あの日、幼稚園の教室で、四年ぶりに元妻と向き合った。 彼女の連れ子が、俺の息子を一方的に殴った、その現場でだ。 「あの子を手放して正解だったわ。だってやっぱり男は、ああやって暴力的なのよ」と彼女は笑った。俺の目の前で、自分の産んだ子の顔も覚えていない元妻は、そんなことを言い放った。 そして「あなたみたいなダメ男と別れて、今の暮らしを手に入れて大満足なのよ」と、高級車の隣で軽トラを嘲笑した。…

あの日、幼稚園の教室で、四年ぶりに元妻と向き合った。 彼女の連れ子が、俺の息子を一方的に殴った、その現場でだ。 「あの子を手放して正解だったわ。だってやっぱり男は、ああやって暴力的なのよ」と彼女は笑った。俺の目の前で、自分の産んだ子の顔も覚えていない元妻は、そんなことを言い放った。 そして「あなたみたいなダメ男と別れて、今の暮らしを手に入れて大満足なのよ」と、高級車の隣で軽トラを嘲笑した。...

幼稚園からの電話が鳴ったのは、幼馴染みのペンキ屋でお茶をいただいている最中だった。こ太が友達と喧嘩をしたという。俺はすぐに車を借りて幼稚園へと向かった。職員室で先生に頭を下げ、保険室にいたこ太の顔と腕に赤い引っかき傷を見た。少し痛いが、大したことはないという。俺は一安心しつつ、喧嘩の相手の親が待つ教室へと通された。

教室の扉が開くなり、長い髪を振り乱した女性が俺に向かって怒鳴ってきた。「ちょっと、オタクのお子さんが!」――その顔を見た瞬間、俺は息を飲んだ。れ子だった。元妻だ。向こうも同じようで、詰め寄ろうとした足を止め、「どうして君がここに?」と口にした。俺が地元に戻ったことを告げると、れ子は「ああ、そういえばあなたの地元だったわね」と、どこか馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

俺とれ子の関係に気づいた先生が、れ子の娘を退室させた。涼しげだが意思の強そうな目をした女の子だった。その目を見て、俺は結婚生活を思い出した。れ子は結婚直後から「子供は絶対女の子」と口癖のように言っていた。3姉妹で育ち、母親との絆が特別強かったれ子にとって、理想の家庭像の中にいる子供は娘だった。妊娠が判明し、性別が分かるようになった頃、れ子は真っ先にそれを確認していた。「ありえない。海分けだって完璧だった」と怒り狂った。お腹の子が男だと分かると、妊娠までの自分の努力を踏みにじられたと、俺とお腹のこ太に怒りの矛先を向けた。こ太が生まれてからもそれは変わらず、出産直後から男の子を産んだ悲しみに浸っていた。ひたすら泣き、「息子はいらない」と抱っこすら拒否した。名付けの時も女の子としか思えないキラキラネームをつけようとした。本格的に育児が始まっても無関心で、こ太が泣いてもほったらかしにした。「男の子は臭い」と言った時には、俺と大喧嘩になった。
こ太が生まれて半年で、俺たちの結婚は崩壊した。れ子はこ太は俺にくれてやると言い、家を飛び出してそれっきりだった。

そしてあれから4年、こうして驚きの再開を果たしたのだが、それ以上に愕然としたことがある。れ子がこ太をすっかり忘れていたことだ。れ子は俺が来る前にこ太の姿を見ていたようだが、その子が自分が産んだ子供だと気づいていなかった。「あの子を手放して正解だったわ。だってやっぱり男はああやって暴力的なのよ」と、れ子はこ太を「あの子」と呼び、軽蔑するような目を見せた。「うちの子を傷つけて、のこのこと勝って気になってどうしてくれるのよ。分かってる?一生の傷を追わせたようなものなのよ」と攻め立てるが、その言文には疑問があった。俺がさっき確認したこ太は傷だらけだ。しかしれ子の娘に傷は一つもなかった。それどころか、こ太にはあった涙の後すらなく、れ子と同じく済ました顔で俺を見ていた。先生も、こ太はれ子の娘に一方的に攻撃され、防戦すらままならなかったと聞いている。俺がそのことを指摘すると、れ子は「あのね、男が全て悪いのよ」と主張した。「女性を傷つけようとする、喧嘩しようとするだけで男が悪いのよ」と。

「変わらないんだな、昔と」と俺は漏らしてしまった。結婚していた頃、れ子は何かあろうがなかろうが全てを俺のせいだと言っていた。自分の機嫌が悪いのも、思い通りにならないのも、男の俺に原因があると、いつもそう言って怒っていたのだ。

「これは男だ女だって話じゃない。子供同士の喧嘩だよ」と俺が言うと、れ子は「はあ?子供だろうがあの子は男。うちの子は大事にされるべき女の子、女性なのよ」と鼻で笑った。俺はヒートアップしているれ子を刺激しないよう、言葉を選んだ。れ子とこれ以上揉めたくない。そんなことをしている暇があればこ太の心配をしてやりたい。何もかもうまく納めてひまず帰りたかった。

「俺と君がこうして言い合っても大して意味のあることじゃないなあ。子供同士で謝って終わりにしてみたらどうだろう」と俺は提案した。「こ太の怪我は見過ごせないが、それでも最初は子供同士の揉め事だ。こ太だって君の娘だって、この先も友達との喧嘩は経験するだろうさ。今日はそれを自分で解決する機会にしたらいいんじゃないか」と。俺はどこかで、れ子も母親なのだから、子供にどう寄り添えばいいのか分かっているのではないかと思っていた。しかしれ子は「冗談じゃないわよ、お断りします」ときっぱり断った。「あの子に共容がないのは、あなたに育てられてるからじゃない?男が1人で雑な育て方をしてるからでしょ。地元に帰ってどうせ貧しい暮らしなんじゃないの?」と嘲笑した。

「おい、何を言ってるんだよ」と俺が言い返すと、れ子は「私は離婚して良かったと思ってるわよ」と勝ち誇った。「あなたみたいなダメ男と別れて、今の暮らしを手に入れて大満足なのよ」と。れ子は今、某有名建設会社の社長夫人の肩書きを手に入れているそうだ。俺との離婚後に再婚した相手が建設会社の社長だったのだという。「今の主人もね、バなのよ。娘は彼との全の子けど、全然構わないわ」と。「大婚であんなに可愛くて美人の娘の母親にもなれたから」と。

れ子の気持ちは俺には分からなかった。元から俺とれ子の価値観には天と地ほどの差があったのだ。付き合って結婚する時には、恋は盲目と言われるように、それを無視してしまっていた。今更ながらそれを痛感し、何も言えなくなった。

「私これで失礼しますわ」と、黙り込んだ俺と所在にしていた先生にれ子は高圧的に言いつけた。「謝罪は後でしっかりと話し合いをさせていただきます」と。そしてヒールの音を鳴らして教室を出ていく。俺と先生にれ子の跡を追う気力はなかった。

俺は保険室にこ太を迎えに行き、その手を引いて幼稚園を出た。外に出ると日が暮れていた。駐車場に向かうと、れ子と娘が車に乗り込もうとしていた。そこで俺は、れ子の車の隣に軽トラを止めていたことを知った。なんとも不幸な偶然だ。

「何なの、その車?」れ子が俺の乗ってきた軽トラを見て笑う。「夫婦だった頃は会社に乗ってたのにね」としみじみとつぶやく。「落ちぶれたのね」「うん、何だって?」と、れ子は楽しそうに笑いながら、自分が作った俺の物語を語り始める。「そんな汚い軽トラ何よ?あなた今、あれなの?本当に貧乏なんじゃない?仕事はそうね、あれかしら?ど方とか言うの?」と。

離婚後の俺が生活に苦労している、シングルファーザーになり仕事がままならず失業したに違いない、地元に戻ったのは親の脛をかじるため、生きるだけで必死なんでしょ、大変よね、貧乏って――れ子はつくづく自分にとって都合の良い話だけを信じているようだった。別れた元夫は人生に苦しみ絶望を抱えている――れ子にとっては、今の俺はそうあって欲しい存在なのだろう。それがれ子の妄想をたましくさせて、俺を見下して高笑いをさせている。

子供たちの目があるというのに、はた迷惑な話だ。

俺はれ子に対して強い嫌悪を抱いたが、声を荒げる代わりに、自然な笑顔で応じた。「まあ、それは大変だよ」と。「だから、君のご主人から持ち込まれた50億の相談は、取りやめにさせてもらうよ」と。

パッと聞いただけのれ子には何のことだか分からなかったのだろう。軽減そうに首をかしげるれ子に、俺は続けていった。「今のご主人の会社と、駅前の再開発地域にオフィスビルと多目的ホールを建設する計画を合同で進めることになってるんだけどね。そのプロジェクトを事態させてもらうよ」と。

俺はれ子の現在の夫が社長を務める会社の名前を出し、合同で進めようとしている事業について触れるが、公表されている部分までしか明かさない。れ子をこらしめるのならばもう少し細かく踏み込んでもいいと思ったが、踏みとどまった。「ニュースでも出てるから、君も見てるんじゃないかな」と。

れ子は「それは知ってるけど、あなた頭大丈夫?なんでそんなこと心配するの?あなた自分がプロジェクトから降りるだなんて、どうかしてるでしょう?今はど方なんでしょ?」と、いつまでもニヤニヤしたまま信じる気はないらしい。「あのね、妄想で勝手に決めつけないでくれよ」と俺はため息混じりに言った。

俺はずっと不動産関連の会社に務めていて、離婚の影響もなく出世を重ねてきた。離婚は俺にとっては追い風になった。私生活でのトラブルと悩みから解放されたおかげで、こ太と向き合い仕事にも集中できたからだ。結果を残して成績を上げ、企画開発系部署で部長の座を手にした。

「俺は今、君のご主人の会社とのプロジェクトの責任者を務めている」と告げた。「計画をどうするのか、こちら側で決断を下していい立場にいるんだよ」と。

「そんなの嘘よ」とれ子は叫んだ。「嘘じゃない」と俺は返した。「名刺を見るか?それとも自分で俺の勤務め先に電話して所材を確認したらどうだ?今日は休みだと言われるはずだよ」と。れ子は眉間にしわを寄せ、中途半端に口を開いた何とも言えない表情で反響に陥った。

「じゃあ、そうしたらこの軽トラは何なのよ?」とれ子が指さして叫ぶ「この車は幼馴染みのペンキ屋から借りたんだ」と俺は答えた。「家に車を取りに行く時間がもったいなくてね」「だ、騙したの?」「君を騙して何になる?」と俺はあきれたように言った。「あのね、悪いけど俺はもう行くよ」と。

「待ちなさいよ!」と叫ぶれ子を駐車場に残し、俺はこ太を連れてペンキ屋を目指した。幼馴染みに礼を言い車を返し、帰宅してからは会社に連絡を入れた。れ子に告げたように、すぐにれ子の夫の会社との合同プロジェクトから手を引くように部下に指示を出す。

そして翌日、俺は出社早々自分が出した指示の対応に追われることになった。

「早川さん、本当に申し訳ありませんでした」と、れ子の現在の夫で建設会社社長の岸本さんが、朝一番で俺への面会を求めて来ていた。王設で俺と向き合った岸本社長は謝罪の言葉を口にし、困惑した様子を見せた。「妻から話を聞き、こうしてお伺いした次第です」と。俺の勤務先との合同プロジェクトが挫ける理由が、前日の妻とその夫との間に起きた出来事に起因していると把握しているようだ。

「申し訳ありません」と岸本社長は言いづらそうに続けた。「妻はどうにも直型の性格で、あの、早川さんもご存知かもしれませんんが」と。俺は思わず「そうですね」と言いそうになるが、払いでごまかした。

「何卒ぞプロジェクトはこのまま進めさせていただきたい」と岸本社長は頭を下げた。「どうか妻とのことは許していただけるとは思いませんが、プロジェクトは分けてお考えいただきたいと考えております」と。

「謝罪の言葉は理解いたします」と俺は冷静に答えた。「ですがプロジェクトに関しては、決定を覆すことはありません」と。私は何も前日のトラブルで今回の決断を下したわけではないと、勤めて冷静にゆっくりと告げた。

しかし俺の返答に、岸本社長の表情が一変した。それまでのしらしさをかなぐり捨て、どこかれ子に似たヒステリックな目元を見せる。「ありえないでしょう!そんなこと、どうかしてる!」と俺の目を見据え、唸るように絞り出した。「早川さん、あなたで判断を下したでしょう?霊子と元妻と揉めた腹で仕事を投げ出したんじゃないんですか?」と。

「情けないと思わないんですか?プライベートを仕事に持ち込んで」と岸本社長の唸り声が路方に変わる。あまりの変わりように俺は一瞬立ち尽くした。しかし前日のれ子の姿が社長に重なり、似たもの夫婦だと社長を眺める。

「落ち着いてください、岸本社長」と俺は最後の切り札を切ることにした。「私は何も前日のトラブルで今回の決断を下したわけではありません」と。「この決断は、数日前には考えていたんですよ」と。

「はい?何です?どういうことですか?」と岸本社長は目を剥く。

「弊社のリサーチ部門が、音社に関する調査報告を行いました」と俺は静かに告げた。「その結果を踏まえ、私はプロジェクトからの事態を決断しています」と。

「岸本社長、あなたの会社では、消防法の法令違反が日常化しているそうですね」と俺は言及した。

「おい、言いがかりだ!」と岸本社長は怒鳴る。

「それはそうでしょうか」と俺は続けた。「本社が建築を受け負ったビルのいくつかでは、価設備や使用した顕在の一部に首があると告発が上がっていると伺いましたが」と。

岸本社長の会社はここ数年で急成長していたが、その裏には見過ごしてはならない大きな誤ちが隠されている。消防法違反は、女の口で建築現場や工事現場での自己報告をもみ消しているとの噂もあった。その他には決算の一部を紛している、そんな疑惑も突きまとっていた。

「以前からそういった話は耳にしていましたし、リサーチ部分もそういった疑惑を否定するような報告をしていないですから、私は慎重に判断をしたまでです」と俺は言った。「本社長の会社とのプロジェクトは、まだ正式契約には至っていない。現状では契約に合意する意思を表明しただけで、契約のサインはしていない」と。

「早川さん、あなたは町の噂に左右されようと言うんですか?」と岸本社長は感情的になり俺を責めた。

「それはどうなんでしょうね」と俺は冷静に返した。「噂だとおっしゃるのならば、弊社部門ではなく、しるべき調査会社に入っていただくというのはいかがでしょうか?その方がお互いにわかまりを抱えずに住む」と。

「それは受け入れられませんね!そんなことは私と私の会社への侮辱に他ならない」と岸本社長は鼻息荒くけ散らした。

「でしたら、今回のプロジェクトへの返答はそのままで」と俺は静かに告げた。「弊社としては、リスクマネージメントの観点から契約の試決は見送ります」と。

そのまま王設を出て、部下に岸本社長を退出させるよう頼むと、岸本社長は最後の挨拶を求めたようだが、部下が丁寧に断ってくれた。

この騒動から3ヶ月後、岸本社長は社長の座を失った。取引先からの告発と内部告発をきっかけに、全ての疑惑が世間にさらされて暴れたのだ。消防法違反はもちろん、建設したビルの耐震性能の数値偽装まで明らかになったとして、本丸とも言える噴職決算も事実だったと判明した。真っ黒以上の漆国とニュースで話題にされ、岸本社長の会社は厳しい目を向けられた。岸本社長は全ての責任を取り辞任し、役員たちも次々に辞任を発表した。今や会社の行方が危ぶまれている。

岸本社長が転落して、れ子もその煽りを受けた。当たり前のことだが、社長夫人の肩書きが外れる。れだけではなく、幼稚園の友ネットワーク中でも悪評が広まった。こ太とれ子の娘の喧嘩騒動の顛末がどこからか漏れ伝わり、れ子の過去や素情も芋ずるに知られたらしい。「自分の産んだこの顔も忘れる母親」と、れ子は友の場の中で後ろ指を刺されるようになった。最近ではれ子が岸本社長と離婚したと聞いている。いつしかれ子が幼稚園から姿を消したと思っていたが、それは離婚のせいだったのだ。

れ子の娘だった女の子は、今は見知らぬ年配女性が送り迎えをしている。「パパ、行きます!」と、こ太が笑顔で俺の手を引く。俺とこ太の暮らしは平穏無事に続いている。

また波風が立つのはまっぴらごめんだが、そんな時が来たら、俺はまた完全と立ち向かうと決めている。シングルファーザーになった時の密かな誓い――こ太を守り、立派に育てあげる、そのために仕事に励み、生きていこうと、俺は決意を新たにした。

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