起業した会社で、私は高学歴の若手社員を雇った。最初は順調に見えたのに、彼らは次第に遅刻やミスを繰り返し、注意すれば「パワハだ」と騒ぐようになった。そしてある日、彼らはずっと前から私を恨んでいた元上司と一緒に、全員で退職届を突きつけてきた。私は静かに受理したが、その後の一言で、彼らの見下した笑みが一瞬で消え去った。

起業した会社で、私は高学歴の若手社員を雇った。最初は順調に見えたのに、彼らは次第に遅刻やミスを繰り返し、注意すれば「パワハだ」と騒ぐようになった。そしてある日、彼らはずっと前から私を恨んでいた元上司と一緒に、全員で退職届を突きつけてきた。私は静かに受理したが、その後の一言で、彼らの見下した笑みが一瞬で消え去った。

俺の名前は飯島。53歳だ。5年前まで、俺は大手建設会社に勤めていた。いや、正確に言えば、あそこでの日々は決して悪いものではなかった。だが、現場を軽視し、自分の都合ばかりを優先する上司のやり方に、どうしても我慢がならなかった。

ある日、同じ思いを抱えていた田中と前木に声をかけた。「俺たちで会社をやらないか」。最初は漠然とした夢物語に過ぎなかった。しかし、その思いは年を重ねるごとに確かなものへと変わっていった。当時25歳だった息子にも後押しされた。「父さんの人生なんだから好きなことすればいいよ」。母と離婚してから、必死に働いてきた俺を、息子は誰よりも理解していた。

こうして俺たちは小さな建設会社を立ち上げた。主な仕事はリフォームや修繕、設備関連。いわゆる「町の何でも屋」だ。田中は元々電気設備の仕事に強く、前木は修繕技術に長けていた。三人の持ち味がうまく噛み合い、会社は少しずつ軌道に乗っていった。

設立当初は本当に大変だったが、徐々に仕事も増えていった。そうして会社が安定し始めた頃、俺は新たな人材を雇うことにした。前木の紹介で、若い社員たちが入社してきたのだ。彼らの履歴書を見たとき、その高学歴ぶりに正直驚いた。大手企業でも十分通用するような連中だった。だが、彼らは「この会社でしかできない仕事がある」と感じたと前木から聞かされた。その言葉に、俺は胸を打たれた。「この子たちと一緒に、もっと会社を大きくしていける」。そう信じていた。

最初の2ヶ月ほどは、何事もなく穏便に過ぎていった。若手たちは礼儀正しく、真面目に仕事に取り組んでいるように見えた。だが、そう長くは続かなかった。

「すみません、電車が遅延してしまって」
「今日は体調が悪くて」
遅刻が目立ち始めたのは、入社から3ヶ月が経った頃だ。最初は仕方ないと大目に見ていた。だが、頻度は増すばかりで、言葉も段々と「言い訳」に変わっていった。

さらに、仕事のミスも増えてきた。確認不足による作業のやり直し、顧客への連絡漏れ、道具の管理すらおろそかにし始めた。俺や田中が注意すると、彼らは必ずこう言うのだ。

「こんな細かいところまで言われると思ってませんでした」
「自分の中では完璧だったんですけど」

反省するより先に、言い訳が出てくる。厳しく接しようものなら、今度はこうだ。
「パワハじゃないですか」
そんな言葉が飛び出してくる始末。俺は彼らに期待していたからこそ、指摘してきたのだ。しかし、彼らにはその思いが一切伝わらない。

「前木、お前が紹介してきた子たちだろう。ちゃんと話をしてくれないか」
何度か前木にそう頼んだこともあった。だが、前木はいつもヘラヘラと笑うばかりだ。
「まあまあ、まだ若いんだから。そのうち分かってきますよ」

その対応に、俺は苛立ちを覚えていた。だがある日、前木が珍しく真剣な表情で言ったのだ。
「飯島、俺がちゃんと話をつけるよ」
そう聞いて、俺は少しだけ安心した。前木なら分かってくれている。そう信じたかった。

しかし、事件は思いもよらない形で訪れた。

あれは上野と再会してから、およそ1ヶ月後のことだった。

ある日、俺が現場から会社に戻った直後、前木に声をかけられた。「ちょっと話があるんだが」。そう言われるままに事務所へ入ると、あの若手社員たち全員が揃っていた。田中もいるが、明らかに不機嫌そうな顔をしている。どうやら俺と同じように、急に呼び出されたらしい。

「話って一体何だ」
俺がそう言い終わるか終わらないかのうちに、前木と若手社員たちは全員、順番にあるものを俺に差し出してきた。それは、全て「退職届」だった。

俺と田中は思わず目を見開いた。

「どういうことだ?」
田中が低い声で問いかけた。

「いや、俺たちをもっと認めてくれる人が見つかっただけだよ」
前木はどこか軽い口調でそう言った。続いて若手の一人が言葉を足す。
「僕らの学歴を妬んで、意地悪ばかりする会社なんて、ごめんですよ」

退職届の束を手にしたまま、俺の脳裏にある記憶が蘇った。起業したばかりの頃、最初の大きな仕事を取った夜。俺と前木の二人で缶ビールを開けて、乾杯したあの日のことを。

「飯島、俺たちでやってやろうぜ」
目を輝かせてそう言った男が、今は薄笑いを浮かべて俺を見ている。30年以上の付き合いが、こんな形で終わるとは。

俺は深く息を吐き、前木に向き直った。
「前木、俺たちはお前に助けられてきた。俺たちだって、お前を助けてきたつもりだ。互いに認め合っていたはずだろう」

さらに若手たちにも目を向ける。
「君たちも同じだ。私は君たちに期待しているからこそ、成長してほしくて言ってきたんだが」

「大きなお世話ですよ」
若手の一人が、ピシャリと言い放った。前木も若手たちも、口元に嘲笑を浮かべて俺と田中を見ている。

どれだけ真剣に向き合ってきたと思っているんだ。俺は心の内でそう吐き捨てた。言いたいことは山ほどあった。本当なら感情に任せて怒りたい。しかし、彼らに言葉は届かない。どれほど話し合っても、理解し合えないのだと分かりきっていた。これ以上は無意味だ。

「わかった。退職届、正式に受理しよう」
俺がそう言うと、田中が静かに頷いた。

その直後だった。

「ちょ、ちょっと困りますよ!」
という慌てた声とともに、事務所のドアが開く音が響いた。

「よう、お疲れさん。迎えに来たぞ」

聞き覚えのある声に、俺は振り返った。そこに立っていたのは、あの居酒屋で再会した元上司・上野だった。居酒屋で会って以来、もう顔を合わせることはないと思っていたが、まさかこんな形で現れるとは。

混乱する俺をよそに、上野は得意げな笑みを浮かべて腕を組んでいる。その背後から、部下が顔を覗かせた。
「社長、すみません。止めたんですが、前木さんのお客様だと言って無理やり」

俺と田中が一斉に前木を見る。前木は何食わぬ顔で言った。
「上野さんがわざわざ迎えに来てくれるなんて、光栄です」

「何。未来ある君たちを我が社に引き入れるのは、私の役目だ」

前木と上野のやり取りに、俺と田中はポカンとするしかなかった。前木に合わせて若手たちが「さすが上野さんです!」などと言い出し、耳障りだった。

「それじゃあ、退職届けを正式に受理してもらえたみたいだし」

前木が言うと、今度は田中が一歩前に出た。
「まだ話は終わってないだろう。それにお前ら、飯島に何か言うことはないのか?飯島がどれだけお前らのことを思って接してきたと… 」

田中が拳を握り締め、前木を詰め寄る。それを遮るように、上野が間に割り込んだ。

「飯島、俺が説明してやろう」

上野の話は衝撃的だった。彼は俺が起業のために早期退職した時から、ずっと俺を恨んでいたという。

「お前が抜けてから、続け様に他にも何人か辞めちまってな。俺の部長としての評価が、大幅に傷ついたんだよ」

俺が辞めた時、部下や同僚の中にも上野のやり方に不満を抱えている者たちがいた。もしかしたら、俺が辞めたことがきっかけで決断した者がいたとしても不思議ではない。

「俺に何か問題があるんじゃないかって、上層部に問い詰められてな。最終的には進退問題にまで発展した。ようやくお前のせいで、家族も俺に冷たくなった」

それなのに、俺は順調だ。高学歴の社員にも恵まれて、会社を軌道に乗せている。それが許せなかったらしい。

「飯島、お前の話を聞いた時、腹が立った。だが同時に、いいことを思いついた。だから別れ際に名刺を交換したんだよ」

上野は俺の名刺を使って会社の住所や連絡先を入手し、仕事の話を持ちかけるふりをして接触してきた。すると、まさか俺に不満を抱えていた社員が対応したという。それが前木だった。

「こちらの前さんも、若手社員たち同様かなり優秀らしいじゃないか。それなのにお前が正当に評価しないそうだな。だからこんなことになるんだよ」

ここまで聞いて、俺と田中は一切口を挟まなかった。上野や前木たちの表情が、より一層醜悪なものになっていく。だが、俺の心にあったのは怒りではなく、呆れと失望だった。俺たちは、前木たちのような人間を「仲間」だと思っていたのか。その事実に、ただ愕然としていた。

「それで、前木たち全員をスカウトしたわけですか?俺に嫌がらせしたい、そんな気持ちだけで」

俺の問いに、上野は鼻で笑った。
「優秀な社員を使うとするから、これでお前たちは終わりだな。特に若い社員たちは皆、かなりの高学歴だ。うちにとってかなり有益だよ。これで俺の評価も持ち直す。いや、お釣りが来るかもしれないな」

俺は大きなため息をついた。そして、前木たち上野に視線を向け、ニコリと微笑んだ。

「逆に、ありがとうございます」

「は?強がりかよ」

「いいえ、事実です」

俺がそう言うと、田中がふっと息を吐いた。何を言うつもりだ、と問いかけてくるような表情だった。

「若手の社員たちには、心を入れ替えて一緒に頑張ってほしかったんですけどね。だけど今の状況は、実は俺にとっても会社にとっても、ずっと悩みの種だったんですよ。雇用した以上、簡単に解雇はできない。だけど、このままでいいのかとも考えていた」

上野さん、あなたが引き受けてくれるというなら、前木たちも自分たちを認めてくれる場所に行ける。こちらも前に進める。悪い話じゃないでしょう。

俺が告げた途端、上野の顔から笑みが消えた。

「田中、確認だ。うちの会社で、あの3ヶ月の間、前木たちが何をしてきたか。振り返って説明してくれ」

田中が口元をわずかに緩め、静かに話し始めた。
「遅刻はほぼ毎週。欠勤も月に数回。業務中の私語は頻繁、指示への反発は日常。ミスによる作業のやり直しが常態化し、顧客からのクレームも複数。注意すれば、パワハと騒ぐ。丸3ヶ月、朝礼の時間に全員が揃ったことは数えるほどしかありませんでしたね」

「ごまかすな!」
若手の一人が噛みついた。
「俺たちはエースだって、前木さんが言ってた!こんな小さな会社に収まる人間じゃないんだ!」

「そうだそうだ!元々大手で働くはずだったんだ!」
別の若手も続く。

田中は落ち着いた口調で返した。
「人事評価の資料は残っている。過去3ヶ月分の勤怠記録、仕事の進捗状況、クライアントからのクレームの記録。それらを見れば、エースかどうかは一目瞭然だ」

「前木さん、あんた言ったよな」
上野が前木を睨みつけた。
「『オタクと若手たちは、この会社のエースだ。この会社が早く安定したのは、あんたと若手の力だ』って。嘘だったのか?」

「それは… その… 」
前木は視線を泳がせ、若手たちは言葉を失った。沈黙の中、上野が前木の胸ぐらを掴もうとしたとき、俺はその場を制した。

「はい。ストップ」

俺はパンと手を打ち鳴らす。一瞬、騒ぎが静まり返った。

「退職届を正式に受理したことは、さっき言いましたね。では、これ以上ここにいても仕方ないんじゃないですか?あなた方の話は、外でどうぞ」

「そうだな。上野さんがせっかく迎えに来てくれたんだし」
田中も続けてそう言った。

「飯島…

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何か言いたげに上野が俺を見た。目は口ほどに物を言う。だが、俺はあえて笑顔で対応した。

「さよなら」

それだけを告げ、俺は上野たちを事務所から追い出した。

彼らが去った後、事務所には静寂が戻ってきた。田中が深いため息をつく。

「まさか、ああいう結末になるとはな」

「ああ。だが、結果的に良かったのかもしれない」

「… そうだな。問題が表面化したのは、むしろ幸運だった。これから先も、あの連中とやっていくのは不可能だっただろう」

俺と田中は顔を見合わせ、苦笑いを交わした。

「新しく人を募集するか」

「そうだな。今度は履歴書だけじゃなく、じっくり話をしてみよう。仕事が続けられる人間かどうか。目を見れば、ある程度は分かる」

「ああ。俺が雇うと決めた責任だ。今度こそ、ちゃんと見極める」

その後のことは、前の職場で仲が良かった知人から聞いた話だ。

上野は前木たちを会社に連れる際、学歴と「うちの会社での実績」を大きく盛って報告したらしい。上層部はすっかり乗り気になり、問題点など何も伝えられないまま入社が決まったという。案の定、前木たちは転職後も問題を起こし続けた。ミスが重なり、最終的には会社に損失の出る失敗を連発。前木も若手たちも次々と解雇された。スカウトした上野も、その責任を問われ、同じ結末を迎えたそうだ。

「自業自得だな」
田中が言った。
「ああ。まさにその通りだ」

数日後、息子から短いメッセージが届いた。
「最近どう?」

俺は少し考えてから、一言だけ返信した。
「すっきりしたよ」

新たな社員の募集をかけると、何人かは即戦力として採用が決まった。俺自身がじっくりと面接をして選んだ。履歴書だけでは、人は分からない。経歴よりも、目を見て話してみることの方が大事だと、俺は身を持って学んでいた。前木たちのことは、反面教師にしていこう。

そう、心に誓いながら、俺はまた忙しい日常へと戻っていった。そして、あの上野の言葉を思い出す。

飯島、俺が説明してやろう。
お前が抜けてから、続け様に他にも何人か辞めちまってな。
俺の部長としての評価が、大幅に傷ついたんだよ。
優秀な社員を使うとするから、これでお前たちは終わりだな。

… あいつは何も分かっていない。優秀な社員とは、ただ学歴が高いだけの人間のことではないのだ。会社のために尽力し、仲間と信頼を築き、困難に立ち向かう人間。それが本当の「優秀な社員」なのだ。

上野はそれを永遠に理解できないだろう。そして前木も、若手たちも。だが、俺はもう気にしない。自分の道を信じて、前に進むだけだ。それが、俺が選んだ人生なのだから。