俺はあるメーカーの営業マンとして働いている。入社して3年が経つが、職場には毎日のように悩まされる上司がいた。仲間さん。若手への当たりが強いことで有名なその男は、無理な仕事を押し付け、学歴の話を持ち出しては見下してくる。
「おい、お前まだこんなこともできねえのかよ。資料は今日の昼までに作れって言ったよな」
「すみません。昨日も外回りがあって、どうしても時間がなくて……」
「そうしたら外回りが終わった後に残業してでも作れよ。甘えてんじゃねえぞ」
それでも俺は会社を辞めようとは思わなかった。いつかこいつを見返してやる。その思いだけが支えだった。
ある日、仲間さんから呼び出された。
「明日、新しい取引先に挨拶してこい。出張になるから宿はこっちで手配しておいてやるよ」
「え、明日ですか? 明日は別の取引先との予定で埋まってるんですけど」
「そっちは別のやつに任せろ。社会人なんだからもっと柔軟に働けよ」
結局、俺は無理やり出張に行くことになった。元々入っていた仕事は同僚に頭を下げて代わってもらい、準備のためにその日も残業を強いられた。疲れきった体を引きずってオフィスを出ると、そこに現れたのは俺が一番会いたくない人物だった。
「あら、数明。どうしたの? そんな疲れた顔しちゃって」
「蒼井さん……どうしてここに?」
「まあ仕事で色々ありまして」
「そう。敬語なんてやめてよね」
「いや、さすがに社長の娘さんに向かってため口は……」
彼女の名前は蒼井。俺と同い年で、学生時代は同じ大学のキャンパスに通っていた。当時はため口で話していたが、この会社で彼女が社長令嬢だと知ってからは、どうしても距離を感じてしまう。俺のかしこまった態度に腹が立ったのか、蒼井は表情を曇らせ、わざと俺の肩にぶつかってその場を去っていった。
翌日、俺は仲間さんの指示通り遠方の取引先へ向かった。ところが、そこには蒼井がいた。
「ちょっと遅いわよ」
「え? どうしてここに?」
「どうしても何も、この取引は私からお父さんに提案したんだから。私が商談に来るのは当然でしょ」
「ちょっと待って。商談? 今日はただの挨拶じゃないのか?」
「はあ? 今更何を言ってるの? 今日は大事な商談があるのよ」
「そんな話は聞いてない。仲間さんからは挨拶をするようにって言われただけだ」
どうやら仲間さんは、俺に商談のことを一切知らせず、失敗させるつもりだったらしい。その上、蒼井が絡むほどの大きな取引だった。俺は想定外の出来事に取り乱したが、蒼井の落ち着いた態度でなんとか冷静さを取り戻した。
結局、俺は蒼井と共に商談をすることになった。最初はどうなることかと思ったが、蒼井の見事なプレゼンで取引はうまくまとまった。俺はタイミングを見計らって商品の説明をする程度で情けなかったが、蒼井は意外にも褒めてくれた。
「何も聞かされていなかった割にはちゃんと喋れたじゃない。うちの製品について詳しいのね」
「一応これでも普段は営業してますから」
出張は無事に終わった。そう思っていた。食事を終えて、会社が手配してくれた宿に向かうと、そこは普段使うビジネスホテルとは明らかにグレードの違う立派な旅館だった。受付で名前を伝えると、係の人が言った。
「お連れ様がすでにいらっしゃっておりますので、すぐにお部屋へご案内いたしますね」
お連れ様? 違和感を抱えながら部屋に通されると、そこにいたのは蒼井だった。
「え……どうしてここに?」
「やっぱり蒼井さんでしたか」
「同じ部屋で予約されてるなんて、何かの手違いかしら」
「手違いだといいんですけどね」
「何よ、あなた何か知ってるの?」
「いや……心当たりがあるというか」
俺の頭には仲間さんの顔が浮かんでいた。商談のことを当日まで黙っていたのも、宿のことで俺がミスをするように仕組んだのも、全部あいつの仕業に違いない。俺が蒼井と昔からの知り合いだったことで、仲間さんの期待した展開にはならなかったが、あいつは俺と蒼井が同じ部屋になることで問題が起きることを狙っていたのだろう。
「この時間から別の宿なんて見つからないわよ」
「多分そうですよね。でも、蒼井さんと同じ部屋に泊まるわけには……」
「いいわよ、ここに泊まっても。会社の手違いなら、あなたに余計な苦労をかけるわけにはいかないでしょう」
「社長令嬢が同じ会社の男と一緒の部屋に泊まる方がまずいんじゃないですか?」
「だから今日に関しては会社の不手際なんだから仕方がないでしょう。まあでも……一つだけ条件があるわ」
蒼井は何かを企んでいるかのように笑った。
「やっぱりあなたの敬語は落ち着かないから、今日だけはどうにかしてくれる?」
「そっか、分かったよ。じゃあ遠慮なくお邪魔します」
ため口で話すと、蒼井はなぜかそっぽを向いてしまった。相変わらず分からないやつだと思いながら、俺は彼女の部屋に入っていった。ルームサービスで酒を頼み、俺たちは学生の頃に戻ったように気楽に話すことができた。
「ちょっと夜風に当たってくるよ。少し飲みすぎたな」
「私も一緒に行くわ。せっかく綺麗な旅館なんだから」
そう言って立ち上がろうとした蒼井は、突然体勢を崩して盛大に尻餅をついた。
「いった……私も飲みすぎかな?」
「蒼井、大丈夫か?」
「ちょっと、何見てんのよ!」
転んだ勢いで下着が丸見えになっていることに気づいた蒼井は、顔を真っ赤にして訴えてきた。
「もう分かったから、あっち向いてて」
「お前が立てばいいだろう」
「足がしびれちゃって動けないの」
しばらく俺が視線をそらしていると、蒼井が言った。
「数明、責任取れるの?」
「はあ? 責任って何だよ」
「当然でしょ。慰謝料を払ってもらわないと」
「なんでそうなるんだよ。自分から見せといて」
「じゃあ男として責任取ってよ」
「なんだそれ? そもそもお前は社長令嬢だろ? 平社員の俺となんて釣り合うわけないだろう」
俺はそう言ったのだが、蒼井の表情が暗くなった気がした。
「社長令嬢っていうのは、俺とは住む世界が違う人間なんだよ。将来が約束されてるっていうか」
「さっきも言ったでしょう。お父さんは私を社長にするって決めてるわけじゃない。ちゃんと社長にふさわしいって認めてもらえないといけないのよ。今日の商談だって、お父さんからの試験のようなものなんだから」
俺はそんなに重要な仕事に携わっていたのか。蒼井はちゃんと成果を出したじゃないか。
「学生の頃からずっとお前は優秀なんだよ」
「ありがとう。でも……ただ優秀なだけじゃダメなの。会社を継ぐことになれば、数明も含めてたくさんの従業員の生活を背負うことになるんだから」
真剣な表情でそう言う蒼井は、どこか苦しそうに見えた。結局、責任を取るという話はうやむやになったまま、その夜は終わった。
翌朝、俺が目を覚ますと蒼井はすでに宿からいなくなっていた。どうやら気まずさがあったのかもしれない。俺は仕方なく一人でチェックアウトを済ませ、会社に戻った。
「おお、今回の出張はどうだった?」
仲間さんは俺を落としいれたつもりで、ニヤニヤしながら近づいてきた。
「ああ、蒼井さんのおかげで問題なく終わりました」
「ほ、宿は……宿はどうしたんだ?」
「どうやら宿の予約にミスがあったみたいですが、そちらも特に問題はなかったです」
「ど、どういうことだ?」
「あれ? 何かまずかったですか?」
仲間さんは俺が大事な商談に大失敗すると思っていたのだろう。しかし、俺が何事もなかったように振る舞うものだから、彼はとても悔しそうだった。だが、これで仲間さんが諦めるわけもなく、彼からの嫌がらせはこれまで以上にエスカレートした。
「おい、お前どうして今日の会議に来なかったんだ?」
「はい? 何のことですか?」
「何のことって? お前、この前の商談の結果を報告する会だろ? 前から言ってあっただろう」
「いや、そんなの聞いてませんけど。それに今日も僕は外回りで不在だったことは、仲間さんも知ってましたよね」
当然、俺は会議があるなんて聞いていなかった。しかし仲間さんは悪びれる様子もなく話し続ける。
「はあ、スケジュールの管理もまともにできないなんて。やっぱりお前は話にならんな」
「仲間さん、どうしていつもこんなことをするんですか? 僕はこれまでも仲間さんの指示に答えてきたつもりです。僕の何が気に食わないって言うんですか?」
「う、うるさいな。お前ごときが俺に口答えするな」
まさか俺が反論してくるとは思っていなかったのか、仲間さんは取り乱して止まらなかった。
「勘違いしているみたいだから言っておくが、お前の代わりなんていくらでもいるんだよ。分かったらこれからの態度を見直すんだな」
笑みを浮かべてそう言う仲間さんに、俺は悔しさでいっぱいだった。しかし、これ以上反論したら今度は何をされるか分からない。俺は小さく返事をして引き下がることにした。
それから数日後、蒼井との商談の件でまた問題が発生した。
「おい、お前、この前の商談は問題なかったって言ってたよな?」
会社に出社すると、仲間さんがいきなり詰め寄ってきた。
「確かにいいお返事をいただきましたけど、何かあったんですか?」
「何かあったんですか、じゃねえよ。うちとの取引はなかったことにさせてもらうって連絡が来たんだ。何があったのか聞きたいのはこっちの方だ」
「え、そんな……どうして」
「そんなの俺が知るわけないだろ。どうせお前が商談で何かやらかしたんだろ」
「いや、決してそんなことは。間違いなく先日の商談ではいい返事をいただいてきましたから」
「じゃあどうしてこんなことになるんだ? まさか俺の説明が悪いとでも言いたいのか?」
「いえ、そんなことは言ってません。とにかくもう一度先方と話をさせてください」
「もういい。これ以上状況を悪くしないでくれ。この無能が」
結局、俺は激しく罵倒された挙げ句、この商談には関わらせてもらえなかった。その日の仕事終わり、肩を落として会社を出ると、蒼井に遭遇した。
「ごめんなさい」
「どうして僕に謝るんですか?」
「あの商談、ダメだったみたいなの。私の力不足だわ。せっかく数明もサポートしてくれたのに」
「いや、俺はそんな大したことはしてないし、蒼井さんが力不足ってことはないと思いますけど。そもそもあの時は先方もいい返事をくれたじゃないですか」
「私もそう思ってたんだけど……でもなぜか、うちの会社に不信感を持ってしまったらしいの。それでやっぱりキャンセルしたいって連絡が来て」
蒼井は今にも泣き出しそうな声でそう言った。俺は彼女を会社から少し離れた公園に連れて行った。俺は彼女が少しでもリラックスするように敬語をやめた。
「それで、なんでこんなことになってるの?」
「さっきも言ったでしょう。先方はうちの会社に不信感を持ったの。きっと私が頼りなかったんでしょ」
「だからそれがおかしいって言ってるんだよ。あの日、先方もお前のことを褒めてただろう?」
「言ったでしょ。優秀なだけじゃダメだって。私がもっとしっかりしていれば」
そしてついに蒼井は涙を流してしまった。
「蒼井、お前一人で責任を感じすぎだって。もう少し肩の力を抜いた方がいいんじゃないか?」
「そんなのダメよ。これ以上気を抜いたら、また今回みたいに失敗しちゃうでしょ」
「俺はお前が気を抜いていたようには見えなかったぞ。この前の商談でも蒼井は生き生きしているように見えた。仕事には全力で取り組んでいたはずだ」
「だって……あの時は数明がいたから」
「俺がいるとかいないとか関係ないだろう」
「関係なくないの。数明は何とも思ってないかもしれないけど、学生の頃の私は数明にたくさん助けてもらった。だから今回の商談も、あなたがいれば大丈夫だって思ってたの」
「ちょ、ちょっと待ってよ。俺がお前を助けたことなんてあったっけ?」
「何かと対立することはあったけど、数明は真剣に私の言葉を聞いてくれたでしょう?」
「そんなの当たり前だろ。お前はいつも真剣だったじゃないか。それなら俺も真剣に受け止めるのが筋ってもんだろう」
「そういうあなたの真っすぐなところに、私は支えられていたの」
俺は蒼井からそんな風に評価してもらっているとは思ってもいなかった。でも、その割には入社してから当たりが強かったよな。
「それは数明がいきなり敬語とか使ってよそよそしくするからでしょ」
「自分の会社の令嬢に気を使うのは当然だろう」
「私は昔からそうやって扱われるのが嫌だったの。学生の頃みたいに、そのままの状態で話して欲しかった。そんなガキじゃないんだから」
大事な話をしていたはずなのに、蒼井の本音を聞けて思わず笑みが溢れた。
「ちょっと、なんで笑ってるのよ?」
「いや、蒼井って意外と素直で可愛いなって思ってさ」
「もう……」
「まあでも、蒼井の本音が聞けてよかったよ」
俺はそう言って蒼井にハンカチを渡した。
「さあ、その涙が止まったら、仕事モードに戻るとするか。それと……一つ大切な話があるんだ」
「大切な話?」
「ああ。実はさ、俺は蒼井にあることを話したんだ」
俺は自分の考えを蒼井に伝えた。それを聞いた蒼井は、まっすぐに俺を見て言った。
「分かった。明日一緒にオフィスに行きましょう。私も彼から直接話を聞きたいし」
「そうしてくれると助かるよ」
すると蒼井はなぜか吹き出した。
「え、どうした? 何かおかしかった?」
「ふう……なんでもない。でもちょっと嬉しくて。数明がうちの会社に入ってから、こんなに対等に仕事の話をしたことがなかったから」
「確かにそうかもな。まあでも、立場が立場なだけに無理もないだろう」
「そうね。でも私はこうやってまた数明と対等に話ができて嬉しいよ」
しかし俺は蒼井の言葉を聞いて首を横に振った。
「対等ではないけどな。俺はただの平社員で、お前は令嬢で次期社長候補。……でも、それは今現在の話だ。いつかお前と肩を並べて話せるようになるから、それまで待っててくれよ」
「え? それってどういうこと?」
「いつか絶対に出世して、会社を引っ張るような立場の人間になってやるってことだよ。そうなって初めてお前と対等に話ができるんだ。そしたら男としても釣り合うようになるだろう」
俺の言葉を聞いて、蒼井の顔は赤くなった。
「信じていいの?」
「もちろん、約束する」
こうして俺と蒼井の距離は、これまでよりも確実に縮まった。
翌朝、仲間さんは早速俺に詰め寄ってきた。いつものように怒鳴ろうとしたのだろうが、俺の後ろに蒼井がいることが分かると、彼の態度は一変した。
「こ、これはこれは蒼井さん。突然どうされたんですか?」
「先日の商談の件です。申し訳ないけど、少しお時間をいただけるかしら」
「え、お、俺ですか?」
「はい。あなたから話を伺いたくて」
「もちろん大丈夫ですが……」
「私が商談をした取引先の相手と、あなたが電話をしていたという話を聞きました。それはどういった内容の話だったのか、教えていただきたいの」
蒼井に質問された仲間さんは、分かりやすく動揺していた。その瞬間、俺の予想が的中したのだと確信した。
俺と蒼井が商談した段階では、間違いなく先方の反応は良かった。なのに突然取引をやめると言い出したということは、あの商談以降に何かがあったとしか考えられない。となると、思い当たるのは仲間さんしかいない。彼自身が取引先と電話で話したと証言しているのだから。
すると仲間さんは険しい表情になり、俺に詰め寄ってきた。
「お前が蒼井さんに何か変なことを言ったのか?」
「変なことって何ですか? 何か言われて都合の悪いことでも?」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
俺が強気に出ると、仲間さんの声は一気に小さくなった。
「それでどうなんですか、仲間さん。私も突然先方から連絡を受けて困惑してるんです。あの商談の後で何かあったんじゃないですか?」
「い、いいや、特に何も。私はただ普通にご挨拶をしただけで」
「ご挨拶? それはどういった内容のご挨拶だったんですか?」
「挨拶は挨拶ですよ。これから取引をしていただくにあたって、よろしくお願いしますと伝えました」
「大体の話は分かりました。では一度、その通話記録を確認させていただきますね」
しかし仲間さんはなぜかそれを渋ってきた。
「そ、それは困ります」
「何が困るんですか?」
「今は別の取引先から重要な連絡を待ってる状態でして、そんなことで長時間も電話を使われるのは……」
俺の限界は頂点に達した。
「仲間さん、いい加減にしてください。あなたが何かを隠しているのは分かっているんです。素直に通話録音を聞かせてください」
いつもは言われっぱなしの俺が冷静に反論したせいか、仲間さんは言葉を失っていた。俺は電話を取り上げ、蒼井と共に録音をスピーカーで流した。
「待って、ちょっと待ってくれ」
流れてきた通話録音は想像以上にひどいものだった。仲間さんは電話に出た瞬間からかなり横柄な態度で相手に接していたのだ。これでは先方が不信感を持っても仕方がない。
「仲間さん、これは一体どういうことですか?」
「私はただ普通に応対しただけで」
「普通? これがあなたの普通なんですか?」
「と、確かに少々言葉遣いが荒かったかもしれませんが、それだけで取引が中止になるのは考えにくいかと。商談自体にも問題があったんじゃないですか?」
あろうことか、彼は商談に臨んだ蒼井に対しても噛みついてきたのだ。
「なるほど。私に問題があったと」
「蒼井さんじゃなかったとしても、そいつが足を引っ張ったに違いない。お前はいつも俺に怒鳴られているしな」
「あなたはどうしてそんなに彼のことを見下しているんですか?」
「そんなのは簡単なことです。こいつが無名大学の出身だからですよ」
その言葉を聞いて蒼井は固まった。彼女もまた、俺と同じ大学に通っていたのだからそうなるだろう。
「ちなみに、彼が通っていた大学は私と同じ大学だというのはご存知ですか?」
「そ、それはもちろん知ってます。って……なんですって? どういうことですか?」
「確かに私たちが通っていた大学は知名度が低いかもしれません。でも、世界の大学ランキングではそれなりの上位に位置しています。だから決して『無名大学』なんて罵られる覚えはないのですが」
実は俺と蒼井が通っていた大学は日本の大学ではなく、ロサンゼルスの大学で、国外ではそれなりに名の通った学校なのだ。おそらく仲間さんは海外の大学の情報がなく、俺たちの大学のことを一切知らなかったのだろう。
「まあ、私たちの大学のことは置いておいて。あなたの仕事ぶりには問題がありそうですね。この件はしっかりと上層部に報告させていただきます」
そう言い残し、蒼井はオフィスを出ていった。残された仲間さんは顔色を変え、膝から崩れ落ちていった。
その後、仲間さんから嫌がらせを受けていた社員たちへの聞き込み調査が行われ、俺も含めその対象者は今までのことを洗いざらい話した。結局、仲間さんは降格処分を受け、会社にいづらくなったのか自ら退職していった。
一方、俺と蒼井は――。
「数明、今日もよろしくね」
「おお、俺に任せておけ。仮にお前がミスっても、俺がフォローしてやるから」
「言うようになったわね。数明こそテンパってヘマしないでね」
「俺が今更そんなことするわけないだろう。それじゃあ行きますか、次期社長」
「そうね。今日もよろしく、次期社長補佐さん」
あの商談の日から、早くも5年の月日が流れた。蒼井は社長から認められ、正式に次期社長として任命されたのだ。仲間さんがいなくなり、新たな上司の元で働いていた俺は、その仕事ぶりが評価されるようになり一気に出世することができた。すると蒼井の持ち込む商談には俺も一緒に借り出されるようになり、気づけば蒼井の右腕のような立ち位置になっていた。すると社長から、「次期社長補佐」という役職を任されたのだ。
「なんとか今日の商談もうまくいきそうね」
「そうだな。でも今日はまだこの後があるからな」
「さっきの取引先よりもっと手ごわいわよ」
「分かってるって」
この日、俺は蒼井のお父さんにご挨拶をすることになっていた。仕事上でなら社長と話す機会も増えてきたが、さすがに結婚の挨拶となると話は別だ。
「私も親と話すだけなのに、なんか緊張してる」
「これは史上最大の商談だよ」
「ちょっと、仕事みたいに言わないでよ」
「ごめん、ごめん。でもちゃんと成功させるからさ。だって俺は責任を取らなきゃいけないんだろう?」
「え? 責任?」
「おいおい、忘れたのか? 蒼井と初めて出張に行った時、旅館でさ……」
俺と蒼井はそんな他愛のない話をしながら、二人で歩き出した。それからしばらくして、俺たちの結婚が決まったのだ。



