俺が定期メンテナンスに来ると、取引先の工場長がため息をつきながら言った。「このメンテナンス費用ってどうにかならんのか?」
俺は何度説明したか分からないことを、また説明することになる。「定期メンテナンスを行わなければ、どうなっても責任は取れませんよ」
工場長はもう一度ため息をついた。この男がとんでもないことをしでかすなんて、この時はまだ思ってもいなかった。
俺の名前は菅原。40歳で社長をしている。まあ社長と言っても、うちの会社の社員は2人。俺と相棒の井上だけだ。工場向けの安全装置の開発が専門で、主力は工場の機械に取り付ける特許の安全センサーだ。
現場を回って「こんな装置があれば事故を防げるんじゃないか」とアイデアを出すのが俺の役目で、それを図面に起こし実際の形にするのが井上の役目。うちの特許は全部この2人で生まれたものだ。たった2人の会社だが、この技術だけは大手の同業他社にも真似できない。それが俺たちの誇りであり飯の種だ。
井上は高校時代からの親友で、俺とは正反対のタイプ。ギリギリで入試に受かった俺と、余裕で受かった井上。30代の時に脱サラして今の会社を立ち上げた。「社交的だから」という理由だけで俺が社長だ。まあ、いい相棒だ。
そんな俺たちは今日、ある取引先の工場にメンテナンスに来ている。新しい機械を導入するから、同じ安全センサーを設置して欲しいという依頼だ。この工場は全国に18箇所あり、全てにうちの安全センサーが設置してある。今回は追加という形なので格安での契約だ。
そんな考慮をしているにも関わらず、ここに来るたび嫌味を言われる。相手は工場の元村工場長。50代で、うちとの契約窓口を一手に握っている男だ。元村は下請けを見下していて、うちの安全センサーも「なくてもいい」と思っている節がある。特許料に加え定期メンテナンスの料金を払うのが気に入らないらしい。
「上から言われて仕方なく頼んでるんだ。特許料もメンテナンス料金も安くならんのか」
その度に俺は「初めからその契約ですから。特許料も他社よりはお安くしていますよ」と説明するが、どんなにコミュニケーション能力が高いと言われている俺でも、毎回同じ説明をしなくてはならないことにそろそろ限界を感じていた。
今日も工場に着くなり事務所にいる元村に挨拶をしたが、「ああ、ちょっと待っててくれ」と言われ、事務所フロアの隅のパイプ椅子を顎で示された。応接室に通す気すらないらしい。元村の持つ鍵がないと作業に入れないので、待つしかない。
そこからすでに30分以上、俺たちは放置されていた。
「なあ、あいつの『ちょっと』って何分だと思う?」と俺は井上に耳打ちした。
「さあね、5時間くらいかもな」と井上が笑う。ここに着いたのは朝9時前。どんどん時間は過ぎ、そろそろ11時になろうとしている。
「さすがに5時間はないだろう」と俺がぼそっとつくと、井上が「そうであってほしいなあ。あ、終わったらあそこのラーメン屋行こうぜ」と行きつけのラーメン屋を話題にした。あの店の昼営業は午後2時まで。壁の時計を見上げながら、俺は頭の中で残り時間を数え始めていた。
元村はと言うと、少し離れた自分の席で何やら書類と睨めっこをしている。時折部下を呼びつけては雑談を交えて笑っているのだから、急ぎの仕事というわけでもなさそうだ。
俺が席まで歩み寄り「あの、そろそろ新たな安全センサーの設置のお話を」と声をかけても、無視を続ける。
「いつになったらここ出られるんだよ」と井上が苛立ち始める。俺が何度か元村の席まで足を運ぶと「ちょっと待ってろ!」とフロア中に響く声で怒鳴られて終わった。周りの社員たちが一斉にこちらを見る。どうやらこの職場では元村に逆らえる人間はいないらしい。
昼時には元村は部下を連れて昼食に出ていった。戻ってきた元村は俺たちの前を素通りし、何事もなかったかのように席について新聞を読み始める。しかも俺たちにはお茶の1杯も出さず、自分は優雅にコーヒーを飲みお菓子をつまんでいる。
時計の針は進み、なんと午後2時を回った。朝の9時前から待たされているので、実に丸5時間が経過したことになる。壁際のパイプ椅子に座りっぱなしで俺たちの腰は限界を迎えていたし、お気に入りのラーメン屋の昼の営業時間もとうとう終わってしまった。
新聞を読み終えると、元村は悪びれる様子もなく言った。
「ああ、悪かったな。急ぎの用事があってね。下請けの君たちと違って、大企業の工場長は忙しいんだよ。じゃあさっさと作業に行ってくれ。時間はたっぷりあるから、今日中に終わらせろよ」
元村は顎でドアを示し、俺たちを犬のように扱った。いつもなら俺のコミュ力で「まあまあ、お忙しいのは分かりますが」と大人の対応をするところだ。隣に座る井上を見ると、その目は完全に据わっている。
ああ、やっちまったな。これは。
俺はそう思った。井上は無言のまま愛用のノートパソコンを開き、画面を元村の方へ向ける。そこに表示されていたのは、この工場と交わしている年間保守契約書のデータだった。
「元村工場長、こちらをご確認ください」と井上が低く冷たい声で言った。
「委託者の都合による作業開始の遅延は予定時刻より最大3時間までとする。これを超過した場合、当日のメンテナンス及び安全センサーの品質保証は自動的に失効し、安全上の観点から弊社は当日の作業を拒否できるものとする」とあります。
以前も同じように3時間ほど待たされたことがあり、契約更新時にこの文言を入れたのだ。
俺は立ち上がり、元村の目をまっすぐに見据えて言い放った。
「朝の9時から待たされて、今午後2時です。ちょうど5時間ですね。規定の期限が切れたので、今日の安全センサーの設置とシステム更新はやめますね」
するとその瞬間、元村は机を叩いて立ち上がった。
「はあ?ふざけるな。契約違反で訴えるぞ!」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。しかし井上が脅すような男ではない。
「契約違反をしているのはそちらです。5時間放置した証拠として、ここの防犯カメラの映像と僕たちの入退室ログはしっかり記録されていますから。訴えるならどうぞ」
「元村は「うるさい!細けえことは言わずにさっさと設置してこい!大体そんな契約があるのなら、もっとしつこく言うべきだろう!」と怒鳴った。
「何度もお声がけしましたよね。その度に『黙ってろ』と言われました。あなたの持つ鍵がないとメンテナンスもできない。新たな安全センサーの設置なんて到底できないのは、知ってますよね。それでどうやって作業をしろと?」
「申し訳ありませんが鍵を開けてくださいとでも言えばよかっただろう!」と元村が声を荒げる。
「どうして我々が頭を下げなければならないんですか?」
井上が淡々とパソコンを閉じ、バッグに収める。そして「菅原、行こうぜ。ラーメン屋の昼営業は終わっちゃったけど、夜の部に1番乗りしよう」と、目の前の元村を無視して俺に声をかけた。
「ああ、そうだな」
俺も元村を完全に無視し、事務所を後にした。背後から「おい、待て!」という怒声が聞こえたが、俺たちは振り返らずに工場を後にした。ここで頭を下げて技術を安売りすれば、俺たちの特許も井上の腕も価値を失う。それだけは社長として絶対にできなかった。
その日の夜、俺たちは一番乗りしたラーメン屋で麺をすすっていた。
「なあ、菅原、あいつ分かってるのかね」と井上が言う。「うちの特許センサーは定期メンテナンスでデータ更新をしなければ、安全のために1週間後にライセンス認証が切れてシステムが強制停止する仕様になってるんだ。あいつが何も言ってこなければ、1週間後に大変なことになるぞ」
俺はそう言ったものの、わざわざ助けてやるつもりはなかった。
1週間後。
「菅原、元村のバカ、本当に何も言ってこないな。ライセンスの自動更新期限切れるぞ」
普通なら契約書の文言とライセンスの仕様を突きつけられれば、青くなって頭を下げてくるだろう。だが元村という男は下請けに頭を下げたくないのだ。
「よし、規約通りに手続きを進めよう」
俺の言葉に井上が「待ってました」とばかりにエンターキーを叩いた。俺たちが送付したのは、特許ライセンス使用中止とシステム停止の予告通知書だ。定期メンテナンスの拒否により安全センサーの品質保証は不可能と判断。よって全国18工場に導入されている特許安全センサーのライセンスを4日後の午前0時を持って全て失効させるという内容だ。
通知を送った翌日、俺のスマホが鳴った。元村からだ。ようやく頭を下げる気になったのかと思い、電話に出ると。
「おい、菅原!ふざけた書類を送り付けてきよって。揉み消してやったぞ。上等だ。あんなセンサーこっちから願い下げだ!」
俺の予想に反した。いや、ある意味予想通りの元村の怒鳴り声が響いた。
「安全センサーが作動しない状態で工場を稼働することはできませんよ。それでもいいんですね」
「メンテナンスもしないような奴らに任せておけるか。特許使用料も高いと思ってたんだよ。これを機に他の業者に乗り換える。契約は破棄だ!」
一方的に電話を切られた。横で聞いていた井上が呆れたように口を開く。
「乗り換えることができるわけがないだろう。うちのセンサーは機械の異常振動と作業員の位置を同時に検知して0. 1秒未満で動力を遮断する制御方式で特許を取ってる。この方式を回避して同じ安全性能を出そうとしたら、設計のやり直しから安全認証の取得まで最低でも2、3年はかかる。しかもライセンス認証は定期メンテナンスでの暗号キーと紐づいてる。外部の業者が勝手に触れればシステムが改造検知して完全にロックされる」
「つまりあいつに残された道は、うちに頭を下げるか、センサーを物理的に止めて安全装置なしで動かすかの2択だよ。だが後者を選べば、機械は巨大な凶器になりかねない」
ライセンスの失効まであと4日。さすがに頭下げてくるだろうと俺が言うと、井上は「どうだかね」と言って視線をパソコンに移した。
そして4日後。元村から連絡はない。井上がセンサーの遠隔監視ログを確認すると、18箇所の工場が全て動いているという。もちろん安全センサーは作動していない。
案の定、その翌日、事故が起こったようだ。別拠点の工場長から連絡が来て、従業員が指を挟まれかけたのに機械が止まらなかった。おかげで救急車を呼ぶ事態になり、大変なことになっているという。
「我々は元村工場長に18箇所全ての契約を切られています。別の業者が入ると言っていましたが、何も聞かされてないんですか?」
答えると工場長は驚いていた。しかもその数時間後、その工場長から俺のところに電話が入り「元村からこの件は外に漏らすなと固く口止めされた」という。
「隠蔽かよ」と井上が呟く。聞けば、元村はうちへの支払い削減を本社への手柄にしようとしていたらしい。
俺は我慢できなかった。このままでは俺たちの特許センサーが作動しなかったと捉えかねない。だが一番許せないのは、従業員を大切にしない元村の考えだ。
義憤に駆られたあの工場長が内部資料を提供してくれたおかげで、井上はセンサーを物理的に止めて安全装置なしで稼働させていた証拠や救急車の出動記録も揃えていた。
「よし、これをリークしよう」
俺が言うと井上は頷いた。報道関係やSNSには井上が、元村の会社の役員や元請け会社には俺が連絡を入れる。
俺の電話で俺は怒りもせず、淡々と事実だけを並べた。
「18工場全てで安全装置なしの稼働が続いています。すでに救急搬送も出ている。証拠は全てお送りします。これが表に出た時、どうなるかご判断ください」
電話の向こうで役員が息を飲むのが分かった。その夜のニュースで放送されると、翌日から元村の会社の株価は大暴落し、社会的信用を失った。全国18箇所の工場には立ち入り調査が入った。それから1週間後、本社がついに「全工場が無期限閉鎖」という公式発表を出したのだ。
俺たちはあのラーメン屋でラーメンをすすりながら「バカだな、あいつは。どう責任を取るんだか」と話していると、俺のスマホが鳴った。元村からだ。
「菅原君、頼む。今すぐ来てくれ!全工場が営業停止、損害賠償だけで会社が傾くんだ!メンテナンス費用は倍払うし、特許料も払う!だから、頼む!とにかく来てくれ!」
泣き叫ぶ声が聞こえる。俺は「ああ、今手が離せないんで、3時間くらいは開きませんね」と言ってラーメンをすすった。隣で井上が笑う。
「頼む!その音楽… 今あそこのラーメン屋なんだろ?とにかく来てくれ!」
店内を流れる特徴的なBGMが元村に聞こえたようで、俺たちの居場所が分かってしまったらしい。
「俺たちを5時間も待たせて『申し訳ありませんが鍵を開けてください』とでも言えば良かっただろう、と言った人が、自分が困ったからすぐに助けろなんて、虫が良すぎますね。もう期限は完全に切れましたので、設置もメンテナンスも一生やめますね。さようなら」
電話を切り、俺たちは店を出た。するとそこへ元村が息を切らして走ってきたのだ。
「こうなったら来てもらうしかないんだ!」
俺に突進し、ポケットから財布を抜き取り「来てくれたら返すから!」と走り去る。財布を人質に取るつもりか。もう理屈も何もあったもんじゃない。
井上がその場で警察に電話をすると、すぐ近くの交番から警官が来て、元村は窃盗の現行犯で連れて行かれた。
元村は窃盗の現行犯逮捕に加え、18工場の不正改造と労災隠蔽の主犯として懲戒解雇。会社からは数億円規模の損害賠償を請求されているらしいが、その後は知らないし、知りたくもない。
「まさに自業自得だな」
俺が言うと井上が大きく頷いた。俺たちは次の取引先に向かって歩き出す。
「またこのラーメン屋の近くで仕事ができるなんて、幸せすぎるな」
井上が言うので俺も頷いた。「ただ、ラーメンの食べすぎには気をつけようぜ」と2人で笑い合う。
また新たな挑戦が、ここから始まる。



