「今日は離婚記念日だよ。プレゼント、早く提出してくださいね」——結婚記念日の夜、夫は若い浮気相手を連れて帰ってきて、テーブルに離婚届を叩きつけた。彼女の前で「おばさんより若くて可愛い子の方がいい」と笑いながら言われたとき、私は何も言い返せなかった。ただ静かに離婚届を手に取り、その場を去った。でも、夫はひとつだけ知らされていない事実があった。彼の会社が順調なのは、私がコネを使っていたからだとい…

「今日は離婚記念日だよ。プレゼント、早く提出してくださいね」——結婚記念日の夜、夫は若い浮気相手を連れて帰ってきて、テーブルに離婚届を叩きつけた。彼女の前で「おばさんより若くて可愛い子の方がいい」と笑いながら言われたとき、私は何も言い返せなかった。ただ静かに離婚届を手に取り、その場を去った。でも、夫はひとつだけ知らされていない事実があった。彼の会社が順調なのは、私がコネを使っていたからだとい...

夫が浮気相手を連れて帰ってきたのは、私たちの結婚記念日のことだった。

豪華な料理を用意して、今年こそ久しぶりに二人で穏やかな時間を過ごしたいと思っていた。なかなか帰ってこない夫を待ちながら、私はテーブルに並べた料理を何度も見直していた。

インターホンが鳴ったとき、てっきり宅配便だと思った。玄関を開けると、そこには見覚えのある派手な若い女が立っていた。前に夫の会社に書類を届けに行ったとき、無愛想な態度で対応してきたアルバイトの娘だ。

「こんにちは。今日が何かの記念日だって聞いたので、お花を持ってきました」

差し出された花束を受け取りながら、私は戸惑うしかなかった。まさか夫の会社のアルバイトが、私たちの結婚記念日を祝うために家まで来てくれるなんて。

その後すぐに夫が帰宅した。彼はその女の姿を見ても、驚いた様子は一切なかった。ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべながら、私の目の前のテーブルに何かを叩きつけた。

一枚の紙。

離婚届。

そこにはすでに夫の署名と印鑑が押されていた。

「こ、これはどういうこと?」

「見ての通りだよ。離婚届だ」

夫は笑いながら言った。「本当に鈍い女だな。離婚しろって言ってるんだよ」

横で浮気相手がクスクスと笑っている。あの嫌な笑い声は今でも耳に残っている。

「ねえ、今日が何の日か分かってる?」

「ああ、結婚記念日だろ」

「違う違う。今日は離婚記念日だよ」

「離婚記念日おめでとうございます。プレゼント早く提出してくださいね」

二人は完全に浮かれていた。全く悪びれる様子がない。

その女は水商売をしていたときに夫と出会ったらしい。夫はいずれ私と離婚するからと言って、将来の嫁として自分の会社にアルバイトとして雇い入れたのだそうだ。

「会社はこれからますます繁盛する。看板娘はお前みたいなおばさんより、若くて可愛い方が決まってるだろ」

「やだ、そんなにはっきり言っちゃって」

「おばさんは早く出ていってくださいね」

二人はゲラゲラ笑いながら私を馬鹿にし続けた。私が用意した料理を見て「何この食事? もう二度と食べることないから食べ収めでもしてやるか」と言い放った。

テーブルに並んだ料理はもうすっかり冷めていた。そして、私の中で夫への愛情も同じように冷えていった。

私は無言で離婚届を手に取り、その場を後にした。

悔しいのは浮気されたことよりも、こんな人間だと見抜けなかった自分だった。確かに私は地味な女だ。若いあの子と比べれば魅力も劣るだろう。だが、今まで私なりに夫婦としてやってきたつもりだったのに。

怒りが込み上げてきた。このままやられっぱなしで終わるわけにはいかない。

車の中で私はスマホを取り出し、ある人物に電話をかけた。

「おじさま、ちょっとお願いがあるんです」

夫は小さな塗装会社を経営している。最近大きな仕事が舞い込むようになったのは、私の叔父の陰の援助があったからだ。叔父は日本を代表する大手建設会社の社長をしている。夫のプライドを傷つけないように、そのことはずっと黙っていた。

車に向かう途中、私は叔父にすべてを話した。夫が浮気をしたこと。離婚を要求されたこと。そして、離婚届をこれから提出しに行くこと。

叔父は激怒し、すぐに夫へ電話をしたのだろう。契約の打ち切りを一方的に伝えたらしい。

役所で離婚届を提出し終えた私は、晴れやかな気持ちで玄関へ向かっていた。今日は疲れたから、ホテルでも予約して泊まろう。

そんなことを考えていると、突然一人の男が息を切らして役所に飛び込んできた。

夫だった。

「ま、待ってくれ! もう離婚届は出したのか? 考え直してくれ。やっぱり離婚なんてしたくないんだ」

さっきまであれだけ私を馬鹿にしていたのに、今は息も絶え絶えに懇願している。余程慌てて駆けつけたのだろう。

「急にどうしたの? さっきまでと随分態度が違うじゃない」

「離婚はしない。だから取引を続けるようにおじさんを説得してくれ」

なるほど。叔父からの契約打ち切りの電話を受けて、慌てて私を追いかけてきたのか。

「俺が悪かった。頼むから離婚はしないでくれ。この通りだ」

夫は泣きながら役所の床に土下座した。手のひらを返したような態度に、私は呆れて鼻で笑ってしまう。

「それで私が許すとでも思っているの?」

「お前の気持ちも考えず、ひどいことをした。これからは心を入れ替える」

「若い女に入れ上げて、長年連れ添った妻をあっさり捨てようとした男が、心を入れ替えられると思う?」

「できる。心を入れ替えて、これからはお前を大事にする」

夫は床に頭を擦りつけんばかりに土下座を続けている。同情を誘おうとしているのだろうが、もう騙される私ではなかった。

私はしゃがみ込み、土下座をする夫の肩に手を置いた。夫が期待に満ちた目で顔を上げる。

「残念だったわね。もう離婚届は提出してしまったわ」

夫の顔色が一瞬で青ざめた。

「そ、そんな……あなたがどれだけ頼もうと、私たちはもうただの他人よ。会社のことは自分でなんとかするのね」

「今からでも遅くない! 窓口で離婚届を撤回してくれ!」

「それが無理なら、もう一度結婚しよう」

「随分都合のいいことばかり言うのね。私の気持ちは無視?」

「そ、そういうわけじゃ……」

「本音が出たわね。結局私に頭を下げるのは、心から謝っているからじゃなくて、会社のためでしょ」

そう言うと夫は言葉を失った。

「あなたは経営者だってよく言ってたじゃない。これから苦境に立たされるだろうけど、あなたならきっと何とかできるわよ」

心にもない慰めの言葉を口にすると、夫はおいおいと人目もはばからず泣き出した。

窓口に向かって「離婚届を返せ、間違いだ!」と大騒ぎする夫を尻目に、私は役所を後にした。

それから一ヶ月間、夫からは毎日のように「会いたい」「やり直そう」といったしつこい電話がかかってきた。着信拒否をしても、今度は家に押しかけてくるかもしれない。

いい加減にしつこい連絡をやめさせるために、私は夫の家へ直接話をつけに行くことにした。

インターホンを押すが、しばらく待っても誰も出てこない。何度もボタンを押すが反応がない。

諦めて帰ろうとしたそのとき、家の中から男女の言い争う声が聞こえてきた。夫と浮気相手だ。かなりヒートアップしているようで、インターホンが聞こえなかったのだろう。

玄関のドアを回すと、鍵はかかっていなかった。

恐る恐る中に入ると、廊下からリビングに続くドア越しに、二人が言い争っている姿が見えた。二人とも我を忘れたように怒鳴り合っていて、私が入ってきたことに気づいていない。

彼らの剣幕に姿を現すタイミングを逃した私は、廊下で二人の会話を立ち聞きする形になってしまった。

話を聞いていると、夫の会社は叔父との取引中止が決まった直後から、他の業者からも同じように取引をやめたいと言われたらしい。原因は叔父に嫌われたこともあるが、そもそも浮気相手の事務としての接客態度も客の品を落とすほどひどかったようだ。将来の社長夫人だと同僚を顎で使うなどしていたらしく、社員たちは一斉に退職してしまったという。

「お前のせいで取引先を失って、挙げ句の果てに社員もみんな辞めてしまったんだぞ。どう責任を取るつもりだ?」

「知らないわよ。会社がうまくいっていないからって、私に責任転嫁しないで」

「それだけじゃない。お前、俺のカードを勝手に使っていただろう。とんでもない女だ」

浮気相手は夫のクレジットカードを勝手に使い、高級ブランドバッグを買い漁っていたらしい。夫の収入が減り、引き落としができなくなって、高額の請求書が送り付けられてきたことで発覚したようだ。

「欲しいものがあるなら使っていいって言ったじゃん」

「買い物も自由にできなきゃ、あんたみたいなおじさんと一緒にいるメリットなんてないわ」

金を引き出せなくなったと悟ったのか、彼女は本性を表した。完全に金目当てだったのだ。

「そんなこと言っても、お前の腹にいる子供は俺の子だろ」

以前会った時には気づかなかったが、彼女のお腹は少し膨らんでいた。

「あんたなんか最初から金づるとしか思ってないわよ。この子は本命の彼氏の子供だから」

「お、俺の子じゃないのか!?」

「当たり前じゃん。お金持ちになったらまた遊んであげてもいいよ。じゃあね」

勢いよくリビングのドアが開いた。彼女は廊下に立っていた私に気づき、一瞬驚いた顔をしたが、そそくさと退散していった。

私がリビングに入ると、夫は呆然としていた。

「あけみ……どうしてここに」

夫は私に気づくと、一瞬でまた復縁を迫ってきた。

「もしかして俺とよりを戻したくて来てくれたのか? ああ、よかった。俺はようやく完全に目が覚めたよ。あの女にかどわかされて、お前にひどい態度を取ってしまって」

自分の行いを棚に上げ、全てはあの女のせいだと言い訳を始めた。

「そもそも私に毎日やり直そうって電話をかけてきたのに、まだあの子と別れてなかったのね。どんなに最低だわ」

「違う! ちゃんと別れ話をしようと思ってたんだ。だけど、あいつがなかなか……」

「嘘つきの切れ目が縁の切れ目、捨てられたんじゃない? 廊下であなたたちの会話は全部聞いていたわ」

私の言葉に夫は「しまった」という顔をした。

「この後に及んでまだ嘘をつくつもりなの? そんな人間ともう一度結婚したいと思うはずないじゃない」

それでも夫はまだ諦めず、もう一度やり直そうとすがりついてくる。

「これ以上しつこくするようなら、私も出る所に出るから。そうなると、もっと会社の経営は厳しくなるんじゃない? いい加減に諦めてちょうだい」

私がそう言うと、さすがに観念したのか、夫はがっくりとうなだれた。

やがて、涙ぐむような小さな声で「……わかりました」と答えた。

その後、夫の塗装会社はあっという間に倒産した。夫には高額の借金だけが残り、取り立てに追われる毎日らしい。結局、借金を返せる見込みもないまま、家族や友人にも告げずに身一つで夜逃げをしてしまい、その後の消息は不明だそうだ。

一方、私は元々勤めていた会社を辞め、叔父の会社で事務スタッフとして働くことになった。仕事のスキルや知識だけでなく、チームワークやリーダーシップの重要性を学びながら、私は自信を深めていった。その結果、私の努力は認められ、会社内での地位も着実に上がっていった。

離婚して一人になった私を心配して雇ってくれた叔父には感謝しかない。今は働きながら、キャリアアップのために様々な資格試験に向けて勉強している。

あの日の出来事は、私にとって人生の転機だった。夫を失ったこと。家を失ったこと。それまで当たり前だと思っていたものを全て失って、私は初めて自分の力で立つことの大切さを学んだ。

もう二度と、誰かの陰に隠れて生きることはしない。

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