「修理箇所を増やせ。客が買うと決めるまで帰すな。ノルマを達成するまで休みはなし。ダメなら給料から引く」
増田社長は、来店するなり俺にそう言い放った。古物車販売会社のワンマン社長である増田は、ここ数年でどんどん傍若無人になっていった。ノルマを達成できない社員には罰則を課し、休日も返上させ、できないと決めつけては人格を否定するようなメッセージを一日に何度も送りつけてくる。
俺は大山達也。中古車会社で働いて十年になる。最近、店長に抜擢されたばかりだ。会社は北関東を中心にチェーン展開していて、中古車販売だけでなく修理も行っている。増田社長はかつて小さな店舗を一人で借りて会社を始めたらしい。それが決断を重ねてどんどん店を増やし、今の規模にまで育て上げた。
入社した頃は会社全体が活気に溢れていた。しかし、規模が大きくなるにつれて空気は変わっていった。
ある日、増田社長が俺の店舗にやってきて、こう宣言した。
「今月のノルマを達成できていない社員は、達成できるまで休日なし。ダメなら給料から引く」
唖然とする社員たちに、増田は続ける。
「明日から全員、今より一時間早く出社しろ」
「そんな、どういうことですか?」
「黙れ。お前たちは俺の言う通りにしていればいいんだ」
増田のワンマンぶりは日に日にエスカレートしていった。店長である俺にも、社員たちにも、誰にも逆らうことはできない。まるでお触れ書きのように、ただ命令に従うしかなかった。
ある社員が青ざめた顔で俺に携帯の画面を見せてきた。
「店長、これ、もう見ましたか?」
それはその社員宛ての増田からのメッセージだった。ノルマを達成しろという内容だけでなく、人格を否定するような言葉が並んでいる。
「これを全社員に送ってるんですよ。嫌がらせにも程がありますよ」
「俺、他の奴に合わせる顔がないです」
俺はその言葉に、ただ唇を噛むことしかできなかった。増田は見せしめのために、社員一人ひとりにこんなメッセージを送りつけているのだ。
そうしているうちに、俺自身も精神的に追い詰められていった。ノルマを達成できない日々が続き、タイムカードを押さずに休日扱いで働くことも増えた。夜は眠れず、仕事に身が入らない。携帯の通知音が鳴るだけで、体が反射的にビクッと震えるようになった。
増田からのメッセージは、週末だろうが深夜だろうが関係なく届く。
「例の車は売れましたか? 売れるまで何度でも電話してください」
ある日、また増田が店舗にやってきた。
「お前、店の周りが汚れてるぞ。ちゃんと掃除してるのか?」
入ってくるなり、入口近くにいた社員を怒鳴りつける。
「すみません。すぐにやります」
「ダラダラしてないで、きっちり働けよ。役立たずが」
増田の暴言に、店内は一瞬で静まり返った。増田はさらに言葉を浴びせ続け、社員は掃除道具を手にしてトボトボと外に出ていった。
そして今度は俺に標的を向ける。
「おい、大山。お前の店は今月、売上ワースト3だぞ。しっかりしろ」
「申し訳ありません。なんとかやっているところですが……」
「お前の頭は下げるためについているようなものだよな。もっと下げてみろ」
そう言って増田は俺の頭を手のひらでグイグイと押した。俺は思わず膝をついて座り込んでしまった。他の社員たちも、ただ黙ってそれを見ているしかなかった。
増田は満足そうに「はあ、ここの店長は本当に使えないな」と捨て台詞を吐いて帰っていった。
「店長、大丈夫ですか?」
増田が帰った後、社員が心配そうに声をかけてきた。
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
増田はこうやって、抜き打ちで店に現れては理不尽なことを言い、俺や社員たちを叱責して帰る。最近ではそれが日常となっていた。みんな俺を心配してくれるが、いつ同じことが自分に降りかかるかわからない。会社の空気は張り詰めていた。
その日の夜遅く、俺の携帯に増田からのメッセージが届いた。何度目のメッセージかもわからない。画面を見ると、そこに映っていたのは……昼間、俺が増田に頭を押さえつけられて座り込んでいる画像だった。
「これは……」
携帯を持つ手が震えた。増田はあの瞬間、俺の写真を撮っていたのだ。そして、それを社員全員に送りつけている。
「これじゃ、さらし物だって話だ」
俺は呆然とし、その夜は一睡もできなかった。
翌日、なんとか出社したが、体は重く力が入らない。気がつくと社員が耳元で「店長、大丈夫ですか?」と肩を揺さぶっていた。俺はボーッとしていたらしい。その後も増田は店舗に来ては俺を叱責する様子を撮影し、全員に送りつけることを繰り返した。
一体、何の目的なのか。ノルマを達成させるための見せしめか。俺はもがき苦しむうちに、辛いとか苦しいといった感覚さえなくなっていった。ただ毎日が過ぎていくだけだった。
そんなある日、また増田か電話をかけてきた。
「おい、大山。お前の店は最悪だな。今月こそノルマを達成しろ」
相変わらず怒鳴っている増田の声を聞きながら、俺はポンヤりとしていた。そして、増田は続けた。
「いいか、修理の客には修理箇所を増やせ。修理が増えれば儲かる。購入の客は買うと決めるまで返すな。なんとしても引 き留めろ」
俺は耳を疑った。ここまでの指示は、さすがにやり過ぎだ。客を騙し、信用を失う行為だ。
「え、そんんなこと……」
「いいから、この指示を他の店舗にも拡散して徹底しとけ。お前は命令通りにやればいいんだよ」
「……わかりました」
俺はそう言って電話を切った。そして、少し前から録音していた増田とのやり取りを思い出した。それは、いつの日か何かの役に立つかもれないと、ささやかな抵抗のつもりで録っていたものだ。そして今、増田が言ったこの言葉は、俺に活用方法を思いつかせた。
翌日、また増田から電話がかってきた。
「おい、一体どうなってるんだ?」
電話の向こうから聞こえてきたのは、いつもの怒鳴る声ではなく、か細い、慌てた声だった。
「昨日お前に言ったこと……大炎上してるぞ」
「どういうことですか?」
「どういうことだと言われても、昨日言われた通りに指示を拡散しておきました。これでよろしかったですよね」
俺は淡々と答えた。昨日のやり取りを録音していたことは、もちろん増田は知らない。俺はその音声データと、俺が叱責されている画像を、あらゆるSNSに投稿して拡散させたのだ。
「お前、何てことをしてくれたんだ!」
慌てふためく増田の声が聞こえるが、これは自業自得というものだ。
「とにかく、指示通りにやりましたよ。では、これで」
「おい、待て!」
すがるような増田の声を無視して、俺は電話を切った。テレビをつけると、どのチャンネルも俺の会社を大きく取リ上ゲている。ニュースでは増田の音声が何度も流れ、「修理箇所を増やせ」「客を帰すな」という言葉が繰り返し報じられていた。社員たちも取材に応じ、ノルマを達成しないと怒鳴られたこと、毎日嫌がらせのメッセージが送られてきていたことを語っている。俺が座り込んでいる画像も流れているが、顔はぼかされている。それでも、知っている人には俺だとわかるだろう。
連日、会社の不祥事はトップニュースとなり、店舗にはマスコミの取材陣が押し寄せて、営業どころではなくなった。
「店長、テレビやマスコミが大騒ぎで、すごいことになってますね……」
「ああ。こんなに反響が大きいとは思わなかった。迷惑をかけるな」
心配そうな社員に謝るしかなかった。俺が始めたこととはいえ、反響は大きすぎて、自分では収拾できなくなっていた。
そんな中、増田が社員を集めて集会を開くことになった。
「社長が謝罪するんでしょうね」
「まあ、あの傲慢な増田社長でも、ここまで来たら謝るしかないでしょう」
社員たちとそんな話をしながら、俺は本社へ向かった。会が始まり、増田は神妙な面持ちで話し始めた。
「社員の皆さん、この度はお騒がせして申し訳ありません」
しかし、その次の瞬間、増田は俺を手招きした。
「大山君、ちょっと来てくれるか?」
俺がステージに上がると、それまで真面目だった増田の表情が一変した。
「こいつが原因だ! こいつのせいで、諸君らは大変な迷惑を被っている!」
増田は俺を指差し、社員たちに向かって怒鳴った。
「お前のせいで、会社は大変なことになっている。画像や音声を偽造して拡散した! おかげで会社は倒産寸前だ!」
俺は呆れて何も言えなかった。ここまで来て、まだ俺に罪を着せようとしているのか。メディアで増田の音声や画像がこれだけ流れた以上、社員たちに謝罪してやり直すしかないはずなのに。
「お前のせいで、社員たちは路頭に迷うことになりかねない。どう責任を取るつもりだ!」
増田がそうまくし立てるのを聞いて、俺は入口近くにいた社員に合図を送った。すると、その社員がドアを開けた。次の瞬間、メディアの取材陣が一斉に会場へと流れ込んできた。
実は、俺は社員たちと示し合わせて、メディアを呼んでいたのだ。
「皆さん、社長の言っていることが間違いだということは、お分かりだと思います。今までのやり取りを全て、メディアの皆さんにも聞いていただいています」
俺は通話状態のスマホを取り出した。増田が俺を貶めるために嘘をついている様子は、すべてメディアの取材陣に流れている。
「増田社長、まだ社員たちを騙すつもりですか? 会社を倒産に追い込んだ責任を取るのは、あなたですよね」
「ち、違う! これは……」
青ざめる増田を、取材陣が一斉に詰め寄った。俺はその場を後にした。これで少しは懲りるだろう。
その後、増田は逃げも隠れもできなくなり、記者会見を開くことになった。
「顧客や世間の皆さんにご迷惑をおかけした責任を取って、私は社長を辞任し、経営から退くことにします」
そう言って涙ながらに頭を下げる増田は、以前の傲慢さが嘘のように見えた。
「増田社長、とうとう辞めるのか」
「ああ。随分痩せて、別人みたいだな」
「まあ、これでノルマのために怒鳴られることもなくなるな」
「もう、ゴリゴリだよ」
俺たちは、その会見を見てホッとしていた。これで、ノルマに追われて眠れない毎日を過ごすこともなくなるだろう。会社としては、この一件で世間にマイナスなイメージを与えてしまった。立て直していくのは簡単ではない。
問題は山積みだが、本当の原因は俺たち社員が一番よく知っている。そして、その増田社長はもういないのだ。
増田社長は、小さな中古車の会社を一人でここまで大きくした、素晴らしい力を持っていた。しかし、きっとどこかで間違ってしまったのだと思う。
今、俺たちは解放されて、やる気に満ちている。二度と同じ過ちを繰り返さず、信頼される仕事をしていきたいと、俺は強く思った。



