「母さん、感じが悪いよ。」
息子の冷たい声が、私の心臓を貫きました。手に持っていた茶碗が、カタカタと震えます。私は山本さ子、70歳。42年間、小学校で子供たちに思いやりを教えてきた元教師です。なのに、実の息子から投げつけられたその言葉に、全身が凍りつく思いでした。
今日は息子の順も、嫁の香りも早く帰れると聞いていたので、朝から買い物に出かけ、孫たちの大好きな唐揚げや、私が子供の頃から好きだった筑前煮を用意して待っていたんです。テーブルには心を込めて作った料理が並んでいました。
でも、玄関から聞こえてきたのは、香りの実母・みち子さんの楽しそうな声。
「今日もごちそうさまでした。うちの母のフレンチ、本当に美味しいでしょう?」
香りの弾んだ声が続きます。
「あら、お母さん、まだいたの?」
香りが、まるで邪魔物を見るような目で私を見ました。
「今日は香りのお母さんと約束があったから」
順がそっけなく言いました。私はただ、家族みんなで温かい夕食を囲みたかっただけなのに。
私が教師になったのは27歳の時でした。以来42年間、何千人もの子供たちに感謝の心と思いやりの大切さを教え続けてきました。朝7時には学校に着き、夜遅くまで子供たちのために働いた日々。定年退職した今は、月15万円の年金で暮らしています。夫を早くに亡くしてから、全ては息子の順のためでした。
大学までの教育費850万円。1人で必死に工面しました。結婚する時には貯金を崩して300万円。マイホームを建てる時には退職金から500万円を頭金として援助しました。全て息子の幸せのために。そう思って、何一つ惜しいと思ったことはありませんでした。
今も月5万円の生活費援助を続け、孫2人の塾代は月3万円ずつ。合わせて月11万円。年金15万円から引けば、私の生活費は4万円だけ。足りない月は、わずかに残った退職金を切り崩しています。週3回、朝から息子の家に通い、掃除、洗濯、夕飯の支度を、香りが仕事から帰る前に全て済ませています。
「おばあちゃん、今日もありがとう」
孫たちの笑顔を見れば、疲れなんて吹き飛びます。息子家族のためなら、この献身も喜びだと思っていました。でも、なぜこんな屈辱を受けなければならないのでしょうか?
先週の日曜日、息子の家で家族団らんがありました。
「お母さん、こっちの席に座って」
香りがリビングの中央にあるソファーの特等席に、実母のみち子さんを案内します。フカフカのクッションまで用意されていました。
「お母さんは、そこの椅子でいいでしょう」
香りが部屋の隅にある古い椅子を指差しました。座面が破れかけた、誰も座らない椅子です。家族写真を撮る時も同じです。
「お母さんは入らなくていいから。写真に映るとバランスが悪くなるし」
香りの言葉に、順も頷きます。私はカメラマン役をさせられ、幸せそうな家族写真からいつも外されていました。みち子さんには高級和菓子と抹茶。私には、消費期限ギリギリの洗剤と麦茶。この差は一体何なのでしょうか?
「おばあちゃん、こっちに来て」
孫の陽太が私を呼んでくれた時、香りが鋭い声で止めました。
「陽太くん、みち子ばあちゃまとお話しなさい。品のいい会話を学べるから」
私の腕に、冷たい針が刺さったような痛みが走りました。
先月、孫の運動会がありました。私は前日からお弁当の準備を楽しみにしていたんです。陽太の好きなのは鳥の唐揚げ、美咲の好きな卵焼き。朝4時に起きて、心を込めて作りました。でも当日、順から電話が。
「母さん、今日は来なくていいよ。みち子さんが来るから」
「でも、お弁当作ったのよ」
「みち子さんがケータリング頼んでくれたから大丈夫。3つ星レストランのだから、母さんのより豪華だし」
その一言が、また私の心を削りました。運動会も授業参観も、全てみち子さんが優先でした。
「うちの母は元大手企業の秘書だったから、先生方との会話も上手なんです。お母さんみたいに、ただの小学校の先生じゃないから」
香りはいつもそう言って、私を除外しました。ただの小学校の先生。42年間、子供たちの未来のために尽くしてきた私の人生を、そんな風に言われるなんて。
それでも私は孫たちに会いたくて、息子の家に通い続けました。
「母さん、明日もみち子さんと買い物に行くから、掃除と夕飯よろしくね」
順が当たり前のように言います。返事を待つこともなく、スマホを見ながら。
「腰が痛くて今日はそう言いけると」
香りが割って入ります。
「え、じゃあ誰が家事するんですか? 私たち働いてるんですよ。お母さんみたいに年金暮らしじゃないんですから」
まるで私が怠けているかのような口調でした。年金暮らしの私を、まるで価値のない人間のように。週3回がいつの間にか週5回に。朝8時から夕方6時まで、息子の家で火事場の馬鹿力のように働く日々。みち子さんとのランチやショッピングを楽しむ香りを横目に、私は黙々と掃除機をかけていました。
ある日、トイレ掃除をしていると、香りの電話の声が聞こえてきました。
「うちのシュート、ただの飯使いよ。便利だから使ってるだけ。母とは格が違うのよね」
友人との電話でしょうか。私のことを、飯使い。そして「母さん、感じが悪いよ」と言われた日から1週間後、また別の侮辱を受けることになりました。
「母さんの料理、最近味が落ちたね」
順が私の作った肉じゃがを一口食べて顔をしかめました。
「年取ると味覚も鈍るのかな」
香りがわざとらしいため息をつきます。
「みちこばあちゃまの作るビーフシチューの方が美味しい」
孫の美咲まで、無邪気にそんなことを言いました。
「そうよ。うちの母の料理の方が子供たちも喜ぶし、栄養バランスも考えられてるし。お母さんの料理って、なんか貧乏臭いのよ」
香りが得意げに言い、みち子さんからもらったレシピ本まで見せてきました。
「お母さんもこのレシピ通りに作ってみたら? あ、でも難しいわね。フランス料理の基礎も知らないでしょうし」
その嘲笑うような目。42年間、給食のない日には必ずお弁当を作り、順を育ててきた私の料理を、こんな風に侮辱するなんて。
「母さんの時代の料理って古いんだよね」
順までそんなことを言い出しました。私の手が震えていました。箸を持つ手が止まらないほど震えていました。もはや限界でした。私の存在価値をここまで否定されるなんて。
その夜のことは、一生忘れることができません。息子の家で夕飯の片付けを終え、帰ろうとしていた時でした。玄関で靴を履いていると、リビングから順と香りの会話が聞こえてきたんです。
「母さんの援助、正直迷惑だよね」
順の声でした。私の手が止まりました。
「でも義務でしょう。親が子供を助けるのは当たり前じゃない」
香りが当然のように言います。義務。私が必死に切り詰めて渡している月5万円が、義務だというのですか?
「そもそもさ、月5万円なんて端金だよな。みち子さんから月30万もらってるし、あの5万円なんて小遣い程度」
私は耳を疑いました。月30万円? みち子さんから、そんな仕送りを?
「うちの母は元大手企業の秘書だったから退職金もたっぷりあるのよ。株の配当だけで月50万はあるって言ってた。それに比べてお母さんなんて、ただの小学校教師でしょう。貧乏臭いのよ」
香りの声に軽蔑がにじんでいました。
「貯金で言ったら、私の母の1/10もないんじゃないだろうな。しかも感じ悪いし、一緒にいるの恥ずかしいんだよな」
順が追い打ちをかけます。感じが悪い。息子が実の母親のことを、そんな風に。
「この前ママとランチしてた時、お母さんが通りかかったの。みんなに『あれ誰?』って聞かれて、『ただの知り合い』って答えちゃった」
香りが笑いながら言いました。
「だって、あのみすぼらしい格好で『うちのシュートです』なんて、恥ずかしくて言えないじゃない」
ただの知り合い。週5回も家事をしているシュートが、ただの知り合いと。
「ま、仕方ないよ。母さんの服装いつも同じだし、10年前のコートとか着てるし。スーパーの特売品みたいな服ばっかり。この前なんて、ほつれた袖口を自分で縫ってたのよ。見てて哀れになっちゃった」
「だってお金ないんでしょう。年金15万円でうちに5万円も援助してるんだから、自分の服なんて買えないわよね」
2人が笑い合う声が聞こえます。私のみすぼらしさを、笑いの種にしているのです。
「でもさ、孫の塾代も払ってもらってるし、それは助かってるよな」
「そうね。月6万円は大きいわ。でもそれも親の義務よ。孫の教育費くらい出して当たり前。むしろ少ないくらいだわ」
「みち子さんなんて、孫のために学資保険まで入ってくれてるんだから。それに比べて母さんは月6万がやっとか」
私は壁に手をついて体を支えました。心臓が早鐘のように打っています。退職金を切り崩してまで出している6万円を、やっとと言われるなんて。
「来月から援助やめないって言おうか」
順の言葉に、私は息を飲みました。
「え、でも孫の面倒は見てもらわないと困るわよ」
「それは別の話だろ。孫の世話はおばあちゃんの役目だし」
「そうよね。それは親の義務というか、祖母の当然の仕事よね」
2人の打算的な会話が続きます。
「援助は断ってでも、家事と孫の世話は続けてもらう。それが1番いいんじゃない」
「うん。『お金の援助はもう結構です。でも孫には会いたいだろ』って言えば、母さん喜んで世話し続けるよ。単純よね、お母さんって」
香りの嘲笑が聞こえました。
「42年も教師やってたのに世間知らずなんだよな。人を疑うことを知らないっていうか。だから利用しやすいのよ。『孫のため』って言えば何でもやってくれるし。まるで都合のいいロボットみたい」
ロボット。私は息子夫婦にとって、感情のないロボットだったのです。利用しやすい。私は利用しやすい存在だったのです。
「正直、お母さんが作る料理も掃除の仕方も全部古臭いんだよね。この前、みち子さんが『あの掃除の仕方じゃカビが増えるわよ』って言ってたな。料理だって、いつも同じメニューの繰り返しで想像性ゼロ。でも、ただで働いてくれるからまあいいかって感じだな」
私の週5日、1日10時間の労働を、ただ働きと。
「あ、そういえば来月の家族旅行、母さんには言わないでおこう」
「賛成。沖縄のリゾートホテルでしょう? お母さんがいると雰囲気悪くなるし」
「高級ホテルにあの格好で来られたら恥ずかしいもんな。私の母は、もう誘ったわよ。スイートルームに部屋取ったし」
「温泉旅館も、部屋が1つ減って安くなるしな」
「それより、お母さんが死んだらこの家もらえるよ」
香りの言葉に、私は凍りつきました。
「当然だろ。1人息子だし」
「でも、まだまだ死にそうにないよな。70歳でしょう。あと20年は生きそう」
「面倒だよな。金もないくせに長生きされても」
私はもう聞いていられませんでした。静かに玄関を出て、夜道を歩きながら、涙が止まりませんでした。42年間、教師として思いやりを教えてきた私が、実の息子からここまで侮辱されるなんて。死ぬのを待たれているなんて。月11万円の援助のために退職金を切り崩し、自分の服も買わず、美容院にも行かず、全て息子家族のために使ってきたのに。
「感じが悪い」「恥ずかしい」「利用しやすい」
息子の言葉が頭の中でリフレインします。家に帰り、鏡を見ました。確かに髪は白が混じり、服も10年前のもの。でも、それは全て息子家族を優先してきた結果でした。その夜、私は一睡もできませんでした。布団の中で何度も考えました。これまでの人生は何だったのか。息子のために捧げてきた42年は、無駄だったのか。
でも、朝日が登る頃、私の中で何かが変わりました。
「もう我慢しない」
鏡に映る自分に、そう言いました。私はただ利用されるだけの存在ではない。42年間、多くの子供たちを育ててきた誇り高い教師です。その誇りをもう1度取り戻す時が来ました。
翌朝、鏡の前に立ち、自分の顔をじっと見つめ、改めて決意しました。
「もう2度と利用されない」
声に出して、自分に聞かせました。朝食も取らず、私は身支度を整えました。10年前のコートではなく、夫との思い出のスーツをタンスから出します。少し古いデザインですが、背筋がピンと伸びる感覚がありました。
最初に向かったのは銀行。朝一番と同時に入店し、窓口で告げました。
「全ての自動送金を、今すぐ停止してください」
若い行員さんが驚いた顔をしました。
「山本様、毎月の定期送金を停止されるのですか?」
「はい。息子名義の口座への送金、全て停止です」
私は通帳を差し出しました。そこには毎月5万円の生活費援助、6万円の塾代、合計11万円の送金記録が並んでいました。
「確認させていただきますが、来月分から停止でよろしいですか?」
「いいえ、今月分も取り消してください。まだ処理されていないはずです」
「かしこまりました。ただ、一度設定された自動送金を全て解除されるのは構いません」
「全て解除してください」
行員さんが端末を操作する間、私は待合で考えていました。この5年間でいくら援助してきたのか? 月11万円×12ヶ月×5年=660万円。さらに結婚資金300万円、マイホーム頭金500万円。合計1460万円。これだけのお金があれば、私はもっと豊かな老後を送れたはずです。
「山本様、手続きが完了しました」
行員さんの声で現実に引き戻されました。
「それから、定期預金も解約したいのですが」
「3000万円の定期預金ですね。満期まであと3ヶ月ございますが、違約金を払っても構いません」
「今すぐ解約して、別の口座に移してください」
私は新しく作った個人名義の通帳を差し出しました。夫の遺産と退職金の残りです。息子には絶対に渡さない。私だけのお金です。
手続きが終わり、銀行を出ると、次は不動産会社へ向かいました。実は、息子が家を建てた土地は私の名義なのです。30年前、夫が生前に将来息子家族のためにと購入した土地でしたが、名義は私になっていました。息子はそのことを知らないまま、10年前にその土地に家を建てたのです。
「土地の売却について相談したいのですが」
担当者に事情を説明しました。
「なるほど。お客様名義の土地に、息子さんが家を立てられたと」
「はい。でも、もう売却したいんです」
「その場合、息子さんに土地を買い取っていただくか、立ち退いていただく必要がありますが」
「立ち退きの手続きをお願いします」
担当者が驚いた顔をしました。
「親子間で、そのような…」
「もう、親子ではありません」
私の言葉に、担当者は奇妙な顔になりました。
「わかりました。まず内容証明郵便を送ることから始めましょう。借地権の設定もないようですので、法的には1ヶ月の猶予期間で立ち退きを求めることができます」
「お願いします」
書類を作成してもらいながら、私は冷静でした。もう後戻りはしません。
「土地の評価額ですが、この地域の相場から見て約4000万円になります」
4000万円。これがあれば、私は新しい生活を始められます。
「売却が決まれば、すぐに現金化できますか?」
「はい、買い手はすぐに見つかると思います。この地域は人気ですから」
不動産会社を出る頃には、夕方になっていました。帰り道、化粧品店に立ち寄りました。何年ぶりでしょうか、自分のために買い物をするのは。
「口紅を1本いただけますか?」
鮮やかな赤い口紅を選びました。教師時代、卒業式の日にはいつもつけていた色です。レジで会計を済ませ、その場で口紅を塗りました。鏡に映る自分の顔が、少し輝いたような気がしました。
夕暮れの町を歩きながら、私はすがすがしい気持ちでした。明日、息子夫婦の元に内容証明が届きます。援助も止まります。彼らがどんな顔をするか想像すると、少し胸が痛みました。でも、もう迷いはありません。「感じが悪い」と言われた母親が、どれほどの力を持っているか。「利用しやすい」と笑われた元教師が、どれほど懸命な判断ができるか。今こそ、息子夫婦に教える時が来たのです。42年間、教壇で子供たちに教えてきました。人を軽蔑してはいけない。感謝の心を忘れてはいけない。その教えを、今度は実の息子に身を持って示す番です。
その夜8時過ぎ、息子から電話がかかってきました。
「母さん、来月の生活費振り込まれてないんだけど」
順の声は、いつものように当たり前の口調でした。
「援助は終了しました」
私は冷静にはっきりと告げました。電話の向こうで、息子が息を飲む音が聞こえました。
「え、どういうこと?」
「言葉通りの意味です。今月分から援助を取り消しました。もう1円も援助しません」
「ちょっと待ってよ、母さん。何か勘違いしてない?」
「勘違い? いいえ、とても頭がクリアです」
香りの声が後ろから聞こえてきました。
「どうしたの?」
「母さんが援助しないって」
すぐに香りが電話を変わりました。
「お母さん、どういうことですか? 今月の塾の引き落としが来週なんですけど」
「だって、みち子さんの方がいいんでしょう。月30万ももらってるなら、十分では?」
一瞬の沈黙の後、香りが慌てた声をあげました。
「な、何の話ですか?」
「昨日の夜、お2人の会話を聞いてしまったんです。『月5万円なんて端金』『感じが悪い』『利用しやすい』」
私は淡々と、聞いた言葉を繰り返しました。
「そ、それは誤解です!」
「誤解? 実は録音してあるんです」
そう、私はあの夜、スマートフォンで会話を録音していたのです。教師時代、授業の振り返りのために使っていた録音アプリが、まさかこんな形で役立つとは。「母さんが死んだらこの家もらえるよ」という部分も、はっきり録音されています。電話の向こうで、息子夫婦が凍りついたのが分かりました。
「母さん、今から話しに行くから」
「お断りします。もう家族ではありませんから」
「何言ってるんだよ。親子だろ!」
順が怒鳴りました。でも、私は揺らぎませんでした。
「昨日は『ただの知り合い』と言われていたようですが」
私は電話を切りました。
翌朝、息子から何度も着信がありました。携帯電話の電源を入れると、すぐに電話が鳴りました。
「母さん、大変なことになってる!」
順の声は完全にパニック状態でした。
「何かあったのですか?」
「内容証明が届いたんだ。土地の立ち退きだよ!」
「書いてある通りです。その土地は私の名義です。1ヶ月以内に立ち退いてください」
「この土地、母さんの名義だったの?」
香りの悲鳴のような声が聞こえました。
「30年前に亡くなった主人が、私名義で購入したものです。息子家族のためにと思って無償で使わせていましたが、もう必要ないようですから」
「そんな急に言われても!」
「急ではありません。昨日はっきりおっしゃったじゃないですか。援助はいらないと」
「それとこれとは話が違うだろう!」
「同じです。土地も援助の1つですから」
「母さん、本気なの?」
「本気です。土地はすでに不動産会社に売却を依頼しました。4000万円で買い手がつく予定です」
「4000万円…」
「はい。これで私も安心して老後を過ごせます」
「母さん、昨日のは冗談だよ。本気で言ったわけじゃない」
順が必死に弁解を始めました。
「感じが悪いのは香りで、俺は止めようと思ってたんだ」
「ちょっと、私のせいにしないでよ!」
電話の向こうで、夫婦が言い争う声が聞こえました。
「母さん、お願いだ。土下座でも何でもする」
「土下座? そんなものに何の価値があるんですか?」
その時、香りが電話を奪い取りました。
「お母さん、お願いです! うちの母からの援助も、急に半分になったんです!」
「半分に?」
「母が最近『子供の自立のため』とかなんとか言い出して、15万円に減らされて…」
なるほど。みち子さんも、何か感じるところがあったのでしょう。
「それは大変ですね。でも、私には関係ありません」
1週間後、息子から衝撃的な電話がありました。
「母さん、大変なことになった!」
「何がですか?」
「香りの母親に録音を送っただろう!」
私は否定しませんでした。
「はい、送りました。みち子さんの連絡先は、香りの携帯から以前教えてもらっていましたから」
「みち子様、初めまして。順の母のさ子です。息子夫婦の私に関する会話を録音したものをお送りします。ご確認ください」
シンプルなメッセージと共に、あの夜の録音を送ったのです。
「みち子さんが激怒して、援助を完全に停止したんだ!」
「そうですか」
「『人の親を侮辱する娘にお金を渡す価値はない』って! 『みすぼらしい飯使い』なんて言葉を使う子に育てた覚えはないって!」
みち子さんも、元秘書として品格を重んじる方なのでしょう。
「それだけじゃない。『こんな恥ずかしい娘とは縁を切る』とまで言われた!」
「それは、香りが私を『ただの知り合い』と言ったのと同じですね」
「母さん!」
「順さん、因果応報という言葉をご存知ですか?」
私は静かに言いました。
「人を軽蔑したものは、自分も軽蔑される。人を恥ずかしいと言ったものは、自分も恥ずかしいと言われる」
「もう本当に生活できないんだ。今月の住宅ローンも払えない!」
「それは大変ですね。孫たちの塾ももう通えないのでは? 『親の義務』とおっしゃっていましたから、頑張ってください」
「母さん、本当に悪かった。心から反省している」
「反省? 援助がなくなったから反省しているだけでしょう」
「違う! 録音を聞き返して、自分たちがどんなにひどいことを言っていたか分かった」
「遅すぎます」
その後、みち子さんからも連絡がありました。
「さち子さん、この度は娘が大変失礼なことを。録音を聞いて、情けなくて涙が出ました」
みち子さんの声は、本当に悲しそうでした。
「あんな子に育てた覚えはありません。『利用しやすい』なんて、人様の母親に向かって…。さち子さんには本当に申し訳なく思っています。もう娘への援助は一切しません。自分たちで生きていってもらいます」
数週間後、香りはパートを始め、順は残業を増やしているそうです。孫たちは塾をやめ、公立の学童に通うようになったと聞きました。
ある日、スーパーで香りと偶然会いました。以前の派手な服装とは違い、地味な格好をしていました。
「お母さん…」
香りは泣きそうな顔で近づいてきました。
「お久しぶりです」
私は他人のように挨拶しました。
「本当にごめんなさい。私たち、とんでもないことを言ってしまいました。母も私のことを許してくれなくて…」
「それは、あなたとみち子さんの問題です」
私は立ち去ろうとしましたが、香りが必死に呼び止めました。
「お母さん、あの時『感じが悪い』なんて言って、本当にごめんなさい!」
「感じが悪いのは、感謝を忘れた人の心です」
私はそう言って、その場を後にしました。42年間の教師生活で学んだこと。それは、人を大切にしないものは、自分も大切にされないということ。息子夫婦は、身を持ってそれを学んだはずです。
3ヶ月後、私は新しいマンションのバルコニーで朝のコーヒーを楽しんでいました。土地の売却代金4000万円で購入した、駅近のマンション。2LDKですが、1人暮らしには十分すぎる広さです。南向きの大きな窓からは、朝日が燦々と降り注いでいます。
「さち子さん、おはようございます」
お隣の奥様が笑顔で挨拶してくださいます。このマンションの住人の方々は皆さん品が良く、私を1人の人間として尊重してくれます。「感じが悪い」なんていう人は、1人もいません。
週2、3回は近くのカルチャーセンターに通っています。月曜日は陶芸教室。土をこねながら無心になれる時間が心地よいのです。
「山本さんの作品、本当に味わいがありますね」
先生に褒められると、心から嬉しくなります。水曜日は書道教室。42年間黒板を書き続けた手が、今度は半紙に美しい文字を綴ります。金曜日は料理教室。フランス料理やイタリア料理など、今まで作ったことのない料理に挑戦しています。
「山本さん、センスがいいですね。元々お料理がお上手だったんでしょう?」
若い生徒さんに言われて、思わず微笑みました。息子夫婦には「味が落ちた」「貧乏臭い」と言われた私の料理ですが、ここでは褒められるのです。
月に1度は温泉旅行にも出かけています。先月は箱根、今月は伊豆、来月は京都の老舗旅館を予約しました。1人旅ですが、寂しくありません。むしろ自由で心地よいのです。誰に気を使うこともなく、好きな時間に起きて、好きなものを食べて、好きな場所を訪れる。これが本当の自由というものでしょう。
銀行の通帳を見ると、残高が増えていました。月11万円の援助がなくなったことで、毎月それだけのお金が溜まっていくのです。年間132万円。5年続けていたら、660万円も使っていたことになります。そのお金で新しい服も買いました。10年ぶりに美容院にも行きました。
「お客様、とてもお似合いですよ」
美容師さんの言葉に鏡を見ると、そこには生き生きとした表情の私がいました。
一方、息子一家の生活は一変したようです。先日元同僚の先生から聞いた話では、息子一家は郊外の古いアパートに引っ越したそうです。2DKの狭い部屋に家族4人で暮らしているとか。
「おばあちゃんに会いたい」
孫たちがそう言っているという話も、風の噂で聞きました。でも、私から会いに行くことはありません。「感じが悪い」「恥ずかしい」「利用しやすい」。あの言葉を言った親の子供たちです。いつか、親と同じことを言うかもしれません。
ある日、郵便受けに手紙が入っていました。順からでした。
「母さん、この3ヶ月、本当に苦しい日々でした。でも、その苦しさの中でやっと気づきました。母さんがどれだけ俺たちのために犠牲になっていたか。月11万円という金額が、年金15万円の中からどれほど大変だったか。香りも毎日泣いています。自分がどれほどひどいことを言ったか、今になって分かったと。みち子さんからも絶縁されて、本当の孤独を味わっています。子供たちは毎日『さち子おばあちゃんに会いたい』と言います。でも、俺たちにはもう母さんに会う資格がないと分かっています。ただ1つだけ伝えたくて。母さん、ありがとうございました。42年間、立派に育ててくれて。その恩を仇で返した最低の息子ですが、今は心から感謝しています。もう2度と人を軽蔑することはしません。感謝の心を忘れることはありません。母さんが幸せでいてくれることを、心から願っています」
手紙を読み終えて、複雑な気持ちになりました。でも、もう元には戻れません。戻るつもりもありません。私はこの手紙を引き出しにしまいました。返事を書くつもりはありません。これが、最後の教育なのです。
夕方、バルコニーから町を眺めていると、教師時代のことを思い出しました。42年間、何千人もの子供たちに伝え続けた言葉。人を大切にしなさい。感謝の心を忘れてはいけません。相手の立場になって考えなさい。皮肉なことに、一番近くにいた息子にはそれが伝わっていなかったのです。いえ、伝わっていたのかもしれません。ただ、甘やかされて、忘れてしまっただけなのでしょう。でも今、息子夫婦は身を持って学んでいるはずです。感謝の心を忘れたものに未来はないということを。人を軽視したものは、自分も軽視されるということを。親の愛情は無限ではないということを。
これは息子夫婦だけの問題ではありません。現代社会では、親の援助が当たり前と思う子供が増えています。親の犠牲の上に成り立つ生活を、当然の権利と勘違いしている人たちが。でも、親にも人生があります。親にも尊厳があります。親にも幸せになる権利があるのです。我慢することが美徳ではありません。理不尽に耐え続けることが親の愛情ではないのです。時には毅然とした態度を取ることも必要です。自分の尊厳を守ることは、年齢に関係なく大切な権利なのです。
私は今、心から言えます。私は幸せです。もう誰の飯使いでもありません。もう誰の「感じの悪い母親」でもありません。私は山本さ子という1人の人間として、堂々と生きています。70歳。人生はまだまだこれからです。来月は学生時代の友人とヨーロッパ旅行に行く予定です。パリ、ローマ、ロンドン。若い頃から憧れていた場所を、自由に巡ります。再来月は新しい習い事を始める予定です。英会話かダンスか、まだ決めていませんが、ワクワクしています。
これが私の選んだ勝利の道です。理不尽に屈せず、自分の尊厳を守り通した結果です。もしこの物語を聞いているあなたも同じような状況にいるなら、どうか勇気を持ってください。我慢には限界があります。あなたにも幸せになる権利があります。あなたの人生は、あなたのものなのです。「感じが悪い」と言われた母親は、今、誰よりも輝いています。
これが私からの最後のメッセージです。親を軽視してはいけません。感謝の心を忘れてはいけません。そして、理不尽に立ち向かう勇気を持ってください。正義は必ず勝利します。私がその証人です。



