「会議は社員だけで十分。無能のじじが出れるほど甘くない」
そう言い放った男の顔を、私はしばらく無言で見つめた。58歳でアメリカ本社の会長を務める私に、こんな言葉を投げかけられるとは。どうやら、自分が何をしでかしたのか理解していないようだ。
私、兵堂孝志は、かつて日本でパタンナーとして働いていた。視察に来ていた当時の会長にセンスを見込まれ、アメリカで働かないかと誘われたのだ。27歳で渡米し、パタンナーとして働き始め、やがてマネージャーとして部署を統括するまでになった。32歳で長男が生まれ、その後も会長から何度も経営への参加を促され、やがて55歳でアメリカ本社の会長に就任した。
それから3年後、日本の支社との会議のため、私は帰国した。日本を訪れるのは初めてだ。空港には支社長が迎えに来ているものだと思っていたが、現れたのは30代らしい若い社員だった。
「アメリカ本社の兵堂会長でしょうか? 初めまして。企画部の佐藤裕と申します。会議室までご案内するよう申しつかっております」
「よろしく。それで、支社長は?」
「支社長は会議の準備があり、手が離せないとのことです」
少し腑に落ちない思いを抱えながらも、私は佐藤という社員に案内されることになった。歩きながら、何気なく質問してみる。
「今の職場で困ったことなどはないか?」
「仕事自体は楽しいのですが……」と、佐藤は言葉を濁した。
「どうしたんだ」
「いえ、何でもありません」
そのまま会議室に到着する。佐藤に礼を言い、私は一人で中に入ると、しばらくして佐藤を伴った男が入ってきた。私を警戒心剥き出しの視線で見る男に、佐藤が慌てて説明する。
「こちらはアメリカ本社の会長でいらっしゃいます」
「なんだと? なんでお前はまたこんなのを連れてきたんだ」
「え、いえ、この方が会長だと……」
「お前はそんなのを信じたのか。このじじいが会長のわけがないだろう」
佐藤は何かを言いたそうだったが、反論できずにいる。男は畳みかけるように言い放った。
「早く本物の会長を連れて来い。もうすぐ会議の時間なんだぞ」
「会議は社員だけで十分。無能のじじが出れるほど甘くない」
どうやらこの男は、アメリカ本社の会長は外国人に違いないと決めつけているらしい。私は我慢の限界だった。
「どこの部署だ? 支社長を連れてこい」
私の一喝に、佐藤も男も目を見開いて固まった。そこへ慌てた様子の支社長が登場する。
「兵堂会長、おいででしたか。久しぶりだな。元気だったか」
「ああ」
実は、この支社長の山口とは高校時代の先輩後輩の間柄だった。私がアメリカに渡った後、山口は日本の支社に入社したのだ。奇妙な縁ではあるが、仕事のことであれば話は別だ。
山口は男の方を向いて叱責した。
「こちらはアメリカ本社の会長である兵堂さんだぞ」
「えっ」
男は裏返った声を出し、佐藤は知っていたが故に動揺していない。山口が「こんな無礼な口を聞くとは何事だ」とさらに怒鳴ると、男はようやくしぶしぶ謝罪した。
「すみません」
誠意は感じられなかったが、会議の時間が迫っていたため、私はその場を収めることにした。会議では、店舗のスタッフに活気を持たせること、顧客単価を上げるための提案など、長年アパレルの世界で得てきた知識を伝えた。
会議が滞りなく終わった後、私は山口支社長を呼び止めた。
「さっきの男、山本課長というのか。厳重に処分してくれ」
「分かりました」
そこへ、会議室の片付けのために佐藤が来た。私は彼と話がしたかった。出迎えた時に何かを隠しているように感じたのだ。私は予定を変更し、佐藤と二人きりで話をすることにした。
「何か悩みとかあるんじゃないのか。いいんだよ。私が力になるから」
佐藤は戸惑いながら口を開いた。
「実は……山本課長のことで悩んでいるんです。嫌がらせを受けていて、毎日苦痛です」
山本は共有すべき情報を佐藤に与えなかったことがあり、業務に支障をきたしたらしい。嫌味も何度となく言われ、心が疲弊してしまっている。しかも、佐藤だけではなく、他にも山本のターゲットになっている社員がいるという。
「そうだったのか。それでは山本課長を呼んできてくれるか。あとは私に任せてくれ」
佐藤は緊張した面持ちで席を外した。しばらくして、山本が入ってきた。先ほどの件で叱責されるとでも思っているのか、少しビクビクしている。
「会長、何かご用でしょうか?」
「まあかけてくれ。佐藤君という社員から話を聞いたんだが」
山本は目を見開き、「佐藤がどうかしたでしょうか」と聞いてくる。私は静かに話を続けた。
「佐藤君とは同じ部署だそうだな。うまくやっているのか?」
「それはもちろん。部下たちとは結束を深めております」
そう言う山本の目が、わずかに泳いでいるのを見逃さなかった。
「そうか。佐藤君は、君から嫌がらせを受けていて苦痛だと言っているんだがね」
「そんな……私はそんなことしていません」
「情報を共有してもらえなかった。嫌味を言われた。それは佐藤君が嘘をついているというのか?」
山本は押し黙った。やがて、「別に嫌がらせをするつもりじゃ……」と歯切れ悪く言いかけた。
「こういうのはな、された本人が嫌な思いをしているかどうかが大事なんだよ。しかも、君は佐藤君以外にも嫌がらせをしていただろう」
「ふっ」
山本は驚いた様子で息を呑んだ。私は続けた。
「そういうのは見られているものだ。観念しなさい。日頃から部下に嫌がらせをしていたとは情けない。そんな人間に管理職は任せられない」
私は山本に言い聞かせた。上司たるもの、厳しくする部分があれど、部下に尊敬される存在でなければいけない。権力を笠に着て横暴になることは、決して許されるものではない。
「ご自身が思っていなくても、相手が嫌だと思うこともあるんだ」
山本は唇を噛みしめた。私は最後にこう言いった。
「課長という立場になれたかもしれないが、周囲への振る舞いを間違えると大変なことになるぞ。よく考えるんだな。私への言動も含めて、覚悟しておくように」
そう言って山本を自分の部署に戻した。その後、様子を見に来た山口支社長に「会長に片付けなどさせられません」と止められてしまった。その夜、私は近場に一泊してアメリカへ戻った。
アメリカの本社から、私は山口支社長に電話をかけた。山本の行動を報告すると、山口は非常に驚いていた。私は提案した。
「社員たちが気兼ねなく相談できる窓口を設置してはどうか。ああいった管理職がいると部署内の空気も悪くなる。人を大切にすることが、会社を大きくしていくことにつながるんだ」
そして、はっきりと伝えた。
「山本課長は、私の会社にはいらない」
山口は少し躊躇したようだったが、「はい、分かりました」と答えた。その後、山本は解雇された。年齢のせいか、なかなか再就職できないと聞いた。
そして新たに課長となったのは、あの佐藤だった。彼は物静かではあるが誠実で、有能な人物だ。佐藤が課長に就任してから、部署内の雰囲気は明るくなり、活気が出ているらしい。メディアやSNSを駆使した宣伝方法も上手く、日本の支社は売上がアップし、好調になっているという。
私は、かつての会長から受け継いだこの会社を、これからも大いきくしていきたい。そのために、私自身も健康管理に気をつけていかければならないだろう。



