年前、この家の畳に手をついて母さんを助けたいと言った人だ。浩司は寿司をつまんだまま、目を上げなかった。
「浩司さん。」
呼ぶと、ようやくこちらを見た。そして、面倒くさそうに息を吐いた。
「お母さんも姉貴も、悪気ないんだからさ。」
「浩司さん、私の分の箸がないんだけど。」
「お前も、盆くらい空気読めよ。」
その時、私の中で何かが動いた。怒りではなかった。怒りはもっと前に、何度も来ては帰っていった。お盆の度、正月の度に来て、帰りの電車で消えていった。それはもっと静かな音だった。長い間回っていた機械の、電源が落ちるような音だ。
マリ子が追い打ちをかけた。
「嫁って、結局他人だからね。親子水入らずの邪魔しないでよ。」
私は膝の上で指を組んだ。声を荒げてはいけない。27年、この家で声を荒げたことは1度もない。荒げた瞬間に、悪いのはこちらになると知っていたからだ。
信吾が顔を上げて、何か言いかけた。
「おばさん、俺の箸… 。」
マリ子が息子を横目で睨んだ。信吾は口を閉じて、視線を落とした。23歳の子に、この座敷でできることは何もない。
「他人は今すぐ出て行け。」
よしえが畳を叩いた。湯呑みが小さく跳ねた。私は座布団を外した。この20年、あの家で私が使ったのは、いつも玄関脇に積んである古い座布団だった。畳に手をついて頭を下げた。
「わかりました。では、帰りますね。」
座敷が静かになった。
「え、本当に帰るの?」
浩司が箸を置いた。ようやく私の顔を見た。
「今日のこと、後で謝るからな。」
私は立ち上がった。
「他人がいたら邪魔でしょ。」
よしえが何か言いかけた。マリ子が「行くなら行けば」と笑った。私は台所へ戻り、揚げ物の油を落とし、火の元を確かめ、換気扇を止めた。他人の家に、火事を出すわけにはいかない。
仏壇の前をもう1度通った。遺影に向かって心の中で言った。「行ってきます」ではなく、「失礼します」だった。

鞄を持って玄関へ出た。振り返らなかった。引き戸を閉めると、蝉の声が降ってきた。20年分の何かが、その声の中で音もなく切れた。バス停まで5分、次を逃せば30分待つことになるので、走った。間に合うはずの時刻を過ぎても、バスは来なかった。日陰のないベンチで、私は膝の上に鞄を置いたまま座っていた。汗が背中を伝っていく。喉が乾いていた。あの家で私が飲んだのは、台所の水道の水だけだった。

電車に乗ると、車内は空いていた。窓際に座って、鞄からスマートフォンを出した。信用金庫のアプリを開く。毎月決まった日に決まった額が私の口座から出ていく、自動送金の画面だ。毎月25日、20万円、受け取り人、北原よしえ。20年前の8月に組んだ手続きだ。7月の分で、240回になった。20万円×240回で、4800万円。数字はいつでも頭の中に置いてある。私はその画面を開いた。20年、私は1度もその画面を閉じたことはなかったが、解約の手続きができることは、6年前に確認してあった。終わらせ方を先に調べておくのは、私の職業病だ。
指を置いた。確認の画面が出る。もう1度確認の画面が出る。
「手続きが完了しました。」
それだけだった。20年を終わらせるのに必要だったのは、10秒だった。完了の画面は驚くほど素っ気なくて、私は思わず2度見た。240回。毎月25日にあの家へ渡っていた20万円は、これで8月から1円も出ない。
泣くだろうと思っていた。涙は出なかった。代わりに、腹の底が温かくなった。20年、私が私の給料をどうするか。私は1度も決めていなかったのだと気がついた。決めていたのは、いつも誰かだった。

家に着いたのは夕方だった。シャワーを浴びて、素麺を茹でて1人で食べた。テレビはつけなかった。静かな部屋で食器を洗うのが、久しぶりに気持ちよかった。洗い終えて、食卓に座った。ふと、あの座敷の音を思い出した。
「どうせ振り込みは続くんだから。」
マリ子の声だ。屋根の見積もりは、私に一言もないまま取られていた。私は手帳を開いて、8月14日の欄に書いた。
「屋根、見積もり済み、マリ子。」
書き終えて、自分でおかしくなった。私はもう送らないと決めた家の屋根の話を、まだ記録している。27年。そうやって生きてきた癖は、1日では抜けない。

浩司が帰ってきたのは、その日の夜の10時過ぎだった。玄関で靴を脱ぐ音が乱暴だった。
「お前、何考えてんだよ。」
上着も脱がずに、居間に立ったまま言った。
「明日、菓子折り持って謝りに行け。」
「何を謝るの?」
「嫁が席を立つとか、俺の立場どうなるんだよ。」
立場。この人が守るものの順番が、そこではっきりした。
「私の箸がなかったのよ。」
「だから、悪気はないって言ってるだろ。母さんはもう年なんだ。姉貴も苦労してるんだよ。」
「私は苦労してないの?」
浩司が黙った。それから、ネクタイを緩めながら言った。
「そういうこと言うから、母さんに嫌われるんだ。」
私は返事をしなかった。返事をしないという返事もあるのだと、54歳で覚えた。
翌日の昼、よしえから電話が来た。私は仕事中だったので、休憩室で取った。
「あんた、昨日のことだけどね。」
よしえの声は、思ったより落ち着いていた。
「お盆の失礼を詫びに来なさい。親戚に知られたら、私が困るのよ。」
「失礼をしたのは、どちらでしょうか?」
「口答えするようになったのね。」
よしえは鼻で笑って、それから話を変えた。ここからが本題だと、声の高さで分かった。
「それでね、あんた、そろそろこっちに越してきて、私の面倒を見てちょうだい。浩司も一緒にね。会社はやめればいいでしょ。」
台所に立たせて座敷には上げないと言った翌日に、この人は同居の話をしている。
「お母さん、私は他人ですよね。」
「他人をまだ根に持ってるの?」
「他人が家にいたら、邪魔じゃありませんか?」
よしえが息を吸う音がした。何か言い返す言葉を探している間があった。
「あんた、変わったわね。」
「はい、変わりました。」
私はそう言って、電話を切った。休憩室の窓から、8月の白い空が見えた。20年、私はこの人の電話を切ったことが1度もなかった。

8月25日、よしえは毎月この日の午後、必ず銀行に行く。20年、それだけは欠かさなかった人だ。その日、私は定時で上がった。夕食の支度をしていると、浩司の携帯が鳴った。よしえだった。浩司はスリッパを引きずって、台所の外の廊下へ出た。声はそこからよく聞こえた。
「うん。え、入ってない?」
短い沈黙。
「ああ、いや、大丈夫だよ、母さん。あいつが手続きしてるだけだから。金は俺の金なんだから、心配すんな。」
私は菜箸を置いた。金は俺の金。20年、あの家に届いていた20万円は、この人の名前で届いていた。私が振り込んだ金が、この人の親孝行になっていた。それは頭のどこかでは分かっていたことだ。分かっていたつもりで耳で聞くと、まるで違った。
夕食の後、浩司が食卓に座り直した。
「なあ、母さんへの振り込み、忘れてるぞ。」
「忘れてないわよ。」
私は湯呑みを置いた。
「止めたの。8月の分から。」
浩司の顔から表情が抜けた。
「止めたって、何を?」
「仕送りを。」
「なんでだよ。」
「私は他人なんでしょう。他人の口座へ、毎月20万円送る理由はないもの。」
「そんな子供みたいなこと言うなよ。」
浩司が食卓を叩いた。茶碗が跳ねた。
「一言だろ。一言で、こんなことするか。」
「普通、一言じゃないわ。240回よ。」
「うちの母さんが困るだろうが。年金だけで暮らせると思ってんのか?」
「お母さんの年金がいくらか、あなたは知ってるの?」
浩司が黙った。
「私も知らないのよ。20年送っていて、1度も教えてもらったことがないの。」
「20年だぞ。それだけ続けてきて、いきなり止めるやつがあるか?」
「20年続けたのは私よ。」
「同じことだろ? 夫婦なんだから。」
「じゃあ、あなたが送ればいいでしょ。あなたのお母さんなんだから。」
浩司は何も言わなかった。言い返す言葉を探している顔だった。私は立ち上がって、食器を流しへ運んだ。背中の後ろで浩司がまだ何か言っていたけれど、水の音で聞こえなかった。

その夜、私は何度かダンボールを出した。20年分の仕送りのファイルが、4年ずつで5冊ある。振り込みの控え、よしえの入院の領収書、信吾の入学の時の振り込み票、帰省の度に買った菓子折りの領収書まで、私は捨てずに取ってあった。捨てたら、私がこの20年やってきたことが、どこにも残らなくなる気がした。
1冊目の一番上に、あの弁書がある。20年で少し黄ばんだ紙に、浩司の几帳面な字が並んでいる。
「母への毎月20万円はエミの給与から支出する。開始、変更、終了はエミが決める。」
3年前のファイルを開いた。あの時、合計欄だけを見て閉じた控えが、そこに閉じてある。その夜、初めて裏を返した。裏には見積書の写しがついていて、リフォームの打ち合わせが記されていた。浴室の全面改装、給湯器の交換、台所の設備一式。合計280万円。そして、発注者の欄に別の名前が入っていた。北原マリ子。私は紙を裏返して、もう一度表を見た。間違いではなかった。金を出したのは私で、注文したのはマリ子だ。私は相談されていない。見積もりを見せられてもいない。
控えの端に、鉛筆の走り書きがあった。工務店の担当者の字だ。
「請求書は弟さんの奥様へお送りするようにと、北原マリ子様よりご指示。」
私はその一文を読み返した。弟さんの奥様。この家の外にいる人にまで、私は名前ではなく、その呼び方で伝わっていた。この家の記録から、私は丁寧に消されていたのだ。

9月に入って最初の土曜日の朝、家の電話が鳴った。浩司は釣りに出ていて、家には私しかいなかった。受話器を取ると、いきなり声が飛び込んできた。
「ちょっと、エミさん。先月のお金、どうなってるの?」
私は受話器を持ったまま、しばらく黙っていた。よしえだった。あの人はまだ、あれは浩司の金で、私はそれを動かすだけの係だと思っている。だから、係の私に催促してきたのだ。
エミさん。27年で初めて、あの人が私の名前を呼んだ。20万円が届かなかった、その12日後に。
「聞いてるの? エミさん?」
2度目も名前だった。27年、「あんた、ちょっとよその人」と呼び続けた口から、こんなに滑らかに出てくるものなのか。
「仕送りは、終了しました。」
「終了? 何を言ってるの?」
「8月の分から止めました。もう送りません。」
よしえの声が裏返った。
「嫁なのに、姑を見捨てる気?」
私はゆっくり息を吐いた。
「私、家族じゃないんですよね。お盆にそうおっしゃいましたよね。家族の食卓に座らないでって。他人は今すぐ出ていけって。」
「あ、あれは、あれは… 。」
よしえが言葉を探している間に、電話が誰かの手に渡った。ガサガサという音がして、マリ子の声になった。
「あんた、いい加減にしなさいよ。」
「マリ子さん、盆の冗談くらいで、何ムキになってんのよ。」
「冗談? 私はその言葉を手帳に書きました。」
「20万くらい、早く振り込みなさい。母さんが困ってるでしょ。」
「20万くらいですか? そうよ。母さんがかわいそうだと思わないの?」
「マリ子さんは、毎月入れてらっしゃるんですか?」
「は? 家に住んでらっしゃるんですよね。生活費です。」
マリ子の返事が一瞬止まる。
「あんたに関係ないでしょ。」
横からよしえの声が割り込んだ。
「そうよ。あんたのとこ、共働きでしょ。子供もいないんだから、余ってるでしょうが。」
私はもう一度、手帳に書いた。子供もいないんだから。
「マリ子さん、他人から毎月20万円もらうなんて、気持ち悪くないですか?」
沈黙があった。しばらくして、マリ子が何か叫んだけれど、私は受話器を置いた。置いてから、手が震えていることに気がついた。27年、私はこの家族に言い返したことがなかった。言い返すというのは、思っていたよりずっと体力を使うことだった。

その日から、電話は毎日のようになった。朝の7時になることもあれば、夜の11時になることもあった。留守番電話には、よしえの声が残った。
「エミさん、私が悪かったから。」
「エミさん、もう年寄りをいじめないでちょうだい。」
1度も呼ばれなかった名前が、留守番電話が入るたびに繰り返された。浩司は最初のうち「出てやれよ」と言っていたが、そのうち何も言わなくなった。会社から帰る時間が遅くなり、日曜も家にいない日が増えた。
留守番電話の最後の方は、声が変わった。
「エミさん、あんた、私が死んだら化けて出るからね。」
私はその一文だけ、日付とノートに書き移した。

9月の半ばから、私は月に1度、病院を取るようになった。半球、ではない。私は弁護士に会いに行っていた。西脇千尋先生、49歳の弁護士だ。鞄には、その月に必要な分のファイルの写しを入れていく。何をしていたのかは、まだ誰にも言っていない。家は必ず先回りされる。20年、私は先回りされ続けてきた。今度は、私が先に立つ番だった。

9月19日の夜、かず子さんから電話が来た。
「エミさん、あのね、言いにくいんだけど。」
「何でしょう?」
「よしえさんがね、親戚に電話をかけて回ってるのよ。嫁がお金を止めた。私は見捨てられたって。」
「そうですか。それとね、3年前のお風呂の話、あれ、浩司が直してくれたって、みんなに言ってるのよ。」
私は受話器を握り直した。
「深沢さんがね、親孝行だからって、あちこちでそう言ってたって。」
深沢という苗字を聞いて、私は座り直した。深沢達夫さんは、義父の従兄弟に当たる人だ。73歳になる。集まりではいつも取りまとめ役をしている。
「かず子さん、それ、私が出したお金です。」
「え? 280万。」
「依頼人は、私でした。」
電話の向こうが静かになった。
「エミさん、あなた… 。私、何も知らないで生きてきたのね。」
「かず子さんのせいではありません。」
「でもね、エミさん。私は兄さんに頼まれてたのよ。相談に乗ってやってくれって。20年、私は何もしなかった。」
受話器の向こうで、鼻をすする音がした。
「今からでも、遅くないかしら?」
「遅くありません。」
私はそう答えた。答えながら、自分の声が思ったより落ち着いていることに驚いていた。

電話を切ってから、私は自分の家の居間で義父の顔を思い出していた。20年前のあの夜、浩司が畳に手をついた時、あの人はもう亡くなっていた。もし生きていたら、浩司はあんな風に頼めただろうか。そういえば、あの夜の浩司は妙に急いでいた。49日の膳が下げられて、まだ1時間も経っていなかった。なぜ、あんなに急いでいたのだろう。

9月25日が過ぎた。2度目の25日だ。8月に続いて、20万円は義実家の口座に入らなかった。同じ週に、信吾の大学から後期の授業料の納付書が届いた。市立の薬科大学は6年制で、1年に納める額は200万円ほど。そのうち120万円は、毎月の20万円が払ってきた。残りは信吾の奨学金とマリ子が出す分だったらしい。用意できなくなったのは、後期のうち、仕送りが受け持っていた60万円だ。
そこから先の話は、後でかず子さんから聞いた。よしえが毎日のように電話で愚痴をこぼしていたからだという。
よしえがマリ子に言った。
「あんた、今月から自分の食費くらい入れなさい。」
マリ子が言い返した。
「なんで私が。」
「その信吾の授業料が払えないって言ってるの。」
「じゃあ、屋根はどうするのよ? 見積もりも取ってあるのよ。」
親子の言い合いは、その日から毎日続いた。外食が消えた。月に1度行っていた温泉が消えた。よしえが毎年頼んでいたおせちも、その年は取らないことになった。マリ子のカードの引き落としは、口座の残高が足りずに一度戻った。
マリ子は信吾にこう言ったという。
「おばさんが意地悪してお金を止めたのよ。」
「意地悪って、何かあったの?」
「あの人、最初からうちを見下してたのよ。自分だけいい会社に務めてるからって。」
信吾はそれ以上、何も言わなかったそうだ。私はその話を聞いて、お盆の座敷を思い出した。
「おばさん、俺の箸…

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。」
あの子は、あの時止められたことを覚えている。

9月が終わる頃、浩司が1度だけ自分で送ろうとした。火曜の夜、電卓を叩いている背中を見た。月初めの家計の計算だ。管理費と修繕積立金、車の保険と駐車場代、生命保険、付き合いの飲み代、ゴルフの会費。それから小遣い。小遣いの欄には15万と書いてあった。20年、この人の小遣いだけは1度も減らなかった。
「なあ。」
浩司がこちらを見ずに言った。
「10万でいいか? 母さんに。」
「私に聞かないで。」
「20万は無理なんだよ、俺の給料じゃ。」
そこで浩司は口をつぐんだ。自分が何を言ったのか、遅れて分かったらしい。20年、この人はよしえの前であれは自分の金だという顔をし続けてきた。その20万円という額すら、自分の給料からは出せなかったのだ。その10万円が振り込まれることは、結局なかった。

翌朝、浩司は何事もなかったような顔で会社へ出ていった。玄関で靴べらを使いながら、こちらを見ずに言った。
「今度の休みに母さんのとこ行くから、お前も来いよ。」
「行きません。」
「なんでだよ。」
「他人ですから。」
扉が閉まる音が、いつもより大きかった。

10月に入って最初の日曜日、私は電車に乗った。戸田の家は、私の家から2駅の距離にある。かず子さんと三郎さんが2人で住んでいる、古い平屋だ。私は5冊のファイルを紙袋に入れて持っていった。
かず子さんは老眼鏡をかけて、1枚ずつ見ていった。三郎さんも隣で覗き込んでいる。途中でかず子さんの手が止まった。
「何とかの280万だけじゃないのね。これ、20年分丸ごと、あなたのお金だったの。」
「はい。浩司じゃなくて、私の給料からは、1円も出ていません。」
かず子さんは老眼鏡を外した。目の縁が赤くなっていた。
「私、あなたが台所に立たされているのは知ってたのよ。写真のことも知ってた。ひどいなと思って、見てた。でもね、お風呂のお金はこの間あなたから聞いたわ。でも、毎月の分までとは思わなかった。20年よ。額も長さも、私、何も見ていなかったのね。」
「言いませんでしたから。」
「よしえさんは、みんなの前で言ってたのよ。浩司がちゃんと送ってくれてるって。20年、ずっとそう言ってた。」
三郎さんが低い声を出した。
「20年か。」
それだけだった。
かず子さんが教えてくれたことは、他にもあった。よしえは親戚の集まりの度に、自慢の種を話していたそうだ。盆と正月の手土産を持ってくるのも浩司。入院の時に付き添ってくれたのも浩司。信吾の入学祝を包んでくれたのも浩司。入院の時、朝と晩に病室へ通ったのは私だ。有給を3日使った。入学の時の240万円も、祝いではなく納付金の不足分で、私の口座から出ている。
「深沢さんなんか、浩司はいい息子だって、去年の法事でみんなの前で褒めてたわよ。」
私は湯呑みを両手で包んだ。私はこの家の記録から、丁寧に消されていたのだ。
「かず子さん、お母さんは本当に知らないんでしょうか?」
かず子さんはファイルではなく私の顔をじっと見た。
「エミさん、よしえさんの方は、息子が送っていると本気で思い込んでいるのかもしれないわよ。」

10月の2度目の木曜日だった。昼休みが終わって、経理課の自席に戻ったところで内線が鳴った。総務課の桜井さんだった。
「エミさん、受付にお客様です。北原マリ子さんという方ですが。」
椅子から立ち上がるまでに2秒かかった。エレベーターで1階に降りると、マリ子はロビーの真ん中に立っていた。夏に見た時と同じ、派手な柄のブラウスを着ている。周りの受付の女性たちが、チラチラとこちらを見ていた。
「マリ子さん、ここは会社です。」
「あんたが電話に出ないからでしょ。」
マリ子の声はロビーによく響いた。
「家族を捨てて… 。」
私はマリ子の前まで歩いて、正面に立った。
「誰の家族ですか? どなたの家族のことを、おっしゃっていますか?」
マリ子の顔が赤くなった。
「私たちに決まってるでしょ。母さんも浩司も私も。」
「私は他人なんですよね。お盆にマリ子さんがおっしゃいました。嫁って、結局他人だからねって。運び終わったなら、他人は帰れば、とも。」
「あ、あれは、言葉のあやよ。」
「言葉のあや? 私はその言葉であの日、台所に立ちました。その言葉で、写真の輪から外されて、その言葉で、名前を呼ばれませんでした。」
マリ子の目が泳いだ。
「そんな昔のこと、いちいち… 。」
「昔ではありません。今年のお盆です。」
マリ子が一歩前に出た。私は下がらなかった。
「都合のいい時だけ、家族に戻さないでください。」
そこで桜井さんが割って入った。
「お客様、こちらでのお話はご遠慮いただけますか? 会議室にご案内しますが。」
「会議室? そんなの結構よ。」
マリ子は声を張った。
「皆さん、聞いてください。この人、79歳の姑の生活費を止めたんですよ。血も涙もないでしょ。」
私はマリ子の目を見たまま、動かなかった。マリ子は会議室には入らなかった。捨て台詞を2つ残して、自動ドアの外へ出ていった。
「恥をかかせて、それで気が済むの? あんた、それで人間として恥ずかしくないの?」
自動ドアが閉まって、ロビーが静かになった。桜井さんが私の腕をそっと抑えた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。」
私は息を整えた。膝の裏に力が入っていたことに、その時初めて気づいた。27年、この人たちの前で足に力を入れたことはなかった。
「あの、エミさん。私、さっきのやり取り、全部聞いてました。何かあったら、証人になりますから。」
ありがとう。言葉が短くなった。長く話すと、こらえているものが出てしまいそうだった。

同じ頃、よしえの方も動いていた。親戚中に電話をかけて回っていたと、後でかず子さんから聞いた。9月に聞いた時と同じ相手に、同じ話をもっと大きくして配っていた。嫁に捨てられた。20年尽くしてきたのに、恩を仇で返された。浩司がかわいそうで、見ていられない。私が20年出してきた金の話は、1度も出てこない。金の出所は浩司のままで、被害者だけが入れ替わっていた。
かず子さんは電話口で怒っていた。
「エミさん、私、言ってやろうかしら。あれは全部、あなたのお金だって。」
「まだ、言わないでください。」
「どうしてよ。」
「言えば、お母さんは話を作り替えます。作り替えられない場所で、言いたいんです。」
かず子さんはしばらく黙って、それから「分かったわ」と言った。

10月の中旬、深沢達夫さんからうちの固定電話に1度だけかかってきた。
「奥さん、親戚の手前もあるでな。お母さんの顔を立ててやってはくれんかね。」
73歳の、ゆっくりした話し方だった。
「深沢さん、私は何を我慢すればいいんでしょうか?」
「まあ、そう言わんで。金の話は、身内でやるもんだから。」
身内。私はその言葉を手帳に書いた。
「深沢さん、私は身内ですか?」
電話の向こうで、深沢さんが黙り込んだ。
「そりゃあ、あんた、嫁だろ。」
「では、その嫁が20年でいくら出したか、お母さんから聞いていらっしゃいますか?」
深沢さんは答えなかった。話をそらして、電話を切った。

浩司が家で怒鳴るようになったのは、その頃からだ。マリ子が会社に来た日の夜、浩司はいつもより早く帰ってきた。
「お前、姉貴に何を言った?」
「本当のことを。」
「本当のことって、何だよ。」
「会社の受付で騒がれて、俺がどんな顔したと思ってんだ。」
「私も、受付で騒がれました。」
浩司は上着を椅子に投げた。
「母さんが泣いてたぞ。毎日電話してくる。俺の顔、潰すな。」
顔を潰すな。私は湯呑みを置いて、夫の顔を見た。8月に「立場」と言い、10月に「顔」と言う。この人が守るものには、いつも私が入っていない。
「浩司さん。私が傷つけられたことより、自分の顔の方が大事なのね。」
浩司の口が動いて、止まった。反論の言葉が出てこない時、この人はいつも同じ顔をする。27年で覚えた顔だ。
「そんな言い方するなよ。」
それだけ言って、寝室へ行った。

11月に入った、その2度目の日曜日。浩司が朝から居間に座っていた。テレビもつけずに、腕を組んでいる。何か言うつもりなのだと分かった。
「エミ、もう意地を張るのやめろ。」
「意地ではありません。」
「意地だろ。母さんは80だぞ。あと何年生きると思ってんだ。」
私は台所から出て、向かいに座った。
「嫁なんだから、母さんの面倒くらい見るのが普通だろう。」
普通。その言葉が出た時、私は立ち上がって納戸へ行った。段ボールから5冊のファイルを出して、食卓に積んだ。浩司がファイルを見て、それから私を見た。
「何だよ、これ?」
「20年分です。毎月20万円、240回、4800万円です。15年前からのお母さんの入院と手術で180万円。信吾さんの大学入学の時の不足分が240万円。お盆と正月の食事代と手土産が、年2回で20年、160万円。風呂と台所の改装が280万円。仕送り以外で860万円。4800万円と合わせて、5660万円です。」
浩司は何も言わなかった。
「この20年分について、1円も請求するつもりはありません。ただ、何をしてきたかは数えました。数えるのが、私の仕事なので。」
私は鞄から封筒を出して、食卓に置いた。中身を出すと、緑の枠の用紙が広がった。離婚届だった。浩司の目が、紙の右下で止まった。証人の欄には、もう2人の名前と住所と印鑑が書き込まれている。会社の桜井さんと、私の弟だ。
「何だ、これ?」
「そのままの意味です。」
「お前、本気で言ってんのか?」
「はい。」
「お母さんの一言くらいで、27年を捨てるのか?」
私は首を振った。
「一言ではありません。27年、あなたが1度も私の味方にならなかったからです。」
「味方って、何だよ。俺は家族を守ってきただろう。」
「守っていただいた覚えがありません。お盆の日、私の箸がないと分かった時、あなたは寿司をつまんでいらっしゃいましたね。あの時、箸を置いて『母さん、何やってるんだ』と一言おっしゃっていれば、この紙はここにありません。」
浩司の顔が赤くなった。それから、白くなった。浩司はペンを取った。乱暴に、けれど字だけは几帳面に、名前を書いた。
「出せばいいんだろ。どうせ、出せやしないくせに。」

11月9日のことだった。3日後の昼休み、私は市役所へ行った。窓口の職員が用紙を確かめて、届書を確かに受け付けたという証明書を1枚出してくれた。受理証明書というそうだ。350円だった。27年を終わらせるのにかかったのは、15分だった。
その夜、私は西脇千尋先生に電話をかけた。9月から月に1度、病院を取って会いに行っていた、あの弁護士だ。
「北原さん、10月にお電話でお聞きした、お姉さんのお話ですが。『この家は自分のものになる』とおっしゃったんですね。」
「そう聞こえました。」
先生は少し間を置いた。
「20年分を、取り返せますとは申し上げません。そこは正直に申し上げておきます。ただ、記録がこれだけ揃っているのは大きいですよ。それより、伺いたいことがあります。ご主人は、お母さんから何か約束をされていませんか? 20年、北原さんのお金だと分かっていながら、自分の名前で送らせたわけです。理由があるはずですよ。人は、理由のないことを20年も続けません。」
心当たりはなかった。ただ、20年前の夏の浩司の急ぎ方が、また頭に浮かんだ。49日の膳が下げられて、まだ1時間も経っていない夜だった。

数日後、よしえから電話が来た。
「11月16日、忘れてないでしょうね。80のお祝いね。嫁として来なさい。お盆の時みたいに、お世辞をしてちょうだい。」
私は受話器を耳に当てたまま、頷いた。よしえには見えないと分かっていて、頷いた。
「はい、伺います。」
電話を切ってから、なぜ呼ばれたのかを考えた。答えはすぐに出た。20万円を再開させるには、親戚の前で私を嫁の座に戻しておく必要があるのだ。あの人にとって、私は嫁でなければ財布にならない。私は行くと決めた。全員が揃う場所は、その日しかないからだ。20年、金の出所は作り替えられ続けてきた。作り替えられない場所で、その話を終わらせたかった。
その夜、かず子さんに電話をかけた。
「かず子さん、16日、口添えだけ切っていただけませんか?」
「あの一番上に置いてあった弁書を出すのね。」
「はい。あれを出せば、話は終わりますから。」
かず子さんは何も聞かなかった。
「分かった。じゃあ、私が口を切るわね。」
離婚届が受理されたことは、言わなかった。

11月16日、北原の家の座敷は朝から人が入っていた。1番奥の席によしえ、その隣にマリ子、マリ子の隣に信吾が窮屈そうに座っている。向かいに浩司、仏壇のそばに戸田かず子さんと三郎さん。縁側を正して深沢達夫さん。その後ろには、近くに住む北原の親戚が10人ほど、2列に並んでいた。そして末席に私。3度目の座敷でも、私の箸だけがなかった。
マリ子には前の日から手伝いに来いと言われたが、断った。当日の朝、台所には前の晩の食器が積んであった。私はそれを洗ってから、座敷に上がった。
「あんた、お酌して回ってちょうだい。」
よしえが徳利を顎で指した。
「嫁なんだから、お酌くらいできるでしょう。」
27年「他人」と呼んだ口が、その日は「嫁」と言った。何人かが目を伏せた。私は徳利を持って立ち上がった。義父の位牌の前を通り、深沢さんの前まで進んだところで、袖を引かれた。かず子さんだった。
「エミさん。」
かず子さんが、私の手から徳利を取って、畳に置いた。
「座りなさい。話しなさい。」
よしえが声を上げた。
「かず子さん、何を。」
「よしえさん、今日はね、私が口を利く番なの。」
私は膝をついて、座り直した。それから、鞄からノートを出した。
「お母さん、8月25日のことは、覚えていらっしゃいますか?」
「何の話よ?」
「20万円が振り込まれなかった日です。あの日、お母さんは浩司さんに電話をなさいました。」
私はノートを開いて、日付を読み上げた。
「8月25日、午後6時40分。浩司さんはこうおっしゃいました。『あいつが手続きしてるだけだから。金は俺の金なんだから、心配すんな』と。」
浩司の顔が動いた。
「なんで、お前がそれを… 。」
「廊下で話していらっしゃいましたから。」
私はノートを閉じ、鞄の封筒から1枚の紙を取り出した。20年で黄ばんだ紙だ。それを座卓に置いて、よしえの前に差し出した。
「これは、20年前にご主人が書いたものです。『母への毎月20万円はエミの給与から支出する。開始、変更、終了はエミが決める』。日付と署名と印鑑がしてあります。」
座敷が静まり返った。深沢さんが身を乗り出した。
「これは、浩司の字か。」
「俺の字だ。」
浩司が短く答えた。よしえの手が震え始めた。老眼鏡を外し、またかけて、もう一度紙を見た。
「先月から、ずっと…

そんなはずはないと思ってきたのよ。」
その声には、20年分の重さがあった。
「20年? 私は、嫁の金で暮らしていたっていうの?」
浩司が畳を叩いた。
「だから、同じ金だって言ってるだろ。夫婦なんだから、俺の金でもあるんだよ。」
私は封筒から、もう1枚出した。信用金庫の申し込み書の控えだった。20年前の日付が入っている。受け取る人の欄には、よしえの名前がある。そして、振り込み依頼人の欄には、浩司の字ではない、窓口の人が代筆した字で、「北原浩司」と書いてあった。私はその文字を指で示した。
「浩司さん、同じお金なら、どうして20年、依頼人だけはあなたの名前だったんですか?」
浩司が口を開いた。何も出てこなかった。
「私は27年、この家で名前を呼ばれませんでした。この20年は、通帳の上からも消されていたんです。」
よしえが浩司を見た。息子を見る目ではなかった。
「浩司、先月、あんた夫婦の金だって言い張ったわね。この紙は、何なの?」
浩司は答えなかった。よしえの声が高くなった。
「私は、あんたに感謝してきたのよ。親戚みんなに、うちの息子はできた子だって言って回ったのよ。あんたは、違うとは言わなかった。母さんが喜ぶから、私に恥をかかせたってことじゃないの。」
その時、マリ子が笑った。間の抜けた、高い笑い声だった。座敷の全員がマリ子を見た。
「何よ、みんな。そんな大げさな顔しちゃって。」
マリ子は箸を置いて、胸を張った。
「お金を出したのが誰だって、関係ないでしょ。だから、何よ。この家は、私がもらうって、5年前に母さんが決めたじゃない。役所じゃなくて、公正役場ってところでね、正式な遺言書にしてもらったのよ。専門の人に作ってもらう遺言だから、後から誰も文句の付けようがないの。」
座敷が凍った。よしえが真っ青になって、娘の腕を掴んだ。
「マリ子、何よ。」
「だって、本当のことでしょ。」
浩司の顔から血の気が引いていくのが分かった。上から下へ、水が引くように色が抜けた。
「母さん。」
浩司の声は掠れていた。
「今の、どういうことだよ。先月、姉貴が同じことを言った時、俺は聞き流したんだ。母さん、まさか、本当なのか?」
よしえは答えなかった。
「母さん。俺は、長男なんだぞ。俺は、この家を継ぐつもりで20年やってきたんだぞ。ばあさんに、長男は俺だって思っててほしかったんだよ。それだけなんだよ。」
その時、マリ子の隣で信吾が膝を立てた。そのまま立ち上がる。23歳の若い体が、座ったままよしえを見下ろす形になった。
「おばあちゃん、俺の授業料も、その20万から出てたってこと?」
マリ子が息子の袖を引いた。
「信吾!」
信吾はその手を振り払った。よしえは湯呑みに目を落としたままだった。信吾は立ったまま、居場所をなくした。誰も身じろぎしなかった。
私はよしえの方へ体を向けた。
「お母さん、1つだけ伺ってもいいですか?」
「何なの?」
「私に名前で呼ばれたくなかったんですね。」
よしえの肩が跳ねた。
「何を言い出すの?」
「27年です。お母さんが私を名前で呼ぶようになったのは、8月に20万円が届かなかった、その12日後からでした。その前は、27年、1度もありません。お母さんは、私の名前をご存知でしたよね。」
「知ってるに決まってるでしょう。」
「たまたま、27年ですか?」
よしえの顔が赤くなった。よしえの怒りは、火がつくまでに時間がかかった分、1度溢れると止まらなかった。
「そうよ!」
よしえが声を張り上げた。
「あんたに、家族らされるのが、嫌だったのよ! 子供も産めない嫁が、いつまでも息子にくっついているから、いけないのよ! 浩司はね、いずれこの家に帰ってくるのよ。私はずっとそう思ってきたの。あんたが愛想を尽かせば、あの子は帰ってくるんだから!」
深沢さんが咳を上げた。
「よしえさん。それじゃあ… 。」
「そうよ! だから、家族にしなかったのよ。あんたにこの家に居場所があると思わせたくなかったの。名前を呼ばなかったのも、写真の輪から外したのも、食卓に座らせなかったのも、そのためだった。私がこの家に根を張らないようにしていたのだ。でも、お金はいるのよ。嫁の勤めでしょ。勤めなんだから、感謝する必要もないの。」
他人だと言いながら、勤めだと言って縛る。私はよしえの目を見た。
「お母さん、その帰って来るはずの息子さんの家は、なぜ5年前に、娘さんへ渡すと書き残したんですか?」
よしえが黙った。答えは帰ってこなかった。めちゃくちゃな理屈だ。それでも私は20年、それに従ってきた。
「お母さん、その20万円は、何に使われていたんですか?」
よしえは湯呑みの縁を指でなぞっていた。マリ子が「もういいでしょう」と言った。
「言ってください。20年です。」
よしえが息を吐いて、諦めたように話し始めた。
「最初の8年は、義父が亡くなってからマリ子が実家へ戻るまでの8年だ。96回。私の暮らしに10万。残りの10万は、マリ子に。」
「マリ子さんに?」
私はその名前を繰り返した。よしえは畳に目を落としたまま、先を続けた。
「あの子ね、結婚した先でカードを何枚も作って、買い物を重ねてたのよ。借金そのものは最初は400万くらいだった。でも、返しているそばからまたカードを使って、結局8年近く、毎月10万円を渡し続けたのよ。」
マリ子が顔を伏せた。信吾は母親を見た。
「母さん、そのカードって、どういうこと?」
マリ子が横を向いた。
「うるさいわね。昔の話でしょ。」
よしえが話を引き取った。
「その後の7年は、マリ子と信吾が転がり込んでからの7年、84回。3人の暮らしに13万。信吾の塾代から、大学に入る時の初期費用まで7万。そして、この5年で60回。信吾に10万、信吾の大学の授業料20万よ。学費に回す分、食費と光熱費を3万削ったの。」
信吾がマリ子の方へ体を向けた。
「母さん、俺、聞きたいことがある。」
マリ子は答えなかった。
「母さんは、おばさんが意地悪で止めたって言ってたよね。入学した後の授業料は、ずっとばあちゃんが出してくれたって聞いてたんだけど。」
深沢さんが湯呑みを置いて、思い出したように言った。
「ところで、よしえさん、あんた、祝い事の度に、いつも一番多く包んでくれてたよな。うちの孫の入学の時も。」
かず子さんが横から言った。
「深沢さん、あれはね、よしえさんの年金からよ。」
深沢さんがかず子さんを見た。
「年金? お盆の後、80のお祝いの相談のついでに、私はよしえさんの通帳を見せてもらったのよ。年金は月に6万8000円。それが、暮らしに回ってたってことは、1度もないの。祝い事の時に包む分と、マリ子さんの買い物の引き落としで、毎月綺麗になるのよ。」
よしえが何か言いかけて、やめた。
「だから、深沢さん。暮らしの方は、丸ごとエミさんの20万が埋めてたのよ。」
深沢さんは何も言えなくなった。北原の家の体面は、20年、私の給料で買われていた。三郎さんが、その日初めて口を開いた。
「祝いの席で、いい話を聞かせてもろた。」
嫌味に聞こえたけれど、この人は昔からこういう言い方しかしない。それだけに、座敷の誰も笑わなかった。

私は姿勢を正した。この人が最後に何を選ぶのか、親戚の前で見ておきたかった。
「遺言のお話でしたら、以前、弁護士から聞いたことがあります。遺言というものは、書いた本人が生きている間は、いつでも書き換えられるそうです。ですから、5年前に決めたというお話も、確定したものではありません。お子さんには、遺言があっても、必ずもらえる分が、法律で決まっているそうです。遺留分というそうですが。」
浩司が顔を上げた。溺れかけた人が、水面を見る顔だった。よしえも、その顔を見た。遺言は書き換えられる。書き換えるかどうかを決めるのは、自分だ。息子を縛る鎖が、戻ってきた。よしえは財布さえ戻ればいい。そう計算した顔だった。
そこから先の変わり方は、見事なものだった。
「エミさん。」
さっきまで怒鳴っていた人が、猫撫で声になった。
「あなたも、大切な家族よ。あの日はね、私、虫の居所が悪かっただけなの。」
よしえは膝を進めて、お祝いの引き出物の紙袋を私の前に押し出した。
「ほら、これ持って帰って。今日は、あなたの分もあるのよ。」
私はその紙袋を見た。
「ねえ、エミさん。だから、今月からまた、20万円。お願いね。」
座敷の空気が止まった。私は笑ってしまった。声は出さなかったけれど、口の端が動いた。
「お母さん。やっぱり、必要なのは私じゃなくて、20万円なんですね。」
私は紙袋を持ち上げて、よしえの膝の前に戻した。引き出物の重さは、27年分の呼ばれなかった名前より、ずっと軽かった。
私は座卓に手を置いて、座敷を見渡した。誰も動かなかった。仏壇のそばと縁側から、3人の目だけがこちらを向いていた。
「皆さんがいらっしゃる前で、3つご報告させていただきます。」
よしえが眉を寄せた。
「何よ、改まって。」
「1つ目。仕送りは終了しました。20年前の8月から今年の7月まで、毎月25日に20万円。240回、合計で4800万円です。1度も欠かしていません。それで、終わりにします。」
よしえが湯呑みを置いた。
「終わりって、あんた?」
「弁護士に確認しました。嫁が夫の親を養う義務は、法律にはありません。ただし、実のお子さんには義務があります。浩司さんとマリ子さんです。そこは、別の話です。」
マリ子が顔を上げた。
「私はパートよ。8万しかないのよ。」
「マリ子さんの事情は、私が決めることではありません。」
よしえの声が飛んできた。
「20年も面倒見てやったのに、この恩知らず!」
私は黙って見返した。
「あんたなんか、うちに入れるんじゃなかったわ。」
座敷の誰も、その言葉を止めなかった。この人が27年で一番正直だったのは、その日だった。
よしえの声が急に落ちた。
「私は、どうやって生きていけばいいのよ。」
「実のお子さんが、2人いらっしゃいます。」
私はそう答えた。冷たいことを言っている自覚はあった。それでも、この人たちは私がしてきたことに、1度も名前をつけなかった。名前のないものを続ける理由は、もうない。
「2つ目です。」
私は鞄の内ポケットから、1枚の紙を出した。市役所が出した、あの受理証明書だった。それを座卓に置いた。
「離婚届は、11月12日に受理されました。」
座敷が、水を打ったようになった。浩司が顔を上げた。
「出したのか。」
「はい。あなたが署名なさった通りに。」
「なんで、言わなかったんだよ。」
「言えば、また泣かれるからです。」
浩司が息を吸い込んで、そのまま吐いた。
「私は、名雲エミに戻ります。皆さんとの親戚としての繋がりも、これで終わります。こちらから届けを出す必要もありません。離婚と同時に、自然に切れるそうです。」
マリ子が声を上げた。
「じゃあ、この人、本当に他人ってことじゃない。」
「はい。お盆にそうおっしゃいましたよね。他人は帰れと。おっしゃる通りになりました。」
マリ子が黙った。私は続けた。
「20年、私は嫁の務めだと言われてきました。務めなら断れません。他人だと言われながら、務めだけは背負わされる。その形がおかしいと気づくのに、20年かかりました。」
財産分与については、代理人を通して協議します。請求には2年の期限があるとも聞いています。ですから、慌てるつもりはありません。
「3つ目です。」
私は名刺を1枚、受理証明書の隣に置いた。
「今後のご連絡は、全てこちらへお願いします。西脇千尋法律事務所です。」
よしえが名刺を見て、体を引いた。
「私の勤め先や自宅へ来られること、事実と違う話を親戚やご近所に広めること。それが続くようでしたら、記録を残して、順を追って対応させていただきます。」
「脅しなの?」
「記録を残すのは、脅しではありません。私の仕事です。」
私はそこで、浩司の方へ向き直った。
「浩司さん、あなたには、最後に1つだけ。」
夫だった人は、畳の上で手を握っていた。
「27年、家の家計は私が見てきました。光熱費の契約も、火災保険の更新も、町内会への加入も、あなたの実家への手土産も、全部私です。ローンを払い終えた日に、法務局へ書類を出しに行ったのも私です。明日からは、ご自分の生活をご自分で回してください。町内会の名簿の名前も、火災保険の契約者の名義も、来月から書き換えてください。」
「そんなのお前がやればいいだろう。」
「私は、他人ですから。」
27年、あの家の人たちは、その言葉で私を黙らせてきた。同じ言葉が、今度は私の側にあった。
その時、よしえが最後の望みを口にした。
「じゃあ、浩司、あんたが帰ってきなさい。」
マリ子が即座に振り向いた。
「何言ってるのよ。この家は私のものよ。あんたの部屋なんかないわよ。」
「マリ子、あんた、母さんが決めたことでしょう。」
母と娘が、座敷の真ん中で言い争いを始めた。互いの喉元に食らいつくような声だった。
その時、三郎さんが立ち上がった。座敷をゆっくり見回して、それから言った。
「今日という今日は、よう分かった。20年、世話になり続けた人を、他人と呼んで、挙げ句の果てに面倒を見てもらえんとなく。あんたらは、縁を切られた。当たり前のことを、自分で全部やってきたんだ。」
それが、この人が27年で言った、一番長い言葉だった。
三郎さんは振り返らずに座敷を出た。かず子さんが立ち上がった。深沢さんも立ち上がった。後ろに並んでいた親戚が、1人、また1人と続いた。信吾はマリ子を見ないまま、出口の方へ足を向けた。誰もよしえに声をかけなかった。
信吾は私の前まで来て、黙って腰を折った。長い時間、そのままでいた。私はその肩に手を置かなかった。置いてしまえば、この子がまた北原の家に縛られることになる。ただ、こちらも頭を下げた。
「おばさん。」
信吾は、顔を上げないまま、それだけ言った。
「もう、おばさんではありませんよ。」
信吾はそれでも動かなかった。私は座卓の上の弁書と送金の申し込み書の控えを封筒に戻して、鞄にしまった。この2枚だけは、私の手元に置いておく。
それから仏前へ行った。義父の遺影に線香を1本上げて、手を合わせた。
「お父さん。ご挨拶が遅くなりました。あなたの息子さんと、今日でお別れします。27年、お世話をさせていただきました。」
玄関で靴を履いた。誰も見送りに来なかった。それでいい。27年、私を迎えた人もいなかったのだから、釣り合いが取れている。引き戸を開けると、11月の風が首筋を通り抜けた。入る時は嫁で、出る時は他人。それだけのことなのに、体はこんなに軽かった。

あれから季節が3つ流れた。北原の家は、あの年の暮れには売りに出ていた。屋根と外壁は40年手つかずで、修繕の見積もりは400万を超えたという。家は2300万円で売れた。仲介の手数料を引き、マリ子がまた作っていたカードの残りをよしえが払った。そこから中古のマンションを買うと、手元にはほとんど残らなかったという。
よしえは近所に「嫁に捨てられた」と話しているらしい。けれど、あの座敷にいた親戚が、それぞれの家で本当のことを話した。
「家族じゃないって追い出したのは、あなたでしょう。」
深沢さんにそう言われて、よしえは黙り込んだという。マリ子はよしえから毎月8万円入れろと言われた。家を出れば家賃がかかるので、出られない。勤務は週3日から5日に増え、カードは解約したという。よしえがこの20年ずっと欲しがっていたのは、息子ではなく、息子が運んでくると思っていた20万円だったのだと思う。
信吾は大学に分割で納めさせて欲しいと願い出て、足りない分は大学の貸与制度とアルバイトで払い切った。春に薬剤師になり、実家とは距離を置いたままだという。その信吾から、私にだけ手紙が届いた。便箋1枚に、短い文字が並んでいた。
「中学の時から、ありがとうございました。返せる額ではないので、返すとは書きません。働き始めました。」
私はその手紙を、あの弁書と同じファイルに閉じた。
浩司とは財産分与の話し合いが、代理人同士で片付いた。マンションはあの人が住み続けることになった。頭金の300万円を含めて、10年かけて毎月10万円ずつ受け取る取り決めにした。その予定表は、私が作って代理人に渡した。浩司は毎月10万円をよしえに入れることになった。20年「俺の金」と言い張ってきた額の半分だ。それでも足りないと言われ、書き換えられるかもしれない遺言のために、離れた先のマンションへ通っているという。訪ねるたびに、母と姉から同じことを言われる。
「エミさんを連れ戻せ。」
妻を守らずに母と姉にいい顔をし続けた人が、その母と姉に攻められている。私はそれを聞いて、もう何も感じなくなった。

私は駅の反対側に、小さな部屋を借りた。新しい部屋で迎えた最初の給料日に、家計簿を新しくした。仕送りの欄は、もうない。代わりに、「旅行」と書いた行を作った。20年ぶりに書く言葉だ。老後の積み立ては、初めて自分で計算した。退職金と、65まで働く分を足せば、届く。会社では、社員の退職金の備えを毎年きちんと積んできた。それなのに、自分の分を弾いたのは、それが最初だった。少し高い米を買う。魚は、丸ごと1匹で買う。
4月に、桜井さんと温泉へ行った。露天の湯に肩まで使って、何も考えずに山を見ていた。あの時間が、20年ぶりだった。弟の秀樹とも、月に1度は電話をするようになった。
「姉ちゃん、痩せた?」
「太ったのよ。ご飯が美味しくて。」
そして、次のお盆が来た。その日は、私の部屋に3人が来た。秀樹と、桜井さんと、かず子さん。かず子さんは、三郎さんの畑のナスを下げてきた。狭い台所で、天ぷらを揚げた。エビの背わたを取って、ナスを切って、かぼちゃを薄く切る。手が勝手に動く。皿を運んで座ろうとしたら、秀樹が席を開けた。
「エミ、こっち座りなよ。」
一瞬、私は動けなかった。姉ちゃん、ではなく、名前だった。名前で呼ばれて、席を進められるのは、27年で初めてだった。去年のお盆の座敷が頭をよぎった。4つの箸と、4つの橋。私は笑って、その席に座った。
「いただきます。」
4人で手を合わせた。私の前にも、ちゃんと箸がある。食べ終わって、かず子さんが部屋を見回した。棚に、写真が1つある。義父が生きていた頃の、北原の家の写真だ。私は映っていない。撮ったのが、私だからだ。
「エミさん、これ、飾ってるの?」
「はい。あの家で、お父さんだけは、私を名前で呼んでくれましたから。」
来年の夏も、その次の夏も、私は自分で決めた席に座るつもりでいる。