浴室のドアを叩く音が、また響いた。
「みんな、もう入ったの?信じられない!」
義母の声は、いつものように冷たく尖っていた。私は慌ててバスローブを羽織り、玄関へと急いだ。ドアを開けると、そこには不機嫌そうな義母と、腕を組んだ義父が立っていた。
。
「すみません、今日は少し早く帰れたので…」
「一番風呂はお父さんと決まってるでしょ。嫁の分際で、自分が先に入るなんて非常識なんだから」
「そうだそうだ。お前、俺が一番風呂に入るのを楽しみにしてるの、分かってるだろうが」
私は何度も頭を下げた。まるで自分の家で、自分の風呂に入ったことが、罪であるかのように。
それが、この家での私の日常だった。
夫の剣士と手に入れた、念願のマイホーム。陽光が差し込む明るい平屋で、広々とした最新設備のユニットバス、ジェットバス付きの浴槽、高級ホテルのような空間が、私たちの自慢だった。だが、義実家の風呂が故障したのをきっかけに、義両親が毎日のように我が家へ通い始めた。
脱衣所には義父の洗濯物が散らかり、自慢の浴槽には、二人が使った後の皮脂や髪の毛が浮いている。そして、ある日、夫に遠方への転勤話が舞い込んだ。
「3年は帰って来られないと思う。あいつら、お前に任せたから」
「でも、お父さんたちは剣士さんのご両親でしょ?たまには帰ってきて顔を見せないと…」
「忙しいんだよ、給料分の働きはしてもらわないとな」
一方的にそう言い放つと、夫は自室へと引き上げていった。給料分の働き。まるで私が、雇われた家政婦であるかのような言い草だった。
転勤から3ヶ月後の、ある夜中2時。携帯電話が鳴り、画面には夫の名前が浮かぶ。
「みゆきちゃん、今日は楽しかった。明日も遊ぼうね。また美味しいもの食べに行こうね」
酔った夫の声が、スピーカーから漏れてくる。私に向けられたことのない、甘ったるい優しさが、そこにはあった。
「剣士?私を見なよ」
「あ、間違えた」
無機質な音を立てて、通話が切れる。暗闇の中、私は携帯電話を握りしめたまま、動くことができなかった。胸の奥が、ずきんと痛む。愛していた人の声が、ただの不快なノイズに変わった瞬間だった。
翌朝、私は探偵事務所に連絡を入れた。
「夫の身辺調査をお願いします」
もはや、この痛みから逃れるには、真実を知るしかない。
電話口の男性は淡々と料金と調査内容を説明し、私は震える手でメモを取った。
一方、義両親は、夫が不在でも毎日のように我が家を訪れる。
「おうみちゃん、今日も入らせてもらうよ」
「お風呂沸かしてあるわよね?今日は冷えるから、集めがいいわ」
挨拶代わりの言葉に、疑問系は含まれていない。当然のように家に上がり込み、リビングのソファーに腰を下ろす二人。私は「どうぞ」と言うしかなかった。
ある日、仕事から帰った私は、義両親が来る前にお風呂に入った。ジェットバスのスイッチを入れ、温かい湯に身を沈める。ほんのわずかな安らぎ。玄関のチャイムが鳴ったのは、それから10分も経たない頃だった。
「嘘、もう入ってたの?信じられない」
「すみません、今日は少し早く帰れたので…」
「ちょっと待ちなさい。一番風呂はお父さんと決まってるでしょ。非常識なんだから。嫁のくせに、自分が先に入るなんてどういう神経してるの?」
義母は玄関で怒鳴り散らし、奥から現れた義父も、不機嫌そうに腕を組んでいる。
それからというもの、義両親は私が何時に帰宅しようと、必ず五時には到着するようになった。そしてお風呂だけでなく、夕食まで要求するようになる。
「せっかく来たんだから、ご飯も食べていくわ」
「俺はハンバーグが好きだな。あと唐揚げも、ビールも冷やしとけよ」
私は仕事で疲れ果てた体を引きずりながら、キッチンに立った。義両親はリビングでテレビを見ながら大声で笑っている。まるで自分の家にいるかのように、くつろいでいる。
「おい、ビールもう1本持ってきてくれ。あとつまみも」
「みなちゃん、お茶もお代わり。暑いやつね」
義母は食後のデザートまで要求し、私が出したケーキを一口食べると、顔をしかめた。
「これスーパーで買った安物でしょう?もっといいもの買いなさいよ。剣士がかわいそうだわ」
私はまるで、自分の家で飯使いをしているような気分だった。
やがて、異変に気づき始める。
私の私物が、少しずつ消えていくのだ。
クローゼットにしまっていたブランドのバッグ、化粧台に置いていた高級クリーム、誕生日に剣士からもらったネックレス、母から譲り受けた指輪まで。
ある日、義母がそのネックレスを首にかけているのを見て、私は言葉を失った。
「お母さん、それ…」
「ああ、これ?あんたの部屋にあったから、もらってきたのよ。探したのよ。いいものないかなって」
「でも、それは私の…」
「あんたには、どうせ似合わないでしょ?真珠なんて若い子には早いのよ。私がつけた方が生えるわ。これもらってくわね」
義母は悪びれもせず、笑いながらそう言った。
「そうだそうだ、お前みたいな地味な女には、宝の持ち腐れだ」
私は何も言い返せなかった。喉の奥に何かが詰まったような感覚が広がり、ただ俯くことしかできない。
探偵からの報告書が届いたのは、それから1週間後のことだった。
封筒を開けると、そこには剣士と若い女性が、腕を組んで歩いている写真が何枚も入っていた。マンションの前でキスをしている写真、二人で高級レストランで食事をしている写真、ブランドショップで買い物袋を抱えて笑っている写真。
そして詳細な報告書には、剣士が「美ゆ」という25歳の女性と同棲していることが記されていた。転勤自体も、愛人と暮らすために、剣士が自ら志願したものだという。
私は震える手で携帯電話を取り出し、剣士に電話をかけた。
「写真を見たわ」「美ゆさんって誰?」
「ああ、バレたか…まあいいや」
夫の声は、驚くほど軽かった。
「どういうつもりなの?私たち夫婦でしょ?」
「美ゆきちゃんがいれば、何もいらないんだよ。彼女は可愛いし、料理もうまいし、文句も言わないしな」
「なんだよ、お前みたいに暗い顔してないしな。離婚でも何でも好きにしろ」
「それと…あいつらは、お前が面倒を見ろ。俺の親なんだから、当然だろ」
一方的にそう告げると、剣士は電話を切った。私は床に座り込み、携帯電話を握りしめたまま、ただ呆然としていた。涙さえ、出てこない。
ある日の夕方、私はキッチンで洗い物をしながら、リビングで会話する義両親の声を耳にした。
「なあ、この風呂、近所の奴らに解放して、入浴料を取るってのはどうだ?一回500円くらいでさ」
「あら、それいいわね。どうせ息子の家なんだから、私たちが好きにして、いいでしょう」
「掃除は嫁に押し付けて、コスパ最強ビジネスだわ」
「嫁は文句も言わないし、都合がいいのよなあ」
「そうよ。あの子、何言っても黙ってるもの。使いやすいったら、ありゃしないわ」
二人は声をあげて、笑っている。私は手に持っていた皿を、静かにシンクに置いた。指先が、震えている。
もう限界だった。
義両親と縁を切る。その決断を、私は心の奥底で静かに固めた。
ほどなくして、私は義両親に黙って、新居を見つけた。駅から徒歩10分の古いアパートの一部屋。決して広くはないが、誰にも干渉されない空間が、そこにはあった。
引っ越し業者は呼ばず、少しずつ荷物を運び出す。思い出の品、服、食器、布団…一つずつ、静かに、確実に。
もちろん、毎日通い詰める彼らの目を盗むのは容易ではない。普通なら、棚の飾りが一つ消えただけで、異変に気づくはずだ。だが、私は彼らの「自分にしか興味がない」性格を、逆手に取った。
まずはクローゼットの奥や、彼らが決して開けない場所から着手する。
次に、リビングなどの目に見える小物を入れ替えていった。高価なブランド品をダンボールに詰め、代わりに安物の置物を、同じ場所に置く。そこにある景色さえ変わらなければ、彼らの傲慢な目はごまかせるのだ。
ある日、義母がリビングの棚をじろりと見て、不審そうに眉を寄せた。
「ねえ、ここにあった花瓶はどうしたの?もっと高そうだったでしょ?」
心臓が跳ね上がる。それは前日の早朝に運び出したばかりのものだったからだ。私は平静を装い、キッチンで手を動かしながら答えた。
「日々を見つけたので、お母様が怪我をされないように、もっと豪華な品と慎重しようと思って、今は整理しているんですよ」
「お母様のために」という言葉は、彼女にとって最高の目隠しになった。
「ふーん。気が効くじゃない。次はもっと派手なやつにしなさいよ」
彼女は、広くなっていく部屋を、「自分への献身」と解釈した。
私は彼らが風呂に入っている隙に、荷物を次々と運び出した。陽気な気分で湯舟に使っている真下で、私は家との決別を、冷徹に進めた。
足音を殺し、深夜と早朝に車を往復させる日々。肉体的な疲労は限界だったが、心は不思議なほどに、高かぶっていた。
ダンボールに荷物を詰めるたび、胸の奥がちくりと痛んだ。この家に抱いていた夢が、一つずつ箱の中に消えていく。
でも、後悔はなかった。この家はもう、私の居場所ではなくなっていたのだから。
引っ越しが完了したのは、決意を固めてから二週間後のことだった。最後に残ったのは、あの豪華なユニットバスだけ。ジェットバス機能も、大理石調壁面パネルも、もう私には関係ない。義両親が好きなだけ使えばいい…いや、使えなくなるのだが。
私はマイホームの電気、水道、ガスの使用停止手続きを済ませた。
「引っ越しますので」
電話口の担当者に理由を聞かれ、私は淡々と答えた。それだけだった。
電話を置いた時、肩の力がふっと抜けた気がした。
その夜、携帯電話が何度も鳴り響いた。画面には義母の名前。私は電話に出なかった。十回、二十回と着信が続く。
やがて、留守電にメッセージが入る。
「みなちゃん、どういうことなの?お湯が出ないじゃない。電気もつかないし、すぐに連絡しなさい」
「失礼にもほどがあるわよ。こっちは裸で待ってるのよ。寒いじゃない」
義母の怒鳴り声がスピーカーから漏れてくる。背景では、義父の怒声も聞こえてきた。
「何やってんだ、嫁は使えねえな」
私は携帯電話を手に取ると、着信拒否の設定をした。もうこの声を聞くことはない。静かな部屋に、私一人の息遣いだけが響く。
新しいアパートの窓から見える夜景は、マイホームから見えたものとは全く違う。でも、不思議と心が軽かった。
半月後、私がパート先のスーパーで品出しをしていた時のことだ。
静かな店内に、獣のような怒号が響き渡った。
「おい、みんな!逃げてないで出てこい!」
「店長さん!ここにいる嫁を出しなさい!」
「家族を捨てて逃げ出すなんて、まともな神経じゃないわよ!」
レジ付近に、目を血走らせた義両親が立っていた。
義父のシャツはよれよれで、義母も化粧もせず、二人とも異様な剣気を放っている。
その姿に、買い物客たちが怯えたように距離を取るのが分かった。
店長が慌てて駆け寄るが、義父はそれを突き飛ばさんばかりの勢いで、私を指さした。
「お前、よくもあんな罠を仕掛けてくれたな!」
「罠?何のことですか?ここは職場です。他のお客様の迷惑になります」
「うるさい!いいか、みんな聞け!この女はな、自分の義理の親を、警察に売り飛ばしたんだぞ!」
義父の叫び声に、店内が水を打ったように静まり返った。
「数日前だ!俺はいつものように、息子の家に行ったんだ!そしたら電気がついてたから、おお、みんなのやつがようやく直したんだな、と思ってな!鍵も開いてたから、入ってやったんだよ!」
「そしたら、寒かったから服を脱いで、真っ先に風呂へ向かったんだ!全裸で、浴室のドアをバーンと開けてやったんだ!そしたら中には、知らない新婚のガキどもが、入り上がってたんだよ!」
「そうなのよ!警察が来て、この人は全裸のままリビングで取り調べさせられたのよ!」
店内の客たちが、顔を見合わせる。
「それって、不法侵入じゃないの?」
「そのせいでな、今近所じゃ、俺たちのことを、揃いも揃って認知症になったなんて噂してやがるんだ!警察からも『息子さんの家じゃない』なんて言われて、まるで俺たちがボケた扱いだ!」
「あんたが黙って家を出て、電気を止めたりするからよ!あんたがあの家を管理してないから、変な夫婦が入り込んだんでしょ!全部、あんたのせいよ!」
義父は顔を真っ赤にして私に詰め寄り、義母は周囲に聞こえるように、認知症扱いされる屈辱を叫び散らかしている。
私は一歩も引かず、二人を静かに見つめて、言い放った。
「ご自分たちがやったことでしょう?鍵もかかっていない他人の家に勝手に入り込み、全裸で浴室に乱入する。それを世間では不法侵入、あるいは公然わいせつと呼びます」
「認知症だと噂されるのは、その行動があまりに非常識だからです」
「これ以上騒ぐなら、今度は私が警察を呼びます」
私は深く息を吐き、周囲の刺さるような視線を意識しながら、震えそうになる声を抑えて、静かに口を開いた。
「あの家は現在、賃貸として別の方に貸し出しています」「もう、私のものではありません」
「なんだと?ふざけるな!俺は俺の息子が一生懸命働いて買った家だぞ!嫁の分際で、勝手に貸すなんて許されると思ってるのか!」
義父の怒声が、スーパーの天井に反響して響き渡る。
「お客様、他の方のご迷惑になりますので、奥でお話を伺いますから、こちらへどうぞ」
店長と警備員が割って入り、半ば強制的に、私たちは店内のバックヤードへと移動した。
自動ドアが閉まり、店内のBGMが遠く聞こえる、湿めったダンボールの匂いが漂う狭い廊下に、義父の荒い息遣いだけが響いた。
事務室の簡素なパイプ椅スに座らされてもなお、義父の怒りは収まらない。
「場所を変えたからって、ごまかされると思うなよ!そもそも、あの家に住んでいた新婚夫婦は何だ?俺が全裸で捕まったのは、あいつらが勝手に上がり込んでいたからだろうが!」
「違います」「あの方たちは、正式な契約を結んで入居された人たちです」「勝手に上がり込んだのは、あなた方の方です」
私は、念のために持ち歩いていた、不動産登記事項証明書の写しを机に置いた。
「所有権は正式な手続きを経て、私に移っています」「剣士さんとは、すでに離婚が成立しましたから」
「離婚?いつ?私たちは何も聞いてないわよ!そんなの認めないわ!」
義母の甲高い声が、狭い事務室に反響し、耳の奥が痛む。私は冷静に、淡々と事実を告げた。
「剣士さんが、愛人との再婚を急ぐあまり、慰謝料と手切れ金代わりに、財産分与の権利を全て放棄されました」
「このマイホームも、無条件で私に譲渡するという書面に、サインを頂きました」「法的に、あの家は100%私の資産です」「それをどう使おうと、あなた方に口を挟まれる筋合いはありません」
義両親の顔色が、みるみるうちに、土気色へと変わっていく。
あんなに威勢の良かった義父までが、目に見えて小さく震え始めた。
「そんなバカな…じゃあ…剣士は今どこにいるんだ?あいつは、どこへ行ったんだ?」
「それは私には関係のないことです」「ご自分の息子さんの行方も、ご存知ないのですか?」
「息子に何度も電話してるのに、ちっとも繋がらないのよ!あんた、何か隠してるんでしょ!母親から息子を奪うなんて、なんて恐ろしい女なの!」
義母が身を乗り出して私に詰め寄ろうとするが、店長がそれを厳しく静止する。
私は必死に食らいつこうとする二人の、見苦しい表情を見つめながら、ふと剣士が転勤前に吐き捨てた言葉を思い出していた。
「あいつら、うるせえんだよ」「電話も着信拒否してるし」
転勤前、剣士は酔った勢いで、そう吐き捨てていた。自分の親を、まるで厄介者のように。
そして今、その厄介扱いされた義両親が、居場所を失って、ここにいる。
「実は…家が台風で半壊してな、住めなくなったんだ」
義父が、急に弱々しい声で言った。
「息子に連絡がつかないから、知人の家を点々としてたのよ…でも、もう限界で…」
義母の目には、涙が浮かんでいる。
私は一瞬、ため念がかけた。しかし、すぐに打ち消す。この人たちは、私のものを盗み、私を飯使いのように扱い、私の人生を踏みにじった。… 「それでも、私には関係ありません」「どうか、もう私には近づかないでください」
私は店長に一礼すると、店内へと戻った。
義両親の呆然とした表情が、視界の端に残る。
それから数日後、私の携帯電話に、見知らぬ番号から着信があった。
警察からだった。
「朝川皆さんですね」「ご実家について、確認したいことがあるのですが…」
私はその時、初めて知ることになる。居場所を失った義両親は、すでに取り壊しが決まっている、私の実家を訪れたらしい。
「みんなの実家なんだから、俺たちが使ったっていいだろう」「金目のものは頂いとけ」
「そうよ、私たちには権利があるわ」「息子の嫁の家なんだから」
二人は勝手に鍵を壊して侵入し、家財道具を漁り始めたという。
しかし同じ頃、その家には別の侵入者がいた。
心霊系ユーチューバーのグループが、ライブ配信をしながら、肝試しをしていたのだ。
「みなさん、今日は噂の心霊スポットに来ています!」
カメラを回しながら、彼らは暗い家の中を進んでいく。
そこへ、懐中電灯を手にした義両親が現れた。
「おい、これ使えそうだな」
「このテレビ、まだ動くかしら?」
闇の中で家財を漁る二人の姿。
ユーチューバーたちは、それを本物の幽霊だと思い込んだ。
「やばい、マジで出た!本物の幽霊だ!」
配信を見ている視聴者たちのコメントが、爆発的に増える。パニックに陥ったユーチューバーの一人が、護身用に持っていた熊よけスプレーを噴射した。
「ぎゃあ!目が!目が痛い!」
「何なの?助けて!」
義両親は激痛に悶絶し、床を転げ回る。ユーチューバーたちは恐怖のあまり、そのまま逃げ出した。
ライブ配信は繋がったまま、苦しむ義両親の姿を映し続ける。
さらに、敷地内に設置されていたセンサーが反応し、現在の管理者に通知が届いた。結果、その家はすでに売却され、別荘を立てる計画が進んでいたのだ。
管理者はすぐに現場へ駆けつけ、警察に通報。
警察が到着した時、ユーチューバーたちはすでに逃走していた。
残されたのは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった義両親だけ。
「誤解だ!俺たちは幽霊じゃない!」
「痛いわ!病院に連れて行って!」
しかし、不法侵入は明白な事実だった。二人は警察署に連行され、事情聴取を受けることになる。
そして、その一部始終を映したライブ配信の切り抜き動画が、SNSで大バリした。
「幽霊と間違わられて、撃退される老夫婦」
「クスプレーで成仏させられる」
「不法侵入者vs不法侵入者の戦い」
動画の再生回数は、瞬く間に数百万回を超え、コメント欄には嘲笑の言葉が溢れ替える。
テレビのワイドショーでも取り上げられた。
「本日のニュースです」「不法侵入者同士の珍騒動が話題になっています」
モザイク処理された映像が流れる。しかし、義両親の顔は、十分に判別できた。
「どちらも不法侵入ですからね」「擁護の余地はありません」
「世界中で笑い物になっているそうですよ」
悶絶する義両親の姿が、繰り返し、繰り返し放送される。
私はテレビを見ながら、覚めた紅茶のカップを手に取った。「因果応報」という言葉が、頭に浮かんだ。
携帯が鳴る。警察からの二度目の電話だった。
「義理のご両親が、あなたに連絡を取りたいと言っているのですが…」
「お断りします」「私はすでに離婚しており、彼らとは何の関係もありません」
「分かりました…では、そのように伝えます」
電話を切ると、部屋に静寂が戻ってきた。
窓の外では、春の風が穏やかに吹いている。
私は、新しい人生を静かに歩み始めていた。
追い詰められた義両親は、自らYouTubeチャンネルを開設した。動画のタイトルは、「強欲な嫁に騙された私たち」。「息子の家を勝手に売られて、私たちは路頭に迷っているんです」「嫁は私達を見捨てました」「どうか助けてください」。
涙ながらに訴える二人の姿は、一見すると哀れに見えた。コメント欄には同情の言葉が並び始める。
しかし、私は冷静だった。
以前マイホームに設置していた監視カメラの映像を、私は全て保存していたのだ。
私は自分のアカウントから、一本の動画を投稿した。「私の家で何を?」。
そこには、義母が私のクローゼットを漁り、ブランドバッグを持ち出す瞬間が記録されていた。化粧台から現金を抜き取る姿も、母の形見の指輪を懐に入れる姿も、全てが克明に映し出されていた。
動画はまたたく間に拡散され、義両親のチャンネルは大炎上した。
コメント欄は一変する。
「これ、完全に窃盗じゃん」
「被害者ぶってたのに、嘘だったのか」
私は迷わず、被害届けを提出した。
義両親は窃盗の容疑で、逮捕され、ニュースにも取り上げられる。
一方、元夫の剣士も、順風満帆とは言えなかったようだ。
愛人の美ゆにとって、剣士は最初から金づるでしかなく、彼女は入籍を拒み続けたという。
そして最終的に、美ゆは大企業の御曹子と婚約。
捨てられた剣士は、自棄時期になり、会社のお金に手をつけてしまう。
同僚の女性に付きまとう行為も発覚し、エリートの道を踏み外していった。
ある日、私が駅のホームで電車を待っていると、背後から声がかかった。
「みな…」
振り返ると、やつれた剣士が立っていた。
「俺を…一人にしないでくれ」「もう一度、やり直そう」
私は彼を見つめ、静かに微笑んだ。
「安心して」
「あなたは、一人じゃないから」
剣士の顔に、希望の光が差す。私はスマートフォンを取り出し、画面を彼に向けた。
そこには、義両親が逮捕されたニュース記事が表示されている。
「お父さんとお母さんがいるじゃない」
剣士の顔が、蒼白になる。
その時、駅前のロータリーから、車のクラクションが鳴った。職場の男性が、迎えに来てくれたのだ。
「これからデートなの?」「さよなら」
私は軽く手を振り、剣士に背を向けた。
階段を降りながら、私は二度と振り返らなかった。
呆然と立ち尽くす剣士は、足元に置いていた鞄が消えていることに、気づいていない。
スリの被害に遭っていたのだ。
私は新しい会社に正規雇用され、自立した生活を送っていた。
車に乗り込むと、男性が優しく微笑みかけてくれる。
ようやく私は、本当の自由を手に入れた。



