12億円の商談の最中、突然経理部長に「リコール製品を出した会社とは契約できない」と馬鹿にしたように言い放たれた。20年前のたった1度のミスを、今日の今日まで引きずられるとは思わなかった。その場は何とか乗り切ったのに、休憩中にかかってきた電話の内容は「12億円の商談キャンセルで、お前の会社は終わりだな」という高笑い付きの暴言。あの経理部長の企みに気づいた時、俺はある提案をすることにした。契約の…

12億円の商談の最中、突然経理部長に「リコール製品を出した会社とは契約できない」と馬鹿にしたように言い放たれた。20年前のたった1度のミスを、今日の今日まで引きずられるとは思わなかった。その場は何とか乗り切ったのに、休憩中にかかってきた電話の内容は「12億円の商談キャンセルで、お前の会社は終わりだな」という高笑い付きの暴言。あの経理部長の企みに気づいた時、俺はある提案をすることにした。契約の...

高経理部長はふんと鼻で笑い、馬鹿にしたような目で俺たちを見ている。こちらは12億の契約を取るのに必死のようだが、こちらも高い買い物をするんだ。信用のない相手との契約なんてごめんですよ。

俺の名前は本田。中小企業の医療機器メーカーで営業部長を務めている。大学では電気工学を専攻していたが、刺激のない毎日に退屈していた。就職説明会で出会った営業部長の大橋さんの言葉に胸を打たれ、その会社に入社した。憧れの大橋さんは定年で去り、今では俺が営業部長として部下を指導している。かつて大橋さんが見せてくれた背中を、今度は俺が見せているのだと思いながら。

ここ5年、我が社は医療加護防止システムの開発に力を入れてきた。完成したのは端末を用いた認証管理システムだ。様々なテストを繰り返し、この度大学病院との商談が決まった。会議室で部下の篠崎と共にシステムの説明を行い、自信満々に説明を終えた時、突然不穏な言葉が飛んできた。

「偉く自信満々におっしゃいますが、確かそちらの会社ではリコール商品が出たことがありましたね」

経理部長の高さんだ。退屈そうにペンを回していた姿がずっと気になっていた。それは20年以上前に1度だけ発生したリコール。下請けから納品された部品の強度に虚偽の記載があり、回収した過去がある。

「3年前だろうが、リコールを出した会社というのはどうも信頼性にかけるというか」

過去のたった1度のリコールを大げさに話し始める高経理部長に、俺も篠崎も言葉を失った。しかしここで全員を納得させなければ契約はできない。深呼吸をして、ゆっくりと口を開いた。

「確かにリコールが出た会社との契約に不安を感じられるお気持ちも分かります」

俺が話し出すと、篠崎がパソコンの画面を俺に向けてくれた。リコール後の対応についての資料や、その後製造された製品の検査項目、定期点検のリストなどが映っている。念のためにデータを持ち歩いていたのだ。これにはこっそり親指を立ててナイスのサインを送った。

「このようにリコールが出て以降、検査項目を増やし、全ての製品を万全の状態で運用にこぎつけています」

周囲からはため息がこぼれ、経営人の中からも「ここまでしっかり対策が行われているなら安心だ」との声が聞こえてくる。

「本田さん、よくわかりました。少し休憩の時間を取りましょう。病院の1階にカフェが併設されているので、そちらでお待ちいただけますか」

有馬委員長が満足そうに頷いた。会議室を出る時、高経理部長がこちらを見ていて何やら不適な笑みを浮かべているのが少し引っかかったが、すぐに視線をそらした。

カフェで契約書の最終確認をしていると、1本の電話がかかってきた。高経理部長からだ。有馬委員長ではなく高経理部長からというのに引っかかったが、無視するわけにもいかずに出た。

「12億円の商談キャンセルで、お前の会社は終わりだな」

前置きもなく高笑いしながら吐き出された言葉に、意味が分からず聞き返した。

「すみません、おっしゃられている意味が分かりませんが」

「これだから中小企業の働きは嫌なんだ。言葉を理解できない納金ばかりだな」

次から次へと、とても大学病院の経理部長とは思えない暴言の数々。呆れ果てて、とにかく会議室に伺えばよろしいでしょうかと尋ねると、俺と篠崎は慌てて会議室に向かった。しかし、そこには有馬委員長も他の経営人もいない。

「どういうことでしょう。休憩を取ってから契約をする予定では」

篠崎が戸惑いながら俺の顔を見る。後ろから突然声がかけられた。そこにいたのは高経理部長だ。ニヤニヤと馬鹿にしたような笑みを浮かべている。

「高経理部長、先ほどの電話はどういうことでしょうか」

「同じ話をすることほど無駄なことはないな。電話でも言ったが商談はキャンセルだ」

一方的に契約の話はなかったことにされ、有馬委員長への面会を頼んでも「委員長はお前たちとは合わない。他の経営人も反対された。とっとと帰れ」と追い払うような手振り。強引に委員長室へ向かうこともできたが、俺も我慢の限界だった。

「し、帰るぞ」

「え、いいんですか」

篠崎は驚いた様子だったが、俺は高経理部長を睨んで病院を出た。会社に戻り、社長に事の顛末を説明した。社長もわけが分からないといった様子だが、有馬委員長からの連絡もないため確認のしようがない。

「契約をしないと言われましたけど、契約切られたのは向こうですよね」

篠崎がため息混じりに言う。俺が頷くと社長も苦笑いで頷いた。これまで有馬委員長との関係は良好で、順調に契約を結んできた。だが、高経理部長のような人がいる病院との契約は後々のトラブルになる気がする。俺は社長にそう進言した。

有馬委員長との縁が切れるのは正直心苦しい。しかし、リコールが原因で高経理部長や他の経営人に反対され、有馬委員長の考えが変わったということも考えられる。だが、あの人のことならきっと直接説明してくれるはずだ。何度も連絡を取ろうとしたが、なぜか有馬委員長は電話に出ない。

「本田君、答えを出すのはもう少し後の方がいいだろう。有馬委員長から聞いていた例の件もあるしな」

社長の言葉に、有馬委員長から事前に聞いていた話を思い出す。有馬委員長とは仕事上の関係にとどまらない。以前、部下たちと居酒屋に行った際、偶然有馬委員長が一人で飲んでいるのを見かけて声をかけたことがあった。それ以来、たまに飲みの誘いが来る。その席で有馬委員長は愚痴とも取れる話をしてきたことがあった。病院で不正な金銭の動きがあり、どうやら高経理部長が絡んでいるらしいという話だ。

「経理部の人間から、高経理部長が裏で競合他社からリベートを受け取っている噂があるという報告を受けたんだ」

どう答えたものか迷っていると、「取引先にこんな話をするべきじゃなかった。忘れてくれ」と言って、それ以後は病院の噂を口にしなかった。大事な取引先が困っているのに見てみぬふりをすることしかできないのが残念で、モヤモヤした気持ちで過ごしていた。そんな俺の様子を心配した社長に、有馬委員長から聞いた話を伝え、多言しないことを約束したのだ。

社長室で話をしていると、急に外が騒がしくなった。扉の外を覗けば、よほど急いできたのか髪を乱し、肩で息をしている有馬委員長がいた。

「本田さん、うちとは契約しないとはどういうことですか」

肩を掴まれ、真っ青な顔の有馬委員長が詰め寄ってくる。

「落ち着いてください。今回の契約のことでしたら、高経理部長を通してキャンセルだと聞いていますが」

「高経理部長、いや、それは違う。高経理部長の話では、休憩時間の間に君が商談の話はなかったことにしたいと言って、高経理部長が止めるのも待たずに帰ってしまったと聞かされたんだぞ」

どうやら誤解があるようだ。俺は順を追って、休憩中に起こったことの全てを説明した。

「そんなことがあったとは。私たちは高経理部長から急に会議室を変更することになったと言われ、他の会議室で待っていたんだが、本田さんたちは一向に現れない。そこに慌てた様子で高経理部長が来て、今の話を聞かされたんだ。会議室を覗いたら君たちの姿がなくてな。携帯の充電切れだったから、電話で話すより直接会いに来たんだ」

「とんでもないやつじゃないですか」

黙って聞いていた篠崎が呆れたように声を出す。

「有馬委員長、改めてお伺いしますが、うちとの契約を進めるお考えに変わりませんか」

社長が有馬委員長に向き直った。

「当然です。こちらの医療機器の性能はもちろん、メンテナンスもしっかりしてくれるし、アフターサービスも丁寧だ。こんな素晴らしい会社は他にはない」

しっかりとした口調で有馬委員長が言い、その場にいた全員がほっとした。

「わかりました。有馬委員長のことは信頼していますし、うちとしても今後も長くお付き合いしていきたいと思っています」

社長の言葉に、今度は有馬委員長がほっとした顔をした。

「それでは改めて病院に戻って契約の話を進めましょう。経営人に誤解させたままで契約を進めるわけにもいかないし、高経理部長の勝手を見過ごすことはできませんから」

俺は有馬委員長に、以前聞いた高経理部長の不正の疑惑についてどうなったか確認した。社長や篠崎もいるので有馬委員長は戸惑っていたが、この話は社長も知っていることを伝え、話したことについて謝罪した。

「そうですか。身内の恥をさらすようで申し訳ない。高経理部長の件なら、第三者機関に調査を依頼して十分な証拠も揃っている。今回の契約前にきっちりと決着をつけるつもりだったが、時間的に無理だった」

「それなら、これから行う契約の場ではっきりと決着をつけるのはどうでしょう」

俺は、経営人も同席する契約の場を使って高経理部長の不正を暴くことを提案した。

「お前たちは完全な部外者だ。その場にいることが問題にならないか」

社長の言葉に、有馬委員長は「その点は考慮させていただきます」と胸を叩く。そのまま有馬委員長と篠崎と共に大学病院へ向かった。

病院のロビーに入ると、俺たちを見つけた高経理部長が慌てて駆け寄ってくる。

「ま、委員長、今までどちらへ。おや、そちらはうちとの契約を断った本田さんたちですよね。今更何のようです」

必死に取り繕う高経理部長にイライラが募るが、黙って控えていた。

「いやあ、どうもお互いに誤解があったようだ。これから経営人たちの待つ会議室に向かう。改めて契約の手続きを進めたい」

有馬委員長の言葉に高経理部長は慌て出す。

「有馬委員長、今更そちらの会社との契約を進めるのは他の経営人が納得しません。それに、そちらの会社が納品する予定のシステムに似たようなシステムを持つ会社を私が探して、すでに相談の準備をしています。是非そちらへ」

何やら不穏な話が出てきて、出すぎた真似だと思ったが思わず口を出してしまった。

「高経理部長、今の話はどういうことでしょう。今日の今日で他の会社を探してきたのですか」

「お前たちは出しゃばるな。これはうちの大学病院の話だ。中小企業に口を出されるのは不快だ」

鋭く睨まれて俺はため息をつく。有馬委員長が静かに言った。

「そちらの会社には帰ってもらえなさい。とりあえずこちらが優先だ。経理部長も、見送りが済んだら会議室に来るように」

有馬委員長はそれだけ言うと、俺たちを促して会議室に向かった。会議室には経営人も待っており、委員長から契約について話を進めると言われ面食らったような顔をしたが、有馬委員長は続けて口を開いた。

「実は時間が足りず経営人の皆さんにはまだ話ができていなかったが、本田さんの会社とはすでに契約する話になっている。それに加えて、今日この場でもう1つの問題を解決したい。急な話で悪いが聞いてほしい」

有馬委員長はざわめく経営人に要点だけ簡単に伝え、パソコンを操作して事前に調査していた高経理部長の不正の証拠資料を経営人のパソコンに一斉送信した。経営人たちは驚いたが、証拠資料を見て納得したように頷いていた。

そこからさらに30分が経ち、遅れて高経理部長が会議室に入ってくる。

「有馬委員長、再度申し上げますが、リコール案件を抱えていた」

そう言いかけて、会議室の中の異様な空気に気づく。

「高経理部長、たった今本田さんの会社と契約を結んだところだ」

有馬委員長からそう言われ、高経理部長が反論しようとしたが、経営人の冷たい視線に萎縮したのか何も話せないようだ。

「本田さん、申し訳ないが会議室の外で待機してほしい」

有馬委員長の言葉に頷き、俺と篠崎は会議室を出た。しかし物の15分もしないうちに会議室の扉が開き、経営人たちが出ていく。その後から有馬委員長が出てきて俺たちに近づいてきた。

「全て終わった。高経理部長には大学病院をやめてもらうことになった」

「随分と早かったですね」

「ゆっくりと高経理部長の言い訳を聞くつもりはなかったからな。調査資料を示し、一方的な解雇を言い渡した。まあ、長く勤めていた者として泣き言を並べるのは聞いてやったが、それだけだ。決定は覆らない」

「面倒に巻き込んで済まない」と頭を下げ、有馬委員長は委員長室に戻っていく。高経理部長が出てこないことが少し気になり、会議室を覗けば床に崩れ込んでいる高経理部長を見つけた。

「どうしてだ。なんでバレたんだ。これまでうまくいってたのに」

大声でそんなことを喚いている。

「どうしてそんな非常識なことが言えるんですか」

つい口を出してしまった。高経理部長はギロリと俺を睨む。

「お前らうるさい。関係のないやつは引っ込んでろ。俺に偉そうに説教するな」

「あなたが馬鹿にする働き者が、全員会社または病院のために頑張っているからこそ、会社も病院の経営も成り立っているんですよ。個人だけが得をしようとする人間には、必ず天罰が下るようになっているんです」

人を馬鹿にする態度が許せず、部外者だと承知の上で説教してやった。高経理部長はギリギリと俺を睨みつけてきたが、結局何も言わず項垂れてしまった。

その後、会社に戻り無事に契約が済んだことを社長に伝えると、社長はほっとした様子だった。

「ついさっき有馬委員長から謝罪とお礼の言葉の連絡が来たよ。本田君たちに感謝しておられた。また飲みに誘いたいとおっしゃっていたぞ」

病院の居座に巻き込んでしまったことを有馬委員長は申し訳なく思っているのだろう。実際には俺たちは別に何もしていないが、素直に有馬委員長の気持ちを受け入れることにした。

俺はこれからも働き者の1匹でもいい。信頼する仲間たちと共に切磋琢磨していきたいと思うのだった。

Thumbnail