「ねえ、ママ、バーバっていつ追い出すの?」
夕食の支度をしていた私の手が、その言葉で凍りついた。10歳の孫、シュートの声が居間から聞こえてきたのだ。私は耳を疑った。まさか、そんなことを言うはずがない。でも、続く嫁・さや子の返事が、私の現実を打ち砕いた。
「もうすぐよ。邪魔だもんね」
私は本田美吉、69歳。この家で15年間、息子夫婦と孫と一緒に暮らしてきた。夫を亡くし、一人になった私を心配した息子の匠が、「母さん、一緒に暮らそう」と言ってくれたのだ。その時、さや子も優しく笑って迎えてくれた。私は亡き夫の保険金から500万円を、息子夫婦のマイホーム購入資金として差し出した。それから私は、朝5時に起きて家族全員分の弁当を作り、学校へ出勤した。帰宅後は洗濯、掃除、買い物、生まれたばかりのシュートの世話もした。定年退職後も、年間100万円相当の家事を無償で続けてきた。
なのに、今や私はこの家で邪魔者扱いだ。食事は別メニュー、リビングへの立ち入りは遠慮するように言われ、2階の狭い部屋に追いやられた。「いつかまた、温かい関係に戻れる」と信じていた。でも、さっきの会話を聞いて、それがただの幻想だったと知った。
数日後、さや子の態度はさらにエスカレートした。
「お母さん、最近もの忘れがひどくないですか?」朝食の席で、さや子が心配そうな顔を作って言った。でも、その目はまったく笑っていなかった。
「そんなことはありませんよ」と私が答えると、さや子はため息をついた。「でも、昨日も同じ話をしてたわ。認知症の可能性もあるかもしれないわね。一度、病院で検査を受けた方がいいんじゃないかしら」
その日の夕方、学校から帰ったシュートの態度も変わっていた。宿題をしているシュートに声をかけようとしたら、彼は鼻をつまんで言った。「バーバ、臭い」
「シュート、そんなこと言うものじゃありません」と私がたしなめると、彼は不機嫌そうに続けた。「だって本当に臭いんだもん。友達が遊びに来る時、バーバには合わせたくない。恥ずかしいから」
10歳の孫から投げつけられた言葉に、私は立ち尽くした。
「シュートは正直でいいわね」さや子が横から口を挟んだ。その声には、叱るニュアンスなど一切なかった。
続けてさや子は言った。「お母さん、シュートの友達が来る時は、2階の部屋にいてもらえないかしら。子供たちに気を遣わせたくないから」
私は何も言えなかった。ただ、うなずくことしかできなかった。その夜、匠が帰宅した時、私は勇気を振り絞って話しかけた。「匠、少し話があるんだけど、いいかしら」
匠はスマートフォンを見つめたまま、「あー、今ちょっと忙しいから。ごめん、母さん。後でな」と言った。その「後で」は、結局来なかった。私は一人、自分の部屋で泣いた。15年間、この家に尽くしてきた私の存在は、一体何だったのだろう。私はもう、この家で生きていく意味を見失っていた。
あの日から、私は少しずつ準備を始めた。銀行へ行き、自分の貯蓄を確認した。何年も使っていなかった友人に電話をかけた。そして、ある決意を固めたのだ。この家を出ていく。もう、邪魔者扱いされる場所に留まる理由はない。
決行の日、私は朝5時に起きて、いつものように家族の弁当を作った。それが、私の最後の挨拶になると思ったからだ。そして、私の荷物をまとめ、玄関に向かった時、匠が階段から降りてきた。「あれ、母さん、どこ行くの?早く弁当作ってくれないと、遅刻するんだけど」
私は、小さく笑った。「今日から、自分のために生きるわ。15年間、ありがとう。あなたたちのために作ってきた弁当は、もう作らない」
匠は、何が起きたのか理解できないようだった。「どういうこと?母さん、何言ってるんだよ」
私は振り返らずに、玄関のドアを開けた。そこには、私を待っている新しい人生が広がっていた。15年ぶりの自由な朝の空気は、思いのほか冷たくて、でも、なぜだか心地よかった。



