「高卒の君に、この案件が取れるわけがないだろう。少しは自分の立場をわきまえろよ」
大口の取引先を担当することになった俺、高橋健太に、上司の部長は毎回こう言ってきた。有名大学を卒業したエリートの部長は、高卒の俺を見下すように、いつも嫌味ばかり言ってくる。
「高卒の君には重いだろうから、ここから先は私が引き継いで上げよう。ああ、私に任せなさい」
部長は、取引先がかなりの大手企業だったため、この案件を自分の手柄にしようと考えているようだった。
確かに俺の学歴は高卒止まりだ。でも、俺は自分なりの目標を決めて人生を歩んできた。
俺は32歳。地方出身で、高校を卒業した後、自分の夢のために時間を費やした。その経験が生かせて、25歳の時に地方の支社ではあるが大企業に中途入社することができた。
持ち前の明るい性格のおかげで、先輩や同僚とはすぐに打ち解けることができた。仕事は覚えることが多くて大変だったけど、チームで達成感を味わえるのが何よりのやりがいだった。
そんな中、俺は会社の人事異動で本社勤務を命じられた。毎日一生懸命仕事をこなしてきた成果が認められたのだろう。最終出勤の日、先輩や同僚たちは盛大に送り出してくれた。
本社に出社した初日は、心臓が口から飛び出しそうなくらい緊張した。支社とは全然違う環境に刺激を受けて、この会社で必ず成果を出すと強く心に決めた。
異動して1週間くらい経った時、部長が俺のところにやってきた。
「高橋君だったっけ? どうだい? うちでの仕事は」
「お疲れ様です。まだ慣れないことばかりで大変ですが、早く戦力になれるよう頑張ります」
「はあ、即戦力ね。まずは早く仕事を覚えることだ。迷惑だけはかけるんじゃないぞ。高卒の君にできることは限られているんだからな。自分の立場もわきまえて行動するんだぞ」
隣の席の同僚が教えてくれたところによると、部長は中高一貫の私立に通い有名大学を卒業したエリートで、ことあるごとに自分が高学歴であることを自慢するらしい。留学経験があり、語学も堪能だと自負しているらしい。
さらに、高学歴の部長からしたら、高卒の俺が本社勤務になったことが納得いかないらしく、異動が決まった時はそのことを散々口にしていたらしい。
それまでも高卒だということで、他人から引かれた目で見られることは何度かあった。でも俺にとって学歴なんてどうでもいい話だと思っていた。逆に、学歴だけでしか人を評価しないやつの方がよっぽど傲慢じゃないかと、反発の気持ちさえ持っていた。
言葉にはしなかったけど、この何とも言えない悔しい気持ちを糧に、いつか見返してやるんだと仕事に打ち込んだ。
本社に来て半年が過ぎた頃、先輩から「そろそろお前も案件を担当してみたらどうか」と声をかけてもらった。大口の案件で、こんな俺に務まるのか不安もあったが、先輩の後押しもあって、覚悟を決めて引き受けることにした。
ある日、社長室に呼ばれた。
「高橋君、お疲れ様。案件の話は聞いているよ。頑張っているみたいだね」
「はい、ありがとうございます。必ず成功させるよう全力を尽くします」
「ああ、期待しているよ。君の経験が大いに役立つはずだ。だが、無理はせず、困ったらいつでも相談するんだぞ」
社長は地方から一人で出てきた俺をいつも気にかけてくれる。こんな人になりたいと心の底から思わせてくれるような人だ。
社長のためにも、この案件を何としてでも成功させようと、俺は今まで以上に必死に働いた。
案件で使う資料を作っていたら、部長がやってきた。
「案件の資料はちゃんと準備できているのか? 相手は大手グローバル企業だぞ。高卒のお前に英語が話せるのか。まあ、俺は語学留学の経験もあるし問題ないけどな」
高卒だからって一体何なんだ。こっちは毎日一生懸命会社のために働いているんだ。初めての大口案件に挑戦する俺に、上司としてのアドバイスは一つもない。いつものようにただ嫌味を繰り返すだけ。
先輩や同僚たちの協力もあって、案件の準備はなんとか終盤を迎えていた。アポイント取得も難しいとされていたが、順調に決めることができた。
「お前のおかげで案件のアポが取れたぞ」
と先輩たちは大喜びだったけど、部長は「高卒レベルの奴にそんなことができるわけがない。冗談はやめろ」と、いつものように馬鹿にした態度を取っていた。
案件資料が出来上がり、部長の承認をもらいに行った時だ。俺はまた高卒の俺がと嫌味を言われる覚悟をしながら資料を提出した。
初めのうちは部長も「こいつ、ちゃんと資料を準備できているのか」と半信半疑な態度で見ていたのだが、次第に部長の表情が変わり始めた。資料の中身が想像以上に質が良く、驚いているようだった。
資料を読み終えた部長は、軽蔑するような面持ちで言った。
「高卒の君にしては、よくまとまった資料になっているじゃないか。ただ、先方はかなりの大手グローバル企業だからね。高卒の君にこの案件をまとめることはかなり難しいよ。英語だって、ろくに話せないだろうしな」
そして、案の定、最後にこう言った。
「よし。高卒の君には重いだろうから、ここから先は私が引き継いで上げよう。ああ、私に任せなさい」
部長は、取引先がかなりの大手企業だったため、この案件を自分の手柄にしようと考えているようだった。俺は毎日一生懸命準備してきたこの案件を最後までやり切りたかったし、ただ高卒という理由だけで担当から外されるなんて、到底納得できなかった。
「この案件のアポも僕が取りましたし、問題はありません。必ず成功させます」
強い意志で発言したが、部長は俺の話を全く聞き入れようとはしない。
「資料も見ていただいた通り、しっかりと準備できています。最後まで俺に任せてください」
今度はかなり強い口調で懇願したが、何を話しても俺の意見が通ることはなかった。
俺は深く息を吐き、案件を任せてもらえないのなら、案件には同行しないことを条件にその場を後にした。
当日、目覚めの悪い朝だった。俺はいつも通り出社し、通常業務を行った。案件に行けない悔しさや、部長に対しての怒りが頭の中をぐるぐると駆け回る。
先輩たちから「案件のはずなのに、どうして会社にいるんだ」と何度も声をかけられたが、俺はわざわざあの最悪な出来事を語りたくなかった。話すことで、心の奥に押し込めておいた悔しさや怒りが一気に爆発しそうだったからだ。俺は急ぎの仕事を抱えているふりをして、その場を逃れていた。
そんな時、社長がやってきた。
「高橋君、案件のはずなのに、どうしてここにいるんだ?」
さすがに社長にはちゃんと話をしなければと思い、俺は部長との一件を初めから全て話した。
「あいつは一体何を考えているんだ?」
社長は俺の話を聞いてかなり激怒していた。だが、俺はこの案件を部長が成功させることは絶対できないと確信していたので、連絡を待ちましょうと伝えた。
しばらくして、俺の携帯に取引先の社長であるロドリゲスから電話がかかってきた。
「ミスター高橋、今日の案件は一体どうなっているのですか? 案件に来られた部長さんは、全然英語が話せないではないですか? 内容が全く理解できません」
ロドリゲスはかなり困惑した様子で早口で話してくる。俺はすぐに状況を理解し、流暢な英語で自分の不在理由を話した。
実は取引先の担当者はアメリカから来ている社員で、案件の内容も全て英語で行う予定だったのだが、部長の英語は全く通じなかったというのだ。
いつも自分の自慢話ばかりしかしない奴が、この案件をまとめることができるわけがない。俺はこうなることを予測していたので、部長に対して「ざまあ見ろ」という思いしかなかった。
高卒の俺をいつも馬鹿にして話すことと言ったら、自分は高学歴だの留学経験があるだの、どうでもいい自慢話ばかり。高学歴だからと言って一体何が偉いんだ。
痛い目に合わせて、自分の無能さを思い知らせてやりたかった。とはいえ、会社のことを考えると心が痛んだ。大口の案件をパーにしてしまうことはやはり申し訳なかったし、一生懸命準備してきた自分にとってもかなり悔しさが残る。
社長もそのことに関しては十分に理解してくれたのだろう。
「今からでも取引先に行って謝罪し、案件のチャンスを与えてもらうよう頼んでみろ」
俺は社長の言葉もあり、取引先へ向かうことにした。一生懸命に準備してきた資料は完璧に頭に入っている。
十分に謝罪をした上で、案件のプレゼンを改めて実施させて欲しいと頼んだ。チャンスをもらい、俺は一言一句に魂を込めてプレゼンした。質問に対しても、相手が望む以上の答えを提供したつもりだ。
プレゼンが終わると、相手先は立ち上がって拍手をしてくれた。
いつもなら絶対に泣くことのない俺も、今回ばかりは涙を流してしまった。いくつもの障害があったが、絶対に成功させたいと思って取り組んできた案件を成功させることができて、心の底から嬉しかったのだ。
会議室の隅では「高卒のくせに」と言いながら、顔を真っ赤にして悔しがっている部長がいたが、もう何も言葉が見つからなかった。
高卒の俺が、なぜこの案件を成功させることができたのか。
それは、俺が高校卒業後、一生懸命バイトして貯めたお金で、バックパッカーとして海外で数年間暮らした経験を持っていたからだ。
本来なら良い大学に進学して就職することが社会的に好ましいと思われるのだろうが、小さい頃からバックパッカーに憧れていた俺は、必ずこの夢を叶えたいと心に決めていた。
高校を卒業してからはバイトを三つ掛け持ちしたりして、必死にお金を貯めた。そして念願の世界旅行へ旅立ったのだ。
いろんな国で文化や風習に触れ、たくさんの魅力的な人たちと出会うことができた。日本では当たり前だと思っていることが外国では全く通用しなかったり、訪れる国々で文化の違いに驚き、感動を受けた。その貴重な体験は、とても大きな財産になっている。
さらに恵まれていたことに、俺は普通の人よりかなり耳が良く、語学も無理なく楽しんで習得できた。好奇心旺盛だった俺は、日々の出会いや生活にいつもワクワクしていた。
そのおかげで、今でも中国語、スペイン語、フランス語、ポルトガル語は日常生活には困らないくらい話すことができる。特に英語はアメリカに1年半くらい長期滞在していたので、ネイティブ並みに会話することができるようになった。
アメリカではホームステイなどをしながら滞在を楽しんでいたのだが、実は取引先のロドリゲスは、ホームステイ先の息子だったのだ。
ロドリゲスとはアメリカ滞在中、たくさんの時間を共にした。お互いの国の文化の話はもちろん、夢の話や好きな女の子の話を、夜遅くまで何度も語り合った。年齢は少し離れてはいたが、兄弟以上の絆を築くことができたと思う。
だからロドリゲスは、案件の相手が俺だということを知った時、とても驚いた様子で、俺となら是非案件をしたいと決めてくれたのだ。
もう一つは、高卒の俺を大企業に採用してくれた社長のおかげだ。採用してくれた社長だけが、俺のバックパッカーの経験を知っていた。
高校を卒業してバックパッカーをするために必死にバイトしたこと。たくさんの国々での様々な出会いを通して、自分自身が成長できたということ。バックパッカーで旅した期間は本当にかけがえのないものだったし、今の俺を形成している大部分と言っても過言ではない。
そういった思いに社長は共感してくれて、その経験を自分の会社で生かして欲しいと採用までしてくれたのだ。この採用がなければ、俺はこの会社に属することはもちろん、この案件を成功させることもできなかったはずだ。
後日、この一件について部長は懲戒委員会にかけられることになった。調べによると、俺との一件以前にも、自分の手柄欲しさに理不尽な理由で案件を横取りしたり、社員に嫌がらせをしたりと、他にもたくさんの問題が発覚したらしい。
その結果、部長は一週間の出勤停止と三ヶ月の減給処分を言い渡されたようだ。
部長がいない間、俺はたくさんの人から案件の成功を祝われた。地方から異動してきて間もない俺が、どうやってこの大口の案件を決めたのか、みんな気になっているようだったが、俺の過去を知って納得してくれた。
今回の一件で部長は社長からしっかりお灸を据えられたようなので、出勤停止処分の間に自分の言動を反省してくれるといいのだが、さてどうだろうか。
これからも社長に恩返しができるよう、俺は自分にできることを一生懸命やっていこうと心に誓った。



