昼休みの食堂に、総務から借りてきたであろうマイクを握りしめた佐藤さんが現れた。全員が箸を止め、次の一言を待って固まっていた。彼が「私は今、自動車部品製造への参入を考えている」と宣言した瞬間、隣の同僚がフリーズしたまま「冗談だろ」と呟いた。私は同意したが、彼の演説は止まらない。自分が構築した最高の稼働システムに任せろ、君たちは無心で働けという内容だった。
佐藤さんは五代目社長就任が確実視されている御曹司だ。経歴は完璧で、有名大学を出て留学までしている。だが、現場を知らない彼の理想論はいつも頓珍漢だった。暇さえあれば連絡もなく工場に押しかけ、検討違いなアドバイスを残していく。三吉社長はそんな息子を「ビジネスにたけた天才だ」と心から信じていた。私たち現場の社員は、その盲信に疑念を抱きながらも、誰も正面から口を出せずにいた。
演説の二日後、私は上司に相談した。このまま佐藤さんの思惑通りに新規事業が進められては混乱が起きる。上司も同じ不安を抱えており、本社にいる三吉社長に直談判する段取りを整えていた。工場近くに外出の用事があった社長が立ち寄るというので、私たちはその場で必死に訴えた。現場の実情を伝え、計画の進捗を明確にしてほしいと詰め寄った。
しかし、三吉社長はのんびりと笑うだけで、「サトは優秀だから任せている。まあ、うまくやってくれ」としか言わなかった。私たちの焦りや現場の危機感は、彼には届かなかった。結局、佐藤さんの話はなし崩し的に始まり、工場は彼の無茶振りに振り回される日々が続いた。通常業務がありながら、試作品の製造も押し付けられ、スケジュールは破綻寸前。社員の士気は下がり、疲弊していくのが目に見えた。
そして、定例会議の席上で、佐藤さんが「この工場の稼働力には無駄が多い」と批判を始めた。私は我慢の限界を超えていた。手を挙げて立ち上がり、彼の主張を真っ向から否定した。人員不足の問題を報告しても聞かないのはあなたではないか、検討違いな発言はやめてくれと。上司も続き、佐藤さんは言葉を失って黙り込み、そのまま本社へ戻っていった。
だが、佐藤さんの逆恨みは凄まじかった。翌日から、彼は私に対して執拗に嫌がらせを始めた。「雇われの分際で」と吐き捨て、会うたびに嫌味を言い、挙句の果てには雑用を押し付けて本業から遠ざけようとした。上司が三吉社長に抗議しても、「サトにはサトの主義がある」と取り合ってもらえなかった。
ある日、製造スケジュールに遅れが生じた。工場が大急ぎで対応に追われる中、佐藤さんがやってきて怒り狂った。そして、白昼堂々と信じられない言葉を吐き捨てた。「奴隷だったらアゴのために必死になれよ。お前は奴隷の頭なんだよ」
私はその瞬間、すべてがどうでもよくなった。「おい、あんたは言っていいことと悪いことの区別がつかないのか。どこまで人を舐めてるんだ」と怒鳴り返すと、佐藤さんも負けじと大声を上げた。「おい、お前誰に対して口を聞いてるんだ」「あんただ。あんたが人を奴隷だなんだって言うからだろ」「俺は本当のことを言ってるだけだ」「冗談じゃない。それが正しいことかよ」言い争いが激しくなり、佐藤さんはついに「いいよ。文句あるなら出てけ。首だ」と宣告した。
私はすっと頭が冷えるのを感じた。「そういうことでしたら、今日で失礼させてもらいます」そう告げると、上司の仲裁でその場は収まった。そして、私は正式に解雇を受け入れることにした。この会社に、佐藤さんと盲目の三吉社長に付き合う義理はもうないと。
翌朝、私の電話は鳴りっぱなしだった。本社の同期やかつての上司、上層部の人々から事情を尋ねられ、昼過ぎには三吉社長からも電話がかかってきた。「渡辺君、考え直してみては。仕事がなくなってどうするんだね」と悠長な口調で言う。私は黙って話を聞き、「何があろうとも、私はもうそちらには戻りません」と告げた。すると社長は態度を変え始めた。「サトは君を許そうとしている」「一恵の恩を忘れたか。この恩知らずが」電話の向こうから、佐藤さんの「いつまでごねてるんだ」という声も割り込んできた。
私はその親子の醜い叫びをしばらく聞き流した後、「もう、よろしいでしょうか」とだけ言って電話を切った。そして、心配してくれた人たちに一連の経緯を報告し、自分の中で区切りをつけた。
数ヶ月後、その会社で起こるべきことが一気に起きた。私の解雇騒動をきっかけに社内の不信感が広がり、社員が大量に退職した。工場でも佐藤さんへの反発が爆発し、多くの工員が辞めていった。工場は事実上稼働停止状態となり、会社はあっという間に倒産寸前に追い込まれた。
そこに至って、三吉社長もようやく知ったらしい。佐藤さんが事業拡大のために銀行から巨額の融資を受けていたことを。しかも、それは想像以上の規模で、借金はとんでもない負債となっていた。親子は工場だけを支援してくれる企業を頼み込んで探し出し、今はそこで平社員として黙々と働く日々らしい。だが、負債をどうにかできる手立てはなく、周囲は「遅かれ早かれ親子は破滅する」と見ている。
私はと言うと、前職での特許部品開発の実績と資格が評価され、他県の企業の研究所で働いている。新しい会社には、佐藤さんのような人も、三吉社長のような人もいない。私は自分の仕事にやりがいを感じながら、本気で会社のために働くこの機会を、存分に楽しんでいる。



