「お金はいいから、泊まっていきなさい」—…

「お金はいいから、泊まっていきなさい」—...

雨の夜、ずぶ濡れで立っていた私に、女将さんが笑顔で言った。「お金はいいから、うちに泊まっていきなさい」と。あれから15年。私は売上50億の会社を築いた。今日こそ、あの恩を返すために山奥のその旅館へと車を走らせた。だが、この帰還が私の人生をもう一度揺さぶることになるとは、その時はまだ知る由もなかった。

私の名前は高橋慎、35歳。地方の旅館や飲食店を再生する会社「古里と灯り」を経営している。従業員120人、年商50億。メディアには「若き成功者」と紹介されるが、15年前の私は、金も希望もない、どん底の大学生だった。今の私があるのは、ひとえに一人の女将のおかげ。もし彼女に出会っていなければ、私はこの世にもういなかっただろう。

「古里と灯り」の仕事は、潰れるしかないと言われた地方の宿や店に、再び灯りを灯すこと。過疎の町で客を失った宿、後継ぎのいない食堂。そこに資本を入れ、人を送り込み、ビジネスモデルを立て直す。先月、東京のホテルで「今年の優秀経営者賞」を受賞した。大きなホールで、多くの拍手を浴びて、重いトロフィーを受け取った。だが、家に帰っても、その喜びを伝える相手は誰もいない。立派なトロフィーは、玄関の靴箱の上に置きっぱなしだ。

授賞式で、記者に聞かれた。「高橋さんにとって、本当の豊かさとは何ですか?」答えられなかった。銀行の残高はすぐに言える。社員数も、再生した宿の数も。だが「本当の豊かさ」と聞かれて、言葉を失った。その夜も、誰もいない広い部屋で、コンビニの肉まんを一人で食べていた。テレビの音だけが響く。どうしてこんな生活のために、必死に走ってきたんだろう。そう思っても、何が欠けているのかはわからなかった。

15年前、私は両親を事故で一度に失い、独りぼっちになった。学費は止まり、大学にも通えなくなった。バイトもクビになり、家も失った。最後の金で山の中のバスに乗り、降りた先の目の前に、ぽつんと一軒の旅館「月や」があった。女将の佐和子さんは、私の姿を見るなり、何も聞かずにこう言った。「お金はいいから。とりあえず、温かいものでも食べなさい」。そして、豚汁を出してくれた。その味を思い出しただけで、今でも涙が出そうになる。その晩、私は「ありがとうございました」とだけ言って、部屋へと向かった。これで最後にしよう。そう思っていた。

翌朝、女将さんは私に言った。「うちには、お金のない人が泊まれる部屋があるのよ。いつでも来なさい」。私は何も言えず、頭を下げるだけだった。あの日から15年。その女将さんの宿「月や」に、私は今日、恩返しをするために来た。だが、宿に着いて、私は絶句した。シャッターが下り、張り紙には「廃業のお知らせ」とある。中から出てきたのは、見覚えのない若い女性だった。

女性は不安そうな目で私を見つめた。「ご予約のお客様ですか?すみません、うちはもう…」。彼女は女将さんの孫娘で、千夏と名乗った。女将さんは、三年前に亡くなったのだという。「祖母は最期まで『古里と灯り』の新聞記事を集めていました。『この子はうちの子だ』って、いつも自慢していました」。千夏さんはそう言って、一冊のスクラップブックを差し出した。ページをめくると、そこには私たちの会社の記事が、古いものから順に切り抜かれている。女将さんは、ずっと私のことを見守っていてくれたのだ。涙が止まらなかった。

「この宿を、私に立て直させてください」。千夏さんは驚いた顔をした。「ですが、私たちに何かお返しできるものなんて…」「困ったときは、お互いさま」。それは、15年前に女将さんが私に言った言葉だ。「お返しは、いつか余裕ができたら、困っている誰かにしてあげなさい。それが一番の恩返しになるから」。だから今度は、私の番だ。これは慈善事業ではない。15年越しのお互いさまなのだ。

工事が始まると、不思議なことが起こった。昼時になると、近所の年配の女性たちが大きな鍋を持ってやってくるのだ。「あの人の宿を直してくれるんでしょ。せめてものお礼に」。鍋の中には、湯気の立つ豚汁がたっぷり。女将さんの味を覚えている人々が、見よう見まねで作ってきたものだった。工事の手を休めて、私たちはその豚汁をいただいた。「私たちは、あの日もらったものを返しているだけだよ」。そう言って、彼女たちは笑った。

近所の町から、定年した大工が軽トラでやってきた。「佐和子さんの宿を直すって聞いて、じっとしていられなくてね」。そう言うと、白い髪にタオルを巻き直し、道具箱を置いた。彼は一日も欠かさず現場に通い、一銭も受け取らなかった。工事の途中、大きな台風が来て、直したばかりの屋根を吹き飛ばされたこともあった。予算は膨らみ、社員たちは心配そうだった。だが私は言った。「これは、古里と灯りの心臓手術だ。失敗したら、我々の存在意義がなくなる」。費用は私個人の資産で賄うと言うと、社員たちは覚悟を決めたように頷いた。

工事中、千夏さんはほとんど毎日、現場に来ていた。最初は恥ずかしそうに、お茶を出すだけだった。だが、シェフと食材の話を交わし、大工に窓の位置を提案するうちに、彼女は旅館の女将としての風格を身につけていくようになった。シェフは千夏さんから女将さんの豚汁の味を教わり、何度も作り直した。「ゴボウをもう少し多く。祖母は味噌を二種類、混ぜていたんです」。そうして、その味は少しずつ甦っていった。

いよいよ「月や」が再開する日。玄関先には多くの人が集まった。私が女将さんに助けられた人々に手紙を出し、知らせたのだ。橋の下で生きていた男、家出してきた少女…一人の女性は、夫と中学生の娘を連れてきていた。20年前、この宿で人生をやり直す決心をしたのだという。「佐和子さんは何もアドバイスはくれませんでした。ただ、よく考えなさいって。でも、一週間泊まっているうちに、心が決まったんです。この人と家族になろうって」。千夏さんは玄関先で深々と頭を下げた。「祖母はいつも、みなさんのことを想っていました。今日から、私がこの灯りを守っていきます」。私は、その光景をただ静かに見守っていた。女将さんの灯りは、千夏さんとこの山の人々によって、確かに受け継がれている。

新しい暖簾をくぐると、入り口には女将さんの遺影と、15年前のあの日、私が書いた宿帳が置いてあった。私は線香を手向け、宿帳に新しい言葉を書き足した。「女将さん、やっとお礼を言いに来ました。遅くなってすみません。これからは、私がこの灯りを守っていきます」。ヒナちゃんが、私の手をぎゅっと握って言った。「おじちゃん、おばあちゃん、笑ってるね」。私は頷いた。「ああ、きっと喜んでるよ」。

あれから三年。「月や」は予約の取れない宿になった。だが、千夏さんは部屋を増やさない。「一人ひとりのお客様を、祖母のように大切にしたい」というのが、彼女の信念だ。ヒナちゃんは八歳になり、宿の看板娘だ。再開から一ヶ月後、雨の夜のこと。一人の若者が、ずぶ濡れで玄関に立っていた。職を失い、アパートも追い出され、行く場所がないという。私は15年前の自分を見ているようだった。千夏さんは迷わず、彼を招き入れた。「お金のことは、あとでいいから」。それは、女将さんが私に言った、あの日の言葉と同じだった。彼はケンタという名で、今は近くの工場で働きながら、休日には宿を手伝っている。女将さんの言葉は、こうして人から人へと繋がっている。

全国の再生した宿には、必ず「五円部屋」を設けた。あの宿と同じ、行き場のない人を迎え入れるための部屋だ。女将さんが私に教えてくれたこと、それは「困ったときは、お互いさま」という、たった一つの言葉と、一杯の温かい豚汁だった。その言葉が、死のうとしていた一人の若者を救い、今度はその若者が、多くの人の心を温めている。優しさは巡る。あの日、山奥の宿で灯った小さな灯りは、今日も誰かの道を照らしている。これからも、ずっと。

「おじちゃん、いつこっちに住むの?」。最近、ヒナちゃんによく聞かれる。「訳もない、いいかもな」。そう返すと、千夏さんが嬉しそうに笑う。私はもう、一人じゃない。あの夜、女将さんが点けてくれた灯りが、私の人生を照らし続けている。私は今日も、その灯りを、誰かに繋いでいく。

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