「お前たちははる子を大切な人間として扱ってこなかった。家事を押し付け、金銭を要求し、人生の選択肢を縛ったんだ」
高弘の言葉に、父と姉は言葉を失った。私は長年溜まっていた想いをようやく吐き出せた気がした。
「悲劇の主人公ぶらないでよ。お姉ちゃんも私から金を借りて返してないでしょ」
「何よ! 姉妹なんだから当然でしょ!」
「お金、労働、時間。はる子さんの大切なものを奪い続けてきたということです」
父は怒りで顔を赤くしたが、高弘は一切動じなかった。彼は私の手を握り、その場を後にした。背中に刺さるような視線を感じたが、もう振り返る必要はなかった。
翌朝、高弘の高級車の側面に落書きがされているのを見つけた。「ニート娘を返せ」。父の仕業だとすぐに分かった。
「ごめんなさい。私のせいで……」
「違う。やった人間の責任だ」
高弘はすぐに元部下の金塚さんに連絡し、防犯カメラとドライブレコーダーの映像を確保させた。冷静な対応に、私はただ感謝するしかなかった。
数日後、高弘のスマホに父から電話がかかってきた。スピーカーモードにしてくれたので、父の声が部屋に響く。
「おい、はる子に金を送らせろ!」
「はる子は送金しません」
「お前が決めることじゃねえだろ!」
「はい。ですから、はる子本人が決めたことです」
父が怒鳴れば怒鳴るほど、高弘は淡々と事実だけを告げる。契約書の内容、車の落書きの件、損害賠償の請求。父の勢いはどんどん萎んでいった。
「覚えてろよ!」
「この通話も記録していますよ」
「ちっ……もういい」
通話が乱暴に切られた後、私は思わず息を吐いた。感情で感情に押し返していた昔の自分が馬鹿みたいだった。
それからしばらくして、今度は姉がSNSで嫌がらせを始めた。「本当は私が行くはずだったんです」「はる子は父に言われて仕方なく来たんです」。高弘のスマホにも同じようなメッセージが届いていた。
「気持ち悪い……」
「はる子がそう感じるのは当然だ。俺だってそうだよ」
高弘はすべてのメッセージをスクリーンショットで保存し、弁護士に相談すると言った。彼はいつも冷静で、私を守ってくれる。その姿に、私は少しずつ強くなれる気がした。
2週間後、内容証明を受け取った父と姉がマンションに押しかけてきた。
「こんなものを送り付けて! 家族相手に金を取る気か!」
「請求内容はそこに書いてある通りです」
「意味わかんない! なんで私たちが払うのよ!」
「接触禁止契約書の違約金、車の修理費、SNSでの誹謗中傷に関する慰謝料です」
高弘の言葉に、父はますます激昂した。そして突然、車のタイヤを蹴り始めた。
「ふざけやがって!」
「それ以上はやめてください」
「お前のせいよ!」
姉が私に手を伸ばそうとした瞬間、高弘が私の前に立ちはだかった。「はる子に触らないでください」。その言葉と同時に、駐車場の奥から複数の足音が近づいてきた。金塚さんが連れてきた警備員たちだった。
「念のため、待機してもらっていました。車両への加害行為とはる子さんへの接触未遂を確認したため、警察に通報いたしました」
数分後、駆けつけた警官が父と姉を取り囲んだ。なおも言い訳を続ける二人だったが、警官から逃げることはできなかった。
「はる子! あんた絶対後悔するからね!」
「何を言われても、私はあなたたちを家族だとは思わない。これからは自分たちで責任を取ってよね」
そう告げた時の父の顔を、私は今でも覚えている。歪んだ表情のまま、何か言い返そうとしていたが、警官に促されて言葉を飲み込んだ。二人の背中が遠ざかるのを見ながら、私は高弘の隣で静かに息を吐いた。長い間私を縛っていたものから、ようやく解放された瞬間だった。
半年後、父と姉は高弘への車の修理費、契約違約金、SNSでの誹謗中傷に対する慰謝料などを背負うことになった。払える蓄えなどない二人は、借金を抱えたまま長年暮らしていた借家を出て、駅から離れた古いアパートへ移り住んだ。
父は仕事を転々とし、最後は酒に逃げて首になった。姉も同じだった。店でトラブルを起こすたびに別の店へ移り、自分のせいだとは決して思わなかったらしい。誰も彼らを助けなかった。都合のいい時だけ人を頼り、借りた金や受けた恩を返してこなかったのだから、当然だ。
その話を聞いても、私は何も思わなかった。父と姉がどうなろうと、もう私には関係のないことだ。
1年後、高弘と私は婚姻届を提出した。晴れて本物の夫婦になったのだ。
それからしばらくして、私は会社を退職し、高弘と一緒に海外へ移住した。言葉も習慣も違う土地での暮らしは最初から順調だったわけではない。けれど、苦労以上に楽しいことが多かった。
新しい暮らしに慣れた頃、私たちは親しい友人を招いて小さなパーティーを開いた。白い花を飾った庭で高弘と向かい合った時、心に温かいものが満ちていくのを感じた。あの日の式とは違う。誰かに命じられた結婚ではなく、自分の意思で選んだ相手と夫婦になれることが嬉しかったからだ。
今の楽しみは、高弘と一緒に庭で野菜を育てること。最初は土の扱いも分からず苗を枯らしたこともあったけど、朝に水をやり、葉の色を見ながら少しずつ育っていく野菜を眺める時間は、私の心を穏やかにしてくれる。
最近は地域のボランティア活動にも参加している。海岸の清掃や森の保全活動に出るうちに、自分にもできることがあるのだと思えるようになった。高弘に相談しながら、環境保全に関わる会社を立ち上げられたらと思っているところだ。
高弘と出会って、私の人生は大きく変わった。働き方も、住む場所も、隣にいる人も、全部自分で選べる。失敗しても怒鳴られるのではなく、一緒に解決法を考えてくれる人がいる。朝の光を受けて輝く庭の野菜を見つめながら、私はようやく自分の人生を歩み始めているのだと思った。



