殴られて床に倒れた私の髪を、男が無理やり掴んで顔を上げさせる。痛みで視界が歪む中、男はヘラヘラと笑いながら言った。
「どうだ?100万支払う気になったか?さっさと払わないともっとひどい怪我をすることになるぞ」
サワーと少しのおつまみだけで50万なんて、明らかなぼったくりだ。支払いを拒否したら、今度は100万に跳ね上がり、ヤザたちに袋叩きにされた。悔しさと怒りで唇を噛みしめる私に、男はさらに言葉を重ねる。
「払えないならお前の家族を呼べ。そいつらに払ってもらうからよ」
その時、男は知らなかった。私の家族の正体も、これから自分が迎える運命も。
私の名前は倉橋ま、23歳。まだ新米の会社員だ。周囲には隠している秘密がある。私の祖父が、ヤザの早朝をしているということだ。祖父は参加に多くの組を従える水流会のトップだが、母が普通の会社員と結婚したこともあり、私もヤザと関わらずに生きてきた。それでも祖父にとって私は可愛い孫娘で、小さい頃から可愛がられ、私も祖父を慕っていた。
給料日、私は同僚と一緒に居酒屋で飲むことにした。目についた個室居酒屋に入り、和風料理を楽しむ。私も同僚もあまり酒に強くないので、サワー1杯と少しのおつまみだけ頼んだ。それでも楽しい時間だった。だが、帰ろうと会計をすると、驚くべき金額を告げられた
「はい、サワーとおつまみ、それと諸々の費用で全部含めて50万になりますね」
「50万ですか? 」
同僚は真っ青になり、震えていた。頼んだのはサワー1杯ずつに小鉢2つ、焼き鳥1皿くらいだ。どう考えても高すぎる。私はエバ原と名乗る店の男に伝票を突きつけた
「50万なんて高すぎます。私たち、ほんの少ししか注文してません」
「何言ってるんですか、お客さん? 自分で飲み食いした分はちゃんと払わないと。ほら、うちの料金はこうなっていますから」
江原はレジの下からメニュー表を取り出す。そこには個室利用料金やチャージといった、料理に直接関係ない金額が並んでいた。
「そんなの最初に説明してません。後から払わせるなんて不誠実じゃないですか? 」
「そう言われましても、これがうちのルールですからね。ちゃんと確認しなかったお客さんが悪いんじゃないですか」
私が抗議すると、面倒になったように江原はため息をつき、男の名前を呼んだ。
「あい山田だ。頼むぞ」
現れたのは、どう見てもヤザにしか見えない小柄で大柄な男だった。
「行かせませんよ、お客さん。骨だって料金が変わるわけじゃないんだ。素直に払ったらどうです?

」
山田はわざと近づき、威圧的な態度を見せる。同僚はすっかり怯えて泣きそうになっていた。
「で、でも50万は高すぎます。そんなお金持っていません」
「だったら借金でも何でもして払えばいいんですよ。よかったら、うちの組がやっている金歌市をお呼びしましょうか。お嬢さん方はどちらも別嬪さんだ。体で稼いでもいいですよ」
明らかなヤザの脅し文句だ。同僚をこれ以上巻き込むわけにはいかない。私は彼女の前に立ち、思い切って声をあげた
「分かりました。料金は全て私が払います。だから彼女は返してあげてくれませんか? 彼女は片肩の人間です。こんな荒事に巻き込みたくない」
同僚は私の手を掴んで止めようとする
「だめよ、倉橋さん。あの人たち本物のヤザだよ。何をされるかわからないわ」
「大丈夫よ。2人とも捕まったらもっとまずいでしょ。だからあなただけでも先に逃げて。けど、もし明日になっても私が会社に来なかったら、その時はお願いね」
同僚は恐怖と涙をこらえながら何度も頷いた。男たちは寝耳に水で眺めていたが、江原が面白そうに言った
「ああ、いいだろう。そっちの姉ちゃんは随分といい身なりをしてるから金持ってそうだしな。おい、山田、女は1人逃してやれ。おっと、身元を控えるのは忘れるなよ。警察に書き込まれちゃ面倒だからな」
山田は同僚から慣れた様子で免許証を奪い、スマホで撮影する。同僚は私に何度も頭を下げると、震えながら店を出ていった。
よかった、なんとか彼女だけは逃がせた。
私を前に、江原はいやらしい笑みを浮かべた
「さて、1人見逃してやったんだから、支払いの料金は100万にしてもらおうか」
「え、なんでですか? 元々50万ですよね」
「お前の言うことを聞いてやったんだ。そういう料金を上乗せするのは当然だろ。お前は小綺麗で身なりもいい、金持ちのお嬢さんだよな。持ってるんだろ、金」
「そんなお金持ちなんかじゃないです。父は普通の会社員ですし、母だってパートしている主婦ですから」
私は江原と話しながら、出口へ視線を向ける。全力で走ったとしても、出口に辿り着く前に捕まるだろう。どこか他に逃げられる場所はないだろうか――
「江原さん、この女逃げるつもりですよ。さっきから出入り口をチラチラ見てますから」
私の視線に気づいた山田が、江原に忠告する。江原は不機嫌な様子で私を睨みつけた
「なんだ、俺たちを出し抜けるとでも思ったのか。お前気に入らねえな。おい、お前ら来い」
ベルが鳴り、バックヤードから体格のいい男たちが数人現れる。彼らはぐるりと私を取り囲んだ。
「この街を仕切ってる本物のヤザたちだぜ。本物のヤザが、時々に可愛がってくれるんだ。ありがたく思え」
江原の言葉を合図に、男たちは私に襲いかかった。寄ってたかって1人の女を殴るなんて、なんて卑怯な奴らだろう。私は体を小さく丸め、必死に暴力に耐え続けた――
「もういいぞ、お前ら。客が死んだら元も子もないからな」
どれくらい殴られていたのだろう。意識が遠くなりかけた時、ようやく暴力が止む。ボロボロになりながら、なんとか祖父へ連絡できないか考える。スマホは鞄の中だ。不用意に取り出せば疑われるだろう。
必死で考える私に、江原はいやらしい笑みを見せた
「そうだ。100万支払う気になったか。さっさと払わないともっとひどい怪我をすることになるぞ」
どうしたらいいのだろう。体中が痛くて、考えがまとまらない――そんな私に、江原は思わぬ提案をした
「正直なところ、お前が100万なんて払えるとは最初から思ってねえんだよ。お前、いい身なりをしてるからな。本当は金持ちなんだろ
う? ここに家族を呼んで、その家族に100万払ってもらうってのはどうだ?
」
「え、私の家族を呼んでもいいんですか? 」
どうやって祖父に連絡しようかと考えていた私にとって、渡りに船の話だった。驚いて逆に聞き返す私を、江原は怪しんでいないようだ。家族に助けてもらえると思って声をあげたと思っているんだろう
「ああ、家族に100万を持ってこさせるわ。金を払ったら自由にしてやるよ」
「あの、私の家族を呼んだら多分大事になるんで、やめた方がいいと思うんですけど」
「もう大事になってるだろ、お前。これ以上大事になるか。呼ぶならさっさと呼べ。1人の客にダラダラ時間もかけてられないからな」
江原がいいというのなら、それでいいだろう。私はスマホを取り出すと、すぐに祖父へ電話をした
「おお、まきじゃないか。久しぶりじゃな。元気にしておるか」
「もしもし、おじいちゃん。実は大変なことになっちゃったの。
あのね、居酒屋に入ったら100万も請求されちゃって」
「なんだと? ぼったくり店か。まき、お前は大丈夫なんだな? 今どこにいる?
すぐに行くから待っておれ。10分でそこに着く」
祖父は私の言葉だけで全てを察したようだ。
「10分ほどで来るそうです」
「よし、よかった。お前はそこに待ってろ。山田、逃げないように女をしっかり捕まえておけや」
私はソファーに座らされ、山田は私を監視するように隣に並ぶ――それから5分もしないうちに、祖父が店に現れた。
「まき、大丈夫だったか? こんなひどく顔を晴らして、かわいそうに」
「おじいちゃんごめんなさい。迷惑をかけて」
「迷惑なものか。可愛い孫が危ない目に合ってるというのに、黙って見ているやつなんておらんよ」
祖父は私の傷を見ると、優しく頭を撫でてくれた――その時、江原が乱暴な声をかける
「なんだ、誰が来るかと思えばじじかよ。だが随分といい身なりをしているな。やっぱりお前、金持ちのお嬢様か。はい、じじ聞いてるか? 孫が使った100万、きっちり払えよ。サボらないとじじでも容赦しねえぜ」
祖父はゆっくり振り向き、鬼のような形相で江原を睨みつけた――小さいはずの祖父の体が、山のように大きく感じる
「なんだこのじじのやつか。お前一体何者だ? 」
「ふん、わしのことを知らんとは。とんでもないというのに愚かなことじゃ。
まきを傷つけたのは、この男か?
」
「その人は指示をした人です。殴ったのは向こうの山田って人と、バックヤードにいたヤザたちだよ」
「ほあ、若い娘をヤザが寄ってたかって殴りつけたというのか。それはひどい話じゃ、到底許せることじゃないの。しっかりけじめをつけねばなるまい」
祖父は怒りの形相のままフロアを見渡した――その姿に圧倒されたのか、山田も動く様子は見せない
「何をしているんですか? 早朝、勝手に1人で乗り込まないでください」
ちょうどその時、祖父の部下たちがゾロゾロと店に入ってくる――どうやら祖父は私が心配で、部下より先に店へと乗り込んだようだ
「おお、すまんな、お前たち。来てすぐで悪いが、この店にいる連中にちょいと教育してやってくれんか? 可愛い孫を、こんな姿にしたやからじゃ。同じように痛めつけてやれ」
「了解しました、早朝」
「やるぞ、お前ら」
祖父の言葉を受け、部下たちは一斉に暴れ出す――人数は店にいた男たちと大差なかったが、祖父の部下は精鋭ばかりなのだろう。店はめちゃくちゃに壊され、バックヤードに逃げていたヤザたちは全員、あっさりと倒された
そんな中、私の視界に江原がいないことに気づく――見渡すと、彼は喧嘩に巻き込まれぬよう隠れながら、どこかに電話をしているようだ
「なんだ、もう終わりか。つまらんな。「ああ、こいつらを事務所に連れて行け」
祖父に命令され、部下たちは倒れた男たちを強引に起こして連れて行く――そして祖父は、隠れていた江原を鋭く睨みつけた
「さて、そこの若造は、こそこそとどこに連絡しておったのじゃ」
「は、生きていられるのも今のうちだぜ。「じ、うちのケツ持ちに連絡したのさ。今すぐ駆けつけるって言ってたぜ。ボコボコにしてやるからな」
「それは面白いのう。それなら少しばかり待たせてもらうとするかの」
祖父はそう言うと、どっかりとソファーに腰かけた――そして私の体を心配そうに見る
「まき、痛かったじゃろう。後の始末はわしに任せて、病院に行くかい? 」
「大丈夫、おじいちゃん――私もこの人たちがどうなるのか、ちゃんと見届けたいから」
ほどなくして、店に男が現れた――派手なスーツを着た男は、やはりヤザにしか見えない
「どうした?
エ原、俺を呼び出すなんてよっぽどのことがあったのか」
「お待ちしてましたよ、本部長――実は素直に金を払わない客が店で暴れ始めまして」
「どいついけねえな――一体誰だ? ここが風天組の縄張りだと知って」
本部長と呼ばれた男はそう言い、祖父の顔を見て目を丸くする――そしてすぐその場に土下座した
「ど、どちら様ですか。水流会の早朝じゃないですか――お久しぶりです」
「お前さんは、風天組の本部長じゃったな」
「はい!ここら一帯はうちが仕切らせてもらってますんで」
「ならば、この店がひどいことをしているのも、お前らの指示か? 」
「ええ、うちは水流会の参加です――相手にそんなあくどい商売はしませんよ。この店、何か足で出かしたんですか? 」
本部長は祖父に恐る恐る問いかける――祖父の表情から、まずい事態になっているのは察したのだろう
「いや、何、この店の連中がわしの孫娘に怪我をさせたんでな」
「お嬢さんに怪我を――そりゃとんでもないことをいたしました「あ、ですがうちはこの店のケツ持ちで、運営には関与しておりません――どうかご容赦を」
本部長はそこで深々と土下座をする――その姿を見て、江原は悲鳴のような声をあげた
「何を言ってるんですか、本部長!
高い金を払ってるじゃないですか――ちゃんと助けてくださいよ」
「うるさい! こちらの方は水流会の早朝さんなんだよ――うちの組の本家に当たるお方なんだ「その方のお孫さんに手を出したやつに、切り捨てする筋合いはないんだよ――組潰されちゃたまらねえからな」
本部長は吐き捨てるように告げると、そそくさと立ち去る――江原は絶望的な顔をし、その場に膝をついた
「ふん,どんな骨のあるやつが来るかと思ったら、風天組か――お前さんはヤザと商売してるというのに、ヤザのことをよう知らんようじゃな」
「ねえ、本部長ならどんな相手でも逆らわないと聞いていたのに」
「そりゃ、相手によるの話じゃ――あいにく、このわしはそこらの連中とは格が違うんじゃよ「さて、この店では落ち着いてまきの治療もできんからな――お前さんも、うちの事務所に来てもらおうか」
江原は祖父の部下に両腕をがっちり掴まれると、そのまま車に乗せられる――私は店を出ると、祖父の車に乗り、水流会の事務所へ向かった
水流会の事務所で、私は組員から丁寧な応急処置をしてもらう――そして大広間に入った時、江原は正座させられていた
「おお、待っておったぞ——もう体は大丈夫か? 」
「ええ、おじいちゃん、治療してもらったから随分と楽になったわ」
「さて、これからこやつらの処遇を決めようと思っておったんじゃが——まきはどうしたい? 今回被害にあったのはまきじゃから、まきに決めさせようと思ってな」
祖父に言われ、私は少し考えた——江原は怯えきった顔で私を見る
「それなら、この人が騙したお客さんに返金してあげて欲しいかな——楽しくお酒を飲もうと思っていたのに、この人に騙されて脅されるなんて、気の毒だもの」
「そうか、そうか——おい、お前聞いておったか?
今まで騙した客の名簿があるじゃろ——それを出してもらおうか」
「そんな名簿なんてありませんよ——金さえもらえれば客なんてどうでもいいですから」
「わしもヤザじゃ——そんな言い訳が通じると思っておるのか? 客が警察に連絡せんよう、住所を控えてあるんじゃろ——“素直に出さねば、少しばかり痛い目を見てもらうぞ」
祖父に言われ、江原はしぶしぶスマホを差し出す——そこには被害者と思われるおよそ100人の身元が残されていた
「ああ,100人はおるな——結構な商売をしたもんじゃ「よし、1人当たり1000万を慰謝料として払ってもらおうかな」
「ええ、1000万ですか? ——いやいや、いくらうちがぼったくり店だからって、1000万も巻き上げたことはありませんよ——多くて100万か200万が精々です」
「バカたれ——ただの返金で済むと思っているのか? 慰謝料と言ったら、相手に迷惑をかけた分を上乗せするのは当然じゃろ」
「ですが、いくら何でも1人1000万なんて払えませんよ——100人全員に支払うなんて、転売でもしてなきゃ無理ですって」
必死になってわめく男を前に、祖父は顔を近づけて、にやりと笑う
「心配するでない「金がないなら、わしが貸してやろ——ちょうどいい商品を手に入れたからの」
「商品ですか?
」
「わしの可愛い孫を散々痛めつけてくれた——いやらしいヤザ連中と、お前さんのことじゃよ——“若くて健康な体ってのは、いい値段で取引されるからの」
祖父の言葉から全てを察したのだろう——江原はその場でおいおいと泣き出した
「待ってください——お嬢さんを怪我させたことは本当に申し訳なかったです——ですから、どうか命ばかりは」
「お前は、どうしてわしに謝っておるんじゃ——“本当に謝るべきは、わしの孫にじゃろ「お前の薄っぺらい謝罪も土下座も、全部保身のためのつまらない演技なのが目に見えみえじゃよ——心配するでない“痛い辛いと思うのは最初だけじゃ——“すぐに一切の苦痛も感じなくなるからの」
祖父は笑顔で告げると、部下に「連れて行け」と短く命じる
「だ、助けてくれ——お願いだ、誰か」
泣き叫ぶ江原を抑えつけ、祖父の部下たちは彼をどこかに連れ去っていった——私はそれきり、二度と江原を見ることはなかった
翌日出社すると、すぐに同僚が駆け寄ってきた
「倉橋さん、昨日はごめんなさい——私、倉橋さんに何もできなかった——でも無事で本当に良かったわ」
「気にしなくていいのよ——私は大丈夫だったし——“それより、あなたが無事で本当に良かったわ」
「倉橋さんのおかげよ——“それでこれ」
同僚はそこで、ぽってりした封筒を取り出す——見れば、中には50万もの現金が入っていた
「ちょっと、どうしたの? このお金」
「私、倉橋さんを置いて行ってしまったでしょ——“倉橋さんは明日会社に来なかったらお願いって言ってたけど、もし会社に来たのなら——あの時に請求された50万絶対に返さなくちゃと思っていたの——“それで両親や祖父母に頭を下げて、なんとかこれだけ準備をしたの」
申し訳なさそうに頭を下げる同僚を前に、私は笑顔を向ける
「いいのよ——“受け取れないわ——“見ての通り私は無事だったし、あなたに怪我がなかったことが本当に嬉しいから」
「倉橋さん、あなたとても強いのね——ありがとう。本当にありがとう」
泣き出す同僚を、私は優しく慰める——あのぼったくり店は完全に閉店した。“もう騙される人はいないだろう“その後、被害者の家に匿名で1000万ものお金が無事に届いたと聞く——“私は同僚を守れたこと、そしてこの事件が無事に終わったことを、密かに喜ぶのだった——


