激痛で意識が朦朞とする中、男の笑い声が耳に響いた。
「意識飛びそうか?歓迎の挨拶だよ。」
俺は膝をつき、腹を押さえながら小さく嗤った。
「三田村組本家の幹部メンバーの顔は覚えておけよ。」
男が意味深な言葉に首をかしげた、まさにその時だった。背後から複数の足音が慌てた様子で近づいてくる。
俺の名前は三田村裕介。幼い頃に両親を事故で亡くし、児童養護施設で育った。
施設にも学校にも馴染めず、溢れる寂しさを暴力で発散するしかなかった。誰もが俺を見放していき、毎日のように喧嘩に明け暮れる日々。
そんなある日、俺は地元のヤクザに喧嘩を売ってしまい、徹底的に打ちのめされた。
「これで終わりか…。あの世で親に怒られるかな。」
意識が遠のく中、俺を囲んでいたヤクザたちが道を開けた。そこに立っていた初老の男性が、俺を見下ろして言った。
「おい、小僧。お前は何がしたいんだ?」
「別に…。さっさと終わらせてくれよ。こんな人生、もうどうでもいいんだ。」
男性はしばらく俺を見つめていたが、部下に指示を出し、俺を車へと乗せた。この出会いが、俺の人生を根底から変えることになるとは、その時は知る由もなかった。
それから長い年月が流れ、俺は28歳になっていた。今日はとある人物に呼び出され、見知らぬ土地に来ている。
指定された住所に着くと、そこには大きな日本家屋があった。門には『三田村組』の看板が掲げられている。
約束の時間が迫っている。俺は急ぎ足で敷地内を進んでいると、3人の男性が歩いてくるのが見えた。彼らに場所を聞こうと近づくと、彼らも俺に気づいたようで、怪しげな表情で足を止めた。
「おい、あんた、ここがどこだか知ってるのか?一般人が来てもいいところじゃないんだぜ。」
一番偉そうな男が睨みながら言ってくる。俺は笑顔で返した。
「三田村組の本部がここで間違いないですよね。呼ばれて初めて来たので、どこから入ればいいか分からなくて。」
俺の言葉を聞いて、男たちは顔を見合わせたが、すぐに先ほどの男がニヤニヤしながら言った。
「何だお前?うちの新人か何か?新人が呼び出されるなんて、一体何をやらかしたんだよ。」
どうやら彼は、俺を三田村組の下っ端と勘違いしているらしい。しかし、今は訂正している時間がない。
「入り口と事務所までの行き方を教えてくれればそれでいいので。」
俺がそう言うと、男はさらに調子に乗り、後ろの若い男たちも近づいてきた。
「お前、『伊集院さん』に向かって『案内してくれ』なんて、何様のつもりだ?伊集院さんは、うちの若頭補佐候補にもなっている人なんだぞ。」
「なら、あなたたちでも構いません。教えてもらえませんか?」
俺が質問を繰り返すと、『伊集院』と呼ばれた男は大笑いし始めた。
「お前、本当に馬鹿だな。どうせそんなんだから、何かやらかして組長に呼び出されたんだろう。下っ端を呼びつけるのは、それくらいしかないもんな。」
俺はその言葉を聞き流して腕時計を見た。やばい。このままでは本当に遅刻する。
道案内を諦め、自力で探すことにした。「教えてもらえないなら、自分で探しますね。」
そう言って背を向けると、男たちに行く手を遮られた。
「何ですか?本当に急いでるんですけど。」
「まあ待てよ。俺が組長の手間を省いてやるからよ。」
そう言うと、男は部下に命じた。
「おい、お前ら。こいつをボコボコにしろ。」
若い男たちは少し慌てた様子で聞いた。
「伊集院さん、いいんですか?後で組長に怒られませんか?」
「若頭補佐候補である俺に意見するのか?大丈夫だ。組長がこいつに制裁を加える手間を省いてやるだけなんだからな。」
「で、でも、こいつが呼び出しされた理由を俺らは聞かされてないですし…。」
「うるせえ!俺が命令したら、お前らは従えばいいんだよ。さっさとやれ。」
渋ず渋ずといった様子で、2人の男が俺の前に立ち、殴りかかってきた。
2人の拳を受けたが、どうやら手加減してくれているようで、倒れ込むことはなかった。やり返すこともできたが、彼らが不本意ながら命令に従っていることは分かっていたので、俺はやり返さずに拳を受け続けた。
そんな俺の様子を見て、伊集院が苛立ったように割って入る。
「おい、お前ら。ボコボコにしろって言ったんだぞ。何手抜いてんだ。俺にやられたくなかったら本気で殴れ。」
すごまれて、2人は本気の拳で殴りかかってきた。無抵抗で本気のパンチを受け続け、俺はついにその場に膝をついてしまった。
その時、伊集院が近づいてきて、笑いながら俺の腹に思いっきり蹴りを入れてきた。
「この最後の仕上げが、俺の仕事なんだよ。若頭補佐候補としてな。」
激痛に地面に倒れ込む。咳込む俺を、伊集院は満足そうに見下ろしていた。
「さて、組長にやってもらうとするか。俺が組長の手間を省いたことを、きっと喜んでくれるだろうぜ。」
意識が朦朞とする中、俺は顔を上げて伊集院を睨みつけた。
「意識飛びそうか。歓迎の挨拶だよ。」
俺は小さく嗤い、言った。
「三田村組本家の幹部メンバーの顔は覚えておけよ。」
伊集院が不思議そうな顔をした、まさにその時。背後からバタバタと足音が響き、倒れ込んでいる俺を抱き起こす者がいた。
「若!一体何があったんですか?」
焦ったように声をかける男に、伊集院が尋ねる。
「マサルさん、どうしたんですか?こいつの知り合いですか?」
マサルと呼ばれた男が、突き刺さるような視線を伊集院に向けると、伊集院と部下2人は震え上がった。
「この方は、うちの若頭で組長の息子さんだ。お前ら、ただで済むと思うなよ。」
「え、そ、そんな…。てっきりうちの新人かと…。」
伊集院が冷や汗を流しながら言い訳を始めるが、マサルは睨みつけたままだ。
2人のやり取りを聞いて、俺の意識は少しずつはっきりしてきた。
「マサルさん、面倒かけてすみません。」
「若、お気になさらず。それより大丈夫ですか?今、他の者に組長を呼びに行かせてますので。」
そうだ。俺は組長に呼ばれてここに来たんだ。
「組長、怒ってなかった?」
「怒ってなんかないですよ。なかなか来ない若を心配して、組長が俺らを探しに来させたんですから。」
俺とマサルのやり取りを聞いていた伊集院は、冷や汗を流しながらも話しかけてきた。
「あんた、本当に三田村組の若頭なのか?確か組長には息子はいなかったはず…。」
俺はため息をつきながら、伊集院の疑問に答えてやることにした。
あの日、ヤクザに喧嘩を売ってボロボロになっていた俺に声をかけてきた人物。それが三田村組の組長、三田村だったのだ。
組長は部下に俺を自宅に運ばせ、怪我の治療を受けさせた。そして俺がちゃんと話せるようになると、なぜヤクザに喧嘩を吹っかけたのかと聞いてきた。
最初は目を逸らしていた俺だっだが、根気よく聞いてくる組長の態度に負けて、自分のことを洗いざらい話してしまった。話しながら、自分でもなぜか分からないが涙が止まらなくなっていた。
組長は最後まで静かに聞いてくれ、俺にティッシュを渡しながら、とんでもないことを言ったのだ。
「お前、俺の養子になるつもりはないか?」
突然の申し出に困惑する俺に、組長は自分のことを話してくれた。妻は病気で早くに亡くし、子供もいない。自分に何かあった時、組を任せられる人間がいないのだと。ヤクザをやっている以上、いつ何があるか分からない。しかし、自分の代で組を潰すようなことは、他の組員のためにもしたくない。だから、俺を後継ぎとして育てていきたいのだと。
「なんで、赤の他人の俺を?それに、あんたの部下に喧嘩を売ったのに。」
俺が疑問を口にすると、組長は静かに笑って答えた。
「お前が荒れた生活から抜け出せないのは、生きる目標がないからだ。俺が目標を与えてやるか、自力で上がってこい。」
その日から、俺は組長の息子として生きていくことになった。成人するまでは、幹部以外には秘密にしていた。息子だと他の組に知られたら、狙われる可性があったからだ。
俺は学校に通い、帰ってくると幹部たちに鍛えられた。組長の息子というだげで次組長として扱われるのは嫌だっだ。組を将来背負って立つのなら、それだけの実力を身につけて周りの人間に認められた上で任されたい。俺のそんな気持ちを組長は理解してくれ、幹部たちに厳しく指導するように言いつけてくれた。
最初は急に組長の息子になった俺を不審に思っていた幹部たちも、俺の努力を次第に認めてくれるようになり、今では信頼関係を築くことができている。マサルもその一人だ。
そして月日が流れ、今年28歳になった俺は、ついに若頭を任されるほどの実力を身につけたのだ。
俺の話を聞いた伊集院は、顔面蒼白になりながら頭を下げた。
「申し訳ございません。三田村組の若頭なんて知らなかっだものですから。」
俺のいる三田村組は、この地域の有力組織だ。伊集院のいる組は、その傘下に過ぎない。傘下の者が本家の若頭に手を上げたなど、許されるはずがない。
「知らなかったら済む話だと思っているのか。」
マサルが怒ると、伊集院は縮み上がるが、それでも言い訳を重ねてくる。
「で、でも、なんで自分が本家の人間だと言ってくれなかったんですか?言ってくれていたら、こんなことには…。」
「そうですよ。俺らにやり返すこともできたのに、なんでやり返してこなかったんですか?」
彼らの質問に、俺は静かに答えた。
「君たちは、こいつに命令されて仕方なく俺を殴っていただけだろう。目上の人間の命令は無視できないもんな。俺はそんな君たちを殴ることはしたくなかったんだ。」
「そ、そんな…俺らなんかのことを考えてくれてたんですか?」
「君たちも最初は手加減してくれてたじゃないか。悪いのは、若頭補佐候補とか言うそこにいる君たちの上司だからね。」
俺が伊集院を睨みつけると、彼の顔はさらに青ざめていく。
「俺が自分の素性を教えなかった理由は、特にないよ。組長との約束に遅れないように急いでいたから、君たちと話して時間を無駄にしたくなかっだんだ。それに、俺は君みたいに自分のか立場を利用して選ぶことはしたくなかったからね。」
俺が言い放つと、ちょうどその場に、お互いの組の組長が到着した。
傘下の組の組長は、現場の様子を見て一気に顔色が悪くなっていく。
「伊集院、これは一体どういうことなんだ?」
組長が慌てた様子で聞くが、伊集院は俯いて黙ったままだ。
「こいつが部下的を消しかけて、うちの若頭をボコボコにしたんですよ。どう始末をつけてくれるんですか?」
マサルが食ってかかるのを、三田村組の組長である俺の父が手で制して止めに入った。
「マサル。こいつは傘下の組といえど一応組長だ。お前が手を上げることは許さんぞ。」
「あ、はい。申し訳ございません。若がやられて、つい…。」
マサルが頭を下げて下がると、組長は俺の方に歩み寄ってきて顔を覗き込んだ。
「裕介、大丈丈夫か?随分とズタボロにされたもんだ。」
「すみません。大丈夫です。」
俺の言葉を聞いて組長は立ち上がり、今度は伊集院たちの方に歩み寄っていく。
その姿を見て、伊集院と部下の2人は一斉に土下座して父にすがりついた。
「申し訳ございません!この人が若頭だって知らなかっだんです!どうかお慈悲を!」
「知らなかったら、人の息子に手を出していいことになるのか。」
組長の威圧的な声に、伊集院は震え上がって半泣き状態だ。
「こ、こいつらが、息子さんを殴った張本人です!俺は直前に手を下していません!処分なら、こいつらを処分してください!」
「そ、そんな!伊集院さんが俺らに命令したんじゃないですか!」
「そうですよ!俺らは本当にやってもいいのかって、伊集院さんに聞いたじゃないですか!」
2人が反抗すると、伊集院はさも当然とばかりに言い放った。
「お前らよりも俺の方が立場が上なんだぞ。上の人間を守ることも、下っぱのお前らの立派な務めだろうが。」
「ひどいですよ、伊集院さん…。」
罪をなすりつけられ、2人は絶望的な表情になっていった。
そんなやり取りを見ていた組長は、伊集院を睨みつけて話し始めた。
「お前、今言った言葉は本心か?それとも冗談のつもりか?」
「だ、確かに俺が指示を出しましたが、こいつらが本当にやりたくなかったのであれば、断ることもできたはずです。こいつらが自分の意思で俺の指示に従ったんですよ。」
あまりの暴論に俺は呆れてしまった。下の者が上の者からの命令を拒むことなど、この世界でできるはずがない。それに彼らは、伊集院の指示に従いながらも手を抜いてくれた。彼らが本心からやりたくなかったことの確かな証拠だ。
俺は痛みをこらえながらなんとか立ち上がり、組長のそばに歩いていき、告げた。
「組長。この2人は、こいつの『ボコボコにしろ』という命令に背いて、俺を手加減しながら殴ってきました。それを見抜いたこいつが、もっと本気でやるように、こいつらに言ってやらせたんです。」
「そうか。」
「だから、処分はこいつだけにしてください。それにこいつは、最後に俺の腹に強烈な蹴りを入れてくれましたから、ちゃんと自分も手を出しているんです。」
「お前がそれでいいなら、俺もそれで異論はないな。」
組長の言葉に、傘下の組長は慌てて頷いた。
「も、もちろん。三田村さんがそれでいいとおっしゃるのであれば、こちらは異存ありません。」
「組長!俺は組長のことを思ってやったんですよ!組長が下っぱに煩わされることのないようにと思ってしたことなんです!」
伊集院が縋り縋ってすがるが、傘下の組長はそれをばっさりと切り捨てた。
「黙れ。お前が勘違いて確認もせずに勝手にしたことだろうが。お前なんかのために組を危険にさらせるか。そもそも、俺はお前が若頭補佐候補だなんて一言も言ってないぞ。」
どうやら『若頭補佐候補』というのは自称だったらしい。こんな男を候補にしているのかと疑っていたが、そんなことはなかったようで安心した。
「マサル。連れて行け。処分はお前に任せる。」
「はい。お任せください。」
マサルは、泣きじくって逃げ出そうとする伊集院を、他の組員を使ってどこへか引っ摑っていった。
「うちのものが本家の若頭に無礼を働いて、本当に申し訳ございませんでした。」
傘下の組長が頭を下げてくるが、彼が悪いわけではない。俺はその謝罪を受け入れて、改めて挨拶をした。
「今日は、こいつの若頭就任をお披目めするためにここに呼んだんだがな。こんなズタボロの姿ではこいつも嫌だろうか、気を改めさせてくれ。」
組長はそう言って俺を促し、その日は一度帰ることになったのだった。
その後、伊集院がどうなったかは聞いていないが、傘下の組から姿を消したようだったから、きっちりマサルが処分したのだろう。
俺はと言うと、傘下の組に正式に俺が本家の若頭に就任したことを伝えた。
「お前が自分の実力で勝ち取った地位だ。胸を張りなさい。」
そう言って微笑む組長に、俺は感謝しかない。あの時、組長が俺を拾って養子にしてくれていなかったら、今の俺はいなかっただろう。
俺はこれからも、組長である父のため、父の大切な組を守るために、日々努力を重ねていくつもりだ。



