夫を亡くして12年。私は必死に“体面”を保って生きてきた。誰にも迷惑をかけず、慎ましく、きちんとしていた。なのに、ある日突然届いた1枚の書類で、私の人生は音を立てて崩れ始めた。私が保証人になった姪が、家賃を滞納したまま姿を消したという。請求金額は145万円。私の預金は50万円しかないにもかかわらず、です。次の日には、不動産会社の男性が自宅まで来て、「支払いについてお話しさせてください」と、礼…

夫を亡くして12年。私は必死に“体面”を保って生きてきた。誰にも迷惑をかけず、慎ましく、きちんとしていた。なのに、ある日突然届いた1枚の書類で、私の人生は音を立てて崩れ始めた。私が保証人になった姪が、家賃を滞納したまま姿を消したという。請求金額は145万円。私の預金は50万円しかないにもかかわらず、です。次の日には、不動産会社の男性が自宅まで来て、「支払いについてお話しさせてください」と、礼...

請求書を受け取った瞬間、千世子は自分の耳を疑った。差出人は不動産管理会社。そこには、夫の姪にあたる美佐子が家賃を滞納し、行方不明になったと書かれていた。そして、保証人である自分に請求される金額は、なんと145万円。清掃費用や違約金まで含まれた、とてつもない額だった。

夫を亡くして12年。年金だけで慎ましく暮らしてきた千世子の預金残高は50万円しかない。足りない95万円。途方に暮れる彼女の耳に、夫を亡くしてからずっと守り続けてきた「体面」という名の薄い壁が、静かにひび割れる音が聞こえたような気がした。

市役所の無料法律相談で、若い相談員から言われた言葉は冷たかった。「保証人の義務は消えません。相手の請求は法的に正当です」。選択肢は分割交渉か、自己破産か。どれも簡単に選べる道ではなかった。

翌日、自宅の廊下でスーツ姿の男たちに呼び止められた。「黒川千世子様でいらっしゃいますか。株式会社未来不動産管理の者ですが」。丁寧な口調とは裏腹に、その圧力は明確だった。近所に知られてはならない。そんな思いから、千世子は言われるがまま、残った貯金から40万円を支払ってしまった。残りは105万円。通帳の残高は10万円になった。

どうしてもお金が必要だった。誰にも知られずに働ける場所を探し、深夜まで働くビジネスホテルの清掃の仕事を始めた。疲労で手は荒れ、体重は落ちていった。それでも、体面を守るためだけに、千世子は働き続けた。

だが、そんな生活にも限界が来た。口座が差し押さえられ、生活費さえも引き出せなくなった。電気代を払えず、コンビニで買う138円のおにぎりさえも諦めなければならなかった。涙を流したのは、駅前のベンチで、誰もいない夜だった。

美佐子が住んでいた部屋を見に行った。そこは、ゴミの山が積み上がる「ごみ屋敷」と化していた。千世子は、そこで美佐子が書き殴ったノートを見つけた。「寒い」「誰にも会いたくない」「ごめんなさい」「疲れた」。自分を追い詰めた美佐子もまた、誰にも助けを求められずに、ここで孤独に壊れていったのだ。そう思うと、自分と美佐子の姿が重なって見えた。

ついに、団地の住人からも、「ご自身のためにお考えください」と、穏やかな言葉で退去を促された。長年住んだ団地を追われるようにして去ることになった。全てを失った千世子は、それでも泣かなかった。

娘からの電話の連絡は、新しい生活への第一歩となった。娘夫婦と孫に支えられ、千世子は小さなアパートへと引っ越した。それは、体面という重りを全て捨てた、真に新しい人生の始まりだった。空っぽの部屋で、千世子は初めて、孤独が恐怖ではなく、静けさとして感じられることを知った。

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